文学と地方性

宮本百合子




 この間或る必要から大変おくればせに石坂洋次郎氏の「若い人」上下を通読した。この作品が二三年前非常にひろく読まれたということも、今日石川達三氏の「結婚の生態」がひろく読まれているということと対比してみれば、同じような現象のうちに全く異う要素をもっていることで興味ふかく感じた。「若い人」が一般に読まれた要素の一つには、「結婚の生態」が今日よまれている要素と同じ種類のものもある。ごくつづめた言葉でそれをエロティックな要素と表現すると、「若い人」が『三田文学』に連載されやがて一般の興味をひきつけた時代には、そのエロティシズムも、少女から脱けようとしている特異な江波の生命の溢れた姿態の合間合間が間崎をとらえる心理として描かれており、皮膚にじっとりとしたものを漲らせつつも作者の意識は作品としてその虚々実々を執拗に芸術として描き出そうと力一杯の幻想も駆使している。
 ちょうど生命の行動性が文学の上で云われたり、人間まるむきの姿というものが求められていた時期に石坂氏の努力は文学そのものの在りようとしてやはり当時の気持に触れたところがあったろうと肯かれる。文学作品として、そして通俗性にもひろがった作品として、石坂氏の今日の一連りの作品の先駆的なものとなった。当時はまだ文学の領野で、芸術作品と通俗作品との区別が作家の感覚のうちに保たれていて、さまざまの苦悩は芸術としての作品を生もうとする意図の上に自覚されていたと思う。石坂氏の作品は、作家としての意図では芸術的であろうとしたことで、純文学にふれつつ、作家的本質の或る通俗な持ちものでいつしか純文学が通俗作品へ大幅にすべり込むに到った日本文学の或る歴史の道をひらいている点が、今日顧みられるのである。石川氏の現在のところまで来てみると、もう文学の感覚として、芸術作品と通俗作品との源泉的相異の自覚が喪われて、その喪われていることの感覚さえなく出現している作家であることが感じられる。
 石坂氏の「若い人」でもう一つ興味をもって感じたのは、終りで、江波と肉体を近づけた後の間崎の敗北に足並をそろえて遁走している作者の姿であった。江波と初めてそういういきさつに立ったところを、「次の夜彼等はお互の愛を誓い合った」という一行でだけかいて避けているところも、印象にのこる。それまでの筆致の自然な勢と傾向とを、そこでは体を堅くして踏んばってそれだけにとどめているところ、そして、愛を誓いあった、という表現が何か全体の雰囲気からよそよそしく浮いているところ、それは逆に作者がそのような相愛の情景を、愛の濤としては描けない自身の感覚にあったことを思わせる。描けないものとしてわきまえる常識とその常識の故に間崎のエロティシズムも、「痴人の愛」の芸術的陶酔として白光灼々とまでは燃焼しきらないものとなっていることもわかる。
 この一篇の長篇の終りは、遁走の曲で結ばれている。さまざまに向きをかえ周囲を描いていじって来た江波から、作者はついに常識人である間崎とともに橋本先生につかまって逃げ去っているのであるが、ともかくあれだけの小説のボリュームを、作者が、主人公を東京へ逃がすことでしめくくっているのを、非常に面白く思った。小説としてはそれで何にもしめくくりになっていないわけだのに、困った作者は、一応間崎を橋本先生と東京へ落してやって、一息をついている。作者が、何か遠い地方住居の日常で東京へ行ってしまった間崎の後姿を感じている感じかたを、面白く思った。自分の愛する若者もとうとう東京へ行ってしまった。そのことで境遇の絶対の変化を自分に云いきかす地方の娘の心理と通じるものが全くそこにないと云えるだろうか。
 フランスの作家が途方にくれると、よく主人公をアルジェリーへ旅立たせてしまう。東京暮しの作家は同様の場合、とかく軽井沢だとかアルプスだとかを思い浮べるらしい。そして、多くの場合そのいずれもが、作家としての降服の旗じるしであることが自覚されている。
「若い人」の終りにしろ、その本質は同じであるが、ずっと終りまで読み、本を伏せ、「麦死なず」「闘犬図」その他の作品にあった空気を思いおこし、つづいてこの頃の石坂氏の短篇にある空気を思い合わせたとき、この作者のこれまでの作品の世界の色合い、雰囲気と地方での生活というものとが、案外に深い血肉性で作用しあっているのではないかと感じられて来た。
「麦死なず」という作品にふれての評のなかで、或る時代の地方における文化のありようを、この作者がつよく描いていると云ったのは窪川鶴次郎であったと思う。そのことも思い出されたが、あの作品に対して作者の態度にそういう立て前があってのこととは当時もうべなわれなかった。今になって思えば「麦死なず」にしろ、題材やテーマに対する作者の態度に、客観的な意味での地方における文化の或る時代への批判が存在していたというよりは、むしろああいう調子であの作品が書かれたそのこと全体にこそ、地方の文化というものの性格の濃度が滲み出しているものであったろうと考えられる。
「若い人」にでも、そのことが感じられた。ひろくて深い柔かいうごめいている周囲の文化的な暗さの中に、一点明るい灯として作者もその中にいる狭い生活環境があって、まわりの暗さは一層その明るさの環内での人々の輪廓を鮮明にきわ立たせ、その動きをやや誇大した重要さで感覚させ、その意味では強烈にくっきりとしているから、ぐるり闇にかこまれていることから、自分の判断の世界にも確信はつよく、だが独善に座りがちであるという、そのようなものが、石坂氏の作品のかつての世界、或は雰囲気ではなかったろうか。
 先頃『文芸』の「青春狂想曲」という短篇をよんで、東京住居になってからの石坂氏の作品の空気の変化に注意をひかれた。何か非常に薄くなって、乾燥して、根が出てしまっているのは何故なのだろう。生活に安定が出来たからとして、教師時代の作者の精神の張りを求めている評言もあった。しかし只それだけであろうか。もっと複雑な、微妙な、植木で云えば植え代えのときのむずかしさのようなものが、今のこの作家に存在しているのではないだろうか。云ってみれば、雪も深々とつもり、ぐるりの人は作者の水準からみれば愚かしくも親愛にめいめいの生存の線を太くひっぱって暮していたところから根をこいで来た都会では、舗道を荒っぽく洗って流れる雨と風とに、根の土も洗われる感覚で、作品の世界の幻想を作者自身本気に出来ないような落付かなさがあるのではなかろうか。ある地味では深かった根も、ここではその深さが役に立たずより多くの露出となって結果し、枯れるモメントとして作用するというようなことが、文化のギャップとでもいうようなものの極めて血液的ないきさつで存在するのではないだろうか。
 このことは何となし関心にのこることがらであった。
 大陸文学ということが云われ、内地の作家が大陸へ行ってものをかく。大陸での見聞を書く。だがそれで大陸の文学であろうか。アメリカの文学、ソヴェトの文学、どれも文体そのものの血肉の中に大きい陸地の上に生きて歴史を営んでいる人間の或る感じの特徴を脈うたせているという感銘は誰にとっても否定し得まいと思う。
 このことも何となし心にのこされている事柄の一つである。
 そこへ、六月『文芸』で中村武羅夫氏の「文学の地方分散」という感想を読んで、更に一つのものを加えられた心持がした。
 従来文学が中央へばかり集ってしかもそこで類型化し衰弱しているように見える昨今、文学の地方分散の情勢が招来されつつあることは、朝鮮・満州などの文学的動勢に対する中央の文壇の関心を見ても、九州文学、関西文学などの活溌さを見ても、将来の文学に多極性と豊富さをもたらすものとして、大いに見らるべきであるという論旨は、同感であると思う。特に素材主義の文学が正当な成長をとげ得ない社会的な理由にふれて、このことが云われているのも注意を惹かれる。火野葦平、上田広というような作家たちが都会生活にとどまらないで、それぞれの故郷でもとからの職業に復して、その上で文学の仕事をしてゆく態度への筆者の肯定も理解される。
 そして、「若い人」「麦死なず」その他から今日の石坂氏の作家としての東京でのありようを考え、地方生活と作家の成長との関係を思っていた折から、自分としては、ここに石坂氏と背中あわせの形で作家としての火野氏や上田氏があらわしている地方性と文学との問題を感じるのである。
 農民作家の文学における意味については、農民文学云々と喧伝される初めから、恐らく多くの人々が、永年の都会住居で揉まれた揚句の農民作家としての再出現に対して或る疑問を抱いているだろうと思われる。それが手軽く今度は南洋へという風に動くのも、文学の必然の稀薄さのあらわれと云える。それならば、農民の生活を描こうとする作家は、みんなそれぞれの故郷の田舎に一人の農民としての日々を暮しつつ、その上で作品をかいて行ったらよいだろうと思えるし、それがいいにちがいはないけれども、いざ実行して見るとそこに沢山の困難が横わっている。例えば佐々木一夫氏という農村の生活を書いている若い作家の実際を傍からみても、その困難の複雑さを教えられた。農業そのものの方法から日本では極度に人力が要求されていて、その上現代の社会経済に対抗して生計を立ててゆくためにはあらゆる方法で多角な経営が必要となって来る。主人の労力は昼夜のわかちなく求められて、農繁期に机に向うことなどは思いもよらない。冬ごもりの期間にどうやら継続的に文学の仕事にたずさわることが出来るとして、ずっと辺鄙な地方での生活は文化的な雰囲気というものに欠けていて、その点でのいい刺戟を求める心持の激しさは、やはり東京へ、という思いに駆り立てる。
 これまで、誰も彼も、文学への立志と上京とを結びつけて行動されて来たのは、ここの動機からであったと思える。都会のもっている文化と地方の生活の中にある文化との落差は、はたで一口に云えないニュアンスをもって深刻に存在している。都会の文化の中に人間の精神を強めるものと殺戮するものとがあるとおり、地方の文化のなかには別の形でその根づよさその伝統の力で、人間の精神を生かしまた殺すものがあるのは事実であろう。
 文学の地方分散の傾向が、この面で大きく文化的な積極の作用をあらわし、土着の生活的な文学を創り出してゆく刺戟、鼓舞となれば、そこでこそ中村氏の感想に云われているような文学の豊饒への道がつけられるのだろうと思う。
 火野葦平氏をかこんでの『九州文学』は一つの活溌な息づきを示そうとしていると思えるが、文学のグループとして目ざしているところは、九州という今日の日本にあって意味深長な地方における現代生活の歴史を、その文学につくり出してゆくための土着の動力としての価値高い任務の自覚に在るのだろうか。中央の文壇の関心と云われているものの本質もそこにおかれているのだろうか。
 沖仲仕の元じめとしての作家火野の生活の感情というものも、この意味からはなかなか興味があると思う。沖仲仕という職業、その職業での伝統、その伝統にある感情というものは、職業のもたらす性格という一点では、各地方に分散する同じ職業者の心理、情緒と相通ずるものをもっていることはうなずけると思う。そして、その職業の歴史的な内容からおのずと生じている感情の角度においても、大同小異と云えよう。そうだとすれば、職業からもたらされる感情の傾き、その波一般では、地方土着の文学の素質を決定するものとならない。
 単に郷土的意味で、そこから一人代議士が出ると、村の有志は皆年に一度ずつその代議士のひきで東京見物をすることになる実際が、文学以前のことであるのも自明である。
 地方に分散して何かの力をもつ作家やグループが、真に文学として分散して存在する本質の価値を活かすためには、職業に関してもそこからもたらされる感情の一般性に自然発生にたよるばかりでなく、日本の全体とのいきさつとして、特に或る地方の社会的現実がその職業の部面に加えている調子の具体性を把握しなければなるまいと思う。地方生活からの題材の特異性が、別の意味での素材主義に陥ることをふせぐのは、歴史の全体からその局面の特殊性がつかまれてこそ可能だろう。地方的なテムペラメントというものが旧来ローカル・カラアと呼ばれた以上の意味をもって文学に活かされる健全な可能も、やはり一応はそのテムペラメントをつきはなして広い空気に当ててみられる力を予定しての上でのことではなかろうか。
 中央の文壇の関心というものも、ちがった地味での変種の速成栽培への興味めいたものであってはなるまいと思う。ジャーナリズムへ吸収される率でだけ、地方に分散する文学の創造力の意味が計られても悲しいことだと思う。文学の将来性への希望として真面目にみられるものならば、地方分散の問題は、日本の文化のありようの多面な立体的な諸角度から着実に追求され、究明され、客観的な自身の歴史の意味をも思いひそめて、自他ともに扱うべきものだろうと思われる。更に日本の文学が文芸思潮というものを喪ったまま動いて来ているこの数年来の実情に沈潜して思いを致せば、今日文学に地方分散の傾向の見えはじめたことの内に含まれている要素が、どんなに錯雑した過程に立つものであるかも深く考えられるわけである。中村氏によって文学中央集権の崩壊と云われている現象は、文学のこととして云えばつまりは一貫した影響をもつ文芸思潮の崩壊を意味するであろう。そして今日では、都会での米、味噌、水にかかわることとして見られる部分があると云っても、あながち文学と全く無縁なものと笑殺され切らぬところも現実の相貌のこわい面白さだと思う。
〔一九四〇年七月〕





底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「文芸」
   1940(昭和15)年7月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
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