一九四六年の文壇

――新日本文学会における一般報告――

宮本百合子




        序

 昨年十月から今年の十月まで一年が経ちました。その間にはずいぶんいろいろのことがございました。昨年の八月以後、私どもが新しい人間性の確立と民主的な社会生活の確立、それに応じた文学の方向の確立とを求めて動きだした当時から今日までの経過の中には、はじめのころ私どもの、単純かもしれなかったけれども初々しい希望に満ちた心持が、さまざまの関係のうちに変化をうけてきてもいるわけです。一般情勢の変化といわれるわけですが、その移り変りのうちにも一年のはじめの四分の一、つまり一月から三月くらいまでと、それから今日にいたるまでの間には非常に変化が現れました。その根本は日本の民主化の課題が、現実にどう進展しつつあるかということと、きっちり結ばれているわけです。先ほど中野重治さんが「反動文学との闘争」に関する報告の中で、たいへんわかりよく概括していられたように、日本の民主化はけっしてすらすら行われておりません。良心的に行われていません。正直にも行われていません。政府は自身の権力を保持したいために、私ども日本人すべてが持っている新しいいろいろの可能性へのきりかえを、非常に嫌っています。それはこんどの憲法を見てもよくわかることですけれども、ああいう「主権在民」の中途はんぱな扱いかたは、私どもが民主を求めて生きている感情に直接影響してきています。
 民主主義憲法といいながら、政府は五月一日にそれが実効を発生することを避けました。しかも、今年の五月一日は私たちすべてにとってどういう日であったでしょう。あの日に私どもが感じた感情というものこそ、今日日本の民主的な動きかたの感情のある一つのはっきりした現れであったということが認められます。それだのに政府は五月一日に実効を発するのは嫌だと、十一月三日に発布しました。(十一月三日は、明治以来天皇制支配の一つの記念日です)主催在民の民主憲法を五月一日の世界のメーデーからわずか二日だけおくらして五月三日に実効を発せしめなければいやだという、その感情、そのものが今日の支配者、権力者が感じている民主主義というものへの考えかたをじつに適切に表現しています。なぜメーデーと一致してはいけないのでしょう。
 こういう日本の民主化の過程にあらわれている変な歪み、それが文学の面においても反映しています。民主的文学確立の過程は、非常に錯雑しており困難しております。日本において民主化の諸問題が歪むのには、すこぶる深刻な後進的、半封建的条件が作用しているわけですが、それがまたある場合には外部的な力と結合されて、いっそう複雑になって来ました。ほかの国に資本主義が存在している以上、たとえ民主主義の確立している資本主義国においてさえも、今日ではさらにその民主主義を高め発展させなければならない矛盾と困難とが加わっております。
 発達した資本主義的民主主義の国でも、その発展の矛盾の一つのモメントとして、前進性をもたない部分を生じてきているのは自然であり、その影響が、日本のさらによりおくれた部分と結びつくことも想像しやすいことです。
 こういう急速な推移の中で、文学は一年間生活をしてきたわけです。私たちは新しい文学の中につよくヒューマニズムを求めています。民主的文学を求めています。私どもはそれを心から求めている。が、それらは私どもの希望するような創造活動として現れているかといえば、けっして、単純に肯定しかねる実際だと思います。混沌と、混乱が目立っていると思います。

        今日の文学とジャーナリズム

 文学は新しく出発してゆこうとしているのですが、さてその物質の基礎はどういう新しい条件をもっているでしょうか。
 実際において、今日の文学は、やっぱりジャーナリズムの上に立っていることは否定されません。そのジャーナリズムは、民主的要素を加えてきたのは確かですが、本質において資本主義のジャーナリズムであり営業として利潤を求めているものです。現在日本には文芸雑誌だけでさえ三百余種の雑誌が出ているそうです。中にはそうとう大きい同人雑誌も少くありません。中でも特徴的な出版は鎌倉文庫の出版であります。ヨーロッパ文学の歴史の中でも経済力のある作家たちが集って、自分たちの出版雑誌社をもったことはたびたびあります。しかしその場合ほとんどすべてが商業主義の出版と、営利的なジャーナリズムにたいして、文学・芸術の独自性を守ろうとしたことが動機です。アメリカやアイルランドの小劇場は興業資本にたいして、金儲け専一でないほんとうの劇場、ほんとうの演劇をもちたいという希望をもつ人々によって創られたものでした。出版事業にひきずられっぱなしでない出版をして、たとえば、ヴァージニア・ウルフ夫妻が中心でこしらえていたような出版社をこしらえていたこともあります。ところが日本の今日は、その点、非常に注目すべき現象を持っています。たとえば鎌倉文庫は出版インフレ時代に経済的ゆとりをもつようになった作家たちが集って、財産税だの新円の問題に処してつくられた株式会社のように見えます。営利ジャーナリズムとして存在しつつ、作品発表の場面も確保してゆく。利潤の循環が行われる仕組です。出版会社、鎌倉文庫は『人間』『婦人文庫』その他『社会』までを出しています。『社会』第二号の口絵にのせられた貝谷八百子のヴァレー姿の写真を人々はなんと見るでしょう。こういう写真をのせる『社会』を出している会社を川端康成その他がつくっているということについて、感じるおどろきはないでしょうか。
 ある種の文学者たち自身が営利的ジャーナリズムに関与しはじめたということのほか、今日どういうやりくりをしてか三百余種の文芸雑誌があるということを思えば『新日本文学』が紙のないためにあんな薄っぺらなものを間遠にしか出しえない事実は、私どもを深く考えさせます。日本の民衆が持っているはずの言論の自由・出版の自由ということは、はたしてどのように実現しているでしょう。民主的出版は芽生えのうちに、用紙のおそろしい闇におしつぶされかけています。日本出版協会の用紙割当は闇紙への権利確認のような実状に陥っていて、政府はさらにその用紙割当を自分の掌の下でやろうとしています。
 出版面における戦犯出版社の問題も不徹底に終りました。彼らのこしらえた自由出版協会に参加している戦犯的な出版社はむしろ用紙割当の上位をしめているありさまです。
 文学作品との直接のつながりから見ますと、今年の一月ころから三月ころまでの間最初の四半期は、さっきちょっと触れたように、民主主義が初々しく、ややまじめにあつかわれた時で、まだそこにどんなはみだしや歪みが出てくるのかわからないから用心ぶかくやってみるという足さぐりの時代だったわけです。
 この足さぐりの時期には、戦争遂行に協力した作家たちは作品発表をせず、ジャーナリズム自身の存在安定のためにも、執筆依頼はひかえておくという工合でした。永井荷風がある時期にあのような作品を続々と発表したということには、日本の現代文学の深い悲劇があります。荷風は、明治四十年代にフランスへ行き、当時のフランス文芸思潮の中で、デカダンスは、フランスの卑俗な小市民的人生観にたいして反抗する精神の一表現であるということを見てきました。自分もそういう意味でのデカダニズム、反抗精神の一つの現れとしてデカダニズムを近代人たる自分も持つつもりでいました。ところが、日本へ帰ってみると、日本の半封建の精神とフランスの近代性、フランスのデカダニズムの社会的精神的必然との間に非常な歴史的地盤の相違があって、永井荷風は、自分の見いだそうとした精神のよりどころを、当時の日本の社会対自身のうちに見いだせなかった。封建的な日本と闘ってゆくその自由さえ、デカダニズムをもって抗すべき近代小市民生活の自主性さえ、日本には確立していない。その結果荷風は、ヨーロッパふうな社会的なものの考えかたは放擲して、自身の有産的境地のゆるす範囲に※(「革+(韜−韋)」、第4水準2-92-8)とうかいして、好色的文学に入ってしまった作家です。社会に発現するあらゆる事象を、骨の髄までみて、そこに出てくる膿までもたじろがずに見きわめる意味でのデカダニズムからははるかに遠くなってしまった。年齢と経済力とに守られて、若い幾多の才能を殺した戦争の恐怖からある程度遠のいて暮せたこの作家が、それらの恐怖、それらの惨禍、それらの窮乏にかかわりない世界で、かかわりない人生断面をとり扱った作品が、ともかく日本で治安維持法が解かれた直後のジャーナリズムを独占した、ということは私どもにとって忘れることのできない現実だと思います。
 志賀直哉の「灰色の月」、佐藤春夫の作品なども同じようにはじめの四半期に現れました。が、これらの作家の作品は、私どもの文学世代がすでにその人々の足の下からはるかに遠く前進してしまっていることを痛感させたと思います。
 三月から後、いわゆる働きざかりの中堅作家がジャーナリズムの上に出てきました。これらの作家がカムバックしたといわれています。「カムバック」というのはどういうことなのでしょう。
 いままでジャーナリズムの上に作品を発表しなかった人々が書きはじめた、ということをカムバックといわれているようです。しかし、私どもが文学の問題として研究したいのは、これらの作家が、ただジャーナリズムにおいて執筆依頼をうけるもののリストの中にカムバックしたものか、それとも、文学そのものにおいて再出発する可能を示したという意味でのカムバックであるのかという点です。全部が全部ジャーナリズムの上へカムバックしただけだということは大ざっぱすぎる表現でしょう。しかし、非常に大きい割合で、ジャーナリスティックにカムバックしただけの作家が目立ちます。
 その理由の一つは、ブルジョア・ジャーナリズムの「商売」の必要ということです。一定の紙面をふさぎ、よませなければならないのに読ませるものがない。新登場をもって賑わす新人がいません。しようがない。そのうち文化上の戦争責任追及もうやむやになったし、日本の保守傾向の存在できる幅のひろさも見えはじめたことから、頼んでいる人自身が尊敬もしていない、けれどなにしろ読む人がいるのだから、と書かせる。そういうことでジャーナリズムに作家たちがずるずるとカムバックしました。
 ある一つの綜合雑誌の目次を見たら、論説に羽仁五郎、細川嘉六、信夫清三郎、平野義太郎という人々が並んでいるのです。その同じ雑誌にどういう小説家が並んでいるかといえば、永井龍男その他丹羽文雄という工合です。今日の文学が評論界、思想界との間に相当のギャップを持っていることがはっきり見えているわけです。こういうふうにして既成作家のカムバックということにしても文学的カムバックが比較的少なくて、ジャーナリスティックなカムバックが主流をなしているその事実は、さきにふれたように日本の民主主義の今日における一つの特色ある様相です。作家自身としての問題、文学の問題としてみれば、それは結局、先ほど戦争犯罪と文学について中野重治が批判していたように、私どもが自分の心の中に自分の発展方向として、戦争時代に文学者としての自分の生きてきた生きかたをほんとうに突きつめてみるということが、まだ十分にやられていないということです。その重要な発展のモメントを、文学的に、浅薄器用にあつかって、お茶を濁している傾きがあります。
 阿部知二は南方経験を作品に書きました。「死の花」という作品が『世界』に出ていましたが、作者が目撃したその土地の人の蒙った残酷な運命、やがて非合理に殺されてしまうことを書いています。その作品で作者は、主人公たる自身がそれらの実状を目撃する立場にあるという、その深い事実についてなんと感じたかという小説の大切な最も小説らしい部分で、けっしてやぼに苦しんだりしていません。「この俺がこんな所にいるなんて! なんてことだ!」などとは書いていません。偶然持ってきた聖書に「われを求めざりしものに問い求められ、われをたずねざりしものに見いだされ、わが名を呼ばざりし国に」というところでハタと本を閉じた、と書いています。それで、主人公が心ならずも置かれている場所ということを現わしているつもりです。
 作者は、わが名を呼ばざりし国に自分はよこされている、つまり自分はこういうゴタゴタや残酷の中に関係していることは自分の希望ではないのだということを言外にほのめかしているのです。文学の問題としてみた場合、こういうテーマの扱いかたはきわめて浅薄です。
 丹羽文雄は報道班員として行った特攻隊基地の実際の腐敗を、自分の内面生活にかかわりなくつきはなし、それとして描写して、作品としては読ますが、それ以上、文学的人間的感動をもっていない安易な態度があります。もうちょっと気がきいたような作家は、自分が、疎開している田舎で文化的な要求を持っている国民学校の先生が逢いにきていろいろの話をしてゆく。その国民学校の先生はリベラリストで、戦争の見とおしについて懐疑的な批判を持っている人です。そういう対話を主人公との間に交します。当時あのように禁じられていた話題をとりあげる以上は、主人公がリベラリストであるという裏書をその国民学校の先生の話によって与えさせている。手のこんだアリバイの示しかたです。
 ここに「北岸部隊」というものを書いた一人の作家があります。農村から、工場から、勤口から、学校から兵隊にされていっている人たちが、人間らしく悲しみ、人間らしく無邪気に歓び、死にさらされているありさまを目撃して、それを人々に伝えたい、という意企で書かれたものかもしれません。「北岸部隊」はそのもう何年か前に作者に印税を与えていまは人目にふれなくなっているものです。しかし、このごろ東京裁判で、私たちが知らされていることはどうでしょう。「北岸部隊」の兵士たちは、彼らが一人一人であったらしなかった非人間な惨虐を行い、あるいは行わせられたことを知りました。これは私たちすべてにとって心からのおどろきであり苦痛です。
 だいたい芸術家というものは現実を綜合的に感じとる能力をもっているはずだと思います。人間としての良心、芸術家としての良心に立って書いたと思っていたものが、すぐその作品の後で信じがたいくらい暴虐なことが行われていたことがわかったとき、「北岸部隊」の作者は兵隊たちと、自分と、一般民衆に加えられた欺瞞と侮蔑にきびしく心をめざまされ、現実をそんなにいいかげんにしか扱えなかったことに作家としての自身をむちうたれ、悲しみと憤りにたえがたいところがあろうと思います。作家としての目の皮相さについて、慙愧ざんきに耐えないのが本当です。自分としての動機が純であればあるほど、この打撃は痛切なはずです。そこにこそ、その作家にとって昨日はなかった今日および明日の芸術のテーマが与えられているわけです。作家として意欲するにたりるモティーヴがあるわけです。そして、このテーマこそ、日本民衆の心の底からともに鳴ることのできるものではないでしょうか。今日、その作家が、忠実にその点をとらえて新しい自分の文学の一歩を前進させたならば、それこそ日本文学の問題として意味あるカムバックです。三月ころから後いわゆるカムバックした中堅作家のほとんど全部がジャーナリズムの安易さによって活動しはじめて、自身にとっての真の文学的発展のモメントは、かえってイージーに流してしまっている点は、こんご新しい文学の発展について語るについても、けっして無関係ではありえない点と思います。

        交錯する諸傾向

 ジャーナリズムの上にこのようにして再登場してきた既成諸作家一人一人の傾向はたがいに錯雑しています。戦前のようではなく、戦争中のままではもとよりなく、さりとて、ほんとうに民主的になろうとし、旧套から脱して人間らしい人間に立ち上ろうとする意欲と力に満ちているというのでもない。
 舟橋聖一の「毒」に示された一種の露悪的な文学の傾向があります。石坂洋次郎、丹羽文雄などもその傾向の作品を示しています。舟橋聖一、丹羽文雄などという作家は、そのときはこういう時代だったんだ、という態度でつきはなして、露悪的に戦時の現実を見て描いているのが特徴です。作家としての自己の人間的探究とか、一定の環境において人間・作家として感じる責任という点は抹殺して、主人公の卑劣さ、劣等ささえ、外部の力のせいであるという他力本願の扱いかたです。これは、過去の文学において、個人の確立がされていなかったことのいっそう複雑にされた反映ではないでしょうか。
 芸術というものはいつも自分からぬけ出てゆこうとするもの――自己の発展を求めるものとしてあるべきだと思います。悪循環の下に居直ったように、俺が悪いんじゃない、あの時はあれでしようがなかったのだ、というような人生態度は芸術的に人間的に低俗で、長いものにはまかれろ式なものであり、近代文学の本質的な意欲のないものと思います。
 一方にはまた、戦争中べつにいきり立ちもしなかったけれども、社会生活と個人の身の上におこる起伏を歴史的現実としてはっきり把握せず、ただ自然主義風に、世の移り変りとして見ている態度の作家と作品があります。宇野浩二の「浮沈」などを代表として。
 さらに昨今の特徴として目立つ傾向はデカダニズム、またはエロティシズムです。織田作之助、舟橋聖一、北原武夫、坂口安吾その他の人々の作品があります。
 個々の作家についてみればそれぞれ異った作風、デカダンスの解釈とエロティシズムへの態度があるけれども、総体としてみて、今日、新しい人間性の確立がいわれている中で、デカダンス、エロティシズムの文学が流行していることについては注目の必要があると思います。
 日本文学におけるデカダニズム、エロティシズムは、悲劇的な系譜をもっているといえないでしょうか。ヨーロッパの近代文学におけるデカダンス、エロティシズムは、つねに、小市民的町人的モラルにたいする反抗として現われました。日本の近代文学におけるデカダンスやエロティシズムは、封建的な形式的道義・習俗にたいする人間性の叛乱としてあらわれたものでした。古い例でいえば、徳川末期の武家権力の崩壊期に、経済的実力をもってきた町人階級が、士農工商の封建身分制にたいする反抗として遊里という治外法権地域をつくり、馬琴の文学にたいして、京伝らの文学をもった場合にもこのことが見られました。町人文学と劇、浮世絵は、封建の身分制から政治的に解放され得なかった人間性が、金の前には身分なしの人身売買の世界で悲しくも主張されたわけでした。婦女奴隷の上に悲しくも粉飾された町人の自由と人間性との表示でした。
 明治四十年代の荷風のデカダニズムはさきにふれたように、正面から日本の歴史的軛に抗議することを断念した性格のものであったし、大正年代に現われた谷崎潤一郎などのネオ・ロマンティシズムの要素も、同時代に擡頭した武者小路実篤のヒューマニズムと等しく、幸徳秋水事件の反動として、社会的な人間性の解放を問題とせず、自分たちの生きている社会の歴史的現実から飛躍した一般人間性尊重とその主観的な表現としての官能への沈湎でした。一九三三年プロレタリア文学運動が圧殺されて後、反ファシズムの運動として世界におこった人民戦線の活動が日本に伝えられたとき、治安維持法の脅威によって、日本における人民戦線の紹介者は、極力、「社会性を問題としない」人民戦線にとどめようとしました。ファシズムというものが、一つの組織された政治的圧力であるのに、それに抗すべき人民戦線が一般ヒューマニズム擁護というモットウにだけ解消されて、民主的な社会的政治的本質を抹殺して、一つの勢力として存在しえないことは自明です。日本における野蛮な抑圧は、人民戦線を無社会性のものと不具化し、その結果ヒューマニズム論議も不徹底となって能動精神の主張となり、それらの主張から生れた作品は「若い人」のような無目的で素朴な生活力の氾濫の描出に終りました。プロレタリア文学が、主張した人間性の解放は、社会的現実である階級の解放ともなるものとして理解されていました。したがって人間性の解放とその自由の要求には、過程として当然さまざまの社会的相剋、封建性とのさまざまのたたかいをさけがたいものとしていたし、そのたたかいを終極の勝利に導くためには、一見、人間性の解放とは逆のように見える集団の規則、献身、克己をさえ必要と理解していました。それらの、歴史の過程が私たちの現実に課す制約は、一九三三年以後すべて「セクト的な強制」というふうに感じられそれを公言することが流行となり、ヒューマニズムという旗は、無軌道な人間感情の氾濫という安易な線に沿ってひらめいたのでありました。日本の近代精神において、ヒューマニズムがいわれる場合、ほとんど常に、それが感性的な面のみの跳梁に終るという現象は、それ自体日本の近代精神の非近代性を語っていると思います。日本の精神は市民社会を知らず、自分一個の存在の社会的脊骨を自身のうちに実感するところまで成熟していません。少年が最初の自我を自分の肉体の上に発見するように、未熟な近代日本の精神が今日においてさえ一番よくわかる人間性として自分たちの肉体の性的行為で集約・表現しようとしているのは深く考えさせられるところです。
 昨今注目されているデカダンス、エロティシズムの傾向も、その作家たちの主張するところによれば、いずれも封建的な日本の偽善と形式的独善の風習への反抗であり、ある主張によれば軽薄にいわれている日本の民主的解放という流行語にたいする辛辣な反措定としての人間性の露出と主張されています。坂口安吾の「デカダンス論」はこの点を力説しています。しかし、発展的に推進する人間性そのものの自然な姿、その精神と肉体との過程としての人生とその芸術を考えたとき、たとえ、私たちの闘うべき封建性にたいしてであったとしても、単に反措定的存在に止るということは、それ自体一つの闘われるべき安易さへの停滞ではないでしょうか。横光利一・小林秀雄というような人々の悲惨は、いかに文飾したとしても、自身を、日本の民主的文学の伝統に固定的に対置させた反措定としての存在以上に発展せしめる人間的能力をもっていないという点です。そのために動的な歴史の過程にあっては真実の反措定でさえもありえず、単に反動的存在でしかありません。今日の世界歴史の段階は、日本の作家に少くとも性的表現以外に人間性を主張し行為し描出する可能を与えています。私たちこの精緻な人間が、性器に還元された自我しか自覚する能力がないとしたら、それは病的です。性的交渉にたいして精神の燃焼を知覚しえない男・女のいきさつのなかに、この雄大な二十世紀の実質を要約してしまうことは理性にとって堪えがたい不具です。文学の世界、芸術の世界では、どうして、こういう人間性の崩壊が、あやしまれず、かえって文学的だとして存在するのでしょうか。それらがとりあげられず、その悲傷において、その克服への熱望においてそのものとして肯定を強要して存在するのでしょうか。
 久しい間沈黙していた豊島与志雄がこのごろ「塩花」などをはじめ、若い女性を主人公とするいくつもの作品を発表しています。初期からシンボリックな作品を作っていた豊島氏のこれらの作品をよむと、作者は、この人生に私たちが求めるおのずからなる清らかさ、すがすがしさ、偽りのなさを、若い女性の自然発生の感情を描写することで表徴しようとしているようにも思えます。しかし、私たちの心のたえることのない欲求である社会的な清らかさ、などを豊島さんのシンボリズムではたして表現しきれるものでしょうか。
 それから最後に、今日一種の魅力になっている傾向に、懐疑的な、自分にたいするサディスティックな自虐的な追求をとおして、人間性の再確認と正義の建設への意企を表現しようとする試みがされています。そういうグループの作家の語彙ごいには非常に「苦悩」とか「汚辱」とかいう言葉が多くつかわれます。その代表的なのが、高見順の「わが胸の底のここには」という『新潮』に連載されている作品です。文学好きというような人には、そうとう読まれていると思う。
 この「わが胸の底のここには」という題は、藤村の「我が胸の底のここには言い難き秘事住めり」という文句で始まっている詩からとられた題だそうです。この小説はまだ四回しか出ていない。どういうふうになって行くのか今からはわからないけれども、幼年時代のことから書きはじめられて作者の社会的な成長を書こうとしているものです。だいたい、人間の生きかたというものを表から明るくばかり見てゆくものがリアリスティックな文学ではありません。群像の浮彫に、深い明暗があるとおり、立体的に把えられるべきものだが、「わが胸の底のここには」は、いわば鋳ものの裏の方からそのへこみばかりを辿って人間性のもり上りを見てゆこうとしているような作品に思えます。その作品の第一回の三分の一ぐらいは、いかにもこの作者らしいメロディーでその文章は身をよじり、魂の声を訴えようとヴァイオリンの絃のごとき音を立てている。その部分では高見順はまるで縷々るるとして耳をつらぬき、心をつらぬかずんば、というような密度のきつい表現をしている。それはいくつもの響の調和された、幅のある音でなくただ一本のヴァイオリンの絃が綿々として身をよじっているんです。そういうふうな身のよじりで、自分の四十歳までの生活は幼年時代の汚辱の中につながっているというように、非常に悲傷めいた表現が強く書かれている。
 ところがこの作品は第二回目になると、まるで子供時代の昔語りになってゆきました。書かれるモティーヴが強烈でなくなって、楽な昔語りになってしまった。第一回目の冒頭にメロディアスな技術で奏ではじめた、わが汚辱をえぐりあばくという文学の身がまえがくずれてしまっています。そうして、第三回目には、第一回目冒頭でかなでられたメロディーが作者の心に甦ってきた。そして自分の書く態度について反省をしている。つまり四十歳の人間が老いるということは何だ。何事であろう。自分はもう生きる力をどこかへなくしてしまったのだろうか。もう一度生きるためにもこれを書かなければならない、と書いた第一回のこころもちが第三回目になって思い出されたわけです。
 芸術的老衰ということが、書けないということでなく、あまりにすらすら書けるということにも老衰があるということを、この作者は第三回にいっている。そして、自分がすらすら調子よく書きはじめているということ、これはなんだろうか、と反省をしている。第一回で、羞恥ということはわれとわが身を摘発することだ、と書きはじめている。その「ぱッと顔の赤らむ直截な感情である」羞恥とはなんであろうか、ということをこの作者は生々しい感情から扱いえなくて中村光夫さんはこういうふうに論じている、誰それは、というふうに、と羞恥論をやっています。羞恥という言葉は、この作品のなかにどっさり出るけれども、作品の現実の中ではじつはけっして敏感に生きていません。たとえば第二回のところではこの感情を中心的に扱っていて、一中に入ろうとした時、自分が私生子であるということを知ってたいへん苦しみ、うちへかえって嫌だ嫌だと気狂のように大荒れに荒れる、その絶望の心を書いている。そのきっかけは花村という少年が「君一中に入ったのだって」といったことからはじまります。金がないから一中に入ったって困るだろうということと思った。ところが、一中のようなちゃんとした学校では私生子のようなものは入れないということをその子供は親から聞かされていたから、そんな意味でいったのでした。主人公である私生子の少年はそのために非常に苦しんで大愁嘆場が演じられるわけです。そういうふうな物語りが第二回に語られていて作者は、これらをすべて痛めつけられた自分の記録として語っています。第三回目に、すらすらと羞恥とはいったいなんであろうか、と作者はいっているのですが、読者とすれば、この作者はそとを見てそれを研究する必要はないのに、と感じるんです。なぜなら、主人公である少年が自分で溝にはまって着物をたいへんよごしたとき、それを母親がひどく叱ると、花村という少年が自分を溝へつきおとして、着物が汚れたと嘘をつき、花村に無実のつみをきせます。すると、花村の家に母親がどなりこんで、かえって花村の親父から罵倒されたという物語があります。どうせ私生子を生むような女は、と悪態をつかれることなどを聞いていた花村が、主人公の私生子であるということについて大人からうけうりの偏見を持ったわけであり、その動機は、主人公の少年の卑屈から出たうそでした。汚辱、羞恥とは自己を摘発することだと第一回にいわれているほんとうに痛烈なモティーヴが作者にありますならば、どうして作者は、花村が、私生子であるということで自分をいじめ、自分がきずつけられたとき、花村にそう云わせた動機は主人公の少年によってつくられていたこと、そして、私生子そのものが羞辱ではなくて、うそをちょいとつくその卑屈さこそ、人間性探究というテーマの上から見のがしがたい穢辱、羞恥であるということにぶつからなかったでしょう。作者の心に真実一貫したモティーヴであるなら、こういうモメントこそ作品の核をなすものであることが理解され、くっきり痛いように浮んでくるはずです。
 私たちが作品を書いている時、ある一つの心理を現象的にすらすらと書いて、さて、汚辱、羞恥とは、と改めて考えなおすというようなことがあれば、汚辱といい羞恥といい、言葉そのものの響きは切なるものでも、作者の現実でその苦しみは、浅いものであり、原稿紙の上に書かれているものにすぎないということを痛切に実感すると思う。ですから一部の批評は高見順の「わが胸の底のここには」には頭が下るといっているけれども、モティーヴが腹にすわっていない、ふらふらした作品です。書こうとするものの本質がつかまえられきっていないのです。
 今日たくさんの人たちが、のほほんとして「あの時はあの時のこと」と白を切っているような文学の態度を示しています。それにたいする一つの抗議として高見さんの小説の態度は買われるのでしょうし、作者として敏感にそういう要求をもつ今日のインテリゲンツィアの心理に反映して着手された作品でしょう。しかし自己剔抉てっけつということも主観の枠の中でされると、枠のひずんだとおりにひずむしかないという意味深い一つの例だと思います。今日の歴史に生きるには、それに先行する時代から受けた苦しみそのものの中に沈潜して、そこから自分たちのこれからの新しい発展を辿りださねばならないという気持が、広汎にあります。そして、自分たちの経験を発展の母胎と見、それにいちおうは執しようという心持は、民主主義文学のいわれている今日の日本で独特の混乱の源泉となりました。日本文学の伝統の中に近代の意味での自我は確立していなかったのだから、ブルジョア民主主義の段階において、個人個性を確立させ、それを主張することが今日の文学の任務だという理論から、インテリゲンツィアをふくむ全人民の民主的な社会生活への推進という方向へ動かず、むしろそういう社会の潮流に抵抗して、個人をがんこにそういう流から孤立させ、社会歴史から抽象し、「個別経験の特殊性」という心理の主観的なコムプレックスに立てこもって意怙地であることに意味があるとする一つの傾向があります。『近代文学』を中心とする平野謙、荒正人その他の人々に共通な傾向だと思います。
 どういう原因が、こういう複雑な心理を生んだのでしょう。私たち日本人の文学を、こんなにもひねこびれたものにしている原因を、はっきり知らなければならないと思います。「個的なもの」に、偏執する人々の心理の原因の一つは、つまり過去十何年もの戦時中、あまり無視され、蹂躙されつくした自分というものを、今こそ擁護し、自分の生きている価値を主張しようと奮いたつ感情であると思います。第二の原因は、そういう心もちがつよいのに比べて、過去の日本の市民精神の欠如から個性と社会とのいきさつを、科学的につっこんで把握する能力が育てられていないために、今日、民主主義文学といわれると、それさえも過去に自分を強制した、その強制の一変形でありそうに感じて、抵抗する心理です。しかし、この心理はいつもけっして、当事者たちによってその動機そのものを率直に示されません。昔のプロレタリア文学運動にたいする政治的偏向の批判とか、文学における世界観の課題にたいする過小評価、作家論の場合は平野謙の小林多喜二にたいする批評などのようなまったく本質からはずれた形をとります。そして、一貫してプロレタリア文学運動に指導的な影響をもった日本の前衛党にたいする反撥・自己主張の方向を暗示していることが目だちます。これは、じつに私たちにさまざまの感想をよびさまします。日本のインテリゲンツィアにはなんと自主の実感がかけているのでしょう。日本文学の精神には、なんと、自分から自分をぬけ出てゆく能動力がえているのでしょう。文学にたずさわる人々をこめた人民感情そのものの中に、自主たろうとするやみがたい熱望が覚醒していないために、これらの人々にとっては自主でなければならない、という民主主義のよび声は、自分のそとから、一種の強権の号令であるかのようにきこえるらしいのです。わが身に痛くこたえているから封建的なものを嗅ぎわける神経が病的にするどくなってきている人々は、自身のうちにある近代精神の後進性は自覚しないで、同じ神経を民主主義の翹望の方向へも向けて、日本で民主主義という、そのことのうちにある封建なものを熱心にさがし出し、その剔抉に熱中しているのだと思います。
 なるほど、日本はあまりおくれているから、いろいろな形、ニュアンスで封建的なものはいたるところにのこっています。最も民主的であるはずの前衛的部分にも、十分近代化され、科学化されきれない政治性というものも、のこっているでしょう。けれども、そうだからといってプロレタリア文学運動を語るとき、権力の側から組織された封建的絶対主義の破壊力として治安維持法を無視して、政治的偏向を云々する、ということが適切でしょうか。作家の目が、より複雑に現実を理解し洞察するためには、科学的に社会をみる世界観が必要であるという事実を過小評価して、世界観だけで文学がつくれるか、というふうな、いいがかりのように反駁を主張することは、はたして文学者らしい聰明さでしょうか。どこの、どんなまぬけも、世界観そのものが小説を作る力だなどととは思いもいいもしていないときに。――
 こうして、今日一部の文学者は、彼らの壮年の精力を保守反動と客観的には批評される方向に徒費しているのですが、それというのも、今日日本の民主主義の性質を、しんから会得していないからではないでしょうか。
 ブルジョア民主主義の達成が眼目ではあるけれども、その歴史的担当者であるブルジョアジーというものは、日本ではヨーロッパ諸国のブルジョアジーとまったく違った経歴をもってきています。明治維新に新しい権力者となった封建領主、下級武士たちが半封建的な本質をもっていたことは明瞭です。日本のブルジョアジーというものは、そういう半封建者たちの庇護のもとに、それとの妥協で、自分たちをのし上げたのであって、階級として擡頭したはじめから、封建性にたいする否定者でありませんでした。ヨーロッパのブルジョアジーは、封建性をやぶって、社会生活に革命をもたらしたのでした。自主なる人民としてのブルジョアジーを、王と貴族と僧侶の支配にたいして、主張したのでしたが、この日本のブルジョアジーの特質は、はじめから、革命力を失った階級としてあらわれ、したがって彼らの力で、憲法だって民主憲法はつくれなかったし、民法にしろ、民主的な民法はこしらえられませんでした。
 今日、日本の民主化をいうとき、私たちは、はっきりブルジョア民主主義の完成にたいして実力をもっていない日本のブルジョアジーの歴史性を理解し、日本の社会の半封建性を打破して近代民主主義を確立するものは、ブルジョアジーそのものの半封建性に革命をもたらしうるだけの実力をもつ勤労階級である、という現実を知らなければならないわけです。日本や中国の民主主義の過程が、新民主主義といわれるのは、この特徴的な社会の歴史的性格によると思います。
 したがって、文学がブルジョア民主主義の段階において要求する自我の確立や個性の自主の課題も、基本的には、日本のおくれているこの民主主義の特殊性と一致して理解されないと、とんだまちがいに陥ると思います。インテリゲンツィアをこめる全人民の民主的社会生活への進出が実現しなければ、今日どんな個性、どんな自我も、発展することは不可能です。電車のこと一つ、ヤミのこと一つ考えても、それは承認しないわけにはゆきません。しかもそういうふうに全人民の民主的な社会生活の建設をすすめてゆくために、インテリゲンツィアは現在重大な責任を負っています。勤労階級そのものが自分たちをそこから解き放そうとしている封建的イデオロギーにたいして、各方面でともに闘わなければならないことを自覚した進歩的な文化活動家は、いわば自分を解放するためだけにさえも、日本の全人民の民主化に関心をもたなければいられないという事情にあるのだと思います。
 この現実を、まじめに、しっかりと身にしみてのみこんだとき、私たちは、はっきりとさっきふれたデカダンなまたエロティックな文学からはじまって、『近代文学』の多くの人々の陥っている個的なものの過大評価の誤りを理解すると思います。さっき中野さんが「反動文学との闘争」という報告の中でいったように、「個人を歴史の発展にたいして、対立的に扱ったところに個人の発展はない」というのは、ほんとうなのです。荒正人氏の逸脱した見かたに対して、中野さんが新日本文学に発表した「批評の人間性」という論文は、近代文学グループのあやまりを最もむき出しに示している荒正人氏の文筆活動をとり上げて、批評しようとしたことは、適切であったと思います。しかし、あの論文の書きかたは技術的に理論のアクロバットであったし、第三者に対しても論点を明瞭に示して、問題を正しく会得させてゆくために必要な客観的叙述にかけていたのは残念でした。文学評論が、論争の当事者にだけわかり、その感情を刺激しあうような楽屋おちのものであることは、民主主義文学運動の課題としてかえりみられなければなるまいと思います。
『黄蜂』という雑誌に野間宏という人の「暗い絵」という作品が連載中です。ブリューゲルの暗い、はげしい、気味わるい魅力にみちた諷刺画「十字架」の画面の描写からはじまって、ちょうど一九三七年ころの京大に、かろうじて存続していた学生運動のグループと、それに近づき接触しながら、一つになりきれずにさまざまの問題を感じている深見進介という青年を主人公としたものです。この作品は、さっきから触れてきている社会発展の歴史と個人との有機的な関係の問題の究明をテーマとしている点で注目をひかれました。この野間という作者が、とくに興味のあるのは、その課題を、高見順のように主観的にも『近代文学』のグループの傾向のように一面的に偏執的にも扱っていず、ずっと拡大され、客観的に基礎づけられた社会史観を土台として、しかも、やはり、個人の確立、自己完成の欲求の問題を主人公深見進介の苦悩の中心課題としている点です。この作品において、野間という作者は、そのころの左翼の学生運動を貫いていた日本に関する歴史的展望――「プロレタリア革命への転化の傾向をもつブルジョア民主主義革命の到来」の意味を十分理解して書いているし、その左翼グループから歴史的見とおしの上で対立して学生消費組合の運動の方向へ移り、組合主義、経済主義に陥っていってしまった一団の学生たちのグループについても、正確に本質をつかんで描いています。学生の食堂の高利貸爺のこと、貧しい深見の父の一生、そして、貧しい大学生でコンニャクおでんのおとくいである主人公のこと。これらも作者は、現代社会で金というものが、人間精神をいためつけ、畸型にしている、その自覚から感じる羞恥、穢辱感の憤りと苦しさとして描き出しています。非常にこくめいに、ブリューゲルの絵の方法のように、ほとんどサディスティックに描いている。「自己完成とその不断の努力のあとを自分の肉体に刻みつける」という言葉で考えている主人公をとおして、作者は、すべての情景、思索、行動をいつも深見進介の肉体、感覚を通じてのみ作品の世界のリアリティーとしてもちこんできています。こういう手法もこの作品の特長だと思います。深見進介の眼の虹彩のせばまるところに光りがあり、情景があり、その虹彩の拡がるところに闇がある、そんなふうに執拗に深見の体にくっついてはなれず、その感情を通じてだけ形象の世界を実在させている。その意味で作者の手法は、そういう主人公の生活を見つめようとするテーマと一致しているといえるでしょう。深見進介は、急進的な学生のグループに接触しつつ「そのグループしかゆくべきところ、生きるべきところはないと知りつつ、彼の全機能でそれを感じつつ、一つにかさなりあえず」苦しんでいる。それは自分の政治的認識が不足だからだとも思うが、なお「心がふれるあつく暗い抵抗のようなものを感じ」それは一人自分だけが感じているのではなく「日本の心の尖端である」と感じる。自己完成ということは、日本ブルジョア・デモクラシーの完成という点とかかわりあった課題であると理解し「科学的な操作による自己完成の追及の堆積」を決心している青年が描かれているのです。
 ここでこの作品が注目する価値をもっている点がはっきりしてきます。作者は、主人公が、自己完成を、主観的なおさまりや、観念の枠で形づけようとせず「科学的操作による自己完成の追究の堆積」と理解していることをいっています。科学的ということは、自然科学ではありえないから、社会科学的の意味でしょう。いわゆる文学的にむずかしく表現されているけれども、つまり社会科学的な思索、判断、それによる人間行動の曲折を通じて、より真実に迫りつつゆく社会のなかの自分の足どり、過程のうちに、自己完成というものを理解するというわけではないでしょうか。
 こう解釈しても大してまちがいないと思うのは、この作品で主人公の深見進介が、なにかのモメントで、いつもくりかえし自省している一つのことがあります。それは、自己完成の願望の純粋な発露と、保身的な我執との間を、自身にたいしてきびしく区別しようとしていることです。これは、関心をひかれる点です。『近代文学』の個の主張傾向のうちには、この大切な鋭さ、この感覚が全然欠けていて、目が内に向っていず、むしろ自分のいうことにたいする外部からの反応へいつも目が向いているようでさえあります。
 この作者が「暗い絵」で深見進介の自己完成のはげしい欲求と、我執とが妥協することをけっして許さず「科学的操作」で追いつめていったとしたら、主人公の自己完成の道はどんなところに展け、つきだされてゆくでしょうか。興味があります。
 この「暗い絵」には、まだまだどっさりの過剰物がついています。文章の肌もねっとりとして、寝汗のようで、心持よくありません。しかし、作者は、どうもそれを知っているらしいんです。その気味わるいような、ブリューゲルふうの筆致が、作品の世界の、いまだ解決されない憂鬱の姿を最もよくうつすと思って、ああいうふうに書きとおしているらしいのです。
 りっぱな作品ということはむずかしいけれども、民主主義文学が日程にのぼってきているとき、一人のインテリゲンツィアとして、はっきりその課題を自分の精神成長の過程にその言葉において自覚し、苦悩して生きた作品として、やはり無視できないと思います。プロレタリア文学運動の時代、インテリゲンツィアのこの問題は、こういう筋道では文学にとらえられませんでした。プロレタリアの陣営にうつるか、同伴者として存在するか、反動にかたまるか、脱落するか、インテリゲンツィアの行く道は、そういうふうに幾通りかに単純化されていて、たとえば有島武郎にしろ、芥川龍之介にしろ、自身の生死と人民解放運動とを、あんなに深刻にかかりあわせながら、しかし、はっきり知識階級と民主精神の発展の相互関係のテーマで、作品化する力がなかった。彼らに文才がなかったのではなく、日本の社会と文学の意識が、まだ未熟であったからです。野間という作家が「暗い絵」をどういう工合に完成させるか、そしてさらに、その次には、どういうテーマで、どういう筆致を示すか、注目していいと思うのです。
 このほか、新しく作品をかいた作家として阿川弘之という人があります。『世界』へ「年々歳々」、『新潮』に「霊三題」をかいていて、子供っぽい作品という批評もあったようです。けれど、ほんとうに、ただ子供っぽい、といわれるきりのものでしょうか。少くとも私は、「年々歳々」という作品の、ひねくれない、すなおな、おとなしいまともさに好感をもちました。今日の、あくどい、ジャーナリスティックになりきった、ごみっぽい作品の間に、阿川弘之という人の小説は、表現にしろ、なんでもないようだが、よく感じしめ、見つめた上でのあっさりした、くっきりした形象性をもっていて、ふっくり、しかも正面から感性的に現実に迫る作風に好感をもちました。「年々歳々」を書いたこの作者が「霊三題」の三つ目のような作品を書いていることが、注目されるべきではないでしょうか。出征し、生きて還れた一人の青年が、故国の生活へどういう工合にして入ってゆき(年々歳々)、そこで何を発見し、どんなこころもちに逢着したか(霊三題の第三番目の作品)、ここには、きおいたたない一つの気質を通じて日本の課題が示されているのではないでしょうか。もとより、まだこの作家にとって、どうと決定したことがいえる時期ではありません。が、多様でなければならない新しい文学の一つのタイプとして、おとなしい清潔さ、まともさ、自然主義からは自然ぬけているというような要素は大切にされていいのだと思います。この作者にかぎらず、なにしろ口の中に酸っぱい水がわくような、作品が氾濫しているのですから。

        『新日本文学』の業績と課題

 さて、このように錯綜し、紛糾している今日の文学の動向の間にあって、『新日本文学』はこの一年に、どういう文学的創造能力を発揮してきたでしょう。
 新日本文学会としての組織活動の成果については、べつに窪川鶴次郎さんの報告があると思いますから、それはそちらに願うことにして、私の報告は『新日本文学』の創造的な面にかぎりたいと思います。
 新日本文学会ができたのは、御承知のとおり一九四六年一月で、三月から『新日本文学』が出はじめました。けれども、雑誌の発行はなかなかむずかしくて、九十五ページぐらいのものが、今日までにたった四冊しか出ていません。私どもの文学は楽な仕事をしていないんです。つまり紙の問題です。民主的文学の流れは、これまでいつだって金儲けをしたことはなかったから、今だって闇の紙を、原木と交換で買うというようなことはできません。いかがわしい出版社が、まったくインフレーションにともなう現象としてどんどんできて、妙な雑誌がやたらにできて、それらがみんな紙を買い煽る。ですから、日本の民主主義文学のために意義をもつ『新日本文学』は編集責任者たちにたいへんな努力と心痛とをさせなければならないありさまです。闇紙が日本の民主的文化の重要な新芽をくっているといえると思います。民主的出版の確立のために、用紙の適正な配給を監視するという仕事は、反動文化との闘いの最も根本的な必要だと思います。
『新日本文学』の発行が用紙問題で定期的にゆかないということは、新日本文学会全体の活動に、重大なマイナスとなっていることは、皆さま、御覧になるとおりです。たとえば、徳永直さんの「妻よ眠れ」という小説は、『新日本文学』創刊号からのせられはじめまして、本年前半期において、一般から注目される価値を示した作品でした。徳永さんの御都合で中絶した面もあるでしょうが、ともかくそれは中断されたままになりましたし、だいたい、評論にしろ、どうしても、どっしりと百枚二百枚というものをのせきることができません。薄い一冊の雑誌に、そうとう変化も与え、文学の各方面の話題にもふれようと苦心されているために、比較的あれやこれやを、少しずつという工合になります。これは営利雑誌ならともかく、どんなに幅がひろかろうともともかく一貫して民主主義文学の主流をなしてゆこうとする運動の機関誌としては、じつに感銘力をそがれます。紙面がないから、新日本文学会に集っていられるあらゆる文学者たちの、あらゆる能力をいっぱいに盛って出して、その見事なながめで、日本に新しい民主主義文学への情熱をめざましてゆくという効果は急に期待できません。
 私たちは、こういう困難の意味を、はっきり理解して、根気づよく押してゆかなければならないと思います。『新日本文学』が苦しいのは闇をやる手腕がないから、という角度からだけ問題にされるべきでないと思うのです。この雑誌がめぐりあっている困難は、日本の民主主義そのものが陰に陽に当面している困難であり、今日の支配者たちは、この困難のあることで迷惑していない。私たちは、そこの意味をよく知って、ねばらなければならないのではないでしょうか。
『新日本文学』は創刊号から第三号まで各号、民主主義文学運動のための諸問題を、いろいろな角度から扱っていますが、その執筆者たちは、小説の作者同様、だいたい、既成の人々でした。若い評論家・作家にしろ、みんなそれぞれ一人前に活躍してきている人々が執筆しています。
 ところが、最近出た第四号を、みなさまはどんな心持で御覧になりましたろう。表紙がかわって、ミケランジェロまがいのような裸の男のついた大して見事でもない表紙になりましたが、内容は、この第四号になって、はじめて『新日本文学』が発行されている甲斐があらわれたようにうれしい気がしました。中野重治の「批評の人間性」という論文のほか、平田次三郎「島木健作論」、北鬼助「平林たい子論」、中川隆一「丹羽文雄論」などがのりました。三つの論文はけっしてながいものではありません。また、堂々たる大評論でもないけれど、この三つの論文を『新日本文学』がのせることのできたよろこびは、真実のこもった、ふかいものです。率直な感想をゆるしていただきますが、たとえば『新日本文学』三号までにのったような評論は、指導的な意味をもったものもあり、さもなければ各人各様がおもしろいところなのかもしれないけれども、民主主義文学の諸問題の各面をそれぞれに担当して、ずっとよんで綜合してみれば、なるほど、民主主義文学の発展のためには、これこれの問題があると、しっくり会得できるというふうな意味での客観的な多面性又啓蒙性を示したものではありませんでした。小田切さんは小田切さんでいいたい話題を、佐々木さんは佐々木さんでいいたい点を、そして、岩上順一さんや除村吉太郎氏はまた氏としての話題の運びかたです。今日新しく民主主義社会への展望とともに自身の文化建設の課題として文学をとりあげはじめた人々には、三つを順ぐりよんでいっても一括してまとまった判断をうけとりにくく、文学の美しさで鼓舞されるという感動もうけられなかったろうと思います。小田切さん、佐々木さんなどの論文は、御本人たちとして、自分の云いたいことを云いたいように云っていらっしゃる。云いたいことを云いたいところからめいめい云う、つまり、主題の歴史的な究明や展開なしに読者の理解を眼目におかずそれを書く自分の熱意にだけしたがって書いてゆく、それが民主主義的な文学運動であるかのようです。ところが、民主主義文学運動というのは、云いたいことを云いたいところから云いたいように云うというような素朴なものではないんです。民主主義文学の諸問題、諸探求、それは、書く人のさまざまの個性的ニュアンスで変化をもち多様化しつつ、けっして単なる主観的発言ではなく、民主主義文学というものがこの歴史の中でもっている客観的な本質に即して必然とされる客観的な諸特質が研究され、綜合され、私たちにとって共通な文学の成果としてもたらされてこなくてはならないものです。
 第四号に作家論を書いている三人の新しい評論家たちは、もとより自分の書きたいと思う作家を自由に研究題目としているのですが、注目されることは、このつつましい試作三つともが、作家論というものはどういう方法によるのが最もその作家の真実に肉迫しうるものかということを、地味に、客観的に、社会的に、文学的に究明しようとしている態度です。自分はこういうんだ、というふうの古い個人的押し出しが匂っていないところが、新鮮なのです。そして、この新鮮さというものは、執筆者たちが未だ未熟者で、個性を確立させていないから、自分について臆病であるから、個人の匂いが鼻につかないというのでしょうか。まったくちがいます。この人々の持っている小さいがまともな新鮮さは、もうこの人々の生活感情、文学感情は、古い意味での自分が自分がの主張から拡大されていて、一つの作家論によって自分のもち味を展開してみせる興味よりもっと成長している、という文学の新しい線を示しています。一人の作家をとらえて、それを社会進歩の歴史の方向に立ちつつ、客観的に究明してゆく、その熱意とよろこびのうちに、自身を究明し、自身を発展させてゆこうとする心持が示されています。だから、三つのうち、一つでもよくいわれる「特異な才能」が示されているでしょうか。ジャーナリズムがすぐ買いにくるような意味での特異な才能は一つも示されていません。しかし、民主的な文学なら、必ずそこを基盤としなければならない民衆の健やかで平明で条理のとおった現実的判断が、この試作の基調となっています。読んで、アクのつよい、いやな後味は一つもなかったでしょう? 小さいけれども、まともなものです。『新日本文学』は第四号で、やっと、こういうふうに、かたよった文学人の文学でないもの、あたりまえの社会的人間の情理に立った文学への声を包括しはじめました。こういうふうに行かなくては、『新日本文学』の出る意味がないのです。
『真・善・美』という雑誌の九月号に「小林秀雄氏へ」という公開状を書いた小原元という人は、『新日本文学』に試作を発表した三人のかたよりは、ずっと既成文学のいきさつに通じ、その語彙をうけついでいますが、やっぱり一つの新しい力、新しい存在感の上に立っている方のように思えます。小林秀雄というような評論家は、こういう若い世代の感覚でしか批判しきれないでしょう。
 またこの四号には、小沢清という人の「町工場」という小説がのりました。徳永さんの推薦で、推薦者は、この作品のよい点とともにおさなさをいっていられます。なるほど、おさない、といえるところはあるかもしれないけれども、それは現実を見る眼、現実を感じる心の粗雑さを意味しているでしょうか。私はそう思いません。町工場につとめる若い勤労者としての主人公をとおして作者が社会を感じている人間としての感覚は、けっして荒っぽくありません。ひとりよがりの幼稚さももっていません。こまやかで苦労を知っていて、しかも卑屈でありません。「町工場」を読んだ人は、誰でもこの作品のさっぱりとして、しかも人間らしいつよさにこころよく感銘されるのですが、この小説も『新日本文学』の収穫として、まじめに検討し、この作者の勤労者として、そして小説を書く人としての大成を期待しなければならないと思います。
 この「町工場」の小説としての価値は、私という主人公が勤労生活のうちにあるさまざまの半封建的な、搾取的な細部を感じつつ生きてゆくそのことを、いわゆる、進歩的勤労者の自覚した認識というような観念にてらして描きださず、生きてゆく細目そのもので描きだしているという点です。ひと昔前の勤労者作家には、こういう腰のすわりがなかったと思います。身辺現実を整理するに、なにか道具がいりました。イデオロギーとか社会史観とか、こき出されたそういうものがいった。そういう整理道具なしに日常現実に体ごとはまったまま、それを作品化してゆくだけの力がなかった。足をとられるから、つかまるものがいりました。インテリゲンツィアの場合でみれば、野間宏の「暗い絵」の話のとき、有島武郎や芥川龍之介の文学にふれました、あのとおりです。実感の中にとけて入って、それが社会科学の本はどう書かれているかということにかかわらず、生活と文学そのものの中から、実感をつきつめて、自然、勤労者として正当な、したがって人間らしいテーマの発展を辿っている。
 ここが、じつに着目されなくてはならないところです。世界観と実感と二つを対立させて、モティーヴの切実さが世界観などからは出ない、という論議もあったりしているとき、文学の現実で、この「町工場」なんかは、もうその問題をある意味でとび越えた、若いすがすがしい世代が擡頭しかかっていることを実証しているんです。つまり、勤労者として生き、社会に学び、この作者ぐらい現実の解明力としての勉学の意味も理解していると、いつか、モティーヴそのものの社会性が深まりひろがって、たとえば「町工場」で描かれているような「貧困」そのものにたいしてもおのずから私という主人公と音川という男と二様の勤労者の態度の生れることがつかめ、音川のそれを遺憾とする精神の実感にまでつきぬけてくるのです。
 この「町工場」の内容的な特徴は、徳永さんもふれているとおり文体の上にくっきり出てきてもいます。この文体には一種の気品があります。なぜでしょう。こしらえた気取りは一つもないが、描こうとする一つ一つの対象にたいして、作者の内面的全構成が統一をもってまともにとりくみ、深められるだけ深くひろく考え、眺め、皮相的に反映するのではなく、自分をとおして文学の現実として再現しようとしているから文章に気品を生じています。理性のあかるさからの気品です。昔プロレタリア文学の初期、勤労者の文学といえば、精力あまった荒削り、俺ら働くもの式の力み、ある低さくらさがつきものでした。推薦者徳永さんの前書に、「私は二十年前の若い労働者作家として感慨をもって思いくらべながら、現代の青年労働者作家を読者の前に紹介する」といわれています。ここのところを、もっともっと、客観的に、民主主義文学の問題として説明していただきたかったと思います。「町工場」は小さい作品だし、これから大きい題材とテーマをこなしてゆくには幾多の苦労と修練とがいることは明白だけれども、これが新しい勤労者作家のけっしてわるくない見本であることも事実です。志賀直哉の文体は、日本ブルジョア・リアリズムの終点でした。志賀直哉風の描写のうしろにねてはいられないといって、高見順その他の人々があれこれディフォーメーションを試みましたが、それは現実理解のディフォーメーションを結果したばかりであったことがますますはっきりしてきている今、文学におけるリアリズムは、こういう、せせらぎのようなよごれない姿で、新しくなって、目にもたたないところから流れはじめてきています。
『新日本文学』は、民主主義文学運動を担当するものの責任として、こういうふうな勤労生活からまっすぐ芸術に結びついて、中途を文学青年的よごれにそまない作家をもり立てなければならないと思います。農民そして、じかに画家。工場労働者からじかに作家。民主的革命家そして詩人。主婦、母それで作家。男女の芸術家は、新しいタイプとして、旧い文士的環境とその雰囲気を一掃したもの、新しい民主的な社会生活建設における自分の役割を、はっきり知っている社会人として人生の上に立体性をもった人々であるべきではないでしょうか。
 そういうふうにつきつめてくると『新日本文学』が、これまで(第四号まで)社会主義的リアリズムの問題について、その歴史的省察ならびに今日での民主主義文学との関係について、系統的に詳細に解明や研究をあまりしてきていないことについて、考えなおす必要が感じられると思います。もちろん創刊号に蔵原惟人さんの民主主義的文学の本質を明かにした評論がありましたし、窪川鶴次郎さんの論文、除村吉太郎氏「民主主義文学の諸課題」などという有益な論文がのっていますが、十何年もの間民主主義的な文学の伝統からまったく切りはなされ、文芸評論らしい評論一つよむことなしに成長してきた今日のほんとうに若い世代にとって、改めて、日本文学における明治以来の民主的文学伝統をはっきり辿りなおし、プロレタリア文学発生の歴史とその複雑な過程をはっきりさせることは、大切だと思います。世界観の問題とか創作方法の問題とか、今日いろいろ意見がいわれているが、今日の読者として土台その問題の本質が十分わからないまま、あれこれ論議をきいて、判断を迷わされることは、民主主義文学の発展にとって有害です。ブルジョア文学と民主的な文学の本質に立ったプロレタリア文学とはけっして同質の文学の両面ではなくて、プロレタリア階級が資本主義社会から発生してきた歴史的に新しいそして質のまったくちがった一階級であるのと同じに、プロレタリア文学運動は、ブルジョア文学と本質をことにした新しい文学の発展者として、出現したものです。こういうことが、やかましくいわれている実感でわかっていないから平野謙氏のように、偏執して火野葦平と小林多喜二は同じ歴史の二つの面にすぎないなどと、人間感覚の喪失した断定を下すことになるのです。そして、戦争によって無知にされ、価値判断を抹殺された今日の若い人々の間に、こういう信じがたい感情の鈍磨があることも、私たちは十分勘定にいれなければならないと思います。民主主義文学というものにしろ、日本の民主主義の本質が示しているとおり、そのひろい幅のうちに進歩的インテリゲンツィア小市民の文学をつつみながら、その最も推進的な部分は勤労階級の文学によって代表されなければならないのです。『黄蜂』の「暗い絵」も「町工場」も今日の民主主義文学の幅のなかにこめられて前進するのですが、質において、もっともっとどっさりの「町工場」のような作品が出てくるようにつとめなければならないわけです。
 今日の民主主義文学の段階で、社会主義的リアリズムの問題は、どう扱われるべきか。これは、この間、ソヴェト同盟から作家シーモノフなどが来たときの座談会で、感じたことですが、みんななにか心にかかるように、ソヴェトの社会主義的リアリズムについて聞くんです。するとシーモノフはソヴェトでは一九二九年以来その創作方法でやってきていると返事します。ああそうですか、と話がなくなってしまう。社会主義的リアリズムといってもそれはその国々によってまた民族的段階によって一つのきまったものをおしつけるわけではない。人民のための文学をつくる、それが社会主義的リアリズムだとシーモノフがいう、わかりきったことで対談が終る。しかしなにか気に残っています。
 その気に残っているものが問題なのです。日本で社会主義的リアリズムを取上げましたのは一九三一年の終りから二年ばかりの間でした。ソヴェトの方は一九二九年から五ヵ年計画が始っておりますから、ソヴェトのもっておりました社会情勢と芸術の立場から、プロレタリア・リアリズムからの発展としての社会主義的リアリズムには必然があった。
 しかし日本の社会の半封建的なるものが非常に多くて、ブルジョア民主主義のための闘いののこっているところへ、いきなり社会主義的リアリズムといってもなにか肌にあわない感じがあったわけです。その肌に添わないところを、社会科学の立場と文学の立場から綜合的に研究して落ついた結論を出すひまのないうちに一九三二年の春の全文化団体への弾圧があり、社会主義的リアリズム論争は、最もみじめなまたみっともない形で、文学における進歩性と階級性の否定の口実につかわれてしまった。そのまま、ズルズルべったりに今日まで来ています。『新日本文学』第四号の巻頭に、中野重治さんが「批評の人間性」という論文をかいています。民主主義文学の伝統にたいして正当性をかいている平野謙、荒正人氏たちの論説を反駁し、書きぶりは、アクロバットめいているが、く点はたしかについています。こういう本質をもった論文は書かれなければならないが、やっぱり、文学の世界の住人以外の人に、これだけでは、不十分です。やっぱり、基本的諸問題の解明がなくては、派生する論議はわからないし、民主主義文学運動自体を推進させるために、社会主義的リアリズムは、民主主義文学建設の過程でどう理解されるべきかということが明瞭にされる必要があると思います。これが新日本文学会への宿題の一つではないでしょうか。

 新日本文学会の東京支部は、「東京の一日」というルポルタージュ文学を動員しました。ここへは非常に広汎な作家が参加し、一冊の本としてまとめられました。その成果についても、いずれまじめな文学的検討がされるでしょう。また、新日本文学作品コンクールが行われ、その選が行われています。どんな作品と作家とが登場するでしょうか。いろいろの意味で期待されます。ほんとうに新しい、若々しい、柔軟なこころをもってかかれた作品が出たらうれしいと思います。
 日本における民主主義文学運動の過程はけっして平坦でありえないし、まして、会そのものと各会員の経済事情が逼迫していて、どうしても文学運動としての密度が分散させられがちです。各人の文学上の活動が既成ジャーナリズムのうちに散発します。このさけがたい事情についてもよく研究して、いっそう民主主義文学の本質を明かにして、その線で統一されて、各方面・各分野に努力してゆくのが本当だろうと思います。

附記 これは一九四六年十月二十九日、新日本文学会第二回大会で行った「文壇及び文学の一般情勢」という報告を整理したものです。この報告では新しい方向に研究を展開しはじめている国文学、短歌、俳句、戯曲、児童文学等についてふれることができませんでした。この報告の不十分な点ですから、それを諒解してよんでいただきたいと思います。
〔一九四七年五・六月〕





底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「日本評論」
   1947(昭和22)年5・6月合併号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について