草の根元

宮本百合子




 五時に近い日差しが、ガラス窓にうす黄色くまどろんで居る。
 さっきまで、上を向いて見ると、眼の底から涙のにじみ出すほど隈なくはれ渡って、碧い色をして居た空にいつの間にかモヤモヤした煤の様な雲が一杯になってしまって居る。
 桜が咲きかけて居るのに、晩秋の様な日光を見て居ると、何となくじめじめした沈んだ気になる。
 暖かなので開け放した部屋が急にガランとして見えて、母が居ない家中は、どことなし気が落ちつかない。火がないので、真黒にむさくるしいストーブを見ながら、頬杖をついて、私はもう随分さっきから置いてきぼりにされた様な様子をして居る。
 この頃漸々ようよう、学校の休になって、長い間かかって居たものを二三日前に書きあげたけれ共、それにつける丁度いい題に困りきって、昨夜ゆうべも今もいやな思いをしつづけて居る。
 書きたいだけ書いて、あとから名をつける癖のある私は、毎度こうした眼に会う。
 いつもいつも物を考える時はきっとする様に、男みたいな額のかどを人指し指と拇指で揉みながら、影の様にガラスの被の中で音も立てずに廻って居る時計だの、その前のテーブルの上に置いてある花の鉢だのを眺め廻す。
 くすんだ様な部屋の中に、ポッツリ独りで居るのが仕舞いには辛くなって来る。
 若い人達が頭にさして居る様な、白い野菊の花だの、クリーム色をみどりでくまどったキャベージに似たしなやかな葉のものや、その他赤いのや紫のや、沢山の花のしげって居る大きな鉢を見て居るうちに、それだけが一つの小さい世界の様に思えて来る。
 淋しいもんで、いろいろ勝手な事を考えて自分で慰むより仕方がない。
 あの草の根方に、小っぽけな人間の形をしたものが一杯居る。
 それが皆、私のふだんから好いて居る西洋の何百年か前の着物を着て歩き廻って居る。
 居る女達は、皆、私が絵で好いて居るゆったりと見事な身の廻りをして、小姓こしょうに長いスカートをかかげさせて、左の掌に白い羽根の扇をのせてしとやかに動いて居る。
 あっちの根元に立派なホールがあって、集った人達が笛を吹いたり※[#濁点付き片仮名ア、418-18]イオリンを鳴らして居るかと思うと、すぐここの根元では、すばらしい天蓋のある乗物にのって美くしい女王がそそり立った城門から並木道へさしかかって居る。
 あー、あの可愛い女の人の靴がぬげた。
 私は誰か出て来て、なおしてあげる人はないのかと私の気が揉める。
 白い羽根を一本一寸気軽にビロードの帽子にさした若者が、愛嬌のいい顔をして小器用になおしてあげる。
 どっかハムレットに似て居る。
 オフィリアは居ないかしらん、





底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
※1915(大正4)年3月28日執筆の習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
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