現代の主題

宮本百合子




 民主日本の出発ということがいわれてから一年が経過した。日本の旧い支配者たちがポツダム宣言を受諾しなければならなくなって、日本の民衆はこれまでの時々刻々、追い立てられていた不安な戦争の脅威から解放された。戦争が不条理に拡げられ、欺瞞がひどくなるにつれて、日本じゅうの理性を沈黙させ、それをないものにしていた治安維持法が撤廃された記念すべき日も、近くふたたびめぐり来ようとしている。
 わたくしたちは、こうして営々と三百六十五日を生きとおして今日に至っているのだが、さて、平和・民主の一周年を迎えたという晴々とした歓喜の表情は、おたがいの眼の裡にきらめいているだろうか。旧軍事支配権力の無条件降伏は、考える葦、働く蟻であったわたしたち日本人民すべてに、人間らしい歩み出しの一歩を約束するものであったことを、確認して、この一年を生きてきたものの、明るいまなざしが街路にみちているだろうか。
 率直にいって、日本の初々しい民主の精神は苦しんでいる。わたしたち一人一人のうちに、日本の全精神現象のうちに、民主の精神は、唐突なその目覚まされかたと同時に感じていた混乱、疑惑を、今日まだ十分に整理できずにいると思える。しかも、おくれた日本の覚醒をめぐる情勢の流れは迅くて、内部にちぐはぐなものを感じ、善意の焦点を見いだしかねているままに、現実は、むき出しな推移で私たちの日常をこづいて、ゆっくり考えてみるために止まる時間さえ与えない。体が、混んだプラットフォームに揉まれるばかりか、精神も押され押されて一つの扉口をいや応なく通過させられる状態にある。この場合、私たちの肉体が乱暴なつめこみにたいしてつねにいやさを感じるとおり、精神のラッシュにたいしてつよい不服を感じ抗議を抱いている。精神のラッシュにまぎれて、いかがわしい種々の操作が、今日では法律上の名目も失い、行政上の格式も失いながら、なお最下等動物のように執拗に、ぬけめない陋劣さで活躍していることも、人々が直感しているところである。
 日本にとって、本当にすがすがしい光であるはずの民主精神が、かげをもっている理由の第一は、一種独特な日本の心理過剰の現状ではないだろうか。
 明治からの歴史に、私たちは市民社会の経験をもたなかった。悲しい火花のような自由民権思想の短い閃きをもったまま、それが空から消されたあとは、半封建のうすくらがりの低迷のうちに、自我を模索し、この自然と社会との見かたに科学のよりどころを発見しようとしてきた。われらの故国のおくれた資本主義経済の事情は、時間の上で、西欧諸国から三百年おくれていたというに止らなかった。やすいものを早く、どっさりこしらえて、できるだけあっちこっちに売りさばかなければならず、その原料仕入れに気も狂わんばかりあせり立って、あらゆる国際間の利害にからんで、戦争ばかりしつづけてきた。
 西欧精神と日本の近代精神を比較して、日本の現代精神の皮相性、浅薄な模倣性を憎悪する人がある。それを厭うこころもちは、すべての思慮ある人の心のうちに、強く存在しているけれども、その厭わしさを、とりあげてよくよく調べてみれば、日本人の精神の本質がそういうものであるというよりは、近代の国際資本の競争におくれて立ちまじった日本の資本主義支配者たちが、世界の間に自立的な伝統と立場とを確立していず、いつも、うすら寒いすばしこさや拙速や漁夫の利で、その場その場を打開し糊塗してきた、その影響である。明治から大正初頭にかけて、日本の知性の確立を欲することの熱烈であった作家の一人夏目漱石も、イギリスへ行ってからはとくに個々人の見識、人格としてそれをはっきり主張した。しかし、支配権力の歴史的な性格が、国の文化と知性との基盤にあって、どう作用するかということには理解を及ぼさせなかった。そこに、あの時代のブルジョア・インテリゲンツィアの限界もあったのである。
 併行して、日本の若き人道主義たち、「白樺」の人々は、彼らの青春の祝福されるべき反逆性の頭上に一撃を加えられた。当時大逆事件と呼ばれたテロリストのまったく小規模な天皇制への反抗があらわれ、幸徳秋水などが死刑に処せられた。自由民権を、欽定憲法によってそらした権力は、この一つの小規模な、未熟な、社会主義思想のあらわれを、できるだけおそろしく、できるだけ悪逆なものとして扱って、封建風のみせしめにした。みせしめは、近代日本が法治国であるという一応のたて前から、いつも法律によって、裁判所において、公判廷で行われている。「白樺」の人々は、この事件の扱いかたで、権力者が期待したとおりの影響を蒙った。彼らは、当時の日本をいっぱいにしていたやぼな社会的・階級的ごたごたからは目をそらして、世界人類の能力の輝やかしい可能とそのおどろくべき発露に関心を集めた。これは、日本の知性の歴史にとって忘られない明るさ、つよい憧憬、わが心はこの地球を抱く思いをさせたのであったが、その胸のふくらみにくらべて脚はよわく、かつ光栄ある頭蓋骨をのせるべき頸っ骨も案外によわかった。日本のいく久しい封建社会の歴史にもたらされて、日本の知性は、強靭な知的探求力とその理づめな権威力をもつより、いつも感性的である。その日本の感性的な知性が西欧のルネッサンスおよびそれ以後の人間開花の美に驚異したのが「白樺」の基調であった。
 繋がれているものにとって、翔ぶという思いの切なさは、いかばかりだろう。低くあらしめられて、思いの鬱屈している精神にとって、高まり伸び達しようとする翹望は、どんなに激情をゆするだろう。昭和初頭から、それがわずか十年たらずの短い間に八つ裂にされてしまったまでの日本の左翼運動とその思想が、今日かえりみて、多くの人々に未熟であり、機械的であり、模倣であり、主観的であったと批判される根本の原因は、一方に日本が、どんなに封建的な専制支配の下におかれていたかという事実を見ずには説明されないことである。左翼の思想や行動は、ついこの間までは非合法とされていた。このことは、思想そのものが非合法であり、行動そのものが非合法の本質をもっているということとはまったく異っている。人間の思想と行動とが、ほんとうに非合法であるといえるのは、それが健全な人間の理性の判定する合理性に反したときだけである。一人の将軍が戦争の時流に乗じたあまり、諸君は地球の引力を否定した武器を発明すべきである、と呼号したりした場合、その言動は人間的非合法なのである。封建の専制支配を堅めるために作られた日本の治安維持法は、制定されるとき、山本宣治の血を流したばかりではすまなかった。はじめから理において勝つべき根拠を失っていて、三宅正太郎によってさえも悪法として警戒されていた治安維持法は、過去十数年間の日本から、知性を殺戮しつくしたのであった。そのあまりの無法さは、直接その刃の下におかれた人々の正気を狂わせたし、その光景全般の恐ろしさから、すべての知識人、勤労者、農民の精神と判断と発言とを萎縮させた。徳川時代のとおり、ご無理ごもっともと、ばつを合わせつつ、今日私たちの面している物質と精神の破壊にまで追われてきたのであった。
 この時期、人々はできるだけ自分というものを目立たせないように努力した。個性や性格をきわだたせることさえおそれた。そして、低く低くと身をかがめたのであったが、このひどい屈伏が、一九三〇年以後におこったところに、今日の文化にとって重大な問題がひそんでいる。山の彼方の空を眺め、山の頂をはるかに通じる一筋の道を眺めたものにとって、窓をしめ、地球の円さは村境できれているように思いこみ、この村ばかりの優秀を誇るというのは、不自然で息苦しく愚劣にたえがたいしまつであった。徳川時代の民が土下座したとき、その埃のふかい土は素朴で、けっして現代のドライヴ・ウェイをもたず、全波ラジオをもたなかった。封建生活そのものとしての統一があり、封建の枠の内でつつましいおのれは分裂していなかった。自我の分裂の苦悩を封建人は知らないで生き、そして死んだのであった。最近十数年の間、日本の自覚あるすべての人々は、この深刻な自我の分裂に苦悩してきたし、人間理性への信頼を毒されてきた。精神を低く屈しさせられれば屈しるほど、その息づきのせわしさが自覚される三分の魂をもって、自身のうちにうずく内部反抗を自覚した。一分低くなれば一分だけ、五分ひくめられればさらに五分だけ、自分の心にばかり聴える抗議の叫びの痛切さを愛し、その真実にたより、それによって、屍とされてもなお死なざる人間としての自己を自分に知ろうとしてきたのであった。
 日本の権力の半封建な野蛮さが、人間性をどれほど歪め終せたかという現実を、こまかに眺めるとき、こころは燃え立つばかりである。なぜならば、人間性をそのように畸型な傴僂せむしにした権力は、よしんば急に崩壊したとしても、けっしてそれと同じ急テンポで、人間性に加えられた抑圧の痕跡、その傴僂は癒されないものとして残されているからである。それのみか、一年の時を経た昨今、彼らは呆然自失から立ちなおり、きわめて速力を出して、この佝僂くる病が人間性の上にのこされているうちに、まだわたしたちの精神が十分強壮、暢達なものと恢復しきらないうちに、その歪みを正常化するような社会事情を準備し、客観のレンズを奇妙な凹凸鏡にすりかえて、それに映れば焦点がわれて、かざされる剣が光輪のようにも見える状態をつくろうとしはじめている。
 第一次ヨーロッパ大戦の後、西欧の小市民生活の安定がつきくずされた。旧い権威は、王座において個々の家庭において崩れた。この社会的不安が肉体にあらわす精神障害を、一つの抑圧されたコムプレックスとしてフロイドは解明しようとした。当時でも、この方法は十分科学的ということはできない、精神現象の生物的性格に局限された扱いかたであった。しかし、フロイドの精神分析は何かの形で、当時の精神苦悩を解決するように思われた。西欧の文学はその時代において一方にプロレタリア文学の道を拓き、その反面自身の歴史的展開の方向を見失った面では、フロイドの学説に動揺する心理のよりどころを見いだし、心理主義に進んだ。その女流選手であった英国の※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)ージニア・ウルフが、こんどの大戦がはじまってまもなく、生きつづける精神のよりどころを失って、自殺したことは、私たちに深い暗示を与えたのであった。
 私たちは、生きることを愛する。働きのうちに歓喜を覚えて生きることを欲する。そのために、私たちが自身の精神を強壮にもどし、のびやかなものとし、自身をしっかりと歴史に立たせるために、今日するべきことは何であろうか。
 精密な、そして情愛にみちた一つの仕事がここに提示されていると思う。これは、とくにこの戦争以来、私たちの精神をいためつづけてきた暴力によってつくられた、われわれの内部的な抗議の自意識へ固執する癖、という複雑な社会史的コムプレックスをとりあげて、それをほぐし、そこまで飛躍することであろうと思う。

 今日、あちらこちらで聞く言葉がある。それは、民主日本の扉が開かれることになってから、どんなにか従来の進歩的であった人々が溌剌と躍動して、思想の面にも次々に新鮮なおくりものをするかと期待していたところ、その現実には案外に飛躍性が現れてこない、ということである。たとえば、ここに一つの論文がある。書かれている要旨は進歩に目標をおいたものであり、ラディカルでさえあるものなのに、その文章の行間を貫く気魄において、何かが欠けていてものたりない。そういうことをしばしばきく。かえって、抑圧がひどかったとき、岩間にほとばしる清水のように暗示されていた正義の主張、自由への鋭い憧憬の閃きの方が、はるかに人間らしさでわれわれを撃つ力をこめていた、と。これは、ただ、かくされていた神聖さを明るみに出して見たときは、それも平凡なものとなるというだけを意味することであろうか。そうは思われない。私たちが、ものをいわされず、書かされないとき、ちょうど節穴から一筋の日光がさしこむようにチラリと洩らされる正義の情、抑圧への反抗は、いわば、人々の間に暗黙のうちに契約となったいくつかの暗号のようなものであった。義太夫ずきの爺さんが、すりへったレコードの「壺坂」をきいて自分のうちにあるうたを甦らし、ひとにはききとれにくい「壺坂」を、たのしみさえしているのと似た気の毒な事情であった。
 客観すれば病的な、そういう苦しく、いとしい精神表現がたがいの癖となってしまっているとき、にわかにぱっと窓があいて、光線が一時にさしこんできたとき、火花のようだった符号を朗々とした全文に吐露しなおし、それを構成して、たちどころにそれをひろくつたえるという機動性が、身に備っていただろうか。
 半封建の野蛮がもたらしたコムプレックスの害毒は、こういう良心的であるゆえの萎縮をもたらしたばかりではない。事情が変化して、人間らしい自由を建設しようとする本性が伸張されなければならないいまになっても、しいられてできた内部抵抗の癖は、そこまで心情を脱却させないで、これを、民主主義への懐疑、政治的・芸術的良心への疑惑、人間性発展の確信への狐疑として理屈ありげに表現させている点にある。
 資本主義の生産の形が、封建の諸関係のうちから生れたように、資本主義的な生産とそれによって形づくられた社会生活全般が矛盾だらけの不如意なものとなったとき、それは必ず社会主義へ発展せざるをえないという歴史の必然については、もういまさらいわれるまでもなくわかっている。そう思っているのが知識人のほとんど全部を占めているといえよう。それと同時に、その歴史の必然性、その原理はもうとっくにわかっているのだから、くりかえして論ずるのはもう結構だ。なにか見せてくれ。なにか新しいものを啓示して、新しい情熱をふき入れてくれ。そういう他力本願の心理的要求が瀰漫している。
 より年代の若い人々の間には、また別様の求望がある。社会進化の必然という原理については理性的に十分わかった。自身の生涯の道も、それに呼応するものでしかありえないと思える。だが、その原理の理説には、なにか人間らしいゆたかな詩情が欠けている。やさしい愛と慰藉とに欠けている。その心情的な飢渇がいやされなければ、頭脳的にわかったといっても、若い命を傾けつくして生きてゆきにくい。そういう声があるのである。
 さらに、複雑な一群の人々の場合がある。今日、自分たちが麗わしい精神の純朴さで歴史の発展的面に従いきれないのが、一つのひねくれであり、日本の野蛮によって刻みつけられた傷であるのは、よくわかっている。しかし、そのひねくれによって自ら苦悩し、その傷の痛みを感じながら、そこまでなんとかして伸びようと試みている一群のあるのも、日本の現実である。この正道さは、今日の現実の中で、いいかげんな民主主義便乗者よりも正義をもつものである。そのひねくれの存在権は、世代的なものとして主張されているのである。
 これらは、すべて非常に心理的である。それらが心理的であるということに問題を生じるのは、これらの心理的な現象をとく力は、窮極においてその心理の枠内にはありえないのだという事実を、承服しようとしないところにある。個々の人が個々の心理に固執している傾きがきつすぎる。その心理によりすがって、手ばなさないことが、民主という名をもって出現した社会主義的な精神と個性との画一化への抵抗であるとさえ、誤って合理づけている人々があるのである。二様三様の心理は絡みあって、その持主たちを停頓させているばかりではない。この病的にあらわされている主我とその心理傾向は、主観において強烈でありながら、客観的には一種の無力状態であるから、より年少な世代の精神的空白をみたし、戦争によって脳髄をぬきとられた青春にその誇りをとりもどし、その人間的心持に内容づけを与えてやる、どんな精神的熱量をも放射しえないでいるのである。
 この現象は、まじめな憂慮をよびさますべきことだと思う。なかば封建の抑圧は、私たちの精神を、背丈のちぢんだ走力のよわった脚のものにしたばかりか、戦争は人間群をきりさいて、世紀の中に、いくつかの世代の層を分裂させているのである。いためつけられた主我の病癖は、当然の結果として、世界史の推移のモメントとしての時間の感覚をも客観的には把握していないのである。

 いくとおりかの例のうちで、誰の衷心にもその響にこたえるなにものかをふくんでいるのは、第二の若い人々の心情にある渇望についてである。これについて少し考えてみよう。人間社会の進展の原理が社会科学の立場から解明され、社会主義の社会、共産主義の原理が語られるとき、われわれの合理性はそれを理解し、支持しながら、そこに、なにかみたされない思いをもつというのはなぜであろうか。その間にもっとなにか瑞々しいものを、人間らしいものを、と求めるというのはどうしてだろうか。今日、荒らされ、放りだされた私たちの心情は、それほど美しさ、慰藉、愛と詩とにかつえているのは実際である。ほんとうに私たちは号令に飽きた。よくもあしくも強制にはこりた。
 だが、そもそも私たち人間がギリシアの時代からもちつたえ展開させ、神話よりついに科学として確立させたこの社会についての学問、社会科学とその究明よりもたらされる将来の構成への展望とは、人間情熱のどういう面とかかわりあったことなのであろうか。これは一片の乾いた思弁であり、闘志のつよいある種の人間たちだけの道具なのだろうか。すべての学問は、よろこびを求めてやまない人間心情を源として、そこから湧いて出ている。幸福であろうとする意欲は、人類が幸福という言葉の符号も、文字としての記号も持たなかったときから存在しつづけている。人類が社会を構成しはじめてから、それについての認識をもちはじめて以来、より幸福に、より快適に生きようとする希望から築きあげてきた成果の見事さについて、くりかえすのはほとんど愚な業である。一方において、芸術と自然科学とを幾世代にわたって花咲かせてきた人間が、社会認識の成熟する諸条件がそなわりはじめた十八世紀末から、社会を学問的探究の対象とし始めた。資本主義社会が西欧で確立した十九世紀に、その基盤としての生産関係を究明して、その矛盾とその合則の発展の過程を、共産主義社会の出現にまで追究した人間精神を、私たちは精美なものとして感じることは不可能だろうか。地上のあらゆる生物のうちで、自分たちの生き死する社会についての科学をもっているのは人間ばかりである。芸術を創り、それを愛し、宝とする能力は人類にしかないのと同じに。そこに、人間のよろこびはありえないだろうか。
 まじめに科学の仕事にたずさわり、専門的にまた世俗的にあらゆる難関とたたかっている今日の日本の科学者たちから見れば、おそらくあまり安易通俗に、全篇が物語として扱われているに相違ない映画、パストゥールを主人公とした「科学者の道」や「エールリッヒ」「キュリー夫人」などにさえ、私たちは感動し、毅然とした人間精神の美しさに詩と慰藉とを与えられた。人間が人間を生かし殺す力の媒介物たる金銭というものの魔術性をあらわにし、それが近代社会を支配する大怪物として蓄積されてゆく過程を明らかにして、人間性の勝利の実質、生産する者が生産を掌握することの自然さを示した社会科学者たちの業績と、それを実践する人々にたいして、その雄々しさと真実さと、それゆえの美を感じられないということがどうしてありうるだろう。
 愛が愛でありうるのは、それがつねに具体的であるからである。あらゆる状況に面してひるまず、その必要に応じて必ずなにかの方法を愛が見いだすのは、それが具体的であるからこそだと思う。美が美として存在するのも具体的だからこそである。空虚な空間をきって、あのおどろくべき美を創りだしている法隆寺壁画の、充実きわまりない一本の線をひきぬいて、なおあの美がなり立つと思うものはない。詩情の究極は人間への愛であり、愛は具体的で、いつも歴史のそれぞれの段階を偽りなくうつし汲みとるものであるからこそ、そこに真実と美のよりどころとなりうる。わたしたちの世紀に、どうして私たちの世紀の真と善と美とがありえないだろう。

 一九四五年の五月、地球は神々しい人間の歓呼の声にどよめいた。新聞は、それをナチズムとファシズムの完全な敗北という見出しで伝えた。世紀のよろこび、幸福、美と詩との本質は、その歓呼のうちにききとられたと思う。一言につづめていえば、私たちのこの世紀こそは、大衆とその理性の勝利、民主の世紀であることが、心から肯けたのであった。十九世紀に大芸術家、科学者、政治家を輩出させた社会の創造的可能性は、その矛盾の深まるにつれてしだいに萎靡して、二十世紀前半は、ほとんどあらゆる分野においてその解説者、末流、傍系的才能しか発芽させえなかった。十九世紀は、その興隆する資本主義社会の可能性で、偉大な人間才能を開花させたのであったが、いまやそろそろ地球をみたす人間社会により広汎な人間性を解放する民主の形態が出来て、新しい世紀の本質的に一歩発展し前進した精華が輝きだそうとしている。真に新らしい社会と文化の章がはじめられようとしている。うたの主題は、三つの民主主義と名づけられる。なぜならば、それが、現世紀の詩と美とのよりかかることのできないテーマであるから。私たちの世紀は、資本主義的な民主主義、社会主義的な民主主義、そして、おくれながらもつよく翼を羽ばたいて歴史の二行程を同時に推進する必然におかれている中国や日本などの新民主主義と、この三つの民主主義の進行が世紀の実質をなしているのであるから。

 日本は、西欧のルネッサンスを知らなかった。広大な地域をなかばアジアになかば西欧にしめるスラブ人も、イタリーや、フランスがそれを経験したようには経験しなかった。近ごろ、シェクスピアの芸術が、ルネッサンス時代における人間解放の典型としてふたたび評価されている。日本でも、近ごろ「真夏の夜の夢」が五十日間上演されて、東宝の財政をうるおした。
 興味深いものは、私たちが今日面している人間性解放の現実的諸要素の構成と、ルネッサンス芸術家としてのシェクスピアの世界での人間解放とが、どのようにたがいに似ていて、しかも絶対に異った歴史の内容によってへだてられているかという点であると思う。
 たとえば「真夏の夜の夢」が今の日本で上演される価値は、主人公たる二組の恋人たちが、アテネ市の封建的な父権に抗して郊外の森へ逃げ、貴族的な支配者の権力を妥協させて、めでたく結婚するという、意欲と行動との一致した人間性の主張にあると示されている。たしかに、それは「嫁にやられる娘」の多い日本の封建の習慣に抗議する一つの声であろう。けれども今日の若い世代にとって、恋人たちの駈落ちが、愛を主張し、その主張によって行動する解放の方法として、現実に訴える力をもっているだろうか。二人並んで勤め先から「真夏の夜の夢」を観にきていた幾組かの恋人たちの、今日の悩みと求めている解決とは、親の反対に駈け落ちしたにしても、その先の先までつけまわす食糧危機を、二人のきまった月給のうちでどう打開するか。なにより先に落付く住居はどうして見いだせるか。さらに、百万人の失業と予告されているその百万分の二に二人がなる可能についての憂慮ではなかっただろうか。ここに、今日の日本の民主主義の実状があり、その段階がある。封建的な人間性の否定に抗すると同時に、その意欲と行動との統一された表現として、歴史はすでにはっきりと、資本主義の社会の混乱と矛盾とにたいして合理的処置を主張する勤労大衆の民主的要素が正当であることを設定しているのである。
 ルネッサンス時代の人間性の主張は、疑いもなく、木偶のようであった人物を、笑い、怒り、わめく形相さまざまの人間として解放した。レオナルド・ダ・ヴィンチは、聖母でもなければ天女でもない人間の女性像モナリザを描いた。このジョコンダの微笑は、ながく見つめていると人のこころをもの狂わしくするような内面の緊張した情感をたたえている。じっとおさえて、その体とともにレオナルドとの関係をも動かそうとしなかった貴族階級の女性の激しい思いを溢れさせている。この人間性の覚醒と行動の抑制との相剋があらゆる方面にあらわれていたルネッサンス時代に、インドにおける植民地の拡大と、その結果、より速い資本主義社会への足なみをもったイギリスで、シェクスピアの豊富な才能が、思いをこめてじっと動かず微笑するレオナルドの女性を解放し、ヴァレンタインの一夜、アテナの二人の貴女を郊外の森へ駈け落ちさせたことは、注目に価する。このことは、十八世紀の末にマリー・ヴォートンクラフトを、イギリスが生みだした歴史の先ぶれともなるのである。けれども、それならば、シェクスピアの世界で解放された二組の恋人たちは、ほんとうに自分たちの愛において自由であり自主であっただろうか。シェクスピアは、森のいたずらなこだまパックを登場させた。パックが二人のアテナ人の瞼にしぼりかけた魔法の草汁のききめは、二人の男たちの分別や嗜好さえも狂わせて、哀れなハーミヤとヘレナとは、そのためどんなに愚弄され、苦しみ、泣き、罵らなければならなかっただろう。大戯曲家シェクスピアは、大胆な喜劇的効果として、パックの草汁をつかったのであろう。彼の時代の観客は、その騒々しい粗野な平土間席で、昨日帝劇の見物がそれを見て大いに笑ったその笑いの内容で、笑って見物したであろうか。この世にありえないことがわかりきった安らかさで笑っていた、その笑いを笑ったであろうか。ルネッサンスは、近代科学の黎明ではあったけれども、錬金術師のフラスコと青く光る焔とは、まるでその時代の常識に、真黒くて尻尾のある悪魔を思いださせた。魔法の汁で恋のまことが狂わせられるということもないといえないこととして、シェクスピア時代の観客は、笑いながらも本気まじりに、パックのわるさの成行を注目したことであろう。それだからこそ、劇的効果はいっそうつよめられる。
 日本の若い人々の間で愛の真実は、無惨な戦争による生別死別によって狂わされ、ためされた。今日の社会生活全般の不安定な錯雑したいきさつの間に、愛の堅忍と誠実とが試みにかけられつつある。親の権威よりはるかに強く猛々しい社会不合理に面しているのである。
 その国の民主主義が社会主義の段階まで到達しているところ、そして、非条理なナチズムの専制に献身して闘ってそれを撃破しえたソヴェト同盟の文化が、シェクスピアをとりあげる場合、それはまたおのずから異っているであろう。成人したとき、人々はゆとりのあるこころもちで、自分たちの少年時代、青年時代を回想し、その自然発生する人間性がさまざまに現わされた経過を、微笑して顧み、語る。社会連帯のつよさでかえって個性が護られ、家庭や母性が確立し、勤労による財産の蓄積さえ安定されている社会で、はるかとおいルネッサンス時代に、人間が自分の人間性をどのように発揮しはじめたかということを舞台で眺めるのは、さぞや興味深いことであろう。それは、明かに今日にあっても同感される昔噺の一つである。「オセロ」を、嫉妬からデスデモーナを殺す悲劇の主人公とは見ず、相互に与えられていた信頼を裏切られた心の破局と理解することもわかる。そういう今日の共感に交えてデスデモーナのオセロにたいする封建的な屈従と畏怖とが、大切な愛をおどおどとさせ、才覚とほんとうの正直さとを失わせ、一枚のハンカチーフを種にイヤゴーの奸策につけ入らせた。そのルネッサンス女性の暗愚さは、ソヴェトの若い観客の目からけっして見落されてはいないに違いない。
 大人になりきった人は、少年から青年期の無思慮な思い出にたいしてさえも微笑むのだけれども、いままさに十七歳であり、少年と青年とのあいなかばした成長の過程にあるものが、直情径行に願うことは何であろう。それは、ひたすらに一人前の青年であろうとすることである。日本の民主の段階はここにある。それであらゆる面で大人になることを欲してこそ、自然である。幼年と成年、老年と自身との間に、鋭い歴史的自覚の線を感じ、それをおしすすめ、新民主主義という自身の興味つきない課題を完遂して、世界の中に一人前になろうと欲してこそ、自然なのである。

 燦く石にさえ、宝石として一つ一つにさまざまの名がつけられている。人間が、驚歎すべき生命の消費に耐え狂乱的に見えるまでに、その理性を試しつつ進展させて来た社会の歴史の一こま一こまに、独特な価値、その美しさがないということはありえない。わたしたちの精神が自身面している歴史の波瀾のうちに美と詩と慰藉とを見いだしうるのは、わたしたちの精神がしっかりとその脚の上に立って、ゆくべき一筋の現実の道をそこに把握し確信したときである。私たちの善意が強力な構成をもったときである。
〔一九四六年十月〕





底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「世界」
   1946(昭和21)年10月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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