『この心の誇り』

――パール・バック著――

宮本百合子




 私たちは、どんな本でも、自分の生活というものと切りはなして読めない。そして、どんな本を読んでも、最後にはその印象が落ちてみのる生活の土壤というものは、日本の社会のさまざまな特質によって配合され、性格づけられたものである現実も知っている。私たちは、植物のようにひとりでにその土壤から生えているのではなくて、力よわくとも一人の人間の女であるから、自分の生命の価値について冷淡ではあり得ない。よりよく生きたいという切望は、特別女の心の底深く常に湧き立っている熱い泉である。よしやその泉の上に岩のおもしがおかれて人目からその清冽な姿がかくされていようとも、また、小ざかしく虚無を真似て自分からその泉の小さいかがやきに目をそむけていようとも、やっぱりよく生きたい、という願望の実在は消されない。
 よく生きたいという女の希望の面は多様だが、今日、若い世代に一番共通なのは、どうかして自分たち女が、実にいい愉しい妻であり、母であって、同時に自分自身の生活というものも持ってゆきたいという要望ではないだろうか。女であるから男を愛する自然さもわかっている。愛したものが互に生活を最も密接させたくて、結婚する必然の動きもわかっている。愛するものとの間に子供をもつのはどんなにうれしいことだろう。けれども、それらすべてのうれしいことが、女の今日の生活の現実では女が自分をみんなその生活のために献げつくしてしまわなければ獲られないものだとすると、若い女性の心には何かしら抵抗が生じると思う。何かしら漠然とした悲しみと不安と躊躇が生じる。果してそうしか女として生きる方法はあり得ないのだろうか、と。
 パール・バックの「この誇らかな心」という小説は、生活の現実としてそういう課題を感じている今日の日本の読者にどんな感銘を与えているだろうか。
 作者がこの一篇の女主人公として描き出しているスーザン・ゲイロードは、女のなかの女ともいうべき豊饒な、生活力に満ちた、彫刻の才能にめぐまれた一人の若い女性である。世界で一番いい妻になって、一番いい母になって、そして石や青銅で美しい像をつくって、世界の果まで旅行して、ああ私はありとあらゆることがしてみたいという溢れるような彼女の性格は、その土台が真摯な、ひたむきな素朴さ、純粋さにおかれていて、どことなくほかの女とちがった女とみられている。
 地方の大学の老教授で、家庭生活では気づよい実際的な妻におされているスーザンの父が、可愛がって手ほどきしてやった彫刻への興味は、大学生活を終ったスーの生活の真髄からの欲望となって来ている。幼馴染で、謙遜で、スーザンの内面的な強烈さ、優秀さを十分評価しているマークとの結婚は、一人の男の子と女の子とを二人の間にもたらして、終りを告げた。マークはチフスで急に死んだのであった。しかし、マークはただチフスで命をおとしたのだろうか。医者が、「お気の毒ですが奥さん、御主人は一種の精力が欠けていたとでも言いましょうか――その――」と云ったマークの生への諦めは、彼の死に無関係ではなかった。彼のその悲しい諦めは何が原因であったろう。
 スーザンは自分の心を偽らない生きかたをしているために、マークと自分との間の悲劇をもはっきりと見ていた。それは、彼女の彫刻への熱情である。
 結婚するとき、マークはスーにとって本源的な彫刻への欲望を十分理解していた。それにもかかわらず、彼女がその仕事に熱中しある成功を獲てゆくと、良人としてのマークのひそかな苦悩は次第につのった。婚約時代にもマークはスーがおりおり自分の手をぬけて、どこか遠いところへ行ってしまう、そして自分の知らない人になってしまうと云って訴えることがあった。スーザンはそのたびにどんなに体じゅうで彼のその気持を忘れさせ、彼のものである自分を納得させようとしただろう。彫刻の教師であるディヴィッド・バーンスが彫刻修業のためパリに行けと云っても、スーは良人や子供たちとはなれては充実しない自分の生活感情をはっきり知っていて、その誘いに応じなかった。
 スーザンは、自然でゆたかな一人の女として、愛する良人のマークなしで生きてゆける自分だとは思っていなかった。彼女は彼なしに生きてゆくことは出来ないのだ。けれども、彼だけでは満足出来ない。子供だけでも、家だけでも、両親だけでも、町だけでも、彼女は満足出来ない。けれども、彼女にはこのどれがなくても、自分の命の充実は欠けて感じられる。自分の仕事だけでも、やはり彼女には満足出来ないのである。
 マークが、スーザンのその心持の核心をついに掴めなかったということは何という悲劇であったろう。自分が彼女にとってなくてはならないものであって、同時に彼女は彼というものだけで満足しきれないものをも持って生きているのだということを、マークはついに理解出来ず、遠いところを見つめている女を愛しつつ生への執着力をうしなってしまった。
 読んで来て私はこの小説がアメリカの婦人作家によって書かれたということを二重の意味で考えた。なぜならアメリカは、世界のなかでは女の尊重されている国ということになっている。個性の自由ということが云われていると思われている。それでも、女の生活の現実の道にはこういう痛切な苦悩が横たわっているということは、私たちに何を考えさせるだろうか。
 日本の社会のしきたりは、若い女性の生活を見ることに、男の習慣がまだまだ多くの昔ながらのものを持っている。教育一般にしろそうで、小説を例にとればモウパッサンの「女の一生」に描かれているジャンヌの生涯が決して珍しい例外ではない。しかも、その一方で若い世代は、形のちがう内容で、「この誇らかな心」のスーザンの苦悩を理解するようにもなって来ている。実感としてわかるようになって来ている。しかも、一般の習俗はスーザンの苦痛がわかる若い女の心は、例外だとするだろう。そこに日本の若い読者がこの小説から受ける複雑なものが考えられて来るのである。
 マークの死後、放心の状態におかれたスーザンは、ある夜眠られぬままに、群像をこしらえかけたままにしておいた納屋へ、ランプをもって入っていく。マークはもうこの世にいない。その恐怖は何と寒く烈しいだろう。その恐怖からのがれる道は、スーにとって燃えるその手で何かすることよりしかない。再び粘土がとりあげられた。彼女が何を創ろうと、もう愛する者の心を傷つけることはないであろう。スーは、孤独の代償として自由を甘受して、その群像を完成させた。マークは生前、この群像の女が、手に子供を抱きながら、その目ではどこか遠くを見ている、それを指して、君そっくりじゃないか、と非難めいた苦しい顔をしたのであった。
 群像を仕上げたスーは、ついに息子のジョン、娘のマーシャ、忠実な召使いのジェーンをつれてパリへ赴いた。一年分の金がある。その一年に、次の一年分を働き出さなければならない。スーザンは或るフランス人の仕事場ステュディオに通って種々の専門技術を身につけた。けれども、職人と芸術家とをよりわける、彼女の魂の満足はフランス人の形式のうちにはなくて、スーのリアリスティックな直観のうちにあった。
 どうして君は女に生れて来たんだ。その老匠は眉をひそめて口髭を一ひねりした。どうして君は女に生れて来たんだ。スーザンはこの言葉を、パリに来て初めてきいたのではなかった。何年か前、初めて彫刻の教師となったバーンスが、その仕事場で彼の肖像をこね出したスーザンの手元を見て、何と云ったろう。女、女、ああ何ということだ。これが女に生れようとは! バーンスはそう云って呻いた。
 パール・バックは、地の底へまでも徹るような呻吟をもって、これらの言葉を表現しているのである。
 女に生れたということは、パリでブレーク・キンネーアドと、スーザンとを再び結びあわす必然をもたらした。ブレークは、近代派の彫塑家で、きわめて富裕な大理石商の息子である。ブレークにとっては、スーザンが偉大な彫刻家であるかないかが興味ではなかった。彼がこれまで知らなかった女性としての深く大きい生命力とその素朴さ純真さが、近代的なブレークの関心をひき、スーを一人の女として自分の力で目醒めさせることに興味がおかれたのであった。
 女として自分のうちに開花させられた世界にひたったスーザンのある期間の生活は、クリスマスに久しぶりで田舎の生家へかえったとき非常に微妙な機会をえて一つの展開を見ることとなった。彼女の奏するピアノをきいて、スーの父親である老教授は、かすかに慄えて、自分がこれまでの生涯を浪費したことを悲歎した。その恐怖が彼女にブレークと自分との生活の実体についての疑問を目ざめさせたのであった。
 スーザンは、家の附近の粗末なアパートの一室を仕事部屋として借りた。そして再び仕事にとりかかった。
 ブレークの仕事の態度、傾向、それはすっかりスーザンとはちがう。スーザンが、大理石にむかってニューヨークの街に溢れる群集の中からニグロの女をとらえて彫り、北国の老婆をとらえて彫って、尨大な独特なものをつくってゆくとき、ブレークは、軽い土の塑像を、才走って、奇矯にこしらえてゆく。
 スーザンが仕事に規則正しく熱中しているうちに、ブレークはロシアの舞踊家ソーニャとの恋の遊戯におちいった。それを一年の間知らなかったのはスーザンばかりであった。しかもそれを知ったのは、彼女がブレークの見るソーニャとは異なったソーニャの彫像の最後の仕上げをしている時であった。彼女の手にあるのはソーニャの体である。どうしてそれの仕上げをつづけていられよう。
 しかし、このことでは仕事を完成しようとする欲望の方がスーザンの苦悩よりつよく彼女を捉えた。
 彼女の率直な追究に、曖昧な身のかわしかたをつづけるブレークにたいして彼女は今やはっきりと、仕事こそが自分を守るもの、自分の自由、自分のひろがりとして自覚されて来たのであった。
 ブレークとの生活は彼女自身を、あらゆる面でこれまでより明瞭に自覚させることとなった。ブレークをもはや愛していないと云えば彼女の心の真実は云いあらわされない。愛してはいる。だが、彼の肉体はスーザンにとって考えたくないものとなったのである。
 ソーニャやブレークの制作慾は、恋で燃さなければ消えるものであった。スーザンの創作の慾望は日常生活のすべての細々した経験が、その生命の根に流れ入ってそこからやみがたい再現の欲望となって湧いてくる。
 スーザンが「アメリカ行進」という題でそれらの彫刻をひとまとめとして開いた展覧会は、多くの未完成な部分をもちながらもきわめて独自な命をもつものとして評価された。美術界の気むずかし屋、美術家連が癪にさわりながらその一言一言を気にかけずにいられない批評家のジョーゼフ・ハートさえ、彼女の作品の将来性と優れた資質とをみとめた。
 今やソーニャを失って仕事への気力も欠いているブレークは、スーザンのその成功にたいして、よろこびを共にするよりは、嫉妬をおさえることが出来ない。スーザン自身は、しかし、芸術というものの永い行く手を感じている本能から目前の成功にたいしては沈着で、ジョーゼフ・ハートが彼女の作品の二つをメトロポリタン美術館に入れたいと申出たのも、作品の本質が一つ一つきりはなせないものだということと、まだあと八つこしらえなければ完成していないことで、待って貰おうとおだやかに希望する。スーザンは、その展覧会を契機として、いろいろな人のいろいろな評言から、自分の芸術がまだ自分のつたえたいと思うものをそれなり十分観るものにつたえるだけ完成していないことをも学んだのであった。彫刻をしてゆく過程に自分が深い深いよろこびを感じているというだけでは、芸術家として自分がまだ稚いものであったことを学んだのであった。
 これらの内面的なスーザンの成長のあいだに、ブレークとの心持も次第に展開して、彼女は一つの結論とでもいうものに到着した。それは、人間と人間との関係は、その理解にそれぞれの限界があるということであった。マークもブレークも、マークなりに、ブレークなりにスーザンという一人の女性を見ようとした。彼女はそれぞれに求められたものを惜しみなく与えたのだけれど、この肉体と精神との天賦ゆたかな女性はマークが彼女に求めただけで全部でなかったし、さりとて、ブレークが彼女のうちに目醒めさせたものがスーザンの全部でもなかった。彼女という一つのゆたかな輪の上にマークという輪、ブレークという輪が交錯し合ったけれども、二つの環が完全に重なり合ってしまうということはなかった。男は、自分一人で彼女のすべてを充しきり独占してしまえないことが判ると、堪えがたく焦燥して彼女から去って行こうとする。
 ブレークは、スーザンと暮した年月が幸福であったこと、そして多くのものを与えられたことを知っている。だが、窮極には自分というものをありのままに出して生きるつよい一個の女性としてのスーザンは、彼にとってどう扱っていいのか分らないものとなって来た。その意味からも二人の結び合いは、もうすんでしまった。もしスーザンが、もっと違った人間だったらどうだったろうか。そしたら、ブレークは彼女を恋愛することもしなかっただろう。
 スーザンは、ブレークの云うように、今は過去のものとなった自分たちの生活の経験をただ去りゆく影として見ることは出来ないのであった。彼女の命にとって、一度それにふれて来たからにはいたずらに消え去ってゆくものは一つもないと思われた。マークは死に、ブレークは去ってゆくけれども、彼等との生活でスーザンの得たもの、彼等が彼女の胸に投げた影は、どれも意味ふかく経験の一つとしてつみ重ねられてゆく。どんな小さい経験もそれを精魂こめて経験したものにとっては、ただ消えてゆくことではないのである。スーザンは、そこに自分の命を貫いて脈々と世代を重ねてゆく人類の命の本質を感じるのであった。
「この誇らかな心」のスーザンをこのような女性として描きながら、パール・バックはこの一篇の小説のなかに、自身の芸術にたいしての見解の一部も述べているのである。
 私たちの心には、自分の生活というものをはっきり掴んで生きてゆきたいという、やみがたい希望があると思う。その点ではスーザンのそういう生活への感情は現代の多くの若い世代の気持と全く相通じるものをもっていると云えると思う。また、私はいつも私であっていいのだ、という確信をもって生きたい、そのようにして生きる条件を見出したいと思う願いも、今日私たちのまわりに高鳴っているおびただしい若い女性の心奥に絶えず動いている念願ではないだろうか。
 私は私であっていいのだという確信を貫いて生きるためには、現実の中で何と苦しい相剋や矛盾を耐えてゆかなければならないだろう。
 パール・バックの優れた作品の一つに「母の肖像」というのがある。この母の時代の姿であらわされているアメリカの女の強靭な生活力が、次の世代である娘の時代の姿として「この誇らかな心」となって表現されてきていることは、非常に興味深いことである。パール・バックは、「母の肖像」で豊富な生活力が自然の豊かさそのままの活力と現実性とであふれ動く姿として母の生涯を描いたと同じように、世代の動きによってスーザンによりひろい知的な領域と芸術の天分とをもたらした。そして、やはり、判断と行動との原動力を、常に「どうしてもしなければならないという感じ、その感じに押出されて歩く」ものとして捕えているところも、私たちにさまざまのことを考えさせる。
 スーザンの心の波は慎重に誠意をもってたどられており、作者は、スーザンの雄々しく美しい生活態度を描いてそこから人類の命をつらぬく積極的な生活力を暗示している。けれども、今日スーザンが経つつある沢山の苦しみや悲しみは、ほかならぬその経験を彼女がひるまず自分の生活でうちつらぬいて生きてゆくそのことで、やがては歴史の次の世代の新しいものの考えかたにまで押出されてゆく社会的な性質をもっているものであることまでは、暗示されていないのが、この共感ふかい作品の遺憾なところだと思う。
 私たちには良人も家庭も子供もいる。それがなくては生きにくい。けれども、自分というものもそこに同時に生かされているという実感がなければならないという希望は、それだけ云えばほとんどあまりわかりきったことのようでさえある。今日日本のどんな男のひとに向って彼の心の問題としてきいてみても、妻だけで子だけで生きてゆけるという男はおそらく一人もないだろう。それは男としてあたり前のことと考えられている。男には仕事とともに妻がなくてはこまる。夫がなくてはこまるという一つの部分に女の全面的な生活が集注され、妻としてあますところなく吸収されていなければならないというのは、女としてやはり何か苦しいところがある。
 とり出してこのようにいえば分りやすいこのようなことが、現実の日常ではわからないことの姿で行われてゆくところに、歴史が示す段階の制約がある。
 スーザンは、生活のあらゆる経験がただ無駄に消え去るものではないという感覚の中で、人類の前進への漠然とした信頼を示している。けれども、彼女は、人間が人間を理解してゆく輪がそんなに狭く小さくめいめいに主観的でしかないという悲しみが、何処から生じるのかというところまでその悲しみの原因を追究してはいない。そういう輪のせまく苦しい主観的な限界は、まだ私たちの社会生活がそのなかに生きる個人個人に本当の社会的共感、理解を可能にさせるほど前進し高められていず、一人一人の生活感情の主観のなかに大きくひろい社会のかげが映され生きられていないからであるという点までにふれて行ってはいないのである。
 そう考えて来ると、スーザンが「私はいつも私であっていい」と思う、その私というもののなり立ちについて、作者がそこに或る一つの強い女の性格としてだけ扱っていることも、また、私たちを考えさせるところだと思う。「私」というものが抽象の言葉でなく日夜の現実に生きている実在であるからには、虚空に生存することは出来ない。スーザンにしろ、マークと結婚し、ブレークとの結合に入り、そして、これらの男たちと同じ時代、同じ社会の歴史をけみしつつあるとすれば彼女としても性格が抽象に発動するのではなくて、彼女の生活の属している社会層の特徴や限界や歴史性をも私というもののうちにこめてもっているはずである。
 私はいつも私であっていいのだ、という女によって意識された主張が、やがてそんな主張の必要がないほど女も社会関係の中での制約から解かれるまで、これからも永い年月叫びくりかえされて行かなければならないというのは、何と切なくまた意味ふかいことだろう。「この誇らかな心」を読むと、アメリカの社会が、女にここまでつよく生きさせる可能を与えている一方に、なおこのような小説をパール・バックにさえかかせるような女としての苦悩の要因をふくんだ習俗におさえられている社会であること、女に生れたことをくやむ言葉が女への讚歎として男の唇から洩されるようなおくれた社会であることを、新しいおどろきとともに思いかえすのである。そして、女らしいとか女らしくないとかいう通俗のめやすから苦しみを感じさせられている私たち日本の女の経ている現在の段階にも思いがひそめられる。
「この心の誇り」という題で(実業之日本社、定価一円五十銭)鶴見和子氏がパール・バックのこの作品の抄訳を出している。パール・バックに会って、芸術家としての彼女の真摯な態度にうたれたこの若い日本の淑女は、作品の訳者として或る意味ではふさわしい人であったろう。抄訳であることは残念だと思う。生活に追われていない令嬢の一人として、せめて、根気よく完訳されたらよかったと思う。それから、序文のなかで、ところどころに「自分の感想を加え、原文と異っているところもあるが」と云われていることも、目的は日本の読者にわかりやすいためという気持からとはいえ、やはり余り有益なことでもないと思う。作品の短い紹介ならともかく、一冊の本にまとめる範囲の抄訳の場合、訳者が自分の程度で感想を加えることは、文芸の作品に対してとるべき態度ではない。作品そのもので語らしめなければならない。
 鶴見和子氏の翻訳の方法や態度は、何となし今日の時代的な荒い空気に吹かれていて、若い婦人の手による一つの仕事として、おのずから感想を刺戟される。目前の生活の必要に追われず、一定の教養もある若い令嬢の仕事として翻訳はいいと思うけれども、それはジャーナリスティックなものに追われず、同時に文学作品ならその作品の世界の純一さに対する訳者としての敬意を失わないものでなければならないと思う。生活態度の真実というものの実際は、そういうところにもあるわけである。
〔一九四〇年九月〕





底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第八巻」河出書房
   1952(昭和27)年10月発行
初出:「新女苑」
   1940(昭和15)年9月号
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
2003年2月13日作成
2003年7月13日修正
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