“生れた権利”をうばうな

――寿産院事件について――

宮本百合子




 今日の一般の人を心から考えさせた事件だと思います。あそこに預けられた子供の率をみると去年は一躍二百余名に上り、そのうち八〇パーセントが殺されました。昨年このようにあずけられる子供の数が増えて殺された率も多かったということと、私達は政府が十一月には国民家計が三百円黒字になるといわれたことを深刻に思いあわせます。丸公が値上げになったために一般家計が窮迫しはじめたのも昨年中のことです。
 寿産院にあずけられた子供が正当な出生の子供でないということが、まるで子供が殺されても仕方がなかったというようにあげられています。しかしあの中には正当な結婚から生れた子供もいたようです。正当な子供、正当でない子供というのは子供にとってどんな区別があることでしょう。どういう男女の間から生れてもそれは人間の一人の子供であって、“生れた”という言葉は絶対にこの世に現われた子供が自分で自分を生んだのではなくて受身にこの世に送り出された関係を語っています。まして私生子というような区別を戸籍の上にさえおかない様になってきている今日、子供はすべて社会の子供として生命を保証される権利があります。そして私どもにはその義務があります。婦人少年局ができて婦人と小さい人の全生活に関する調査や提案を政府に向ってすることになりました。経済難と子供の生命の問題は婦人局にとっても基本的な問題だと思います。国家が社会施設として育児院、産院、託児所を設けなければならないということは、寿産院の事実ではっきり示されています。
〔一九四八年一月〕





底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「アカハタ」
   1948(昭和23)年1月23日
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年11月30日作成
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