よもの眺め

宮本百合子




 この数年の間、私たちは全く外国文学から遮断されて暮して来た。
 第一次欧州大戦の後、ヨーロッパの文学が、どんなに変化したかということについては、或る程度知ることが出来ていた。けれども、それにしても十分ということは出来ず例えば「チボー家の人々」は、主人公である青年が、大戦を経た若い時代の精神生活の推移として、世界観を変革されてゆく部分になると、翻訳は頓挫してしまった。世界の歴史の進展によって、生きている人間の活溌な心は、変らざるを得ない、という、最も人間的な、従って最も文学的なモメントにおいて、日本の読者たちは、検閲の扉で、ぴったりとその興味ある世界から閉め出されてしまったのであった。
「欧羅巴の七つの謎」というジュール・ロマンの著作は、第二次大戦前後におけるフランスの「善意ある人々」の国際情勢というものの観かたやそれへの処しかたが如実に描き出されていて、非常に面白いし深く反省もさせる小さい本の一つであった。ヨーロッパの文化の基底をなして来たフランスの個性の評価、「指導的な個人たち」が、第二次世界大戦へ向って動く各国間の矛盾の解決に対して、無力であったばかりか、個々人の影響力というものについてロマンが抱いていた善良であるが悲しい程非現実な期待のために、ファシスト政治家の極めて計画的な国際詐略にかかっている。一定の段階までは、人間性というものの巨大な発展の目安となって来た過去のインディヴィジュアリズムが第二次大戦の開幕とともに、音を立てて崩壊する姿が、「欧羅巴の七つの謎」のあらゆる頁にうかがわれるのである。
 わたし達は、ロマン及びヨーロッパ各国における一団の人々の善意の悲劇を知りたく思う。それにつけても、ロマンの近年における代表作であった「善意の人々」の完全な訳を読みたいと思う。フランスの作家ジュール・ロマンを、海峡の彼方の国々イギリスやアメリカの、平和を愛し、国際正義を希うおとなしく善意ある心情の友としたのは、その「善意ある人々」であった。
 第二次大戦の参加とともに、日本では明治以来の社会的後進性がすっかり露わになった。そして悲しがなし近代的個性の自覚の上によろめき立っていた文学は、最近三年間に、殆ど文化として抵抗らしい抵抗さえも示さずに崩れ終った。ここでも、日本なりに、現代文学における過去のインディヴィジュアリズムは崩壊したのであったが、フランスに於けるその現象との間には、根本の相異が見られると思う。フランスの所謂いわゆる教養の中では、十九世紀以来の個性の開花とその爛熟とが飽和点にまで達していたように見える。社会の全機構がその影響の下にあり、ガムランによって代表された軍事部門の内奥さえ、その軍人気質を情操として見た場合、殆ど哲学的に洗煉されて、いくらかシュール・リアリストがかってしまっている。古い果樹の、熟しすぎた果実として、フランスの文化伝統たる個人中心の考えかたは現実に破れたのであった。
 日本の場合、それは全く異っている。決して、たっぷりと開花し、芳香と花粉とを存分空中に振りまいて、実り過ぎて軟くなり、甘美すぎてヴィタミンも失ったその実が墜ちたという工合ではない。謂わば、条件のよくない風土に移植され、これ迄伸び切ったこともない枝々に、辛くも実らしいものをつけた果樹が、第二次世界大戦の暴風雨によって、弱いそのへたから、パラパラと実を落されたと云えないであろうか。これ迄のフランス文化が自身の古い土壌の上で養分を吸いきり、地中の有害な微生物を、その根から駆除するためには、よほど深く鋭い鋤かえしが入用であろう。日本の近代精神のより健やかなる展開のために先ず入用なのは、誤った技術家が非科学的に使う剪定鋏を引きこませること、及び悪条件にもちこたえつつ、どうやら命脈を保ちつづけて来た一条の民主的、合理的精神の幹に、全く科学的に考慮された接木つぎきをして、豊かな結実を可能にする方法ではなかろうか。フランス文化の事情より見ると、日本のそのような過程は、殆ど世紀の一節だけおくれている。しかも、それが同時的な人間の課題として、今日わたし共の前に提出されているのである。
 日夜地球はめぐりつつあり、こうして、或るところでは重く汁気の多い果実が深い草の上に腐れ墜ち、或るところでは実らぬ実を風にもがれているけれども、豊富な人類の営みは景観の複雑さを、其の面にだけとどめてはいない。ワンダ・ワシリェフスカヤの「虹」は、読むものに、一つの新しい感動をもって新しい文学の輪郭を予想させた。
『月刊ロシア』という雑誌は、どういう理由でか戦時中にも刊行をつづけていた。「虹」は、そこに連載されたポーランド婦人作家ワシリェフスカヤの作品で、独軍制下にあるウクライナ農民の一つの村に起った物語である。麦の宝庫であるウクライナは、一九一七年から二一年頃までの間もロシアに侵入した反革命軍が食糧庫としようとした。住民たちは、侵略の恐ろしい暴力とたたかったのであったが、このたびの第二次世界戦争においても、豊かに波だつ麦畑と、それを粉に挽く風車の故に、ウクライナ自治共和国は渾身の力をふるって敵に当らなければならなかった。
 ウクライナの村々から、男は祖国防衛軍として出て行った。残った老人、女、子供らが侵入し土地に居据ったナチス軍の鉄の顎と格闘しなければならなかった。どんなにそれらの一見無力な人々が、勇気と智慧と近い将来の勝利への確信をもって暴力と殺戮とを持ちこたえたか、そのいきさつをワンダ・ワシリェフスカヤは一つの誇張もない、表面的なただ一つのアジテーションもない筆致で叙している。
 この作品には、文学におけるリアリズムの新鮮な一つの要素が、くっきりと浮び上っている。作者の心からなる同感と愛情をよびさましたそのテーマに沿って題材を整理してゆくとき、ワシリェフスカヤは、過去の文学における文学的な省略法、テーマの進展のモメントとなる各細部を、印象的に整理してゆく方法だけに頼らず、もっと深く本質にふれて、占領地域におけるナチス軍の窮極における敗退の生活的・心理的な理由を、政治的にしっかり把握した上で、政治的機動性とでもいうようなダイナミックな力で、描こうとする対象を取捨し、必要によって、ぐっとつき迫っている。しかも、実に興味あることは、二十年前のソヴェト文学のように、作者の政治的な理解力というものが、生のままそこに示されるような幼稚な段階は見事に克服されてしまっていることである。その作品の中に生き、泣き、雪の中を這って殺された子供の死骸を我が家に引摺って来る母親の、肉体そのものの温かさ、重量、足音の裡に、彼女たちの心もちそのものとして、彼女らがそうして生きとおした苦難の意義が暗示されているのである。
 局面の展開の動的なこと、それを、ゆっくりと大きく移してゆく作者の力量は、近代感覚に満ちていて、「静かなドン」の調子と全く違う。浅く見れば、映画の技法の影響とも云えそうだけれども、もう一歩近づいてみれば、それは都会的なテムポの感覚から来たモンタージュの力量に止る性質のものでないことは明かである。
 イリーンが、科学の知識を、ああもわかりやすく、ああもよろこばしく語り得るのは、彼が、専門の知識に通暁しつくしていて、その上に、人類がより明るく智慧の光りに照らされて生きる愉しさを、知りつくしているからではなかろうか。知りつくしたことについて、人はいつも分りやすく、ふっくりと語る。ワンダの作品をよむと、この大戦を経つつ、雪深き一つの国では、人々が社会に生きる感覚において、どんな長足の進歩をとげたかということがうかがわれる。辛苦と血とが、生きているものの実質として、のこりなく摂取されているらしいことを感じるのである。
 この「虹」が、また、ほかの諸作品と同様に、中絶してしまっている。早く完全な訳が出てほしいと思う。そうして、世界の苦しみと歓喜とに触れ自身の苦痛と希望とを等しき人間の進みゆく足どりと眺めたく願うのは、決して私たちばかりではないだろうと思う。
〔一九四六年一月〕





底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「近代文学」第一巻第一号
   1946(昭和21)年1月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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