国際無産婦人デーに際して

――作家同盟各支部に婦人委員会をつくれ――

宮本百合子




 去年の秋、日本プロレタリア作家同盟はその中央常任委員会に属する一つの文学的活動機能として婦人委員会を設けた。
 元来プロレタリア文学の中に特別な婦人のプロレタリア文学などというものはない。それは明かなことだ。搾取に対して闘うプロレタリア・農民として男・女の全生活が、階級的芸術の表現をとおして、われらのプロレタリア文学の中に生かされ反映されるべきものだ。
 これまで果してプロレタリア作家たちは、数少い婦人作家をもこめて、十分労働者・農民及び勤労婦人大衆の日常的な、こまかい、だが本気な闘争の経験を、細大洩さず作品の中に活かして来ているだろうか?
 資本主義経済の行きづまりは、工場閉鎖・首きり・賃下げ・三百余万の失業と農村恐慌とでプロレタリア・農民の生活をせっぱつまったところまで追い込んでいる。
 せつない暮しの中にあって一層せつないのはプロレタリア・農民の婦人大衆だ。
 工場で男と比べれば三分の一ばかりの殺人的賃銀、十三時間にも亙る労働強化と最悪の条件で男よりひどく搾られるばかりではない。窮迫した農村や失業者の家庭の中で、婦人の負うている重荷は云い尽せぬ。
 而も、ブルジョア・地主は処女会や御用雑誌その他のあらゆる反動文化機関を総動員して、婦人大衆の文化を昔ながらの奴隷的な低さで止めておこうと狡い計略をめぐらしている。
 何ぞというと「何だ! 女の癖に生意気な!」とやっつけ、封建的な屈従を強い、二重の搾取をつづけようとするのだ。
 プロレタリア・農民の階級闘争の激化は現実の必要から婦人大衆をも目ざませた。男の働きての失業のため、婦人は最悪の労働条件と闘いながら企業へ参加している。そこで婦人たちも、めきめき自身の階級としての力、団結の威力を学びとっている。手拭を姉さんかぶりにした若い農婦が、マンノーをとって争議に参加するばかりでない。女工さんの自主的なストライキが勇敢に闘われるばかりではない。今や、プロレタリアート・農民の婦人は出産の床の中に、八百屋で買う一本の葱の中にまで、自身の熱い階級闘争を感じずにはいられぬ情勢に来ているのだ。
 だが、プロレタリア作家たちは、プロレタリア・農民が解放へ向って闘う複雑な現実の一部として、あますところなくこれらの一見些細な、然し根強い婦人の日常闘争の事実を、芸術化しているとは云い得ない。
 プロレタリア・農民自身の語りてとしての婦人作家がこういう情勢の中からどしどし新しく出て来てはいない。
 日本プロレタリア作家同盟は、婦人作家をこめて正しい線に立つ全プロレタリア作家がその文学活動においてこれまでは大衆の半数者としての婦人の闘争の注意深い取扱いをやや見落していたことを厳しく自己批判した。この立ちおくれを急速にとりかえし、プロレタリア文学の中に解放運動における婦人大衆の独特な歴史的実践が階級全体の闘争との生々しい連関においてもっともっと隈なく描かれるように、婦人のプロレタリア・農民作家がドシドシ文学サークル員・通信員の中から養成されるように、日本プロレタリア作家同盟の全活動を鼓舞するため、婦人委員会というものが設けられたのだ。
 日本プロレタリア作家同盟が、婦人の文学における活動へ特別こういう注意を向けたことは、階級的なあらゆる見地から正しい。
 なぜなら、プロレタリアートの世界観だけが、社会の勤労を基礎として男と女とを同志として考え得る。レーニンも云っている通りプロレタリアート全体の真の解放だけが婦人を解放するのだ。生活の現実で日夜婦人大衆が独特なやりかたで解放運動の全面に参加しているとき、階級の武器としての文学であるわれわれのプロレタリア文学にその姿が如実に反映しないということはあり得ない。一人の新しい婦人プロレタリア作家が出るということは、それだけプロレタリア文化の具体的な勝利を意味することなのだ。

 去年の九月に婦人委員会が設けられてから既に半年近くなる。今年の初、東京支部総会で婦人委員会は活動の便宜上本部婦人委員会と東京支部婦人委員会とに分れた。
 僅か半年だが、婦人委員会の活動によって日本プロレタリア作家同盟東京支部における婦人同盟員の数は増した。日本プロレタリア文化連盟が、日本のプロレタリア文化運動の唯一つの輝かしい綜合団体として結成されてから、作家同盟はそこの婦人協議会へ数人の婦人作家を協議員として送り出している。
 日本プロレタリア文化連盟から刊行される日本で唯一つの階級的な婦人雑誌『働く婦人』の編輯には、他の文化団体からの参加とともに作家同盟に属す婦人作家たちが重大な役割を果しつつある。文学座談会、文学講習会、文学サークル等の活動で、婦人委員会は作家同盟の各専門部門と緊密に結びつき、すべての機会を掴んで、組織的にプロレタリア文学活動へ職場の婦人大衆を導き出すための努力をやっている。
 去る十二月の作家同盟拡大中央委員会では、二万五千の読者をもつ『文学新聞』に婦人欄を設けることが決定された。
 誰でも知る通り『文学新聞』は、サークルをつくってゆくための手がかりとして役立つ大切な組織者だ。『プロレタリア文学』を読まぬ人々も『文学新聞』はよむ。『文学新聞』の婦人読者を組織し、更に婦人読者を獲得し、通信員・サークル員をつくって行く上にも『文学新聞』の婦人欄は特別意義あるものとして現れるわけなのだ。
 ところで、この拡大中央委員会を契機として、作家同盟は、婦人委員会の活動について一つの大きい欠点を発見した。拡大中央委員会に向ってなされた各地方支部の文学的組織活動の報告中に、各地方の婦人大衆に対する対策が全然とりあげられていなかったという事実だ。
 日本プロレタリア作家同盟は現在七の支部と十四の支部準備会とを全国にもっている。支部によって指導される文学サークルは凡そ二百十余もある。然し、大阪、高知、長野等拡大中央委員会にわざわざ代表が出席した程比較的強力な支部からの報告でさえ、その中には一言も、支部に於ける婦人委員会の問題、婦人大衆に対する文学的働きかけについての対策というものは言及されていなかった。
 これは作家同盟婦人委員会の活動の階級的任務が、全国の支部にはまるで理解されていなかった証拠なのだ。
 作家同盟婦人委員会が、プロレタリア文学における婦人の広汎な積極的な活動は真に階級的な文化闘争の一翼として、どれほど重大な意味をもつものであるか、各支部はこの分野の活動を直ちにとりあげるべきであることをいち早く各支部に徹底させることを遅らした。それが、拡大中央委員会に対する各支部の報告に現われた欠陥の明瞭な原因の一つだ。けれども、この現象を日本におけるプロレタリア文化運動全般から観察すると、そこにわれわれは、実にはっきりと階級的文化活動における婦人に関する分野の一般的立ちおくれを見ることが出来る。プロレタリア・農民婦人の文化水準は敵のブルジョア・地主的反動文化の重しで、低く圧せられたままに放置されているのを見る。而もわれわれが猛烈に、決然と、婦人大衆を低く繋ぐ反動文化と戦闘を開始しないことは、とりもなおさず日本におけるプロレタリア文化運動全体を、その重要な一部で同じように低く、重く、敵のくいにつなぎとめて置くということになるのだ。

 われわれの生きている今は、どういう時代であろうか?
 満蒙事件をきっかけとして、ブルジョア文化は、実に急激に、露骨に反動化しつつある。未組織の文学愛好者、特に婦人の間に多くの読者をもっている三上於菟吉、直木三十五などというブルジョア作家たちは手をつないで軍部の雇作家になった。
 われわれ婦人大衆はブルジョア地主の利益を守るためにだけされる帝国主義侵略戦争には絶対反対だ。肥料さえ買えぬ農村の四苦八苦の生活の中から稼ぎ手の若者を奪いとられて、われわれはどうする?
 戦争になったからと云って、三百万の失業者は決してなくならぬ。益々労働条件は悪化し、戦争準備の金輸出再禁止で物価は三割がた上り、肥料の価さえ上った。賃銀は決してそれにつれて上らない。相場師と地主との庫で、米価はつり上げられるが、その米を辛苦して作った農村には何がのこされているか。朝鮮、台湾の殖民地で搾られる大衆の暮しは話のほかだ。
 プロレタリア・農民の階級的攻撃を挫くために、支配階級はありとあらゆる文化機関、印刷物、ラジオを通して戦争熱を煽っている。ストライキと農村争議は、挙国一致の時という名目の下に今までより一層惨酷なる白テロで潰される。
 支配階級のファッショ化に抗して日本のプロレタリア・農民は決意的闘いを闘おうとしているのだ。
 こういう切迫した情勢の下に、三月八日の国際婦人デーは迎えられようとしている。今度の婦人デーは、世界の、とくに支配階級のファッショ化、帝国主義戦争、反ソヴェト戦争準備と闘う日本プロレタリア・農民にとって、画時代的意味をもっている。決して、プロレタリア暦の上の形式的一カンパの日ではない。メーデーを目ざして、われわれが反動支配階級の文化にたいして決定的闘争を高めてゆく、その血の通った一環として理解されなければならないのだ。
 例えばプロレタリア・農民の男が、ファシズムに抗し、帝国主義侵略戦争に反対して勇敢に起ったとしても、階級の半数を占める女が、処女会その他の反動文化団体の影響下にあって、せっせと「千人縫い」をやって支配階級の大量的殺人を援助し、ストライキを逃げ、階級意識を眠らす出征兵士慰問金をかき集める役をつとめるとしたら、果してわれわれは何事をなし得るであろうか!
 地方の農村・小都市で封建性は強く日常生活の些細な感情の中にまで残っている。一般の世界情勢につれて、革命化しつつあるとはいえ婦人大衆は企業内にあるとないとにかかわらず四方八方から反動文化にからみつかれる危険にさらされているのだ。
 日本プロレタリア作家同盟の各地方支部は全国にわたるプロレタリア文化・文学運動の名誉ある階級的文化派遣軍だ。任務は地方の特殊性に応じて反動文化と闘い階級的芸術を創造することだ。このことの中に、階級の半身としてある婦人大衆の文化水準を高め、日に日に高まる闘争とともに独得な芸術作品を創造させて行くための努力が、プロレタリア文化活動本来の性質として既に予定されているのだ。
 一九三二年の国際婦人デーの記念として、日本プロレタリア作家同盟の各地方支部はめいめいの執行機関の下に婦人委員会を置く問題を具体的課題としてとりあげなければならない。
 各支部の中央執行機関はその一つの機能として婦人委員会を置き組織部、教育部等を刺戟し婦人同盟員の獲得を、真剣に階級的任務として考慮しなければならない。
 婦人同盟員の自己教育、同伴者的婦人作家の獲得、特に婦人に関係ある種々なカンパへの組織的動員等はすべて婦人委員会の活動に属する。一人の婦人通信員は、めいめい一人ずつの婦人通信員をこしらえよう!
 各支部が指導する文学サークルに、現在婦人サークル員は何人いるか、国際婦人デーを機会として、各支部は特にその地方の種々な企業の中にある婦人大衆を精力的に文学サークル、或いは文化サークルに組織しなければならぬ。そしてサークルから段々婦人の文化・文学的働き手を養成しなければならない。
 既に出来ているサークルで、そこには婦人サークル員がまだ参加していないところでも、国際婦人デーの記念の座談会・懇談会は必ず持たなければならぬ。その席上で、支配階級のファッショ化、帝国主義戦争とたたかうプロレタリア・農民の闘争の具体的一部としての国際婦人デーの意義、ソヴェト同盟をわれわれは何故支持するかということも、われわれの日常の闘争と結びつけて説明されなければならぬ。一人一人のサークル員が婦人サークル員増大の階級的価値を会得し、その獲得のために行動するよう、サークルの責任者は話をすすめて行かなければならないのだ。
『文学新聞』『働く婦人』(三月号は特輯で附録に「文化サークルの話」という有益な別冊がついている)などが、この活動のために十分利用されるだろう。
 処女会、御用反動雑誌の読書会等の影響から一人でも多く婦人大衆を引きはなし、プロレタリア文化・文学運動の影響下におくことは、この階級闘争の切迫した時機、一刻もなおざりにされ得ない仕事なのだ。
 出征兵士の相当ある地方では、出征兵士の家族の若い婦人たちを茶話会、或いはその他の形であつめ、ブルジョアのバラまく戦争へのアジ、例えば桜井忠温の「銃剣は耕す」などという軍事通信の曝露をやり、次第にサークルへ組織して行くようなことも考えられる。
 これらの仕事は、即刻各支部によって活溌に着手されなければならない。三月八日の国際婦人デー一日だけを目標とせず、この歴史的な一九三二年の国際婦人デーを記念として、われわれの決定的勝利の日まで、高まり高まり行く階級的文化闘争の積極的拡大の宣言として永続的に着手されなければならないのだ。
〔一九三二年二月〕





底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:日本プロレタリア作家同盟中央常任委員会及び同婦人委員会共同署名のビラ
   1932(昭和7)年2月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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