「母の膝の上に」(紹介並短評)

宮本百合子




 結婚――妻としての生活を有する女性、又は母として家庭生活の必然を持つ女性と職業との関係は、理想に於て如何あるべきか。
 現状はどうであるか、と云う問題は、私共女性にとって、更に直接な考慮を要求しています。
 女性が自己の自覚したと同時に起った困難な心魂の訓練を要する問題です。
 箇人とし自己の生活を拡張させて行きたい慾求。それは、十九世紀後に於るように、徒な男性に対する反抗によるものではありません。人間とし、男が天性に従って仕事を選び、その仕事の裡に、ただ、食い、眠り、死んで行く箇体の生物的生存以上の生命を見出して行くと全く同じに、女性の中にも、内心のやみがたい性格的渇望に押されて、仕事を、持たずにいられない多数の人が出来て来たのです。東洋にばかり根を張ったとされる牢のような家族制度、又は、男尊女卑の悪風は、時と云う偉大な裁きてが、順次に枯す根なら枯してくれます。女性の職業的困難がそれ等に関っているばかりであるなら、忍耐さえ知っていれば、自然に解決されると云っても誇張ではないでしょう。然し、私が思うに、この問題の裡には、もっと何か根本的な神秘に近いものが加っています。制度、社会的組織を創る人間の心のもう一歩奥にあるものを本能と呼ぶなら、その本能を発動させる源、深遠な自然力とも云うべきものが、見えない底の底でこの問題に働きかけているのではあるまいかと思われます。従って、人生を素直に感じ人の力も自然の力も素直に受け味って行こうとするものにとって、結論は、容易でありません。女性は、彼女自身の所謂いわゆる職業なるものを持ち得るや否やと云う、最も主要な疑問に対してすらも。
 近代社会相の上に非常に目立つこの問題が、その影響を、教育者、社会政策家の間のみに止めて置かないのは自明です。
 或る種の文学は、次第にこの分野にも視線を向けて来ました。性質として、多くの場合、この問題に対する作者自身の見地を以て作品は終結されるので、何かの形で、賛、否、の断案が下されていることになります。
 作家が女性であった場合と、男性であった場合とで、又作品を貫く感激も違って来るでしょうが、それがとにかく刻下の実際問題にふれていることによって現れる切実さだけは、共通に認め得る点でしょう。
 先頃、エイ・エス・エム・ハッチンスンと云う作家が(男です。)“This Freedom”と云う長篇小説を発表しました。直訳すれば「この自由」と云いますか。
 この作家の名は、その一つ前に書いた「若し冬が来るなら」と云う題の作品で俄に知られるようになりました。日本でも多くの部数を売ったそうですが一九二二年に発行された「この自由」は、上述の女性と職業の問題を骨子としたものです。
 純文学的の立場からではなくその小説を一読した女性の一人として、大体の筋の紹介と、簡単な感想を述べたいと思います。
 ロザリーは、英国のイボッツフィールドの教区長の末娘に生れました。
 父親は、ケムブリッジ大学を卒業し、ひとから未来を属望され、自分も大いに活動する気でいたところが、彼の盲滅法な性質から、深い考えもなく或る私塾を開いている牧師の娘と恋に落ち、結婚したまま有耶無耶うやむやに六年間舅の助手で過してしまいました。舅の死で目を覚し、万事新にやりなおして世間に出ようと努力したが、同期の友人達には、追いすがる余地もない程時代にとりのこされて仕舞いました。
 不平は、彼を感情的ななかなか威張る父親にしました。さびれた、融和しない教区中に友人もなく、家族に満足も見出せない孤独な彼は疑もなく一種の悲劇的人物です。
 けれども、見方によっては、ロザリーの母親の生活の方が、遙に憐れな、自覚されない点で一層悲劇的なものと云えました。彼女は、娘の時は父の為、成長してからは不平満々な良人の為、母となっては、数多い子供達の為に、自分のあらゆる希望要求を犠牲にしつくし、いつもおどおど労苦の絶えない女性でした。ロザリーが物心づいて第一に感じたのは、男の人と云うものは何と云う偉い素晴らしいものなのだろう! と云う驚歎でした。びっくりするような思いがけない事、珍しい不思議なこと、それは皆、父親か二人の兄達――男――と云う者によってなされます。
 家中の女、母親も、アンナ・フロラ・ヒルダと云う三人の姉達も、女中も、皆、その驚くべき男の人達の為ばかりに何時も働き、用事をし、心配をしている。同じ同胞でも、二人の兄達は父と同じ「男」だから、母でも女中でもまるで違った扱いをします。父親の命令で唯の一つも実行されなかったことのないのを見知っているロザリーは、或るひどい嵐の晩、こわさで顫えながら、
「お父さんに行ってやめさせて頂いて頂戴よ」
と云って、姉達に「お馬鹿さん!」とたしなめられた程でした。
 この男性全般に対する驚歎の感じは、彼女が大きくなるにつれ、少しずつ色調を更えました。彼女は、父や兄達が下らないことで勿体ぶり威張るのを見たり、場外れに大仰なことをしたりするのを見ると、妙にばつの悪い眼をパチリとやらずにいられない擽ったさを感じずにはいられなくなりました。
 この心持は、もう暫く経つと、男と云うものは、偉いには偉いが、妙な、邪魔っけなものだと云う概念になりました。
 誰にとっても男は偉く思われている証拠には二人の姉、フロラとヒルダとは大仲よしで、ひまさえあると、何かしら男のひとのことについて、熱心に喋っています。ロザリーは、学校を終ったばかりのヒルダから初歩の学課を習い始めているのですが、ヒルダは、ロザリーにお稽古帳をあずけたまま、姉のフロラと窓際で、ひそひそ何か話しています。ロザリーは、どうも落附かなく、先生を傍にとられ、物足りません。自分からヒルダを引さらって行くのはフロラではない、フロラとヒルダにあれ程話の種となる「男」と云う者ではありませんか。
 散歩も、ロザリーにとって、この感じを強めるにしか役立ちませんでした。二人の姉さんは小さい自分を放ぽり出して、気取って男のお友達と歩いたり、時には、「サ、いい子だから、あそこの角で誰も来ないか見て来てね」と立番をさせられたり。ロザリーに何よりいやなのは、散歩の間で起る斯様なことを、誰にも云ってはいけないと姉達に命令されていることでした。何故黙っていなければならないのか、ロザリーにはいくら考えてもわかりませんでしたから。
 陰気な教区内でも、四人の娘達は段々人生の花盛りに向って来ました。
 父親は、美しく蕾の揃ったような娘達の身の上を案じ、どうにも仕様のない教区長の貧乏生活から、広い世間に出す為、インドにいる男同胞の一人と、ロンドンにいる女同胞の一人に、一人ずつ娘を引とり世話して貰うことを頼んでやりました。
 ロンドンのパウンス伯母は、すぐイボッツフィールドに自身で来、ロザリーをあずかってロンドンで修業させてやることに定めました。インドには、フロラが行くことになりました。家には、ヒルダと長姉のアンナが残ることになったのですが、ロザリーは、そのアンナと毎晩一緒の室に眠らなければならないのが堪りませんでした。
 元から、アンナは、姉妹の中でのけ者にされ自分も意地を張って妹達と親しみませんでした。フロラとヒルダは一緒になって、家の手伝いばかりしているアンナを嘲弄します。何ぞと云うと「法王様が仰云って?」と云います。アンナは、何だか旧教くさく、尼さんくさいからと云うので。
 ロザリーは、どちらにもつかず、公平な態度を保っていましたが、アンナが夜中にまで、跪ずいてお祈を繰返すのには恐れました。
 お祈はきまって一つです。妹のフロラが彼女に自分の幸運をゆずろうともせず意気揚々とインド行の仕度にロンドンへ父と出かけた後は特にひどくなりました。
 彼等が去ってから二度目の日曜が来ようとする前の晩、ロザリーは、又アンナの祈の声で目を醒しました。アンナは、又「それは女には辛うございます。ああ神様。貴方は、それがどんなに女にとって辛いか御存じです。」と祈っています。何遍ロザリーはこの文句をきいたことでしょう。彼女は、
「アンナ、アンナ」
と姉をよびました。
「何故女には辛いの?」
 姉から得た答はこうでした。
「男の人達は何でも好きなことが出来るのに女はそれが出来ないから辛いのです」
 そして、後を向きアンナは、
「私はここに、あこがれを持っている」
と云いながら、両手をしっかり握り合わせ、音のする程自分の胸を打ちました。
「私はいつも持っていたのだし、これからもずっと持つだろう。ここに、燃えている、うずいている、そう云うあこがれを、持つようになると、貴方は――貴方は――」いきなりアンナは、まるで激しい調子でつけ加えました。
「私は男を憎む。男を憎む。大嫌だ」
 そして、ローソクを消そうとして、落し、部屋は真暗になりました。
 この数語は、小いロザリーの頭に刻み込まれました。アンナは、翌日はもうこの世の人でありませんでした。池に身を投げて死んでしまったのです。
 恐ろしい出来事の二週間後、ロザリーは愈々いよいよロンドンに出、或る寄宿学校に入りました。私立学校によくある通り、金持の娘達がまるで威張るのでロザリーのように学資の豊かでない、伯母のかかりうどの娘は、いろいろなことで、揶揄やゆされたり、なぶり者にされたりしました。が、ロザリーは楽しく勉強をし、追々、人生に対して、はっきりした要求を持つようになりました。
 若い一人の女性として、彼女の求めたものは独立の生活と自由と、事業、いつも自分を鞭撻する目的でした。
 彼女には伯母や、美人の従姉のレティシアのように、よい結婚ばかり当にしている心持が我慢出来ませんでした。
 天性数学的な頭脳を持ち、研究心と把持力とを具えたロザリーは、自ら、事務的なことに興味を持ち出しました。
 彼女は、事務所の仕事、金融、手形の神秘的働なぞのうちに、音楽や美術に見出せると同様の亢奮とつきない興味とを覚えました。
 一生懸命で経済学原理、万国貨幣制度、憲法などを研究しました。
 学校を卒業すると、彼女は希望通りミスタ・シムコックスと云う人の秘書役として、事務所に通うことになりました。
 一週二十五シリングの月給で、ちゃんと一人前に出勤し、自分の力で下宿屋に部屋を持ち、ロザリーにとってこれは何とも云えない悦びでした。総てのことが珍しい。すべてのことが、驚異です。保険事業のこと、代理店としての仕事の性質が手に入ると、ロザリーは、持って生れた実業家の手腕をメキメキとあらわし、逆に、ミスタ・シムコックスに頼られる程の事務家となりました。
 仕事に成功した彼女は、結婚にも目覚しい成功をしました。ロザリーは、ハリ・オックレーブと云う、家柄のよい売り出しの弁護士と結婚しました。始めから終りまで、彼女の要求通りの条件で。
 結婚後も、母となっても、自分の仕事は持続すること。
 収入に準じた率で生活費も負担して行くこと。
 ロザリーは、現代の女性が持ち得る最上の幸福を以て十年の間に、ハフ、ドラ、ベンジャミン三人の子供の母となりました。
 勿論この間には、多少生活感情上の暗闘がなかった訳ではありませんが、彼女は、稀な美貌と事務的敏腕を兼備し、その上、著名な良人を持ち、ロンドンでも数少ない程、調ったよき家庭の主婦であると云う素晴らしい調和で有名な一人の女性となりました。
 全く、彼女の家庭は平和な楽しい、品のよい慰安所でした。三人の子供達は、近代文明の許す最高の注意を以て、学位まで持っている家庭教師に褓育されております。雇人は規律正しい。
 ロザリーは、朝、勤めている銀行へ出る前の数十分間を、楽しく、さっぱりした三人の子供達と遊び、笑い興じます。夕方かえると、子供達は、いそいそとして挨拶に来、彼女を悦ばせます。彼女と子等との関係は、父親のそれとよく似ていました。
 お行儀を教えたり、根気のいる初等学科を教えたりすることは、皆、児童心理を専攻した家庭教師にまかされています。ロザリーと子供は、互から愉快ばかりを感じ合うものとして生活したのです。
 ところが、長男が小学に入る頃から、先ず良人のハリが、自分達の子供に、何か、よその子供とは異うところのあるのに心づき始めました。
 良人がそれを云い出した時、丁度ロザリーは銀行からシンガポールに出張を命ぜられたところでした。彼女は仕事のことだから当然として承諾しました。けれども、良人は、結婚後始めて、「女は違う、子供をどうする?」と云う言葉で快諾しません。ロザリーは、苦しんでいた時なので、良人のその注意を意味深く解しましたが、彼女の明晰な頭脳は、自分の感情で物を歪めて見ることは免れました。良人の言葉は本当でした。二人の大きい方の子供達は、確によそのその年の子供のように、無邪気で、愛らしく、感情が柔かくありません。いやに理窟っぽく、一人よがりで、ちっとも心のとけ合うと云う点の無いのにロザリーは驚きました。
 熟考の後、ロザリーの書いたのは、辞職届でした。彼女は比類のない婦人事務家としてフィールド銀行に持っていた地位を惜しげもなくすて、子供達を自分で見て行く決心をしたのです。彼女は、女性の理屈のない執着強さ、一つものを見始めると傍を見られない偏狭さを日頃から嫌っていました。彼女にとって職業を持つことは、意地ではありません。最もよいと思う人間の生活を創る為なのだから、彼女の理性は、更に大きな要求、子と彼女自身、又良人の希願だと思われた家庭への復帰を認めたのでした。
 新しく落付こうとする家庭生活の裡に、ロザリーは、熱心に自分を打ち込もうとしました。すてた仕事を忘れ切る丈の集注を行おうとしました。彼女は早速今迄の家庭教師を解雇し、自分で子供達に本を読んでやり、散歩に伴をし、遊び仲間に入ろうとしました。が、近頃の子供は何と云う変ったことでしょう。
 ロザリーは、九ツの男の子が、物語に対して「そんなことは嘘ですよ。詰らない!  春、夏、秋、冬の花が一どきに咲くなんて! 温帯や寒帯の植物は、熱帯になんかありません。僕知ってらあ」と云う風です。
 可愛い女の子のドラは、ロザリー自身が熱中して聞いたお話に、つまらなそうな表情を示します。まるで空想のない、まるで感興のない子供達。ロザリーが選んでつけた学問のある家庭教師は、真理、事実の外何も子供達に教えなかったのでしょうか。
 彼等は、外から見ては一点非のうちどころのないばかりか、その怜悧らしい、訓練のある挙止は快いものです。けれども、彼等の母ロザリーは、暫く彼等と朝夕を倶にして見ると、いくら食べても満足することのない見事な料理を押しつけられているような奇怪な空虚さを感じました。彼女が求めていたものは、ありません。
 フィールド銀行と云うものが、又ロザリーの心に這入はいって来ました。再び職業に戻りたい熱望は堪えがたいものです。ロザリーは、種々に苦しみました。
 良人は、家庭の為にと云って、それを賛成しない。彼は義務を云々します。彼女は、こう云う場合自分が男であったなら、何の面倒なことがあろうと思わずにはいられません。男ならば成功した仕事を持ってい、たといそれを一旦中止したからと云って、再びそれを取上るのに何の故障を云い立てられましょう。
「それが男なら、勿論そうしてよい。彼は二度とそのことについて考えないでしょう。又若し二度考えたとしても、あらゆる意見習慣が彼にこの権利のあることを告げるでしょう。それが女だとなると、だから――もうそれが理由です。女だ、だから、いけない。それが理由の始りで終りです。女、それ故いけない。ああ、それじゃあ女に可哀そうです」
 良人は弁駁します。
「総ての意見、すべての習慣が男にそうしろと云う? 違う、違う。貴女は男をあまり勝手のきく者に見ている。若し彼を反対の方に引とめる義務を持っているとすれば、その男は当然そうしもしないし、そうしろと云われもしやしない」
「けれども、そこが大事な点ですわ。男のひとは決してそんな義務を持ってはいないでしょう。男がいつでも自分の義務と大望とをうまく両立させているのは明かですことよ。本当に、それは、注目すべきことです」
「ふむ。――それなら別な風に考えて見給え。その男にとって、仕事に出る必要なんかはちっともなかったとして見給え。その男が出かけることでは何もおかげを蒙らないが、却って家にいると云うことには、多くのものが懸っているとして見給え。同じことになるじゃあないか」
「ああ、それはそうです。けれども、それも結局前と同じことになります。ひとは、そう云う境遇にいる男の人に云うでしょう。
『おい君、自分の大望を取りあげ給え。君は男だ。我と云うものを考えなけりゃあいけない』これが人々の云うことでしょう、ね、私の云っているのもそれです『私は女だ。私は自分を考えなければならない』」
 良人は、意味をこめて訊きます。
「そして、自分と云うものを考えてくれるか?」
「私は毎日――考えています」
 このような対話が良人と交されているうちにロザリーの心は段々しっかりして来ました。彼女は、自分の心の中にある感傷的なものと敏感さとの区別を見出しました。これまで彼女を成功させ、幸福であらせたのは、そのときの種々な状態に下らない感情はぬきの、思慮ある判断力で対したからでした。ロザリーは、自分が自己の生活や幸福を、家庭と仕事にひかれる半々な心持で、破滅に陥れそうになっているのに心づきました。
 ロザリーが、これ等のことに心を悩している間に長男のハフ、長女のドラは、悦び勇んで寄宿学校に行ってしまいました。いよいよ彼女の心はきまりました。
 良人は依然として「子供達は家庭に対して権利を持っている」「婦人の家庭に対する分担持場が違って来たら、世の中はどうなるだろう」と云って、彼女を家庭生活にのみつなごうとします。彼女は、決然とそれに対し、男が父親であるとともに自由に邪魔されず仕事を持ち続ける通り女性も母であると同時に家庭生活に煩わされず自分の仕事を継続し得るべきものと云う理想の為に、再起したのでした。
 彼女は自分を来るべき女性の時代に先立つ一人の偵察者、冒険者としたのです。
 数年は、又順調に過ぎました。
 ところが長男のハフが十六七歳になると、続いて、悲しむべき事件が起り始めました。
 ハフは、三度も落第して、父親の卒業した名誉ある学校を退学させられました。
 ハリは、その時、「彼は頭はあるんだ。勿論、指導者を見つけてやることも出来る。然し、あれの持たない、そして持つことの出来ないものが、ハフに学校をやめさせるのだ」
 ロザリーが「それは何ですの?」と訊いた答えにハリは、厳しい調子で、
「家庭!」と答えました。
 ロザリーは、
「貴方は私共に責任があると仰云います。けれども、貴方は私共二人のお積りじゃあない、私、を云って被居るのです。何故、私ばかりが貴方より多くの責任を負わなければなりませんの? 何故、非難されるのは私ですの?」
 そして、がっかりしたような身振りをして呟きました。「ああ、ああ、又あの理由!」それは、彼女が「女だから」と云うことです。
 もうロザリーは、この為に銀行の仕事を放擲しようとなどは思わない女性の一人になっていました。欧州戦乱が折から勃発した当時の英国の社会には彼女が教育上責任を転嫁し得る多くの欠陥のあったことも事実です。
 夏中休暇に、友達の処に滞留している筈であったハフは、ターンハムプトンと云う村で放浪飲酒、暴行のかどを以て拘引されました。当時、間牒審問に関係していた父親のハリは、偶然間牒事件でこの村に出張し、思いがけない息子と法廷で顔を合わせたのでした。
 父の名望の為にことなくすみ、ハフは、当時の青年の流行通り、軍隊に加りました。早速フランスに出発すべきであったのに、ロンドンの盛り場で妙な女と遊び歩き、帰隊を後らせた為、軍法会議に附せられました。今度も父の有力な地位と戦時中のおかげで、直ぐ戦線に加ると云う条件で許されました。が、平和が調印され、学生と云うので早く兵籍から放たれた二十歳のハフは、ロンドンに帰ると学業などはそっちのけで素姓もわからない喫茶店の給仕女と結婚し、悪い仲間に誘われて、曖昧至極な会社を作り、家へなどはよりつきもしません。
 遂にそのことからハフはフランスまで高飛びしたのを捕えられ、六ヵ月苦役を宣告されることになりました。
 長男であるハフにこれ等のことが起っている間、娘のドラは、又悦ばしくない状態にありました。彼女は、母のロザリーに何の親らしい愛も感じていません。十八になったばかりの彼女は、贅沢な学校の寄宿生活を終り、家には眠りに来ると云うばかりの有様です。数限りのない友達、絶間ない招待と訪問、その交際範囲は、彼女を呼び出すばかりで一向、両親の家へは訪ねて来ないと云う種類のものです。
 美しい縹緻よしのドラは、憚りなく「ああ本当にうちは退屈だわ。早く誰それさんのところへ行きたい」と云います。男の友人と、気位のない交際をしているのを知って、ロザリーが注意を加えても何もなりません。だらしのないのをやめさせようとしても、ドラの云うことはこうです。
「そんなことは子供のうちに仕込まれるべきことですわ。おかあさんはきっちりしていらっしゃるけれど、私にはただの一遍だって始末よくするようになんて教えて下さらなかったことよ」
 そして何かむずかしくなると、
「私おかあさんに産んで下さいとお願いして? 自分勝手に私が産れるようになすったのじゃあないの? そうじゃなくって? 私自分で定めたんじゃあありゃしないわ、これ丈は決して忘れないことよ。決して!」
 一番末のベンジャミンはこの二人とは違いました。静かな、学問に凝る、今は唯一の父様っ子です。母のロザリーに対しては、勿論実におだやかで親切ですが、彼女が求める率直な感情の吐露は欠けているように思われます。
 ハフの不名誉な事件後ドラは愈々家におらなくなりました。それどころか、或る晩、ロザリーは予想もしなかった、娘の臨終にめぐり会うことになりました。
 少し以前から、ロザリーに様子が変だと心づかれていたドラは、一人の女友達の部屋で何か医者の明言しなかった理由の為に危篤に陥り、一晩の苦しみで到頭死んでしまいました。悲しさでやっと我を支えているロザリーが、最後にドラの名を呼んだ時、瀕死の娘は、もう何とも云えない嫌気に満ちた溜息とともに、
「あ、おかあさん!」
とつぶやきました。
 突然死んだドラの唯一人の仲よしであったベンジャミンは、翌日、夕刊に、ドラを視た検屍官の逮捕状で一人の男が検挙されたのを読むと一寸出て来ると云ったぎり、もう再び生きた姿を両親に見せませんでした。彼は、警察署に行くと、捕えられて来ていたその男を死ぬ程たたきのめし、自分は程近い地下鉄道に轢かれて命を落してしまったのです。
 ああ神様。ロザリーは良人に云いました。
「子供達が悪かったのではありません。私が天の命に背いたのでした」
 彼女は、ドラの没くなった翌朝、フィールド銀行に辞職届をかきました。
 二人の子を失い、一人の子も恥辱の裡に持つハリとロザリーとは、魂の底から互の心を感じ合いながら擁き合いました。
 これほどの苦痛も、二人で耐えてこそ耐え得ました。
 今は、総てがよくなりました。ハフは出獄して、カナダにい、心を入れ更えて家郷への音信を怠りません。彼が、虐待し、早死した妻との間に生れた娘のロザリーは、名づけの祖母を母と呼び、ロンドンで一緒に暮しております。
 小さいロザリーは、三度の御飯も皆と一緒に食べるし、褓母や家庭教師と云うものも持っていません。
 大喜びで朝飯をしまうと、ピョンピョン片足で飛び廻りながら、可愛い声を張りあげて呼び立てます「お稽古! お稽古!」
 彼女の子供らしい声は猶も吹聴します。
「お稽古! お稽古! かあちゃまのお膝で、お稽古!」
             *
 きっしり詰めた三百十八頁の間に、ハッチンスンは、一人の女性の悲劇を書きました。
 近代の人間らしく、彼は物語をまるで希望のない悲劇のままでは終らせませんでした。一転筆の調子を更えて、読者に、暖い、楽しい家庭の光景を示しています。けれども、その幸福、光明は、幼いロザリーが叫ぶ「かあちゃまのお膝で」との一言に、無限の意味を含めてかけられているではありませんか。
 ドラに死なれた時、「私が天の命に背いたことがあったのです」と歎いたロザリーの言葉を私共は忘れません。
 作者は、かなり鋭く女性の生活慾を理解しています。結婚生活に対する男性の観かたと女性の見かたとの違いなども、本当に女の心に立ち入って、説明しています。
 題材がこう云う種類な故か、描写の溌溂さはやや欠け、説明に堕しすぎた憾はあっても、相当深くつき入って女性の問題を解剖した後、結局来たものは、今まで多くの作家に扱われた通り女の運命は、子供を守り育てること。と云う結論です。――少くとも子等を持つ者は。
 作者が、海の広い面に向って落ちて行く翼の破れた大鳥の意匠をその本の表紙に使った心持を、私共は何と解釈すべきでしょう。
 申さずとも明です。
 然し、現代の女性一般の胸の裡には、そのロザリーの落付き得た生活様式とは何か異ったものを求める火が燃えているではありませんか。ロザリーが、小説中の人物であるとしてさえ、家庭と自己の職業を完全に両立させ得なかったことを、ひとごとでなく惜む心持があるではありませんか。
 私共は、自分の立場として、この問題にどう云う解答を、事実に於て与えなければならないか。大きな大きな宿題です。
 現代数万の女性は、いやいや母になり、万已を得ず生れた子を育て、傍ら、自己発揚の機会を奪われている不平を述ております。
 これは、どちらに対しても――自己と云う箇人に対しても、子供に対しても、無良心極る冒涜です。
 ロザリーは、職業の種類の選択を誤った為に「母の心」とよい調和を保たせ得なかったのでしょうか。
 或は、ロザリーと云う名は、現代の女性一般に与えられた名で、近代社会が生んだ女性の性格、徳性の欠陥としての事業熱、対社会の活動慾等の、消長史と見るべきでしょうか。
〔一九二三年十二月〕





底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「八つの泉」災害救済婦人団
   1923(大正12)年12月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について