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道標 第一部
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第一章
一
からだの下で、列車がゴットンと鈍く大きくゆりかえしながら止った。その拍子に眼がさめた。伸子は、そんな気がして眼をあけた。だが、伸子の眼の前のすぐそばには緑と白のゴバン縞のテーブルかけをかけた四角いテーブルが立っている。そのテーブルの上に伸子のハンド・バッグだの素子の書類入鞄だのがごたごたのっていて、目をうつすと白く塗られた入口のドアの横に、大小数個のトランク、二つの行李、ハルビンで用意した食糧入れの柳製大籠などが、いかにもひとまずそこまで運びこんだという風に積みあげられている。それらが、薄暗い光線のなかに見えた。素子は伸子の位置からすればTの型に、あっちの壁によせておかれているベッドで睡っている。それも、やっぱり薄暗い中に見える。
ここはモスク
だったのだ。伸子は急にはっきり目がさめた。自分たちはモスク
へついている。――モスク
――。きのう彼女たちが北停車場へ着いたのは午後五時すぎだった。北国の冬の都会は全く宵景色で、駅からホテルまで来るタクシーの窓からすっかり暮れている街と、街路に流れている灯の色と、その灯かげを掠めて降っている元気のいい雪がみえた。タクシーの窓へ顔をぴったりよせてそとを見ている伸子の前を、どこか田舎風な大きい夜につつまれはじめた都会の街々が、低いところに灯かげをみせ、時には歩道に面した半地下室の店の中から扇形の明りをぱっと雪の降る歩道へ照し出したりして通りすぎた。通行人たちは黒い影絵となって足早にその光と雪の錯綜をよこぎっていた。それらの景色には、ヨーロッパの大都市としては思いがけないような人懐こさがあった。
きょうはモスク
の第一日。――その第一瞥。――伸子はこみ上げて来る感情を抑えきれなくなった。ベッドのきしみで素子をおこさないようにそっと半身おきあがって、窓のカーテンの裾を少しばかりもちあげた。そこへ頭をつっこむようにして外を見た。二重窓のそとに雪が降っていた。伸子たちがゆうべついたばかりのとき、軽く降っていた雪は、そのまま夜じゅう降りつづけていたものと見える。見えない空の高みから速くどっさりの雪が降っていて、ひろくない往来をへだてた向い側の大工事場の足場に積り、その工事場の入口に哨兵の休み場のために立っている小舎のきのこ屋根の上にも厚くつもっている。雪の降りしきるその横町には人通りもない。きこえて来る物音もない。そのしずかな雪降りの工事場の前のところを、一人の歩哨が銃をつり皮で肩にかけてゆっくり行ったり来たりしていた。さきのとんがった、赤い星のぬいつけられたフェルトの防寒帽をかぶって、雪の面とすれすれに長く大きい皮製裏毛の防寒外套の裾をひきずるようにして、歩哨は行ったり来たりしている。彼に気づかれることのない三階の窓のカーテンの隅からその様子を眺めおろしている伸子の口元に、ほほえみが浮んだ。ふる雪の中をゆっくり歩いている歩哨は、あとからあとからとおちて来る雪に向って、血色のいい若い顔をいくらか仰向かせ、わざと顔に雪をあてるような恰好で歩いている。若い歩哨は雪がすきらしかった。自分たちの国のゆたかで荘重な冬の季節を愛していて、体の暖い若い顔にかかる雪がうれしいのだろう。雪のすきな伸子には、歩哨の若者が顔を雪にあてる感情がわかるようだった。
「――ぶこちゃん?」
うしろで、目をさましたばかりの素子の声がした。伸子は、カーテンをもち上げていたところから頭をひっこめた。
「めがさめた?」
「あーあよくねた、何時ごろなんだろう」
そう云えば伸子もまだ時計をみていなかった。
「八時半だわ」
素子は一寸の間黙っていたが、ベッドに横になったまま、
「カーテンあけてみないか」
と云った。伸子は、重く大きい
「これじゃ仕様がない、ぶこちゃん、電気つけようよ」
スイッチを押し、灯をつけてから、伸子はドアをあけて首だけ出すようにホテルの廊下をのぞいた。くらい十二月の朝の気配や降る雪にすべての物音を消されている外界の様子が伸子にもの珍しかった。廊下のはずれにバケツを下げた掃除女の姿が見えるばかりだった。廊下をへだてた
ドアをしめて戻ると、伸子は
「まだみんな寝てるのかしら――」
と小声を出した。
「まるでひっそりよ」
「ふうん」
ゆっくりかまえていた素子は、
「どれ」
とおき上ると、わきの椅子の背にぬぎかけてあったものを一つ一つとって手早く身仕度をととのえはじめた。
二人で廊下へ出てみても、やっぱり森閑として人気がない。伸子たちは、ドアの上に57という室番号が小さい楕円形の瀬戸ものに書いてある一室をノックした。
「はい」
几帳面なロシア語の返事がドアのすぐうしろでした。素子がハンドルに手をかけると同時にドアは内側へひらかれた。
「や、お早うございます。さあ、どうぞ……」
ロシア革命十周年記念の文化国賓として、二ヵ月ばかり前からモスク
に来ている秋山宇一は、日本からつれて来た内海厚という外語の露語科を出た若いひととずっと一緒だった。ドアをあけたのは、内海だった。「どうでした――第一夜の眠り心地は……」
窓よりに置いたテーブルに向って長椅子にかけている秋山宇一が、ちょっとしゃれた工合に頭をうなずかせて挨拶しながら伸子たちにきいた。
「すっかりよく寝ちまった……なかなか降ってるじゃありませんか」
素子がそう云いながら近づいて外を眺めるこの室の窓は、二つとも大通りの側に面していて、まうように降る雪をとおして通りの屋根屋根が見はらせた。
「今年は全体に雪がおくれたそうです。――四日だったかな、初雪がふったのは――」
すこし秋田
「もう、これで根雪ですね。一月に入って、この降りがやむと、毎日快晴でほんとのロシアの
秋山も、はじめてみるモスク
の冬らしい景色に心を動かされているらしかったが、「じゃ、瀬川君に知らせましょうか」
と、内海をかえりみた。
「朝飯前だったんですか」
「ええ。あなたがたが起きられたら一緒にしようと思って」
「まあ、わるかったこと」
きまりのわるい顔で伸子があやまった。
「わたしたち、寝坊してしまって……」
「いや、いいんです。私どもだって、さっき起きたばっかりなんですから……しかしソヴェトの人たちには、とてもかないませんね、実に精力的ですからね。夜あけ頃まで談論風発で、笑ったり踊ったりしているかと思うと、きちんと九時に出勤しているんだから……」
そこへ、黒背広に縞ズボンのきちんとした服装で瀬川雅夫が入って来た。日本のロシア語の代表的な専門家として瀬川雅夫も国賓だった。演劇専門の佐内満は十日ばかり前にモスク
からベルリンへ立ったというところだった。「お早うございます。――いかがです? よくおやすみでしたか」
秋山宇一は無産派の芸術家らしく、半白の長めな髪を総髪のような工合にかき上げている。瀬川雅夫は教授らしく髪をわけ、髭をたくわえている。それはいかにもめいめいのもっているその人らしさであった。その人らしいと云えば内海厚は、柔かい髪をぴったりと横幅のひろい額の上に
やがて五人の日本人はテーブルを囲んで、茶道具類とパン、バタなどをとりよせ、殆ど衣類は入っていない秋山の衣裳
「ロシアの人は昔からよくお茶をのむことが小説にも出て来ますが、来てみると、実際にのみたくなるから妙ですよ」
瀬川雅夫がそう云った。
「日本でも信州あたりの人はよくお茶をのみますね――大体寒い地方は、そうじゃないですか」
もち前の啓蒙的な口調で、秋山が答えている。
うまい塩漬胡瓜をうす切れにしてバタをつけたパンに添えてたべながらも、伸子の眼は雪の降っている窓のそとへひかれがちだった。モスク
の雪……活々した感情が動いて、伸子のこころをしずかにさせないのであった。雪そのものについてだけ云うならば、ハルビンを出たシベリア鉄道が、バイカル湖にかかってから大ロシアへ出るまで数日の間、伸子たちは十二月中旬の果しないシベリアの雪を朝から夜まで車窓に見て来た。それは曠野の雪だった。雪と氷柱につつまれたステイションで、列車の発着をつげる鐘の音が、カン、カン、カンと凍りついたシベリアの大気の燦きのなかに響く。白い寂寞は美しかった。列車がノヴォシビリスクに着いたとき、いつものとおり外気を吸おうとして雪の上へおりた伸子は、凍りきってキラキラ明るく光る空気がまるでかたくて、鼻の穴に吸いこまれて来ないのにびっくりした。おどろいて笑いながら、つづけて
の生活が、伸子の予感をかきたてるのであった。食事も終りかかったころ、瀬川雅夫が、
「さて、あなたがたのきょうのスケジュールはどういう風です?」
と、伸子たちにきいた。
「別にこれってきめてはいないんですがね」
きな
「大使館へでも一寸顔だしして来ようかと思っているんだけど。――手紙類を、大使館気づけで受けとるようにして来たから……」
秋山宇一は、黙ったままそれをききながら小柄な体で、重ね合わせている脚をゆすった。
「じゃ、こうなさい」
席から立ちかけながら、瀬川が云った。
「もう三十分もすると、どうせ私も出かけて
「それがいいですよ。
濃くて長い眉の下に、不釣合に小さい二つの眼をしばたたきながら、我からうなずくようにして秋山宇一が云った。
「外国の文化人たちは、みんな世話になっているんですから」
「じゃ、それでいいですね」
瀬川が実務家らしく話をうちきった。
「
にある対外文化連絡協会の略称であった。この対外文化連絡協会は、ソヴェト同盟の各都市に支部をもっているとともに、世界の国々に出張してもいる。伸子たちが、旅券の裏書のことで東京にあるソ連大使館のなかに住むパルヴィン博士に会った。あの灰黄色の眼をした巨人のようなひとも瀬川につづいて、出かける仕度に部屋へ戻ろうとする伸子たちに向って、茶道具がのったままのテーブルのところから秋山宇一が、
「
笑いながらそう云った。
黒い羊のはららごの毛皮でこしらえたアストラカン帽をかぶり、同じ毛皮の襟のついた外套を着た瀬川雅夫について、素子と伸子とは雪の降る往来へ出た。ホテルの前の大きい普請場の入口を、いま一台の重い荷馬車が入りかけているところだった。歩哨の兵士のきているのによく似た裏毛の防寒外套の胸をはだけたまま、不精ひげの生えた頬っぺたの両側に防寒帽のたれをばたつかせたまま、馬子は、
「ダワイ! ダワイ! ダワイ!」
と太い声で馬をはげまし、
「ぶこちゃん!」
素子が大きい声でよんだ。ホテルを出たばかりの街角に、三台橇が客待ちしていた。その一台に、素子がのりかけているところだった。日本風呂敷に包んだ大きい箱のようなものをわきにかかえた瀬川雅夫が、素子と並んでかけた。
「ぶこちゃん、前へ立つんだよ」
「どこへ?」
「ここへ――十分立てますよ」
瀬川雅夫が防寒上靴をはいた足をひっこめながら云った。
「ほんの六七分のところだから大丈夫ですよ。却って面白いじゃないですか。……ほら、こうして」
箱を素子にあずけ、瀬川は素子を自分の膝に半ばかけさせるようにした。
三人をつみこんで橇は、トゥウェルスカヤの大通りへ向けていた馬首をゆっくり反対の方角へ向け直し、それから速歩で、家の窓々の並んだその通りを進みはじめた。いかにも鮮やかな緑色
を縦にとおっている一本の街すじへ出た。そこは電車の通っていない商店街だった。パン屋。本屋。食料品店。何をうっているのか分らないがらんとした幾軒もの店。ショウ・ウィンドウが一面白く凍っていて花の色も見えない花屋の店。店の前のせまい歩道では防寒用に綿入れの半外套を着、フェルトの長靴をはき、ふくらんだ書類鞄をこわきにかかえた男たちが、肩や胸を雪で白くしながら足早に歩いている。茶色の毛糸のショールを頭から肩へかぶった女たちが、腕に籠をとおして、ゆっくり歩いている。三人で、その低い石段をのぼるとき、素子が何かのはずみで雪の上で足をすべらし、前へのめって、段々に手袋をはめた手をついた。素子はすぐ起き直った。そのまま表玄関に入った。
そこが
の金持の私邸として建てられたものだろう。表玄関からホールを仕切る大扉の欄間がステインド・グラスで、そこにはカリフォルニア・ポピーのような柔かい花弁の花が、大きくその対外文化連絡のための事務所として、この建物を選定したとき、モスク
のその関係の委員会の人々はみんなこの建物を美しいと思い、外国から来るものに、観られるねうちのあるものと思って選んだろう。でも、その人々は、この建物の華麗が、フランス風を模しながら、こんなにもずっしりしたロシア気質を溢らしているという点の意味ふかい面白さ、殆どユーモアに近い面白みを、予測しただろうか。伸子は、一層興味を動かされて、ホールの左手にある一室に案内された。そこが応接室につかわれていて、もう数人の先客が、いくらか
秋山宇一が特別注意した美人というのは、一言それと云われないでもわかるほど、際だった容貌の二十七八のアルメニア婦人だった。黒のスカートにうすい桃色のブラウスをつけ、美しい耳環をつけ、陶器のように青白い皮膚と、近東風な長い眉と、素晴らしい眼と、円くて、極めて赤い唇とをもって、その室に入ったつき当りのデスクをうけもっているのであった。
「ああ、プロフェッソル・セガァワ!」
てきぱきした事務的な愛嬌よさでそのひとは椅子から立ち上った。そして、手入れよく房々とちぢらした黒い髪を頸のまわりでふりさばくようにして、デスクのむこう側から握手の手をのばした。それと同時に、新しい客としてそこに佇んでいる伸子と素子の方へ、それぞれ笑顔をむけ、やがてデスクのうらから出て来て、握手した。
「これが、ここの事務責任者のゴルシュキナさんです」
そして、一人一人伸子と素子の専門と、ソヴェト旅行は個人の資格で来ていることを紹介した。
「ようこそおいでになりました」
美しいその人は、仕事に訓練された要領よさで、いきなり英語で伸子たちに向って云った。
「私たちは、出来るだけ、あなたがたの御便利をはかりたいと思います。――どのくらい御滞在になりますか」
素子が一寸
「瀬川さん、すみませんが、こう返事して
「それは愉快です」
ゴルシュキナは笑い出して、伸子の手をとった。
「じゃ、モスク
観光も、あんまりいそがないおつもり、というわけでしょうか」「もちろんいろいろな場合、御助力いただかなければなりませんけれど、まあ段々に――。わたしは早くロシア語で
「あら、蜜柑がお気に入りましたか」
こんどは伸子が笑い出した。ゴルシュキナは一緒に笑いながら、その黒い、大きい、
「ソヴェト同盟を半年の間見物してね。最後に、一番気に入ったのは塩漬胡瓜だ、とおっしゃったお客様もありました」
瀬川雅夫は、ゴルシュキナに、カーメネ
夫人に会いたいと云った。「一寸お待ち下さい」
ゴルシュキナは、もう一つのデスクにいる婦人に、ノートを書いてわたしながら、
「みなさんお会いになりますか?」
ときいた。
「どうです、丁度いい機会だから会っておおきなさい」
伸子たちにそう云って、瀬川は、
「どうか」
と、ゴルシュキナが書きいいように
これで、伸子たちとの用に一段落がつき、ゴルシュキナは、さっきから待っていた三人のアメリカ人に、出来て来た書類をわたして説明しはじめた。
そこへ、しずかな大股で、ひどく背の高くてやせて
「こんにちは、プロフェッソル瀬川」
その声をきいて、伸子は思わずそのひとを見直した。こんな低音でものを云うひとに、はじめて出会った。それが自然の地声と見えて、ノヴァミルスキーというその人は瀬川に紹介された伸子たちに、やっぱり喉仏が胸の中にずり落ちてでもいるような最低音で挨拶した。彼の手には、さっきゴルシュキナが、もう一つのデスクの婦人にわたした水色の紙片がもたれていた。
「一寸おまち下さい」
その室を出て行ったノヴァミルスキーは程なく戻って来た。そして、
「カーメネ
夫人は、よろこんでお目にかかるそうです」例の最低音で云いながら、社交界の婦人にでもするように伸子たちに向って小腰をかがめた。
ドアの開けはなされたいくつかの事務室の前をとおりすぎて、三人はその建物の奥まった一隅に案内された。たっぷり首から上だけ瀬川より背の高いノヴァミルスキーが、一つのドアの前に立って、内部へ注意をあつめながら慎重にノックした。若くない婦人の声が低く答えるのがきこえた。ノヴァミルスキーは、ドアをあけ、
「プロフェッソル瀬川」
と声をかけておいてから、
「さあ、どうぞ」
自分はそとにのこって、ドアをしめた。
そこは、明るい灰色と水色の調子で統一された広い部屋であった。よけいな装飾も余計な家具もない四角なその広間の左奥のところに立派なデスクがあった。その前に白ブラウスに灰鼠色のスーツをつけた断髪の婦人がかけて、書類をみていた。四十歳と五十歳との間ぐらいに見えるそのがっしりした肩幅の婦人は、瀬川や伸子たちが厚いカーペットの上を音なく歩いて、そのデスクから五六歩のところへ来るまで、手にもっている書類から視線をあげなかった。
「こんにちは。お忙しいところを暫くお邪魔いたします」
いんぎんな瀬川の言葉で、その婦人は書類から目をあげた。
「こんにちは」
そして、椅子から立ち上って、伸子たちに向って、辛うじて笑顔らしいものを向けた。伸子には、彼女のその第一印象がほんとに異様だった。男きょうだいのトロツキーにそっくりの重たくかくばった下顎をもっているカーメネ
夫人は、じっと三白の眼で対手を見つめながら、奥歯をかみしめたまま努めて顔の上にあらわしているような笑顔をしたのであった。伸子は若い女らしく、ぼんやりした瀬川雅夫は、夫人のそういう表情にももう馴れているとみえて、格別こだわったところもない風で彼女に丁重に握手し、それから伸子、素子を紹介した。夫人は、
「お目にかかって大変うれしゅうございます」
と云ったきりだった。最近の観光小旅行について瀬川がいかにも大学教授らしい長い文章で礼をのべ、それから立って壁ぎわの椅子においてあった風呂敷づつみをといて、大事にもって来た二尺足らずの箱を運んで来た。その桐箱は人形箱であった。ガラスのふたをずらせると、なかから、見事な本染めの振袖をつけ、肩に藤の花枝をかついで紅緒の塗笠をかぶった藤娘が出て来た。瀬川は、一尺五六寸もあるその精巧な人形をカーメネ
夫人のデスクの上に立たせた。「おちかづきになりました記念のために。また、ソヴェトと日本の文化の一層の親睦のために」
暗色のカーメネ
夫人の顔に、かすかではあるがまじりけのない物珍しさがあらわれた。「大変きれいです!」
その言葉のアクセントだけに、感歎のこころをあらわしながら、カーメネ
夫人は、よりかかっていた回転椅子から上体をおこし、藤娘の人形を両手にとった。「――非常に精巧な美術品です」
カーメネ
夫人は、ヨーロッパ婦人がこんな場合よくいう、オオとか、アアとかいう感歎詞は一つもつかわなかった。日本人形の名産地はソヴェトで云えばキエフのようなキヨトであること。この藤娘は京都の特に優秀な店でつくらしたものであること。人形の衣裳は、本仕度であるから、すっかりそのまま人間のつかうものの縮小であること。それらを瀬川はことこまかに説明した。
「もちろん、十分御承知のとおり、すべての日本婦人が毎日こういう美的な服装はして居りません――彼女たちの日常はなかなか辛いのですから……」
瀬川の説明をだまってきき、それに対してうなずきながら、カーメネ
夫人は、持ち前の三白眼でなおじっと、両手にもった人形を観察している。こっちの椅子から、伸子たちが、またじっと、その夫人のものごしを見まもっているのだった。伸子には、人形をみている夫人の胸の中をではなく、その断髪の頭の中を、どんな感想が通りすぎているか、きこえて来るような気がした。色どりは繊美であやもこいけれども、全く生気を欠いていてどこか
夫人の全存在と余りかけはなれていた。夫人は、実際、好奇の心をうごかされながら、未開な文化に対する物めずらしさを顔にあらわしてみているのだった。夫人は、ため息をつくような息づきをして、黙ったままそっと人形をデスクの上においた。
また、いんぎんな瀬川の方から、何か話題を提供しなければならない羽目になった。
伸子は、段々驚きの心を大きくして、わきにいる素子と目を見あわさないでいるのには努力がいった。こんなつき合いというものがあるだろうか。瀬川の日本人形が出されてさえ、夫人が、若い女性である伸子たちに、くつろいだ一言もかけないということは珍しいことだった。夫人の素振りをみると、何も伸子たちに感情を害しているというのでもないらしかった。ただ、関心がないのだ。
そう思ってみると、カーメネ
夫人のとりなしには、文化的であるが社交の要素も加味されているこの文化連絡協会の会長という立場に、据りきっていないところがあった。この広々として灰色としぶい水色で統一されたしずかな照明の部屋に一人いる夫人の内面の意識は非常に瀬川は、新しい話題をさがしているようだったが、
「ああ、あなたがたのもっていらしたものがあったんでしょう?」
伸子たちをかえりみた。
「いま、出したらどうです」
心からのおくりものがとり出されるには、およそそぐわないその場の雰囲気だった。しかし、素子が、いくらかむっとして上気し、そのために美しくなった顔で立ち上り、二人のみやげとしてもって来たしぼり
夫人のデスクの上においた。そして、彼女はロシア語が出来るのに、ひとことも口をきかないで、ちょっとした身ぶりで、それを差しあげますという意味を示し、その瞬間ちらりと何とも云えない笑いを口辺に
夫人の、奥歯をかみしめたまま顔に浮べているような渋い鈍重な笑顔とは比較にならないほど、酸っぱい渋い鋭い微笑であった。伸子は素子のその一瞬の複雑きわまる口もとの皺をとらえた。伸子は、この部屋に案内されてからはじめてほんものの微笑をうかべた。伸子たちのおくりものに対しても、夫人は、ごく短い一言ずつで、美しさをほめただけだった。ありがとうという言葉は夫人として云わない習慣らしかった。
こういう贈呈の儀式がすむと、夫人は再び黙りこんだ。瀬川雅夫の言葉は自由でも、それを活用する自然なきっかけが明るい寒色の広間のどこにもなかった。三人は、そこで、会見は終ったものとしてそとに出た。
ドアをしめるのを待ちかねたようにして、素子が、
「おっそろしく気づまりなんですね、文化連絡って、あんなものかい」
と、ひどくおこった調子で云った。
「どんなえらい女かしらないけれど、ありがとうぐらい云ったって、こけんにかかわりもしまいのに」
瀬川はおどろいたように鼻の下の黒い髭を動かして、
「云いましたよ! ね、云ったでしょう?」
並んで歩いている伸子をかえりみた。
「さあ……わたしは、ききませんでした。――いつも、ああいう人なの?」
「そうですか? 変だなあ、……云いませんでしたか。云ったとばかり思ったがな」
「――まるでお言葉をたまわる、みたいで、おそれいっちまうな」
瀬川は、素子のその言葉は上の空にきいて、内心しきりに、夫人がありがとうと云わなかったというのが事実だったかどうか、思いかえしている風だった。
そこへ、廊下のかどからノヴァミルスキーが出て来た。そして、うすい人参色のばさっとした眉毛の下から
を環状にとりまいている二本の大並木道の第一の
へ入る一つの伸子たちの橇は、そこでたてよこ五つに岐れる道のたての一本の通りを、斜かいに進んで行った。そこは商店街でなかった。鉄扉は堂々としているがその奥には
日本の大使館は、どことなく不揃いで、その不揃いなところに趣のある淋しい通りの右側に、どっしりした門と内庭と馬車まわしとをもって建っていた。伸子たちは、車よせのついた表玄関の手前にある一つの入口から、いきなり二階の事務室の前の廊下へ出た。瀬川の紹介で、伸子たちは、自分たちの姓名、住所をかき、郵便物の保管をたのんだ。参事官である人は外出中で、伸子はその人の友人である文明社の社長から、貰って来た紹介状は出さないまま帰途についた。
ホテルに戻った三人は、そのままどやどやと秋山宇一の室へ入って行った。
「や、おかえんなさい」
「どうでした、おひげさんを見て来ましたか」
面白そうに秋山が小さい眼を輝かしてすぐ訊いた。
「おひげさんて?」
「ああ、あのアルメニア美人は上唇のわきに髭があるんです」
そう云えば、赤い円い上唇の上に
「会いました……いきいきした人ね」
「なかなか大したものでしょう」
内海厚が、生真面目な表情に一種のニュアンスを浮べて、
「秋山さんは、コーカサス美人がすっかり気に入りましてね、日本の女によく似ているって、とてもよろこばれたですよ」
と云った。室の入口にぬいでかけた外套のポケットから、ロシアタバコの大型の箱を出して、テーブルのところへ来た素子が、瀬川に、
「いろいろお世話さまでした」
律義にお辞儀をした。
「しかし、なんですね、あの美人も美人だがカーメネ
という女も相当なもんだ」「…………」
秋山はだまって目をしばたたいた。瀬川も黙っている。瀬川としては、素子がそれをおこっているように、夫人が、あれほどのおくりものに対してろくな礼も云わなかったということを認めにくい感情があるらしかった。黙って、タバコの煙をはいた。
「あのひとはいつも、あんな風なんですか」
くい下っている素子に秋山が、あたらずさわらずに、
「どっちかというと堅い感じのひとですがね、そう云えるでしょうね」
同意を求められた瀬川は、
「元来あんまり物を云わない人ですね」
そう云った。そして、つづけて、
「しかし、わたしはカーメネ
夫人が、あの秋山宇一が、小柄なその体にふさわしく小さい両方の手をもみ合わせるようにして、よく彼が演壇でする身ぶりをしながら、
「カーメネフは追放されているんですからね、ジノヴィエフと一緒に――」
素子は、だまっていたが、やがて、きわめて皮肉な笑いかたをして、
「なるほどね」
と云った。
「
どういうことがあるにしろ、自分はいやだと云いたい一種の強情を示して、素子は、
「あんな女のいる
と云った。それをきいて秋山がすこし気色ばんだ。小さい眼に力の入った表情になった。
「それは個人的な感情ですよ。――ソヴェトの複雑さを理解するためには、いつも虚心坦懐であることが必要です」
「吉見さん、あなたは第一日からなかなか辛辣なんですねえ」
瀬川が、苦笑に似たように笑った。
「けれど吉見さん、ああいう文化施設はあっていいものだと思われませんか」
そうきいたのは内海であった。
「それについちゃ異存ありませんね」
「施設と、そこで現実にやっている仕事の価値が、要するに問題なんじゃないですか」
「…………」
「ああいうところも、よそと同じように委員制でやっているから、一人の傾向だけでどうなるというもんではないんでしょう」
内海の言葉を補足するように、秋山がつけ加えた。
「
伸子は、みんなのひとこともききもらすまいと耳を傾けた。これらはすべて日本語で語られているにしても、伸子が東京ではきいたことのない議論だった。そして、きのうまでのシベリア鉄道で動揺のひどい車室で過された素子と伸子との一週間にも。
「どうしました、佐々さん」
瀬川が、さっきから一言も話さずそこにいる伸子に顔をむけて云った。
「つかれましたか」
「いいえ」
「じゃあどうしました?」
「どうもしやしないけれど――早くロシア語がわかるようになりたいわ。
「いやなものまでが面白いか……ハハハハ。全くそうかもしれない!」
同感をもって瀬川は笑い、彼の快活をとりもどした。
「これからはお互にかけちがうことが多いから、きょうは御一緒に
瀬川がそう提案した。ホテルの食堂は、階上のすべての部屋部屋と同じように緑仕上の壁を持っていた。普通の室に作られているものを、食堂にしたらしい狭さで、並んでいるテーブルには、テーブル・クローズの代りに白いザラ紙がひろげられて、粗末なナイフ、フォーク、大小のスプーンが用意されている。午後三時だけれど、夕方のようで、よその建物の屋根を低く見おろす二つの窓には、くらくなった空から一日じゅう、同じ迅さで降っている雪の景色があった。伸子たちがかけた中央の長テーブルの上には、花が飾ってあった。大輪な薄紫の西洋菊が咲いている鉢なのだが、花のまわり、鉢のまわりを薄桃色に染められた経木の大幅リボンが園遊会の柱のようにまきついて、みどりのちりめん紙でくるんだ鉢のところで大きい蝶結びになっている。白いザラ紙のテーブル・クローズ、粗末なナイフ、フォーク、そしてこの花の鉢。ロシアというところが、その大国の一方の端でどんなに蒙古にくっついた国であるかということを、伸子はつきない感興で感じた。
うしろまでまわるような白い大前かけをかけ、余りきれいでないナプキンを腕にかけた給仕が、皆の前へきつい脂のういた
「
素子をかえりみた。
「なにさ」
「わたしたちがハルビンへついたとき、もうロシア暮しに馴れるんだというわけで、『
「ああ、ロシアだけでしょうからね、正餐が三時から五時だなんていう習慣のところは――」
秋山がそういうのを、瀬川が、
「そりゃ吉見さんにも似合わないぬかりかたでしたね」
と笑った。
「小説にだって正餐の時間はよく出て来るじゃないですか」
「――そこが、
「わたしは大丈夫でしたよ」
妙に含蓄のある調子で瀬川が力説したので、みんな笑い出した。
「ハルビンに、またどうしてそんなに滞在されたんです」
「猿の毛皮を買わなけりゃならなかったんですもの」
「猿の毛皮?」
「外套のうらにつける」
その猿の毛皮について、伸子はいくらか
デザートに出た乾杏や梅、なつめなどの砂糖煮をたべていると、瀬川が腕時計を一寸みて、
「秋山さん、こんやは
芸術座)へ行かれますか」と、きいた。
「さあ……」
「切符、この間、あなたもおもらいでしょう?」
「あったかね――内海君」
「…………」
内海は、首をかしげて黙ったまま思い出そうとするようにした。
「今夜は、『装甲列車』なんです――どうです、お二人は――みに行かれませんか」
瀬川にそう云われて、芝居ずきの素子が、すこし上気した顔になった。
「よわったなあ」
と例の、下顎を撫であげる手つきをした。
「是非観たいけれど――今からじゃ、とても切符が駄目でしょう?」
イワノフの『装甲列車』は日本に翻訳されていて、伸子も読んだ。
「切符は、わたしのところにありますよ」
「そりゃあ――それを頂けますか」
「丁度三枚あるから、お役に立てましょう」
伸子は、
「うれしいこと!」
心からよろこばしそうな眼つきをした。
「宿望の
「そうそう、吉見さんはチェホフの手紙を訳しておられましたね」
それで、素子が芸術座へ関心をもつ気持もなおよくわかるという風に瀬川が云った。そうきまると、秋山は言葉をおしまないで、その芝居の見事さを賞讚しはじめた。
「あれは、観ておくべきものですよ。実に立派です」
小さい両手を握り合わすようにして強調する秋山を見て、伸子は、秋山宇一というひとは、どういう性格なのだろうと思った。けさ、
モスク
芸術座は、瀬川が云ったとおり、ほんとにホテルから、じきだった。トゥウェルスカヤの大通りを、赤い広場と反対の左の方へ少しのぼって、ひろい十字路を右へ入ると、いくらも行かないうちに、せまい歩道の上に反射光線をうけて硝子その人群れにまじって伸子たちも防寒靴をあずけた。それから別のところにある外套あずかり所へ行って、帽子や外套をあずけた。伸子の前後左右には派手な花模様や、こまかい
瀬川の切符は、舞台に向って右側の中ほどにある
「えらく晴れがましい場所なんですね」
ひる間と同じ、きなこ色のスーツを着て来ている素子が、伸子と並んで最前列の椅子にかけながらうしろの瀬川に云った。
「
「そりゃ、あなたがたは国賓だもの」
「ちょっと!」
それを遮って肩にビーズの飾止めのついた絹服を着た伸子が素子の手の上に自分の手を重ねて押しつけながら、注意をもとめた。
「チャイカ(かもめ)がついている!」
「どれ?」
伸子は身ぶりで舞台を示した。開幕前のひろい舞台にはどっしりと灰色っぽい幕がおりていた。その幕の左右からうち合わせになっている中央のところに、翼をはって空と水との間を
「入口のドアにもついていたでしょう――気がついた?」
地味な幕の中央に、かどを落した横長の四角にかこまれて、それだけがただ一つの装飾となっている鴎は、片はじをもぎとられて伸子のハンド・バッグに入っている水色の切符の左肩にも刷られていたし、棧敷席のビロードばりの手すりの上においてあるプログラムの表紙にもついている。芸術座は、チェホフの『鴎』で、現代劇の歴史にとって意味ふかい出発をした。その初演の稽古のときは、まだこの劇場が落成していなかったので、俳優たちはどこかの物置のような寒い寒い建物のなかで、ローソクの光をたよりに稽古した。それでも、あらゆる俳優が自分たちこそ本当の新しい芝居をするのだという希望と誇りに燃えていて、寒いことも苦にしませんでした。そうかいていたのはチェホフの妻であったオリガ・クニッペルだった。「チャイカ」は
こんなに
瀬川が、熱心に舞台を見ながら、棧敷の前列にいる伸子たちにささやいた。
「御覧なさい――カチャーロフのエルシーニンは、この場面で、はじめてやや目立って来たでしょう」
観客たちは、ほんとに自分たちのために芝居をして貰って、それを観ているといううちこみかただった。伸子たちのいる棧敷から一段低い平土間席から二階のバルコンの奥まで、見物はぎっしりつまっていた。子供は見あたらないが、あらゆる服装、あらゆる顔立ちの老若男女が、薄明りのさす座席から身じろぎもしないで数千の瞳を舞台に集注しているのだった。この劇場の中で観客はどっちかというと遠慮ぶかく、つつましい感じに支配されているらしいのに、或るところへ来ると、猛烈な拍手が湧きたって場内をゆすぶった。どうみても、それはカチャーロフの芸達者に向ってだけ与えられる賞讚ではなかった。そのとき観客はパルチザンの判断と行動とに同感するのだ。
十一時すぎのトゥウェルスカヤ通りには、宵のうちよりも結晶のこまかい粉雪が降りつづけている。劇場のはねるのを目あてにして来てあぶれた辻待橇が一台、のろのろ、伸子たちの歩いて来る方向について来た。伸子は、足もとのあぶなっかしさよりも、
「そんなに寒いの?」
ぴったりよりそって歩いている伸子の体のかすかな
「そうじゃないのよ、大丈夫!」
上気している頬に粉雪を快く感じながら、何となく顫えの止らないような芝居がえりのこの心持――伸子は、十六七のとき、上目黒のある富豪のもっている小劇場で、はじめてストリンドベリーの『伯爵令嬢ユリー』を観た晩のことを思い出した。それは、伸子がみた最初の新劇だった。伯爵令嬢ユリーの恋は、なんと病的で奇異だったろう。鞭が、何とぞっとする音で鳴ったことだろう。しかし、伸子は何とも云えないその芝居全体の空気から亢奮して、うちまでかえる
の十二月の夜の粉雪の街をホテルに向って歩きながら、そのときに似た感銘で、顫えた。その感情は新鮮で、皮膚が痛むように感覚的で、同時に人生的だった。発光体のようになった小さい円い顔に、伸子は、うっとりと思いこんだ表情をたたえながら、我知らずホテルの室のなかまで素子の腕につかまって来てしまった。今夜は伸子たちの室で、お茶にすることになった。茶道具が註文され、秋山と内海が集って来た。
「――どうでした」
伸子や素子の感動している顔を見まわしながら満足そうに秋山が中指にインクのしみのついた小さい両手をすり合わせた。
「
伸子と並んで余りかけ心地のよくない堅いバネなしの長椅子にかけ、タバコばかりふかしている素子に、瀬川がきいた。
「吉見さん、感想はどうです」
「ふーむ」
素子は、美しい顔色をして、自分に腹を立てているように、ぶっきら棒に云った。
「わたしは、大体、ここでは、いきなり何にでも感服しないことにしたんです」
「なるほどね――ところで、今夜の
「それが困るのさ!」
素子は、同じようにむかっ腹を立てているような口調で云った。
「くやしいけれど、嘘はつけませんからね」
「じゃ、感服したんじゃないですか」
瀬川と秋山は、ひどく愉快そうに笑った。内海は、そういう素子の感情表現に不賛成らしく、十九世紀のロシア大学生のような頭を、だまって振った。
「もしかしたら芝居だけが面白いんじゃないのかもしれないわ。見物と舞台と、あんなにいきがあうんですもの――独特ねえ……何て独特なんでしょう!」
「佐々さんは、そう思いましたか」
秋山が目を輝かした。
「私も同感です。モスク
の見物ぐらい熱心で素直な観衆はありませんよ。子供のように、彼等は舞台を一緒に生き、経験するんです。ところが佐内君はね、今度モスク
へ来て、失望したといっていましたよ。「じゃ、佐内さんは、タクシードでも着ていらしたの?」
「そうじゃありませんでしたがね」
「見物のたちは、服装の問題じゃありませんよ」
専門のロシア語のほか、伝来の家の芸で笛の名手である瀬川は、自分の舞台経験から云った。
「舞台に、しらずしらず活を入れて来るような観客がいい見物というもんですよ」
「時代の推移というか、年齢の推移というか、考えると一種の感慨がありますね。佐内君が左団次と自由劇場をやったのが一九〇九年。まだ二十五六で、私と少ししかちがわなかったんですが、第一回の公演のとき、舞台から挨拶をしましてね、三階の客を尊重するような意味のことを云ったんです。――三階の客と云ったって、今から思えば小市民層で、主に学生だったんですがね。すると、それが自然主義作家たちからえらく批判されましてね、きざだと云われたんです」
瀬川が、
「そう云えば、このあいだ芸術座の事務所でスタニスラフスキーと会ったとき、佐内さんの話しかたは、幾分にげていましたね」
と云った。
「佐内君は、芸術座の技術の点だけをほめていたですね」
素子は、注意して話に耳を傾けていたが、また一本、吸口の長いロシアタバコに新しく火をつけながら、きいた。
「スタニスラフスキーって、どんな人です?」
「なかなか立派ですよ。もっとも、もうすっかり白髪になっていますがね」
「ともかく、
瀬川が、白髪のスタニスラフスキーのもっている落付いた前進性を評価するように云った。
「そうですよ、私もその点で、彼に敬意を感じるんです。『桜の園』にしろ『どん底』にしろ演出方法は段々変化して、チェホフ時代のリアリズムに止ってはいませんがね。『装甲列車』を、あれだけリアルに、しかも、あれだけ研究しつくして、はっきり弁証法的演出方法で仕上げたのはすばらしいですよ。おそらくこのシーズンの典型じゃないですか」
話をききながら伸子は眼をしばたたいた。演出の弁証法的方法というのは、どういうことなのだろう。伸子がよんだ只一冊の史的唯物論には、哲学に関係する表現としてその言葉がつかわれていたが。
素子が、淡泊に、
「リアリズムと、どうちがうんです?」
と秋山に向って質問した。秋山は、すこし照れて、手をもみ合わせながら、
「要するにプロレタリア・リアリズムを一歩押しすすめたもんじゃないですか」
と説明した。
「同じ階級的立場に立っても平板なリアリズムで片っぱしから現象を描いて行くんではなくって、階級の必然に向って摩擦しながらも積極的に発展的に動いてゆく、その動きの姿と方向で描こうというんではないですか」
しばらく沈黙して考えこんでいた素子は、
「そういうもんかな」
疑わしそうにつぶやいた。
「たとえば今夜の『装甲列車』ですがね。ああいうのが、自然だし、また現実でしょう? パルチザンの指導者が、農民自身の中から出て来るいきさつっていうものは――天下りの指揮者がないときに――だから、リアリズムがとことんまで徹底すれば、おのずから、あすこへ行く筈じゃないんですか。どだい、些末主義なんか、リアリズムじゃありませんよ」
秋山宇一は、質問者に応答しつけて来たもの馴れたこつで、
「今日のソヴェトでは、一つの推進的標語として、弁証法的方法、ということが云われていると理解していいんでしょうね」
それ以上の討論を、すらりとさけながら云った。
「大局では、もちろん、リアリズムを発展的に具体化しようとしているにほかならないでしょうがね」
厚い八角のガラスコップについだ濃い茶を美味そうにのみながら、瀬川が意外そうに、
「吉見さん、あなた、なかなか論客なんですね」
と、髭をうごかして云った。
「わたしは、これまで、佐々さんの方が、議論ずきなのかと思っていましたよ」
素子と伸子とは思わず顔を見合わせた。瀬川の着眼を肯定しなければならないように現れている自分を、素子は、自分であきれたように、
「ほんとうだ」
とつぶやいた。そして、すこし顔を
「ぶこちゃん、どうしたのさ」
「わたし?」
伸子は、何と説明したらこの気持がわかって貰えるかと、困ったようにほほ笑んだ。
「――つまり、こうなのよ」
その返事をきいてみんな陽気に笑った。素子が議論していることや、秋山の答えぶりの要領よさについて、伸子は決して無関心なのではなかった。むしろ、鋭く注意してきいていた。けれども、劇場でうけてきた深い感覚的な印象のなかから、素子のようにぬけ出すことが伸子の気質にとっては不可能だった。伸子の感覚のなかには、云ってみれば今朝から観たこと、感じたことがいっぱいになっていて、粉雪の降るモスク
の街の風景さえ、朝の雪、さては夜の芝居がえりの雪景色と、景色そのまま、まざまざと感覚されているのだった。伸子は、一座の話が自然とだえた。そのとき、どこか遠くから、かすかに音楽らしいものがきこえて来た。
「あれは、なに?」
若い動物がぴくりとしたように伸子が耳をたてた。
「マルセイエーズじゃない?」
粉雪の夜をとおして、どこからかゆっくり、かすかに、メロディーが響いてくる。
「ね、あれ、なんでしょう?」
秋山が、一寸耳をすませ、
「ああ、クレムリンの時計台のインターナショナルですよ」
と云った。
「十二時ですね」
きいているとやがて、重く、澄んだ音色で、はっきり一から十二まで時を打つ音がきこえて来た。金属的に澄んで無心なその響は、その無心さできいているものを動かすものがあった。
「さあ、とうとう
みんないなくなってから、伸子は、カーテンをもち上げて、その朝したように、またそとをみおろした。向い側の普請場を、どこからかさすアーク燈が
は眠らない。伸子はそう感じながら長い間、アーク燈にてらし出されて粉雪のふっている深夜の街を見ていた。二
一九二七年の秋、ソヴェト同盟の革命十周年記念のために文化上の国賓として世界各国からモスク
へ招待された人々は、
を去り、佐内満は、ベルリンへ立った。伸子たちがモスク
へついた十二月の十日すぎには、祭典の客たちの一応の移動が終ったところだった。外の国の誰々が、この行事の終ったあともなおモスク
にのこったのか、伸子たちは知らなかったが、ともかく秋山宇一と内海厚は、なお数ヵ月滞在の計画で、瀬川雅夫は年末に日本へ立つまで、いのこった。これらの人々が、ボリシャアヤ・モスコウスカヤというホテルから、パッサージ・ホテルへ移っていた。秋山宇一に電報をうち、その人に出迎えられた伸子たちは、自然、秋山たちのいたホテル・パッサージの一室に落つくことになった。伸子の心はモスク
暮しの第一日から、ここにある昼間の生活にも夜の過しかたにも、親愛感と緊張とで
という都市の生活に近づいた。クレムリンを中心として八方へ、幾本かの大通りが走っている。どれも歴史を辿れば数世紀の物語をもった旧い街すじだが、その一本、昔はトゥウェリの町への街道だった道が、今、トゥウェルスカヤとよばれる目貫きの通りだった。この大通りはクレムリンの城壁の外にある広い広場から遠く一直線にのびて、その途中では、一八一二年のナポレオンのモスク
敗退記念門をとおりながら、モスク
をとりかこむ最も見事な原始林公園・鷲の森の横を通っている。このトゥウェルスカヤ通りがはじまってほんの五つか六つブロックを進んだ左側の歩道に向って、ガランとして薄暗い大きい飾窓があった。その薄く埃のたまったようなショウ・ウィンドウの中には、商品らしいものは何一つなくて、人間の内臓模型と猫の内臓模型とがおいてあった。模型は着色の蝋細工でありふれた医学用のものだった。ショウ・ウィンドウの上には、中央出版所と看板が出ていた。しかし、そこはいつ伸子が通ってみても、同じように薄暗くて、埃っぽくて、閉っていて、人気がなかった。この建物の同じ側のむこう角では、中央郵便局の大建築が行われていた。その間にある横丁を左へ曲った第一の狭い戸口が、伸子たちのいるホテル・パッサージだった。
オフィス・ビルディングのようなその入口のドアに、そこがホテルである証拠には毎日献立が貼り出されていた。モスク
は紙払底がひどくて、伸子たちはついてすぐいろんな色の紙が思いがけない用途につかわれているのを発見したが、その献立は黄色い大判の紙に、うすい紫インクのコンニャク版ですられていた。伸子がトゥウェルスカヤ通りからぐるりと歩いて来てみると、陰気な医料器械店のようなショウ・ウィンドウをもった中央出版所も、パッサージ・ホテルも、その一画を占めている四階建の大きい四角な建物の、それぞれの側に属していることがわかるのだった。伸子たちはモスク
へついて三日目にホテルで室を代った。そして四階の表側へ来た。広いその室の窓からは、伸子に忘られない情景を印象づけた雪の深夜の工事場を照すアーク燈の光や、大外套の若い歩哨の姿はもうなくて、壊れた大屋根の一部が見られた。十二月の雪の降りしきる空と、遙か通りの彼方の屋根屋根を見わたしながら近くに荒涼と横わっている錆びた鉄骨の古屋根は、思いがけずむき出されている壊滅の痕跡だった。伸子が窓ぎわに佇んで飽きずに降る雪を見ていると、あとからあとから舞い降りる白い雪片が、スッスッと鉄骨の間の暗い穴の中へ吸いこまれてゆく。雪は無限に吸いこまれてゆくようで、それを
生活の動的な色彩をまざまざと感じるのであった。荒廃にまかせられている大屋根は、もとガラス張りの天井で、トゥウェルスカヤ通りの勧工場であった。だから、パッサージ(勧工場)ホテルという田舎っぽい名が、この小ホテルについているのだろう。質素というよりも粗末なくらいのこの小ホテルは、ドアに貼り出してある献立をのぞいては入口にホテルらしいところがないとおり、建物全体にちっともホテルらしさがなかった。表のドアの内側は、一本の
伸子は、この絨毯に目がついたとき、そのひなびかげんを面白がり、その絨毯を愛した。こけおどしじみた空気は、この小ホテルのどこにもなかった。人々は生活する。生活には仕事がある。ホテルの各室は、生活についてのそういう気取りない理解に立って設備されていた。どの室にも、お茶をのんだりする角テーブル一つと、仕事用の大きいデスクが置かれていた。デスクの上には、うち側の白い緑色のシェードのついたスタンドが備えつけてあり、二色のインク・スタンドがあった。ロシア流にトノ粉をぬって磨きあげられた木の
こういう小ホテルのなかに、おそらくは伸子たちにとって特別
「どうしたの? わいていなかった?」
風呂は、前日事務所へ申しこんでおいて、きまった時間に入ることになっているのだった。
「わいちゃいますがね、――ちょいと来てごらんよ」
「どうしたの?」
「まあ、きてみなさい」
白い不二絹のブラウスの上に、紫の日本羽織をはおっている伸子が、太い縞ラシャの男仕立のガウンを着ている素子について、厨房のわきの「浴室」と瀬戸ものの札のうってある一つのドアをあけた。
「――まあ……」
伸子は思わず、その浴室のずば抜けた広さに笑い出した。古びて色のかわった白タイルを張りつめた床は、やたらに広々として、ところどころにすこし水のたまったくぼみがある。やっぱり白タイル張りの左手の壁に、ひびの入って蠅のしみのついた鏡がとりつけてあって、その下に洗面台があった。瀬戸ものの浴槽は、その壁と反対の側に据えられているのであったが、そんなに遠くない昔、すべてのロシア人は、こんなにも巨大漢であったというのだろうか。長さと云い、深さと云い、古びて光沢のぬけたその浴槽は、まるで喜劇の舞台に据えられるはりぬきの風呂ででもあるように堂々と大きかった。焚き口とタンクとが一つにしくまれている黒い大円筒が頭のところに立っていて、焚き口のよこに二人分の入浴につかう太い白樺薪が二三本おかれている。このうすよごれて、だだっぴろい浴室を、撫で肩でなめらかな皮膚をもった断髪の素子が、自分のゆたかで女らしい胸もとについて我から
「――わたし
二人は、到頭いちどきに入ることにした。たがいちがいにしてならば、裸の体が小さくても滑りこむ危険はふせげるのであった。気候がさむくて、その上、夜は芝居だの、夜ふかしの癖のあるモスク
の人たちは、午後のうちに入浴する習慣らしかった。十二月のモスク
では、昼間という時間が、一日に八時間ぐらいしかなかった。しかも雪のひどく降る日には電燈をつけぱなしにしたままで。伸子たちは、その朝も十時ごろまでには朝の茶をすました。掃除女が室の片づけを終るのを待って、素子は窓に向ったデスクの前に、「プラウダ」と「イズヴェスチヤ」とをもって納った。伸子は、外套を出してベッドの上におき、珍しいことに衣裳タンスについた鏡に向って、褐色フェルトの小さい帽子のかぶりかたを研究していた。
この小帽子については、伸子にとって第二の帽子物語があった。伸子が日本からかぶって来た黒い帽子は、ずっとこれよりも上等で、色どりの美しい細いリボンであしらわれていた。モスク
へついて数日すると、伸子にはその帽子がきれいすぎることで気に入らなくなった。雪のふるモスク
で女のひとたちは髪の上から毛織のショールをかぶったり、鳥うち帽をかぶったりして、元気に歩いていた。普通の婦人帽をかぶっている人たちにしろ、どれもごく単純なフェルト製の小型のものだった。土地の人は土地の気候にふさわしいかぶりものをかぶっているのだった。色の美しいリボンをあしらった伸子の装飾的な帽子に雪がついて、しめりで形のはりを失ったとき、その弱々しさは不甲斐なく見えて伸子に腹立たしい気持をおこさせた。雪のモスク
は、チェホフが心からそれを愛したようにきびしいけれども素晴らしい季節だのに。――モスク
芸術座の通りを歩いていたら、そこに幾軒も婦人帽を売る店があった。その一軒で伸子は、金色の簡単な飾金のついた褐色小帽子に目をとめたのであった。伸子と素子とは、その店へ入って行った。そして、ショウ・ウィンドウに出ていたその帽子を見せて貰った。それは伸子の気に入ったけれども、かぶってみるとあわなかった。髪が邪魔した。伸子は、モスク
の婦人たちが、だれもかれもきりっと小さい帽子をかぶっているのは、彼女たちが断髪だったからだとはじめて気がついたのだった。その褐色帽子を手にとったまますこし考えていた伸子は、ひどく自然な調子で、
「わたし、きるわ」
と云った。
「きる?――いいのかい?」
そういう素子は、ハルビンで断髪になっているのであった。
「ほんとに、きっちゃうわ――いいでしょう?」
「そりゃ、いいもわるいもないけれど」
「じゃ、そう云って頂戴。――どうせ、ちゃんときり直さなけりゃならないんだろうけれど……」
こういういきさつで断髪になった頭に褐色帽子がおさまることになった。伸子は新聞読みに没頭しはじめた素子をデスクの前にのこして、ホテルを出かけた。
伸子のわきの下には、表紙に「黄金の水」という題のある一冊のパンフレットと、縁を赤く染めたモスク
製の手帖が抱えられていた。トゥウェルスカヤの大通りをストラスナーヤ広場まで真直のぼって行った伸子は、広場をつっきって、モスク
夕刊新聞社の建物とは反対側の薬屋の横を入った。そして、正面入口の破風の艷のない栗色の髪を、ロシア風に頭の真中でわけ、こめかみのところに細い髪房にしてたらしているマリア・グレゴーリエヴナを、はじめ紹介してくれたのは
約束の第一日、伸子は貰った所書と地図をたよりにこの建物をさがし当てて来た。マリア・グレゴーリエヴナの小皺の多い丸顔には、善良さと熱心さとがあらわれていて、伸子は気が楽になった。早速「黄金の水」がはじまった。短い課業が終って、二人が不自由な英語で雑談していると、入口でベルがなった。
「あら、おかえりなさい! もう?」
出て行ったマリア・グレゴーリエヴナのおどろいたような声がした。対手は男らしいが声は聞えない。伸子がこんどマリア・グレゴーリエヴナが現れたら帰ろうとしていると、
「佐々さん、こんにちは」
ききちがえようのない最低音で云いながら、ノヴァミルスキーが入って来た。つづいてそこへ現れたマリア・グレゴーリエヴナを、
「わたくしの妻です」
と改めて紹介した。
「課業はいかがです?」
ここがノヴァミルスキーの家だとは思いがけなかった。伸子は急にいうことが見つからなくて、
「ありがとう」
と答えた。
「たしかにいい先生を御紹介下さいましたけれども、わたしはいい生徒とは云えないかもしれません」
「そんなことはありません。わたしの経験でわかりますよ」
ノヴァミルスキーもそうだが、妻のマリア・グレゴーリエヴナは、すこし鼻のさきの赤いような顔で熱心に云った。
「佐々さんは、早い耳をおもちですもの」
それにしても、伸子にはやっぱりここがノヴァミルスキーの家だったということが、意外だった。
「革命博物館は見られましたか」
ときいた。
「ええ。見ました」
「あれは独特な意義をもっています。当分は、モスク
にしかあり得ない種類の博物館だと思いますね」ちょっと言葉を改めて、ノヴァミルスキーは、
「私は七年間、牢獄におかれました。アナーキストだったんです」
と云った。
「十月にレーニンに会って、二時間話しあいました。そのとき、私は自分のそれまでの思想をかえたんです。――発展させたんです――発展――おわかりですね」
この話は伸子にとって、ノヴァミルスキーがここへ出現したことよりも意外でなかった。新世界という字をもじったノヴァミルスキーという名は本名なのだろうか、それとも、ウリヤーノフがレーニンと云った、そんな風なものなのだろうか。伸子たちの間で話題になったことがあった。マリア・グレゴーリエヴナは、頬に当てた左手の肱をもう一方の手で支えながら、ノヴァミルスキーのいうことをきいていたが、
「わたしどものところの革命も、随分いろいろ批評をうけます。でも、批評する人たちに、それまでの私たちがどんなに生きていたかということが、ちょっとでも分りさえしたら!」
と云った。
「革命は、たしかに少くない犠牲を出しました。けれど、その幾千倍かの人に、生を与えたんです。それはもっとたしかな事実なんです」
革命前、マリア・グレゴーリエヴナは将校の妻であった。
「何という生活だったでしょう。あのころわたしは、死ぬことしか考えませんでした。でも、小さい男の子と女の子を、誰が育ててくれるでしょう? そのうち十月が来ました。そして、わたしと子供たちの人生が新しくはじまったんです」
子供たちの望みで、男の子はマリア・グレゴーリエヴナについてここで暮すようになり、女の子は、父親について別れた。
このマリア・グレゴーリエヴナのところへ素子も通いはじめた。素子は、プーシュキンの「オニェーギン」をよみはじめた。
マリア・グレゴーリエヴナの稽古から、真直伸子がホテルへかえって来ることはほとんどなかった。ストラスナーヤ広場から、雪につつまれた並木道をニキーツキー門の方まで歩いてみることがあった。その時間の並木道は、ひどい雪降りでないかぎり、戸外につれ出されている赤坊と子供たちでいっぱいだった。すっかり
風景に情趣こまやかなのはストラスナーヤから左の並木道で、同じ並木道でも右側にのびた方はいつも寂しく、子供たちも滅多に遊んでいなかった。遠くに古い教会の尖塔が見える雪並木の間を、皮外套に鳥打帽子の人たちが、鞄をかかえ、いそがしそうに歩いていた。道を歩いているというよりも用事から用事へいそいでいるようなその歩きつき。ぐっと胴でしめつけられた皮外套の着かたや、全神経が或る一点に集注されていて、ものが目に入って来ない眼つき。そういう視線が無反応に自分の上を掠めるのを感じながら、こちらからは一つずつ一つずつそういう顔を眺めて並木道を歩いてゆく心持。伸子にはそれも興味ふかかった。
トゥウェルスカヤ通りをアホートヌイ・リャードまで下り切ると食糧市場へ出た。切符制で乳製品や茶、砂糖、野菜その他を売る協同販売所が並んでいる。その歩道をはさんだ向い側に、ずらりと、ありとあらゆる種類の食品の露店が出ていた。半身まるのままの豚がある。ひろげた両脚の間にバケツをはさんで、漬汁がザクザクに凍った塩漬胡瓜を売っている。乳製品のうす黄色い大きなかたまりがある。
「とっさん、素晴らしい肉だぜ。ボールシチにもってこいだ!」
それはいい肉と云えるのだろうか。伸子の目に、その塊りは黒くて、何の肉だか正体がしれなかった。黙ったままじいさんは、よごれた指を出してちょいとその肉をつついて見た。
「
肉を入れて来た樺製のカバンを足許において、その売手は、膝まである防寒靴を雪の上でふみかえながらせきたてた。じいさんは、口をきかない。その白髪まじりの不精髭につつまれたじいさんの顔にある無限の疑りぶかさに伸子の目がひかれた。じいさんは、おそらく、お前の名はこれこれだ、とその名を云われても、やっぱりその疑りぶかい顔つきを更えないだろう。ここの露店で売られるものは、すべて公定の価よりも三割か四割たかかった。何でもあるかわり、売る方も買う方も、実力のかけひきだった。アホートヌイ・リャードにどよめいている群集の中には、労働者風の男女は殆どみかけられないのに伸子は気づいた。そして子供づれも。――雪のつもった長方形の広場のむこうには、道のはたへとび出したような位置に古い教会がのこっていて、わきの大きい建物に張りわたされている赤いプラカートの上には、くっきりと白く、文盲を撲滅せよ、とよまれた。そういう広場の雪をよごしながら群集が動いた。
伸子が、ながい街あるきの果に、自分たちの夜食のための刻みキャベジやイクラを買いに入る店は、ホテルからじきのところにあった。半地下室のその店の入口の段々のところからタイルではった床の上まで、オガ屑がまかれていた。濡れたオガ屑の匂い、漬もの桶の匂い、どっさり棚につまれた
素子は、大抵、伸子が出がけに見たとおりデスクの前にいた。入ってゆく伸子をみて、素子は椅子の上でふりむき、
「どうだった?」
ときいた。これは、そとは一般にどうだった、という意味だった。その素子の声には、たっぷり三時間一人でいたあげくの変化をよろこぶ調子がある。伸子は
「でもね、こういうこまごました面白さって、生活の虹だもの――話したときはもう半分消えてしまっているわ」
伸子は、遺憾そうに云った。
「ほんとに一緒に出られるといいのに。――」
デスクの上にひろげられている本から、わきにおいてある腕時計へちらりと目をやりながら、素子は、
「なにしろ、毎日の新聞をよむのがひと仕事なうちは、仕様がないさ」
あきらめたように云うのだった。新聞――伸子はうけて来た許りの様々の印象で
毎朝起きると、ドアの下から新聞がすべり込んでいるようになったとき、伸子は、自分によめない字でぎっしり詰まっている「プラウダ」の大きい紙面を、あっちへかえし、こっちへかえしして眺めた。そして、素子に、
「あなたが読んでいるとき、ところどころでいいから、わたしにも話してきかしてくれない?」
とたのんだ。そのとき「イズヴェスチヤ」の一面をよんでいた素子はすぐに返事をしなかった。
「ねえ、どう?」
「――ぶこちゃんはデイリー・モスク
よめばいいじゃないか」「どうして?」
むしろおどろいたように伸子が云った。
「デイリー・モスク
は、デイリー・モスク
じゃないの。モスク
・夕刊は、プラウダとちがうでしょう? そういう風にちがうんじゃない?」主として外国人のために編輯されている英字新聞が、プラウダと同じ内容をもっているとは思えなかった。
丁度その年の秋のはじめ頃ソヴェト最大の石炭生産地であるドン・バス炭坑区の、殆ど全区域にわたって組織されていた反革命の国際的な組織が摘発された事件があった。帝政時代からの古い技師、共産党員であってトロツキストである技師、ドイツ人技師その他数百名のものが、数年来、ソヴェトの生産を乱す目的で、サボタージュと生産能率の低下、老朽した坑内の支柱をわざとそのままにしておいて災害を誘発させるというようなことをやって来た。それが発見された。
その記事は伸子も日本にいた間に新聞でよんだ。日本の新聞記事は、この事件でソヴェトの新社会が一つの重大な破綻に面し、またスターリンに対する反抗が公然化されたというような調子で書かれていた。そのドン・バス事件の公判が、伸子たちのモスク
へ来た前後からはじまっていた。一面を費し、ときには二面をつかって、反革命グループのスケッチと一緒に事件の詳細な経過が報告された。そういう記事は世界じゅうの文明国の新聞にのったとおり、モスク
発行のすべての新聞に掲載されていた。けれども、伸子は、この世界の視聴をあつめている事件の成りゆきばかりでなく、しんのしんにある意味というものをつかみたかった。こんなに執拗な階級的な憎悪。そしてそれらの人々としてはきわめて真剣に計画し実行されていた陰謀。それがその人々にとってどんなに真面目だったかということは、公判で、すべての被告が、理性的という以上に理論をもって陰謀を告白しているということでもわかった。そこには、ソヴェトの建設に傾注されている情熱と匹敵すると云っていいくらいの破壊と妨害への情熱があり、伸子はこれらの情熱の源泉としての憎悪、更にその憎悪の源泉としての利害のありどころについて知りたかった。フランスの貴族たち、王党の人たちは、自分たちが貴族であり王党でさえいられるならと、大革命のとき、外国から軍隊を招きいれて、あんなに祖国を伸子は、そのとき、もう一度、
「――じゃあ社説の要点だけでもいいから――駄目?」
ときいた。素子は、
「ぶこちゃんは、そんなに、こせこせしなくっていいんだよ」
と云った。
「ぶこちゃんみたいな人間は、今のまんまで結構なのさ。あるいたり、見たり聞いたりしてりゃいいのさ。――いずれはどうせ読めるようになるんじゃないか」
読めないなりに、伸子はデイリー・モスク
のほかに、記事のかきかたのやさしいコムソモーリスカヤ・プラウダを外出のたびに買って来て見るのだった。朝から夜まで素子と伸子とが、一緒に行動したのは、モスク
へ着いて、ほんの五日か一週間ぐらいのことであった。素子は、二人で芝居を観に出かける夜の時間をのぞいて、毎日の規則正しい勉強の計画をこしらえた。マリア・グレゴーリエヴナのところでプーシュキンを読むほかに、素子は一人の女教師に来て貰って、発音と文法だけの勉強もはじめた。言語学を専攻したというその女教師が、モスク
河のむこうからホテルへ教えに来るのは、芝居に行かない月曜日の、正餐後の時刻であった。その晩、教師が来たとき、伸子は、その前のときのように、素子が勉強するデスクから一番遠い壁ぎわに角テーブルをひっぱって行って、そこで、例の「黄金の水」の書きとりをやっていた。緑色笠のスタンドの光を
女教師と素子とは、機嫌よくときどき笑ったりしながら、いろいろの組合せで発音していたが、ふと、女教師が何かききとがめたような声の表情で、
「どうぞ――もう一度」
と求めた。素子が注意してくりかえしているのは「あった」という字であった。伸子は室のこっちの壁ぎわで、粗末な紙の帳面へにじむ紫インクで書き取っていた。「農民ボリスは、非常に苦悩した。何故なら、彼に富と幸福をもって来る筈だった黄金の水――石油は、彼を果しのないぺてんの中へひっぱり込んだから」ひっぱりこむ、という字がわからなくて辞書をみていた伸子は、デスクのところで、
「何故です?」
すこし怒りをふくんでききかえしている素子の声で、頭をあげた。
「わたしは、三度とも同じに発音したのに」
まだ「あった」が問題になっていた。伸子は、おやおやと思った。柔かいエリときつく舌を巻くエルの区別が出来ない伸子は、駒沢の家でロシア語の稽古をしていた時分、素子に散々笑われた。その素子が、やっぱり本場へくれば、案外エリを荷厄介にしている。女教師はもう一度、そのごくありふれた一つの字を素子に発音させた。こんども黙って不賛成をあらわし、頭をふった。彼女のその視線が丁度そのとき帳面から顔をあげたばかりの伸子の眼とあった。女教師は、その拍子の思いつきらしく、素子のよこにかけたままの遠いところから、
「あなた、やって御覧なさい。――ブィラ」
と、その室の端にいる伸子に向って云った。
伸子は、下手な方に自信があったので、格別の努力もしないで、その言葉を発音した。
「もう一遍」
伸子は素直にもう一遍くりかえした。
「御覧なさい。あなたのお友達は、発音出来ますよ。やって御覧なさい」
これは伸子にとって思いがけないことだった。恐縮してそちらを見ている伸子に、素子はちらりとながしめをくれながら苦笑した。そして、
「この次まで練習しておきましょう」
ブィラは保留となって、女教師はかえった。
女教師のうしろでドアがしまるとすぐ、伸子は壁にくっついている長椅子とテーブルの間から出て来た。
「――妙ね、あれ、どういうの?」
「なにがなんだかわかりゃしない」
「わたしのブィラが、ほんとによかったの?」
「いいんだろう」
素子は一二度マッチをすりそこなってタバコに火をつけた。そして、その吸いくちの長いロシアタバコに、パイプをもつときのように指をかけてふかしながら室の中央に向けてずらした椅子にかけて考えていたが、
「ぶこちゃん」
不機嫌な声のままで云った。
「なあに」
「わたしが何かやっている間は、この室から出ていてくれよ」
「――そうしたっていいけれど……」
その間自分はどこにいたらいいのだろう。伸子は当惑した。ぶらぶら雪の夜街を散歩するほど伸子はまだモスク
に馴れていなかった。考えてみれば、日本を出てから二ヵ月近く、二人は一つ室にばかり暮して来た。「ね、いいことがあるわ、ここで、小さい室を二つかりましょうよ」
今いる四階の表側のひろい室代は六ルーブリ五十カペイキでそれに一割の税がついていた。
「われわれに、そんな贅沢なんか出来やしないよ。ここじゃ、一番小さい室だって五ルーブリじゃないか。そんなことしたら本代なんか出やしない」
「…………」
系統的に本を買わなければならないのは素子だった。二人の旅費のしめくくりをしているのも素子であった。
「ね、ぶこ、たのむ」
素子は、自分の云うことに我ままのあるのは分っているが、どうにもやりきれないのだという風に、そう云いながら涙ぐんだ。
「暫くのことなんだから秋山さんの室へでもどこへでもいっててくれ」
「――いいわ。もう心配しないで」
しかし、その晩ベッドに入ってから、伸子は長いこと目をあいていた。廊下の明りが、ドアの上のガラス越しに、灯の消えた自分たちの室の壁の高い一隅に映っている。スティーム・パイプのなかでコトコトコトと鳴る音がするばかりで、素子のベッドも、あっちの壁際で、ひっそりしている。
素子が、発音のことからあんなに神経をいためられた。そのことに、どこまで自分の責任があるのだろう。伸子はそこがよくわからなくて、眠りにくかった。伸子にわるいところがあるとすれば、それは、このモスク
の新しい生活で素子を押しのけようとすることではなくて、反対に、ここの生活に対する伸子の興味があんまりつよいためについ言葉のわかる素子にたよろうとする傾きがあることだ。実際モスク
の朝から夜までの生活は、狭くせつない一本の
へ来たのであった。息苦しい存在の壜のようなものが熱量のたかいモスク
生活でとけ去って、観ることのこんなにもうれしい自分、感じることがこんなにも
とを、抱きしめた。モスク
でのすべての印象は、日本の生活でそうであったようにせまい漏斗で伸子の内面にばかりたまりこまなかった。伸子の主観でつつまれるにしては、事件にしろ見聞にしろその規模が壮大であり、複雑であり、それ自身としての真面目な必然と意義をもっていた。旧さと新しさが異様に交りあったモスク
生活の歴史的な立体性は、伸子の全知識と感覚をめざましく活動させ、なお、もっともっとと、生きる感興を誘い出しているのであった。そういう熱中で、おのずと素子に迫ってゆく伸子を、素子は、絶えず自分から一定の距離に置こうとしているようだった。新聞の場合ばかりでなかった。
モスク
へついて三四日したとき、どうかして素子の外套のカラーボタンがとれて失くなってしまった。素子は、「ぶこちゃん、見物がてら買っといでよ」
と云った。
「あらァ、それは無理よ」
伸子は冗談のように甘えて、首をふった。
「ボタンなんて言葉、ベルリッツの本に出ていなかったわ」
「そのために字引もって来たんじゃないか。ひいて御覧」
そう云われるといちごんもなくて和露の字引をひいて、伸子はその字を見つけ出した。
「あったろう?」
「あったわ」
「それで、いいじゃないか。さ、行っといでよ」
片仮名でボタンという字と茶色という字を書きつけた紙片をもって伸子は、トゥウェルスカヤの通りへ出た。そして、衣料品の販売店を見つけ出して、どうにか茶色の大ボタンを買って来た。ちょいとした食糧品の買いものにしろ、モスク
ではいつとはなし伸子のうけもちになった。「丁度いいじゃないか、ぶこちゃんは、何にだって興味もってるんだから……」
それは、たしかにそう云えたし、素子の教育法は、伸子の片ことに自信をつけた。素子のそういうしつけがなかったら、伸子はモスク
へついて、たった二週間めに、鉄工労働者のクラブで、たとえ十ことばかりにしろ、ものを云うことなどは出来なかったろう。「あら、私たちのこと云っているんじゃない?」
と小声で素子にささやいた。
「…………」
黙って
「挨拶する、って云ってる――ぶこ、おやり」
と云った。
「どうして!」
当惑している伸子たちの前へ、司会者が来た。そして、
「どうぞ。みんな非常によろこんでいます」
二人のどちらとも云わず、一寸腰をかがめた。素子は、はためにもわかるほど椅子の上に体を重くした。
「ぶこちゃん、何とかお云いよ」
「困った――何て? ね」
押問答しているうちに、人々の間から元気のいい、催促するような拍手がおこった。
「ダワイ! ダワイ!」
そういう声もする。モスク
についた翌日、馬方が馬をはげましていた陽気なかけ声をきくと、伸子は何を何と云っていいのか分らないままに、赤い布で飾られている演壇に上った。小さい伸子の体がかくれるように高い演説者のためのテーブルをよけて、演壇のはじっこまで出て行った。すぐ目の下から、ぎっしりと男女組合員のいろいろな顔が並んで、面白く珍しそうに、壇の上の伸子を見上げた。その空気が伸子を勇気づけた。伸子は、ひとこと、ひとこと区切って、「みなさん」
と云った。
「わたくしは、たった二週間前に、日本から来たばかりです。わたしは、ロシア語が話せません」
すかさずうしろの方から、響のいい年よりの男の声で、
「結構、話してるよ」
というものがあった。みんなが笑った。壇の上にいる伸子も思わずほほ笑んだ。そして、その先何と云っていいか分らず、しばらく考えていて、
「日本の進歩的な労働者は、あなたがたの生活を知りたいと思っています」
と云おうとした。しかし、それは伸子の文法の力に背負いきれず、伸子の云おうとしたことが、ききてに通じなかった。伸子はそれを感じて、
「わかりますか?」
と、みんなに向ってきいてみた。伸子の真下で第一列にいた中年の女が、すぐ首を横にふった。伸子は困ったが、こんどは単刀直入に、
「わたしは、あなたがたを、支持します」
と云った。さっきの年よりの男の声がまた響のいい声で答えた。
「こんどは分った!」
そして、盛な拍手がおこった。
これは伸子にとって思いがけない経験であった。同時に、伸子をモスク
の心情により具体的に結びつけた出来ごとでもあった。敏感な素子は、学問として学んだロシア語の知識で、かえって、闊達さをしばられている状態だった。また、素子は二年なら二年という限られた時の間に、来ただけのことはあるという語学者としての収穫をためようともしているのだった。そういう緊張した素子の神経のかたわらに、対外的に課せられている責任をちっとも持たず、自然に、気質のままに、ひろがったり、流れたりしてあらゆるものを吸収しようとしている伸子がいることは、素子を時々はいらだたせるのかもしれない。伸子はそうも思った。
いま暮しているように暮さないで、どう生活するかとそうきかれれば伸子に分らなかった。けれども、伸子の暮しかたは、素子の生活計画と平行して、では伸子の方はこういう風に、と考えられ、きめられ、そこで始っているものではなかった。モスク
の二十四時間に素子が素子としての線を一本つよくひいた。その線にかち合わないところ、外側のところ、あまったところをひとりでに縫うようにして、伸子のモスク
生活の細目は、はじまっているのだった。伸子がそういう工合に生活している。そのことは、そんなに全く素子の意識にのぼらないわけのことなのだろうか。素子が、マリア・グレゴーリエヴナのところでプーシュキンをはじめるときめたとき、伸子は何心なく、
「新しいものやったら?」
と云った。古典は、持ってかえっても読める。革命後の文学は、つかわれている言葉そのものさえ違って来ているのだから。そう思ったのだった。すると素子が、閃くような笑いかたをして、
「そして伸子さんのお役に立てますか」
と云った。瞬間、伸子にわけがわからなかった。伸子はほとんど、あどけない顔で、
「わたしに?」
とききかえしながら素子を見た。その伸子の眼を見て、素子は急に語調をかえた真面目な調子で、
「わたしは、一年は古典をやるよ」
と云った。そう云っているうちに、素子の顔が薄すらと赧くなった。
「新しものずきは、どこにだってありすぎるぐらいあるさ。しかし、ロシア文学には古いもので立派なものがどっさりあるんだ。いまの文学に意味があるんなら、その歴史の源が、ちゃんとあるんだもの――シチェドリンだって、サルトィコフだって。面倒くさくて儲かりもしないから、誰もやらないのさ。――だからわたしは、一つ土台からやってやるんだ」
素子が自分で云ったことに対してひそかに赤面したわけは、よっぽどたってから、伸子に、わかった。
率直ということが卑劣と相いれない本質のものであるなら、素子は卑劣でなかった。素子は伸子に対して、どんな場合も率直でないことはないのだから。けれども、伸子には、自分に向って率直にあらわされる素子の不安定な機嫌というようなものが切なく思われた。窓のそとでは大屋根の廃墟の穴の中へ雪が落ちているホテルの夜中、コトコト鳴るスティームの音をききながら、伸子は考えるのだった。そもそも、機嫌とは、何なのだろうか、と。そして、ぼんやりした恐怖を感じた。伸子は、はじめて機嫌を軽蔑する自分を感じたから。そして、一緒にくらして来た数年間、伸子は、素子の機嫌を無視した経験がなかったから。こうして伸子が何となしくよくよと物を思っているその夜の間も、
生活で、どんな一つの積極的なことが機嫌からされているだろう。どんな一つの失敗が機嫌で拾収され得ているだろう。伸子は、ここまで来て、こういう感情にかかずらっている自分たち二人の女の貧寒を感じた。三
つぎの夜、素子のところへ女教師が来たとき、伸子は気をつけていて、自分がドアをあけるようにした。そして、入れちがいに、戸をしめて、室の外へ出た。
いつものとおりしずかな狭いホテルの廊下の階段よりのところに、ふちのぴらぴらした、日本の氷屋のコップのようなかさの電燈がついている。その下の明るい場所へ椅子をもち出して、ホテル女中のシューラが、
「御用ですか」
ときいた。
「いいえ。何でもないの」
今夜も伸子は白いブラウスの上に日本の紫羽織をひっかけていた。
「ここは寒くないの」
「暖くはありませんよ――」
毛がすりきれて、編みめののびた古い海老茶色のジャケツを着て、薄色の髪をかたく頸ねっこに丸めているシューラはやせていた。小さな金の輪の耳飾りをつけているシューラの耳のうしろは骨だってやつれが目立った。伸子は、自分につかえるわずかの言葉で話すために骨を折りながら、
「シューラ、あなた、丈夫?」
ときいた。
シューラは、
「わたしは肺がわるいです」
と云った。
「肺、わかります? ここ――」
そう云いながら、ボタンの一つとれたジャケツの胸をさして伸子を見あげた。シューラの顔に、遠目でわからなかった若さがあるのに伸子はびっくりした。
「わかるわ――日本にも肺病はどっさりよ」
「――わたしは技術がないから、ほかの働きが出来ないんですよ。でも、わたしはこわがっちゃいないんです、もうじき、サナトリアムに入る番が来るから」
そのとき誰かが階段をあがって来た。シューラは話すのをやめて細工ものをとりあげた。
伸子は、時間つぶしに一段一段、階段の数をかぞえながら三階へ降りて行った。それは二十六段あった。粗末な花模様絨毯がしかれている廊下の右側にある秋山宇一の室のドアをたたいた。
「おはいりなさい」
「今晩は――お邪魔じゃないこと?」
「どぞ、どぞ」
ドーリヤ・ツィンが早口の日本語で云った。
「わたしたちの勉強、すんだところです、ね秋山さん――そでしょう?」
「ええ――どうぞ」
ドーリヤと秋山とが、そうやってくっついてかけている様子は、まるで丸くふくれて真紅な紅雀のよこへ、頭が灰色で黒ネクタイをつけた茶色のもっと小さい一羽が、自分からぴったりくっついて止り木にとまっているようだった。若い内海厚が却ってつつましくドーリヤからはなれているところも面白かった。ドーリヤ・ツィンという珍しい姓名をもっているこの東洋語学校の卒業生から、秋山はこの頃ロシア語を習っているのだった。
「ドーリヤさんと秋山さんがそうして並んでいるところは、二羽の紅雀のようよ」
伸子が笑いながら云った。
「ベニスズメ?――それなんでしょう、わかりませんね」
「なんていうの? 紅雀」
伸子にきかれた内海は、
「さあ」
と首を曲げた。伸子は、不審がっているドーリヤの気をわるくしないようにいそいで、
「小鳥」
とロシア語で云った。
「二つの小鳥……二つのロビンよ」
「おお、ロビン! アイ・ノウ」
ドーリヤは英語をまぜて叫んで、面白そうに手をうち合わせた。
「ロビン! 英語の詩でよんだことあります。それ、美しい小鳥です。そうでしょう? サッサさん」
「そうよ。ドーリヤさんは、紅い紅雀よ、秋山さんは髭の生えている紅雀」
「まあ、素敵!」
ドーリヤは、すっかり面白がって大笑いしながら、テーブルの奥の長椅子から、とび出して来た。
「サッサさん、可愛いかた!」
そう云って伸子を抱擁した。ドーリヤは伸子を抱きしめると、そのまま、あっさり伸子からはなれ、衣裳タンスの前へ行って、
「サッサさん、あなたチャールストン踊れますか? わたし、これ、きのうならいました。むずかしいです」
「ロシアの人のこころとチャールストンのリズム、ちがうでしょう」
伸子も、ドーリヤにわからせようと片言の日本語になって云った。ドーリヤは、なおしばらく、せかせかとぎごちなく足を動かしていたが、
「本当だわ」
ロシア語で、真面目な顔つきで云って足のばたばたは中止にし、両手をうしろに組んで、面白いことをさがし出そうとするように、秋山の室のなかをぐるりと歩いた。やがて伸子のよこにかけて羽織をいじくっているうちにドーリヤは、子供のとき両親につれられて、日本見物に行ったときのことを話し出した。
「何と云いました? あの温泉のある美しい山の公園――」
「どこだろう、ハコネですか」
秋山が云った。
「おお、ハコネ。そこで、わたくし、一つの箱買って貰いました。小さい小さい板のきれをあつめて、きれいにこしらえた箱です、そして、それ、秘密のポケットもっていましたね」
「ああ寄木細工の箱だ――貯金箱ですよ」
慎重な顔で内海が、きわめつけた。
「その箱、いまどこにあるの?」
伸子がそうきくと、ドーリヤ・ツィンは目に見えて悄気た。両肩をすくめて、
「知りません」
悲しそうに云った。
「わたしたちはどっさりのものを失ったんです。――両親は、非常に金持でした。大きな金持の商人でした」
ドーリヤは、それをロシア語で、ゆっくり、重々しく云った。秋山が暗示的に、伸子に向って補足した。
「ドーリヤさんの両親は、シベリアの方に生活しているらしいですよ。――そうでしたね?」
「そうです、そうです」
ドーリヤは、シベリアという言葉に幾度も頷ずきながら、濃く紅をつけた唇の両隅を、救いようのない困惑の表情でひき下げながら、下唇をつき出すような顔をした。伸子にもおぼろげに察しられた。ドーリヤの親は何か経済攪乱の事件にひっかかっているのだ。
「ドーリヤさんは、どこで、そんなに日本語が上手になったの?」
やがて、すっかり話題をかえて伸子がきいた。箱根細工から思いがけない物思いにひきこまれかかっていたドーリヤには、伸子の日本語がききとれなかった。内海が先生のように几帳面な口調で通訳した。
「おお、サッサさん、あなた、ほんとに、わたしの日本語上手と思いますか?」
ドーリヤ自身、そのきっかけにすがりつくようにして、もとの陽気さに戻ろうとした。
「思います」
「ほんとに、うれしいです」
その声に真実がこもっていた。ドーリヤはモスク
での生活の基礎を、すこしの英語、すこしの中国語、日本語などの語学においているのであった。「わたくし、日本語話すとき、考えません。ただ、出来るだけ、迅く迅く、途切れないように」
と最後の途切れないようにという一字だけロシア語をはさんで、
「つづけて話します。きいている人、思いましょう? あんなになめらかに話す。彼女は必ずよく知っているだろうと。これ、かしこいでしょう?」
ドーリヤの若い娘らしい率直さが、みんなを大いに笑わせた。秋山宇一は、何遍も合点合点しながら、手をもみ合わせた。
「わたしたち日本人には、こういうところが足りなさすぎるんですね。大胆さが足りないんです。いつも間違いばかりおそれていますからね」
だまっていたが、伸子は、この時ドーリヤとさっき廊下で話して来たシューラとの比較におどろかされていた。はしゃいで、チャールストンの真似をしているときでも、しんから気をゆるした眼つきをしていないドーリヤと、清潔なぼろと云えるようなジャケツをきたやせたシューラの落着きとは、何というちがいだろう。エナメル靴をはいたドーリヤは何ともがいているだろう。
ドーリヤ・ツィンは、今夜七時から友達のところの誕生祝いに出かける。二三人の仲間が誘いに来るのを秋山の室で待ち合わせることになっているのだそうだった。ドーリヤ自身は何も云わなかった。秋山がそのことを話した。そして、
「もう何時ごろでしょうかね」
時計をみるようにした。伸子は、ひき上げる時だということを知った。秋山は、自分のところへ誰か訪ねて来るとき、伸子たちがいあわすことを好まなかった。いつも、自然に伸子たちが遠慮する空気をつくった。
「じゃ、また」
伸子が椅子から立ちかけると、ドーリヤが思いがけないという顔で伸子と秋山を見くらべながら、自分も腰を浮かして、
「なぜですか?」
と尻あがりの外国人のアクセントで云った。
「どうぞ。どうぞ。サッサさん。時間どっさりあります。わたくし、サッサさんの日本語きくのうれしいです。ほんとにうつくしいです」
秋山はしかし格別引きとめようともしないで、立ったままでいる伸子に、
「ああ、おとといニキーチナ夫人のところへ行きましたらね、どうしてあなたがたが来ないかと云っていましたよ」
「そうお――……」
「行かれたらいいですよ、なかなかいろいろの作家が来て興味がありますよ」
「ええ……ありがとう」
伸子は秋山宇一らしく、おとといのことづてをするのを苦笑のこころもちできいた。
ニキーチナ夫人は博言学者で、モスク
の専門学校の教授だった。ケレンスキー内閣のとき文部大臣をしたニキーチンの夫人で、土曜会という文学者のグループをこしらえていた。瀬川雅夫が日本へ立つ三日前、瀬川・伸子という顔ぶれで、日本文学の夕べが催された。日本へ来たことのあるポリニャークが司会して、伸子は、短く、明治からの日本の婦人作家の歴史を話した。その晩、伸子は、絶えず自分のうしろつきが気にかかるような洋服をやめて、裾に刺繍のある日本服をきて出席した。講演が終ると、何人かのひとが伸子に握手した。ニキーチナ夫人もそのなかの一人だった。伸子は夫人の立派なロシア風の顔だちと、学殖をもった年配の女のどっしりとした豊富さを快く感じた。ニキーチナ夫人は、鼻のさきが一寸上向きになっている容貌にふさわしいどこか
「あなたは大変よくお話しなさいましたよ」
と、はげました。
「わたしたちが知らなかった知識を与えられました。けれどね、おそらくあなたは、こういう場合を余り経験していらっしゃらないんでしょう」
伸子はありのまま答えた。
「日本では一遍も講演したことがありません。モスク
でだって、これがはじめて」「そうでしょう? あなたは、大へんたびたびキモノのそこのところを」
とニキーチナ夫人は、伸子の着物の上前をさした。
「ひっぱっていましたよ」
「あら。――そうだったかしら……」
「御免なさい、妙なことに目をとめて」
笑いながらニキーチナ夫人は鳶色ビロードの服につつまれた腕を伸子の肩にまわすようにした。
「そこについている刺繍があんまりきれいだからついわたしの目が行ったんです。そうすると、あなたの小さい手が、そこをひっぱっているんです」
ニキーチナ夫人は、伸子たちに、土曜会の仲間に入ることをすすめ、数日後には一緒に写真をとったりした。でも、土曜会とは、どういう人々の会なのだろう。伸子たちは、つい、行きそびれているのだった。秋山宇一は、おとといも行ったというからには、土曜会の定連なのだろう。
「この間は、珍しい人たちが来ていましたよ、シベリア生れの詩人のアレクセーフが。わたしに、あなたは、こういうところに坐っているよりも、むしろプロレタリア作家の団体にいる筈の人なのじゃないかなんて云っていましたよ」
こういう風に、秋山宇一は伸子に、いつも自分が経験して来た様々のことを、情熱をもって描いてきかせた。けれども、それは、きまって、自分だけがもう見て来てしまったこと、行って来てしまったところについてだった。そして、そのあとできまって秋山宇一は、
「是非あなたも行かれるといいですよ」
と云うのだったが、どういう場合にでもあらかじめ誘うということはしなかったし、この次は一緒に行きましょうとは云わなかった。また、こういう順序で、あなたもそれを見ていらっしゃいという具体的なことは告げないのだった。
ドーリヤに挨拶してその室を出ようとした伸子が、
「ああ、秋山さんたち、お正月、どうなさる?」
ドアの握りへ手をかけたまま立ちどまった。
「きょう大使館へ手紙をとりに行ったら、はり出しが出ていたことよ。元旦、四方拝を十一時に行うから在留邦人は出席するようにって――」
「――そうでしたか」
内海は黙ったまま、すっぱいような口もとをした。
「何だか妙ねえ――四方拝だなんて――やっぱりお辞儀するのかしら……」
困ったように、秋山は大きい眉の下の小さい目をしばたたいていたが、
「やっぱり出なけりゃなりますまいね」
ほかに思案もないという風に云った。
「モスク
にいる民間人と云えば、われわれぐらいのものだし……何しろ、想像以上にこまかく観られていますからね」ドーリヤのいるところで、秋山は云いにくそうに、云った。そして、残念そうに内海を見ながら、
「うっかりしていたが、そうすると、レーニングラードは三十一日にきり上げなくちゃなりますまいね」
秋山は国賓としての観光のつづきで、レーニングラードの
四階の自分の室へ戻る階段をゆっくりのぼりながら、伸子は、このパッサージというモスク
の小ホテルに、偶然おち合った四人の日本人それぞれが、それぞれの心や計画で生きている姿について知らず知らず考えこんだ。素子も、随分気を張っている。秋山宇一も、何と細心に自分だけの土産でつまった土産袋をこしらえようと気をくばっていることだろう。秋山宇一は、日本の無産派芸術家である。その特色をモスク
で鮮明に印象づけようとして、彼は、立場のきまっていない伸子たちと、あらゆる行動で自分を区別しているように思えた。同時に伸子たちには、彼女たちと秋山とは全く資格がちがい、したがって同じモスク
を観るにしろ、全然ちがった観かたをもっているのだということを忘れさせなかった。その意識された立場にかかわらず、秋山宇一は大使館の四方拝については気にやんで、レーニングラードも早めに切り上げようとしている。秋山が短い言葉でこまかく観られているといったことの内容を直感するほどモスク
に生活していない伸子には、秋山のその態度が、どっち側からもわるく思われたくない人のせわしなさ、とうけとれた。伸子は、日本にいるときからロシア生活で、ゲ・ペ・ウのおそろしさ、ということはあきるほどきかされて来ていたが、日本側のこまかい観かたの存在やその意味方法については、ひとことも話されるのをきいていなかった。階段に人気のないのを幸い、伸子は紫羽織のたもとを片々ずつつかんだ手を、右、左、と大きくふりながら、一段ずつ階段をとばして登って行った。二人しかいないホテルの給仕たちは、三階や四階へものを運ぶとき、どっさりものをのせた大盆をそばやの出前もちのように逆手で肩の上へ支え、片手にうすよごれたナプキンを振りまわしながら、癇のたった眼つきで、今伸子がまねをしているように一またぎに二段ずつ階段をとばして登った。
四
その年の正月早々、藤堂駿平がモスク
へ来た。これは、伸子たちにとっても一つの思いがけない出来事だった。三ヵ月ばかり前、旅券の裏書のことで、伸子が父の泰造と藤堂駿平を訪ねたときには、そんなけぶりもなかった。藤堂駿平の今度の旅行も表面は個人の資格で、日ソ親善を目的としていた。ソヴェト側では、大規模に歓迎の夕べを準備した。その報道が新聞に出たとき、秋山宇一は、「到頭来ましたかねえ」
と感慨ふかげな面もちであった。
「この政治家の政治論は妙なものでしてね、よくきいてみればブルジョア政治家らしく手前勝手なものだし、近代的でもないんですが、日本の既成政治家の中では少くとも何か新しいものを理解しようとするひろさだけはあるんですね。ソヴェトは若い国で、新しい文化をつくる活力をもっている。だから日本は提携しなければならない。――そういったところなんです」
そして、彼はちょっと考えこんでいたが、
「いまの政府がこの人を出してよこした裏には満蒙の問題もあるんでしょうね」
と云った。
こっちへ来るについて旅券のことで世話になったこともあり、伸子は藤堂駿平のとまっているサヴォイ・ホテルへ敬意を表しに行った。
金ぶちに浮織絹をはった長椅子のある立派な広い室で、藤堂駿平は多勢の人にかこまれながら立って、葉巻をくゆらしていた。モーニングをつけている彼のまわりにいるのは日本人ばかりだった。控間にいた秘書らしい背広の男に案内されて、彼のわきに近づく伸子を見ると、藤堂駿平は、鼻眼鏡をかけ、くさびがたの
「やあ……会いましたね」
と東北なまりの響く明るい調子で云った。
「モスク
は、どうです? 気に入りましたか。――うちへはちょいちょい手紙をかきますか?」伸子が、簡単な返事をするのを半分ききながら、藤堂駿平は鼻眼鏡の顔を動かしてそのあたりを見まわしていたが、むこうの壁際で四五人かたまっている人々の中から、灰色っぽい交織の服を着て、いがくり頭をした五十がらみの人をさしまねいた。
「伸子さん。このひとは、漢方のお医者さんでね。このひとの薬を私は大いに信用しているんだ。紹介しておいて上げましょう。病気になったら、是非この人の薬をもらいなさい」
漢方医というひとに挨拶しながら伸子は思わず笑って云った。
「おかえりまでに、わたしがするさきの病気までわかると都合がいいんですけれど」
藤堂駿平のソヴェト滞在はほんの半月にもたりない予定らしかった。
「いや、いや」
灰色服をきたひとは、一瞬医者らしい視線で伸子の顔色を見まもったが、
「いたって御健康そうじゃありませんか」
と言った。
「わたしの任務は、わたしを必要としない状態にみなさんをおいてお置きすることですからね」
誰かと話していた藤堂駿平がそのとき伸子にふりむいて、
「あなたのロシア語は、だいぶ上達が速いそうじゃないか」
と云った。伸子は、自分が文盲撲滅協会の出版物ばかり読んでいることを話した。
「ハハハハ。なるほど。そういう点でもここは便利に出来ている。――お父さんに会ったら、よくあなたの様子を話してあげますよ。安心されるだろう」
その広い部屋から鍵のてになった控間の方にも、相当の人がいる。みんな日本人ばかりで、伸子はモスク
へ来てからはじめて、これだけの日本人がかたまっているところをみた。小規模なモスク
大使館の全員よりも、いまサヴォイに来ている日本人の方が多勢のようだった。藤堂駿平のそばから控間の方へ来て、帰る前、すこしの間を椅子にかけてあたりを眺めていた伸子のよこへ、黒い背広をきた中背の男が近づいて来た。「失礼ですが――佐々伸子さんですか?」
「ええ」
「いかがです、モスク
は――」そう云いながら伸子のよこに空いていた椅子にかけ、その人は名刺を出した。名刺には比田礼二とあり、ベルリンの朝日新聞特派員の肩がきがついていた。比田礼二――伸子は何かを思い出そうとするような眼つきで、やせぎすの、地味な服装のその記者を見た。いつか、どこかで比田礼二という名のひとが小市民というものについて書いている文章をよんだ記憶があった。そして、それが面白かったというぼんやりした記憶がある。伸子は、名刺を見なおしながら云った。
「比田さんて……お書きになったものを拝見したように思うんですけれど――」
「…………」
比田は、苦笑に似た笑いを浮べ、口さきだけではない調子で、あっさりと、
「あんなものは、どうせ大したもんじゃないですがね――」
と云った。
「あなたのモスク
観がききたいですよ」「……なにかにお書きになるんじゃ困るわ、わたしは、ほんとに何にもわかっていないんだから」
「そういう意味じゃないんです。ただね、折角お会いしたから、あなたのモスク
印象というものをきいてみたいんです」「モスク
というところは、不思議なところね。ひとを熱中させるところね――でも、わたしはまだ新聞ひとつよめないんだから……」はじめ元気よく喋り出して、間もなく素直に悄気た伸子を、その比田礼二という記者は、いかにも愛煙家らしい象牙色の歯をみせて笑った。
「新聞がよめないなんてのは、なにもあなた一人のことじゃないんだから、心配御無用ですよ。――ところで、モスク
のどういう所が気に入りましたか? 新しいところですか――古さですか」「私には、いまのところ、あれもこれも面白いんです。たしかにごたついていて、そのごたごたなりに、じりじり動いているでしょう? 大した力だと思うんです。何だか未来は底なしという気がするわ。――ちがうかしら……」
「…………」
「空間的に最も集約的なのはニューヨーク。時間的に最も集約的なのがモスク
……」比田は、ポケットから煙草ケースをとり出して、ゆっくり一本くわえながら、
「なるほどね」
と云った。そして、すこしの間だまっていたが、やがて、
「ところで、あなたはロシアの鋏ということがあるのを御存じですか」
ときいた。伸子は、そういうことばを、きいたことさえなかった。
「つまりあなたの云われる、ロシアの可能性の土台をなすもんなんですがね。ロシアは昔っから、ヨーロッパの穀倉と云われて来たんです。ロシアは、自分の方から主として麦を輸出して、その代りに外国から機械そのほかを輸入して来ていたんですがね、この交互関係――つまり鋏のひらきは、あらゆる時代に、ロシアの運命に影響しました。帝政時代のロシアは、その鋏の柄を大地主だった貴族たちに完全に握られていましてね。連中は、ロシア貴族と云えばヨーロッパでも大金持と相場がきまっていたような暮しをして、そのくせ、農業の方法だって実におくれた状態におきっぱなしでね。石油、石炭みたいなものだって、半分以上が外国人の経営だった、利権を売っちゃって。――そんな状態だからロシアの民衆は、自分たちの無限の富の上で無限貧乏をさせられていたわけなんです。――宝石ずくめのインドの王様と骸骨みたいなインドの民衆のようなものでね」
儀礼の上から藤堂駿平を訪問したサヴォイ・ホテルのバラ色絹の張られた壁の下で、比田礼二に会ったことも思いがけなかったし、更にこういう話に展開して来たことも、伸子には予想されないことだった。
「この頃のモスク
では、どこへ行ったっていやでも見ずにいられないインダストリザァツィア(工業化)エレクトリザァツィア(電化)という問題にしたってね。云おうと思えばいくらでも悪口は云えますよ。たしかに、先進国では、そんなことはとっくにやっちまっているんですからね――しかし、ロシアでは意味がちがう。これが新しいロシアの可能を決定する条件なんです。ともかく、まずロシアは一応近代工業の世界的水準に追いついてその上でそれを追い越さなくちゃ、社会主義なんて成りたたないわけですからね。『追いつけ、追いこせ』っていうのだって、ある人たちがひやかすように、単なるごろあわせじゃないわけなんです」人間ぽい知的な興味でかがやいている比田礼二の眼を見ながら、伸子は、このひとは、何とモスク
にいる誰彼とちがっているだろうと思った。それは快く感じられた。モスク
にいる日本人の記者にしろ、役人にしろ、伸子が会うそれらの人々は、一定の限度以上にたちいっては、ロシアについて話すことを避けているような雰囲気があった。その限度はきわめて微妙で、またうち破りにくいものだった。伸子は、知識欲に燃えるような顔つきになって、
「あなたのお話を伺えてうれしいわ」
と云った。
「それで――?」
「いや、別に、それで、どういうような卓見があるわけじゃありませんがね」
比田礼二は、それももちまえの一つであるらしい一種の自分を
「――革命で社会主義そのものが完成されたなんかと思ったらとんでもないことさ――ロシアでだって、やっと社会主義への可能、その条件が獲得されたというだけなんです。しかも、その条件たるや、どうして、お手飼いの
それは、伸子にもおぼろげにわかることだった。ドン・バスの事件一つをとりあげても、比田礼二のはなしの意味が実証されている。
「これだけのことを、日本語できかして下すったのは、ほんとに大したことだわ」
伸子は、友情をあらわして、比田に礼を云った。
「わたしはここへ来て、随分いろいろ感じているんです。つよく感じてもいるの――」
もっともっと、こういう話をきかせてほしい。口に出かかったその言葉を、伸子は、変な
「気に入ろうと入るまいと、地球六分の一の地域で、もう実験がはじまっているのが事実なんですがね」
彼はぽつりぽつりと続けた。
「――人間て奴は、よっぽどしぶとい動物と見えますね、理窟にあっているというぐらいのことじゃ一向におどろかない」
彼は人間の愚劣さについて忍耐しているような、皮肉に見ているような複雑な微笑を目の中に閃かした。
「見ようによっちゃ、まるで、狼ですよ。強い奴の四方八方からよってたかって噛みついちゃ、強さをためさずには置かないってわけでね」
そのとき、人々の間をわけて、肩つきのいかつい一人の平服の男が、二人のいる壁ぎわへよって来た。
「――えらく、話がもてているじゃないか」
その男は、断髪で紺の絹服をつけている伸子に、女を意識した長い一瞥を与えたまま、わざと伸子を無視して、比田に向って高飛車に云いかけた。
比田はだまったまま、タバコをつけなおしたが、その煙で目を細めた顔をすこしわきへねじりながら、
「まあ、おかけなさい」
格別自分のかけている椅子をどこうともしないで云った。三人はだまっていた。すると、比田がその男に、
「――飯山に会われましたか」
ときいた。
「いいや」
「あなたをさがしていましたよ」
「ふうむ」
なにか思いあたる節があるらしく、その男は比田から火をもらったパイプをくわえると、大股に広間の方へ去った。
「何の商売かしら――あのかた……」
そのうしろ姿を目送しながら伸子がひとりごとのように云った。
「軍人さん、ですよ」
やっぱりその肩のいかつい男のうしろ姿を見守ったまま、伸子の視線は、スーと絞りを狭めたようになった。秋山宇一が、われわれは、こまかく見られている、と云った、そのこまかい目は、こういう一行のなかにもまぎれこんでいるのだろうか。
伸子は、やがてかえり仕度をしながら、
「ここよりベルリンの方がよくて?」
と比田礼二にきいた。
「さあ、ここより、と云えるかどうかしらないが、ベルリンも相当なところですよ、このごろは。――ナチスの動きが微妙ですからね。――いろいろ面白いですよ。ベルリンへはいつ頃来られます?」
「まるで当なしです」
「是非いらっしゃい。ここからはたった一晩だもの。――案内しますよ。僕が忙しくても、家の奴がいますから……」
「御一緒?」
「――ドイツで結婚したんです」
その室の入口のドアまで送り出した比田礼二と、伸子は握手してわかれた。
藤堂駿平の一行で占められているサヴォイ・ホテルの奥まった一画から、おもての方へ深紅色のカーペットの上を歩いて行きながら、伸子は、モスク
にいる同じ新聞の特派員の生活を思いうかべた。その夫婦は、モスク
の住宅難からある邸の温室を住宅がわりにして、そのガラス張りの天井の下へ、ありとあらゆるものをカーテン代りに吊って、うっすり醤油のにおいをさせながら暮しているのだった。棕梠の植込みで飾られたホテルの広間から玄関へ出ようとするところで、
「おお、サッサさん、おめにかかれてうれしいです」
モスク
には珍しい鼠色のソフトを、前の大きくはげた頭からぬぎながら伸子に向って近よって来るクラウデに出あった。一二年前、レーニングラードの日本語教授コンラード夫妻が東京へ来たとき、ひらかれた歓迎会の席へ、日本語の達者な外交官の一人としてクラウデも出席していた。黒い背広をどことなしタクシードのような感じに着こなして、ほんとに三重にたたまってたれている顎を七面鳥の肉髯のようにふるわしながら
ところが、伸子がこっちへ来てから間もないある晩、芸術座の廊下で声をかけた男があった。それがクラウデであった。三重にたたまっておもく垂れた顎をふるわしてものをいうところは元のままであったが、そのときのクラウデには、東京で逢ったときの、あの居心地わるいほどつるつるした艷はなくなっていた。彼の着ている背広もあたりまえの背広に見えた。クラウデはまた日本文学の夕べにも来ていた。そして、いま、またこのサヴォイ・ホテルの廊下で出あったのだった。クラウデは、愛嬌のいい調子で、
「モスク
の冬、いかがですか」と云った。
「あなたのホテルは煖房設備よろしいですか」
「ええ、ありがとう。わたしは、冬はすきですし、スティームも大体工合ようございます。あなたは、日本の冬を御存じだから……」
伸子はすこし別の意味をふくめて、ほほ笑みながら云った。
「日本の雪見の味をお思い出しになるでしょう?」
「おお、そうです。ユキミ――」
クラウデは、瞬間、遠い記憶のなかに浮ぶ絵と目の前の生活の動きの間に板ばさみになったような眼つきをした。しかしすぐ、その立ち往生からぬけ出して、クラウデは、
「サッサさん、是非あなたに御紹介したいひとがあります。いつ御都合いいでしょうか」
と云った。伸子は語学の稽古や芝居へゆく予定のほかに先約らしいものもなかった。
「そうですか、では、木曜日の十五時――午後三時ですね、どうかわたしのうちへおいで下さい」
クラウデは小さい手帖から紙をきりとって伸子のために自分の住所と地図をかいてわたした。
ボリシャーヤ・モスコウスカヤと並んで、大きく古びたホテル・メトロポリタンの建物がクレムリンの外壁に面してたっていた。約束の木曜日に、伸子はその正面玄関の黒くよごれた鉄唐草の車よせの下から入って行った。もとはとなりのボリシャーヤ・モスコウスカヤのように派手な外国人向ホテルだったものが、革命後は、伸子の知らないソヴェトの機関に属す一定の人々のための住居になっている模様だった。受付に、クラウデの書いてよこした室番号を通じたら、そこへは、建物の横をまわって裏階段から入るようになっていた。伸子は、やっとその説明をききわけて、大きい建物の外廓についてまわった。
積った雪の中にドラム罐がころがっているのがぼんやり見える内庭に向って、暗い階段が口を見せていた。あたりは荒れて、階段は陰気だった。冬の午後三時と云えば、モスク
の街々にもう灯がついているのに、ホテルの裏階段や内庭には、灯らしい灯もなかった。伸子は、用心ぶかくその暗い階段を三階まで辿りついた。そこで、踊り場に向ってしまっている重い防寒扉を押して入ると、そこは廊下で、はじめて普通の明るさと、人の住んでいる生気が感じられた。でも、どのドアもぴったりとしまっていて、あたりに人気はない。伸子は、ずっと奥まで歩いて行って、目ざす番号のドアのベルを押した。靴の音が近づいて来て、ドアについている戸じまりの鎖をはずす音がした。ドアをあけたのはクラウデであった。「こんにちは――」
「おお、サッサさん! さあ、どうぞおはいり下さい」
そういうクラウデの言葉づかいはいんぎんだけれども、上着をぬいで、カラーをはだけたワイシャツの上へ喫煙服をひっかけたままであった。クラウデは日本の習慣を知っている。日本の習慣のなかで女がどう扱われているかということを知りぬいている外国人であるだけ、伸子はいやな気がして、
「早く来すぎたでしょうか」
ドアのところへ立ったまま少し意地わるに云った。
「たいへんおいそがしそうですけれど……」
「ああ、失礼いたしました。書きものをしていまして……」
クラウデは、腕時計を見た。
「お約束の時間です――どうぞ」
伸子を、窓よりの椅子に案内して自分は、二つのベッドが並んでおかれている奥の方へゆき、そっちで、カラーをちゃんとし上衣を着て、戻って来た。
「よくおいで下さいました。いまじき、もう一人のお客様も見えるでしょう」
クラウデの住んでいるその室というのは奇妙な室だった。大きくて、薄暗くて、二つのベッドがおいてあるところと、伸子がかけている窓よりの場所との間に、何となし日本の敷居や鴨居でもあるように、区分のついた感じがあった。窓の下に暮れかかった雪の街路が見え、アーク燈の蒼白い光がうつっている。窓から見える外景が一層この室の内部の薄暗さや、雑然とした感じをつよめた。黙ってそこに腰かけ、窓のそとを眺めている伸子に、クラウデは、
「わたしは、ここにブハーリンさんのお父さんと住んでいます」
と云った。
「ブハーリンさん、御存じでしょう? あのひとのお父さんがこの室にいます」
伸子はあきらかに好奇心を刺戟された。伸子がよんだたった一つの唯物史観の本はブハーリンが書いたものであったから。
「ブハーリンの本は、日本語に翻訳されています」
伸子は、ちょっと笑って云った。
「お父さんのブハーリンも、やっぱり円い頭と円い眼をしていらっしゃいますか?」
単純な伸子の質問を、クラウデは、何と思ったのかひどく真面目に、
「ブハーリンさんのお父さんは立派な人ですよ」
と、なにかを訂正するように云った。
「わたしたちは、一緒に愉快に働いています」
しかし、伸子はちっとも知らないのだった、三重顎のクラウデが、現在モスク
でどういう仕事に働いているのか。――クラウデは、ちょいちょい手くびをあげて時計を見た。
「サッサさん、もうじき、もう一人のお客様もおいでになります。わたくし、用事があって外出します。お二人で、ごゆっくり話して下さい。……それでよろしいでしょう?」
クラウデにとってそれでよいのならば、伸子は格別彼にいてもらわなくては困るわけもなかった。
「いま来るお客さま、中国のひとです。女の法学博士です」
そのひとが伸子に会おうという動機は何なのだろう。
「でも、わたしたち――そのかたとわたし、どういう言葉で話せるのかしら――わたしのロシア語はあんまり下手です」
「そのご心配いりません。英語、達者に話します」
また時計をみて、クラウデは椅子から立ち上った。
「御免下さい。もう時間がありませんから、わたくし、失礼して仕度いたします」
薄暗い奥の方で書類らしいものをとりまとめてから、クラウデは低い衣裳箪笥の前へもどって来た。そこの鏡に向って、禿げている頭にのこっている茶色の髪にブラッシュをかけはじめた。はなれた窓ぎわに、クラウデの方へは斜めに背をむけて伸子がかけている。その目の端に思いがけないピノーのオー・ド・キニーヌの新しい瓶が映った。伸子は
で、この雑然として薄暗い独身男の室で、子供のときから父親の匂いと云えば体温にとけたその濃く甘い匂いしか思い出せないオー・ド・キニーヌの真新しい瓶を見出したのは意外だった。この化粧料はあたりまえではモスク
で買うことの出来ないものでもある。「ああ、お客様でしょう」
出て行ったクラウデは、やがて一人の茶色の大外套を着た女のひとを案内して戻って来た。襟に狼の毛のついた外套をぬぎ、頭をつつんでいた柔かい黒毛糸のショールをとると、カラーのつまった服をつけた四十近い婦人が現れた。男も女も頬っぺたが赧くて角ばった体つきのひとが多いこのモスク
で、その中国婦人の沈んだクリーム色の肌や、しっとりと撫でつけられた黒い髪は伸子の目に安らかさを与えた。時間を気にしているクラウデは、あわただしくその中国婦人と伸子とをひきあわせた。
「リン博士です。このかたの旦那様、やっぱり法学博士で、いまはお国へかえっておられます」
リンという婦人に、クラウデはロシア語で紹介した。
「お話しした佐々伸子さん。日本の進歩的な婦人作家です」
そして、リン博士と伸子とが握手している間に、
「では、どうぞごゆっくり」
と、クラウデは、外套を着て室から出て行った。
やっと、きょうここへ来た目的がはっきりして、同じ薄暗く、ごたついた室にいても伸子は気が楽になった。伸子は、ほぐれくつろいでゆく心持から自然に、にっこりして、リン博士を見た。
「…………」
伸子の人なつこいその気分を、聰明らしい落付いた眼のなかにうけとって、リン博士も年長の婦人らしく、笑みをふくんだ視線で伸子を見ながら、
「さて――私たちは何からお話ししたらいいでしょうね」
と云った。明晰で、同時に対手に安心を与える声だった。伸子はこのひとが若いものを扱いなれていることを直感した。モスク
の孫逸仙大学にはどっさり中国から女学生が来ていた。黒いこわい髪を首の短い肩までバサッと長いめの断髪に垂して、鳥打帽をかぶっている中国の女学生たちを、伸子もよく往来で見かけた。中国では革命家たちに対して残酷で血なまぐさい復讐が加えられていたから、モスク
へ来て勉強している娘たちの顴骨のたかい浅黒い顔の上にも、若い一本気な表情に加えてどこやら独特の緊張があった。中国女学生たちのそういう表情のつよい顔々は、並木道に立って色糸でかがった毬を売っている纏足の中国の女たちの顔つきと全くちがっていたし、半地下室に店をもっている洗濯屋のおかみさんである中国の女たちともまるでちがった、新しい中国の顔であった。リン博士は、それらの中国のどの顔々ともちがう落つきと、深みと、いくらかの寂しみをもってあらわれている。リン博士は、孫逸仙大学の教授かもしれない。ほとんどそれは間違なく思えた。けれども、自分が政治的な立場を明かにもっていないのに、あいてにばかりそんなことについて質問するのは無礼だと思えた。伸子は、
「ミスタ・クラウデは、あなたに私を、どう紹介して下すっているのでしょう」
かいつまんで、自分のことを話した。モスク
へ来て、ほんの少ししか経っていないこと。モスク
へは、観て、そして学ぶために来ていること、など。――「あなたの計画はわるくありませんね。だれでも、一番事実からつよい影響をうけますからね」
リン博士はニューヨークにある大学の政治科を卒業して、そこの学位をもっているということだった。伸子の記憶に、まざまざと、その大学のまわりで過した一年ほどの月日の様々な場面が甦った。大図書館の大きな半円形のデスクに、夜になると、緑色シェードの読書用スタンドが数百もついていた光景。楡の木影がちらつく芝生に遊んでいた
「ああ――それは、わたしたちが国へかえるすこし前のことでした」
わたしたちと複数で云われたことが、伸子の耳にとまった。リン博士は夫妻でアメリカにいたのだろうか。
「私たちも、モスク
へ来てまだ長くはないんですよ。――私たちは去年来たんですから」ボロージンが、武昌から引あげたのも去年のことであった。――伸子には段々、この経歴のゆたからしいリン博士に向いあって自分が坐っている意味がわからなくなって来た。クラウデは、どういうつもりで、リン博士を伸子に紹介したのだろう。リン博士の話しぶりには、親愛なこころもちが流れているけれども、クラウデに云われてここで伸子に会うために来ていることは、あきらかである。伸子は、リン博士と自分との間にあり得るいくつかの場合を考えているうちに、ひとつのことに思い当って、益々困惑した。もしかしたらリン博士は、何か伸子がうちあけて相談しなければならない真面目な問題をもっているように理解したのではなかろうか。たとえば合法的に旅券をもって来ているが、何かの形で政治的な活動にふれたいとでもいうような。そして、それが切り出されるのを待って、スカートのあたりのゆったりひろがった姿勢でテーブルによりながらこうして話しているのではなかろうか。さもなければ、その身ごなしをみても一日じゅうの仕事の予定をきっちり立てて活動しているらしいリン博士が、わざわざこの薄暗くて、お茶さえもないメトロポリタンの一室へ来て、伸子ととりとめない話をしようとは思えないのであった。どうしたらいいだろう。伸子は、さしあたってリン博士にうちあけて相談しなければならないようなどんな問題ももっていなかった。額のひろい色白で、眉と眉との間の明るくひらいている伸子の顔に、理解力と感受性のゆたかさはあっても、明確に方向のきまった意志の力はよみとれない。伸子の内心の状態も、彼女のその表情のとおり軟かくて、きまっていなかった。伸子が自覚し、意志しているのは、よく生きたいということだけだった。伸子は、こまって、また自分についての説明に戻って行くしかなかった。伸子はやや唐突に云いだした。
「わたしには、政治的な知識も、政治的な訓練もありません――社会の矛盾は、つよく感じているけれども」
リン博士は、前おきもなしにいきなりそんなことを云いだした伸子の顔を平静な目でちょっと眺めていたが、
「わたしたちの国の文学者も、つい最近まではそうでしたよ」
おだやかにそう云った。そして、考えている風だったが、ほっそりした形のいい腕をテーブルの上にすこし深く置きなおすようにして、リン博士は伸子にきいた。
「――モスク
はどうでしょう……モスク
の生活は、あなたを変えると思いますか?」こんなに煮えている鍋のなかで、変らずにいられるものがあるだろうか。
「モスク
は煮えています。――誰だって、ここでは煮られずには生きられません」ひとこと毎に自分をたしかめながら、のろのろ口をきいていた伸子は、
「でもね、リン博士」
へだてのない、信頼によってうちとけた態度で云った。
「いつでも、すべての人が、同じ時間に、同じように煮えるとは限らないでしょう?」
「…………」
「わたしは、わたしらしく煮えたいのです。いるだけの時間をかけて――必然な過程をとおって――」
しばらく黙って、伸子の云ったことを含味していたリン博士は、右手をのばして、テーブルの上で組み合わせている伸子の、ふっくりとして先ぼその手をとった。
「――あなたの道をいらっしゃい。あなたは、それを発見するでしょう」
二人はそれきり、黙った。窓の外の宵闇は濃くなって、アーク燈の蒼白い光の下を、いそぎ足に通る人影が雪の上に黒く動く。その景色に目をやったまま、リン博士がほとんど、ひとりごとのようにしんみりとつぶやいた。
「――わたしたちの国の人たちと、あなたの国の人たちと、どっちが苦しい生活をしているんでしょうね」
リン博士の言葉は、しずかで、柔らかくて、心にしみる響があった。伸子は、自分が、リン博士との話の間で、はじめからしまいまで、わたし、わたし、とばかり云っていたことに気づき、自分というものの存在のせまさが急に意識された。そして伸子は、はずかしさを感じた。
けれどもリン博士は、きいている伸子のこころがそんなに激しく動かされたことに心づかなかったらしく窓の外の雪の宵景色を眺めたまま、
「中国の民衆には、大きい、巨大と云ってもいいくらいの可能がかくされています――男にも、もちろん女にも。――ところが中国の人々は、まだその可能性を自覚しないばかりか、それを自覚する必要さえ理解していないんです」
ふっと、情愛のこもった笑顔を伸子に向けて、リン博士は、
「あなた、孫逸仙大学の女学生たちを見ましたか?」
ときいた。
「あの娘たち――みんなほんとに若くて、未熟でさえあるけれど、熱意にあふれているんです。――可愛い娘たち――そう思いませんか?」
その Don't you think so?(そう思いませんか)というききかたには、どんなひとも抵抗できないあたたかさと、思いやりとがこもっている。ほんとに、黒い髪をしたあの娘たちは、国へかえって中国の人々の自由のためにたたかって、いつまで生きていられるだろう。伸子は彼女たちの生活を厳粛に思いやった。リン博士の声には、短く、熱烈な若い命を限りなく評価する響があった。
ホテル・メトロポリタンのうすよごれた暗い裏階段から、伸子はアーク燈に照らされている雪の街路へ出た。リン博士との会見は不得要領に終ったようでありながら、伸子のこころに、これまで知らなかった人の姿を刻みつけた。リン博士のすんなりとした胸のなかには、そこをひらくと深い愛につつまれながら幾百幾千の中国の人々が、黒いおかっぱを肩に垂らした女学生もこめて、生きている。それにくらべて、自分の白いブラウスの胸をさいて見たとして、そこから何が出て来るというのだろう。先ず、わたし。それから佃や動坂の一家列。――しかもそれが、幾百幾千の人々の運命と、どうつながっているというのだろう。伸子は、防寒靴の底にキシキシと
五
一月にはいると、モスク
では快晴がつづいた。冬の青空がたかく晴れわたった下に、風のない真冬の日光が、白雪につつまれた屋根屋根、雪だまり、凍った並木道の樹々を、まばゆく、ときには桃色っぽく、ときには水色っぽく、きらめかせた。モスク
河の凍結もかたくなった。雪の深い河岸から眺めると、数株の裸の楊の木が黒く見えるこっち側の岸から、小さな小屋のようなものがポッツリと建っているむこう岸まで、はすかいに細く黒く、一本の踏つけ道が見えた。凍った河づらの白雪の上に黒い線に見える横断道の先で、氷滑りをしている人影が動いた。人影は雪の上で黒く小さく見えた。この季節になってから、赤い広場の景色に風致が加った。トゥウェルスカヤ通りが、クレムリン外壁の一つの門につきあたる。漆喰の古びた奥ゆきのふかいその門のアーチのぐるりには、毎日、雪の上に露店が出ていた。どこでもそうであるとおり、先ず向日葵の種とリンゴ売。靴みがき。エハガキ屋。粗末なカバンや、原始的な色どりのコーカサス絹のカチーフを並べて売っているもの。門のまわりはこみあっていて、裾長の大外套をきた赤軍の兵士だの、鞣外套のいそがしそうな男女、腕に籠を下げて、ゆっくりと何時間でも、店から店へ歩いていそうなプラトークのお婆さん。なかに交って、品質はいいけれども不器用に仕立てられた黒い外套をつけた伸子のような外国人までもまじって流れ動いているのだが、伸子は、いつも、この門のアーチを境にして、その内と外とにくりひろげられている景色の対照の著しさに興味をもった。アーチをくぐりぬけて、白雪におおわれた広場の全景があらわれた途端、その外ではあんなに陽気に動いていた人ごみは急に密度を小さくして、広場には通行人のかげさえまばらな寂しい白い真冬がいかめしかった。
韃靼風に反りのある矛形飾りのついたクレムリンの城壁が広場の右手に高くつづき、その城壁のはずれに一つの門があった。そこに時計台が聳えていた。その時計台から夜毎にインターナショナルのメロディが響いて、こわれた屋根を見おろす伸子のホテルの窓へもつたわった。クレムリンの城壁からは、そのなかに幾棟もある建物の屋根屋根の間に、高く低く林立という感じで幾本もの黄金の十字架がきらめいていた。広場のつき当りに、一面平らな雪の白さに挑むように、紅白に塗りわけられたビザンチン教会がふくらんだ尖塔と十字架とで立ち、そのかたわらに、こっちの方はしぶい黄と緑で菊目石のようにたたみあげられた古い教会が並んでいる。これらの教会は十六七世紀につくられたものだった。広場の左側には、どっしりとした役所風の建築がつらなっていてその建物の数百の窓々が赤い広場を見おろしていた。
広場の雪に、二本の踏つけ道が、細く遠くとおっている。一本はトゥウェルスカヤ通りの方から来た通行人が、歴史博物館の赤煉瓦の建物のよこから、レーニン廟の前をとおり、広場をよこぎって、時計台の下からモスク
河岸へ下りてゆく道。もう一本は、双曲線を描いて、左側の大建築の下につけられているアーチから、支那門とよばれているクレムリンに相対するもう一つの門へ出てゆく道。白い雪の上に、二本の踏つけ道は細い糸のように見えた。まばらに、そこを通る人々は、一列になって、踏つけ道の上をいそいだ。伸子は、この雪の広場の全景がすきだった。
赤い広場の白雪の中に、円形の石井戸のようなものが灰色に突ったっていた。そのそばへ行く人はないから、その円形の石井戸のぐるりの雪は降りつもったままの厚さと、白さとできらめいている。遠くからは見えないけれども、その浅い石井戸のようなものの中に、あんまり高くない石の台があった。丁度、大きい男がひざまずいてのばした首がのるぐらいの高さで、――そして、太い鎖がたぐまって、その台の下に落ちていた。ここが、昔モスク
がロシアの首都であった時分しばしばつかわれた有名な
の暴虐者ツァーに肉迫した。ステンカ・ラージンの歌は、雄々しさと憂愁とをこめたメロディーで外国へもひろまっている。ひろい雪の上でさえぎるものない視線に、この首の座とクレムリンの城壁から林立している金の十字架の頂きを眺めあわせると、伸子は、いつも激しい叙事詩の感銘にうたれた。代々、いろんな人たちが、名のないステンカ・ラージンやプガチョフとしてこの首の座へ直らされるとき、この広場には、四方の門から、どんなにぎっしり群集が集って来たことだろう。みんなは首を斬られなければならない人物をあわれがり、自分たちの大きく正直な肉体にその恐怖と痛みを感じ、いくたびも胸に十字をきりながら、息をころして無残ないちぶしじゅうを凝視しただろう。その群集の訴えに向って、血の流されている首の座に向って、クレムリンの住人ツァーの一族がふりかざしたものは林立する十字架だった。モスク
河への道も有平糖細工のような二つの大教会でふさがれている。この広場にたぎった思いにこたえる人間らしいものは、どこにも見あたらない。どこの国の都でも、そこの広場には民衆の歴史のものがたりがつながっている。それだからこそ広場は面白く、あわれに、生きている。雪に覆われた赤い広場を眺めていると、ここには濃い諧調と美とがあって、伸子は、抑えられつづけた人間の執拗な
その日は、珍しく素子も一緒に散歩に出た。素子と伸子の二人は、トゥウェルスカヤ通りが終って、クレムリンの門へかかる手前で、一軒の菓子屋へよって、半ポンドの砂糖菓子を買った。そんな買物をするのは素子として滅多にないことだった。
「ちょっと、一つだけ」
伸子は紙袋から、
いかにも晴れやかな
「やっぱりここの景色は味があるね」
と広場のはずれに立って、あちこち眺めわたした。そして、城壁に沿って足場めいたものの見えるレーニン廟へと目をとめた。
「一向工事がはかどってないじゃないか」
レーニンの遺骸を、その姿のままに保存して、公開していたレーニン廟は、伸子たちがモスク
へ来たころから修繕にとりかかって、閉鎖されていた。「なおったら見るかい?」
「なにを?」
「レーニン廟というものを、さ。――世界名物の一つですよ」
素子は、いつもの皮肉な笑いかたをして伸子をみた。
「わたしは、見ない」
笑おうともしないで、遠いそっちを見つめながら伸子が答えた。
「――気味がわるい――それに変だわ。――レーニンは、死んでるから、うるさくないかもしれないけれど……」
「これだけの仕事をやっていながら、あんな子供だましみたいなこと、やめちまえばいいのさ。――これだからわるくちを云われるんだ」
二人は、支那門へ向う踏つけ道を行った。「サトコ」のオペラの舞台が見せるように、諸国からモスク
へと隊商たちが集った昔には、この辺に蒙古を横切ってやって来た粘りづよい支那商人のたむろ場所があったのだろうか。支那門のわきにも、いろんな露店が出ていた。こちらには食糧品が多かった。バケツに入れたトワローグ(クリームのしぼりかす)などまで売っている。素子と伸子とはそういう品々を見て歩き、素子は素子らしく、ホテル暮しでは買ってもしかたのない鶏一羽の価をきいたりした。そして、一人のリンゴ売りの前へ来かかった。年とったその男は、ものうげに小さい木の台へ腰をおろして、山形につみ上げたリンゴを売っていた。ちょっと肩のはった形で、こいクリーム色の皮に、「うまそうなリンゴだね」
と立ちどまって見ていたが、
「パチョム(いくら)?」
くだけたねだんのききかたをした。リンゴ売は、ろくに開けていないような瞼の間から、ぬけめなく、価をきいているのがロシアの女でないことを認めたとみえ、
「八十五カペイキ」
わざとらしいぶっきら棒さで答えた。
「そりゃ、たかい」
素子が、こごみかかって果物を手にとってしらべながら、ねぎりはじめた。
「七十五カペイキにしておきなさい。七十五カペイキなら六つ貰う」
素子が、買いもののときねぎるのは癖と云ってよかった。日本でも、一緒にいる伸子がきまりわるく感じるほど、よくねぎった。気やすめのようにでも価をひかれると、もうそれで気をよくして払った。あいにくモスク
では、辻待ちの橇も露天商人も、素子のその癖を刺戟する場合が多かった。伸子は、こういうことがはじまるとわきに立って、おとなしくかけあいを傍聴するのだった。「さ、七十五カペイキ……いいだろう?」
リンゴ売は、いこじに、
「八十五カペイキ!」
と大きな声で固執した。
するとそのとき、リンゴ売と並んで、すぐ隣りの雪の上に布をかぶせてなかみのわからない籠をおいて、赤黄っぽい山羊皮外套の両袖口からたがいちがいに手をつっこんで指先を暖めながら、フェルトの長防寒靴をパタパタやってこのかけひきを見ていた若い一人の物売女が、かみ合わせた白い丈夫そうな前歯と前歯の間から、真似のできないからかい調子で、
「キタヤンキ!(支那女)」
と云った。はじめと終りのキの音に、女の子がイーをしたときそっくりの特別な鋭い響をもたせて。――
たちまち素子が、ききとがめた。リンゴ売の方は放り出して、
「何ていったのかい」
花模様のプラトークをかぶったその物売女につめよって行った。頬の赤く太ったその若い女は、素子にとがめられてちょっと不意をくらった目つきになったが、すぐ、前より一層挑戦的に、もっと、意識的に赤い唇を上下にひろげて、白い歯の間から、
「キタヤンキ」
と云った。近づいて行った素子の顔の真正面に向ってそう云って、ハハハハと笑った。笑ったと思った途端、素子の皮手袋をはめた手がその女の横顔をぶった。
「バカやろう!」
亢奮で顔色をかえた素子は、早口な日本語で罵り、女を睨んだ。
「ひとを馬鹿にしやがって!」
また日本語で素子はひと息にそう云った。あまりの思いがけなさに、瞬間、伸子は何がなんだかよくわからなかった。同じようにあっけにとられた物売女は、気をとり直すと、左手で、素子にぶたれた方の頬っぺたをおさえながら、右手を大きくふりまわして、
「オイ! オイ! オイ!」
自分の山羊皮外套の前をばたばた、はたきながら泣き声でわめきたてた。
「オイ! オイ! この女がわたしをぶったよウ。オイ! わたしに何のとががあるんだよう! オイ! オイ!」
若い物売女のわめき声で、すぐ四五人の人だかりが出来た。よって来た通行人たちは、わめいている女に近づいてよく見ようとして、素子をうしろへ押しのけるようにしながら輪になった。
「どうしたんだ」
低い声でひとりごとを云いながら、立ちどまるものもある。素子は、よって来る人だかりに押されて輪のそとへはみ出そうになりながら、急激な亢奮で体じゅうの神経がこりかたまったように、女を睨みすえたまま立っている。物売女は、一応人が集ったのに満足して、さて、これから自分をぶった女を本式に罵倒し、人だかりの力で復讐して貰おうとするように、頬っぺたを押えて、から泣きをしながら一息いれた。そのとき、女の背後の車道の方から、スーと半外套に鳥打をかぶった中年の男がよって来た。瘠せぎすで鋭いその男の身ごなしや油断のない顔つきが目についた
「はやく、どかなけりゃ!」
素子は、神経の亢奮で妙に動作が鈍くなり、そんな男がよって来たことも心づかず、伸子が力いっぱい引っぱって歩き出そうとするのにも抵抗するようにした。
「だめよ! 来るじゃないの!」
さいわい、物売女をとり巻いた人々は、
「エーイ、ホージャ!(ちゃんころ) ホージャ!(ちゃんころ)」
と、
伸子たちはやっと普通の歩調にもどった。そして、青く塗った囲いの柵が雪の下からのぞいている小公園のような植込みに沿ったひろい歩道をホテルの方へ歩きはじめた。このときになって、伸子は膝頭ががくがくするほど疲れが出た。力のかぎり素子をひっぱった右腕が、気もちわるく小刻みにふるえた。伸子は泣きたい気分だった。
「――つかまらせて……」
伸子の方がぐったりして、散歩の途中から気分でもわるくしたというかっこうで二人は室へ戻った。
帽子をベッドの上へぬぎすて、外套のボタンをはずしたまま、伸子はいつまでもベッドに腰かけて口をきかなかった。素子も並んでかけ、タバコを吸い、やっぱり何と云っていいか分らないらしく黙っている。伸子はまだいくらか総毛立った頬の色をして、苦しそうに乾いた唇をなめた。
「――お茶でも飲もう」
素子が立って行って、茶を云いつけ、それを注いで、伸子の手にもたせた。コップ半分ぐらいまでお茶をのんだとき、
「ああ、そうだ」
素子が、入口の外套かけにかけた外套のポケットから、往きに買った砂糖菓子を出して来た。二杯めの茶をのみはじめたころ、やっと伸子が、変にしわがれたような低い声で、悲しそうに、
「ああいうことは、もう絶対にいや」
と云った。
「…………」
「手を出すなんて――駄目よ! どんな理由があるにしろ……まして悪態をついたぐらいのことで――」
素子は、タバコの灰を茶の受皿のふちへおとしながら、しばらくだまっていたが、
「だって、人馬鹿にしているじゃないか。なんだい! あのキタヤンキって云いようは!」
物売がやったように、上と下とのキの音に、いかにも歯をむき出した響きをもたせて素子はくりかえした。
「だから、口で云えばいいのよ」
「口なんかで間に合うかい!」
それは、素子独特の率直な可笑しみだった。伸子は思わず苦笑した。
「だって、ぶつなんて……どうして?」
支那の女という悪口が、それほど素子を逆上させる、その癇のきつさが、伸子にはのみこめないのだった。
「そりゃ、ぶこちゃんは品のいい人間だろうさ。淑女だろうさ。わたしはちがうよ――わたしは、日本人なんだ……」
「だからさ、なお、おこるわけはないじゃないの。ああいうひとたちには、区別がわかりゃしないんだもの。ここにいるのは、昔っから支那の人の方が多いんだもの」
街で伸子たちが見かけるのも中国の男女で、日本人は、まして日本の女は、モスク
じゅうにたった十人もいはしない。その日本婦人も、大使館関係の人々は伸子たちよりはもとより、一般人よりずっと立派な服装をしていて、外見からはっきり自分たちを貴婦人として示そうとしていた。伸子たちにさえ、日本人と中国人の見わけはつかなかった。モスク
の極東大学には、この数年間日本から相当の数の日本人が革命家としての教育をうけるために来ているはずであった。その大学附近の並木路を伸子たちが歩いていたとき、ふと、あっちからやって来る二人づれの男の感じが何となし日本人くさいのに気づいた。「あれ、日本のひとじゃないのかしら」
素子もそれとなく注目して、双方から次第に近づき、ごく間近のところを互に反対の方向へすれちがった。伸子も素子も、その二人の人たちが大ロシア人でないことをたしかめただけだった。中国人か朝鮮のひとか、蒙古の若い男たちか、その区別さえもはっきりしなかった。もし日本人であったとすれば、その人たちの方からまぎれない日本女である伸子たちを見つけて、話すのをやめ、漠然と「東洋の顔」になってすれちがって行ったのにちがいなかった。
もう一度、トゥウェルスカヤの通りでも、それに似たことがあった。そのときも、さきは二人づれだった。愉快そうに喋りながら来る、その口もとが、遠目に、いかにも日本語が話されている感じだった。が、とある食料品店の前の人ごみで、ほとんど肩をくっつけるようにしてすれちがったとき、その人たちが、日本人だと云い切る特徴を伸子は発見しなかった。伸子は、それらのことを思い出した。
「それだもの、ああいう女がまちがえたって、云わば無理もないわよ」
「そりゃ、ただ区別がわからないだけなら仕様がないさ。日本人だって、西洋人の国籍が見わけられるものはろくにいやしないんだから。……バカにしやがるから、
「…………」
キタヤンカ――(支那女)伸子は、その言葉をしずかにかみしめているうちに、この間、ホテル・メトロポリタンの薄暗い、がらんとした妙な室で会ったリン博士を思い出した。あのひとこそ、正銘の中国の女、キタヤンカであった。けれども、あのものごしの沈厚な、まなざしの美しいひとが、もの売をねぎっているわきからキタヤンカと、素子がからかわれたようなからかわれかたをしたことがあるだろうか。伸子からみると公平に云って素子には、何となしひとにからかいたい気持をおこさせるところがあるように思えた。
素子は、タバコの灰をおとすときだけ灰皿のおいてある机のところへよるだけで、いかにも不愉快そうに室の内を歩きまわっている。段々おちついた伸子の心に、いきなりぶったあげく逃げ出した卑怯な二人の女のかっこうが、苦々しくまた滑稽に見えて来た。
「――あなたって、不思議ねえ」
柔和になった伸子の声に、素子の視線がやわらいだ。
「どうしてさ」
「だって――あなたは、さばけたところがあるのに――。ある意味じゃ、わたしよりずっとさばけているのに、変ねえ……キタヤンカだけには、そんなにむらむらするなんて……」
「…………」
伸子を見かえした素子の瞳のなかにはふたたび緊張があらわれた。
伸子が五つ六つの頃、よく支那人のひとさらいの話でおどかされたことがあった。けれども、現実に幼い伸子の見馴れた支那人は、動坂のうちへ反物を売りに来る弁髪のながい太った支那の商人だった。その太った男は、いつも俥にのって来た。そして、日本のひとのように膝かけはかけないで、黒い布でこしらえた
「ジョーチャン、こんにちは」
と、いつも伸子に笑って挨拶した。玄関の畳の上へあがって、いろいろの布地をひろげた。父が外国へ行っていて経済のつまっている若い母は、美しい支那の織物を手にとって眺めては、あきらめて下へおくのを根気づよく待って、
「オクサン、これやすい、ね。上等のきれ」
などと、たまには、母も羽織裏の緞子などを買ったらしかった。この支那人の躯と、反物包みと、伸子の手のひらにのせてくれた落花生の小さな支那菓子とからは、つよく支那くさいにおいがした。子供の伸子が、支那くささをはっきりかぎわけたのは、小さい伸子の生活の一方に、はっきりと西洋の匂いというものがあったからだった。たまに、イギリスの父から厚いボール箱や木箱が送られて来ることがあった。そういう小包をうけとり、それを開くことは、母の多計代や小さかった三人の子供たちばかりか一家中の大騒動だった。伸子は、そうして開かれる小包が、うっとりするように、西洋のいいにおいにみちていることを発見していた。包装紙の上からかいでも、かすかに匂うそのにおいは、いよいよ包が開かれ、なかみの箱が現れると一層はっきりして来て、さて、箱のふたがあいていっぱいのつめものが、はじけるように溢れ出したとき、西洋のにおいは最も強烈に伸子の鼻ににおった。西洋のにおいは、西洋菓子のにおいそっくりだった。めったにたべることのない、風月の木箱にはいった、きれいな、銀の粒々で飾られた西洋菓子のにおいと同じように、軽くて、甘くて、ツンとしたところのある匂いがした。
こわいような懐しいような支那についての伸子の感じは、その後、さまざまの内容を加えた。昔の支那の詩や「絹の道」の物語、絵画・陶器などの豊富な立派さが伸子の生活にいくらかずつ入って来るにつれ、伸子は、昔の支那、そして現代の中国というものに不断の関心をひかれて来ていた。そこには、日本で想像されないような大規模な東洋の豊饒さと荒涼さ、人間生活の人為的なゆたかさと赤裸々の窮乏とがむき出されているように思えているのだった。
日本にいたとき、わざわざ九段下の支那ものを扱っている店へ行って、支那やきの六角火鉢と碧色の
日本人のきもちには日清戦争以来、中国人に近づいて暮しながらそれをばかにしている気もちがある。日本に来ている留学生に対しても、商人にたいしても。そのばかにした心持からの中国人の呼びかたがいくとおりも、日本にある。素子が、キタヤンカと云われた瞬間、ホージャと呼ばれた瞬間、それは稲妻のような迅さで中国人に対する侮蔑のよびかたとなって、素子の顔にしぶきかかるのではないだろうか。
「そう思わない?――心理的だと思わない?」
素子は、睨みつける目で、そういう伸子を見すえていたが、ぷいとして、
「君はコスモポリタンかもしれないさ。わたしは日本人だからね。日本人の感じかたしか出来ないよ」
タバコの箱のふたの上で、一本とり出したタバコをぽんぽんとはずませていたが、
「ふん」
鼻息だけでそう云って、素子は棗形をした顔の顎を伸子に向って、しゃくうようにした。
「――コスモポリタンがなんだい! コスモポリタンなら、えらいとでもいうのかい!」
火をつけないタバコを指の間にはさんだまま室の真中につったって自分をにらんでいる素子から伸子は目をそらした。伸子は、あらためて自分を日本人だと意識するまでもないほど、ありのままの心に、ありのままに万事を感じとって生活しているだけだった。日本の女に生れた伸子に、日本の心のほかの心がありようはなかったけれども、伸子には、素子のように、傷けられやすい日本人意識というものがそれほどつよくなかった。或は気に入るものは何につけ、それを日本にあるものとひきつけて感情を動かされてゆく癖がないだけだった。
モスク
へついた翌日、モスク
芸術座を見物したとき、瀬川雅夫は、幾たびカチャーロフやモスクビンが歌舞伎の名優そっくりだ、と云って
へ来て芸術座を観る何のねうちがあるだろう。秋山宇一が、コーカサスの美女は、日本美人そっくりだ、とほめたとき、伸子がその言葉から受けた感じは、暗く、苦しかった。エスペラントで講演するひとでさえも、女というものについては、ひっくるめて顔だちから云い出すような感覚をもっているという事実は、それにつれて、伸子に苦しく佃を思い浮ばせもすることだった。駒沢の奥の家で一時しげしげつき合いそうになった竹村の感情も思い出させた。竹村も佃も、それが男の云い分であるかのように、編みものをしているような女と生活するのは愉しい、と云った。編みものをしたりするより、もっと生きているらしく生きたがって、そのために心も身も休まらずにいる伸子にむかって。――素子にしろ日本の習俗がそういう習俗でなかったら、もっと自然に、素子としての女らしさを生かせたのに――。
「自分で、日本のしきたりに入りきれずにいるくせに、日本人病なんて――。おかしい」
と伸子は云った。
「矛盾してる」
「――ともかく、さきへ手をあげたのは、わたしがよくなかった。それはみとめますよ」
思いがけない素直さで素子が云い出した。
「実は、幾重にも腹が立つのさ」
「なにに?」
「先ず自分に……」
そう云って、素子は、うっすり顔を赧らめた。
「それから、ぶこに――」
「…………」
「ぶこが、どんなに軽蔑を感じているかと思ってさ――腹んなかに軽蔑をかくしているくせに、なにを優等生
「軽蔑しやしないけれど……でも、あんなこと……」
自分の前に来て立った素子を見あげて伸子はすこしほほえみながら涙をうかべた。
「ここのひとたちの前から、まさか、かけて逃げ出さなけりゃならないような暮しかたをしようとしてやしないんだもの――」
六
壁紙のないうす緑色の壁に、大きな世界地図がとめてある。伸子はその下の、粗末な長椅子の上で横むきに足をのばし、くつしたをつくろっている。女学生っぽい紺スカートの
すぐ手の届くところまでテーブルがひきよせてあった。日本風の
薄黄色いニスで塗られた長椅子の腕木に背をもたせて針を動かしている伸子の、苅りあげられたさっぱりさが寂しいくらいの頸すじや肩に、白い天井からの電燈がまっすぐに明るく落ちた。伸子はその頸をねじるようにして、ちょいちょいテーブルの上へ眼をやった。向い側の建物の雪のつもった屋根の煙突から、白樺薪の濃い煙が真黒く渦巻いて晴れた冬空へのぼってゆくのが見えた部屋で、マリア・グレゴーリエヴナが熱心と不安のまじりあった表情で、新しい本の第一頁を開き、カデットとか、エスエルとかいうケレンスキー革命政府ごろの政党の関係を説明してくれた顔つきが思いだされた。そういういりくんだ問題になると、伸子の語学の力ではマリア・グレゴーリエヴナの説明そのものが半分もわからなかった。針に糸をとおしながら、伸子はあっちの窓下の緑色がさのスタンドにてらされたデスクで勉強している素子に声をかけた。
「あなた、ちかいうちに
「さあ……わからない」
「行くときさそってね」
「ああ……」
カデットとかエスエルとか、そのほかそういう政治方面の辞書のようなものが必要になって来た。
伸子は、気がついて、保か河野ウメ子かにたのんで日本語のそういう辞典を送ってもらうのが一番いいと思いついた。日本でもそういう本はどんどん出版されていた。言海はモスク
へももって来ているが、社会科学辞典がこんなに毎日の生活にいるとは思いつかなかった伸子だった。あんなに用意周到だった素子も蕗子もそのことまでにはゆきとどかないで来てしまった。――東京とモスク
と、遠いように思っていても、こうして、たった二週間ばかりで手紙も来るんだから……。伸子は、ひょいと体をうかすようにして手をのばし、テーブルの上から二通の手紙をとった。手紙のわきには、キリキリとかたく巻いて送られて来た日本の新聞や雑誌の小さいひと山が封を切っても、まだ巻きあがったくせのままあった。マリア・グレゴーリエヴナのところへ稽古に出かけたかえりに、伸子は例によって散歩がてら大使館へよって、素子と自分への郵便物をとって来たのだった。伸子は、針をさしたつくろいものをブルーズの膝の上にのせたまま、一遍よんだ手紙をまた封筒からぬき出した。
乾いた小枝をふんでゆくようなぽきぽきしたなかに一種の面白さのある字で、河野ウメ子は、伸子にたのまれた小説の校正が終って近々本になることを知らせて来ていた。そして、春にでもなったら、京都か奈良へ行ってしばらく暮して見ようと思っているとあった。奈良に須田猶吉が数年来住んでいて、その家から遠くないところにウメ子の部屋が見つかるかもしれない、とかかれている。この手紙は、素子様伸子様と連名であった。伸子は、ウメ子の手紙にかかれている高畠という町のあたりは知らなかったが、雨の日の奈良公園とそこに白い花房をたれて咲いていた
ウメ子の手紙を封筒にもどして、伸子はもう一通をとりあげた。ケント紙のしっかりした角封筒の上に、ゴシックの装飾文字のような書体で、伸子の宛名がかいてある。さきのプツンときれたGペンを横縦につかって、こんな図案のような字をかくことが和一郎のお得意の一つだった。その封筒のなかみは、泰造、多計代、和一郎、保、つや子と、佐々一家のよせがきだった。つや子が、友禅ちりめんの可愛い小布れをはってこしらえた
つぎの一枚は、多計代の字で半ば以上埋められていた。伸子はその頁の上へぼんやり目をおとしたまま、むかし父かたの祖母が田舎に生きていたころ、多計代の手紙を眺めては歎息していたことを思い出した。「おっかさんは、はア、あんまり字がうまくて、おらにはよめないごんだ」と。その祖母は、かけ
さっき一遍よんだとき、読めなかったところをあらためて拾うようにして、その流達といえば云える黒い肉太の線がぬるぬるぬるぬるとたぐまっては伸び、伸びてはたぐまるような多計代の字をたどって行った。伸子は、こまかくよむにつれてはりあいのないような、くいちがっているようなきもちになった。そのよせがきには動坂の人たちが、食堂の大テーブルを囲んでがやがやいいながらてんでに喋っているその場の感じがそのまま映っているようだった。その和一郎にしろ、先月、伸子がきいたオペラについてモスク
の劇場広場のエハガキを書いてやったことにはふれていないで、今年は美術学校も卒業で卒業制作だけを出せばいいから目下のところ大いに浩然の気を養ってます、と語っている。泰造はいそがしさにまぎれてだろう、伸子が特に父あてにおくったトレチャコフ美術館の三枚つづきのエハガキについて全く忘れている。多計代の文章の冒頭にだけ、この間は面白いエハガキを心にかけてどうもありがとう。一同大よろこびで拝見しました、とあった。けれども、それはいつ伸子が書いたどんなエハガキのことなのか、そして、どう面白かったのか、それはかいてなかった。膝の上にいまこの手紙をひろげている伸子が、もし、それはどのエハガキのことなの? ときくことが出来たとしたら、多計代はきっとあのつややかな睫毛をしばたたいて、ちょっとばつのわるそうな顔になりながら、あれさ、ほら、この間おくってくれたじゃないか、といいまぎらすことだろう。
みんなの手紙の調子は、伸子にまざまざと動坂の家の、食堂の情景を思い浮べさせた。
そして伸子は、ふっと笑い出した。動坂の家の食堂のあっちこっちの隅には、いつもあらゆる形の箱だの罐だのがつみかさねられていた。中村屋の、「かりんとう」とかいた卵色のたてかん、濃い緑と朱の縞のビスケットの角罐、少しさびの来た古いブリキ罐、そんなものが傍若無人に、どっしりした英国風の深紅色に唐草模様のうき出た壁紙の下につまれている。それは一種の奇観であった。中央の大テーブルの多計代がいつも坐る場所の下には、二つ三つの風月堂のカステラ箱がおいてあって、その中には手あたり次第に紙きれだの何だの、ともかくそのとき多計代がなくしては困ると思ったものが入れてあった。だから、動坂の家で何か必要な書きつけが見つからないというようなことがおこると、まず多計代から率先してふっさりしたひさしの前髪をこごめて、大テーブルの下をのぞいた。この習慣は、伸子たち動坂の子供にとっては物心づいて以来というようなものだから、食堂にとおされるほど親しいつき合いの人なら、その客のいるところでも、必要に応じて伸子のいわゆる「
その食堂の
へ立って来るについて伸子が駒沢の家をたたんで数日動坂で暮した間、その煖炉のギリシア壺のよこに大きなキルクが一つのっていた。毎朝掃除がされているのに、何かのはずみで一旦その場ちがいなところへのったキルクは、何日間も煖炉棚の上でギリシア壺のわきにあった。そして、もう今ごろそれはなくなっているだろう。いつの間にか見えなくなった、という片づきかたでキルクは煖炉棚の上からなくなり、その行方について知っているものはもう誰もいないのだ。こういうけたはずれのところは主婦である多計代の気質から来た。もし多計代が隅から隅までゆきとどいて自分の豪華趣味で統一したり、泰造の古美術ごのみで統一されたりしていたら、動坂の家というところはどんなに厭な、人間の自由に伸びるすきのない家になっただろう。伸子は、動坂の家に、せめてもそういう乱脈があることをよろこんだ。少女時代を思い出すと、そういうよそからは想像も出来ないようなすき間が動坂の家にあったからこそ伸子は、いつかその間にこぼれて伸びることもできた野生の芽として自分の少女時代を思い出すことができた。
伸子が十四五になって、自分の部屋がほしくなったとき、伸子はひとりで、玄関わきの五畳の茶室風の室がものおき同然になっていたのを片づけた。そしてそこに押しこんであった古い机を、小松の根に
すきだらけと乱脈とは、いまも動坂の家風の一つとしてのこっている。年月がたつうちに経済にゆとりが出来てきただけ、その乱脈やすきだらけが、むかしの無邪気さを失って、家族のめいめいのてんでんばらばらな感情や、物質の浪費としてあらわれて来ている。伸子は数千キロもはなれているモスク
の、雪のつもった冬の夜の長椅子から、確信をもって断言することが出来た。伸子がこのホテルのテーブルの上で、モスク
人がみんなそれをつかっている紫インクで、エハガキや時には手紙でかいてやる音信は、先ず多計代に封をきられ、いあわせたものたちに一通りよまれ、それから、なくなるといけないからね、と例のテーブルの下の箱にしまわれていることを。カステラ箱にしまわれた伸子の手紙はなくならないかもしれないけれども、ほんのしばらくたてば動坂の人たちは、もうすっかりそれについて、何が書かれているかさえ忘れてしまっているのだ。動坂の人たちは伸子なしで充分自足しているのだから――。伸子がいろいろの感情をもって打ちかえして見ている動坂のよせ書きの三頁めのところで、保が数行かいていた。ほそく、ペンから力をぬいて綿密に粒をそろえたノートのような字は、保のぽってりした上瞼のふくらみに似たまるみをもっている。これが、高等学校の最上級になろうとしている二十歳の青年の手紙だろうか。来年は大学に入ろうという――。保は、そのよせ書きの中で保だけまるで一人だけ別なインクとペンを使ったのかと思えるほど細い万遍なく力をぬいた字で、こうかいていた。「僕が東京高校へ入学したとき、お祝に何か僕のほしいものを買って下さるということでした。僕には何がほしいか、そのときわからなかった。こんど、僕は入学祝として本式にボイラーをたく温室を
動坂の家風は、すきだらけであったが、親に子供たちが何かしてもらったときとか、見せてもらったりしたときには、改まってきちんと、ありがとうございました、と礼を云わせられる習慣だった。言葉づかいも、目上のものにはけじめをつけて育ったから、二十歳になった保が、こしらえて頂いたという云いかたをするのは、そういう育ちかたがわれしらず反映しているとも云えた。しかし、保は小学生の時分から花の種を買うために僅の金を母からもらっても、収支をかきつけて残りをかえす性質だった。お母さまから頂いたお金三円、僕の買った種これこれ、いくらと細目を並べて。
伸子が、モスク
暮しの明け暮れの中で見て感じているソヴェト青年の二十歳の人生の内容からみると、たかだか高等学校に入ったというような事にたいして、温室をこしらえて頂いた、と書いている保の生活気分はあんまりおさなかった。高等学校に入ったということ、大学に入るということそれだけが、ひろい世の中をどんな波瀾をしのぎながら生きなければならないか分らない保自身にとって、どれだけ重大なことだというのだろう。多計代にとってこそ、それは、佐々家の将来にもかかわる事件のように思われるにちがいなかった。長男の和一郎は、多計代にやかましく云われて一高をうけたが、失敗すると、さっさと美術学校へ入ってしまった。多計代は明治時代の、学士ということが自分の結婚条件ともなった時代の感情で、息子が帝大を出ることの出来る高校に入ったということに絶大の意味と期待をかけているのだった。その感情からお祝いをあげようという多計代の気もちが、それなり、お祝いを頂く、という保の気もちとなっているところが伸子に苦しかった。辛辣にならないまでも、保は保の年齢の青年らしく、家庭においての自分の立場、自分の受けている愛情について、つっこんで考えないのだろうか。あんなに問題をもっているはずの保が、和一郎と妹のつや子の間にはさまって、
へ来てから保は二度たよりをよこしたが、二度ともみんなとの寄せ書きばかりだった。――ふと、伸子は、あり得ないようなことを推測した。多計代は、もしかしたら保が伸子に手紙をかくことを何かのかたちで抑えているのではないだろうか。姉さんに手紙を出すなら、わたしに一度みせてからにおし。対手が保であれば、多計代のそういう命令が守られる可能もある。伸子が動坂の家へ遊びに行って、保と二人きりですこしゆっくり話しこんでさえ多計代は、その話の内容を保から話させずにいられないほど、自分の
伸子は膝の上からつくろいものをどけて、ちゃんと長椅子にかけなおした。そして日本からもって来ている半ペラの原稿用紙をテーブルの上においた。
「みなさんのよせがきをありがとう。今度はこの手紙を、とくべつ、保さんだけにあててかきます。わたしたちは、いつもみんなと一緒にばかり喋っていて、ちっとも二人だけの話をしないわね。なぜでしょう? 保さんのところには、わたしに話してきかせてくれたいような話が一つもないの? まさかそうとは思われません。姉と弟とが別々の国に暮していて、お互にどんなに本気で生活しているかということを知らせ合うのはあたりまえだし、いいことだと思います。もし保さんの方に、それをさまたげているものがあるとすればそれは何でしょう」
伸子は、こう書いている一行一行が多計代の目でよまれることを予期していた。
「わたしの筆不精がその原因かしら」
温室の出来たことを保がよろこんでいる気持は、伸子にも思いやられた。フレームでやれることはもうしてしまったと云って、伸子がモスク
へ立って来る年の春から夏にかけて、保は勉強机の上でシクラメンの水栽培しかしていなかった。温室がもてた保のうれしさは、心から同感された。しかしそれを高校入学祝として、こしらえて頂いた、という範囲でだけうけとって、自分の青年らしい様々の問題に連関させていないような保の気持が伸子には不安で、もどかしいのだった。伸子から云えば、保にはもっと率直な気むずかしさがあっていいとさえ思えた。そのことを伸子は感じているとおりにかいた。「保さんの健康と能力と家庭の条件をもっているひとなら、高校に入るのは、むしろあたりまえでしょう。親はどこの親でも、親としての様々の動機をもってそれをよろこび、よろこびを誇張します。けれども、その親たちは、自分の息子が高校に入れたというよろこびにつけて、ほんとにただ金がないというだけの理由で、中学にさえ入れない子供たちが日本じゅうにどれだけいるか分らないということを、思いやっているでしょうか。
保さんの東京高校というところは、たった一人の貧しい学生もいないほど金持の坊ちゃんぞろいの学校なの? もしそうだとすれば、こわいことだし、軽蔑すべきことだわ。そこで育っている学生たちは、自分たちだけに満足して、世の中にどっさり存在している不幸について、想像力をはたらかすことさえ知らないのでしょうか」
書いている自分の肱で、
「保さんのこしらえて頂いた温室というのがいくらかかったかは知らないけれども、それは少くとも、貧しい高校生の一年分の月謝よりどっさり費用がかかっているでしょう。保さんはそのことを考えてみたでしょうか。そして、公平に云えば、それだけの金がないばかりに、保さんよりもっと才能もあり人類に役に立つ青年が泥まびれで働いているかもしれないということを考えてみたでしょうか。こういういろんなことを、保さんは考えてみて? 想像の力のない人間は、思いやりも同情もまして人間に対する愛などもてようもありません」
保に向ってかいているうちに、みんなが
「保さん、あなたこそ青春の誇りをもたなければいけないわ。自分のもてるよろこびをたっぷり味うと一緒に、それが、この社会でどういう意味をもっているかということは、はっきり知っているべきです。いただくものは、無条件に頂くなんて卑屈よ。持つべきものは、主張しても持たなければならないし、持つべきでないものは、下すったって、頂いたって、持つべきではないと思います」
伸子の感情の面に、モスク
第一大学の光景がいきいきと浮んできた。冬日に雪の輝いている通りを大学に向って行くと、雪を頂いた円形大講堂の黄色い外壁が聳えている。その外壁の上のところを帯のようにかこんで、書かれている字はラテン語でもなければ、聖書の文句でもなかった。「すべての働くものに学問を」モスク
第一大学の黄色い円形講堂の外壁にきょうかかれているのは、その文字だった。「保さん、この簡単なことばのふくんでいる意味はどれほどの大さでしょう。この四つの言葉は、この国で人間と学問との関係が、はじめてあるべきようにおきかえられたという事実を示しています。人間も、学問をすべてのひとの幸福のために扱うところまで進歩して来たという事実を語っています。わたしは、きのうもそれを見て来たばかりなのよ。そして、この古いモスク
大学の壁にその字がかかれたときのことを思って、美しさと歓喜との波にうたれるようでした。そしてね保さん。ソヴェトの青年は、この文字を頂いたのではなかったのよ。自分たちで自分たちのものとしたのよ」はるかに海をへだたっている保のところまで、
「わたしたちは、人間として生きてゆく上に、美しいことに感動する心を大切にしなければならないと思います。美しさに感動して、そのために勇気あるものにもなれるように。保さんはそう思わない? 花つくりの美しさは、それをうちの温室で咲かせてみせる、という主我的な心持にはなくて、あの見ばえのしない種一粒にこもっているすべての生命の美しさを導き出して来る、その美しさにあるんですもの」
保むけのその綱が多計代の目の前に音をたてておちることをはばからないこころもちで伸子は手紙を書き終った。
厚いその手紙のたたみめがふくらみすぎていて封筒がやぶれた。おもしをかってから封することにして、伸子は四つ折にした手紙の上へ本や字引をつみかさねた。
丁度そのとき、素子が勉強をひとくぎりして、椅子を動かした。
「あああ!」
部屋着の背中をのばすように二つの腕を左右にひろげて、素子は断髪のぼんのくぼを椅子の背に押しつけた。
「ぶこちゃん、どうした。いやにひっそりしてたじゃないか」
「――手紙かいてたから……」
「そう言えば、そろそろわたしもおやじさんに書かなくちゃ」
きょう大使館からとって来た日本からの郵便物の中には素子あての二三通もあった。うまそうにタバコをふかしながら素子は、
「きみんところなんか、まだ書いても話の通じる対手がいるんだから張り合いもあるけれど、わたしんところは、結局何を書いたって猫に小判なんだから」
と云った。
「いきおいとおり一遍になっちまって……どうも――」
京都で生れて、京都の商人で生涯をおくっている素子の父親やその一家は、素子を一族中の思いがけない変りだねとして扱っていた。まして、素子を生んだ母が死んだあと、公然と妻となったそのひとの妹である現在の主婦は、素子の感情のなかで決して自然なものとして認められていなかった。むずかしい自分の立場の意識から、そのひとは素子に対しても義理ある長女としての取りあつかいに疎漏ないようにつとめたあとは、一切かかわらない風だった。モスク
へ来ても、素子は父親にあててだけ手紙をかいていた。保への手紙をかき終ったばかりで亢奮ののこっている伸子は、
「一度でいいから、ほんとに一字一字わたしに話してくれている、と思えるような手紙を母からもらってみたいわ」
と云った。
「母の手紙ったら、あいてがよめてもよめなくってもそんなことにはおかまいなしなんだもの……」
「――」
素子は、そういう伸子の顔を見て賢そうで皮肉ないつもの片頬の笑いをちらりと浮べた。そう云えば、父の泰造には、母のあのするする文字がみんなよめたのかしら、と伸子は思った。昔、泰造がロンドンに行っていた足かけ五年の間に、まだその頃三十歳にかかる年ごろだった多計代は、
伸子は、いま自分が遠く日本をはなれて来ていて、モスク
の生活感情そのもののなかで、故国からの手紙をよむ気持を思いあわせると、泰造ばかりでなく、すべての外国暮しをしているものが、その外国生活の雰囲気のなかにうけとる故国からのたよりを、一種独特の安心と同じ程度の気重さで感じるのがわかるようだった。「母の手紙がつくと、父はそれをいきなりポケットにしまいこんで、やがてきっと、ひとのいないところへ立って行ったんだって――。それをね、話すひとは、いつも父の御愛妻ぶり、というように云っていたけれど――こうやって、自分がこっちへ来てみると、なんだかそんな単純なものと思えないわ、ねえ」
「じゃ、なんなのさ」
「――わたしたちはここで自分で手紙をとりに行って、そしてもって来るでしょう? だけれど、いきなり、はい、日本からのおたよりと云ってここへくばられて来たら、わたし、やっぱり何かショックがあると思うわ」
まして、泰造がロンドン暮しをしていた明治の末期、日本にのこされた妻子のとぼしい生活とロンドンの泰造の、きりつめながらもその都会としての色彩につつまれた生活との間には、あんまりひらきがありすぎた。
「モスク
だよりじゃ、たべもののことはいくら書いても決して恨まれっこないだけ安心ね」伸子は笑って云いながら、可哀そうな一つのことを思い出した。やっぱり泰造がロンドンにいた間のことだった。あるとき、多計代が座敷のまんなかに坐って泣きながら、お父様って何て残酷なひとだろう! とおかっぱにつけ
ずっと伸子が成長してからも、そのハガキの文句のことで、父と母とが諍っていたのを覚えていた。泰造は、ほんとにみんなが気の毒だと思ってそれを書いた、と弁明した。その時代の伸子は、母のあのときの憤りが、決してひな鳥のむしやき一皿にだけ向けられていたのではないことを諒解した。そういう御馳走。
「漱石だって、かいたものでよめば、外国暮しでは、別な意味で随分両方苦しんでいるわね。奥さんにしろ」
自分がいま保にかいたばかりの手紙を思い、その文面にものぞき出ているような動坂の家の生活とここの自分の生活との間にある裂けめの深さを伸子は、計るようなまなざしになった。
モスク
に暮しているものとしての伸子の心へ、角度を新しくして映る日本の生活一般、または動坂の暮しぶりに対して、自分の云い分を伸子は割合はっきりつかむことが出来た。しかし、モスク
にいる伸子のそういう云い分に対して、佐々のうちのものや友人たちが、変らないそれぞれの環境のなかにあって、どういううけとりかたをするか。そのことについて、伸子はほとんど顧慮していなかった。伸子は、モスク
の時々刻々を愛し、沸騰し停滞することをしらない生活の感銘一つ一つを貪慾に自分の収穫としてうけいれていた。伸子がウメ子のような友人にかくハガキの文体でも、モスク
へ来てからは少しずつかわっていた。伸子としてはそれが自然そうなって来ているために心づかなかった。――わたしの住んでいるホテル・パッサージの壁紙もない室の窓は、トゥウェルスカヤ通りに面しています。そう書けば、伸子は、その窓の下に見えていて
の蒼い月光が、ひとつ光の下に照したこの著しい対照のうちにおのずから語られている今日のロシアの意志に冷淡でいられなかった。同時に、これらすべての上に、毎夜十二時、クレムリンの時計台からうちならされるインターナショナルのメロディーが流れ、その歌のふしが、屋根屋根をこえて伸子の住んでいるホテルの二重窓のガラスにもつたわって来ることについて、だまっていられなかった。雪に覆われたモスク
の軒々に、朝日がてり出すと、馬の多い町にふさわしくふとったモスク
の寒雀がそこへ並んでとまって、伸子のかくたよりに現れる生活の描写は、こうして段々即物的になり、テンポが加わり、モスク
の社会生活の圧縮された象徴のようになりつつあった。きょうの手紙にもあったようにウメ子が校正ののこりをひきうけてくれて、そろそろ本になろうとしている長い小説を、伸子は、ごくリアリスティックな筆致でかきとおした。それがいつとはなし、即物的になり、印象から印象へ飛躍したテムポで貫かれるような文章になって来ていることは、モスク
へ来てからの伸子の精神の変化してゆく状態をあらわすことだった。それはモスク
という都会の生活について、そこでの社会主義への前進について、伸子が深い現実を知った結果からだったろうか。それとも、ここで見られる歴史の現実も、伸子にとっては新鮮に感覚に訴えて来る範囲でしか、把握出来なかったからの結果だろうか。伸子はそういう点一切を自覚していなかった。日々を生きている伸子の感興は、耳目にふれる雑多な印象と心におこるその反響との間をただ活溌にゆきかいしているばかりだった。
しばらくだまって休んでいた素子が何心なく腕時計を見て、
「ぶこちゃん、また忘れてる! だめだよ」
と、あわてて、とがめるような声をだした。
「なにを?」
ぼんやりした顔で伸子がききかえした。
「室代――」
「ほんと!」
「きのうだって到頭忘れちゃったじゃないか。――すぐ行ってきなさい、よ!」
伸子は、テーブルをずらして、日本から来た新聞の山の間に赤いロシア皮で拵らえられた自分の財布をさがした。ホテルの室代を、毎日夜十時までに支払わなければならないきめになっていた。伸子たちはよくそれを忘れて、二日分ためた。ほんとうは、いくらか罰金がつくらしかったけれども、素子や伸子がホテルの二階にある事務室へ入って行って、忘れてしまって、と二日分の金を出すとき、罰金はとられたことがなかった。長椅子から立って来るとき、伸子は、テーブルのわきに落してしまっていたのを知らずに、
「あら!」
いそいでひろいあげて、伸子は
「かあいそうに――」
針さしをテーブルの上へおき、ベッドから紫の羽織をとって袖をとおしながら伸子は室を出た。
七
三四日たった或る日の午後のことであった。伸子が、網袋にイクラと塩づけ胡瓜とリンゴを入れて、ゆっくりホテルの階段をのぼって来るところへ、上から内海厚が、上衣のポケットへ両手をさしこんだまま体の重心を踵にかけて、暇なようないそいでいるような曖昧な様子で降りて来た。
「や、かえられましたか。実はね、部屋へお訪ねしたところなんです」
「吉見さん、いませんでしたか?」
「居られました、居られました」
内海は、相変らず十九世紀のロシアの進歩的大学生とでもいうような感じの顔をうなずけた。
「吉見さんには話して来ましたがね。実はね、ポリニャークがぜひ今夜あなたがたお二人に来て頂きたいっていうんです」
革命後作品を発表しはじめているボリス・ポリニャークは、ロシアプロレタリア作家同盟に属していて、活動中の作家だった。
「こんや?――急なのねえ」
「なに、急でもないんでしょう」
そのとき、また下から登って来た人のために内海は手摺の方へ体をよけながら、すこし声を低めた。
「この間っから、たのまれていたことだったんでしょうがね」
二三年前ポリニャークが日本へ来た時、無産派の芸術家として接待者の一人であった秋山宇一は、モスク
へ来てからも比較的しげしげ彼と交際があるらしかった。その間に、いつからか出ていた伸子たちをよぶという話を秋山宇一は、さしせまったきょうまで黙っていたというわけらしかった。伸子は、「吉見さんはどうするって云っていました?」
ときいた。伸子としては、行っても、行かなくてもいい気持だった。ポリニャークは日本へも来たことがあるというだけで、作家として是非会いたい人でもなかった。
「吉見さんは行かれるつもりらしいですよ、あなたが外出して居られたから、はっきりした返事はきけなかったですが――つまりあなたがどうされるか、はね」
「すみませんが、じゃ、一寸いっしょに戻って下さる?」
「いいですとも!」
伸子は、室へ入ると買いものの網袋をテーブルの上へおいたまま、外套をぬぎながら、素子に、
「ポリニャークのところへ行くんだって?」
ときいた。
「ぶこちゃんはどうする?」
こういうときいつも伸子は、行きましょう、行きましょうよと、とび立つ返事をすることが、すくなかった。
「わたしは、消極的よ」
すると内海が、そのパラリと離れてついている眉をよせるようにして、
「それじゃ困るんです。今夜は是非来て下さい」
たのむように云った。
「どうも工合がわるいんだ――下へ、アレクサンドロフが来て待ってるんですよ」
「そのことで?」
びっくりして伸子がきいた。
「そうなんです。秋山氏があんまり要領得ないもんだから、先生到頭しびれをきらしてアレクサンドロフをよこしたんでしょう」
アレクサンドロフも作家で、いつかの日本文学の夕べに出席していた。
「まあいいさ、ポリニャークのところへもいっぺん行ってみるさ」
そういう素子に向って内海は、
「じゃ、たのみます」
念を入れるように、力をいれて二度ほど手をふった。
「五時になったら下まで来て下さい。じゃ」
そして、こんどは、本当にいそいで出て行った。
「――急に云って来たって仕様がないじゃないか――丁度うちにいる日だったからいいようなものの……」
そう云うものの、素子は時間が来ると、案外面倒くさがらずよく似合う
「ぶこちゃん、なにきてゆくんだい」
「例のとおりよ――いけない?」
「結構さ」
鏡の前に立って、白い胸飾りのついた紺のワンピースの腕をあげ、ほそい真珠のネックレースを頸のうしろでとめている伸子を見ながら、素子は、ついこの間気に入って買った皮外套に揃いの帽子をかぶり、まだすっていたタバコを灰皿の上でもみ消した。
「さあ、出かけよう」
二階の秋山宇一のところへおりた。
「いまからだと、丁度いいでしょう」
小型のアストラハン帽を頭へのせながら秋山もすぐ立って、四人は狩人広場から、郊外へ向うバスに乗った。街燈が雪道と大きい建物を明るく浮上らせ、人通りの多い劇場広場の前をつっきって、つとめがえりの乗客を満載したその大型バスが、なじみのすくない
「まだなかなかですか?」
「ええ相当ありますね――大丈夫ですか」
伸子と秋山宇一、内海と素子と前後二列になって、座席の角についている
のバスは運転手台のよこから乗って、順ぐり奥へつめ、バスの最後尾に降り口の畳戸がついていた。いくらかずつ降りる乗客につづいて、伸子たち四人も一足ずつうしろのドアに近づいた。「あなたがた来られてよかったですよ」
秋山宇一が、白いものの混った髭を、手袋の手で撫でるようにしながら云った。
「大した熱心でしてね、今夜、あなたがたをつれて来なければ、友情を信じない、なんて云われましてね――どうも……」
今夜までのいきさつをきいていない伸子としては、だまっているしかなかった。もっとも、日本文学の夕べのときも、ポリニャークはくりかえし、伸子たちに遊びに来るように、とすすめてはいたけれども。――
とある停留場でバスがとまったとき内海は、
「この次でおりましょう」
と秋山に注意した。
「――もう一つさきじゃなかったですか」
秋山は窓から外を覗きたそうにした。が、八分どおり満員のバスの明るい窓ガラスはみんな白く凍っていた。
乗客たちの防寒靴の底についた雪が次々とその上に踏みかためられて、滑りやすい氷のステップのようになっているバスの降口から、伸子は気をつけて雪の深い停留場に降り立った。バスがそのまま赤いテイル・ランプを見せて駛り去ったあと、アーク燈の光りをうけてぼんやりと見えているそのあたりは、モスク
郊外の林間公園らしい眺めだった。枝々に雪のつもった黒い木の茂みに沿って、伸子たちが歩いてゆく歩道に市中よりずっと深い雪がある。歩道の奥はロシア風の柵をめぐらした家々があった。「この辺はみんな昔の
雪の深い歩道を右側によこぎって、伸子たちは一つの低い木の門を入って行った。ロシア式に丸太を積み上げたつくりの平屋の玄関が、軒燈のない暗やみのなかに
内海が来馴れた者らしい風で、どこか見えないところについている呼鈴を鳴らした。重い大股の靴音がきこえ、やがて防寒のため二重にしめられている扉があいた。
「あ――秋山サン!」
出て来たのはポリニャーク自身だった。すぐわきに立っている伸子や素子の姿を認め、
「到頭、来てくれましたね、サア、ドーゾ」
サア、ドーゾと日本語で云って、四人を内廊下へ案内した。ひる間、ホテル・パッサージへよったというアレクサンドロフも奥から出て来て、女たちが外套をぬぎ、マフラーをとるのを手つだった。
かなりひろい奥の部屋に賑やかなテーブルの仕度がしてあった。はいってゆく伸子たちに向って愛想よくほほ笑みながら、ほっそりとした、眼の碧い、ひどく娘がたの夫人がそのテーブルの自分の席に立って待っている。
「おめにかかれてうれしゅうございます」
伸子たちがその夫人と挨拶をする間も、ポリニャークは陽気な気ぜわしさで、
「もういいです、いいです、こちらへおかけなさい」
と、秋山を夫人の右手に、伸子を自分の右手に腰かけさせた。そして、早速、
「外からこごえて入って来たときは、何よりもさきに先ずこれを一杯! 悧巧も馬鹿もそれからのこと」
そう云って、テーブルの上に出されているウォツカをみんなの前の杯についだ。
「お互の健康を祝して」
素子も、杯のふちを唇にあてて投げこむような勢のいいウォツカののみかたで、半分ほどあけた。伸子は、夫人に向って杯をあげ、
「あなたの御健康を!」
と云い、ほんのちょっと酒に唇をふれただけでそれを下においた。
「ナゼデス? サッサさん。ダメ! ダメ!」
ポリニャークは、伸子が杯をあけないのを見とがめた。
「内海さん、彼女に云って下さい」
よその家へ来て、最初の一杯もあけないのは、ロシアの礼儀では、信じられない無礼だというのだった。
「わかりましたか? サッサさん、ドゾ!」
伸子は、こまった。
「内海さん、よく説明して頂戴よ。わたしは生れつきほんとにお酒がのめないたちなんだからって――でも、十分陽気にはなれますから安心して下さいって……」
内海がそれをつたえると、ポリニャークは、
「残念なことだ」
ほんとに残念そうに赫っぽい髪がポヤポヤ生えた大きい頭をふった。そのいきさつをほほ笑みながら見ていた夫人が伸子たちにむかって、
「わたしもお酒はよわいんです」
と云った。
「でもレモンを入れたのは、軽いですよ。いい匂いがするでしょう?」
そう云われてみると、そのテーブルの上には同じ様に透明なウォツカのガラス瓶が幾本もあるなかに、レモンの黄色い皮を刻みこんだのが二本あって、伸子たちの分はその瓶からつがれたのだった。
素子は気持よさそうに温い顔色になって、
「ウォツカもこうしてレモンを入れると、なかなか口当りがいい」
のこりの半分も遂にあけた。
「ブラボー! ブラボー!」
ポリニャークが賞讚して、素子の杯を新しくみたした。
「ごらんなさい。あなたのお友達は勇敢ですよ」
「仕方がないわ。わたしは駄目なんです」
だめなんです、というところを、伸子は自分の使えるロシア語でヤー、ニェマグウと云った。ポリニャークは面白そうに伸子の柔かな発音をくりかえして、
「わたしはだめですか」
と云った。それは角のある片仮名で書かれた音ではなく平仮名で、やあ にぇまぐう とでも書いたように柔軟に響いた。伸子自身は、しっかり発音したつもりなのに、みんなの耳には、全く外国風に柔かくきこえるらしかった。主人と同じように大きい体つきで、灰色がかって赫っぽい軽い髪をポヤポヤさせている真面目なアレクサンドロフも、伸子を見て、笑いながら好意的にうなずいた。
やがて日本とロシアと、どっちが酒の美味い国だろうかというような話になった。つづいて酒のさかなについて、議論がはじまった。この室へ入るなり酒をすすめられつづけた困難から解放されて、伸子は、はじめてくつろぐことが出来た。ペチカに暖められているその部屋は、いかにもまだ新しいロシアの家らしく、チャンの匂いがしていた。床もむき出しの板で、壁紙のない壁に、ちょいちょいした飾りものや絵がかけられている。室はポリニャーク自身の大柄で無頓着めいたところと共通した、おおざっぱな感じだった。自分なりの生活を追っている、そういう人の住居らしかった。
ポリニャークは、同じようなおおざっぱさで、細君との間もはこんでいるらしかった。モスク
小劇場の娘役女優である細君は、ブロンドの捲毛をこめかみに垂れ、自分だけの世界をもっているように、しずかにそこにほほ笑んでいる。薄色の服をつけたポリニャーク夫婦の感じは、伸子が語学の稽古に通っているマリア・グレゴーリエヴナの生活雰囲気とまるでちがっていた。マリア・グレゴーリエヴナの二つの頬っぺたは、びっくりするような最低音でものをいう背の高いノヴァミルスキーの頬っぺたと同様に、厳冬のつよい外気にやけて赤くなって居り、丸っこい鼻のさきの光りかたも夫婦は互に似ていた。二人はそれぞれ二人で働き、二人でとった金を出しあわせて、赤ビロードのすれた家具のおいてある家での生活を営んでいる。
野生の生活力にみち、その体から溢れる文学上の才能をたのしんでいるポリニャークは、自分の快適をみださない限り、女優である細君が家庭でまで娘役をポーズしているということに、どんな女としての心理があるかなどと、考えてないらしかった。
一座の話題は、酒の話から芝居の評判に移って行った。
大阪の人形芝居のすきな素子が、
「大阪へ行ったとき、人形芝居を観ましたか」
とポリニャークにきいた。
「観ました。あの人形芝居は面白かった」
ポリニャークは、それを見たこともきいたこともない夫人とアレクサンドロフに説明してきかせた。
「舞台の上にまた小舞台があって、そこがオーケストラ席になっている。サミセンと唄とがそこで奏されて、人形が芝居をするんだ」
「外国の人形芝居は、あやつりも指使いの人形も、人の姿は観客からかくして演じるでしょう」
素子は、ロシア語でそう云って、
「そうですね」
と日本語で秋山宇一に念を押した。
「そうです、こわいろだけきかせてね」
「あなた気がつきましたか?」
またロシア語にもどって素子が云った。
「日本の人形芝居は、タユー(太夫)とよばれる人形使いが、舞台へ人形と一緒に現れます。あやつられる人形とあやつる太夫とが全く一つリズムのなかにとけこんで、互が互の生き生きした一部分になります。あの面白さは、独創的です」
「そう、そう、ほんとにそうだった。ヨシミさん、演芸通なんですね」
興味を示して、テーブルの上にくみ合わせた両腕をおいてきいている細君の方へ目顔をしながらポリニャークが云った。
「しかし、ノウ(能)というものは、僕たちには薄気味が悪かった」
「ノウって、どういうものかい?」
アレクサンドロフが珍しそうにきいた。
「見給え、こういうものさ」
酒のまわり始めたポリニャークは、テーブルに向ってかけている椅子の上で胸をはって上体を立て、顎をカラーの上にひきつけて、正面をにらみ、腕をそろそろと大きい曲線でもち上げながら、
「ウーウ、ウウウウヽヽヽヽ」
と、どこやら謡曲らしくなくもない太い呻声を発した。その様子をまばたきもしないで見守っていたアレクサンドロフが、暫く考えたあげく絶望したように、
「わからないね」
と云った。
「僕にだってわかりゃしないさ」
みんなが大笑いした。
「可哀そうに! 日本人だってノウがすきだというのは特殊な人々だって、話してお上げなさいよ」
伸子が笑いながら云った。
「限られた古典趣味なんだもの」
「何ておっしゃるんです?」
ポリニャークが伸子をのぞきこんだ。
「内海さんがあなたにおつたえします」
話がわかると、
「それでよし!」
とアレクサンドロフをかえりみて、
「これで、われわれが、『野蛮なロシアの熊』ではないという証明がされたよ。さあ、そのお祝に一杯!」
みんなの杯にまた新しい一杯がなみなみとつがれた。そして、
「幸福なるノウの安らかな眠りのために!」
と乾杯した。伸子は、また、
「わたしはだめです」
をくりかえさなければならない羽目になった。ポリニャークは、
「やあ にぇ まぐう」
と、鳥が喉でもならすような響で、伸子の真似をした。そして、立てつづけに二杯ウォツカを口の中へなげ込んで、
「自分の国のものでもわれわれにはわからないものがあるのと、同じことさ」
タバコの煙をはき出した。
「たとえば、ム・ハ・ト(モスク
芸術座)でやっている『トルビーン家の日々』あれはもう三シーズンもつづけて上演している。どこがそんなに面白いのか? 僕にはわからない」「ム・ハ・トの観客は、伝統をもっていて特にああいうものがすきなんだ」
アレクサンドロフが穏和に説明した。
「そりゃ誰でもそう云っているよ。しかし、僕にはちっとも面白くない。それだから僕がソヴェト魂をもっていないとでも云うのかい?――アキヤマさん」
ウォツカの瓶とともに、ポリニャークは秋山にむいて云った。
「あなたは『トルビーン家の日々』を面白いと思いますか?」
「あれは、むずかしい劇です」
それだけロシア語で云って、あとは内海厚につたえさせた。
「特に外国人にはむずかしい劇です。心理的な題材ですからね。
一九一七年の革命の当時、元貴族や富裕なインテリゲンツィアだった家庭に、たくさんの悲劇がおこった。一つの家庭のなかで年よりは反革命的にばかりものを考え行動するし、若い人々は革命的にならずにいられないために。或る家庭では、またその正反対がおこったために。「トルビーン家の日々」は、革命のうちに旧い富裕階級の家庭が刻々と崩壊してゆかなければならない苦しい歴史的な日々をテーマとしていた。科白がわからないながら、伸子は、雰囲気の濃い舞台の上に展開される時代の急速なうつりかわりと、それにとり残されながら自分たちの旧い社交的習慣に恋着して、あたじけなくみみっちく、その今はもうあり得ない華麗の色あせたきれっぱじにしがみついている人々の姿を、印象づよく観た。
「サッサさん、どうでした? あの芝居は気にいりますか?」
「いまのソヴェトには、『装甲列車』の登場人物のような経験をもっている人々もいるし、『トルビーン家の日々』を経験した人々も、いるでしょう? わたしは、つよくそういう印象をうけました。そして、あれは決してロシアにだけおこることじゃないでしょう。――吉見さん、そう話してあげてよ」
「いやに、手がこんでるんだなあ」
ウォツカの数杯で、気持よく顔を染めている素子が、そのせいで舌がなめらからしく、ほとんど伸子が云ったとおりをロシア語でつたえた。
「サッサさん、あなたは非常に賢明に答えられました」
半ば本気で、しかしどこやら皮肉の感じられる調子でポリニャークが、かるく伸子に向って頭を下げた。
「僕は、あなたの理解力と、あなたの馬鹿馬鹿しいウォツカぎらいの肝臓に乾杯します」
舞台の時間が来てポリニャーク夫人が席を去ってから、ポリニャークが杯をあける速力は目立ってはやくなった。
秋山宇一は額まで赫くなった顔を小さい手でなでるようにしながら、
「ロシアの人は酒につよいですね」
頭をひとりうなずかせながら、すこし鼻にかかるようになった声で云った。
「寒い国の人は、みんなそうですがね」
「空気が乾燥しているから、これだけのめるんですよ」
やっぱり大してのめない内海厚が、テーブルの上に置いたままあったウォツカの杯をとりあげて、試験管でもしらべるように、電燈の光にすかして眺めた。それに目をとめてアレクサンドロフが、
「内海さん、ウォツカの実験をする一番適切な方法はね、視ることじゃないんです、こうするんです」
唇にあてた杯と一緒に頭をうしろにふるようにして自分の杯をのみほした。
「日本の酒は、
「啜ろうと、仰ごうと、一般に酒は苦手でね」
内海が、もう酒の席にはいくぶんげんなりしたように云った。
「日本の神々のなかには、大方バッカスはいないんだろうよ。あわれなことさ!」
伸子はハンカチーフがほしくなった。カフスの中にもハンド・バッグの中にもはいっていない。そう云えば、出がけにいそいで外套のポケットへつっこんで来たのを思い出した。伸子は席を立って、なか廊下を玄関の外套かけの方へ行った。そして、ハンカチーフを見つけ出して、カフスのなかへしまい、スナップをとめながらまたもとの室へ戻ろうとしているところへ、むこうからポリニャークが来かかった。あまりひろくもない廊下の左側によけて通りすがろうとする伸子の行手に、かえってそっち側へ寄って来たポリニャークが突立った。
偶然、ぶつかりそうになったのだと思って伸子は、
「ごめんなさい」
そう云いながら、目の前につったったポリニャークの反対側にすりぬけようとした。
「ニーチェヴォ」
という低い声がした。と思うと、どっちがどう動いたはずみをとらえられたのか、伸子の体がひと
あんまり思いがけなくて、体ごと床から掬いあげられた瞬間伸子は分別が消えた。
「おろして!」
思わず英語で低く叫ぶように伸子は云った。
「おろして!」
背が高くて力のつよいポリニャークの腕の上から、伸子がいくら足に力をこめてずり落ちようとしても、それは無駄であった。伸子は、左手でポリニャークの胸をつきながら、
「声を出すから!(ヤー、クリチュー!)」
と云った。ほんとに伸子は、秋山と吉見を呼ぼうと思った。
「ニーチェヴォ……」
ポリニャークは、またそう云って、その室の中央にある大きいデスクに自分の背をもたせるようにして立ちどまった。そこで伸子を床の上におろした。けれども、伸子の左腕をきつくとらえて、酔っている間のびのした動作で、伸子の顔へ自分の大きな赧い顔を近づけようとした。伸子は、逃げようとした。左腕が一層つよくつかまれた。顔がふれて来ようとするのを完全に防ぐには、背の低い伸子が、体をはなさず却ってポリニャークに密着してしまうほかなかった。くっつけば、背の低い伸子の顔は、丁度大男のポリニャークのチョッキのボタンのところに伏さって、いくら顔だけかがめて来ようとも、伸子の顔には届きようがないのだった。
伸子の右手は自由だった。ザラザラする羅紗のチョッキの上にぴったり顔を押しつけて、伸子は自由な右手を、ぐるっとポリニャークの腕の下からうしろにまわし、デスクの方をさぐった。何か手にふれたら、それを床にぶっつけて物音を立てようと思った。
そこへ、廊下に靴音がした。あけ放されているドアから、室内のこの光景を見まいとしても見ずにその廊下を通ることは出来ない。
伸子は、ポリニャークのチョッキに伏せている眼の隅から赫毛のアレクサンドロフが敷居のところに立って、こちらを見ている姿を認めた。伸子は、デスクの方へのばしていた手で、はげしく、来てくれ、という合図をくりかえした。一足二足は判断にまよっているような足どりで、それから、急につかつかとアレクサンドロフが近づいて、
「ボリス! やめ給え。よくない!」
ポリニャークの肩へ手をかけおさえながら、伸子にそこをはなれる機会を与えた。
伸子は白々とした気分で、テーブルの出ている方の室へ戻って来た。いちどきに三人もの人間が席をたって、はぬけのようになっているテーブルに、ザクースカのたべのこりや、よごれた皿、ナイフ、フォークなどが乱雑に目立った。ポリニャークの席にウォツカの杯が倒れていて、テーブル・クローズに大きい酒のしみができている。秋山宇一と内海厚は気楽な姿勢で椅子の背にもたれこんでいる。反対に、素子がすこし軟かくなった体をテーブルへもたせかけるように深く肱をついてタバコをふかしている。伸子がまたその室へ入って行って席についたとき、素子のタバコの先から長くなった灰が崩れてテーブル・クローズの上に落ちた。
「――どうした? ぶこちゃん」
ちょっと気にした調子で素子がテーブルの向い側から声をかけた。
「気分でもわるくなったんじゃない?」
伸子は、いくらか顔色のよくなくなった自分を感じながら、
「大丈夫……」
と云った。そして、ポリニャークに掬い上げられたとき少し乱れた断髪を耳のうしろへかきあげた。
程なく、ポリニャークとアレクサンドロフが前後して席へもどって来た。
「さて、そろそろ暖い皿に移るとしましょうか」
酔ってはいても、格別変ったところのない主人役の口調で云いながら、伸子の方は見ないでポリニャークは椅子をテーブルにひきよせた。テーブルの角をまわってポリニャークの右手にかけている伸子は、部屋へ戻って来たときから、自然椅子を遠のけ気味にひいているのだった。
「われらの食欲のために!」
最後の杯があけられた。アレクサンドロフが伸子にだけその意味がわかる親和の表情で、彼女に向って杯をあげた。ポリニャークは陽気なお喋りをやめ、新しく運びこまれたあついスープをたべている。食事の間には主にアレクサンドロフが口をきいた。部屋の雰囲気は、こうして後半になってから、微妙に変化した。しかし、少しずつ酔って、その酔に気もちよく身をまかせている秋山宇一や内海厚、素子さえも、その雰囲気の変化にはとりたてて気づかない風だった。
伸子たち四人が、ポリニャークのところから出て、また雪の深い停留場からバスにのったのは、十一時すぎだった。市中の劇場がはねた時刻で、郊外へ向うすべての交通機関は混み合うが、市の外廓から中心へ向うバスはどれもすいていた。伸子たち四人は、ばらばらに座席を見つけてかけた。秋山も素子も、バスのなかの暖かさと、凍った雪の夜道を駛ってゆく車体の単調な動揺とで軽い酔いから睡気を誘われたらしく、気持よさそうにうつらうつらしはじめた。伸子がかけている座席のよこの白く凍った窓ガラスに乗客の誰かが丹念に息をふきかけ、厚く凍りついた氷をとかしてこしらえた覗き穴がまるく小さくあいていた。その穴に顔をよせて外をのぞいていると、蒼白くアーク燈にてらし出されている並木の雪のつもった枝だの灯のついた大きい建物だのが、目の前を
を眺めた。断片的なそとの景色につれて、伸子の心にも、いろいろな思いが断片的に湧いて消えた。ポリニャークにいきなり体ごと高く掬い上げられ、その刹那意識の流れが中断されたようだった変な感じが、まだ伸子の感覚にのこっていた。ポリニャークは、どうしてあんなことをしたのだろう。自分も何か用事で廊下へ出て来た拍子に、小さい伸子が来かかるのを見て、ひょいと掬い上げたというのならば、そうするポリニャークに陽気ないたずらっ子の笑いがあったはずだし、伸子も、びっくりした次には笑い出す気分がうつったはずだった。ポリニャークのポヤポヤ髪をもった大きい赤い顔には、ひとつもそういうあけっぱなしの陽気さや笑いはなかった。伸子が本能的に体をこわばらして抵抗する、そういう感じがあった。男が女に何かの感情をつたえる方法としてならば、あんまり粗野だった。ポリニャークが育ったロシアの農村の若衆たちに、ああいう習慣でもあるのだろうか。また女優である細君の楽屋仲間をよんだりすると、酔った男優女優は、主人のポリニャークもこめてああいう騒ぎをやるのかもしれない。
伸子は、客に行ったさきであんな風に掬い上げられたことは不愉快だった。自分の態度のどこかに、すきがあったと思われた。伸子は、「やあ にぇ まぐう」を思い出した。柔かくすべっこくされた日本の女のロシア語が、酔った男の感覚にどう作用するかというようなことを、伸子は今になって、考えて、はじめて推測できた。伸子は、屈辱の感じで思わず凍った窓ののぞき穴から顔をそむけた。
モスク
へ来てたった二週間しか経たなかったとき、伸子は鉄工組合の労働者クラブの集会へ行った。にわかに演壇に立たされて、困りながら伸子は、自分がたった二週間前に日本から来たばかりなこと、ロシア語が話せない、ということを云った。そのとき、伸子は、どんなしっかりした立派な発音でヤー ニェ マグウ ガバリーチ パ ルースキー(わたしはロシア語は話せません)と云ったというのだろう。いまよりもっとひどいフニャフニャ にぇ まぐう で云ったにちがいなかった。それでも、あの会場に集っていた二三百人の男女は、瞳をそろえて、下手なロシア語を話す体の小さい伸子を見守り、その努力を認め、声をかけて励してくれる者もあった。あの人々が、ポリニャークに掬い上げられたりしている伸子をみたら、どんなにばかばかしく感じるだろう。そんな伸子に拍手をおくった自分たちまでが、同時にばかにされたように感じるだろう。伸子はその感情を正当だと思った。そして、あの人々に、このいやさを訴えたいこころもちと半ばして、訴えることさえホテルへかえりつくと、素子も秋山も、浅い酔いがさめかかって寒くなり、大いそぎで熱い茶を幾杯ものんで、部屋部屋にわかれ、じき床に入った。
八
あくる日、臨時にマリア・グレゴーリエヴナの稽古の時間が変更になって、伸子がトゥウェルスカヤ通りをホテルへ帰って来る頃には、もうモスク
の街々に灯がはいった。歩道に流れ出している光を群集の黒い影が絶間なくつっきって足早に動いている。そのなかにまじっていそぎ足に歩いていた伸子は、ふと、トゥウェルスカヤ通りの見なれた夕景が、霧につつまれはじめたのに気づいた。日本の晩秋に立ちこめる
で、こんな霧のなかを歩こうとは思いがけなかった。急に見とおしのきかなくなった街をいそぐ伸子の気持には、外国の都にいるらしく、孤独の感じがあった。モスク
へ来て暮したふた月ほどの間、モスク
の人々に対する伸子の一般的な信頼と自分に対する信頼とを、動かされるような目に会っていなかった。ところが昨夜、ポリニャークのところへよばれて、あんなにひょいと、二本の脚でしゃんと立っていた筈の自分が床の上から体ごと掬い上げられた経験は、伸子が自分についてもっていた安定感を、ひっくるかえした。ポリニャークに、あんな風にやすやすと掬い上げられてしまったことには、体力も関係した。ポリニャークの大さ、力のつよさに対して、あんまり伸子は小さかった。日本人の男と伸子との体力の間にはあれだけの開きはない。あいてになりようない力を働かしてポリニャークは一人前の女である伸子をあんなにいきなり掬いあげた。無礼ということばの、真の感覚で伸子はそれを無礼と感じた。同時に、ひとから無礼をはたらかれるような理由も動機も自分はもっていないように天真爛漫だった伸子のモスク
暮しの気分も、ゆらいだ。これからも屈辱的な扱いにあうかもしれないモメントを自分がもっているということを伸子は知らされたのであった。二月の夜霧が流れるトゥウェルスカヤ通の、下り坂になった広い歩道をいそいで来る伸子のこころの孤独感は、素子にも話さない、そういう感情とつながっていた。その晩は、これまでなら、素子のところへモスク
河のむこうから女教師が来るはずの日だった。そして、伸子は二時間ばかりどこかへ行っていなくてはならないわけだった。今週からその女教師は、むこうからことわって来て、やめになった。伸子が、未払いになっていた授業料を届けがてら、素子のつかいで、病気だというハガキをよこしたその女教師のところへ行った。丁度午後三時すぎの日没がはじまる頃で荒涼と淋しい町はずれの一廓の、くずれかかったロシア風の木柵に沿って裸の枝をつきたたせている白樺の梢に、無数のロシア烏が鈴なりにとまってそういうわけで今夜は、伸子も室にいてよかった。素子が自分の勉強がてらプレハーノフの芸術論をよもうということになった。素子がひとりで音読し、ひとりで訳した。モスク
のどこの劇場へ行っても、劇評を見ても、弁証法的な演出とか手法とかいうことがくりかえされていたが、伸子たちにはどうもその具体的な内容がのみこめなかった。メイエルホリドでは「トラストD・E」を上演していて、解説には資本主義の批判をテーマとした脚本の弁証法的演出とあった。しかし伸子たちが観た印象では、その芝居は極端な表現派の手法としか感じられなかった。プレハーノフをよもうといい出した素子の動機は、そういうところにもあるのだった。素子のよむプレハーノフの論文の一字一字を懸命に追ってゆくうちに、伸子は、この芸術論が、案外ジョン・リードの「世界を震撼させた十日間」よりもわかりやすいのを発見した。時々刻々に変化する緊張した革命の推移を、ジャーナリスティックな複雑さと活溌なテムポとで描き出し記録しているリードの文章よりも、理論を辿って展開されてゆくプレハーノフの文章の方が、感情的でないだけに、伸子についてゆきやすかった。
「こうしてみると小説ってむずかしいわねえ」
「そりゃむずかしいさ、文章が動いているもの――」
「わたしには、とても小説の方はのぞみがないわ。――一字一句格闘なんだもの」
「なれないからさ」
「それもあるだろうけれど……」
モスク
へ来てからは、とくに字をよむよりさきに耳と口とを働かせなければならない必要が先にたって、伸子のロシア語のちんばな状態は一層ひどくなった。話す言葉は、間違いだらけでも、必要によって通用した。伸子の読み書く能力は、非常に劣っていた。自分の片ことのロシア語についても、伸子は昨夜の「にぇ まぐう」のことから不快を感じはじめているのだった。「いまの作家で、だれの文章がやさしいのかしら」
素子は、考えていたが、
「わからないね」
と云った。
「外国人にわかりやすい文章とロシア人にわかりやすい文章とは、すこしちがうらしいもの。大体、ロシア人は新しい作家のは、やさしいっていうけれど、わたしたちには反対だ、
それは伸子にも推察された。
「ケンペルの文章、ほんとにやさしいのかしら」
本屋でヴェラ・ケンペルの『動物の生活』というお
「ありゃ、たしかに気取ってるよ」
「――でも、わたしたちが、彼女の文章はむずかしいと云ったら、大変きげんがわるかったわねえ」
「そうそう、御亭主に何だか云いつけてたね」
それは半月ばかり前のことであった。伸子たち二人が秋山宇一のところにいたら、そこへ、シベリア風のきれいな
へ来た。そして、自然、若いグットネルがメイエルホリドの下で実際に担当している活動の範囲も、モスク
の現実の中で理解した。それから、ずっと普通の交際をつづけているらしかった。伸子たちは、それまでに二三度秋山の室でグットネルにあったことがあった。その晩、秋山の室でおちあったグットネルは、伸子たちをみると、まるでその用事で来たように、二人をヴェラ・ケンペルの家へ誘った。
黄色と純白の毛皮をはぎ合わせた派手なきれいな毛皮外套をきたままの若々しいグットネルにタバコの火をやりながら、素子はうす笑いして、
「突然私たちが行ったって、芝居へ行っているかもしれないじゃありませんか」
と云った。
「ケンペルは、こんや家にいるんです。僕は知っています」
寒いところをいそいで歩いて来た顔のうすくて滑かな皮膚をすがすがしく赤らませ、グットネルは若い鹿のような眼つきで素子を見ながら、
「行きましょう」
と云い、更に伸子をみて、
「ね、行きましょう(ヌ・パイディヨム)」
すこし体をふるようにして云った。
素子は、じらすように、
「あなたと私たちがここで今夜会ったのは、偶然じゃありませんか」
「ちがいます」
それだけ日本語で云ってグットネルは伸子たちを、部屋へ訪ねて誘うために来たのだと云った。
「偶然なら、なお私たちはそれをたのしくするべきです、そうでしょう?」
到頭三人で、ヴェラ・ケンペルの住居を訪ねることになった。大通りから伸子によくわからない角をいくつも曲って、入口が見えないほど暗い一つの建物を入った。いくつか階段をのぼって、やっぱり殆ど真暗な一つのドアの呼鈴を押した。
すらりとした、薄色のスウェター姿の婦人が出て来た。それが、ケンペルだった。
狭い玄関の廊下から一つの四角いひろい室にはいった。あんまり明るくない電燈にてらされている。その室の一隅に大きなディヴァンがあった。もう一方の壁をいっぱいにして、フランス風の淡い色調で描かれた百号ぐらいの人物がかかっていた。その下に、膝かけで脚をくるんだ一人の老人が揺り椅子によっていた。伸子たちは所在なさそうに膝かけの上に手をおいているその老人に挨拶をしてそこをとおりぬけ、一つのドアからヴェラの書斎に案内された。
「見て下さい。モスク
の住宅難はこのとおりですよ。私たちは、まるで壁のわれ目に棲んでいるようなもんです」ほんとに、その室は、モスク
へ来てから伸子が目撃した最も細長い部屋の一つだった。左手に、一つ大窓があって、幅は九尺もあろうかと思う部屋の窓よりに左光線になるようにしてヴェラの仕事机がおいてあった。伸子たちが並んで腰かけたディヴァンが入口のドアの左手に当るところに据えられていて、小さい茶テーブルや腰のひくい椅子があり、その部分が応接につかわれていた。一番どんづまりの三分の一が寝室にあてられているらしくて、高い衣裳箪笥が見えた。素子が、「わたしたちは、いまホテルにいますけれど、そろそろ部屋をさがしたいと思っているんです」
と言った。
「モスク
で貸室さがしをするのは、職業を見つけるより遙かに難事業です――グットネル、あなたの友情がためされる時が来ましたよ」よっぽどその馴鹿の毛皮外套が気にいっているらしく、ヴェラの室へもそれを着たまま入って来て、ドアによりかかるようにして立っていたグットネルが、間もなく劇場へゆく時間だからと、出かけて行った。
おもに素子とヴェラとが話した。未来派の詩をかいていたケンペルは、革命後
「いかがでした? 面白かったですか」
ヴェラが興味をもってきいた。素子が、あっさりと、
「むずかしいと思いました」
と云った。
「一つ一つの字より、全体の表現が……」
「――あなたは? どう思いました?」
伸子の方をむいて、ヴェラが熱心にきいた。
「わたしのロシア語はあんまり貧弱で、文学作品はまだよめないんです」
「――だって……」
ヴェラ・ケンペルは憂鬱な眼つきでドアの方を見ていたが、やがて、
「わたしたち現代のロシア作家は、すべて、きのう字を覚えたばかりの大衆のためにも、わかるように書かなければならないということになっているんです」
皮肉の味をもって云い出しながら、皮肉より重い日ごろの負担がつい吐露されたようにヴェラは云った。
「そのことは外国人の読者の場合とはちがいましょう」
「どうして?」
「外国人には、生活として生きている言葉の感覚がわからないことがあるんです。――あなたの文章を、むずかしいと感じるのは、わたしたちが外国人だからでしょう……」
「どっちだって同じことです」
ヴェラの室にテリア種の小犬が一匹飼われていた。伸子たちが入って行ったとき壁ぎわのディヴァンの上にまるまっていたその白黒まだらの小犬は、そのままそのディヴァンにかけた伸子の膝の上にのって来て、悧巧な黒い瞳を輝やかしている。伸子は、その犬を寵愛しているらしい女主人の気持を尊重する意味で、膝にのせたまま、ときどきその犬を撫でながら、素子との話をきいていた。
そこへ、ドアのそとから、声をかけて、全くアメリカ好みのスケート用白黒模様のジャケットを着た若い大柄の男が入って来た。ヴェラは、小テーブルのわきへ腰かけたまま、
「わたしの良人です。ニコライ・クランゲル――ソヴ・キノの監督――日本からのお客さまがたよ」
と伸子たちを紹介した。
「こちらは」
と素子をチェホフの翻訳家として、
「そちらは、作家」
と伸子を紹介した。
「お目にかかってうれしいです」
クランゲルは、握手をしない頭だけの挨拶をして、グットネルがこの部屋へ入って来たときしていたように、入口のドアに背をもたせて佇んだ。くすんだ鼠色のズボンのポケットへ片手をつっこんで。――
伸子たちにききわけられない簡単な夫婦らしい言葉のやりとりでヴェラはニコライに、二言三言なにかの様子をきいた。
「そう、それはよかったこと……」
ヴェラは、ちょっと言葉を途切らせたが、
「ねえ、あなたはどう思うこと?」
ほとんど彼女の正面にドアによっかかって立っているニコライを仰ぎみるようにして云った。
「この方々は、わたしの書くものがむずかしいっておっしゃるんです」
じっと、ニコライの顔をみつめて、ヴェラは云っている。伸子は、そのヴェラの、妻として訴え甘えている態度をおもしろく感じた。モスク
というところでは、何だかこんな婦人作家の表情を予期しないような先入観が伸子にあった。ニコライは、何とも返事をしないでヴェラの顔を見かえしたまま肩をすくめ、片方の眉をつり上げるようにした。その身ぶりを言葉にすれば、何を云ってるんだか、と伸子たちの意見をとりあわない意味であろう。ニコライは、ヴェラの顔を見まもったまま、ゆっくりタバコに火をつけた。伸子たちには、別に話しかけようとしない。ニコライが、ひと吸いふた吸いしたとき、ヴェラが、
「わたし退屈だわ」
と云って、そっとほっそりした胴をのばすような身ごなしををした。伸子は、びっくりした眼つきでヴェラ・ケンペルをみた。ヴェラのその言葉は、伸子たちの対手をしていることが退屈なのか、それとも一般的に生活が退屈だという意味なのか、そこの区別をぼやかした調子で云われた。
ニコライは、ドアによりかかっているすらりと長い片脚に重心をもたせてタバコを吸いながら、映画俳優がよくやる、一方の眉の下からはすに対手を見る眼つきで、
「――
と云った。
「……
人は
に曲芸をやる劇場は現実には一ヵ処しかないのだし。――伸子は、テリアの小犬を自分の膝からディヴァンの上へおろした。そして素子に日本語で、
「そろそろかえらない?」
と云った。
「そうしよう」
そこで伸子と素子とは、ヴェラ・ケンペルの家から帰ったのであった。帰るみちで、伸子は素子に、
「あの私、退屈だわ、はわたしたちに云ったことなの?」
ときいた。
「さあ……ああいうんだろう」
素子は、案外気にとめずヴェラ・ケンペルの文学的ポーズの一つとうけとっているらしかった。
ときをへだてた今夜、素子と本をよみ終えて、雑談のうちにそのときの情景をまた思いおこすと、伸子たち二人を前におきながらヴェラがニコライに甘えて、じっとニコライの眼を見つめながら、書くものがむずかしいと云うと訴えたことも、退屈だわ、と云ったことも、伸子にいい心持では思い出されなかった。あの雰囲気のなかには、伸子たちにとって自然でなく感じられるものがあった。伸子たちが、どうだったらば、ヴェラ夫妻にあんな雰囲気をつくらせないですんだだろう? この問いは、伸子の心のなかですぐポリニャークに掬い上げられたことと、くっついた。伸子がどうであればポリニャークに、あんなに掬い上げられたりしなかっただろうか。伸子は、ひろげた帳面の上に、鉛筆で麻の葉つなぎだの、わけのわからない円形のつながりだのを、いたずら書きをはじめた。
この前の日本文学の夕べのとき会ったノヴィコフ・プリヴォイの
「彼は、どうしてももう一度日本へ行って、お花さんに会う決心だそうですよ」
と笑いながら云った。
「わたしは、お花さんによくお礼をいう義務があるんだそうです」
クロンシュタットの海兵が反乱をおこしたとき連座して、一九一七年までイギリスに亡命して暮したプリヴォイ夫妻は英語を話した。モスク
の住宅難で自分のうちに落付いた仕事部屋のないプリヴォイは、モスク
郊外に出来た「創作の家」で、「ツシマ」という長篇をかいているところだった。石垣のように円をつみ重ねたいたずらがきを濃くなぞりながら、伸子は、あのプリヴォイがたとえ酔ったからと云って、伸子を掬い上げたりするだろうか、と思った。それは想像されないことだった。プリヴォイには、そういう想像がなりたたない人柄が感じられる。けれども、ポリニャークもプリヴォイも同じロシアプロレタリア作家同盟に属している。――
「ねえ、プロレタリア作家って、ほんとうはどういうの?」
伸子に訳してきかせたあとを一人でよみつづけていた素子が、
「――どういうのって……どういう意味なのさ」
本の頁から顔をあげずにタバコの灰を指さきでおとしながらききかえした。
「何ていうか――規定というのかしら――こういうものだという、そのこと」
「そんなことわかりきってるじゃないか」
すこし気をわるくしたような声で素子が答えた。
「労働者階級の立場に立つ作家がプロレタリア作家じゃないか」
「そりゃそうだけれどさ……」
革命後にかきはじめた作家のなかには、プロレタリア作家と云っても、偶然な理由からそのグループに属している人もある、と伸子には思えた。
「ポリニャークなんかもそうじゃない? 革命のとき、偶然金持ちでない階級に生れていて、国内戦の間、ジャガ薯袋を背負って、避難列車であっちこっちして『裸の年』が認められたって……プロレタリア作家って文才の問題じゃないでしょう?」
「だからルナチャルスキーが気をもむわけもあるんだろうさ――前衛の眼をもてって――」
伸子は、ひょっと、自分がもし日本から来た女の労働者だったら――工場かどこかで働くひとであったら、同じ事情のもとでポリニャークはどうしただろうか、と思った。それから、ヴェラ・ケンペルも。やっぱり、気のきかない客だということを、わたし退屈だわ、と云う表現でほのめかしただろうか。
日本の政府はソヴェトへの旅行の自由をすべての人に同じようには与えないから、公然と来られるものはいつも半官半民の特殊な用向の日本人か、さもなければ伸子たちのような中途半端な文化人ということになっている。けれども、仮にもし女の労働者がどういう方法かでモスク
へ来たとして。そういう人に対してだったら、ポリニャークもケンペルも、決して伸子に対したようには行動しない、ということは伸子に直感された。働く女の人なら、彼女がどんなに、にぇ、まぐう、と柔かく発音しようと、その女の体が日本の女らしく酔った大きな男に軽々ともち上げられる小ささしかなかろうとも、ポリニャークは伸子をそうしたようにそのひとを掬いあげたりはしないだろう。その女の労働者は、たとえ日本から来た人であろうと、労働者ということでソヴェトの労働者の全体とつながっている。その女のひとを掬いあげることは、ソヴェトの女の労働者の誰か一人を掬いあげたと同様であり、そういうポリニャークの好みについてソヴェトの働く人々は同感をもっていない。労働者が仲間の女の掬い上げられたことについて黙っていないことをポリニャークは知っているのだ。ヴェラ・ケンペルにしても、ちがった事情のうちに働くポリニャークと同じ心理があるにちがいない。
伸子は、帖面の紙がきれそうになるまで、いたずら書きのグリグリを真黒くぬりつぶした。ああいう人たちは或る意味で卑屈だ。伸子は、ポリニャークやケンペルのことを考えて、そう思った。彼等はプロレタリアにこびる心を働かせずにはいられないのだ。伸子はもとより女の労働者ではない。だが、伸子が女の労働者でない、ということは、伸子がポリニャークやケンペルに対して、ソヴェトの働く人々に対して卑屈でなければならないということではない。伸子がモスク
へ来てから、労働者階級の人たちや、その人たちのもっているいろんな組織は、伸子を無視していた。伸子の方から近づいてゆかなければ、その人たちの方から伸子を必要とはしていない。それは全く当然だ、と伸子は思った。伸子はモスク
の生活でどっさりあたらしい生活感覚を吸いとっているのに、伸子のなかには、ここの人にとって学ぶべき新しいものはないのだから。珍しさはあるとしても。また漠然とした親愛感はあるにしろ。――無視されている、ということと、自分を卑屈の徒党のなかにおく、ということとははっきり別なことではないだろうか。――苅りあげて、せいせいと白いうなじを電燈の光の下にさらしながら、伸子はいつまでもいたずらがきをつづけた。
九
モスク
の街に深い霧がおりた翌日の十一時ごろ、郵便を入れにホテルから出かけた伸子は、トゥウェルスカヤ通りを行き来する馬という馬に、氷のひげが生えているのにおどろいた。ちっとも風のない冬空から太陽はキラキラ雪の往来にそそいで馬の氷のひげやたてがみをきらめかしている。並木道へはいって行って、伸子は氷華の森のふところ深く迷いこんだ思いがした。きのうまでは、ただ裸の黒い枝々に凍った雪をつけていた並木道の菩提樹が、けさ見れば、細かい枝々のさきにまで繊細な氷華を咲かせている。氷華につつまれた菩提樹の一本一本がいつもより大きく見え、際限ないきらめきに覆われて空の眩ゆさとまじりながら広い並木道の左右から撓みあっている。その下の通行人の姿はいつもよりも小さく、黒く、遠く見えた。
二月も半ばをすぎると、モスク
の
市のあっちの町、こっちの横丁を歩きはじめた。二人は、貸室さがしをはじめたのだった。ホテル暮しも足かけ三ヵ月つづくと単調が感じられて来た。もっとじかに、ごたごた煮立っているモスク
生活の底までふれて行きたかった。そのためには素人の家庭に部屋を見つけるしかなかった。マリア・グレゴーリエヴナに世話をたのんで、はじめて三人で見に行った家は市の中央からバスで大分郊外に出た場所にあった。バスの停留場から更に淋しい疎林のある雪道を二十分も行った空地の一方の端に、ロシア式丸木建の新しい家がたっていた。ここは部屋の内部も丸木がむき出しになっている建てかたで、床の塗りあげもまだしてなかった。ガランとした室に白木の角テーブルが一つあった。室へ案内したそこの主婦は堂々として大柄な四十ばかりの女で、ほそいレースのふちかざりのついた白い清潔なプラトークで髪をつつんでいた。重い胸の前に両腕をさし交しに組んで戸口に立ち、いかにも彼女のひろい背中のうしろに、一九二一年の
家具らしいものが一つも入っていず、きつくチャンの匂うその新築丸木建の室の窓からは、貧弱な楊が一二本曲って生えている凹地が見はらせた。いまこそ一面の雪で白くおおわれて野原のように見えているが、やがて雪がとけだしたとき、その下から広いごみすて場があらわれることはたしかにみえた。伸子は、そういう窓外の景色を眺めながら、
「ここでは夜芝居の帰りみちがこわいわ。街燈がなかったことよ」
と云った。それは一つの理由で、この大柄で目つきがきつく、冷やかで陽気な主婦は、伸子たちがおじるような胸算用のきびしさを直感させた。
劇場がえりが、女ばかりだから遠い夜道はこわいということは、眼つきのきつい主婦も認めた。モスク
では何よりむずかしいとされている室さがしを伸子たちにたのまれたマリア・グレゴーリエヴナ[#「グレゴーリエヴナ」は底本では「グリゴーリエヴナ」]は、何かのつてでやっと手に入れた所書きだけをたよりに、自分でも先方のことは知らないまま、伸子と素子とを連れて見に来たのだった。その家を出てまた雪道をバスまで戻りながら、伸子は、自分たちのモスク
暮しも段々とモスク
市民生活の臓腑に近づいて来た、と思った。モスク
の臓腑は赤い広場やトゥウェルスカヤ通りだけでは分らない色どりと、うねり工合と、ときに悪臭と発熱とで歴史の歯車にひっかかっている。ワフタンゴフ劇場の通りには、横丁が網目のように通じていた。或る日のおそい午後、伸子たち三人は、所書きをたどってその一つの横丁の、ひどく高い茶色の石壁のわきにある袋小路を入って行った。貸す室というのは、袋小路のなかの、ひどく
「おのぞみなら、食事もおひきうけします」
と熱心に云った。
「料理にはいくらか心得がありますし……ここの市場はものが割合やすくて、種類もたっぷりあるんです……」
きれぎれな言葉で外套のどこかをひっぱるような貸し主の女のものの云いかたには、ほんとに部屋代を必要としている人間の訴えがこもっていた。その室にしばらく立っていると、この家のどこかにもう長いこと床についたままの病人がいて、見えないところからこの交渉へ神経をこらしているような感じだった。かりにこの室で我慢するとしても伸子たちが借りることの出来る寝台が一つしかなくて、補充する寝椅子も、そこにはなかった。
こういう風なところをあちこち歩いてホテルへかえると、小規模なパッサージの清潔さと設備の簡素な合理性とが改めて新鮮に感じられた。
「こうしてみると、住めるような部屋ってものは容易にないもんだね」
素子がタバコを深く吸いながら云った。
「いまのモスク
で外国人に室をかそうとでもいうような者は、あの丸木小舎のかみさんのような因業な奴か、さもなけりゃ、きょうみたいな、気の毒ではあるがこっちの健康が心配だというような室しかもっていないような人しかないんだね」伸子はじっと素子をみて、体のなかのどこかが疼くような表情をした。室さがしにあっちこっち歩いてみて、伸子はまだモスク
にも人間の古い不幸としての貧や狡猾がのこっているのを目近に目撃した。「もうすこしさがしてみましょうよ。ね?」
伸子は熱心に云った。
「モスク
で外国人に室をかすものは、ほんとにいかがわしい者や、時代にとりのこされたような人しかないのかどうか、わたし知りたいわ」「そりゃ探すさ、ほんとにさがしているんだもの――」
女子大学の学生時代から、借家さがしや室さがしに経験のある素子は、しばらく考えていたが、
「もしかしたら、広告して見ようよ、ぶこちゃん」
と云った。
「モスク
夕刊か何かに――かえってその方が、ちゃんとしたのが見つかるかもしれない。あさっての約束の分ね、それを見て駄目だったら、広告にしよう」あさってという日、三人が行ったのは、ブロンナヤの通りにある一軒の小ぢんまりした家だった。外壁の黄色い塗料が古くなってはげているその家の二重窓の窓じきりのかげに、シャボテンの鉢植がおいてあるのが、そとから見えた。
呼鈴にこたえて入口をあけたのは三十をこした丸顔の女で、その人をみたとき、伸子は自分たちが楽屋口へ立ったのかと思った。女は、映画女優のナジモ
アが椿姫を演じたときそうしていたように、黒っぽい断髪を頭いっぱいの泡立つような捲毛にしていた。モスク
では見なれないジャージの服を着て、赤いコーカサス鞣の室内靴をはいている。そういういでたちの女主人は伸子たちをみると、「今日は」
と、フランス語で云った。
「どうぞ、お入り下さい」
それもフランス語で云って、マリア・グレゴーリエヴナに、
「この方たちは、二人一緒に室をかりようとしているんでしょうか」
とロシア語できいた。
「ええ、そうですよ、もちろん」
マリア・グレゴーリエヴナは照れたように正直な茶色の眼を見開いて、
「彼女たちはロシア語が十分話せるんです。どうか、じかにお話し下さい」
と、丸っこい鼻のさきを一層光らした顔で云った。
「まあ! それはうれしいですこと! ロシア語を野蛮だと思いなさらない外国の女のかたには滅多におめにかかったことがありませんわ」
更紗の布のはられた肱かけ椅子に伸子たちはかけた。
「この室はね、外が眺められてほんとに気の晴れ晴れする室なんです。ずっとわたしの私室にしていたんですけれど――」
捲毛の泡立つ頭をちょいとかしげて、言葉をにごした女主人は、あとはお察しにまかせる、という風に、
「――教養のある方と御一緒に棲めればしあわせです」
スプリングの上等なベッドを二つと、衣裳ダンスと勉強机その他はすぐ調えられるということだった。
「私には便宜がありますから……。それに時間で通う手伝いをたのんで居りますから、食事も、おのぞみならいたしますよ。白い肉か鶏でね――わたしも娘もデリケートな体質で白い肉しかたべられませんの……」
女主人がそう云ったとき、マリア・グレゴーリエヴナは、ひどく瞬きした。女主人が浮き浮きした声で喋れば喋るほど、素子は、もち前の声を一層低くして、
「で、これからこの室へ入れる家具っていうのは――、費用はあなたもちなんですか?」
タバコを出しかけながら面白がっている眼つきできいている。
「あら、――それは、あらためて御相談しなくちゃ」
素子は何くわぬ風で、外国人というロシア語をすべて男性で話しながら、
「モスク
に、室をさがしている外国人はどっさりいるんでしょう、こんないい室なら、家具を自分もちでも来る外国人があるだろうに……」と、云った。女主人は、素子が外国人を男性で話したことには心づかなかった表情で、
「おことわりするのに苦労いたしますわ」
と云った。
「ちゃんとした家庭では、一緒に住む人の選びかたがむずかしくてね。わたし、娘の教育に生涯をかけて居りますのよ」
女主人は、うしろのドアの方へ体をねじって、遠いところにいるひとをよぶように声に抑揚をつけ、
「イリーナ」
とよんだ。
待ちかまえていたようにすぐドアがあいた。スカートの短すぎる赤い服に、
「娘のイリーナです。大劇場の舞踊の先生について、バレーの稽古をさせて居ります。――本当の、古典的なイタリー風のバレーを。さあ、可愛いイリーナ、お客さまに御挨拶は?」
すると、イリーナとよばれたその娘は、まるで舞台の上で、踊り子がアンコールに答えるときにでもするように、にっこり笑いながら、赤い服のスカートを左右につまみあげて、片脚を深くうしろにひいて膝を曲げるお辞儀をした。全くそれが、この娘に仕込まれた一つの芸であるらしく、前にのこした足を、踊子らしく外輪においてゆっくり膝をかがめ、またもとの姿勢に戻るまでを、女主人は息をころすようにして見つめた。
マリア・グレゴーリエヴナが、
「見事にできました」
とほめた。低い椅子にかけたまま、立っている娘を見上げる女主人、立ったまま母親の顔を見ている娘とは、マリア・グレゴーリエヴナの褒め言葉で、互に、満足の笑顔を交しあった。娘は、ドアのむこうに引こんだ。
「さて、どうするかね、ぶこちゃん」
素子が日本語で相談した。
「場所はいいが……ちっと複雑すぎるだろう」
「わたしには、とてもあの子をほめきれないわ」
「――場所は私たちにとって便利だし、室もいいけれども、何しろわたしたちは旅行者ですからね」
女主人とマリア・グレゴーリエヴナとを等分に見ながら素子が説明した。
「家具を自分たちで負担するのは、無理なんです」
捲毛の渦まく頭をすこし傾けながら、女主人は無邪気そうに、思いがけないという目つきをした。
「どうしてでしょう。――わたしたちが家具を買う、というときは、いつもそれが、また売れるということを意味しますのよ。そして、私たちは実際、いい価で交換出来ないような品物を、家具とはよばないんです」
マリア・グレゴーリエヴナが、
「いずれにせよ、即答はお互に無理でしょう」
なかに立って提案した。
「二日ばかり余裕をおいて、返事することになすったら?――こちらにしろ」
と赤い部屋靴をはいている女主人をかえりみて、
「その間に、非常に希望する借りてを見つけなさるかもしれませんしね」
「結構ですわ」
捲毛の女主人は、社交になれたとりなしでちょっと胸をはった姿勢で椅子から立った。
「では二日のちに――」
「どうぞ――御一緒に暮せるようになったらイリーナもよろこびますわ」
入口のドアがしずかに、しかしかたく、三人のうしろでしまった。三人はしばらく黙ったまま、人通りのない古風なブロンナヤの通りを並木道の方へ歩いた。
「ああいう女のひとにとって一七年はどういう意味をもっているんでしょうねえ」
マリア・グレゴーリエヴナは、黒い毛皮のついた、いくらか古びの目立つ海老茶色の外套の肩をすくめるようにした。
「モスク
の舞台にあらわれるああいう女のひとのタイプは、誇張されているんじゃないということがわかりました。――そう思うでしょう?」ブロンナヤの通りを出はずれて二股になったところで素子が雪の鋪道に足をとめた。
「ここまで来たんだから、ちょっと大使館へよって手紙見て行こうか」
部屋を見に行った家の裏がわぐらいのところが、丁度大使館の見当だった。マリア・グレゴーリエヴナはそのまま真直ニキーツキー門から電車にのって帰るために行った。
二人きりになって、二股通りを裏がわにまわった。伸子が口をききはじめた。
「珍しかったわねえ!」
伸子はそう云って深く息をついた。
「フランス語――どうだった?」
「――ありゃ、妾だね」
断定的に素子が云った。
「男をおかないのは、世話しているやつがやかましいからさ。あんな、うざっこい家にいられるもんか」
「あのうちにいたりしたら、日に何度娘をほめなけりゃならないかわからないわ」
素子は、モスク
でああいう女を囲ったりしている男の生活というものへ、より多く興味をひかれるらしかった。「あの女の様子じゃ、男はまさか政治家じゃあるまい。所謂実業家というところだね」
「実業家って――あるの? ここに」
「トラストだのシンジケートだのってあるじゃないか」
「…………」
門の入口に門番小舎を持つ大使館は、きょうも雪のつもった大きい樹のかげに陰気な茶色の建物で立っていた。正月一日に、在留邦人の拝賀式があって、そのあと、ちょっとした接待があった。そのとき客のあつまった大応接間は、陰気な建物の外見からは想像もされない贅沢さで飾られていた。はじめこの家を建てるとき、おそらくモスク
の金持ちの一人だった主人は、社交シーズンである厳冬の雪の白さと橇の鈴音との、鋭いコントラストをたのしもうとしたのだろう。表玄関がすっかりエジプト式に装飾してあった。胴のふくらんだ黄土色の太い二本の柱には、朱、緑、黄などでパピラスの形象文字が絵のように描かれて居り、周囲の壁もその柱にふさわしく薄い黄土色で、浮彫の効果で二人のエジプト人が描かれていた。廊下一つをへだてた応接間はフランス風に、大食堂はイギリス好みに高い板の腰羽目をもってつくられていた。手紙をとりに事務室の方へのぼってゆく階段は、大玄関とは別の、茶色のドアのなかにあった。事務室のそとの廊下に、郵便局の私書箱のような仕切りのついた箱棚があって、在留している人々の名が書いてはりつけてある。伸子は、自分の姓が貼られてある仕切りのなかを見た。そして、瞬間何ということなし普通でない感じにうたれた。その日はどうしたのか仕切りの箱の中がいつものように新聞の巻いたのや雑誌の巻いたのでつまっていず、ガランとした棚の底に水色の角封筒がたった一つ、ぴたりとのっていた。封筒には多計代の字でかかれた表書きが見えている。その水色の厚ぼったい封筒はその仕きりのなかでいやに生きた感じだった。生きている上に感情をもってそこにいるという感じだった。伸子は変な気がして瞬間眺めていたが、やがて、生きものをつかむように、その手紙を仕切り箱からとり出した。そとの明るい光線にさらされると手紙はただ厚いだけで、別に変ったところもないのだった。
ホテルへ帰って、二人はすこし早めに正餐をすませた。その晩は、メイエルホリド劇場で「
「橇にしましょう、ね」
「橇、橇って……贅沢だよ」
「だって、もうじき雪がとけてしまうのよ、そしたらもう来年まで橇にはのれないのよ――来年の冬、たしかにモスク
で橇にのるって、誰が知っている?」外套を着るばかりに外出の支度を終った伸子は、派手なマフラーをたらして、テーブルのよこに立ったまま、午後大使館でとって来た水色封筒の手紙を開いた。縦にケイのある実用的な便箋の第一行から、多計代のよみわけにくい草書が、きょうは糸のもつれるようではなく、熱い滝のように伸子の上にふりかかって来た。
「いま、あなたの手紙をうけとりました、異国にあるなつかしい娘から、その弟への久々のたよりをわたしはどんなによろこび、期待して見たでしょう。ところがわたしの暖い期待は見事にうらぎられました。あなたはどこまで残酷な人でしょう」
この前保に手紙をかいたとき、伸子は、はっきり多計代に向っても対決する感情でいた。それにもかかわらず、多計代一流の云いかたに出会って伸子は、唇をかんだ。多計代が昂奮して、ダイアモンドのきらめく手に万年筆をとりあげ、食堂のテーブルのいつものところに坐って早速に書いている肩つきが、数千キロをへだてながら、ついそこに見えるようだった。保と自分との間には想像していたとおり、関所があった。はっきり保だけにあてて表書きのされている手紙だったのに、多計代は、あけて、先によんでいる。そして高校の入学祝に温室をこしらえて貰ったということについて伸子のかいたことに対して、保の考えはどうかということなどにかまわず伸子に挑みかかって来ていた。
激越した筆致で、多計代は、保が、いまどきの青年に似ず、どんなに純情で、利己的なたのしみをもっていないかということを力説した。
「その彼が唯一のたのしみとしている温室のことを、あなたはどういう権利があって、難じるのですか。人間として、母として、私は抑えることの出来ない憤りを感じます。あなたは刻薄な人です。これまで永年の間、私がそれで苦しんで来た佐々家の血統にながれている冷酷な血は、あなたの心の中にも流れています。そのあなたが、ロシアへ行ってからの生活で――」
そこまで読んで、伸子はその手紙を握りつぶしてしまいたい衝動を感じた。多計代は、何という云いかたをするだろう。伸子が佃と結婚すれば結婚してから、離婚して吉見素子と暮すようになれば吉見と暮すようになってから、伸子は冷酷になったとばかり云われて来た。ロシアへ来れば、多計代は偏見や先入観を一点にあつめて、ロシアへ行ってから伸子はいよいよ刻薄になったと云うのだ。多計代にとって伸子が暖い人間だったことは、一度もないらしかった。多計代にとって冷酷でないのは、保のような気質しかないのだろう。伸子は、蒼い顔になって、読まない手紙をしばらく手にもっていたが、やがて、しずかにそれをテーブルの上においた。投げだすよりももっと嫌悪のこもったしずかさで。――
メイエルホリド劇場の舞台の上には、大きい軍艦の甲板があった。白い海軍将校の服をつけたヨーロッパ人将校が、粗末な白木綿の服の背に弁髪をたれている少年給仕を叱咤し、殴りたおし、そのしなやかな体を足蹴にかけている。こうして憎悪は集積されてゆくのだ。
二日たった。ブロンナヤ通りの貸室の女主人に返事をする約束の日になった。
「ぶこちゃん、行ってことわっといでよ」
朝の茶がすんだとき、素子が、テーブルの上を片づけている伸子に云った。
「家具の条件で?」
「――そうだろう? ぶこちゃんだって家具なんか買えないって云ってたんじゃないか」
「わたしにうまく云えるかしら――言葉の点で……」
「平気じゃないか。結局ことわるって意味さえ通じればそれでいいんだから……」
その間に素子が机のところで、モスク
夕刊に出す求室広告をかいた。部屋の求め主を二人の外国女と書いた。「大体こんなところでいいだろう?」
二人の
「これでいいかしら……」
と、紙きれを見おろしながらためらった。
「
素子は、だまって二吸い三吸いタバコをふかしながら、自分の書いた文面を眺めていたが、
「いいさ、いいさ」
わきに立っている伸子の手に、草稿の紙きれを押しつけた。
「われわれは
伸子はホテルを出かけた。ホテルの玄関と雪のつもった往来をへだてて向いあっている中央郵便局の建築場の前に、大きなトラックが来て、鉄材の荷おろしをやっていた。防寒用外套の裾を深い雪の面とすれすれに歩哨の赤軍兵が鉄材の運びこまれるその仕事を見ている。膝まであるフェルトの
合間に
古びた外壁に黄色がのこり、歩道に面して低い窓のきられているその家は、きょうも窓のなかにシャボテンの鉢植えをみせていた。
やっぱり捲毛の渦を頭いっぱいにして、しかしきょうは化粧をおとした顔で出て来た女主人が、伸子を玄関の廊下のところまで通した。伸子は、つかえるだけの単純な言葉で、彼女たちの経済では家具まで買えないからと云って、部屋をかりることをことわった。
「ようござんす。わかりました。(ハラショ パニャートノ)」
女主人はこの前マリア・グレゴーリエヴナや素子と一緒にはじめて部屋を見に来たときの気取りいっぱいの調子とは別人のような素気ない早口で、役所でよくつかうようなふたことの返事をした。そして、ちょっとだまりこんでいたが、かすかに捲毛の頭をふり、自分で自分の気をひき立てでもするように、
「ニーチェヴォ」
と云った。
「わたしは、またあなたがたを、外交団関係の方たちだと思ったんです」
なぜそう思ったんだろう。そう考えながらだまっていくらか仰向きかげんに向いあって立っている伸子の顔に、捲毛の女主人は瞬間全く別なことを考えている視線をおとした。が、やがてすぐ気がついたように、
「じゃあ、さようなら」
伸子に向って手を出した。
「さようなら」
入口をしめて雪の往来に出たとき、伸子は、やっぱりこのひとも、心の底では本当に部屋をかしたかったのだと、あわれな気がした。舞台の上にいるように、扮装だらけのいろんな表情で日々を送りながら、真実には不安があるのだ。伸子に向って云うというより自分に向って云ったような女主人のニーチェヴォの調子を思いかえしながら、伸子はモスク
夕刊社へ行く方角に歩いた。ニキーツキー門のところまで来たら、丁度
を、ゴム糸に吊り下げて弾ませながら売っている。
のはずむのを見まもっているうちに、伸子は、ふっとあることを思いついた。むきかわって、もと来た道を、二つ股のところまで戻り、左をとって大使館の陰気な海老茶色の門をくぐった。
事務室のある二階へのぼって、廊下の受信箱をのぞいた。伸子のかんはあたった。細紐で一束にくくられた新聞雑誌が、サッサと書いた仕切り棚へ入っている。シベリア鉄道は、一週のうちきまった日にしか通っていないのだから、さきおとといのように多計代からの手紙だけが一通別に届くということはあり得なかった。
伸子は、何となしはずみのついた気持で、棚に入れられている郵便物をすっかりさらい出した。そして、一段一段とのろのろ二階を下りながら、紐の間をゆるめるようにして、どんな雑誌が来たのか、のぞいた。モスク
へ来てからずっと送ってもらっている中央公論。婦人公論。その間に大型の外国郵便用ハガキが一枚まぎれこんだように挾まっているのをみつけた。保の字だ。丁度壁が高くて薄暗くなった階段口を、伸子はかけおりて外へ出た。菩提樹の根もとを深い雪が埋めている大使館の庭の柵のそばに立って、そのハガキをよみだした。読みながら伸子は無意識に一二度そのハガキの面を、茶色の鞣手袋をはめた指さきで払うようにした。保の字は例のとおり細く力をぬいたうすいペン字で、こまかく粒のそろった字面が、遠いところをもまれて来たハガキの上で毛ばだち、読めはするのだけれども伸子のよくよく読みたい感情には読みにくいのだった。
「姉さん、僕にあてて書いてくれた手紙をありがとう」
先ず冒頭にそう書いてある。伸子は、よかった、と思った。多計代は、あんなに当然なことのように保に書いた伸子の手紙を勝手に開け、読み、おこってよこした。それでも伸子の手紙を保からかくしてはしまわなかった。そういうところは多計代らしいやりかただった。
「僕は、姉さんの手紙を幾度も幾度もくりかえして読んだ。いま、返事を書きはじめる前にも、また二度くりかえして読んだ。そして姉さんのいうことは正しいと思う。姉さんが外国へ行って、まるでちがう生活をしていても、僕のことをこんなに考えていてくれるということがわかって、僕は、ほんとにびっくりした」
簡単に云いあらわされている文句のなかに、保が、姉・弟としての自分たちの関係について改めて感じなおしている気持が、はっきり伸子につたわった。
「姉さんが温室について書いてよこしたことは、もちろんただ僕を責めたり叱ったりしているのではない。また、温室をこしらえて下すったことを非難しているわけでもない。僕にそのことはよくわかる。姉さんは、僕に、もっとひろい社会の関係を知らそうとしただけなのだ」
伸子は、涙ぐむようになった。保の書いている調子は重々しく真面目で、そこには、姉である伸子のいうことをちゃんと理解しようとしている心が
「僕は温室について姉さんの考えるようなことは一つも考えていなかった。これは大変恥しいことだと思う」
最後の一行のよこに線が引いてあった。字を書いているのと同じ細いうすいペンの使いかたで、これは大変恥しいことだと思う、と。
伸子は、考えるとき時々クンクンと鼻の奥をならす保の初々しい和毛のくまのある瞼の腫れぼったい顔や、小さくなった制服のズボンの大きい膝が、雪の中に立ってよんでいる自分のすぐそのそこにあるように感じた。これは大変恥しいことだと思う。――そして伸子は自分の心にもその一本の線が通ったのを感じた。恥しいことだと思う、と。伸子が勢はげしく保へあててあの手紙をかいたとき、こんなに軟く深い黒土の上にくっきりと
門のわきの番小舎の戸があいた。大外套をきた門番が伸子の立っている庭の方へ来かかった。番人は、そこにいたのが時々見かける伸子だとわかると、
「こんにちは」
と、防寒帽のふちに指さきをあてた。そして、伸子がよんでいるハガキに目をくれながら通りすぎた。番人とは反対の方向へ、大使館の門の方へ伸子も歩き出した。歩きながら、ハガキをよみおわった。温室は、折角こしらえて頂いたものだから、みんなのよろこぶように使いたい。この夏はメロンを栽培してお父様、お母様そのほかうちのみんなにたべて貰おうと思う。そうかいたハガキの終りに、やっと余白をみつけて、
「僕は姉さんにもっと手紙を書きたいと思っている」
と、その一行は本文よりも一層こまかい字で書かれていた。ハガキはそれで全部だった。
夕刊社のある広場まで歩いて行った。僕は姉さんにもっと手紙を書きたいと思っている。――保がそう云っているのはどういう意味なのだろう。日頃から、もっと書きたいと思っている、というわけなのだろうか。それとも、これからはもっとちょくちょく書きたいと思っている、ということなのだろうか。モスク
夕刊社で広告を出す用事をすまし、トゥウェルスカヤの大通りへ出てホテルへ帰って来ながら、伸子は、そのことばかり考えつづけた。保がこれからはもっと伸子へ手紙を書きたいと思っているというだけならば、保の手紙にこもっている姉への感情からも、すらりとのみこめることだった。これまでも、もっと手紙をかきたいと思っている保の心もちが伝えられたのだとすると、伸子は、きょうの保からのたよりがハガキで来ていることにさえ、そこに作用している多計代の指図を推測しずにいられなかった。書いてある字のよめない人たちばかりの外国にいる姉へやるのだから、こんなに心もちをじかに語っているたよりも保はハガキで書いたのかもしれなかった。けれども、姉さんへ返事をかくならハガキにおし。そして、出すまえに見せるんですよ。そう保に向って云わない多計代ではなかった。伸子は、素子も出かけて留守の、しんとした昼間のホテルの室へかえって来た。二重窓のガラスに、真向いの鉄骨ばかりの大屋根ごしの日があたっていて、日が、角テーブルのはずれまであたっている。抱えて帰って来た郵便物の束をそのテーブルにおろしてゆっくり手袋をとり、外套をぬいでいる伸子の目が、テーブルの上の本のつみかさなりの間にある白い紙の畳んだものの上に落ちた。それは、多計代の手紙だった。「そのあなたが、ロシアへ行ってからの生活で」というところまで読んで、伸子が、躯のふるえるような嫌悪からもう一字もその先はよまずに、そこへおいた多計代の手紙だった。封筒から出された手紙は、厚いたたみめをふくらませ、幾枚も重なった用箋の端をぱらっと開きながら、そこに横たわっている。
明るいしずかなホテルの室で外套のボタンをはずしている伸子の胸に、悲しさがひろがった。保の心はあんまり柔かい。その柔かさは、伸子に自分のこころのいかつさを感じさせる。伸子が自分として考えかたの正しさを信じながら保に向ってそれをあらわしたとき、そのときは気がつかなかった威勢のよさや能弁があったことを反省させ、伸子にひそかな、つよい恥しさを感じさせるのだった。伸子が、それをうけ入れようとする気さえ失わせる多計代の能弁は、手紙となってそこの机の上にさらされている。悲しいほど柔かい保の心をなかにして思うと、伸子は、多計代の保に対するはげしい独占的な情のこわさと、その娘で、その情のはげしさやこわさでよく似ている自分とが、向きあっている姿を感じるのだった。
外套をぬいで水色のブルーズ姿になった伸子は、ちょっと長椅子にかけていた体をまたおこして、清潔につや出しをされた茶色の床の上をあっちこっち歩きはじめた。
保の心のやわらかさは、こうして伸子に自分の心のきめの粗雑さを感じさせ、そのことで恥しささえ感じさせている。多計代のきらいなところが、自分にあることをかえりみさせる。だけれども、そうだからと云って、保の心の柔かさにうたれることで、伸子は自分の生きかたを保の道に譲ってしまうことは思いもよらなかったし、保のゆえに多計代の生きかたと妥協してしまうことも考えられなかった。
二重窓の前に立ちどまって、かすかにモスク
の冬の日向のぬくみがつたわっている内ガラスに額をおっつけ、黒い鉄骨と日かげに凍りついている薄よごれた雪を見ながら、伸子は心に一つの画面を感じた。そこは海の面であった。海の面はこまやかな日光にきらめき、時々雲が通りすぎると薄ら曇り、純粋でいのちをもっている。そのむこうに断崖が見える。断崖の上は青草がしげって、その青草の上にも、断崖の中腹にも、海の上と同じ日光がさしていて、断崖の根は海に洗われている。夜もひるも、断崖の根は海に洗われており、海はその断崖のために波をあげている。だけれども、断崖は海でなく、海は断崖ではない。しかし一つ自然の光のなかにつつまれて、そうしている。海がそうなのか、断崖がそうなのか分らなかったが、伸子はそこに自分と保との存在を感じた。調停派ということは、決して調停されることはない人々によってつけられる名だ。海と断崖の心の絵の上に、伸子は、異様な鮮明さで、はっとしたように理解した。保が同級生から、佐々はバカだ。生れつきの調停派だと罵られたことを、いつか動坂のうちの客間できいた。あのとき伸子は、保のものの考えかたについてばかり、調停派ということを理解した。保の友達たちは、やっと伸子にいま、わかったこともふくめてそう云ったのにちがいなかった。考えかたや理窟だけでなく、保の心の悲しいくらいの柔かさが、柔かさそのもので、いくつかの心を若々しい一本気な追究から撓わせそうにする。保の友人たちには、保のその異様な柔らかさが、いやなのだ。だといって、保に、自分の心のそんな柔かさをどうすることが出来るだろう……。
伸子は、三月近いモスク
のよごれてふくらみのへった雪の見えるホテルの二重窓の前に長いあいだ佇んでいた。第二章
一
それは、ほんとに狭い室だった。ヴェラ・ケンペルが彼女夫婦の暮している
の壁と壁とのわれめ、といったのが当っているとすれば、伸子と素子とがアストージェンカの町角にある建物の三階に見つけた部屋は、モスク
の壁と窓とのすき間住居と云うようだった。マリア・グレゴーリエヴナと、三人であっちこっちさがして歩いた貸間には住めそうなところがなくて、モスク
夕刊に出した求室広告に案外三通、反応があった。一通はモスク
河の向う岸にいる家主からだった。一通はトゥウェルスカヤの大通りをずっと下って鷲の森公園に近いところ。最後の一通がアストージェンカ一番地、エフ・ルイバコフという男からだった。「変だな、ただアストージェンカきりで、町とも何ともないんだね、どの辺なんだろう」
その手紙は、ぞんざいに切った黄色い紙片に、字の上をこすったり
市街地図をしらべていた素子が、「へえ。――こんなところに、こんな名がついているんだね。ぶこちゃん! 場所はいかにも、もって来いだよ」
地図をみると伸子たちがいるホテル・パッサージから狩人広場へ出て、ずっと右へ行き、クレムリンの外廓を通りすぎたところにデルタのようにつき出た小区画があって、そこがアストージェンカだった。
「一番地て云えば、とっつきなんだろうな」
地図に見えている様子だと、そこはモスク
河にも近いらしいし、
じゅうをさがしまわったのだ。「妙だな……ともかく、ぶこちゃん、見るだけ見といでよ、どんなところだか」
「ひとりで?」
出しぶって伸子が素子を見た。
「ともかく、散歩のつもりで行って見てさ、ね。ほんのついそこじゃないか。一番近いところから片づけて行こうよ」
小一時間たったとき、伸子が、ホテルの階段を駈けあがるようにして戻って来た。ノックもしないで自分たちの室のドアをあけるなり、
「ちょっと! すばらしいの。――早く来て」
手袋をはめたなりの手で、素子の外套を壁からはずした。
「すぐ、友達をつれて来るからって、待ってもらっているんだから」
「ほんとかい?」
「ほんと! 絶対のがされないわ」
二人は大急ぎで狩人広場まで出て、そこから電車にのった。
「よっぽど先かい?」
「四つめ」
クレムリンをすぎると、左手の小高い丘の雪の上に、金ぴかの大きな円屋根と十字架をきらめかして建っている大きな教会があった。その停留場で伸子たちは電車を降りた。
「おや、まるでこりゃ
「そうなのよ!」
亢奮している伸子はさきに立って、すぐその右手からはじまっている
「なんだ、こんなとこを入るのか」
素子もついて木戸の中へ入ると、樽だの古材だのが雪の下からのぞいている細長い空地があって、そこをぬけるとかなりひろい内庭へ出た。雪の上に四本黒く踏つけ道がついている。コンクリートの新しいしっかりした五階の建物が、コの字形にその内庭をかこんで建っていた。
伸子は、まだ黙ったまま、四本の踏みつけ道の一番とっつきの一本を辿って、一つの入口から、階段をのぼりはじめた。
入口や階段口にはむき出しの電燈がともっていた。コンクリート床の隅に、建築につかったあまりらしいセメント袋がつみ重ねられたままある。手すりもコンクリートで武骨にうち出されている。あんまりひろくない階段を、伸子は、素子をおどろかしているのがうれしくてたまらない顔つきで、一歩一歩無言のままのぼった。建築されてからまだ一二年しか経っていないらしいその大きい建物の内部は、適度な煖房のあたたかみにまじってかすかにコンクリートの匂いをさせている。
三階へのぼり切ると、伸子は防寒扉の黒いおもてに35と白ペンキで書いた扉の前にとまった。
「ここなの」
「なるほどね。これじゃ、ぶこちゃんが亢奮するのも尤だ」
さっき伸子が一人で見に来たときには、髪にマルセル・ウェーヴをかけて、紺のワンピースをきた大柄な細君と五つばかりの男の児しかいなかった。こんどは、
ルイバコフの話によれば、建物は、鉄道労働者組合の住宅協同部が建てたものなのだそうだった。
「鉄道の組合は、ソヴェトの労働組合でも化学をのぞけば最も大規模な一つですからね、おそらく、この建物は、モスク
に建った組合の建物の中じゃ、一番早かった部でしょう」十年の年賦がすむと、その四つの部屋と浴室、共同の物干場をもったアパートメントはルイバコフの所有になるのだった。あいている一室を利用することは伸子たちの便利と同時に、ルイバコフの経済にも便利だ。従って室代も決して不合理には要求しようと思わない。
そんな話を、ルイバコフ夫婦、伸子、素子の四人がこれから借りようとし、貸そうとしている室で話しあったのだったが、赭っぽい鼻髭のルイバコフは人はわるくないがいくらか慾ふかそうな顔つきで、その室の入口の左手に置いてある衣裳箪笥にもたれて立って話している。マルセル・ウェーヴがやや不釣合な身だしなみに見える味のない大柄な細君はドアを入ってすぐのところで、縦におかれている寝台の裾に一メートルばかりあいたところがある、そこに佇んでいる。寝台の頭と直角に壁をふさいでいるもう一つの寝台兼用の皮張り大型ディヴァンに素子がかけ、ディヴァンに向ってその室の幅いっぱいの長テーブルのこっち側の椅子に伸子が横向きにかけていた。小さな室はアストージェンカの角を占める建物の外側に面しているので伸子のうしろの窓からは雪の丘と大教会が目のさきに見えた。素子が奥のディヴァンにおさまっているのは、そこを選んでかけた、というよりも、むしろそっちへ行ってみていた彼女のあとから伸子やルイバコフ夫妻がつめかけたので、素子はディヴァンと長テーブルとの間から出られなくなってしまっている、という方がふさわしかった。そんなにそれは小さな室なのだった。
伸子たちこそ、モスク
市街地図の上でさがさなければならない一区画であったが、アストージェンカと云えば、モスク
の人には知られている場所だった。伸子が、遠くから金色にきらめいて見える円屋根を、目じるしにして電車を降りた小高い丘の上の大寺院はフラム・フリスタ・スパシーチェリヤ(キリスト感謝寺院)とよばれていて、一八一二年、ナポレオンがモスク
を敗走したあと、ロシアの勝利の記念のために建てられたものだった。ロシアじゅうから種類のちがう大理石を運びあつめてその大建造がされたこと、大円屋根が本ものの金でふかれていること、大小六つの鐘の音は特別美しく響いて聳えている鐘楼からモスク
の果まできこえる、ということなどでこの寺院はモスク
の一つの有名物らしかった。ナポレオンが、モスク
の焼けるのをその上に立って眺めたという雀ケ丘と、遙かに相対す位置に建てられたというから、おそらく十九世紀はじめのアストージェンカは、クレムリンの城壁を出はずれたモスク
河岸の寂しく郊外めいた一画であったのだろう。そして、遊山がてら、フラム・フリスタ・スパシーチェリヤを見に来るモスク
人たちは、きっと雪のつもったフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの建っている丘の周囲は、石の胸壁をめぐらされ、一本の狭い歩道がぐるりとその胸壁の下をまわって、川に面した寺院の正面石段から下りて来たところの道に合している。もう一本、伸子たちが出入りするアストージェンカ一番地の板囲いの前をとおっている歩道が、ずっと河岸近くまで行ったつき当りのようなところに、賑やかな色彩のタイルをはめこんだペルシア公使館の建物があった。河岸はどこでも淋しい。その上に、雪にとざされて、交通人の絶えているフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの大階段のあたりは眺望が
アストージェンカ一番地という場所は、面白い位置だった。河岸はそんなに荒涼とし、淋しさにつつまれているけれども、電車がとおる道の方は、三四流の商店街で、夜でも雪の歩道に灯が流れた。モスク
を、半円にかこんでいる二本のひとが、或る町に住んでいて、やがてもうそこには住まなくなる。そのことには、何か不思議な感覚があった。伸子たちの窓からみえる景色が、トゥウェルスカヤ大通りの裏側のこわれた大屋根の鉄骨ではなくなって、アストージェンカの大きいばかりで趣味のないフラム・フリスタ・スパシーチェリヤであり、
アストージェンカの室の二重窓にカーテンがなかったから、雪明りまじりの朝の光はいきなり狭い室の奥にまでさした。寝台がわりのディヴァンの上で目をさまし、そういう清潔ではあるがうるおいのない朝の光線に洗われて、すぐ横から突立っている大テーブルの上に、ゆうべ茶をのんだ水色エナメルのやかんが光っているのを眺めたりするとき、伸子は自分たちの生活がほんとに平凡なモスク
暮しの道具だてにはまって来たのを感じた。そして、伸子としてはその平凡であるということに云いつくせない勇躍があり満足があった。夜になるとカーテンのないアストージェンカの室の窓ガラスの面に、伸子たちが室内でつけているスタンドの緑色のかさの灯かげが映った。長テーブルの中央に本を並べてこしらえた区切りのあっち側に素子が、こっちのドアに背をむける側が伸子の場所だった。ルイバコフの夫婦は小さい男の子を寝かしてから二人で映画へ出かけ、台所に女中のニューラがいるだけだった。アパートじゅうは暖くて、しんとしている。八時になると、ギリシア系で浅黒い皮膚をしたニューラがドアをたたき、
「お茶の仕度が出来ました」
コップや急須をのせた盆をもち、水色エナメルやかんを下げて入って来る。伸子たちは、朝と夜の茶の仕度だけをルイバコフの台所でして貰って、
「秋山さんたちどうしてるでしょうね」
と云った。伸子たちがパッサージ・ホテルをひきあげてアストージェンカに移るときまったとき、秋山宇一は記念のために、と云って、ウクライナの民謡集を一冊くれた。それは、水色の表紙に特色のあるウクライナ刺繍の図案のついた見事な大判の本だった。
「これは、あるロシア民謡の研究家がわたしにくれたものですがね」
その扉にエスペラントと日本字で、ゆっくりサインをしながら秋山宇一が言った。
「わたしがもっていても仕様がないですからね」
楽譜づきで、ウクライナの民謡が紹介してある本だった。秋山宇一は、メーデーをみてから帰ると云っていた。
伸子は、長テーブルの端三分の一ばかりのところに食卓をこしらえつづけた。ひろげた紙の上に、大きなかたまりになっている砂糖を出して、
の人々は毎日誰だってありふれたアルミニュームのやかんで、ガスだの石油コンロだので格別かわったところもなく湯をわかしているのだ。色つけ経木の桃色リボンで飾られたりしてはいない自分のうちの食堂でたべ、さもなければ、この頃伸子たちがちょくちょく行くような、街のあんまり小ざっぱりもしていないトゥウェルスカヤ界隈で伸子たちのよく行った映画館は、第一ソヴキノや、音楽学校の立派なホールを利用したコロスなどだった。アストージェンカへ来てから、伸子が一人で行く小さな映画館は、昼間伸子がそこでプロスト・クワシャを買ったりパンを買ったりするコムナールの三階にあった。すりへって中凹になった白い石の階段をのぼりきったとっつきにガラスばりのボックスがあって、そこで切符を買い、
そのうちにその日の何回目かの上映が終って、観客席のドアが開いた。
アストージェンカの生活には、三重顎のクラウデも現れず、ポリニャークも遠くなった。伸子の心は次第に重心を沈め、心の足の裏がふみごたえある何ものかにふれはじめた感じだった。それは伸子に、ものを書きたい心持をおこさせはじめた。
丁度そのころ、モスク
の雪どけがはじまった。伸子の住んでいる建物の板囲いのなかにも、往来にも、
じゅうはねだらけの、ほんものの早春が来た。馬も人もはねだらけになって往来し、冬のうち積った雪に吸いとられていた生活の音響がゆるんだ雪の下からいっせいに甦って来た。道のひどいぬかるみと、抑えるに抑えきれないような生命のそよぎ、歩くどの道もいまにも辷りそうにつるつるしたこわさなどで、にわかに重さの感じられる冬外套の下で伸子は汗ばみながら上気した。食料品販売所のドアをあけて入ると、その内部は冬の間じゅうより奥が深く暗く感じられ、ゆるんだ店内の空気に、床にまかれている濡れオガ屑の鼻をさすような匂いと、燻製魚類の燻しくさい匂いとがつよくまじった。つり下げられている燻製魚の金茶色の鱗にどこからか一筋射し込む明るい光線があたって、暗いなかに光っている。そんな変化も春だった。伸子のものをかきたい心持は、一層せまった。瞳のなかに疼く
「
と伸子をよびとめた。そして一束の花束をさし出した。
「
伸子はその花束を眺め、ポケットからチャックつきの赤いロシア鞣の小銭入れを出し、婆さんに三十五カペイキやって花束をうけとった。雪の下という花は、日本で伸子の知っている雪の下のけば立った葉とちがって、つるつるした
の春の初花にちがいなかった。伸子は、ガラスの小さい杯に水を入れて花束をそこにさした。そして、大机の自分の領分に飾った。ガラス杯の細いふちに春の光線がきらめいている。窓のそとのフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの丘の上は、そこも一面の雪どけで、不規則に反射する明るさのために大きな金の円屋根はひとしお金色にかがやいて見える。――伸子は、ものを書きはじめた。
二
その日は日曜日だった。素子は、この頃たいてい毎日モスク
大学の文科の講義をききに行っていた。その留守の間、伸子は一人をたのしく室にいた。そして伸子の旅費を出している文明社へ送るためにモスク
の印象記を書いていた。日曜は素子の大学も休みだし、従って一つしかテーブルのない室では伸子の書く方も休日にならないわけにゆかず、二人は、ゆっくりおきて、素子は背が高いからそっちにそこへドアをノックして、ニューラがギリシア式の、鼻筋のとおった浅黒い顔をだした。そして、なまりのつよい発音で、
「あなたがたのところへ、お客ですよ」
と告げた。
伸子と素子とは思いがけないという表情で顔を見合わせた。誰が来たんだろう。二人はまだ起きたばかりでちゃんと衣服をつけていなかった。
「――仕様がないじゃないか!」
素子が、ロシア風に、困ったとき両手をひろげるしぐさをしてみせながらニューラに云った。
「みておくれ、私たちはまだ着物をきていないんだから……どうかニューラ、お客の名をきいて来ておくれ」
いそいで寝床のしまつをし終りながら、伸子が、
「朝っから誰なのかしら」
不思議そうに云った。もし秋山宇一なら、こんな朝のうちに来るわけはなかった。まして、気のつく内海厚がついていて、伸子たちの寝坊は知りぬいているのだから。
ニューラが戻ってきて、またドアから首をさし入れた。
「お客さんは、ミャーノってんだそうです。レーニングラードからモスク
へついたばかりだって」「ミャーノ?」
素子はわけの分らない表情になった。が、
「それはロシア人なの? 日本人なの?」
改めて気がついてききただした。ニューラには、はっきり日本人というものの規定がわからないらしくて、迷惑そうにドアのところでもじもじと立っている足をすり合わした。
「ロシア人じゃないです」
そのとき、伸子が、
「ね、きっとミヤノって名なのよ。それがミャーノってきこえたんだわ、ニューラに……そうでしょう?」
「ああそうか、なるほどね。それにしたって宮野なんて――知ってるかい?」
「知らないわ」
「だれなんだろう」
ともかく、廊下で待っていて貰うようにニューラにたのんで、伸子たちは、浴室へ行った。
顔を洗って室へ戻ろうとすると、ほんのすこし先に行った素子が、
「おや! もう来ていらしたんですか!」
と云っている声がした。それに対して低い声で何か答えている男の声がきこえる。伸子は、その声にきき耳を立てた。ニューラが間ちがえて通してしまったんだろうか。女ばかりの室へ、いないうちに入っているなんて――。伸子は浴室から出られなくなってしまった。例のとおり紫の日本羽織はきているものの、その下はスリップだけだった。
浴室のドアをあけて、伸子は素子をよんだ。そして、もって来て貰ったブラウスとスカートをつけ、又、その上から羽織をはおって、室へ戻ってみると、ドアの横のベッドの裾のところの椅子に、一人の男がかけている。入ってゆく伸子をみて、そのひとは椅子から立った。一種ひかえめな物ごしで、
「突然あがりまして。宮野です」
と云った。
「レーニングラードでバレーの研究をして居られるんだって」
「着いて停車場から
そのひとはほんの一二分の用事できている人のように、カラーにだけ毛のついた半外套をきたまま、そこにかけていた。伸子は、その形式ばったような行儀よさと、いきなり女の室に入っていたような厚かましさとの矛盾を妙に感じた。意地わるい質問と知りながら伸子は、
「秋山宇一さんとお知り合いででもありますか」
ときいた。
「いいえ。――お名前はよく知っていますがおめにかかったことはありません。まだ居られるそうですね」
「じゃ、どうして、わたしたちがこんなところにいるっておわかりになったのかしら――」
紹介状もない不意の訪問者は二十四五で、ごくあたりまえの身なりだった。ちょっとみると、薄あばたでもあるのかと思うような顔つきで、長い睫毛が、むしろ眼のまわりのうっとうしさとなっている。
宮野というひとは、遠慮ない伸子のききかたを、おとなしくうけて、
「大使館でききましたから」
と返事した。伸子には不審だった。レーニングラードからモスク
へ着いて真直来たと云った人が、大使館で、きいて来たという、前後のいきさつがのみこめなかった。しばらくだまっていて、伸子が、「――きょうは何曜?」
ゆっくり素子に向って、注目しながらきいた。
「日曜じゃないか!」
わかりきってる、というように答えたとたん、素子はそうきいた伸子の気持をはっきりさとったらしかった。日曜日の大使館は、一般の人に向って閉鎖されているのだった。ふうん、というように、素子はつよく大きくタバコの煙をはいた。
「ずっとレーニングラードですか?」
こんどは素子がききはじめた。レーニングラードはモスク
より物価もやすいし、住宅難もすくないから、レーニングラードにいるということだった。同じような理由から、外務省の委托生――将来領事などになるロシア語学生も、何人かレーニングラードにいるということだった。「バレーの研究って――わたしたちはもちろん素人ですがね、自分で踊るんですか」
「そうじゃありません、僕のやっているのは舞踊史とでもいいましょうか……何しろ、ロシアはツァー時代からバレーではヨーロッパでも世界的な位置をもっていましたからね。――レーニングラードには、もと王立バレー学校がありましたし、いまでも、その伝統があってバレーでは明らかにモスク
をリードしていると思います」「――失礼ですが、わたしたち、お茶がまだなのよ」
伸子が言葉をはさんだ。
「御免蒙って、はじめてもいいかしら」
「どうぞ。――すっかりお邪魔してしまって……」
「その外套おとりになったら?」
明らかに焦だって伸子が注意した。
「あなたに見物させて、お茶をのむわけにもいかないわ……」
そのひとにもコップをわたして、バタをつけたパンとリンゴで茶をのみはじめた。そうしているうちに、伸子の気分がいくらかしずまって来た。不意にあらわれた宮野という人物に対して、自分は礼儀の上からも実際の上からも適切にふるまっていないことに気づいた。話がおかしいならおかしいでもっと宮野というひとについて具体的に知っておくことこそ、必要だ。伸子はそう気づいた。
「いま第一国立オペラ・舞踊劇場で『赤い
ちゃんと着かえる機会を失った素子が部屋着のまま、茶をのみながら話していた。
「あんなのは、どうなんです? 正統的なバレーとは云えないんですか」
「レーニングラードでは、このシーズン、『眠り姫』をやっているんですが、僕はやっぱり立派だと思いました――勿論『赤い罌粟』なんかも観たくてこっちへ来たんですが」
宮野というひとは、
「僕は主として古典的なバレーを題目にしているんです。何と云ってもそれが基礎ですから」
と云った。
その頃、ソヴェトでは、イタリー式のバレーの技法について疑問がもたれていた。極度にきびしい訓練やそういう訓練を経なければ身につかない爪立ちその他の方法は、特別な職業舞踊家のもので、大衆的な舞踊は、もっと自然であってよいという議論があった。伸子がこれまでみた労働者クラブの舞踊は、集団舞踊であっても、いわゆるバレーではなかった。伸子は、すこし話題が面白くなりかかったという顔つきで、
「日本でも、バレー御専門だったんですか?」
ときいた。
「そうでもないんです。――折角こっちにいるんだからと思いましてね。バレーでもすこしまとめてやりたいと思って……」
再び伸子は睫毛のうっとうしい宮野の顔をうちまもった。何て変なことをいうひとだろう。折角こっちにいるんだから、バレーの研究でもやる。――外交官の細君でもそういうのならば、不思議はなかった。良人が外交官という用向きでこっちへ来ていて、自分も折角いるのだから、たとえばロシア刺繍でもおぼえたい、それならわかった。けれども、この若い男が――では、本当の用事は何でこのひとはソヴェトへ来たのだろう。はじめっからバレーの研究をするつもりもなくて来て、折角だからバレーでもやろうというような話のすじは、伸子にうす気味わるかった。伸子にしろ、素子にしろ、フランスではないソヴェトへ来るについては、はっきりした目的をきめているばかりか、いる間の金のやりくりだって、旅券やヴィザのことだってひととおりならないことで来ている。それだのに――伸子はかさねて宮野にきいた。
「どのくらい、こっちにいらっしゃる予定なの」
「さあ――はっきりきまらないんです。――旅費を送ってよこす間は居ようと思っていますが……」
素子が、へんな苦笑いを唇の隅に浮べた。
「何だか、ひどくいい御身分のようでもあるし、えらくたよりないようでもありますね」
「そうなんです」
「そんなの、落付かないでしょう。――失敬だが、雑誌社か何かですか、金を送るってのは……」
「西片町に一人兄がいるんです。その兄が送ってよこすんですが――大した力があるわけでもないんだから、どういうことになりますか……」
そういいながら、宮野はちっとも不安そうな様子も示さないし、その兄という人物から是非金をつづけて送らせようとしている様子もない。
茶道具を片づけて台所へ出て行った伸子は、つかみどころのない疑いでいっぱいだった。どういうわけで、宮野という人が伸子たちのところへ来たのか、その目的が感じとれなかった。ただ友達になろうというなら、どうして誰かから紹介されて来なかったのだろう、たとえば大使館からでも。――大使館からでもと思うと、伸子は宮野の身辺がいっそうわからなくなった。その大使館で、伸子の住所をきいて来たと云ったって、今朝はしまっているはずなのに。――
はっきりした訪問の目的もわからずに、日本人同士というだけでちぐはぐな話をだらだらやっているうちに、一緒に
ややしばらくして、伸子は思いこんだような顔つきになって、室へ戻って行った。そして、苦しそうな、せっぱつまった調子で、
「ねえ」
と素子に云いかけた。
「失礼だけれど、わたしたち、そろそろ時間じゃない?」
素子は、この突然の謎をとくだろうか。その日曜に外出の約束なんか二人の間に一つもありはしなかったのだから。素子は、
「ああ」
と、ぼんやり答えたぎり、窓のそとにキラキラするフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根の方を眺めてタバコをふかしている。宮野は伸子がそう云い出しても帰りそうな気配がなかった。
伸子は、また落付かなくなって室を出た。自分たちも出かけるにしろ、伸子は行先にこまった。日曜にあいているところ、そして、男はついて来にくいようなところ、どこがそういう場所だろう。伸子は、やっと裁縫師のところを思いついた。室へ戻ると、それをきっかけのように素子がテーブルのあっち側に立ち上った。
「じゃ、出かけましょうか」
ひどくあっさりときり出した。
「あなたもその辺まで御一緒に、いかがです?」
素子独特の淡白さで、着がえのために宮野に室から出て貰った。衣裳ダンスの前で上衣を出しかけている素子の耳へ口をよせて伸子が心配そうにささやいた。
「行くところ、わかってる?」
素子はニヤリとした。そしてテーブルのところへ行って引出しから財布を出しながら、そばへよって行った伸子にだけきこえる声で、
「ついて来りゃいいのさ」
と云った。
外へ出ると、春のはじめの快晴の日曜日らしさが町にも並木道の上にもあふれていた。ふだんよりゆっくり歩いている通行人たちはまだ防寒外套こそ着ているけれども、膝頭まであるワーレンキがたいてい軽いゴムのオヴァ・シューズだった。車道との間にはとけたきたない雪だまりと雪どけ水の小川が出来ているが、きょうは歩道の真中が乾いて石があらわれている。伸子たちにとっては、春がきたモスク
の歩道をじかに踏む第一日だった。「――乾きはじめたわねえ」
伸子は天気のよさをよろこびながら、こんな事情で出て来たことを辛がっている声でつぶやいた。
素子は三人のすこし先に立つようにアストージェンカの角まで来た。そこで、立ちどまった。そして、
「宮野さん、どっちです?」
ふりむくようにしてきいた。折から、左手のゆるやかな坂の方から劇場広場の方向へゆく電車がのんびりした日曜日の速力で来かかっている。
伸子たちが住んでいる建物の板囲いからいくらも来ていないのに、いきなり素子からそうきかれて、宮野は
「――僕は、『赤い罌粟』の切符を買いに行っておきましょう」
「じゃ」
素子が、鞣帽子をかぶっている頭をちょいと下げて会釈した。
「わたしたち、こっちですから……」
宮野は鳥打帽のふちに手をかけた。
「レーニングラードへいらっしゃることもあるでしょうから――いずれまたゆっくりあちらでお目にかかります」
こうして宮野は電車の停留場のところへのこった。
伸子たちは、自然、停留場のあるその町角をつっきって、
得体のしれない客に気分を圧しつけられていた伸子はしっとりした黒い土の上の道を、往き来の群集にまじって歩きながらふかい溜息をつくように、
「ああ、
と云った。冬のぼてついたものは、みんな体からぬいでしまいたい。早春の日曜日の並木道は、すべての人々をそういう心持にさせる風景だった。それでも、モスク
人は北方の季節の重厚なうつりかわりをよく知っていて、まだガローシをぬいでいるものはなかったし、外套のボタンをはずしているものもなかった。とける雪、暖くしめった大地、芽立とうとしている樹木のかすかな樹液のにおい。それらが交りあって柔かく濃い空気をたのしみながら、伸子と素子とはしばらくだまって「わたし、びっくりしちゃった」
歩きながら伸子が云った。
「あんな風に出来るのねえ。わたしは、本気で行くさきを考えて、苦心したのよ」
「ああでいいのさ」
日本服なら、片手はふところででもしていそうな散歩の気分で素子が答えた。
「先手をうてばいいのさ」
「――あの宮野ってひと……どういうんだと思う?」
まだこだわって、伸子が云い出した。
「ぶこちゃん、だいぶ神経質になってるね」
「たしかにそうだわ。曖昧なんだもの――西片町の兄さんだのって――誰だって外国にいるとき、お金のことはもっと本気よ。まるで帰れと言われればすぐ帰る人間みたいじゃないの。あの話しぶり……」
宮野という男が、室を出入りするとき妙にあたりの空気を動かさないで自分の体だけその場から抜いてゆくような感じだったことを思い出して、伸子は、それにもいい心持がしなかった。たとえば内海厚という人などにしても、どういう目的で秋山宇一と一緒にソヴェトに来ているのか、伸子たちにはちっともわかっていなかった。秋山宇一が日本へかえっても、彼だけはあとにのこるらしいくちぶりだけれど、それとてもモスク
でどんな生活をやって行こうとしているのか、伸子たちはしらない。知らないなりに、内海厚の万端のものごしはあたりまえで、あたりまえにがたついていて、伸子たちに不審の心を抱かせる点がなかった。「――まあ、どうせいろんな人間がいるんだろうさ、それはそれなりにあしらっとけばいいのさ。――何もわたしたちがわるいことしてやしまいし……」
「そりゃそうよ。もちろんそうだわ。誰だって、ここでわるいことなんてしようとしてやしないのに――ソヴェトの人たち自身だってもよ――なぜ……」
伸子はつまって言葉をきった。伸子も宮野という人を、暗い職業人だと断定してしまうことは憚られた。しばらく黙って歩きながら、やがて低い、不機嫌な声で続けた。
「――
「そんなこと、むこうの勝手じゃないか。こっちのかまったこっちゃありゃしない」
伸子たちは、いつか
の子供たちを眺めていた。日曜の「あれなんだろう」
と、その店先へよって行った。売り出されたばかりの「プロジェクトル」というグラフ雑誌が表紙いっぱいにゴーリキイの写真をのせて、幾冊も紐から吊り下げられていた。
三
その展覧会場の最後の仕切りの部分まで見終ると、伸子はゆっくり引かえして、また一番はじめのところへもどって行った。
作家生活の三十年を記念するゴーリキイの展覧会のそこには、マルクス・レーニン研究所から出品された様々の写真や書類が陳列されていた。けれども、おしまいまで何心なく見て行った伸子は、これだけの写真の数の中にゴーリキイの子供の時分を
伸子は、またはじめっから、仕切りの壁に沿って見なおして行った。マクシム・ゴーリキイが生れて育った古いニージュニ・ノヴゴロドの市の全景がある。ヴォルガ河の船つき場や荷揚人足の群の写真があり、ニージュニの町はずれの大きなごみすて場のあったあたりもうつされている。写真の下に簡単な解説が貼られていた。このごみすて場からボロや古釘をひろって、祖母と彼のパンを買う「小銭を稼いだ」と。けれども、そこには、ごみすて場をあさっている少年ゴーリキイの写真は一枚もなかった。
写真の列は年代を追って、伸子の前にカザンの市の眺望を示し、アゾフ海岸の景色や、近東風な風俗の群集が動いているチフリス市の光景をくりひろげた。解説は語っている。カザンで十五歳のゴーリキイを迎えたのは彼がそこへ入学したいと思ったカザン大学ではなくて、貧民窟と波止場人足。やがてパン焼職人として十四時間の労働であったと。ここにもゴーリキイそのひとは写っていない。
伸子は、カバンの河岸という一枚の写真の前に立ちどまってしみじみ眺めた。ゴーリキイは、二十歳だった。そう解説は云っている。夜この河岸に坐って、ゴーリキイは水の面へ石を放りながらいつまでも三つの言葉をくりかえした。「俺は、どうしたら、いいんだ?」と。陳列されている写真の順でみると、それから間もなくゴーリキイはニージュニへかえり、ヴォルガの岸でピストル自殺をしかけている。苦しい、孤独な
黒い鍔びろ帽子を少しあみだにかぶって、ルバーシカの上に外套をひっかけ、日本の読者にもなじみの深いゴーリキイが、芸術家風というよりはむしろロシアの職人じみた長髪で、その荒削りの姿を写真の上に現しはじめたのは一九〇〇年になってからだった。その頃から急にどっさり、華々しい顔ぶれで撮影されている。記念写真のどれを見ても、当時のロシアとヨーロッパの真面目な人々が、ゴーリキイの出現に対して抱いた感動が伝えられていた。気むずかしげに角ばった老齢の大作家トルストイ。穏和なつよさと聰明のあふれているチェホフ。芸術座によって新しい劇運動をおこしはじめたスタニスラフスキーやダンチェンコ。だれもかれも、ロシアの人特有の本気さでゴーリキイとともにレンズに顔をむけてうつされている。「マカール・チュードラ」「鷹の歌」「三人」やがて「小市民」と「どん底」などの古い版が数々の記念写真の下の台に陳列されはじめている。ゴーリキイは、ツァーの専制の下で無智と野蛮の中に生を浪費していた人民の中から、「非凡、善、不屈、美と名づけられる細片」をあつめ描きだした、と解説は感動をこめて云っているのだった。
その展覧会はやっときのう開かれたばかりだった。まだ邪魔になるほどの人もいない明るくしずかな会場のそこのところを、伸子は一二度小戻りして眺めた。有名になり、作品があらわれてからのゴーリキイは、こんなに写真にとられ、その存在はすべての人から関心をもたれている。だけれども、それまでのゴーリキイ、生きるためにあんなに骨を折らなければならなかった子供のゴーリキイ。
ゴーリキイの幼年と青年時代を通じて、一枚の写真さえとられていない事実を発見して、伸子は新しく鋭く人生の一つの面を拓らかれたように感じた。トルストイの幼年時代の写真は全集にもついていた。レーニンも。チェホフはどうだったろう? 会場の窓ぎわに置かれている大きい皮ばりの長椅子にかけて休みながら、伸子は思い出そうとした。チェホフの写真として伸子の記憶にあるのは、どれも、ここにゴーリキイとうつっているような時代になってからのチェホフの姿ばかりだった。少年のチェホフの写真をみた人があるかしら。――記憶のあちこちをさぐっていた伸子は、一つのことにかっちりとせきとめられた。それはチェホフも少年時代はおそらく貧乏だったにちがいない、ということだった。チェホフの父は解放された農奴でタガンローグというアゾフ海の近くのどこかの町で
それらのことに気がつくと、伸子はひとりでに
雪どけが終って春の光が溢れるようになると、モスク
の
大学の構内で、ときには繁華な通りでビルディングを背景に入れたりして、おたがいに写真をうつし合っているソヴェトの若い人たちを、どっさり見かけるようになった。つい二三日前、伸子と素子とがブリ
ールを散歩しているときだった。そこの菩提樹の下に古風な背景画を立て、三脚を立てた写真師が日本でなら日光や鎌倉などでやっているように店をはっていた。五十カペイキでうつすと書いた札が菩提樹の幹にはってあった。伸子たちが通りかかったとき丁度一人の若い断髪の女が、生真面目にレンズを見つめて、シャッターが切られようとしているところであった。その肥った娘の赭ら顔の上にあるひなびたよろこびや緊張を伸子は同感して見物した。ソヴェトらしい素朴な「こういうところをみるとロシアって、やっぱりヨーロッパでは田舎なのねえ」
そして、連想のままに、
「ヨーロッパで、日本人を見わける法ってのがあるんだって。――知っている?」
「知らないよ」
「黄色くって、眼鏡をかけて、立派な写真器をもって歩いているのは日本人てきまっているんだって」
「なるほどねえ」
展覧会場の長椅子の上で、伸子が思い出したのは、この自分の会話だった。ゴーリキイの幼年時代や青年の頃一枚の写真さえもっていなかったということ。そしてあんなにゴーリキイが愛して、命の糧のようにさえ思っていた話し上手のお祖母さんの写真さえ、ただ一枚スナップものこされていないという現実は、伸子に自分のお喋りの軽薄さを苦々しくかえりみさせた。ロシアの貧しかった人々の痛ましい生活の荒々しさ。無視された存在。現在ソヴェトの若い人たちが、あんなに嬉々として春の光を追っかけて互に写真をとりあっていることは、決してただ田舎っぽいもの珍しさだけではなかった。
伸子は、あんな小憎らしい日本の言葉が、まわりの人たちにわからなかったことをすまなくも、またたすかったとも思った。
これまでの社会で写真というものは、ただそれを写すとか写さないとかいうだけのものではなかったのだ。伸子ははじめて、その事実を知った。写真をうつすということが、金のかかることである時代、何かというと写真をうつす人々は、それだけ金があり自分たちを記念したり残したりする方法を知っている人たちであり、写真を眺めて、その愉快や愛を反復して永く存在させる手段をもった人々であった。写真というものがロシアのあの時代に、そういう性質のものでなかったのなら、ゴーリキイのロマンティックで野生な人間性のむき出された少年時代のスナップが、誰かによって撮られなかったということはなかったろう。チェホフの子供時代にしろ、小父さんのとった一二枚の写真はあり得ただろう。
ソヴェトの若い人たちが、写真器をほしがり、一枚でも自分たちの写真をほしがっているのは、伸子が浅はかに思ったような田舎っぽい物珍しがりではなかった。金もちや権力からその存在を無視され、自分からも自分の存在について全く受け身でなげやりだった昔のロシアの貧しい
こういう点にふれて来ると、伸子は、自分がどんなに写真というものについてひねくれた感情をもっているかと思わずにいられなかった。そして、ヨーロッパ見物の日本人について云われる皮肉と、ソヴェトの写真ばやりとを、同じ田舎くささのように思ったひとりよがりにも、胸をつかれた。
伸子は、子供のときから、モスク
へ来てニキーチナ夫人と一緒にうつした写真まで、無数と云うぐらいどっさり写真をとられた。それは生後百日記念、佐々伸子、と父の字で裏がきされている赤坊の伸子の第一撮影からはじまった。そこには、ゴム乳首をくわえている幼い総領娘の手をひいた佐々泰造の若いときの姿があり、被布をきた祖母が居り、弟たち、母がいた。ニューヨークで佃と結婚したとき、伸子はその記念のためにとった写真の一つを思い出した。平凡に並んでうつしたほかに、伸子は自分のこのみで、佃と自分の顔をよせ、横から二人の輪廓を記念メダルの構想で写してもらった。佃の彫りの深い横顔を大きくあらわして、その輪廓に添えて、二十一歳の軟かく燃える伸子の顔の線をあらわすようにした。六年たって、佃と離婚したあと、伸子はその写真を見るに堪えなかった。写真がそんなに佃と自分との結合を記念して、消えないのが堪えがたかった。書いた日記を破ったりしたことがないほど生活をいとしむ伸子であったが、そのメダル風の写真は、台紙からはがしてストーヴの火のなかに入れた。伸子は写真ぎらいになっていた。十八ぐらいからあと、伸子は、自分が写真にとられなければならなくなる羽目そのものを厭うことから、写真ぎらいになって来た。それは見合い写真をとらされることから、気もちのはっきりした娘たちが屈辱に感じて、いやがるのとはちがった。ゴーリキイが人生にさらされたのと、反対の角度から、伸子は、早く世間にさらし出された。それは、伸子が少女の年で小説をかき出したということが、原因であった。伸子は、新聞や雑誌から来る写真班に、うつしてほしくないときでも写真をとられた。それらの写真は、いつも好奇心と娘について示される多計代の関心に対する皮肉と伸子の将来の発展に対する不信用の暗示をふくんだ文章とともに人目にさらされた。伸子には、それが辛かった。そういう人工的なめぐり合わせをいやがって、普通の女としての生活に身を投げるように佃と結婚したのだったが、そこにもまた写真はつきまとった。伸子が思いがけなく唐突な結婚をしたと云って。身もちになってしまったからそのあと始末に仕方なく佃というアメリカごろつきと夫婦にもなったのだそうだ、という噂などを添えて。
それらすべては伸子にとって苦しく、伸子の意識を不自然にした。伸子が、母の多計代に対してはたで想像されないほど激越した反撥をもちつづける原因も、伸子のその苦悩を多計代が理解しないことによっている。世間の期待と云えば云えたのかもしれないが、伸子の感じから云えば無責任な要求に、多計代は娘を添わして行きたがった。伸子は、それに抵抗しないわけにゆかなかった。
目の前に、赤い布で飾られたゴーリキイ展の一つの仕切りを眺めながら、伸子は限りなくくりひろがる自分の思いの裡にいたが、その赤い飾りの布の色は段々伸子の眼の中でぼやけた。あんなに自分の境遇に抵抗して来ているつもりでも、伸子は、やっぱりいやにすべっこくて艷のいいような浅薄さをもっている自分であることを認めずにいられなくなった。いやがる自分をうつそうとする写真を軽蔑しながら、結局伸子はうつされた。写されながらいやがって、写真を金のかかる貴重なものとし、大切にするねうちのあるものとして考える地味な正直な人々、一枚の写真のために自分で働いて稼いだ金のなかから支払わなければならない人々の心と、とおくはなれた。これは、中流的なあさはかさの上に所謂文化ですれた感覚だと伸子は思った。そう思うと展覧会の飾り布の赤い色が一層ぼやけた。すれっからしの自分を自分に認めるのは伸子にとって切なかった。
伸子は、どこかしょんぼりとした恰好で、中央美術館のルネッサンス式の正面石段を一歩一歩おりて、通りへ出た。雪どけが終って、八分どおり道路が乾いたらモスク
は急に喧しいところになった。電車の響、磨滅して丸いようになった角石でしきつめられている車道の上を、頻繁に荷馬車や辻馬車が堅い車輪を鳴らし、蹄鉄としき石との間から小さい火花を散らしながら通行する物音。伸子が来たころモスク
は雪に物音の消されている白いモスク
だった。それから町じゅうに雪どけ水のせせらぎが流れ、日光が躍り雨樋がむせび、陽気ではねだらけでモスク
は音楽的だった。こうして、道が乾くと乾燥しはじめた春の大気のなかでは、電車の音響、人声、すべてが灰色だの古びた桃色だのモスク
へ来て半年たったきょう伸子の心の中でも下地がむき出しにあらわされた。歩くに辛いその心の上を歩いてゆくように伸子はアストージェンカへの道を行った。ソヴェトの人たちが、ゴーリキイを我らの作家として認めている。それにはどんなに深く根ざした必然があるだろう。歩きながらも伸子はそのことを思わずにいられなかった。
ソヴェトに子供の家のあること、児童図書館のあること。働く青年男女のために大学が開放されていること。ソヴェトの民衆は自分たちの努力と犠牲とでそういう社会を組み立てはじめたことについて誇りとよろこびとを感じている。少年時代のゴーリキイの日々は、ソヴェトの表現でベスプリゾールヌイ(保護者なき子)と云われる浮浪の子供たちの生活だった。ヴォルガ通いの汽船の料理番から本をよむことを習って大きくなったゴーリキイは、ソヴェトに出来はじめている児童図書館の事業を自分のやきつくような思い出とともに見守っているのだ。そしてすべての働く若もののために大学があることを。「私の大学」でない大学がソヴェトに出来たことを。
ゴーリキイは、生きるために、そして人間であるためにたたかわなければならなかった。ロシアの人民みんながそのたたかいを経なければならなかったとおり。そしてゴーリキイの物語は、どれもみんなその人々の悲しみと善意ともがきの物語りである。これらの人々が自分たちの人生を変革し、人間らしく生きようと決心して、忍耐づよくつづけた闘争の過程で、ゴーリキイはペテロパウロフスクの要塞にいれられたし、イタリーへ亡命もしなければならなかった。ゴーリキイの人生はそっくり、正直で骨身惜しまず、人間のよりよい生活のために尽力したすべてのロシアの人々の歴史だった。
伸子は、まだ冬だった頃、メトロポリタンのがらんとした室で中国の女博士のリンに会った帰り途、自分に向って感じた問いをゴーリキイ展からの帰り途ひときわ深く自分に向って感じた。伸子の主観ではいつも人生を大切に思って来たし、人々の運命について無関心でなかった。女として人として。だけれども、伸子は、誰とともに生き、誰のための作家なのだろう。伸子はどういう人達にとっていなくてはならない作家だと云えるだろう。
伸子は、アストージェンカの角を横切りながら再び肩をちぢめるような思いで、写真について生意気に云った自分を思いかえした。伸子が、ひとなら、あのひとことで佐々伸子を憎悪したと思う。ああいう心持は、ソヴェトの人たちの現実にふれ合った心でもなければ、日本のおとなしく地味な人たちの素直な心に通じた心でもない。その刹那伸子は、また一つの写真を思い出した。ニキーチナ夫人ととった写真だった。その写真で伸子は真面目に自分の表情でレンズの方を見ながら、手ばかりは写真師に云われたとおり、一方の手を真珠の小さいネックレースに一寸かけ、一方の腕はニキーチナ夫人の肩のところから見える長椅子の背にかけて、両方の手がすっかりうつるようなポーズでとられているのを思い出した。その髯の濃い写真師は、伸子の手がふっくりしていて美しいと云い、ぜひそれを写したいと、伸子にそういうポーズをさせたのだった。ドイツ風というか、ソヴェト風というのか、濃く重い効果で仕上げられたその写真をみたとき、伸子は、ちらりときまりわるかった。幾分てれて、伸子はその写真をとどけて来てくれた内海厚に、
「みんな気取ってしまったわねえ」
と笑った。そこにうつっている秋山宇一も内海厚も素子も、みんなそれぞれに気取って、写真師に云われたとおりになっていることは事実だった。けれども、伸子のポーズでは、伸子の額のひろい顔だちの東洋風な重さや、内面から反映している圧力感とくらべて、平俗なおしゃれな手の置きかたの、不調和が目立った。手が美しいと写真師がほめたとき、伸子は、それが伸子の生活のどういうことを暗示するかまるで考えなかった。しかも、その手の美しさが、何かを創り何かを生んでいる手の節の高さや力づよさからではなく、ただふっくりとしていて滑らかだという標準から云われているとき。――
伸子には、ポリニャークが自分を掬い上げたことや、それに関連して自分が考えたあれこれのことが、写真のことをきっかけとしてちがった光で思いかえされた。これまで、伸子は自分が中流的な社会層の生れの女であることについて、決してそれをただ気のひけることと思わないで来た。気のひけるいわれはないことと考えて来た。そして、ポリニャークやケンペルが、プロレタリアートにこびることに反撥した。駒沢に暮していた時分「リャク」の若いアナーキストたちが来たときも、伸子は、そういう心の据えかたをかえなかった。
それはそれとして間違っていなかったにしろ、いつとしらず自分の身についている上すべりした浅はかさのようなものは、伸子自身の趣味にさえもあわなかった。
伸子は、そういうことを考えながら、
伸子は、住居のコンクリートの段々を、のぼりながら、しつこく自分をいためつけるように思いつづけた。こうしてソヴェトへ来るときにしろ、伸子は自分のまともに生きたいと思っている心持ばかりを自分に向って押し立てて来た。本当の本当のところはどうだったのだろう? 伸子が誰にとってもいなくてはならない人でなかったからこそ、来てしまえたのだと云えそうにも思えた。伸子は誰の妻でもなかった。どの子の母親でもなかった。女で文学の仕事をするという意味では、伸子の生れた階層の常識にとってさえ、伸子はいてもいなくてもいい存在だったかもしれない。そして、伸子の側からは絶えずある関心を惹かれているソヴェトの毎日にとっても、また故国で伸子とはちがった労働の生活をしているどっさりの人々にとっても。――伸子は、その人々の苦闘ともがきの中にいなかったし、この社会に存在の場所を与えられずに生きつづけて来た者の一人ではない。その人たちの作家というには遠いものだったのだ。食事のために素子と会う約束の時間が来るまで、伸子はアストージェンカの室のディヴァンの上へよこになって考えこんでいた。
作家生活の三十年を記念するマクシム・ゴーリキイ展は日がたつにつれ、全市的な催しになった。五月中旬には、五年ぶりでゴーリキイがソヴェトへ帰って来るという予告が出て、モスク
では工場のクラブ図書室から本屋の店にまで、「マクシム・ゴーリキイの隅」がこしらえられた。伸子たちがもと住んでいたトゥウェルスカヤ通りの中央出版所のがらんとした飾窓にも、人体の内臓模型の上にゴーリキイの大きい肖像画がかかげられた。四
そういう四月はじめの或る晩のことだった。
伸子はアストージェンカの室の窓ぎわで、宵の街路を見おろしていた。そして街の騒音に耳を傾けていた。その日の昼ごろ、伸子が外出していた間に、伸子たちの室も窓の目貼りがとられた。帰って来てちっとも知らずにドアをあけた伸子は、室へふみこんだとき彼女に向ってなだれかかって来た騒音にびっくりした。雪のある間は静かすぎて寂寥さえ感じられた周囲だのに、窓の目ばりがとれたら、アストージェンカのその小さな室はまるでサウンド・ボックスの中にいるようになった。建物のすぐ前の小高いところにフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの多角型の大
テーブルのところで、昼間買って来た「赤い処女地」を見ながら素子が、
「きょう、ペレウェルゼフが、ゴーリキイについて一時間、特別講演をしたよ」
と言い出した。
「まあ、みんなよろこんだでしょう?」
「ああ随分拍手だった、前ぶれなしだったから……」
ペレウェルゼフ教授は、モスク
大学でヨーロッパ文学史の講義をしていた。今学期は、ロマンティシズムの時代の部分で、素子はそれを聴講していた。伸子は素子の聴講第一日にくっついて行った。文科だのに段々教室で、一杯つまった男女学生がペレウェルゼフの講義している講壇の端にまであふれて腰かけていた。立って聴いている学生もあった。伸子にはききわけにくいその二時間ぶっとおしの講義が終って四十五分の質問になったとき、そこに風変りの光景がおこった。質問時間には、学生同士が自主的に討論することを許されているらしかった。教授のわきに立って、黒板にもたれるようにしてノートをとっていた数人の学生の中から、学生の質問にじかに解答したり「君の質問は先週の講義の中に話されている」と質問を整理したりした。段々教室の中頃の席に素子と並んでかけて居た伸子は、そのとき、講壇のわきにいる学生の一群の中でも特別よく発言する一人の学生に注意をひかれた。その学生は、ごく明るい金髪の、小柄な青年だった。そばかすのある顔を仰向けて段々教室につまった仲間たちを見まわしながらその学生は、ユーゴーについての質問に応答した。ロシア語ではHの音がGのように発音されるから、その色のさめた葡萄色のルバーシカを着た金髪で小柄な学生は、ギューゴー・ギューゴーとユーゴーを呼びながら、組合の会合で喋るときのとおり、手をふって話していた。その光景は親愛な気分が
「それで何だって?」
とペレウェルゼフ教授の話の内容を素子にきいた。
「ゴーリキイの作品にあらわれているロマンティシズムについて話したんだけれどね」
素子の声に不承知の響があった。
「革命的なロマンティシズムと比較してね、ゴーリキイの多くの作品を貫くロマンティシズムは、概して小市民的な本質だというのさ。『母』だけが階級的なロマンティシズムをもっているっていうわけなんだそうだ」
素子のタバコの煙が、スタンドの緑色のかげのなかを流れている。伸子は、
「ふーん」
と云った。そう云えば、伸子たちがモスク
芸術座で見た「どん底」では、巡礼のルカの役をリアリスティックに解釈していた。「どん底」の人々に慰めや希望を与えるものとしてではなく、現実にはどん底生活にかがまってそこから出ようともしないのに、架空なあこがれ話をくりかえして、不平な人々をなお無力なものにしてゆくお喋りの主として、モスクヴィンのルカは演じられた。とくにそのことが、プログラムに解説されていた。演出の上でルカがそのように理解されたことは、「どん底」の悲惨に一層リアルな奥ゆきを加えて観衆に訴えた。少くとも伸子の印象はそうだった。「ゴーリキイのロマンティシズムが或るとき過剰だったということは、もちろんわかるさ。チェホフが云ったとおりに。しかしね、『母』だけが革命的ロマンティシズムで立派であとは小市民的なロマンティシズムだって、そんなに簡単にきめられるかい?」
素子は、何かに反抗するような眼つきをして云った。
「『母』のテーマは革命的であり、英雄的である。したがって、そこにあるのは革命的ロマンティシズムである。――それだけのもんかね」
京都風にうけ口な唇にむっとした表情をうかべて素子はおこったように、
「メチターってどういうものなのさ。え? 人間の心に湧くメチターってどういうものなのさ」
憧れ、待望をあらわすその言葉を、響そのものの調子が心に訴えて来るロシア語で、つよく、せまるように素子は云った。きょう目貼りのとれた窓からきこえるようになった早春の夜の物音が時々のぼって来て、月のない空にフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根がぼんやり浮んで見えている。
しばらくだまっていた素子は、苦しそうな反感をふくんだ表情で、
「わたしはここのものの考えかたの、こういうところは嫌いだ」
と云った。
「何でも、ああか、こうかにわける。分けて比べて、一方には価値があって、一方は価値がない。そうきめちまうようなところが気にくわない」
素子は、抑えていた感情にあおられたようにつづけた。
「ゴーリキイにしろ一人の人間じゃないか。一人の人間である作家が書いたものに、ぴょこんと、一つだけ革命的ロマンティシズムがあって、ほかはそうでないなんてあり得ないじゃないか……どっかで、きっとつながっているんだ。そのつながったどっかこそ人間と文学の問題じゃないか、ねえ。社会主義ってものにしろ、そういうところに急所があるんだろうとわたしは思いますがね」
おしまいを素子は皮肉に結んだ。素子がこれだけ集注した感情で、話すのはめずらしいことだった。
伸子は、素子のいおうとするところを理解した。けれども、語学のできない伸子は、素子とちがってすべてがそうであるとおり目で見て来たゴーリキイ展からあんまり自分に照らし合わせて考えさせられる点をどっさりうけとって来ていた。
こういうことは、伸子と素子との間でよくあった。
ソヴェトにおけるゴーリキイの芸術についての評価ということになると、伸子には伸子らしく目で見えることから疑問がなくはなかった。伸子たちがモスク
へ来て間もない頃リテラトゥールナヤ・ガゼータ(文学新聞)にゴーリキイの漫画がでたことがあった。乳母のかぶるようなふちのぴらぴらした白いカナキン帽をかぶった老年のゴーリキイが、揺籃に入れた「幼年時代」をゆすぶっているところだった。伸子はその漫画に好感がもてなかった。その意味で印象にのこった。今年になってからも何かの雑誌にゴーリキイの漫画があって、それではゴーリキイが女のスカートをはかせられていた。スカートをはいたゴーリキイが、炉ばたにかがみこんで「四十年」という大鍋をゆるゆるかきまわしている絵だった。「ラップ」と略称されているロシアのプロレタリア作家同盟の人たちのこころもちは、ゴーリキイに対してこういう表現をするところもあるのかと、伸子は少しこわいように思ってじっとその漫画を見た。この頃になってルナチャルスキーの評論をはじめ、マクシム・ゴーリキイの作家生活三十年を記念し、ロシアの人民の解放の歴史とその芸術に与えたゴーリキイの功績が再評価されるようになると、文学新聞をふくめてすべての出版物のゴーリキイに対しかたが同じ方向をとった。
この間の日曜の晩、アルバート広場で買った「プロジェクトル」にも漫画に描かれたマクシム・ゴーリキイという一頁があった。それはどれも「小市民」や「どん底」の作者としてゴーリキイが人々の注目をあつめはじめた時代にペテルブルグ・ガゼータなどに出たものだった。一つの漫画には、例の黒いつば広帽をかぶってルバーシカを着たゴーリキイがバラライカを弾きながら歌っている記念像の台座のぐるりを、三人のロシアの浮浪人が輪おどりしていて、その台座の石には「マクシム・ゴーリキイに。感謝する浮浪人たちより」とかかれている。ゴーリキイの似顔へ、いきなり大きなはだしの足をくっつけた絵の下には「浮浪人の足を讚美する頭」とかかれている。ゴーリキイきのこという大きな似顔きのこのまわりから、小さくかたまって生えだしているいくつもの作家の顔。ゴーリキイが「小市民」のなかで苦々しい嫌悪を示した当時の小市民やインテリゲンツィアが、「やっぱり、これも読者大衆」としてゴーリキイを喝采しているのを見て、げんこをにぎっていらついているゴーリキイ。それらはみんな一九〇〇年頃の漫画であった。「プロジェクトル」のゴーリキイ特輯号のために新しく描かれた漫画では、大きな鼻の穴を見せ、大きな髭をたらした背広姿の年をとったゴーリキイが、彼にむかって手桶のよごれ水をぶっかけている女や
「国外の白色亡命者と何のかかわりもないマクシム・ゴーリキイ」について数行の説明がついていた。イ
ン・ブーニンは、ゴーリキイが結核だということさえ捏造してゴシップを書きちらした。しかし、実際にはゴーリキイが結核を患ったことなんかはないのだという意味がかかれている。ゴーリキイが一九二三年にレーニンのすすめでソレントへ行ったとき、理由は彼の療養ということだったと伸子も思っていた。「プロジェクトル」はそれを否定している。
ゴーリキイは、ソレントで、その乳母帽子をかぶって描かれていた自分の絵を見ただろうし、スカートをはいて「四十年」の鍋をかきまわしている婆さんとして描き出されている自分をも眺めたことだろう。そして、今は巨人として描かれている自分も。肺病だった、肺病でなかった、今更の議論も、ゴーリキイの心情に何と映ることだろう。伸子には、そういうことが、切実に思いやられた。ゴーリキイはソヴェトへ帰って来ようとしている。ソヴェトへ帰って来ようとしているゴーリキイの心の前には、どんな絵があるだろう。乳母帽子やスカートをはいた自分の絵でないことは明らかだった。ゴーリキイの心は、じかに、数千万のソヴェトの人々のところへ帰って行く自分を思っているにちがいなかった。伸子はそう思ってゴーリキイの年をとり、嘘のない彼の眼を写真の上に見るのだった。
その晩、九時すぎてから伸子が廊下へ出たら、伸子たちの室と台所との間の廊下で、ニューラが妙に半端なかっこうでいるのが目についた。伸子は、自分の行こうとしているところへ、ニューラも行きたかったのかと思って、
「行くの?」
手洗所のドアをさした。どこからか帰ったばかりのように毛糸のショールを頭にかぶっているニューラは、あわてて、
「いいえ。いいえ」
と首をふり、台所へ消えた。
伸子が出て来たとき、台所のところからまたニューラの頭がちょいとのぞいた。どうしたのかしらと思いながら、伸子がそのまま室へ入ろうとするとうしろから、
「
すがるようなニューラのよび声がした。伸子は少しおどろきながら台所の前まで戻って行った。
「どうしたの? ニューラ」
「邪魔して御免なさい」
「かまわないわ。――でも、どうかしたの? 気分がわるいの?」
「いいえ。いいえ」
ニューラはまたあわてたように首を左右にふりながら、浅黒い、鼻すじの高い半分ギリシア人の顔の中から、黒い瞳で当惑したように伸子を見つめた。
「きいて下さい、
洗濯ものを干すことで、どうしてニューラがそんなにまごつかなければならないのか伸子にわからなかった。
「ニューラ、あなたいつも自分で干してるんでしょう? それとも奥さんがほしているの?」
「わたしが干しているんです。――でも、わたし、こわいんです」
わたし、こわいんですと云いながら、ニューラはショールの下で本当にそこにこわいものが見えているように見開いた眼をした。
黒海沿岸のどこかの小さい町で生れた十七歳のニューラは、ほとんど教育をうけていなかった。ソヴェトの娘としての心持にもめざまされていなかった。伸子たちが、ヨシミとサッサという二人の名を教えても、ニューラはその方がよびいいように昔風に二人を
で、伸子たちをバリシュニヤーとよぶのは辻馬車の御者か町の立売りぎりだった。パン屋の店員でもこわいというニューラの言葉から伸子は、この間この建物の別の棟に泥棒がはいったという噂があったのを思いだした。
「ニューラ、その洗濯ものはどこへ干すの」
「物干場です」
「それはどこ?」
「上なんです。一番てっぺんなんです」
やっと伸子にわかりかけて来た。物干場は五階のてっぺんだった。もう夜だのにニューラはそこへ一人で物を干しにゆくのがこわい、というわけなのだった。
「わかったわ、ニューラ、じゃ、わたしが一緒に行ったげる」
「ありがとう、
「外套をきて来るからね」
「わたし待ちます」
伸子は室へ戻り、外套を出しながら、
「一寸ニューラが洗濯もの干すのについて行ってやることよ」
と素子に告げた。
「てっぺんで、一人でそこまで行くのがこわいんだって」
「――ぶこだって大丈夫なのかい? いまごろ」
「だって建物の中だもの」
「そりゃそうだけど……」
「大丈夫だことよ。じゃ、ね」
ニューラとつれ立ってアパートメントを出た。ニューラは普通の外出のときのとおりちゃんと表戸をしめた。コンクリートのむき出しの階段には、それぞれの階の踊場に燭光の小さいはだか電燈がついているぎりで、しめきられたアパートメントのいくつもの戸と人っ子一人いない階段に二人の
「ここなんです」
ニューラはポケットから鍵を出してドアをあけた。はだかの電燈に照しだされて、天井の低いその広間いっぱいに綱がはられているのや、あっちこっちにいろんな物の干してあるのが見えた。床は砂じきだった。ニューラは二人でその物干場へ入ると、また内側から鍵をしめた。そして、伸子の先へ立って、ずんずん、ほし物の幾列かの横を通りすぎ奥に近いところに張りわたされている綱の下に、下げて来たバケツをおろした。張りわたした綱がひっかけられている大釘の上の壁に、アパート番号がはっきり書かれている。ニューラはダブルベッド用の大シーツや下着類を、いそいでその綱に吊るしはじめた。伸子が砂の上に佇んで待っているのでニューラは気が気でないらしく、
「じきです――じきです」
とくりかえした。
「いいのよ、ニューラ、いそがないでやりなさい。わたしはいそいでいないのよ。鍵をしめておけば、こわくもないわ――ニューラは?」
ニューラは、すぐに返事をせず綱に沿って横歩きにものを干しつづけていたが、
「すこしは、ましです」
と、ぶっきらぼうに答えた。伸子は笑った。天井の低いうす暗いもの干場の空気はしめっぽくて、そこからぬけたことのない石鹸のにおいがした。
「きょうは、どうして、夜もの干しに来たの?」
伸子が、その辺を眺めながら、ニューラにきいた。
「きょうは洗濯日じゃなかったんです」
「――じゃ、特別?」
「ええ。――さっき、洗ったんです。
不恰好に長い腕を動かしながらものを干している若いニューラの見すぼらしい姿を、伸子は可哀そうに思った。ソヴェトの家事労働者組合では、契約時間外の労働には一時間についていくらと割増を主人が支払うことをきめている。そんなことなんかニューラは知らないのだろう。ルイバコフ夫婦はニューラがそういうことを知らないのを、ちっとも不便とはしていないということも伸子にわかる。
「ニューラ、あなた両親がいるの?」
「死にました、二人とも。――二一年にチフスで、二一年には、どっさりの人が死んだんです」
ジョン・リードのような外国人も、それで死んだし、この間素子がその著作集を買ったラリサ・レイスネル夫人のように類のすくない勇敢な上流出身のパルチザン指導者、政治部員だったひとたちも序文でみればその頃に死んだ。
「ニューラは一人ぼっちなの?」
「そうです」
最後の下着を吊り終ったニューラは、そのまま足元へ押して来た、からのバケツをとろうとしてかがんだ。が、急にそれをやめて、斜うしろについて来ている伸子をふりかえった。そして、いきなり、前おきなしに、
「わたしの本当の名はニューラじゃないんです」
と云った。
「エウドキアなんです――でも、ここのひとたちはわたしをニューラとしかよばないんです」
伸子は、思わずニューラの浅黒くてこめかみにこまかいふきでもののある若い顔を見つめた。その顔の上には、どう云いあらわしていいかニューラ自身にもはっきりわかっていない自身のめぐり合わせについての訴えがあった。伸子の眼に思いやりの色があらわれた。その伸子の眼をニューラも見つめた。夜の物干場のしめっぽくて石鹸の匂いがきつくこめて居る空気の中で、ほしものとほしものの間に向いあって、瞬間そうして立っていた二人は、やがて黙ったまま入口のドアの方へ歩き出した。ニューラが、黙ったまま鍵をあけ、外へ出て二人のうしろへ鍵をしめた。跫音を反響させながら、再び人気ない階段を下りて来た。
四階まで下りて来たとき、伸子がきいた。
「ニューラ、あなたの月給はいくらなの?」
「十三ルーブリです」
「…………」
もうじきで三階の踊場へ出る階段のところで伸子が、
「ニューラ、あなたがたの組合があるのを知っていて?」
ときいた。この間、ニキーツキイ門へ出る通りを歩いていたら歩道に面した空店の中で多勢の女が、大部分立ったまま何か会議していた。ドアのあいた店内へは通りすがりの誰でも入れた。伸子も入って立って聞いていたら、それは、家事労働婦人の組合の会議だった。伸子はその集会をみたりしていて独特にテムポのゆるい、重い、しかし熱心な空気を思いおこしてニューラにきいたのだった。
「知っています」
「じゃ、はいりなさいよ、そうすれば、友達が出来るわ。そこの書類にはエウドキアって本当の名を書いてくれるわ」
「わたしは書類をかきこむために
「いつ?」
「もう三月ばかり前に」
三月まえと云えば、伸子たちがまだアストージェンカへ引越して来なかった時分のことだ。
「書いてくれるまで度々、たのみなさい、ね」
もうそこは主人のドアの前だったので、ニューラは、気がねしたような声で、
「ええ」
と返事した。
ベルを鳴らすと、素子が出て来て戸をあけた。ルイバコフ夫婦はまだ帰って来ていなかった。
「いやに手間がかかったじゃないか、どうかしたのかと思っちゃった」
「そうだった? 御免なさい。わたしたちは急がなかったのよ、そうでしょう? ニューラ」
ニューラは台所の入口に立ってショールをぬきながら無言でにこりとしたぎりだった。
五
あくる朝、ニューラはいつもどおり茶道具を運んで来た。そして丁寧に腰をかがめるような形で急須や水色ヤカンを一つ一つテーブルの上へおくと、関節ののびすぎた両方の腕を、いかにも絶望的にスカートの上へおとして、
「オイ! わたし、不仕合わせなことになっちゃったんです」
呻くように、
「オイ! オイ!」
と云いながら胸を反らし、両腕で、つぎのあたった茶色のスカートをうつようにした。その動作は、いつか赤い広場のはずれで素子が物売女の顔をぶったとき、仰山な泣き真似をしながら物売女がオイ! オイ! と大声をあげたそのときの身ぶりとそっくりだった。
「どうしたのさ、ニューラ」
ニューラの大
「盗まれちまったんです! オイ!」
「なにを盗まれたのさ」
「洗濯ものを。――ゆうべ乾した洗濯ものがみんな無いんです。盗まれたんです」
「ゆうべ乾したって……」
素子が、おどろいた顔を伸子にむけた。
「ぶこちゃんが一緒に行ってやった分のことかい?」
「ニューラ、落付きなさい。わたしと一緒にゆうべ乾したものが、無いの?」
「その洗濯ものが、けさまでに、一枚もなくなったんです――わたしに何の罪があるでしょう。こんなことがなくたって、わたしはちっとも仕合わせじゃあないのに……何て呪われているんだろう。何のために、わたしに大きな敷布がいるでしょう」
ニューラの頬を涙が流れた。
「奥さんは、わたしが盗んだにちがいないと思っているんです。もう電話かけました。警察犬をよんで、わたしの体じゅうを嗅がせるんです。オイ!」
最大の恐怖が、警察犬にあらわされてでもいるかのようにニューラはますます涙を流した。
「ニューラ、あなた、物干場を出るとき鍵をかけたことはたしかに思い出せるでしょう!」
「わたしが鍵をかけたって何になるでしょう。あすこに入る鍵はこの建物じゅうの住居にあるんです……警察犬が来たら、わたし、この建物じゅうの人たちを嗅がせてやるんだから――オイ!」
ニューラは涙をふきもせず濡れたほっぺたをしたまま室を出て行った。
「どうしたっていうんだろう」
ゆうべ見た夜ふけの物干場の光景や人気なかった階段の様子を思い浮べながら伸子が気味わるいという顔をして素子をかえりみた。どういうわけで、ニューラの干したものばかり、盗まれたのだろう。濡れた洗濯ものからはあのときまだ床にしかれた砂の上へ水がたれていたのに。ニューラの荷物と云えば、台所の壁についている折り畳み寝台の下に置かれている白樺の箱の一つだった。
「――こんなことがあるから、つまらないおせっかいなんかしないがいいのさ」
不機嫌に素子が云った。迷惑をうけるばかりでなく、そんな風ならゆうべだってどこに危険がかくされていたのかもしれないのに。そういう意味から素子は不機嫌になって伸子の軽率をとがめた。
「なにか特別なものがあったの?」
「いいえ。シーツが二枚に女の下着やタオルよ。――変ねえ、よそのだってあんなに干してあったのに……」
災難がルイバコフ一軒のことだとは伸子に信じられなかった。
「ニューラは知らなくっても、きっとよそでもやられているんでしょう、いやねえ」
素子は大学へ出かける仕度をしながら、こういうときの彼女の云いかたで、
「わたしは知らないよ」
わざとちょいと顎をつき出すような表情で云った。
「まあ犬にでも何でも嗅がせることさ」
そして、出て行った。
伸子は、一人になってテーブルの上を片づけ、自分の場所におちついた。書きかけた半ぺらの原稿紙はもう三十枚ばかりたまって、ニッケルの紙ばさみにはさまれている。きのう書いた部分をよみ直したりしているうちに、朝おきぬけからの泥棒のさわぎを忘れた。藍色のケイがある原稿紙に、モスク
出来の粗悪な紫インクで伸子はしばらく続きを書いて行った。伸子はこの間の復活祭の夜のことを書きかけていた。宗教は阿片である。と、ホテル大モスク
の向いの反宗教出版所の飾窓にプラカートが飾られている。しかし一九二八年の、ソヴェトで
第一オペラ舞踊劇場の歌手たちが、聖歌合唱に来た。伸子と素子もフラム・フリスタ・スパシーチェリヤへつめかけた群集の中にまじった。宗教は阿片である、という言葉なんか知られていないところのような大群集であった。その群集には男よりも女の数が多く目立った。そして、混雑ぶりに一種の特徴があるのが伸子の興味をひいた。白髪で金ぴかの服装の僧正が、香炉の煙のなかでとり行う復活祭の儀式は、復活祭の蝋燭を手にもって祈祷の区切りごとに胸に十字を切っている年とった連中にとってこそ信仰の行事であろうが、多数の若い男女にとっては、ただ伝統的な観ものの一つとしてうけとられるらしかった。そういう感情のくいちがいからあちこちで、群集の間に口喧嘩がおこっていた。それは、人間の歴史のつぎめにあるエピソードであり、伸子はそれが書いて見たかった。相変らず時々ひどい音をたてて電車がとおる。そのたびに机の上のコップにさされているミモザのこまかい黄色の花がふるえた。伸子は自分の心の中で何かと格闘しているような緊張を感じながら書いて行った。
モスク
の印象記を書こうとしはじめてから、伸子はこれまで経験されなかったその緊張感を自覚した。その感じは、書き進んでも消えなかった。ソヴェトの社会現象はその印象を書きはじめてみると、ひとしおその複雑さと嵩のたかさとで伸子を圧倒しそうになるのだった。モスク
の印象記を、伸子は、自分が感じとったままの感銘と感覚であらわして行きたいと思った。伸子はいつも眼から、何かの出来事と情景から、色彩と動きと音と心情をもってモスク
を感じとって来た。そのテムポ、その気ぜわしさ、一つ一つに深い理由のある感情の火花や風景。それらをみたように、あったように表現しようとすると伸子の文体はひとりでに立体的になり、印象的になり、テムポのはやい飛躍が生じた。そして断片的でもあった。エイゼンシュタインの映画やメイエルホリドの舞台と、どこか共通したようなところのある伸子の文体は、伸子自身にとって馴れないものだった。けれども、生活の刺戟は、ひとりでに伸子にそういう様式を与え、伸子は、そうしかかけなくて書いているのだった。
伸子がモスク
に生きている現実のいきさつを辿れば、モスク
は伸子が印象記にかいているように伸子のそとに見えている現象だけのものではなかった。伸子は眼から自分の中へ様々のものをうけ入れ、自分というものをそれによって発掘してもいた。たとえばゴーリキイ展のときのように。しかし、そのようにして一人の女の内面ふかく作用しながら生かしているモスク
として印象記を描き出す力は、伸子にまだなかった。伸子には影響をうけつつある自分がまだはっきり自分につかめていなかった。伸子はおのずからの選択で主題を限ってその印象記を書いているのだった。伸子が、
「はいっていいですか」
ニューラのしめっぽい声がした。伸子はけさの泥棒さわぎを思い出した。警察犬が来たのかと思った。そういう職業人に、その人々によめない日本字でうずめられた原稿を見られたくなかった。伸子はいそいで椅子から立ち、紙ばさみのなかへ原稿をしまいながら、
「お入りなさい」
改まった声をだした。
入って来たのはニューラだけだった。泣いて唇の
「どうしたの? ニューラ」
また椅子に腰をおろした伸子のわきに、だまって自分の体をくっつけるようにして佇んだ。ニューラの着ているものからは、かすかに台所の匂いがした。警察犬が、いま来るかいま来るかと思いながら一人ぽっちで台所にいるのが、ニューラに辛抱できなくなって、到頭伸子のところへ来たことは、室へ入って来たものの、そのまま途方にくれたようにしているニューラのそぶりでわかった。
「ニューラ。こわがるのはやめなさい。犬は正直だから、ニューラのところに洗濯ものなんかかくしてないことはよくわかることよ」
そうはげまされてもなお半信半疑の表情で、窓からフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根を眺めていたニューラは、
「奥さんは、わたしを疑っているんです」
深く傷つけられて、それを癒す道のない声の調子でつぶやいた。
「奥さんは、わたしが不正直でも九ヵ月つかっていたでしょうか」
すすり泣くように大きな息を吸いこんでニューラは、
「ああ。悲しい」
と全身をよじるようにした。
「いつだってあのひとたちはそうなんです」
ニューラは、気の上ずったような早口で喋りはじめた。伸子たちがここへ移って来る前、オルロフという山羊髯の気味のわるい男の下宿人がいた。山羊髯のオルロフは何でも特別彼のためのものをもっていた。ニッケルの特別な彼の手拭かけ。特別な彼の葡萄酒コップ。そして、彼はいつでも机の上へバラで小銭をちらばしていた。
「あのひとは何故、小銭をそうやって出しておかなけりゃならなかったでしょう――わたしがとるのを待っていたんです。わたしをためしているのがわかっていたんです。朝と夜の時間に、あのひとは何度わたしを呼びたてたでしょう。可愛いニューラ、どうぞこれをしておくれ。親切なニューラ、あれをしなさい」
ニューラは憎悪をこめて、「可愛いニューラ、どうぞこれをしておくれ」「親切なニューラ、あれをしなさい」と云うときの山羊髯のオルロフという男の口真似をした。
「口でそう云いながら、眼はいつだってわたしを睨んでいたんです。いつだって――笑うときだって、あのひとは唇でだけ笑ったんです」
伸子は、時計を見て、立ちあがった。
「ニューラ、わたし
ニューラは、自分が用もないのに伸子のところに来ていたことが急に不安になった風で、
「
哀願するように伸子を見た。
「わたしがこんなこと話したって、どうか奥さんに云わないで下さい」
「心配しないでいいのよ、ニューラ。――でもあなたは淋しいのよ、一人ぼっちすぎるのよ、だから、あなたには組合がいるのに」
室を出て行こうとするニューラに伸子は、外套を着ながら云った。
「犬が来ても、あなたは自分が正直なニューラだということを考えて、こわがっちゃ駄目よ」
四時に、伸子は素子とうち合わせてある菜食食堂の二階へ行った。普通の食堂とちがってあんまり混んでいない壁際の小テーブルに席をとり、その席へこれから来る人のあるしるしに向い側の椅子をテーブルにもたせかけた。モスク
の気候が春めいて来てから、素子は、日本人の体にはもっと野菜をたべなければわるい、と云いはじめた。そこで、三日に一度は菜食食堂へ来ることになったのだった。素子の来るのを待ちながら、伸子はそこになじむことのできない詮索的な視線であたりを眺めていた。モスク
でも食堂へ来て食べるひとは、女よりも、男の方が多かった。ここでも大部分は男でしめられているのだったが、菜食食堂でたべる男たちは、概してゆっくり噛んでたべた。連れ同士で話している調子も声高でなく、よそではよく見かけるように食事をそっちのけで何かに熱中して喋り合っているような男たちの光景は、ここで見られなかった。常連の中には、髪を肩までたらしたトルストイアンらしい風采の男もある。伸子がみていると、菜食食堂へ来る人は、みんな体のどこにか故障があって、内心に屈託のある人のようだった。さもなければ、自分の食慾に対して何かその人としてのおきてをもち、同時にソヴェト政権の素子は二十分もおくれた。
「ああおそくなっちゃった。何か註文しておいた?」
「あなたが来てからと思って……」
「じゃ、すぐたのもうよ」
二人は薄桃色の紙によみにくい紫インクでかかれた献立表を見て食べるものを選んだ。
「どうした? 来たかい?」
泥棒詮議のことを素子が訊いた。
「わたしが出かけるまでは何にも来なかったわ」
素子は存外こだわらず、
「ま、いいさ」
と云った。
「われわれの部屋だって鍵ひとつないんだから、犬に嗅がせるなら嗅がしてみるさ」
アストージェンカの室へ移ってから、伸子と素子の生活条件は、一方では前よりわるくなった。室はせまくてぎゅうぎゅう詰めだし、テーブルは一つしかないのを、二人で両側から使っている有様だった。けれども新しい生活のそんな窮屈ささえもモスク
ではあたりまえのこととして伸子が却って落付けたように、素子もアストージェンカへ来てから、大学の講義をききはじめ、神経質でなくなった。泥棒さわぎにしろ、そのことに伸子がいくらかひっかかっているような状況だのに、素子はその点を伸子がひそかにおそれたよりも淡泊にうけた。菜食食堂を出て伸子と素子とは散歩がてら大学通りの古本屋へまわった。よごれた白堊の天井ちかくまで、三方の壁を本棚で埋めた広い店内はほこりぽくて、夜も昼も電燈の光で照らされていた。入れかわり立ちかわりする人の手で絶えず上から下へとひっくりかえされている本の山のおかれている台の脚もとに、繩でくくられたクロポトキン全集がつまれていた。伸子は偶然、一九一七年から二一年ごろに出版された書物だけが雑然と集められている台に立った。その台には、ひどい紙だし、わるい印刷ではあるが、この国内戦と飢饉の時代にもソヴェトが出版したプーシュキン文集だのゴーリキイの作品集、レルモントフ詩集などが、今日ではもう古典的な参考品になってしまったプロレトクリトのパンフレットなどとまじっている。
伸子がその台の上の本を少しずつ片よせて見ているところへ、素子が、より出した二冊の背皮の本をもって別な本棚の方から来た。
「なにかあるのかい」
「――この間のコロンタイの本――こういうところにならあるのかしら」
「さあ。――何しろもうまるでよまれてないもんだから、あやしいな」
素子が勘定台へ去ったあと、なお暫く伸子はその台の本を見ていた。
一週間ばかり前日本から婦人雑誌が届いた。それに二木準作というプロレタリア作家が、自分の翻訳で出版したコロンタイ夫人の「偉大な恋」について紹介の文章を書いていた。二木準作は、その作家もちまえの派手な奔放な調子でコロンタイの恋愛や結婚観こそ新しい世紀の尖端をゆくモラルであり、日本の旧套を否定するものはコロンタイの思想を学ぶべきであるというような意味が、若い女性の好奇心や憧憬を刺戟しながら書きつらねられていた。
アストージェンカの室でその文章をよんで、伸子は一種のショックを感じた。伸子たちがモスク
へ来た時、コロンタイズムは十年昔の社会が、古いものから新しいものにうつろうとした過渡期にひき出された性的混乱の典型として見られ、扱われていた。むしろ、性生活の規律や結婚の社会的な責任、新しい社会的な内容での家庭の確立のことが、くりかえしとりあげられていた。「偉大な恋」はコロンタイ夫人が、国内戦の時代にかいた小説だった。その中で、新しい性生活の形として、互の接触のあとには互に何の責任ももたず、結婚、家庭という永続的な形へ発展する必要も認めないのが、唯物論の立場に立つ考えかただという観念がのべられている。その誤りは、本質的に批判されていた。唯物的であるということの現実は、めいめいの恋愛や結婚そして家庭生活の幸福の基礎が、働いて生きる男女の労働条件が益々よくなってゆくこと、社会連帯の諸施設がゆきわたり、住宅難、食糧、托児所問題などがどしどし解決されてゆくその事実に立つものだということが、いつか自然と伸子にものみこめて来ていた。あらゆる場面でそれはそのように理解されているのだった。婦人雑誌の上で二木準作のコロンタイズム礼讚の文章をよんで伸子が感じたショックは、十年おくれの紹介が野放図にされているというだけではなかった。伸子は女としてその文章をよんだとき、本能的ないとわしさを感じ、胸が痛む思いがした。プロレタリア作家だという二木準作は、社会主義というものに対して責任を感じないのだろうか。伸子は、二木という人物の心持をはかりかねた。伸子たちが日本を去る頃、マルクスボーイとかエンゲルスガールだとかいう流行語があった。伸子はあんまり出会ったことがなかったが、菜っ葉服をきた若い男女が銀座をのしまわすことが云われていた。その時分、ジャーナリズムにはエロ、グロ、ナンセンスという三つの言葉がくりかえされていた。コロンタイズムを紹介している二木準作の調子は、その三つの流行語のはじめの一つと通じているようだった。伸子の女の感覚は、それを扱っている二木準作の興味が理論にはなく、そういう無軌道な性関係への男としての興味があると感じた。もっとつきつめて云うと、日本の男の古来の性的
「生産手段と政権をプロレタリアートがとれば社会主義だなんかと思っているんなら、それこそバチが当る、……人間は、それだけのためにこんな苦労をしてやしないわよ、ねえ。人間の心も体も、個人と社会とひっくるめて、ましに生きようと思うからこそ、骨を折っているのに……」
伸子は二木準作をしんからいやに感じる心の一方で思うのだった。ソヴェトにある数千の托児所や子供の家、産院は何を意味して居るだろうか、と。数百の食堂は不十分ではあっても働く女の二十四時間にとって何を語っているだろう。結婚の社会的な責任が無視されているならば、無責任な父親である男に課せられているアリメントの法律的な義務は存在するはずがない。
伸子が、二木準作のコロンタイズム宣伝について憤懣する心の底には、そのとき云い表わされなかった微妙な女の思いがあった。伸子は佃とああいう風に結婚し、ああいう風にして離婚した。もう四年素子と二人の女暮しをして、伸子は、どういう男の愛人でもなかった。恋や結婚の問題は、伸子のいまの身に迫っていることではないようだった。そして、もし伸子に質ねる人があったら、伸子はやっぱり、いま結婚を考えていないと答えたであろう。その返辞は偽りでなかった。佃が悪い良人だったから伸子が一緒に暮せなかったのではなかった。佃は常識からみればいい良人であった。しかし伸子には佃のそのいい良人ぶりが苦しいのだった。平和で不自由のない家庭を自分たちだけの小ささで守ろうとすることに疑問のもてないいい良人ぶりが、伸子を窒息させたのだった。それ故、伸子がいま結婚を考えていない心には、佃とは別な誰か一人の男を見出していない、というよりも、伸子が経験した結婚とか家庭とかいうそのものの扱われかたに抵抗があるのだった。
モスク
へ来て半年近くなる伸子の感情には、結婚や家庭のありかたについて、ぼんやりした新しい予測と、同時に、どこかがちぐはぐな疑問が湧いて来ていた。伸子がみるソヴェトの生活で、たしかに社会的な施設は幸福の可能に向って精力的につくり出されていた。だけれども、彼女のふれたせまい範囲では、伸子の女の気持がうらやましさで燃え立つほど、新鮮でゆたかな結合を示している男女の一組を見たと思ったことはなかった。ルイバコフの夫婦にしろ、ケンペル夫妻にしろ、そして、然し、そういう何の奇もない男と女とが、平凡な勤勉、多忙、平凡な衝突、平凡な移り気や官僚主義など、ソヴェト風な常套の中に生きている姿の底を支えて、伸子が生きて来た日本の社会では、どんな秀抜な資質のためにも決して存在しなかった一人一人の女の、働く女として、妻として、母として、お婆さんとしての社会保護が、社会契約で実現されていることに思い及ぶと伸子はやはり感動した。自分も女であるということに奮起して、伸子は元気を与えられるのだった。伸子の心の中にいくらかごたついたまま芽生えはじめた女としての未来への期待、確信めいたものが、二木準作のコロンタイズムに対して、女にだけわかる猛烈さで抗議するのだった。
コロンタイの本は、結局その古本屋にもなかった。帰って来て、ルイバコフのベルを鳴らすと、ドアをあけたニューラの顔が明るかった。すぐ素子が、
「どうした? ニューラ?」ときいた。
「犬に嗅いでもらったかい?」
するとニューラは、うしろをふりかえってルイバコフたちの住んでいる室のドアがしまっているのをたしかめてから、
「わたしには犬の必要がなかったんです」
小声で、勝ちほこって云った。
「あの人たちは、よその家の敷布もどっさり盗まれているのを見つけたんです――御覧なさい! あの人たちはいつもあとから分るんです」
うれしくて仕方のない感情を、ほかの仕草であらわすすべを知らないニューラは、いそいで廊下を先に立って行って、伸子と素子とのための二人の室のドアをあけた。
六
メーデイの日のために、伸子たちは対外文化連絡協会から、赤い広場への入場券をもらった。
その朝はうす曇の天候で、気温もひくかった。モスク
の街々では電車もバスもとまった。辻馬車の影もないがらんとした通りを、赤い広場へむかって、人々がまばらにいそいで行く。行進をする幾十万という人々は、みんなそれぞれの勤め先から旗やプラカートをもってくり出して来るから、ばらばらに赤い広場の方へ歩いているものはごく少数で、しかも何かの事情で行進には参加しない連中らしく見うけられる。伸子と素子も、そのばらばらの通行人にまじって、中央美術館前の大通りを、アストージェンカから真直に赤い広場へ歩いて行った。うすら寒いような五月一日の天気にかかわらず、歩道をゆく人々は、今朝はすっかり夏仕度だった。くすんだ小豆色のレイン・コートじみた合外套にハンティングをかぶった男連のシャツやルバーシカは、白かクリーム色だった。女の半外套の下からは、寒くないのかとびっくりするような薄い夏服の裾がひらめいた。伸子たちのすぐ前を、黒い半外套の下からヴォイルのような夏服を見せた三人づれの若い娘たちが歩いて行っていた。三人おそろいのプラトークで頭をつつんで、派手なその結びめが、大きい三つの蝶々のようにひらひらする。それを追うように伸子たちも無言で速く歩いた。午前十時から赤い広場の行進がはじまる、その三十分前に、参観者たちは広場の中のきめられた場所へ到着しているように指定されているのだった。
猟人広場まで来ると、もうトゥウェルスカヤ通り一杯につまって、行進が定刻の来るのを待機していた。大きい赤地のプラカートをもった行進の先頭はトゥウェルスカヤ通りが猟人広場に向ってひらく鋪道のギリギリの線まで来ていて、ゆるく上りになっている通りをずっとかみてへ見渡すと、トゥウェルスカヤ通りは、目のとどく限り人と赤い旗の波だった。左右の高い建物の窓から窓へとプラカートが張りわたされている。広場をこして大劇場通りの方を眺めると、こっちにはモスク
の商業地帯、官庁地帯から出て来た幾列もの行進で、赤く賑やかにつまっている。いまにも溢れんばかり街すじに漲っている巨大なエネルギーをきれいに掃かれてがらんとしている猟人広場を横ぎって赤い広場の方へ歩いて行きながら、伸子はたがいちがいに運ぶ自分の脚の短かさを妙にぎごちなく意識した。伸子はこれまでに、人間のこんな陽気な大群集を観たことがなかったし、その大群集がこんな秩序をもって待機している光景を見たことはなかった。まして自分が、特権でもあるように、
各国の外交団のための観覧席と、伸子たちの入った民間日本人の観覧席との間に、赤い布で飾られた高い演壇がこしらえられていた。そこがソヴェト政府の指導者たちの立つところらしかった。そこはまだ誰も見えていない。
太い綱をはって、広場の片隅を区切っているだけの観覧席には、秋山宇一、内海厚、そのほか新聞関係の人とその細君などが先着していた。
「や、来られましたね」
ハンティングをかぶった秋山宇一が、入って来た伸子たちに向ってうなずいた。
「あいにく、寒いですね」
「それでも降らなかったから大助りですよ」
素子が答えながら、はすうしろに立っていた新聞の特派員とその細君に会釈した。大柄な体に、薄手な合外套のボタンを上までしめている特派員はいくらか近づいて来るようにしながら、
「あなたがた、最近の日本の新聞を御覧でしたか」
と伸子たちに話しかけた。
「――最近のって云ったところで、わたしたちのは、どうせ幾日もかかってシベリアをやって来るんですがね――何かニュースがあるんですか」
「日本の共産党事件――よまれましたか」
「ああ、よみました――ひどく漠然とした記事ですね、何が何だか分らなかった」
「――そう云えばそうだが、吉見さんなんか、あらかじめこっちへ逃避というわけじゃなかったんですか」
うす笑いをしながらそういう特派員の言葉を、素子はぼんやりした顔つきできいていたが、急にその特派員の方へくるりと向きかわって、
「冗談にしろ、そんなこと、迷惑ですよ」
きめつけるように、真顔で云った。そして、秋山宇一をかえりみながら、いくらか皮肉な調子をこめて、
「秋山さんこそ、どうなんです?」
と云った。
「あなたは、大丈夫なんですか」
「今も塩尻君に様子をきいていたところですがね」
例の癖で自分に向ってうなずくように首をふりながらその特派員の名を云って秋山宇一が答えた。
「友人のなかには、やられたものが相当あるらしい工合ですよ」
そう云いながら、秋山宇一はどことなく肩をすぼめるようにして、それも癖の、小さい両手を揉み合わせながら、仕切り綱に上体をのり出させ、
「――まだ誰も見えませんか?」
赤い布飾りのついた演壇の方をのぞいた。折角、モスク
のメーデイを見に来ているところで、これからじき帰って行こうとしている日本では、共産党という秘密結社が発見されて、全国で千余名の人々がつかまった、というような報道を、どこかその身に関係がありそうに話されたのを秋山宇一が快く感じていない表情は、ありありとうけとられた。秋山宇一が、その話をさけたそうに体をのり出させて眺めている赤い演壇の方を一緒に見ながら、伸子も、メーデイの朝の気分にそぐわない、いやな気持でそのことを思いだした。伸子たちは、ついおととい着いた日本からの新聞で、一ヵ月近く前の三月十五日の明け方、「官憲は全国一斉に活動を開始し」という文句で書かれている共産党検挙の事件が解禁になった記事をよんだのだった。初号の大見出しで一面に亙って、五色温泉で秘密の会合をした仮名の人々のことだの、大学教授や大学生がどっさり関係していること、内相談、文相談と、いかにも陰謀の一端を
にいる伸子あてに送ってよこした朝日新聞の四月十一日のその記事の大見出しのところには、赤インクで長いかぎがついていた。銀行ペンに濃い赤インクをつけて、大きく、長く、抑揚のある線でかけられたかぎは、まぎれもない父の泰造の手蹟であった。三月十五日の記事にかけられている赤インクのかぎを見たとき、伸子は、いやな刺戟を感じた。記事そのものが漠然としている上に、そういう運動を知らない伸子には、全国的検挙という事実さえ、実感に迫って来なかった。共産党という字が、いたるところで目にふれるモスク
では政治について知らない伸子も、世界の国々に資本家の代表政党があるからには、勤労階級の共産党があるのは当然と思うようになっていた。泰造のペン先でつけられた赤インクのかぎは、そんな風にのんびりと、日本の現実について無知なまま自由になっている伸子の体のどこかを、その赤いかぎでひっかけて、窮屈なところへ引っぱり込もうとするような感じを伸子に与え、伸子は抵抗を意識した。うす曇りのメーデイの朝、赤い広場の観覧席の仕切り綱の中に立って、まだ空っぽの赤い演壇の方を眺めながら、伸子は、素子と記者との間に交わされた話から、赤インクのかぎの形を生々しく思い出した。抵抗の感じがまた全身によみがえって来た。その抵抗の感じは、すべての感受性をうちひらいてメーデイの行事を観ようとして来ている伸子の軟かい心と、瞬間鋭く対立した。観覧席で、まわりの人々は腕時計を見たり、とりとめなく話し合ったりしながら折々期待にみちた視線を赤い広場の入口へ向けている。その中に交っている伸子の背の低い丸い顔は、質素な紺の春コートの上で、弱々しいような強情のような一種の表情を浮べた。
そのとき、何の前ぶれもなしに、突然猟人広場の方から轟くようなウラーの声がつたわって来た。観覧席は俄に緊張し色めきたった。
「スターリンですか」
「さあ……」
「見えますか」
「いいや」
尾の房々と長く垂れた白馬にまたがった一人の将校を先頭に黒馬に
足「ブジョンヌイよ!」
びっくりしたような、よろこばしいような声を立てた。
「あの髭! あの髭はブジョンヌイだわ!」
白馬にのった将校の顔の上には、ほかの誰もつけていない大きい黒髭が、顔はばを超して左右にのびていた。
「ほんとだ!」
素子も、おもしろそうに肯定した。一九一七年から二〇年にかけてウクライナで革命のために活躍した第一騎兵隊と云えば、その英雄的な物語は戯曲のテーマにもなっていた。ブジョンヌイは、その第一騎兵隊の組織者、指導者として、コサック風の大髭とともに、伸子のような外国人にさえ親愛の感情をもたれていた。
騎馬の一団は、伸子たちが目をはなさず見守っている観覧席の前を通りすぎて、一番はずれの観覧席のところまで行った。そこで馬首をめぐらして、広場の遠いむこう側を、すこし速めた
足で、再び入口に向ったときだった。それが合図のように、赤軍の行進が猟人広場の方の門から広場へ流れこんで来た。見る見る広場が埋められはじめた。すると、一台、大型オープンの自動車が伸子たちの観覧席の前をすべるようにすぎて、クレムリンの河岸に近い門の方へ去った。「自動車が行きましたね。じゃ、スターリンが来たんです」
秋山宇一が確信ありげにそう云って、伸子と一緒に仕切り綱の上へのり出したとき、クレムリンのスパースカヤ門の時計台からインターナショナルの一節がうちだされた。それから一つ、二つ、と時をうって十時を告げ終ったとたん、赤い広場からそう遠くないところで数発の号砲がとどろいた。
メーデイの儀式と行進とはこうして、うすら寒い五月の赤い広場ではじまった。真横にあたる伸子たちの観覧席からは、骨を折っても赤い演壇の上の光景は見わけられなかった。広場の四隅につけられている拡声機から、力のこもった、しかし誇張した抑揚のちっともない、語尾の明晰なメーデイの挨拶の言葉が流れて来た。演壇の上が見られない伸子は気をもんで、かたわらの素子に、
「いま話しているの、スターリン? そう?」
ときいた。
「そうなんだろう、わたしにだって見えやしないよ」
声にひかされるように、伸子は、見えない演壇の方へ爪先立った。伸子は、日本の共産党検挙の記事や、その記事に父のペンでかけられていた赤インクのかぎのことを忘れた。
スターリンの声と思われた演説が終ったとき、広場をゆるがし、その周囲にある建物の壁をゆすってソヴェト政権とメーデイのためにウラーが叫ばれた。ブジョンヌイは、その間じゅう白馬に騎って、演壇の下に、赤軍の大集団に面して立っていた。
やがて、拡声機から行進曲が流れ出して、赤軍が動きはじめた。歩兵の大部隊がゆき、騎兵の一隊が、隊伍に加った大髭のブジョンヌイを先頭に立てて去り、機械化部隊が進行して行った。つづいて労働者の行進が広場へ入って来た。
まちまちの服装で、ズック靴をはいて、プラカートをかかげた人々の密集した行進が来るのを見たとき、伸子の眼のなかにさっと涙が湧いた。この人々は何とむき出しだろう。なんとめいめいが体一つでかたまりあっているだろう。いかつく武装をかためた機械化部隊のすぎたあとから行進して来た労働者の隊伍は、あんまりむきだしに人間の体の柔かさや、心や血の温かさを感じさせ、伸子は自分の体をその生きた波にさらいこまれそうに感じた。年をとった男、若い男、同じようにハンティングをかぶり、娘もおかみさん風の婦人労働者もとりどりのプラトークで頭をつつみ、質素な清潔さで統一されているが、ソヴェトの繊維品生産はまだ足りないということは行進する人々の体に示されていた。何という様々の顔だろう。さまざまの顔のその一つ一つに一つずつの人生がある。心がある。けれども、きょうのメーデイに行進するという心では一つに
河岸の門へ流れて出てゆく。そっちの方角を埋める人波と、人波の上にゆれるプラカートの林立を眺めていて、伸子は、いつも特別な思いで眺める
伸子の心には閃くように、三月十五日の記事にかけられていた赤インキのかぎの形が浮んだ。それはいま、一つの象徴として伸子の心に浮んだ。実際よりもはるかに巨大な形をもって。父の泰造が伸子に送る新聞につけてよこした赤インクのかぎはいまその形をひきのばされ、
終りに近づいたメーデイの行進は、数十万の靴の下でポクポクにされ熱っぽくなった広場の土埃りの中を、きょうは一日中おくられる行進曲につれて、いくらか隊伍をまばらに通っている。
最後の行進が通過した。気がついた伸子が演壇の方を見たら、いつかそこも空になっていた。伸子、素子、秋山宇一、内海厚の四人はひとかたまりになって、ぐったりとくたびれたようになった赤い広場を猟人広場へ出て来た。
この辺はひどい混雑だった。行進を解散したばかりの群集が押し合いへし合いしている間を縫って、赤いプラトークで頭をつつんだ娘をのせた耕作用トラクターが、劇場の方からビラを
「ぶこちゃん、ちょっとパッサージへよってお茶をのんで行こうよ」
素子がそう云って秋山に、
「パッサージ、やっていますか」
ときいた。
「さあ――どうでしょう――やっているでしょう」
「やってます、やってます」
内海厚が、わきから早口に答えた。
伸子たちは、靴を埃だらけにして、アストージェンカへ帰って来た。朝のうちは、電車のとまった通りを赤い広場の方へゆく人かげはまばらだったのに、帰り途は、同じ大通りが、赤い広場から家へ歩いてかえる群集で混雑していた。赤い紙の小さい旗をもったり、口笛をふいたりしながら、みんなが歩きつかれたメーデイ気分でゆっくり歩いている。
「くたびれた!」
部屋へ入ると、すぐ窓をあけて伸子がディヴァンへ身をなげかけた。
「立ってるのはこたえるもんさ」
いつもなら窓をあけるやいなや、ごろた石じきの車道をゆく荷馬車の音だの、電車のガッタンガッタンがひとかたまりの騒音となって、フラム・フリスタ・スパシーチェリヤの大きな石の建物にぶつかってから伸子たちの狭く浅い部屋へなだれこんで来る。きょうは、窓をあけても、騒々しい音は一つもなかった。午後の柔かく大きな静けさが建物全体と街をつつんで、伸子がディヴァンにじっとしていると、四階の窓へはかすかに人通りのざわめきがつたわって来るだけだった。伸子にとってメーデイの行進は感銘ふかかった。こうしてメーデイにはいそがしいモスク
全市が仕事をやめて休み、祝っている。その祭日の気分の深さには、やはり心をうたれるものがあった。メーデイの前日からアルコール類は一切売られなかったから、きょうの祝い日の陽気さはどこまでもしらふだった。そういうところにも一層伸子に同感されるよろこびがあるのだった。伸子と素子とは、しばらく休んでから埃をかぶった顔を洗い、着ているものをかえた。そしたら、また喉がかわいて来た。素子が、
「お湯わかしといでよ」
と伸子に云った。
「いいさ、メーデイじゃないか」
伸子たちとルイバコフとの間の日頃の約束では、朝晩しかお湯はわかさないことになっていた。
伸子が台所へ行ってみると、さっき入口をあけてくれたニューラの姿が見えない。ルイバコフの細君や子供も出かけてしまったらしく、アパートメントじゅう、ひっそりとしている。伸子は、自分たちの水色ヤカンが、流しの上の棚にのっているのを見つけた。伸子は、ニューラが見えないのに困った。うちのものが誰もいない台所で、勝手なことをするようなのがいやで、伸子は水色ヤカンを眺めながら、半分ひとりごとのように、
「ニューラ、どこへ行っちまったの」
節をつけるようにひっぱって云った。すると、台所のガラス戸のそとについているバルコニーからニューラが出て来た。何をしていたのか、すこし
「歩いたんで、喉がかわいたのよ、ニューラ。お湯をもらえるかしら」
「よござんす」
ニューラはすぐヤカンをおろして水を入れ、ガスにかけた。
「ありがとう。お湯はわたしがとりに来るから」
そう云って台所を出ようとした伸子に、ちょっとためらっていたニューラが、
「ここへ来てごらんなさい」
バルコニーへ出るドアをさした。鉄の手摺のついたせまいバルコニーの片隅には、空箱だの袋だのが積まれていて、ニューラが洗濯するブリキの
伸子は反射的にドアのかげに体をひっこめた。
「ヘーイ! デブチョンカ(娘っこ)!」
「来いよ、こっちへ!」
屋根の上から笑いながら怒鳴る若者の声がきこえた。むこう側からはこちらの建物の、内庭に面しているすべての窓々とバルコニーとが見えるわけだった。若い者たちはおそらくその窓々がきょうはみんなしまっていて、バルコニーで働いている女の姿もないのを見きわめて、たった一つあいているバルコニーのニューラをからかっているらしかった。
赤茶色の屋根のゆるい勾配にそって横になっていた一人の若者が、重心をとりながら立ちあがって、ポケットから何か出した。そして、それを、ニューラのいるこちらのバルコニーへ向って見せながら、伸子にはききわけられない短い言葉を早口に叫んだ。そして、声をそろえてどっと笑った。一人が口へ指をあてて高い鋭い口笛をならした。それは何か
伸子はそっと台所から出て、自分たちの部屋に戻った。建物の表側にある伸子たちの部屋では、あけ放された窓ガラスに明るくフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根の色が映って、祭り日の街路を通る人々の気配がかすかにつたわって来る。こっちには祭日のおもて側があった。
モスク
のメーデイのよろこびの深さがわかるだけに、建物のうら側のバルコニーにはメーデイの閑寂の裏がある。台所のバルコニーに立ったニューラの姿は伸子に印象づけられた。伸子の心は象徴的に形を大きくした赤インクのかぎの形を忘られていなかった。七
メーデイがすぎると、モスク
の街々には一足とびの初夏がはじまった。すべての街路樹の若芽がおどろくようなはやさで若葉をひろげた。フラム・フリスタ・スパシーチェリヤの大理石の胸壁を濡らして明るい雨が降った。伸子が、モスク
の印象記を書き終ろうとしている机のところから目をあげて雨のあがったばかりの、窓のそとを見ると、雨の滴をつけた一本の電線に雀が七八羽ならんでとまっていたりした。伸子は、このごろ直接多計代あての手紙は書かなくなってしまっていた。モスク
の町に雪があったころ、保にかいた手紙のことで多計代から来た手紙を、伸子は半分よんだだけでおしまいまで読めなかったことがあった。それ以来、伸子は時々エハガキに近況をしらせる文句をかき、佐々皆々様、という宛名で出していた。動坂の家からは、伸子が東京あてのエハガキをかくよりも間遠に、和一郎がかいたり、寄せ書きしたりした音信が来た。相かわらずとりとめなく、どこへドライヴしたとかいう出来ごとばかりを知らせて。メーデイの前後しばらくの間、伸子はちょくちょく父のペンでつけられた赤インクのかぎつきの新聞記事を思い出してこだわった。
泰造が、例によって一人がそこにいる朝の食堂のテーブルであの新聞を読み、無意識に、入歯のはいっている奥歯をかみ合せながら、しっぽのひろがった太く短い眉をひそめてすぐテーブルの上においてあるインクスタンドからペンを執り、せっかちな手つきで赤インクのかぎをかけたときの顔つきが、手にとるように伸子にわかった。泰造のその表情や、わるく刺戟的な赤インクのかぎをかけた新聞を送らせるようなやりかたのなかに、伸子は、これまで心づかなかった父と自分との心のへだたりを知った。
三月十五日に日本で共産党の人々が検挙されたという記事に、泰造は、どんなつもりでそんな、衝動的な赤インクのかぎをかけ、伸子へ送らせたのだろう。伸子が仮にパリにいたとして、泰造はやっぱりこうして新聞をよこすだろうか。娘がモスク
にいるということだけで、泰造はその新聞記事から普通でない衝動をうけたのだ。どう表現していいか泰造自身にもわからなかったのだろうけれども、赤インクのかぎは、泰造の受けた衝撃の感情の性質を語っていることが伸子を悲しくさせた。去年の秋、伸子たちがソヴェトへ来るときめたとき、そして旅券のことについて動坂の家へ行ったとき、母の多計代は「ロ・シ・アへ?」と、ひとことひとこと、ひっぱって云って、いやな顔をした。半年近くたったこの間、伸子がそこまでよんで先がよめなくなった多計代の手紙には、「冷酷なあなたの心は、ロシアへ行ってから」とかかれていた。父の泰造は、旅券のことで助力をたのみに行ったときも、伸子がともかく自分の力で借金ができて、外国へも行くようになったことをよろこんで、行くさきについて意見は洩さなかった。その後の泰造の簡単なたよりにも、ロシアというものへの先入観や偏見はちっともあらわされていなかった。
ところが、こうして、日本にも世界のよその国と同じようにいつの間にか共産党が出来ていて、それがわかった、と大臣や役人があわてて右往左往している様子のわかる新聞記事が出たら、泰造の心の安定はたちまち動揺した。程度のちがいこそあれ多計代と同じような性質で、ロシアというところ、そこにいる伸子というものについて普通でない心の作用をあらわしている。
伸子には、無条件で父を肯定する習慣があった。母の多計代はどうであっても、父の泰造は、と思う習慣があった。その習慣的な父への安心が、伸子の心の中ではげしく揺られた。父と母とは、生れ合わせにもっている気質がちがって、そのちがいは永い年月が経つ間に双方からつよめられ、その間で育った娘の伸子には、父と母とがものの考えかたや感じかたで全くちがうように思えていた。けれども、いま伸子は、父と母との気質のそのちがいを実際よりも誇張して感じていたのは、自分の甘えだったとさとる心持になった。父と母とは、夫婦だったのだ。いざというところでは、いつも一致した利害を守って生きて来た夫婦だったのだ。伸子が、自分の都合のいいように誇張してそれに甘えて来たような本質のちがいが、両親のものの考えかたにあるという方が変だったのだ。
四月の末モスク
の中央美術館でひらかれたゴーリキイ展を見に行ったとき、伸子は、そこでゴーリキイに子供のときの写真が一枚もないことを発見した。そして赤坊のときからの写真をどっさりもっている自分に思いくらべた。それにつれて、写真に対する自分の浅薄さを非常に苦しく自覚したことがあった。母親と仮借なく対立しながら、父にだけは批評なしに甘えられそうに思っていた自分の心の姿も、伸子にはじめて同じような醜さとして見えた。父の泰造が、よく云っていた見識とか常識とかいうことも、窮極では、母の多計代の量見とどこまでちがったものだったろう。泰造は役所や役人ぎらいであった。大学を出たばかりで勤めた文部省の営繕課をやめたいばかりに、若い旧藩主のお伴のような立場でイギリスへ行った。泰造が官庁の建築家として完成したのは札幌の農科大学のつましい幾棟かの校舎だけであった。伸子が十九のとき札幌へ行ってみたら、その校舎は楡の樹の枝かげに古風な油絵のように煉瓦建の棟を並べていた。外国から帰ってから泰造はずっと民間の建築家として活動して来ている。
泰造はよく、判断のよりどころのように常識があるとか、ないとかいうことを云った。それがイギリスには在って日本にはないものであるかのように「コンモンセンス」と英語で云って、常識が低いとか、常識がないとか云うことは、泰造にとって軽蔑すべきことだった。でも泰造が、あるとかないとか重々しくいう常識というものは、どういうものだったのだろう。考えつめながらもお父様というよび名が心にうかぶとき、伸子は懐しさにうごかされた。泰造の暖くて大きくてオー・ド・キニーヌの匂いのする禿げ頭をしのんだ。そのなつかしい父に、伸子は自分について発見していると同じ性質の浅薄を感じた。父の泰造も、つきつめてみればほんとに常識と呼ぶだけつよい常識はもっていないのに、コンモンセンスと英語でいうようなところがある。ほんとに分別にとんだ常識というものなら、資本主義の一つの国で法律が共産党を禁じるという事実があるなら、とりも直さずそのことがそういう改革的な政党の生れるような社会的条件をその国がもっていることを語っているのだと、理解するはずだった。
五月の夜、若葉の香の濃い
の人々にまじって歩きながら、伸子はこの群集の流れの中で、あの赤インクのかぎを負っているのは自分だけだと思うと変な気がした。わきに並んで、時々腕をくみ合わせたりして歩いている素子にさえ、伸子のその奇妙な感じはわかっていない。モスク
の生活は、伸子を、日本にいたときはあることさえわからなかった広い複雑な社会現象のなかへつき出した。伸子はそれだけ自由にのびやかになった。そしたら、これまで気づかずにいたいろんな意味での赤インクのかぎが、自分にかかっていて、周囲に動いているモスク
の人たちにはかかっていないことを、見出しているのだった。こういう心の状態で夜の
へ来る年の秋、駒沢の奥の家に素子と住んでいたころ、素子が買って来て伸子も読んだブハーリンの厚い本の中に書いてあったことにつながっていた。駒沢の、ところが、赤インクのかぎは、伸子のその理解を、もう一遍ひっくりかえしにして見せた。泰造のうそのない役人ぎらいは、そのまま泰造を、金をもっている人々ぎらいの人間にはしてはいないという現実を、伸子は理解したのだった。
父の泰造のバロン、バロンとよんで話す或る富豪は美術と音楽の愛好者であった。同時に日本の大財閥で政党を支配し、日本の権力をにぎっている人の一人だった。その富豪と父の泰造とはイギリス時代からのつき合いで、友人の一種ではあったろうが、伸子たちをふくめる家族は、そのつき合いのなかに入れられていなかった。
伸子が十か十一ぐらいのときだった。泰造が何かの用で箱根へ行くことができて、伸子もつれられた。夏のことで、伸子ははじめて箱根というところへ父につれられてゆく珍しさに亢奮し、自分が着せられている真白なリネンの洋服に誇りを感じた。箱根へ行って、大きな宿屋で御飯をたべて、それから泰造が少女の伸子でも知っていたその富豪の名を云って、その別荘へよって行こうと云った。
伸子が父の泰造につれられて行ったその富豪の別荘は、伸子が少女小説の絵で見知っている城のようだった。大きな鉄の
少女の伸子は父とつれ立って目をみはりながらも、勝気な少女らしく、そのホールの絨毯の上を歩いた。自分が、よく似合うリネンの白い洋服をつけ、桃色のリボンで頭をまき、イギリス製のしゃれたサンダルをはいていることに伸子は満足していた。
伸子は、帰るまでにはきっとここの主人に会うものと思っていた。けれども父の泰造は伸子をつれて、執事の男と二つ三つの室をまわって見ただけだった。それきりで、また夏の日が土の上に照りつけている外へ出てしまったとき、伸子はあてがはずれ、辱しめられたような、がっかりしたいやな感じがした。あとで伸子に、主人が留守だから自分をつれて行ってくれたのだったということがわかった。
泰造はまた、財閥としてはその富豪と対立の立場にいて、同時に対立する政党を支配しているような人々とも同じような友人めいた交渉があった。全然政治的な興味も野心も持たない泰造の気質は、ひろい趣味をもっていて、或る意味では至極さっぱりしていたから、そういう年じゅうごたごたした関係の中で生きている人々にとって、らくにつき合える建築家の友人という関係であったのかもしれない。しかし、伸子は赤インクのかぎを思いだすと、父の泰造のそういう社交性を、やっぱり複雑に感じとらずにいられなかった。
そういう人々の住んでいる、伸子が見たこともなく快適な住居で、主人と泰造とが談笑しているとき、誰かが検挙された共産党を、少くともそれが生れる必然を肯定して話したとしたら、主人も泰造もどんな顔をするだろう。泰造はきっと、場所柄を考えずそんな話題をもちだした者の常識なさをとがめるだろう。でも、その場合の常識とは何だろう。富豪で権力をもっている人が、共産党の話なんかはきらうというその人たちの気分の側に立った泰造の判断であり、その人たちがきらうことを、よくないこととする通念にしたがう泰造の判断でなかったろうか。
伸子は、心ひそかに父の泰造を誇って来ていた。日本で有数の建築家として。役人でも実業家でもなく、軍人や政治家でもなくて、自分の父は建築家であり民間の独立した一人の技術家であるということを、文学を愛するような年ごろになってからの伸子は、どんなに心の誇りとして来たろう。
けれども、泰造の建築家としての独立性はほんとに狭い範囲のもので、根本では、民間の大建築を行う経済能力をもった者によって活動を支配されていることがわかったのは、伸子にとってそう遠いことではなかった。そして、泰造のそういう社会的な立場は、泰造の清廉さ、誠実さ、正義感、独立性にも限界を与えていて、泰造の紳士らしさには、何か見えないものへの服従が感じられることを、いま伸子は悲しく認めるのだった。伸子の意識は、そういう服従を、自分に求めていなかった。けれども、と伸子は自分について考えめぐらすのだった。たとえば自分が泰造の娘として、そのバロンなる人と一座しているとき、伸子が父の泰造の服従した感情とどれだけちがった自由をその心に保っていると期待できるだろうか。伸子は、自分がそういう場面におかれれば、やっぱり泰造と同じようにその人たちに好感を与える若い女として自分をあらわすにちがいないと感じた。さもなければ、そういう人が自分に加える圧力に負ける自覚がいやで、こわばって一座をさけるか。
伸子が十六七になったころ、日本ではじめてフィルハーモニーという洋楽愛好者の組織が出来た。パトロンは、泰造と友人めいた交渉を持つそのバロンだった。その第一回のコンサートのとき、伸子はおしゃれをして、親たちとその音楽会をききに行った。そしてバロン夫妻に紹介されたとき、その人たちの光沢のよい雰囲気に伸子は亢奮と反撥とを同時に感じた。二様の感情をうけながら伸子は、我しらず利発そうな洗練された娘として自分をあらわした記憶があった。そういうところが、自分にそれを認めることがいつもきらいな伸子の腹立たしいすべっこさだった。
素子に話しそうになりながら、話さなかったことのいきさつは、父の泰造に対すると同時に自分にも連関する伸子のこういう新しい気持の過程だった。それぞれの人がもっている道徳観というものも、その人たちの属す階級の利害に作用されている。それは、泰造についてみても真実だった。その真実は、伸子が生れかかっているイヴのように半分そこからぬけかかってまだ全体はぬけきっていない中流性にもあてはめられた。泰造がその限界の中では誠実な人であり、清廉な人であることにちがいはなかった。でも、伸子が新しく感じとった泰造の限界、自分の限界は、伸子にとってそれが分らなかった以前に戻すことは不可能だった。無条件に父を肯定しつづけ、父を肯定する自分を肯定して来た伸子にとって、こういう思いは、一段落がついたとき、痩せた自分に心づくような心の中の経験であった。
三月十五日の事件に関連して、社会科学の研究会を指導していた京大や九大の教授の或る人々を、文部省ではやめさせるように命令し、大学総長たちはそれをすぐ承知しないという新聞の記事があった。しかし、結局辞職勧告をうけて京大の山上毅教授そのほかのひとが大学を去ることになった。山上毅教授の勅任官服をつけた写真とそのニュースとがのっている新聞に、伸子が校正を友達の河野ウメにたのんでモスク
へ立って来た長い小説がやっと本になって発売される広告があった。間もなく、河野ウメから、出来た本を送ってよこした。モスク
の町に、本はどっさりあるけれども、紙質もまだわるく、装幀も粗末だった。そういう本ばかりみている伸子は、送られて来た自分の本の立派さにおどろいた。「いい本ねえ」
アストージェンカの室の机の上で小包をほどいて、伸子と素子とは、ひっぱり合うようにしてその美しい柿の絵のある和紙木版刷の表紙をもつ天金の本を眺めた。
その小説は日本の中産階級の一人の若い女を主人公としていた。溢れようとたぎりたつ若々しい生活意欲と環境のはげしい摩擦を描いたその小説のかげには、伸子自身の歓迎されない結婚とその破綻の推移があった。上質の紙にルビつきの鮮やかな活字で刷られているその本の頁をひらいて、テーブルの前に立ったまま伸子は、あちらこちらと、自分のかいた小説をよんだ。
「わたしにもお見せよ」
と手を出す素子に本をわたし、小包紙や紐の始末をしながら、伸子は、ソヴェトの女のひとたちに果してこの小説にこめられている日本の女性の様々な思いが同感できるだろうかしら、と思った。
「――ここじゃあ、却ってこの小説の男の立場を女にした場合の方が多くて、それならここのひとたちにもわかるんじゃないか」
素子が云う、男の立場というのは、主人公の夫である人物のことだった。その男は、若い妻が、息づまる生活環境に辛抱できないでもがく心持を理解することが出来ず、夫として妻を愛しているという自分の主観ばかりを固執して、複雑な関係の中で破局に導かれる人物だった。
「そうともちがうんじゃない?」
伸子は、その本の美しい小花の木版刷のついたケースをいじりながら云った。
「『インガ』みたいな芝居でも、夫にとりのこされた女は自分で自分を伸してゆく余力をもっているし、またそれが可能な条件を社会生活の中でもっているんだもの……」
伸子のその小説に描き出されているような娘の生活に対する親の執拗な干渉ということ一つとってみても、それはもうソヴェトの社会の習慣と感情のなかからはなくされている事実だった。モスク
のメーデイの行進の轟きの上に、象徴的に大きくされた赤インクのかぎを見たのが、日本の女であり、娘である伸子ばかりであったように。しかも、それは、伸子を愛していると自分でかたく信じている父の手によってひかれている赤インクのかぎを。――前後して、保から久しぶりにたよりが来た。またハガキだった。温室は好調でメロンが育ちつつあるということや、僕もそろそろ大学の入学準備で、科の選定をしなければならない。姉さんはどう思いますか、僕は大体哲学か倫理にしようと考えて居ます。と例の保の、軽いペンのつかいかたの几帳面な細字でかかれていた。
その頃から、モスク
では目に見えて夕方の時間がのびた。午後九時になっても、うすら明りのなかにフラム・フリスタ・スパシーチェリヤの金の円屋根が艷の消えた金色で大きく浮び、街々の古い建物にぬられている桃色や灰色が単調な、反射光線のない薄明りの中で街路樹の葉の濃い緑とともにパステル絵のように見えた。物音も不思議に柔らかく遠くひびくようになった。夜のなくなりはじめた広い空に向って、あいている二つの窓にカーテンのない伸子たちの部屋では、いつの間にやら二時三時になった。電車が通らなくなってしまってからの時刻、静かな、変化のないうすら明りにつつまれて、まばらに人通りのあるアストージェンカの街角の眺めは、そよりともしない
窓のそとの小さいバルコニーへ椅子を出して、伸子と素子とはいつまでも寝なかった。伸子は、保が、大学で哲学だの倫理だのを選ぼうとしていることを気にした。
「倫理学なんて、それだけを専門にするような学問なのかしら……あんまりあのひとらしくて、わたし苦しくなってしまう」
くもった真珠色のうすら明りの中で、小さく美しく焔を燃えたたせながら素子はマッチをすってタバコに火をつけた。そして、指先で、唇についたタバコの粉をとりながら云った。
「哲学の方が、そりゃましさね」
「哲学って云ったって……」
保のそういう選択に加わっているに相違ない越智の考えや、それに影響されている多計代の衒学好みを思いあわせ、伸子は信用しないという表情をかえなかった。
「哲学なんかやって、あのひとは益々出口がなくなってしまうばかりだわ、どうせカントなんかやるんだろうから……」
昔東大の夏期講座できいたカントの哲学の講義を思いおこし、保の抽象癖が、カント好みで拡大され組織されるのかと思うと、伸子はこわいような気がした。そんな学者になってしまった保を想像すると、伸子は保の一生と自分の生涯とを繋ぐどんな心のよりどころも失われてしまうように思った。
「あのひとに必要なのは、思いきって社会的にあのひとを突き出してくれる学科だのに」
「経済でもやればいいのさ、いっそのこと。――さもなければ、哲学だって、ここの国でやってるような方法で哲学をやりゃいいのさ。それなら、生きていることはたしかだもの」
でも保は、保のこのみで、あらゆる現実から絶対に影響されない純粋な真理を求めようとしている。そのことは伸子にわかりすぎるほどわかっていた。それは人間と自然の諸関係のおどろくべき動きそのものにわけ入って、その動きを肯定し、動きの法則を見出そうとする唯物弁証法の方向とはちがった。保は、何かの折唯物という言葉にさえ反撥したのを、伸子は覚えていた。利己という字につづいた物質的というような意味に感じて。
しばらく言葉をとぎらせて伸子と素子とがうすら明りの街を見下している午前二時のバルコニーへ、遠くから一つ馬の蹄の音がきこえて来た。その蹄の音は、伸子たちのバルコニーが面している中央美術館通りから響いて来た。石じき道の上へ四つの蹄が順ぐり落ちる音がききわけられるほどゆっくり、アストージェンカに向って進んで来る。やや暫くかかって、モスク
の一台の辻馬車があらわれた。それは、人も馬も眠りながら、白夜の通りを歩いてゆく馬車だった。黒い馬が、頸を垂れて挽いてゆく辻馬車の高い御者台の上で、毛皮ふちの緑色の円型帽をかぶった御者は、すっかりゆるめた手綱をもったまま両手をさしかわしに外套の袖口に入れて、こくりこくり揺られている。座席に一人の酔っぱらいが半分横倒しにのっていた。薄い外套の下に白ルバーシカの胸をはだけ、ギターをかかえている。馬車は、伸子たちの目の前へあらわれたときののろさで、アストージェンカの角へ見えなくなって行った。馬車が見えなくなったあといつまでも、蹄の音が単調なうす明りの中に建ち並んでいる通りの建物に反響して、伸子たちのところまできこえた。伸子は、翌日、保へあて、手紙をかいた。伸子には、倫理学が独立した専門の学問として考えられないこと。哲学そのものが、今日の世界では進歩して来ている。彼は、どういう方向で哲学をやって行こうとしているのか知らしてほしい、そういう意味を書いた。
伸子が保へその手紙を出して一週間ばかり立ったとき、おっかけて保からまた一枚のハガキが来た。それには、前のたよりと何の関係もなく、保の夏のプランが語られていた。僕はこの夏は一つ大いに愉快にやって見ようと思います。保としては珍しく、決断のこもった調子の文章であった。字はいつもながらの字で、大いにテニスをやり、自転車をのりまわし、ドライヴもしてと書いてあった。伸子は、そのハガキを手にとって読んだとき、何となし唐突なように感じなくもなかった。けれども、伸子が保から来たそのハガキをよんでいるモスク
は、もう夏だった。
の夏景色にあてはめて読みとった。第三章
一
白夜の美しいのは六月のはじめと云われている。伸子と素子とはその季節に、二ヵ月あまり暮したアストージェンカの部屋をひきあげてレーニングラードへ向った。
春とともに乾きはじめて埃っぽくなるモスク
は、メーデイがすぎ、にわかに夏めいた日光がすべてのものの上に躍りだすと、いかにも平地の都会らしく、うるおいのない暑さになって来た。伸子たちは夜の十一時すぎの汽車でモスク
の北停車場を出発した。汽車がすいていて、よく眠って目がさめたとき列車の窓の外に見える風景が伸子をおどろかせた。列車は、ところどころに朽ちかけた柵のある寂しいひろい野原に沿って走っていた。その野原の青草を浸す一面のひたひた水が春のまし水のように明けがたの鈍い灰色の空の下に光っていた。瑞々しい若葉をひろげた白樺の林がその水の中に群れ立っている。白と緑と灰色の色調の水っぽくて人気ない風景は、いかにも北の海近い土地に入って来た感じだった。汽車の窓から見えた北の国らしい風物の印象は、レーニングラードという都会にはいって一層つよめられた。バルト海に面していくすじもの運河をもつこの都会は十八世紀につくられた。橋々は繁華で、いまは十月通りと呼ばれるもとのニェフスキー
河やバルト海や、その都会をとりかこむ水の多さを感じさせる。レーニングラードには不思議に憂鬱な美しさがあった。伸子と素子とはレーニングラードのはじめの十日間ばかり、小ネ
河の掘割の見えるヨーロッパ・ホテルにとまっていた。そこで伸子たちに予想しなかった一つのことがおこった。或る朝、新聞のインタービュー記事で、ゴーリキイが、伸子たちと同じヨーロッパ・ホテルに逗留していることがわかった。「へえ――じゃあ、もう南から帰って来ていたんだね」
「そうらしいわねえ」
五月に五年ぶりでソレントからソヴェトへ帰って来たマクシム・ゴーリキイは、歓迎の波にまかれながら、じき南露へ行ってドニェプルのダム建設工事その他を見学していたのだった。
「――そうか」
そう云ったまま黙って何か考えている素子と顔を見合わせているうちに、伸子の心が動いた。
「会ってみましょうか」
伸子がいきなり単純に云いだした。どんなひとだか会って見ようという心ではなく、もっと
「――どう?」
「ひとつ都合をきいて見ようか」
明るく眼を
「われわれはいつがいいだろう」
「だって――。あっちは忙しい人だもの」
「むこうの都合をきいてからこっちをきめるとするか」
「そりゃそうだと思うわ」
素子が小さい紙にノートの下書きをかいた。二人の日本の婦人作家が、あなたに会うことを希望している。短い時間がさいて貰えるでしょうか。御返事を期待します。そしてホテルの自分たちの室番号と二人の名をかいた。
「ところで、宛名、何て書いたもんだろう――いきなりマクシム・ゴーリキイへ、かい?」
なんとなしそれも落付かなかった。
「グラジュダニン(市民)てこともないわねえ」
区役所へでも行ったような不似合さにふき出しながら伸子が云った。
「タワーリシチじゃ変かしら」
「そのこころもちさね、土台会おうなんて――」
「じゃ、そう書いちゃえ」
「そうだ、そうだ」
素子の書いたノートを、二人でホテルの受付へもって行った。そして、ゴーリキイの室の鍵箱へいれてもらった。ゴーリキイは八番の室であった。
翌朝、伸子たちはその返事を自分たちの鍵箱に見出した。その次の日の朝十時半に、ゴーリキイは伸子たちを自分の室で待つということだった。
伸子は白地にほそい紅縞の夏服をつけ、素子は、白ブラウスの胸に絹糸の手あみのきれいなネクタイをつけ、約束の朝の時間きっちりに、八番のドアをたたいた。
白く塗られた大きいドアがすぐ開けられた。びっくりするほど背の高い、うすい栗色の髪をした若い男が、これはまたドアを開けたすぐのところに立っている二人の女があんまり小さいのにおどろいたようだった。
「こんにちは。どんな御用でしょう」
こごみかかるようにして訊いた。いくらか上気した頬の色で素子が自分たちの来たわけを告げた。
「ああ、お待ちしていました。お入りなさい」
狭い控間をぬけて、その奥の客室へとおされた。そこの窓にも小ネ
の眺望があった。室のまんなかにおかれている大理石のテーブルの上に、どうしたわけかぽつんと一つ皿がおいてあって、ひと切れのトーストがのっていた。奥の別室に通じているもう一つのドアがあいた。ゴーリキイが出て来た。伸子たちを案内した若い背の高い男と一緒に。写真で見覚えているよりも、ゴーリキイはずっとふけて大柄な体から肉が落ちていた。同時に、薄灰色の柔かな布地の服を着ているゴーリキイには、写真でわからない老年の乾いた軽やかさがあった。二人つれだったところを見ると、一目で若い男がゴーリキイの息子であるのがわかった。二人とも背の高さはおつかつで、骨骼もそっくりだった。けれども、ちょっと形容する言葉の見出せないほど重々しく豊富なゴーリキイの顔と、善良そうであるけれどもどこか力の足りなくて、背がのびすぎたようなゴーリキイの息子とは、何とちがっているだろう。ゴーリキイ父子をそういうものとして目の前に見ることも伸子の心にふれた。ゴーリキイは大きくてさっぱりと暖い掌の中へ、かわりがわり伸子と素子の手をとって挨拶した。
「おかけなさい」
そして、自分もゆったりした肱かけ椅子にかけながら、
「私の息子です」
わきに立っている若い男を伸子たちに紹介した。
「私の秘書として働いています」
多分このひとの子供だろう、ゴーリキイが、赤坊をだいてとっていた写真のあることを伸子は思い出した。
ゴーリキイは、伸子たちに、ソヴェトをどう思うか、ときいた。
伸子は少し考えて、
「大変面白いと思います」
と答えた。
「ふむ」
ゴーリキイは、面白い、という簡単な表現がふくむ端から端までの内容を吟味するようにしていたが、やがて、
「そう。たしかに面白いと云える」
と肯いた。
「ソヴェトは、大規模な人類的実験をしています」
そして、日本へ行ったソヴェト作家の噂が話題になった。また、日本で翻訳されているゴーリキイの作品につき、上演された「どん底」につき、主として素子が話した。
素子は、素子の訳したチェホフの書簡集を、伸子は伸子の小説をゴーリキイにおくった。ゴーリキイは、綺麗な本だと云って伸子の小説をうちかえして眺めながら、日本の法律は婦人の著作について特別な制限を加えていないのかと素子に向ってたずねた。素子は、
「女でも自分の意志で本が出せます――勿論検閲が許す範囲ですが」
と答えた。ゴーリキイは、
「そうですか」
と意外そうだった。
「イタリーでは、婦人が著書を出版するときには、若い娘ならば父兄か、結婚している婦人なら夫の許可が必要です」
そして、真面目に考えながら、
「それはむしろ不思議なことだ」
と云った。
「日本というところは婦人の社会的地位を認めていないのに、本だけが自由に出せるというのは――」
「それだけ日本が女にとって自由だということではないと思います」
伸子が、やっとそれだけのロシア語をつかまえて並べるように云った。
「それは、古い日本の権力が、女の本をかく場合を想像していなかったからでしょう」
「――あり得ることだ」
社会のそういう矛盾を度々見て来ている人らしく、ゴーリキイは、笑った。伸子たちも笑った。三人の間に、やがて日本の
低い肱かけ椅子にかけているゴーリキイは顔のよこから六月の朝の澄んだ光線をうけて額に大きく深い横皺が見えた。ネ
河の小波だつ川面をわたって、ひろく窓から入っている明るさは、ゴーリキイの薄灰色のやわらかな服の肩にも膝にも落ちて、それは絨毯の上で伸子たちの靴のつまさきを光らせている。自分が話そうとするよりもゴーリキイの真率でとりつくろったところのない全体の様子を伸子は、吸いとるように眺めた。ゴーリキイには、有名な人間が自分の有名さですれているようなうわ光りが
そろそろ
「ニーチェヴォ」
と云いながら、窓の方へ体をよじるようにして伸子の書いた字の濡れているインクの上を吹いた。それは自然で、伸子の心をぎゅーっとつかむような自然さだった。ゴーリキイに会っていると、伸子のよんだ作品の世界のすべてが、人間の多様さと真実性をもって確認される感じだった。
ゴーリキイの室を出て、自分たちの部屋へと廊下を歩いて来ながら、伸子はうれしさから段々しんみりと沈んだ心持に移って行った。ゴーリキイの深い味わいのある艷消しの人間性にこのましさを感じたとき、伸子は反射的に、父の泰造にある艷を思った。泰造のもっている艷の世俗性が伸子にまざまざとした。そしてそこに赤インクのかぎが見えた。伸子はまばたきをとめて父の艷と赤インクのかぎとを見つめるような心持になった。
一人の芸術家が、個性的だというような表現で概括されるうちは、そのひとの線はほそく、未発展のものだということも、ゴーリキイを見ると伸子に感じられた。
それから五、六日後、伸子と素子とはヨーロッパ・ホテルから冬宮わきにある学者の家へ移った。レーニングラード対外文化連絡協会の紹介と、メーデイのすぐあと日本へかえった秋山宇一を送ってからレーニングラードへ来ている内海厚の斡旋であった。
そこはネ
河の河岸で、窓ぎわにたつと目の下に黒く迅いネ
の流れがあった。遠く対岸にペテロパウロフスク要塞の金の尖塔が見えている。伸子と素子とが並んで、ネ
の流れの落日を眺めたりする窓は、二人の立姿が小さく見えるぐらい高く大きかった。白夜の最中で、毎日午後十二時をすぎての日没だった。伸子と素子が日本の女の
の流れが先ず暗くなってレーニングラードのこの季節の日没と日の出は一つの見ものだった。対岸に真黒く突立っている三本の煙突の一本めと二本めとの間に沈んだ太陽は、十二三分の間をおいただけで、すぐまた、沈んだところからほんの僅か側へよった地点からのぼりはじめた。沈むときよりも、手間どるようにその太陽はのぼって来る。バルト海からの上げ潮でふくらみはじめたネ
の水の重い鋼色の上を光が走った。河岸通りには、人通りが絶えている。こういう時間の眺めは憂愁にみち、また美しかった。伸子はレーニングラードという都会がそんなにも北の果ちかくあることや、地球の円さが日没と日の出とにそんなにはっきりあらわされる自然にうたれた。レーニングラードは、ソヴェト同盟の首都でない。このことが、半年モスク
でばかり生活しつづけて来た伸子と素子とに、レーニングラードへ来てみるまではわからなかったそこでの暮しの味わいを知らせた。レーニングラード
ヴ・オ・ク・ス(対外文化連絡協会)は、伸子たちの泊っている元ウラジーミル大公の邸、ドーム・ウチョーヌイフ(学者の家)の通りを三位一体橋の方へゆく左側にあった。木煉瓦のしきつめられたそのあたりの通りは広くて、いつも静かで、ヨーロッパの貴族屋敷らしい鉄柵のめぐらされた庭の六月の青葉の茂みが歩道の上まで深く枝をのばしている。冬宮の周辺のそのあたりには、まるで人気のない建物があった。同じ広い通りの右側に、鉄柵のめぐらされた大邸宅が一つあった。槍形に寂しいその通りは、三色菫の植えこまれた花壇が遠くに見える公園へ向ってひらいた。その左角の鉄柵に、レーニングラード
ヴ・オ・ク・ス(対外文化連絡協会)の白く塗られた札がかかっていた。
の流れが見えていた。濃い夏草と楡の下枝のむこうの鉄柵ごしに見えるネ
の流れは、伸子がほかのどこで見たよりも迅く、つよく流れているようだった。その水音が聴えて来るかと思うほどひっそりとした真昼の小砂利道は、ドアの片びらきになっている一つの戸口へ伸子たちを導いた。奥の方へつづいた大きい建物のはずれにあいているそのドアは、事務所めいたところがどこにもなくて、外壁に改めてかけられているレーニングラード
ヴ・オ・ク・スの札がなければ、あたりの人気なさは伸子たちに自分たちを侵入者のように感じさせそうだった。伸子たちは、タイプライターの音をたよりに二階の一つの広間へ入って行った。そこは、壁に絹をはった本式の貴族の広間だった。楕円形の大テーブルが中央に置いてあって、その上にきちんと、ヴ・オ・ク・スの出版物が陳列されている。そこを通りぬけた小部屋でタイプライターがうたれている。
声をかけて、あけはなされているその室の入口に立ったとき、伸子はまた不思議な心持になった。若いきれいな女のひとがたった一人、そのバラ色で装飾された室の真中にフランス脚の茶テーブルを出して、その上でタイプライターをうっていた。なぜ、このひどく
モスク
のブロンナヤ通りに面して、フランスまがいの飾りドアが、一日中開いたりしまったりしているモスク
ヴ・オ・ク・スの活況と、ここのしずけさとは、何というちがいだろう。モスク
のヴ・オ・ク・スは、あぶくを立て湯気をたてて煮えたっているスープ鍋だった。ここの、廃園の奥にあるレーニングラード
ヴ・オ・ク・スは丁度手綺麗な切子ガラスのオードウヴル(前菜)の皿のようだった。よけいなものは何一つない。いるだけのものは揃えられている。――伸子と素子とは、毎朝九時ごろ、学者の家のごろた石をしきつめた裏庭をぬけて、レーニングラードのあっち、こっちへ出かけた。レーニングラード・ソヴェトのあるスモーリヌィや、母性保護研究所。「労働婦人と農婦」編輯局。郊外にあるピオニェールの夏の野営地など。
伸子たちがそこへ行ってみたいと思ってヴ・オ・ク・スから紹介をもらったところは、どこもみんな、元ニェフスキー
がそうであるように、すりへったごろた石じきの町々であった。すりへったごろた石の間には藁くずや紙くずや乾いた馬糞がある。北の夏は、歩いている伸子たちに汗をかかせるほどではないが、埃っぽくむっとした街路のいきれが、彼女たちの靴を白くした。白麻のブラウスに、学生っぽいジャンパア・スカートをつけて訪ねて行ったさきざきで、伸子たちは、モスク
で知らなかった発見をしたのだった。モスク
でも、伸子たちは随分いろんなところを見学した。とくに伸子は素子の倍ほども足で歩いて目で見て歩く仕事をしたのであったが、モスク
ではどこへ行っても、そこに見出すのは、ソヴェト社会という大きな有機体の一部として不断に活動している一つのシステム、或はメカニズムだった。最新式の
で、人々は、一人一人が活動のなかへ消えこんでいるほどはげしく活動しつづけている。スモーリヌィへ行って、伸子たちは、はじめてレーニングラードの、テムポを理解した。スモーリヌィはもと貴族女学校で、十月革命の頃、ここに全露ソヴェトがおかれていた。歴史的な十月の夜、コサック革命軍の機銃にまもられていたスモーリヌィの正面玄関の柱列や、銃をかかえたまま無数の人々がそこを駈け上り駈け下りした正面階段には、伸子たちがのぼってゆく一九二八年の六月の或る朝、夏の
では、モスク
・ソヴェトを訪ねたことがなかったために、そこの婦人部へ来てみたのだった。伸子と素子とは、その日一日だけ、スモーリヌィで過すつもりだった。都合によれば、数時間だけ。――ところが、伸子たちは、その翌日もまた次の日も、四日つづけてスモーリヌィを訪ねることになった。レーニングラード・ソヴェトでは、そのころ婦人部の仕事で農村婦人の政治指導者養成のための講習会をやっていた。レーニングラード附近の各地方ソヴェトから選ばれて来た婦人代表が五十人ばかり一クラスとなって、二週間の講習をうけていた。計らずそこへ現れた伸子と素子とは、翌日もたれる懇談会へ招かれた。懇談会へ傍聴に来ていた文化部の責任者から、その次の日、文化部を訪ねて来るように招かれた。四日目に、伸子たちは、十月革命の時期、レーニン夫妻が自分たちの室として住んでいたというスモーリヌィの、もと掃除女の部屋だった小室を見せて貰った。
そんなことは、何ひとつヴ・オ・ク・スの紹介状には記入されていないことだった。モスク
では、どこでも、紹介状の当てられたその部面だけが、伸子たちの前にひらかれた。一通の紹介状は二度役に立たず、二つの部門に共通しなかった。スモーリヌィでは、伸子たちの前に開いた婦人部のドアが、次から次へと別のドアを開き、次から次へと別の人が現れ、その人々は、それぞれ自分から説明し、伸子たちに訊ね、ちょいとしたユーモアをあらわした。文化部のパシュキンが云ったように。――パシュキンは、「さあ、どう思いますか、我らの達成は素晴らしいでしょう、ここにこういう手紙が来ましたよ、遠い田舎の女から……」
「彼女は、ソヴェト文化部へ質問して来ているんです。ソヴェト権力は、亭主が妻をなぐることを認めているでしょうか。わたしの亭主は革命前に、わたしをなぐっていました。そしていまもなぐります。――ヴォート!」
パシュキンは、さきの太い鉛筆の大きな字のかいてある水色の紙きれをテーブルの上において、大きい手の平を上向けに、また、
「ヴォート!」
と、云って左眼をつぶった。
「ソヴェト権力がどんなに広汎な問題に責任を問われているかということが、わかりますか」
やがてパシュキンは、ユーモラスな眼の輝きのなかに集注した注意を浮べた。
「彼女は、坊主にこれを訴えないで、ソヴェト文化部へ手紙をよこした。ここにはっきり我らの十年の意味が語られています」
「返事をやりますか?」
伸子がそうきいた。
「もちろんやりますとも。――この手紙は我々のところから婦人部へまわします。残念なことにロシアにはまだ、なぐる夫や親たちが少なからずいるんです。子供たちも加わって、なぐられる習慣のある子供たちを保護する団体をつくりました。誰からそのことをききましたか?」
こういう話しぶりの間に、モスク
では伸子がめぐり合うことのなかったゆるやかさでスモーリヌィでの時が経過した。迅すぎない時間の流れのなかに、伸子は変化しつつあるソヴェトの人々の感情の、横姿やうしろ姿までを見まもるゆとりを与えられた。はじめて、スモーリヌィの婦人部へ行ったときのことだった。
二台のタイプライターの音が交互にきこえて来る隣りの室のドアがあいて、一人の瘠せがたの白ブラウスをつけた婦人が出て来た。黒いスカートをはいて背のすらりとしたそのひとの皮膚はうすくて、ヴ・オ・ク・スで会った若い女のひとと一種共通したレーニングラードの知識婦人の雰囲気をもっていた。
そのひとは、伸子たちの問いに答えて婦人部の活動を話してきかせるより先に、伸子たちが共産党とどういう関係をもっているかときいた。伸子たちとして、行った先でそういう質問をうけたのははじめてだった。
「わたしたちは党外のものです」
伸子が返事した。
「政治活動家でもありません。わたしたちは文学の仕事をしているから――けれども、わたしたちはあなたがたの仕事について知りたいと思って居ります」
白黒のなりの女は、役所風に、
「モージュノ(出来ます)」
と云った。そうひとこと云ったきりで、片手にもった鉛筆で、機械的に片手の手のひらをたたきながら不得要領にしている。その態度に刺戟されたように、素子が独特の悧巧で皮肉な鋭い片頬笑みを浮べながら、
「ソヴェト婦人部の仕事は、党員婦人だけのためにされるべきものなんですか」
と質問した。黒白の女は、急に目をさましたように伸子たち二人をみて、弁明的な早口で云った。
「そんなことはありません。ソヴェト代議員には、党外婦人の方がより多勢選挙されているぐらいですから」
しかし、この白黒の女に、東洋という観念がはっきりつかめていず、日本の女を見たのも初めてなのは明らかだった。ヴ・オ・ク・スの若いひとも、日本の女に会ったのは伸子たちがやっぱり初めてらしくて、どこか調子のわからないようなばつのわるさを、優美なそのひとらしく内気さと社交性であらわした。スモーリヌィの白黒の女は、なお自分に求められている婦人部の活動についての説明は回避して、自分の知らない未開地の状況の報告でもきくように、日本では女子のための大学があるかなどと質問をつづけた。
ますます
「――わたしどものところへのお客様ですか?」
こだわりのない足どりで真直伸子たちに近づいて来た。
「こんにちは」
太くて力のある手で握手しながら白黒の女と伸子たちとを半々に見た。
「どちらから?」
白黒の女は、椅子から立ち上りながら、
「わたしたちの主任です」
伸子たちにそう告げて、サラファンのひとに向って伸子たちが日本の婦人作家であること。ヴ・オ・ク・スから紹介されて来ていること。婦人部の仕事について学びたいと云っていることを報告した。サラファンのひとは、クリーム色のプラトークの結びめのはじを、日焦け色をしたむきだしの頸のうしろでひらひらさせながら、
「大変うれしいです」
と、伸子たちにうなずいた、すると、白黒の女は、すこし声をおとし、しかしそれは十分伸子たちにきこえる程度で念を押すように、
「彼女たちは、党員でありません」
とつけ加えた。その瞬間、伸子は火のような軽蔑と反撥が胸の中を走ったのを感じた。党員でなければどうだ、というのだろう。どんな人だって、党員より前に人間であるしかないのだ。そして、女であるか男であるかしかないのだ。――
クリーム色のプラトークのひとは、到って平静で、伸子たちの上に視線をおいたまま、声の高さをかえず、
「それは重大なことじゃありません」
と云った。
「わたしたちは、みんなのために働いているんだから……」
白黒が立ってそこから去ったあとの椅子に、かわってサラファンのひとがかけた。
「さて、何からはじめましょう。あなたがたは遠くから来ていらっしゃるのだから、ここでの時間は有効につかわなくてはなりません」
サラファンのひとは、その室にいた別の女に云ってソヴェトの構成図の印刷したものを伸子たちに与えた。婦人のソヴェト代議員の大部分は村でも都会でも主として、教育、衛生、食糧の部門でよく活動していると説明した。
「非常に大部分の婦人が、特に農村では自分たちの文盲を克服すると同時に、すぐ村ソヴェトの活動に参加して来ているんです。わたしたちのところでは、子供たちもぐんぐん育っていますけれど、婦人たちの成長ぶりはすばらしいです」
このサラファンのひとが、伸子たちを婦人代議員たちのために政治講習会が開かれている室へつれて行った。かなり広い、風とおしのいい白壁の室の真中に、色さまざまなプラトークで頭をつつんだ、さまざまの年齢の婦人たちが、どの額も頬も農村のつよい日光と風にさらされた色で、農業と電化の話をきいていた。うしろに空いていたベンチに伸子たちと並んでかけて、クリーム色プラトークのひとは、更紗模様のサラファンの下で楽々と高く膝を組み、その上へむきだしの太い肱をつき、顎を支え、断髪を赤いプラトークでつつんだ二十七八の講師の話が終るのを待った。講義が終ったとき、彼女は一同に伸子たちをひき合わせた。すると、講習生の中の一人で金の輪の耳飾りをつけた、いかにもしっかりもののおっかさん風の四十ばかりの婦人代議員から、伸子たちに向って、日本の婦人も参政権をもっているか、という質問が出た。
伸子は、この村ソヴェト婦人代議員の質問の題目よりも、彼女の質問のしかたにつよい興味をひかれた。どこまでも実際家らしい体つきのそのおっかさん風の代議員は、単に知識上の好奇心からそういう質問を伸子にしているのではないことが、まざまざと伸子に感じられた。彼女は村での自分の生活がひろがり、日々に新発見があり、人生の地平線が遠く大きく見えはじめたその生活感の新鮮さから、日本の女はどうしているのだろうと、知りたがっているのだった。素子にたすけられながら、伸子は簡単に、ごく短かかった日本の自由民権時代、男女平等論の時代と、それからあと現代までつづいている婦人の差別的な境遇について説明した。おっかさん代議員は、伸子のその話をきくと、
「御覧!」
肩をゆすりながらおこったようにとなりに坐っている同年配の女の脇を
「わたしたちのとこだって同じことだったんだ」
楽な様子でベンチにかけながら注意ぶかくこの空気を見ていたサラファンのひとが、
「皆さん、どうですか」
と云った。
「この様子だと、わたしどもは、お互にもっと訊いたり、きかせたりすることがありそうじゃありませんか。明日、二時から、座談会をしましょう、どうです?」
農村からのひとたちらしく、ゆっくり重くひっぱった。
「ハラショー」
「ラードノ」
が、あっちこっちからおこった。こうして、伸子たちは、思いがけずまた翌日もスモーリヌィへ来ることになった。丁度
「どうして?」
立ちどまって伸子たちを見た。
「どこへ駈け出すんです? わたしたちと一緒におたべなさい」
わきを歩いていた一人の、手に
「まったくのことさ!」
と云った。
「革命のときはみんながかつえたけれど、いま、パンは、たっぷりなんだから遠慮はいらないことさ」
スモーリヌィからニェフスキー大通りの手前まで、電車にのって夕方の街々をぬけてかえる途中、伸子はサラファンのひとと、白黒のひととあんまり違いのひどかったことを、くりかえして心にかみしめた。サラファンのひとが戻って来るまで、伸子は、白黒を婦人部の責任者かしらと思っていた。白黒は、伸子たちにそんな風に思いこませるように応待をした。まるで素朴な外見で、自分のするべきことをよく知っていて、そのやりかたに、気持のさっぱりした洗濯上手の女のような自然の練達と確信がそなわっているサラファンのひとが、本当の責任者だったということは、すこし強く云えば、伸子に、ソヴェトというものに対する信頼をとりもどさせた。
「あなた気がついた?」
がったん、がったん、と古びたレールの上ではずむ電車の中で、伸子は
「白黒さんが、わたしたちの主任です、と云ったときの、あの調子! なんてデリケートだったんでしょう。まるで、あのひとが間にあったのが残念みたいだったじゃないの」
「あれで、白黒の方がきっと大学ぐらいでているんだ。だからいやんなっちゃう――」
翌日スモーリヌィへゆき、また次の日もゆき、ゆくたびに伸子はアンナ・シーモヴァというそのサラファンのひとにつよくひかれた。アンナ・シーモヴァは伸子よりも五つ六つ年上らしかった。一九一七年からの党員で、革命のときは働いていた工場のある地区ソヴェトの仕事をしていたということだった。いつみてもとりつくろわない風で、アンナ・シーモヴァは動きも気持も自然だった。彼女のうちにきわだって感じられるのは精神の均衡で、あっさりしたユーモアと具体的なポイントのつかみと一緒に、人に自信をめざませ、働かせ、それを愉快に感じさせる力がアンナ・シーモヴァのなかにある。
一番おしまいにスモーリヌィへ行ったときのことであった。レーニンの室を見せて貰って帰りぎわに、伸子たちはもう一遍アンナ・シーモヴァのところへよった。彼女は室にいなかった。伸子たちが帰りかけて、三階の踊り場まで降りて来たとき、下からのぼって来るアンナ・シーモヴァに会った。伸子たちは、ほんとに心持よく多くのことを学んで過したスモーリヌィの四日間について礼を云った。
「あなたがたが満足されたのは、わたしもうれしいですよ」
そして、伸子たちが秋まではレーニングラードに滞在する予定だと云うと、
「せいぜい愉快なときをおもちなさい、秋にまたお会いしましょう」
そう云ってさようならをしかけたが、アンナ・シーモヴァは、急に伸子と握手していた手をそのままとめて、
「この講習会がすむと、わたしも休暇をとるんですよ」
と云った。アンナ・シーモヴァはうれしそうにそう云って頬が微笑で輝いた。
「わたしに、三つの娘がいるんです」
つづけて、アンナ・シーモヴァが柔かい低い声で云った。
「わたしの夫は、集団農場の組織のために地方へ行っていますが、彼も一週間たつと休暇になります」
アンナ・シーモヴァが、
「わたしたちは、三人で暮すんです。少くとも一ヵ月――」
と云ったとき、伸子は思わず、
「おめでとう!」
そう云って、アンナ・シーモヴァを抱擁しそうに手をひろげた。アンナ・シーモヴァの幸福感はそれほど新鮮で、伸子をうち、感染させた。三つの娘がいるんですよ。わたしの夫は地方から休暇をとって来ます。わたしも講習会が終ったら休暇になります。そして、わたしたちは三人で暮すんです。歌のような活動のリズムと
もうスモーリヌィへ行かなくなってから、伸子は一層しばしばアンナ・シーモヴァを思いおこした。あの、歌の
それを思うごとに、伸子の心に憧れがさまされた。アンナ・シーモヴァのあの歓喜のある生きかた。ひとまで幸福にするあの清冽な幸福感。
「アンナ・シーモヴァって、いいわねえ。あのひとは、ほんとに生きているという感じがぴちぴちしている。――そう思わない?」
レーニングラードの白夜もややすぎかけて薄暗くなりはじめた夜ふけの窓によりかかり、ネ
からの風にふかれながら、部屋靴にくつろいだ伸子が、ひかれる心を抑えかねるように素子に云った。「あんな風に生きるってこと――羨しくない?」
素子は、正面から噴水のしぶきでもあびたときのように、伸子の横溢の前にちょっと息をひくようにした。
「そりゃ、あのひとはほんものさね」
「あんな人に会えたの、思いがけないことだったわねえ」
モスク
で暮した六ヵ月あまりの間に、その面影が伸子の心に刻まれたひとが無いわけではなかった。正体のわからないような三重顎のクラウデに紹介されて、ホテル・メトロポリタンのごみっぽい室で会った中国の女博士リンの思い出は、そのときの情景を思い出すごとに伸子をしんみりと真面目にした。あなたの国の人たちとわたしの国の人たちと、どっちが苦しい生活をしているんでしょうねえ。哀愁をこめたリン博士のその言葉は伸子の耳の底にのこっている。伸子は、そういうリン博士の言葉で、自分という者の運命が日本の見知らぬ数千万の人々の運命とかたく結ばれたその一部であることを知らされたのだった。けれども、伸子がリン博士に感じた尊敬や真摯さは、伸子が伸子でないものになりたいような刺戟を与えるものではなかった。リン博士のゆたかさ、伸子の貧弱さ、その間には非常に大きな差があった。けれども、その厳粛な差のなかにリン博士の本質は伸子の本質と通じるものであることが感じられた。アンナ・シーモヴァに伸子のひかれているこころもちは、惹きつけられる感情そのものが、もう伸子を伸子のそとへ押しだすものだった。リン博士と伸子との間に流れかよった共感というのとはちがった。アンナ・シーモヴァって何といいのだろう。そう思うとき伸子は、自分という意識から解き放されて、アンナ・シーモヴァという一人の女性に表現されているこのましい生活ぶりへの想像に惹きこまれるのだった。
六月も終ろうとする晩で、伸子がよりかかっている窓のあたりは、人気ない河岸どおりをへだてて、ふんだんなネ
の夜の水の匂いがして来るようだった。「あなた不思議だと思わない?」
くつろいでいる全身に、金ぶち飾りのついた天井からの隈ないシャンデリアの光を浴びながら伸子がまたつづけた。
「アンナ・シーモヴァとゴーリキイと、どこか共通な感じがあるのに気がついた?」
「――そうかなあ」
ベッドよりに置かれているテーブルのはじに左肱をかけて、タバコのついていないパイプを指の間でいじりながら、素子がのみこめなさそうな眼ばたきをした。
「そう云えば、あのひとたちは、どっちも働く人の中から出ているんだから、そういう意味では共通な感じがあるかもしれない」
「そればかりじゃなく――革命を経験した人たちだというだけでもなく。――ゴーリキイはあんなに人間で、まるで人生そのものみたいに見事で、それで
「…………」
素子はだまってじっと伸子を見つめた。そして、無意識な手つきでからのパイプを口に
の面を越して対岸の街燈が淋しくまばらに見えている。「立派な、人間らしい人たちの中に、それぞれの完全な性があるのは美しいことだわねえ」
素子の方へ背をむけて歩いていた伸子は、あこがれに小波だっているような調子でそう云ったとき、きいている素子がさっと上気したのを知らなかった。
「わたしも、ああいう風に咲き揃ってみたいと思うわ。――あの人たちのように……何て人間らしいんでしょう。咲きそろうって……」
でも、と伸子はすぐつづけて考えた。自分には、自分を咲き揃わせるどんな方法が現実にあるだろう。誰の真似でもなく、間に合わせでもなく、この自分が咲き揃うために。――ゴーリキイやアンナ・シーモヴァが生きて来て、自身を咲き揃わせた道は、それが心を魅する内容をもっていればいるほどその人たち固有のもので、伸子にそのままくりかえせるものでも、真似するすき間のあるものでもなかった。いつかまた窓ぎわに戻って、目に映るものをほんとには見ていない視線を、明るく照し出されている素子の顔の上におきながら、伸子は思いつづけた。人間の善意は大きく真面目で、その中で一人一人が自分の正直な意志や希望を生かしてゆくためには、何ときびしいその人ひとの道があるだろう。その道の前途は、伸子にとって空白だった。そのことが伸子に明白に意識されるばかりだった。伸子が口を開こうとした瞬間、
「ぶこ!」
低い迫るような素子の声が先をこした。
「なに考えてる――」
複雑なこころもちを云おうとしていたその出鼻をくじかれて、伸子は言葉につまった。
「――当てて見ようか」
素子のなめらかな小麦肌色の片頬に、不自然な片頬笑みがあらわれた。
「いままでぶこが考えなかったことを考えてる――ちがうかい?」
亢奮を強いて抑えているような素子の声音や凝視が、伸子を警戒させた。
「そうかしら……でも、どうして?」
「はぐらかさなくたっていいだろう」
そう云いながら、素子は椅子のなかで膝を組み重ねている体の重心をぐっと落すようにした。
「率直に云ったらどんなもんだい。いつだってぶこは正々堂々がすきなはずだったじゃないか」
まごつきをあらわしている伸子の顔を素子はくらいつくような眼で見据えた。そして、ふん、というように顔をそむけ、その顔をもどして、
「わたしへ遠慮はいらないよ」
と云った。
「そんなに咲き揃いたいんなら、さっさと咲き揃ったらいいじゃないか。――さいわい、ここなら、内海君とちがった男たちもいるんだから」
かたく、大きく見開かれた伸子の目の前で、素子は挑発するように伸子を見ながらパイプをもっている片手で自分の顎から頬へさかなでした。
「――せいぜい全き性を発見するさ!」
ガスへバッと音をさせて火がついたように、伸子の気持が爆発した。
「それはどういうことなの」
素子につめよろうとする衝動をやっと制しながら窓ぎわから伸子がひしがれた声で反問した。
「何の意味?」
「わかってるじゃないか」
「わからなくてよ――なにを思いちがいしてるんだろう……」
「わたしは――複雑に云っているのよ」
素子は明らかにかんちがいしているのだった。伸子が云った全き性という感じや、咲き揃うということを、じかに男は女との関係、女は男との関係という風にだけうけとったのだ。しかもその関係というものを、素子の狭い傾いた主観の癖で、直接で露骨な性の交渉の絵図に局限して、
伸子は、素子を見ていればいるほど、素子の暗く亢奮してこちらを睨んでいる眼つきから、唇の両端を憎らしそうに、自虐的にひき下げている口つきから、いとわしさを挑発されるのに気がついた。伸子は、泣きたくなった頬を手でおさえて、窓の方へ向いてしまった。
ネ
の上流に架かっている長い橋の上を、灯のついた電車が小さくのろく動いてゆく。日頃は、特別な意識をもたずにすぎてゆく伸子と素子との生活だが、伸子が何か男の影をうけたと素子が思うこういう瞬間に、素子は思いもかけない角度でぐらんと感情の平衡を失わせた。そして、その上に少女期を出たばかりにずっと年上の佃と結婚して、心がそこに安らわず、断続して遂に破壊された五年の結婚生活の経験で、伸子は女として、性的な意味でほんとに開花していなかった。伸子は、ほんとの意味では女にも妻にもなりきらないまま、素子と暮すようになったのだった。けれども、伸子は自分の女としてのその微妙な状態について、何と比較するよしもなく、従って知りようもなかった。本質ははげしいけれど今は半ば眠っている伸子の官能のなかで、まだその全能力を発揮させられずにいる強い愛の能力の範囲で、伸子は素子にひかれ、暮しているのだった。伸子としては、自分が自分の頬を素子の頬にふれさせたい気持になることがあること、唇をふれ合うこともあること。そういう感情や表現を、そっくりそのまま男と女との間のことと同じとは感じていなかった。それはちがうのだもの。素子は女なのだもの。未開のままその生活からはなれたと云っても、伸子は佃と恋愛した。夫婦の生活をした。伸子にとって男と女のちがいは、自然がそれを区分しているとおりはっきりしていて、素子は男の代償という意味ではなく、どこまでも女として、友達として、しかし、そこには頬をふれる気持になるようなところのある女友達として、伸子は結ばれているのだった。
モスク
へ来て暮すようになってから、伸子と素子の生活は、駒沢にいた時分より、ずっとのびやかに、解放された。特に男たちから、伸子と素子との表面の暮しのかげに、なにか偏奇なグロテスクなものでもありそうにのぞきこまれる苦痛がなくなった。それに抵抗して、強いても二人を一組に押し出そうとするような伸子のうらがえされた恥辱感も消された。モスク
では、伸子たち二人が、つれだって遠い国から来ている外国の女たちだからと云うばかりではなかった。ソヴェトの社会生活では、男と女との接触が理性的にも感情的にも解放されていて、その間のいきさつはめいめいの自然の流れにしたがい、社会的責任で処理されている。そういう雰囲気の中では、性に関する好奇心とでもいうようなものも、表面で封鎖されているだけに、すべての下心が一枚はがれた下では、いつもかくされた亢奮ではりつめているような日本の状態とはちがった。すべてのことを感覚へじかにうけとるたちではあるけれども情慾的であるとは云えない伸子の気質は、ソヴェトのその雰囲気に調和した。そして、佃との苦しい生活でゴーリキイやアンナ・シーモヴァの人間らしさに、完全な性が保たれ、咲き揃っている。そのことを伸子が、美しいと感じうらやましいと感じるのは、人間達成の可能のゆたかさへの共感であり、すすみゆく社会の本質が個々の男や女に与える可能性の意味ふかい承認だった。
おとといの晩、伸子たちはレーニングラードの一つの横通りにある外務省の留学生沖のアパートメントに招かれた。そこには、沖の一時的な愛人である蒙古の眉、蒙古の口元、蒙古の濃い黒髪をもったヨーコという女医がいた。ほかに七人ばかりの外務省の留学生たちがいた。重く太い編み下げを蒙古服の背にたらして、おとなしく台所の間を往復するヨーコの姉という、原始的な皮膚をした女のひとがいた。だらだらとつづいた食事やいくらか葡萄酒によった会話の、どこに本ものの愉快さがあったろう。みんなが自分を馬鹿者でないと思っていて、日本の官僚主義や退屈な社交生活を軽蔑して話しながら、自分たちのその話しぶりそのものが無気力であり退屈であることを知らない若い男たちに、伸子が、どんな男の魅惑を感じたというのだろう。土台、そういうきっかけから出ている話ではなかった。
伸子は、しばらくして、窓の方を向いたまま、テーブルのところにいる素子に云った。
「あなたは、自分のそういうものの感じかたをあんまり自認しすぎているわよ」
「…………」
「ぶこは、ひとりよがりで、自分は真実だから、おこりもすると思っているとしたら、違うことよ。ソヴェトへ来てまで、そんな何だか女同士の痴話喧嘩みたいなこと――わたしほんとに御免だから……」
「――えらそうに、なにを生意気云ってるんだ。――ぶこはいつだってそうだ。自分の都合のいいように理窟をつける――卑劣さ」
「そうは思わない。だって、あんたがああいう風にからんじまうとき、わたしは、どうしたらいいの?――どうしたら、あなた、気がすむ?」
段々落ちついてものが云えるようになって、伸子は窓を向いていた体を素子の方へ向け直した。
「駒沢のころ、そういうとき、わたしはこわくなって泣いたり、真実を証明したりしました。やっぱり、いまもわたしがそうすればあなたの気がやすまる?」
だまっている素子のまわりを伸子はゆっくり歩いて、背の高い煖炉棚へ部屋靴のつまさきをそろえてもたれかかった。
「――わたしは、もうそうしなくてよ。お互のために――わたしたち、折角いつもは病的なところなんかなくて暮しているのに、こんな時っていうと、まるで突発的に妙になるんだもの――これこそ病的だとしか思えない。わたし苦しくなるし、自分たちが恥しい……」
ちょっと言葉を切って、伸子は羞恥のあらわれた、うす赧い顔で早口に云った。
「わたしたち性的異常者じゃないんだもの。――人間の親密さのいろんなニュアンスを肯定しているだけなんだもの」
素子の眼から暗い
「そんなことはわかってるさ」
「変じゃないの、じゃどうして、あんなに、何とも云えないぐらんとした居直りかたになるんだろう。自分でわかる? どんなに――」
醜い、という言葉を云いかねて伸子は、
「普通でないか……」
と云った。
「そりゃ普通じゃなかろうさ、わたしは自分を一遍だって普通だなんて云ったことはありませんよ」
「…………」
素子の、京都風な受口の小麦肌色の顔や、そこから伸子を見ている黒い二つの
「あなたってまったく不思議ねえ」
その声のなかから腹立たしさも軽蔑も今はすっかり消えた調子で、伸子がまじまじと素子を見た。
「あなたの生活に、これまで具体的に男のひとが入って来たことってなかったんでしょう」
「そりゃないさ」
「そういう意味からだけ云えば、あなたは、わたしより純潔と云えるわけなのに――あなたは、わたしより純潔じゃないわ」
素子はすこし顔を赧らめ、立ち上ってタバコに火をつけた。
「中学の男の子みたい? そうお? 具体的に経験されていないから却って、男と女のことっていうと、きまりきった形でいやにむき出しに頭の中で誇張されるのかしら……」
素子は、タバコをふかしながら、ネ
河に向って二つの大きい窓のひらいている夜の室内をあっちこっち歩いた。伸子のいうことから、何か自分への目がひらかれるところがあるらしい表情で。――考えながら歩きまわって、素子はやがて、「もういい。ぶこ」
と、椅子のところへ立ちどまりながら云った。
「そう分析されちゃ、やりきれるもんか」
伸子は黙った。けれども、伸子はこれまでのいつのときよりもはっきりした輪廓で素子を理解できたように思った。素子の封鎖されている性のなかには、伸子が自分に感じるより醗酵力のつよい欲望があり、しかもその欲情の激しさと同じ程度のはげしさで男の性が反撥されている。いつか素子は、自分からその矛盾の輪を破るだろうか。伸子はそのときがみたいと思った。素子の上にそのときを見たいと思う心の底潮に、意識されないかすかな遠さで、自分の生活もそのときはちがった展開をするだろうという予感がきざしていることは心づかずに。――
二
レーニングラードから近郊列車で小一時間ばかり行ったところに、もとの離宮村があった。エカテリナ二世が、バルト海に臨んだ水の多い首都から、ひろびろとしたロシアの耕野の眺望を恋しがり、自然の野原と森の眺めをなつかしがったその好みに、いかにもあった地勢の土地だった。平らに遠く地平線がひらけて、ところどころに天然の深い森がある土地を更に人工の大公園で飾って、バロック風の離宮をこしらえた。
一九一七年の十月、ニコライ二世が退位してから、シベリアへ出発するまで暮したのも、そこの離宮であった。ツァールスコエ・セロー(皇帝村)とよばれていたその離宮村は、その後デーツコエ・セロー(子供の村)と改称され、格別そこに子供のための施設ができているわけではなかったが、レーニングラード近郊の遊園地になっていた。日曜ごとに、ズック靴をはいて運動シャツ姿の青年男女や少年少女の見学団がデーツコエ・セローの小さくて白い停車場から降りて、大公園のなかへぞろぞろと入って行った。エカテリナ二世の離宮もニコライ二世の離宮もいまはそのまま博物館になっていた。エカテリナ二世がその小部屋をすいていて、毎日長い時間をそこで過したという見事なディヴァンのある「支那室」や、ニコライ二世の大理石の浴槽、その妻や娘たちの衣裳室というようなところを、見学団の数百の若いものたちは好奇心と無感興と半々な表情でだまって見て歩いた。彼等は博物館の内部を見おわって、そこからニコライ二世がシベリアへの旅へ出て行ったというフレンチ・ドアから自分たちも出て、公園の森と池とを見おろす大露台へかかると、はじめて解放されたように陽気になり、さわぎだし、喋ったりふざけたりする。
そのフランス風の大露台から左手に見える森をへだてて、公園のはずれに、古風で陰気な石造の小建築がある。プーシュキンが少年時代をそこで教育された貴族学校のあとだった。その建物と往来をへだてた斜向いのところに、目立たない入口をもった石造の二階建の家がある。建物に沿った古びた石じきの歩道をゆくと、その建物の一階の四つの窓に白レースの目かくしがたれて、桃色のきれいなゼラニウムの花が、窓のひろさいっぱいに飾られているのがちらりと目に入った。その建物はもと貴族学校の校長の家だった。いまはパンシオン(下宿)になっている。
伸子と素子とがデーツコエ・セローについて、ごくあらましにしろあれこれの知識をもったのは、ヴ・オ・ク・スのつけてくれた案内者と一緒に、七月の或る一日その大公園と離宮の村を歩きまわったからだった。そのとき案内者がアベードのためにつれ込んだ下宿は、ずっととまっている下宿人のほかに、日曜などにはそうやって不意の客もうけ入れる派手な落付きのない家だった。公園の一部を見晴らす庭に面した広間のあっちこっちにテーブル・クローズのかかった大きい円テーブルをおいて、ネップ(新経済政策)風の社交気分だった。
外へ出てみると、そんなうちは例外で、デーツコエ・セローの村全体の日常は地味で、しかも鬱蒼とした大公園の散歩も、周辺の原始的な原っぱの遠足も思いのままで、伸子は、暫くこんなところに住みたいと思った。
レーニングラードへ来てから伸子と素子とが暮している学者の家には、夏じゅういてもさしつかえなかった。けれども、もとウラジーミル大公の屋敷だったという学者の家の室は、いい部屋であればあるほどつくりが宮廷ごのみで、伸子たちにはしっくり出来なかった。フランス脚が金で塗られた椅子はあっても、モスク
のホテル・パッサージにあったような実用的なデスク一つ、スタンド一つなかった。レーニングラード見学の期間が終ると、伸子も素子も、食事つきで勉強のできる下宿がほしくなった。デーツコエ・セローで、あんなにネツプ風でない下宿はないものだろうか。東洋語学校の教授であるコンラット博士が偶然デーツコエ・セローの下宿の一軒をよく知っているという話になった。きいてみると、それは、あのプーシュキンの学校の前の家で、伸子たちが桃色のゼラニウムの小ざっぱりした綺麗さに目をひかれた旧校長の家だった。その教授の紹介で、伸子たちは学者の家からデーツコエ・セローのパンシオン・ソモロフの二階へ移った。
七月初旬で、伸子たちははじめの数日を一室で、あとは二人別々に部屋がもてた。食事のために出歩かないでよくなったことや、七ヵ月ぶりで自分一人の部屋がもてたこと、青葉照りの底へ沈んだような自然の奥ふかさなどで、伸子はレーニングラードへ来てから受けたいろいろの刺戟がデーツコエ・セローの暮しで日に日に自分のなかへ定着するのを感じた。落付いた気分になると、モスク
のアストージェンカの、あのやかましくて狭い室で暮した生活も面白く思いかえされ、伸子は、自分の室がもてるようになってから間もなく小説をかきはじめた。朝飯がすむと、伸子は自分の部屋へかえって、くつろいだなりになって三時のアベードまでとじこもった。アベードのあと、八時の夜の茶の時間まで伸子と素子とは大公園の中を歩きまわったり、草のなかに長い間ねころがっていたりした。思いがけず往来で出会った作家のアレクサンドロフにつれられて、アレクセイ・トルストイのところを訪ねたりもした。アレクセイ・トルストイはピョートル大帝についての歴史小説をかいているところだった。マホガニー塗のグランドピアノのある客室に、すこし黄がかったピンクの軽い服を着た若づくりの夫人と十三四歳の息子がいた。トルストイの書斎にはプーシュキンとナポレオンのデス・マスクがかかっていた。タイプライターがおかれて支那の陶器の丸腰掛があった。プーシュキンのデス・マスクはともかくとして、ナポレオンのデス・マスクの趣味が伸子にわからなかった。
伸子にわからないと云えば、パンシオン・ソモロフにとまっている人たちが、折々盛に話題にするコニー博士という学者のことも、伸子たちには分らなかった。下宿の食堂の壁に、コニー博士の寸簡が額に入れて飾ってあった。レーニングラード大学の歴史教授リジンスキー。法律の教授ヴェルデル。やせぎすの体にいつも黒い服をつけて姿勢の正しい老嬢エレーナ。夜のお茶の間などに主としてそういう人たちがよくコニー博士の追想を語りあった。なかでも老嬢のエレーナが故コニー博士を褒めるとき、いつも冷静にしている彼女の声が感動で波だった。少くとも老嬢エレーナにとってはコニー博士について話すときだけが彼女の感情を公開する機会らしかった。やがて伸子は、パンシオン・ソモロフの人々が云わず語らずのうちに一つのエティケットをもっていることに、気づいた。それは食卓で顔を合わす同士が、決してお互の過去にふれないこと、政治の話をしないこと、現在の職業にふれても、つっこんだ話はしないことなどだった。
ところが、ある晩、ふとしたことからひとりでにこの掟が破られた。何かのはずみで一九〇五年の一月九日事件の話が出た。外国の民衆が、レーニングラード、その頃のペテルブルグの冬宮前広場でツァーの命令でツァーの軍隊によって行われた人民殺戮事件を、どんな風にうけとったかという風な話だった。高級技師の細君であるリザ・フョードロヴナが、二すじ三筋、白い髪の見えはじめたその年輩によく似合ったおだやかに深みのある声で、
「わたしは、こんなことをきいていますよ」
と話した。
「イギリスでね、一月九日の事件があったとき、ある大公が晩餐会を開いて居りました。食卓についている淑女・紳士がたの間に計らず『ロシアの事件』が話題になりましてね、当然いろいろの意見が語られたというわけでしたろう。すると、最後に当夜の主人である大公が、口を開いて『要するにロシアのツァーは政治を知っていない。そして人民たちは野獣にすぎないんだ』と云いました。その途端、お客たちのうしろで、いちどきにガラスのこわれる音がしました。今まで杯をのせた盆をもって、お客がたのうしろに立って給仕をしていた給仕頭が、人民たちは野獣にすぎないんだと主人が云った次の瞬間、真直に杯をのせた盆を自分の足許に投げすてたんです。そして、ひとことも口をきかず、ふりかえりもしないでその室を出てゆきました。――御承知のとおりイギリスの礼儀では子供と召使は見られるべきものであって、自分から口を利くべきものとはされて居りませんからね。――その給仕頭は適切な方法で自分を表現したというわけです」
灰色の背広を着て、薄色の髪とあご髯とをもった歴史教授のリジンスキーが、すこしさきの赤らんだほそい鼻が特色である顔に内省的な、いくらか皮肉な微笑を浮べた。
「それは一九〇五年のエピソードであると同時に、その給仕頭の一生にとって恐らくたった一遍のエピソードじゃありますまいかね。――そこにディケンズの国の平穏な悲劇があるんだが……」
老嬢のエレーナが、心のなかにかくされているいらだたしい何かの思い出でも刺戟されたように、
「大体エピソードというものをわたしたちはどのくらい信用したらいいんでしょう」
テーブルの上においている右手の細い中指でテーブル・クローズの上を軽く叩きながら云った。
「エピソードに誇張が加えられなかったことがあるでしょうか――ほとんど嘘に近いほど……」
「お言葉ですが――御免下さい」
袋を二つかさねたようなだぶだぶの顎をふるわして、パーヴェル・パヴロヴィッチが舌もつれのした云いかたでエレーナに答えた。
「わたくしは、全く誇張されない一つのエピソードをお話しすることができます」
パーヴェル・パヴロヴィッチが、それだけのまとまった会話をはじめたということさえ、パンシオン・ソモロフの食堂では珍しいことだった。パンシオンの実際上の主人である大柄な老婦人と大柄でつやのぬけたようなその息子とは、いつも裏の部屋にだけ暮していて、パンシオンの客たちと食卓につくのは、古軍服をきた、中風症のパーヴェル・パヴロヴィッチだった。彼はテーブルで主人の席についているものの、ちっとも主人らしいところがなく、どっちかといえばその席に出されている主婦のかかりうどという感じだった。パーヴェル・パヴロヴィッチは、枯れた玉蜀黍の毛たばのような大きな髭を、二つめの胸ボタンのところからひろげてかけているナプキンで入念に拭いた。
「わたくしは、御承知のとおり軍隊につとめていまして――砲兵中佐でした。一七年には西部国境近くの小さな町に駐屯していました。われわれのところではペテルブルグでどんなことが起っているのか全然知っていませんでした。ところが、或る晩、二時頃でした。急にわれわれの粗末な営所へ武装した兵士の一隊がやって来ました。その頃は、どこへ行ったって武装した兵士ばかりでした。――ただその連中の旗がちがいました。赤い旗を彼等はもっています。ツァーはもういない。革命だ、と彼等は云います。しかし、私どもは何にも知っていない……」
パーヴェル・パヴロヴィッチはそのときの困惑がよみがえった表情で、たれさがっている両頬をふるわせた。
「われわれの受けていた命令は国境警備に関するものでした。われわれは革命軍に対する命令は何も受けとっていなかったんです」
きいている一同の口元が思わずゆるんだ。
「それで、どうなさいました? パーヴェル・パヴロヴィッチ」
リザ・フョードロヴナが訊いた。
「御免下さい奥さん。――わたくしに何ができましょう。私には理解できませんでした。革命軍は将校をみんなひとつところに集めました。そして、その一人一人について、集っている兵士たちにききただしました。上官として彼等を苦しめるようなことをしたかどうか。将校は一人一人、連れ去られました。――おわかりでしょう? わたくしの番が来ました。わたくしはもう死ぬものと思って跪きました。私も将校ですから。ほかの将校たちよりよくもなければわるくもない将校であると思っていましたから。革命軍は、兵士たちにききはじめました。彼等を殴ったことはないか。無理な懲罰を加えたことはないか。支給品を着服したことはないか。――彼等の質問は非常に精密で厳格でした。私の額から汗がしたたりました。幸い、私は、質問される箇条のどれもしていません。ところが、やがて思いがけないことになりました。部下の兵士たちが、革命軍に向って、私を処罰するな、と要求しはじめたんです。私は親切な上官であったから殺さないでくれ。もし彼を殺さなければならないなら、われわれも殺してからにしろ、と叫びはじめました。革命軍は、永いこと彼等の間で相談しました。そして、わたくしはこうして生きています」
パーヴェル・パヴロヴィッチの年をとったおっとせいのように曇って丸い眼玉に薄く涙がにじんだ。
「わたくしは、生きました。――しかし、私にはまだわからないようです」
彼の左隣りの席にいる伸子をじっとみて、パーヴェル・パヴロヴィッチは一層舌をもつれさせながら云った。
「私が彼等を殴らなかったのは、私に、人間が殴れなかったからだけです。――概して、殴られるということがそれほど決定的な意味をもっているならば、どうして彼等は、あのときよりもっと前に、それをやめさせなかったでしょう――私は、殴れない人間だったのです」
自分の恐怖や弱さを飾りなくあらわしたパーヴェル・パヴロヴィッチの話は、みんなに一種の感動を与えた。老嬢エレーナも、その話に誇張があるとは云わなかった。同時に、リジンスキー教授もヴェルデル教授も、兵士たちが、どうしてもっと前に将校の殴るのをやめさせることが出来なかったかということについては話題にしないまま、やがてテーブルからはなれた。
伸子は、パーヴェル・パヴロヴィッチのエピソードから深い印象をうけた。それと同じくらいのつよさで、パンシオンの話術を感じた。この人たちの間には、品のいい話しぶりがあるのだ。
翌る日のアベードの前、すこし早めに自分の室から出て来た伸子が素子と並んで、パンシオンの古風なヴェランダに休んでいた。隣りの家との間に扇形に枝をひろげた楓の大木があって、その葉かげを白い頁の上に映すような場所の揺椅子で、老嬢エレーナがフランス語の本をよんでいた。ヴェランダからは午後三時まえの人通りのない夏の日の大通りと、大公園の茂みと、そのそとの低い鉄柵が見えている。デーツコエ・セローの夏の日は果しなく静かである。
そこへ、広間の方からヴェランダに向ってコトリ、コトリ、床に杖をついて来る音がした。元軍医の夫人ペラーゲア・ステパーノヴァがあらわれた。彼女は、心臓衰弱で、室内を歩くにも杖がいった。赤銅がかった髪を庇がみにして、どろんと大きい目、むくんだ顔色にいつも威脅的な不機嫌をあらわしている夫人は、灰色っぽい古軍服をきている良人に扶けられて、あいている揺椅子の一つにやっと重く大きい体をおさめた。
「ふ! わたしの心臓!」
息をきらしながら、胸を抑えて頭をふった。一番近いところにいた老嬢エレーナが、ものを云わなければならなくなった。
「いかがです。また眠れませんでしたか?」
「――どこへ行ってもわたしに必要な空気が足りないんです」
「窓をあけてねると大分たすかりましょう」
ペラーゲア・ステパーノヴァは、まるで侮辱でもされたように白眼に血管の浮いた眼を大きくした。
「わたしの心臓が滅茶滅茶になってから、十年ですよ。――できることなら壁さえあけて眠りとうござんすよ」
暫くして、思いがけない質問がヴェランダのはずれにいる伸子たちに向けられた。
「日本にも、心臓のわるい人はどっさりいますか」
伸子と素子とはちょっと間誤ついた。
「日本には、心臓病よりも肺のわるい人の方が多いでしょう」
素子がそう答えた。ペラーゲア・ステパーノヴァにはその返事が不平らしかった。
「革命からあと、少くともロシアには心臓病がふえました」
ふっと笑いたそうな影が伸子の口元を掠めた。
「わたしは一八年まではほんとに丈夫で、よく活動していました。あの火事までは。――ねえ、ニコライ。わたしの心臓は全くあの火事のおかげですね」
古軍服と同じように茫漠とした表情の元軍医は、そういう妻の問いかけを珍しくもなさそうに、
「うむ」
と云った。
「もちろんそうですとも、ほかに原因がありようないんです」
椅子によせかけてあったステッキをとって、コトコトとヴェランダの木の床を鳴らした。
「一八年にわたしどもはエストニアにいたんです。良人は病院長、わたしは婦長として。病院は、その村の地主の邸だったんですがね、何ていう農民どもでしょう? そこへ火をつけたんです。屋敷ばかりではなく、ぐるりの森や草原へまで――」
息をきらして、ペラーゲア・ステパーノヴァは話しつづけた。
「その晩だって、わたしどもはちゃんと屋根に赤十字の旗を立てておきました。ねえ、ニコライ。わたしたちの赤十字の旗は二メートル以上の大きさがありましたね」
「うむ」
「わたしどもは、夢中になって負傷者や病人を火事の中から救い出しました。眉毛をやいたものさえいませんでしたよ。その代り、わたしどもは、ほんとうに着のみ着のまま」
ペラーゲア・ステパーノヴァは揺椅子の上に上体をのり出させた。そして白眼に血管の走っている二つの大きな眼で、伸子、素子、老嬢エレーナをぐるりと見まわしながら、
「ほんとの一文なし!」
むき出した歯の間から低い声で云って、左手の人さし指のさきを、拇指の爪ではじいた。
「革命は、わたしの心臓をこわしただけですよ」
革命のときのことを知らない伸子の顔にしぶきかかるような憎悪がペラーゲア・ステパーノヴァの話ぶりに溢れた。伸子は食堂へゆっくり歩いて行く廊下で素子に云った。
「あんな話しかたって、実に妙ね。そんな一文なしになったのなら、どうしてこんなところに来ていられるんでしょう」
リザ・フョードロヴナのところへ、良人の技師が来ることがあった。理科大学の上級生で、ラジオ放送局に実習生としてつとめている十九歳の娘のオリガが一晩どまりで来ることもある。赧ら顔に鼻眼鏡をかけ、頭を青い坊主刈りにして、いくらかしまりのない大きな口元に愛嬌を浮べながら社交的に話す技師が現れると、パンシオン・ソモロフの食堂の空気は微妙に変化した。日ごろは、いい意味でさえも野心の閃きというようなものが無さすぎる食卓に、技師は一種の騒々しさ、ソヴェト風な景気よさのような雰囲気をもたらした。細君であるリザ・フョードロヴナよりもむしろ軽薄で俗っぽい人物に見える技師がテーブルに加わると、その隣りに席のきまっているヴェルデル博士とリジンスキー教授の態度が目にとまらないくらい、より内輪になった。
食堂のこういう小風景にかかわりなく、パンシオン・ソモロフで、いつもたゆまず同じように働いている人があった。それは女中のダーシャだった。パンシオン・ソモロフの人々の生活や感情にかかわりなく、日曜日ごとに天気さえよければ陽気にガルモーシュカを奏し、歌い、白藍横ダンダラの運動シャツの姿や赤いプラトークを大公園の樹の間がくれにちらちらさせて、日の暮まで遊んでゆく大群集があった。その群集について現れる向日葵の種売り、アイスクリーム屋が鉄柵のそとへ並んだ。その大群集や物売りたちは、日曜日になると、デーツコエ・セローの鬱蒼とした公園にうちよせるソヴェト生活のピチピチした波だった。伸子は、その波の波うちぎわにいる自分を感じながら、二つに畳める円テーブルの一つのたたみめを壁にくっつけて、ベッドに背中がさわりそうな僅のすき間で毎日少しずつ小説を書いた。
三
八月にはいって間もない或る雨の日のことであった。きのうも一日雨であった。しっとり雨をふくんだ公園の散歩道にパラパラと音をたてて木立から雨のしずくが落ちかかり、雨にうたれているひろい池の面をかなり強い風が吹くごとに、噴水が白い水煙となってなびきながらとび散った。
人っこ一人いない雨の日の大公園で、噴水を白く吹きなびかせている風は、パンシオン・ソモロフのヴェランダのよこの大楓の枝をゆすって、雨のしずくを欄干のなかまで吹きこませた。この北の国の夏が終りに近づいた前じらせのように大雨が降っている古いヴェランダの端から端へとぶようにして、老嬢のエレーナと伸子とがマズルカを踊っていた。いつものとおり黒ずくめのなりをしたエレーナの細くて力のある手が、くいこむようにきつく伸子のふっくりした若い手をとらえていた。伸子には
ス椅子から立ち上り、教えてあげましょう。マズルカというものは、と伸子の手をつかまえて立ち上らせたのだった。いつも冷静に、厳粛にしているエレーナの黒服につつまれた細いからだには、こんな荒々しい情熱がひそんでいた。伸子はそのことにおどろかされた。エレーナとしては不意に中断されて、それっきりすっかり消えてしまった半生の最後に響いたマズルカの曲が、いまこの夏の終りの雨が降る人気ないヴェランダで伸子の手をつかんで立たせる衝動となってよみがえって来たのだろう。エレーナは非常に軽かった。彼女にはまだまだマズルカをおどるエネルギーがある。伸子はエレーナにリードされてヴェランダの床をギャロップしながらそう感じた。でも、いつ? そしてどこで? また誰とエレーナはマズルカを踊るだろう。彼女は昔よろこんで踊ったマズルカがあったことさえ今語ろうと思ってない。彼女にも憎悪があるのだ。ペラーゲア・ステパーノヴァの心臓のかわりに、エレーナは彼女のがんこな黒服をまとっている。説明ぬきで――説明するよりも雄弁に彼女が
「ぶこちゃん、電報だ」
黄色い紙を細長い四角に畳んだものをわたした。
「電報? どこから」
「うちかららしい」
伸子は、どういう風にエレーナの手をほどいたかも気づかないで、広間とヴェランダの境に立ったまま電報をひらいた。
よみにくいローマ綴りを一字一字ひろった。シキウキチヨウアリタシ。――至急帰朝ありたし。――無言のまま二度三度、その文句を心の中にくりかえして見ているうちに、伸子は抵抗の自覚される心持になって来た。電文そのものが唐突で簡単すぎ、意味がつかめないばかりでなく、そういう唐突な電報でこんなに遠くで営まれている伸子の生活の流れが変えられでもするように思ううちのひとたちの考えが、苦しかった。
伸子はエレーナに挨拶して、のろのろ素子と広間の寄木の床を部屋の方へ歩いた。
「どういうんだろう」
電文をくりかえしてよんだ素子が、それを伸子にかえしながら、いろいろの場合を考えて見るように云った。
「何があったんだろう」
「さあ……」
動坂のうちの人たちとして、伸子にそういう電報を打つだけの何かはあったのだろう。しかし、伸子は、その動機を、すぐに、自分の生活を変えるだけ重大なものとしてうけとる気持になれなかった。
廊下のはずれにある伸子の室まで二人で来て、伸子はベッドに腰かけ、もう一遍電報を見た。やっぱり、シキウキチヨウアリタシとしか書かれていない。
「何てうちは相かわらずなんだろう。電報まで電話そっくりなんだもの――伸ちゃん、一寸話があるからすぐ来ておくれ。――ここにいるものにすぐ帰れなんて……」
素子はタバコに火をつけて、それをふかしながら、窓の外を見てしきりに考えている。動坂の家を出て別に暮すようになってから、多計代からの電話というと、伸子にはきかない先から用がわかる習慣になってしまった。ああ、もしもし伸ちゃんかえ。ぜひ話したいことがあるから、すぐ来ておくれ。多計代のいうことはきまっていた。
はじめの頃、伸子は呼び出されるとりつぎ電話の口で、ほんとに何か火急な用が出来たのかと思って、当惑したりびっくりしたりした。家の戸締りをして、留守に帰って来る佃のために書きおきして、住んでいた路地の間の家から急いで歩いて動坂の家へ行った。多計代の坐っている食堂に入りかけながら、伸子が息のはずむ声で、
「何かおこったの」
というと、多計代は一向いそがない顔つきで、
「まあお坐り」
と云うのだった。そして、やがて切り出される話は、伸子が佃と暮していた間は、佃や伸子についての多計代の不満だったり、臆測だったりした。素子と生活しはじめてからは、一体、吉見というひとは、という冒頭ではじまる同じような多計代の感情だった。三度にいちどは、気の重い話のでないこともあって、そういうとき多計代はほんとにただ娘と喋りたい気になって、よび出す口実に用があると云っただけらしかった。
いずれにせよ、多計代のすぐ来ておくれ、は伸子にとって一つの苦手であった。素子にとっても。――伸子はそうしてよばれると、じぶくって出かけて、その晩は駒沢の奥までかえれず、翌る日、素子にそのまま話しかねるような多計代との云い合いの表情を顔にのこして戻って来るのだった。
シキウキチヨウアリタシ。その電文をよんだ瞬間、伸子は反射的にぐっと重しがかかって、その場から動くまいとする自分を意識した。
「しかしぶこちゃん、こりゃ放っておいちゃいけないよ」
素子が妙に居すわってしまったような伸子に向って云った。
「ともかく電報うって見よう。――あんまりこれだけじゃ事情がわからないから」
「なんてうつ?」
しばらく思案して素子は、
「事情しらせ、とでも云ってやるか」
と言った。
「それがいいわ。じゃ、すぐ打って来る、正餐までに」
「いっしょに行ってやろう」
伸子と素子とは、人通りのたえている雨の大通りをデーツコエ・セローの郵便局まで出かけて、問い合わせの電報をうった。レイン・コートをもっていない伸子たちは、うすい夏服の前やうしろをすっかり黒く雨にぬらして帰って来た。
「ぶこのおっかさんなんか、わたしがこうやって却って気をもんでることなんか知りもしないんだから……」
毒のない不平の調子で素子が云った。
「ぶこちゃんが、これを放ってでもおいてみろ。無実の罪をきるのは、わたしさ」
東京から返事の電報が来るまでには少くとも二三日かかるということだった。伸子は、シキウキチヨウアリタシに気をわるくしながら、やっぱり返事が気にかかり、落付けず、快活さを失った。夜、素子の室で話したりしているとき、自然その方へ話が向いた。
「まあ、返事が来てからのことさ。次第によったら、いやでも帰らなけりゃならないかもしれないが……」
「ひとりで?」
「――お伴しなくちゃならないというわけかい」
一人で帰ることがいや、いやでないよりも、伸子にとっては今ソヴェトから帰るということが、うけ入れられないのだった。
「先にね、ニューヨークから急に帰ったとき、やっぱり、こんな風だったのよ。母がね、お産をしなければならないのに、こんどは非常に危険だと医者に宣告された、と云って来たんです。わたしはたまらなく心配になってね、無理やり一人で帰って来てみたら、とっくに赤坊は生れてしまっているし、母はおきてけろりとしていたのよ」
あのときの残念な心持、たぶらかされたような切ない心持を伸子はまざまざと思いおこした。ニューヨークで、伸子がアメリカごろの洗濯屋と夫婦になったとか、身重になって始末にこまって結婚したとかいう風聞になやまされた佐々の両親は、多計代の出産ということを口実に伸子がいやでも、大学での研究が中途だった佃をのこして帰って来なければならないように仕向けたことだった。そのときから八九年たった今になって見れば、親たちのばつのわるい立場も苦肉策も伸子に思いやることができた。それでも、父や母が、二十一ばかりだった伸子のまじりけない娘としての心配ごころをつかんで動かしたということについては、思いが消えなかった。伸子は思うとおりに生きようとして親たちに抵抗する娘ではあったが、他人のなかでもまれて育った女とちがって、そういう子供の時分から習慣になっている肉親のいきさつでは案外もろかった。
至急帰朝ありたし、と云って来るからには、何かあるのだろう。だが、伸子は、こんども自分の子供っぽさであわてさせられるのは金輪際いやだった。
「まさか、お父さんがどうかされたんじゃないだろうね」
老年の父親をもっている素子が、次の日になってから、散歩している公園の橋の上でふっと云った。黙っていて、やがて伸子は確信があるように断言した。
「父じゃないわ、それはたしかよ。もしそんなことなら、別な電報のうちようがあるもの。――それに……たしかに大丈夫!」
伸子は、もし万一父の身の上に変ったことでもあれば、あの電報があんなにはっきりとそれにさからう心持を自分におこさせる筈はないと思った。最近は父というものについても伸子の心にこれまでとちがった判断が加えられて来ていたけれども、まだ伸子は仲のいい父娘としての心のゆきかいを信じていた。多計代に変ったことのないのは、あの電文そのものが、多計代の娘に対する物云い癖をそのままあらわしていることでたしかだった。家族の一人一人の消息を心のうちに反復してみても、伸子には見当がつかなかった。モスク
を立って来るとき受けとったハガキで、保が、この夏は大いに自転車ものりまわし愉快にやってみるつもりですと書いてよこしていた。その文章も、伸子はよくおぼえていた。デーツコエ・セローの郵便局から伸子がジジヨウシラセと東京の家へ電報した三日目の夕刻だった。パンシオン・ソモロフの人々は茶のテーブルに向っていた。その午後、伸子は東京からの返電をまっている心持があんまり張りつめて苦しいので、素子につれ出されて四
食堂とホールとの境のドアは、夏の夕方らしくパーヴェル・パヴロヴィッチの背後で左右に開けはなされている。食堂から玄関へ出て行ったダーシャが、戻って来ると、パーヴェル・パヴロヴィッチの左側をまわって、伸子の方へ来た。彼女の手に電報がもたれている。伸子は、思わずテーブルから少し椅子をずらした。
「あなたに――電報です」
「ありがとう」
たたまれている黄色い紙をひらいて、テープに印刷されて貼られているローマ字の綴りを克明に辿ると、伸子はテーブル仲間に会釈することも忘れて食堂を出た。一足おくれて素子も席を立って来た。ホールの真中で伸子は電報をつきつけるように素子にわたした。八ガツ一ヒタモツドゾウチカシツニテシスアトフミ。
ものも言わず二階へあがる階段に足をかけたら、伸子は体じゅうがふるえはじめてとまらなくなった。てすりにつかまって一段一段のぼって行きながら、伸子ははげしく泣き出した。泣きながら階段をのぼりつづけ、のぼりつづけて泣きながら、てすりにつかまっていない左手をこぶしに握って伸子は身をもだえるように幾度もいくたびも空をうった。何てことをしたんだろう。保のばか。保のばか。とりかえしのつかない可哀そうさ。くちおしさ。――よろよろしながら伸子は自分の室へ行く廊下を異常な早足で進んだ。もうじき室のドアというところで、伸子は不意に白と黒との市松模様の廊下の床が、自分の体ごとふわーともち上って、急に下るのを感じた。
伸子にはっきり思い出せるのは、そこまでであった。それからどういう風にして自分がベッドへつれこまれたのだったか、素子が涙に濡れた顔をさしよせてしきりに自分の肩へかけものをかけてくれたのや、夜だったのか昼間だったのかわからないいつだったかに、素子が、ぐらぐらして体のきまらない伸子をベッドの上にかかえおこし、伸子の顔を自分の胸にもたせかけて、
「駄目じゃないか! ぶこ! どうするんだ、こんなこって! さ、これをのんで……」
スープをひとさじ無理やりのまされたことなどを、きれぎれに思い出せるだけだった。それからもう一つ、自分がしつこくくりかえして、よくって? わたしは帰ったりしないことよ。よくって? と云ったことと、そのたんびに素子が、ああいいよ、わかってる、わかってる。と力を入れて返事して涙をこぼしたことなどを思い出すことが出来た。
夢とうつつの間で伸子はまる二日臥ていた。どの位のときが経ったのかそんなことを考えてみる気もおこらないほど長い昼寝からさめたような気分で、伸子は三日目のひるごろ、ほんとに目をさまして自分の周囲をみた。
伸子が目をさましたとき、その狭い室のなかには臥ている伸子のほかに誰もいなかった。明るい静かな光線が小さい室の白い壁いっぱいにさしていた。テーブルの上のコップに、
胸に手をやって痛いところを抑えずにいられないほど悲しさは鋭いのに、伸子の眼からは不思議にもう涙がでなかった。そのかわり、まるであたりの空気そのものが悲しみそのものであるかのように、ちょっと体を動かしても、首をまわしても、伸子は息のつけないような悲しみのいたさを感じるのだった。
足もとのドアがそっと開けられた。素子が入って来た。眼をあけている伸子をみると、
「めがさめた?」
素子が強いてふだんの調子をたもとうとしている言いかたでベッドに近づいて来た。
「大分眠ったから、もう大丈夫さ。――気分ましだろう?」
「ありがとう」
「ともかく電報をうっといたから……」
伸子の感情を刺戟しまいとして素子は事務的な方面からばかり話した。
「ぶこちゃんは帰らないということと、お
「それでいいわ。ありがとう」
次の日、素子に扶けられて、伸子はアベードの時だけ食堂へ下りた。食後、テーブルについていた人々が、一人一人伸子に握手して悔みをのべた。ロシアの人としては小柄で、頭のはげているヴェルデル博士は、彼の真面目な、こころよい黒い瞳でじっと伸子の蒼ざめている顔を見ながら、
「あなたが勇気を失わずに居られることは結構です。あなたはまだお若い。生きぬけられます」
信頼をこめてそう云って、執ったままいる伸子の手の甲を励ますようにねんごろにたたいた。
「ありがとう」
泣きださないで礼をいうのが伸子にやっとだった。ヴェルデル博士のやりかたは、あんまり父そっくりだった。泰造も、伸子の手をとることが出来たら、きっとそうして伸子と自分をはげましただろう。
やがて、伸子は、食事のたびに食堂へ出るようになった。けれども、伸子の状態は、重い病気からやっと恢復しかかっているひとに似ていた。まだごくひよわいところのある恢復期の病人が、微かなすき間や気温のちがいに過敏すぎるとおり、伸子は人々の間に交って食卓に向っているようなとき、何か自分でさえわからないきっかけで、不意に「八月一日」とはっきり思うことがあった。するとたちまち悲哀のさむけが伸子の全身を
喪服をつけるというようなことを思いつきもしなかった伸子は、相かわらず白麻のブラウスにジャンパア・スカートのなりで、素子の腕につかまりながら、ほとんど一日じゅう戸外で暮した。結局たれ一人、保が生きられるようにはしてやれなかった。この自責が伸子をじっとさせておかないのだった。ひとはてんでに、生きるようにして生きている。そのひとのなかに、兄の和一郎も姉の伸子も、父母さえもおいて保は一人感じつめたのだと思うと、伸子の唇は乾いた啜り泣きでふるえた。
伸子は、保の勉強部屋の入口の鴨居に貼られているメディテーションという小紙に、あんなに拘泥していた。いつだってそれを気にしていた。だけれども、それだからと云って自分がソヴェトへ来ることをやめようとはしなかった。自分の生きることが先だった。デーツコエ・セローの大公園の人目から遠い池の上に架かった木橋の欄干にもたれて、そこに浮いている白い睡蓮の花を見ながら伸子は考え沈んでいた。
保は、おそらく、あんなに執拗に追求していた絶対の正しさ、絶対の善という固定したものを現実の生活の中に発見できない自分と和解できなくて、死んでしまったのだろう。保が恋愛から死んだとは伸子にどうしても思えなかった。伸子がそう感じていたくらいだから、保の同級生はどんなにか佐々保を、家庭にくっついた息子だと思っていたことだろう。母の云うことにはがゆいばかり従順だった保が、母の情愛の限界も知って、死んだ。そのことも伸子のこころをひきむしった。越智がまだしげしげ動坂の家へ来て母が客間に永い間とじこもっているような頃、保が、伸子に向って、越智さんが来るとお母様どうしてお
相川良之介のように複雑な生活の経験がなく、また性格的に相川良之介のように俊敏でない保に、生きるに生きかねる漠然たる不安というようなものがあったとは伸子に思いかねた。二十一歳の保は、一本気に自分流の観念に導かれて、その生きかたを主張する方法として死ぬことを選んだのだったろう。いずれにしろ、保はもう生きていない。生きて、いない――何という空虚感だろう。その空虚の感じは伸子の吸う息と一緒に体じゅうにしみわたった。そして保がもういないという空虚感には、九つ年上の姉の伸子が、保というものを通じて、漠然と自分よりも年のすくない新鮮な男たちにつないでいたいのちの断絶も加わっていた。兄とはちがう姉の女の心が、三十歳の予感にみたされた感覚で、弟の大人づいてゆく肉体と精神に関心をよせていた思いの内には、そのこころもちをとらえて名づけようとするともう消えて跡ないようなにおやかさもあった。
落胆のなかをさまようように、伸子はデーツコエ・セローの森のなかを歩きまわった。伸子のかたわらにはいつも素子がついていた。伸子の悲しみの深さで、日頃はちらかりがちな自分の感情をしんみりと集中させた素子が、伸子と一つの体になったような忠実さで、ついていた。伸子は折々びっくりして気づくのだった。こんなに素子がしてくれるのに、何時間も口をきかずにいて、ほんとにすまなかった、と。
「ごめんなさい――心配かけて」
伸子は、心からそう言って素子の腕を自分のわきへおしつけた。
「いい。いい。ぶこ。よけいなことに気をつかうもんじゃない」
「だって……いまになおるからね」
「――いいったら!」
しかし、しばらく歩いているうちに、伸子はまた素子のいることを忘れ、しかも伸子は素子の腕につかまって、やっと森かげの小みちを歩きつづけることができるのだった。
日曜日になると、朝早いうちからいつものようにデーツコエ・セローの停車場へはき出された青年男女の見学団が、ぞろぞろとパンシオン・ソモロフのヴェランダの前の通りを通って行った。終日浮々したガルモーシュカの響がきこえ、笑い声や仲間を呼んで叫ぶ声々が大公園にこだました。伸子はそういう日は公園へ出てゆかず、パンシオンの古いヴェランダにいた。そして、自分をみたしている悲しさと全くあべこべでありながら、不思議な慰めの感じられるよろこばしげなざわめきに耳を傾けた。
伸子がいるパンシオン・ソモロフのヴェランダから、ひろい通りをへだてた向い側に、大公園のわきの入口の一つが見えていた。楓の枝が房々としげった低い鉄柵のところに、桃色と赤とに塗りわけられたアイスクリーム屋が出ている。日曜日にだけ商売する
ヴェランダから見ていると、そのあたりの光景は絶えず動いていて、淡泊で、日曜日の森に集っている健康さそのもののとおりに単純だった。雰囲気にはかわゆさがあった。その雰囲気に誘いこまれ、心をまかせていた伸子は、やがて蒼ざめ、痛さにたえがたいところがあるように椅子の上で胸をおさえた。伸子