婦人雑誌の問題

宮本百合子




        まずわれらの『働く婦人』について

 日本プロレタリア文化連盟が一九三一年九月に結成されると同時に、出版所は機関誌『プロレタリア文化』のほか、三つの階級的啓蒙大衆雑誌と「グラフ」とを刊行して行く計画を発表した。『大衆の友』『働く婦人』『小さい同志』『われらのグラフ』の四種である。この中で『働く婦人』がともかく一月に創刊第一号を発行した。
『働く婦人』創刊号は、十二月二十五日前後に市場にでると間もなく発禁をくった。『働く婦人』二月号もひきつづき発禁にあった。これはブルジョア・地主の官憲が、日本プロレタリア文化運動の唯一にして綜合的な活動体である日本プロレタリア文化連盟の具体的な活躍を、どんなに恐怖しているかという明らかな証拠である。プロレタリア啓蒙婦人雑誌『働く婦人』に毎号加えられる支配階級の不法な弾圧は、日本プロレタリア文化連盟、即ち全日本のプロレタリア文化運動の上に加えられる敵の弾圧として、徹底的に強力に抗議されなければならない性質のものである。
 従来日本には『戦旗』『婦人戦旗』というプロレタリア大衆雑誌が発行されていた。『戦旗』は足かけ四年間、『婦人戦旗』は一年足らずの間、弾圧と闘いながら日本プロレタリア文化史上に消すことのできない功績をのこして来た。常時、『戦旗』および『婦人戦旗』は、工場・農村・官庁・街頭などに溢れる革命的な男女勤労大衆にとって唯一の階級的雑誌であり、日常的な組織者であった。しかし、『戦旗』『婦人戦旗』の編輯は必ずしもいつも正しくプロレタリア文化活動を理解した方針の上に行われていたとはいい得ない。その頃の日本プロレタリア文化運動一般があった発展の段階に従って、プロレタリア政治運動と文化運動との相互関係が、ある時はやや不十分にしか把握されていず、具体的な結果としては、『戦旗』『婦人戦旗』が未組織大衆にとっては親しみ難いものとして現われた。プロレタリア・農民の激化する闘争の経験が、柔軟性豊かな、感情のあらゆる隅にまで浸透するボルシェビキ的日常性そのものとして立体的にとりあげられず、闘争面だけの小録として扱われたうらみがあった。
 日本におけるプロレタリア文化運動が進展するにつれ、『戦旗』『婦人戦旗』編輯局は急速にその欠点を清算した。そしてプロレタリア大衆雑誌として一層効果的な、健全な活動を開始しはじめると、官憲の圧迫は想像以上に猛烈となり、合法的な『戦旗』『婦人戦旗』はほとんど非合法出版物のような窮屈な状態へ追いこまれた。日本におけるプロレタリア文化啓蒙運動の正常な発展は、一九三一年の秋日本プロレタリア文化連盟が結成され、その出版所からプロレタリア大衆雑誌が発行されるに至って、初めて公然と全面的な反映を見るようになったのである。
『働く婦人』は、このような強固な日本プロレタリア文化活動の革命的な発展の基礎の上に立って発刊されるものだ。百五十一万人の婦人労働者をふくむ日本のプロレタリアート、農民、小市民の婦人大衆に向って、彼女に真の解放と幸福とを与えるプロレタリア世界観を啓蒙し、同時に階級の半身として闘争する婦人大衆のあらゆる自発性を反映させるものとしてわれわれの婦人雑誌『働く婦人』は発行される。プロレタリア文化活動における正しい大衆性、特に過去、現在の日本ブルジョア封建的教育によって文化水準をおくらされている未組織婦人大衆を吸収するために欠くべからざる条件としての、いきいきした、親密な階級的日常性、わかり易さ、内容の生活的な多様を、同時に最も正確な階級的観点によって現在資本主義日本に起りつつあるあらゆる国内的・国際的事件を敏速にとりあげ、それに対する正しい認識と行動との方向を婦人大衆に示して行くことなどが『働く婦人』編輯局に課せられた基礎的な任務なのである。『働く婦人』の浸透力によって婦人大衆をブルジョア文化の影響からひきはなし、解放に向って闘うプロレタリア文化の下に決定的に結集させるべき任務を負うているものなのである。
『働く婦人』創刊号、二月号、三月号を通じて見ると、右のような階級的刊行物としての基本的な任務についての理解は編輯局内でゆがめられず実践にうつすべく努力されていることはわかる。政治・経済・時事問題に関する解説的記事とともに、『婦人戦旗』に持たなかった相談欄・言葉の欄・家庭婦人のための「重宝ノート」などまで『働く婦人』には包括されている。数多あまたのブルジョア婦人雑誌がそれを共通な特徴として婦人大衆の日常的な要求に訴えている実用記事を、『働く婦人』は階級的な扱いかたで雑誌の中に生かそうとしている。――ブルジョア婦人雑誌が一見実に陳腐でありながらしかも永年の間婦人大衆をとらえつづけている種々な編輯上の技術、目のつけどころというようなものまで『働く婦人』は、それを奪って逆用すべき敵の武器として研究しようとする積極性を示しているのである。
 然し『働く婦人』創刊号「発刊の辞」に書かれているブルジョア婦人雑誌に対する態度は、プロレタリア文化の尖鋭な伝播者・組織者としてのわれわれの刊行物と、ブルジョア文化攻勢の具体化としての婦人雑誌との相互的関係を、十分弁証法的に、レーニン主義的に把握しているとはいえぬ。「発刊の言葉」の中で、「ほんとの自分たちの日常生活の友となり、役に立つ知識と勇気と楽しみとを与えて呉れる婦人雑誌」としての『働く婦人』に対してさながら固定的な対立関係にあるもののようにブルジョア婦人雑誌というものの存在が示されている。同時にあるところではブルジョア婦人雑誌の記事は同じ減俸について書くにしても、減俸された世帯をどうやりくるかという末のことばかりを書くが、『働く婦人』では何故減俸が起ったかという根本のところまでを示すものだと、まるでブルジョア婦人雑誌とプロレタリア婦人雑誌とは同一の線上に立ちながらただ程度の差によってその性質が分れるものであるかのような認識の曖昧さが示されている。これらの点は徹底的に明瞭にされなければならない。ブルジョア婦人雑誌との存在のちがい、およびその内容に現れる両者の相違は決して同一種類のものの上に生じる程度の差の問題ではなく、資本主義日本内に対立する二つの階級の、実に明々白々な世界観の相異を基礎として、必然に生じる文化戦線の対立であること。従って、プロレタリア雑誌の影響力によって婦人大衆の間に拡大される前哨戦とブルジョア婦人雑誌の独占地域との関係は、あらゆる瞬間において固定したものではなく、階級的攻勢としてのプロレタリア刊行物の一歩の前進は直ちにブルジョア反動文化への一歩の決定的打撃を意味するものとして、理解されなければならないのである。特に資本主義の国内的国際的行き詰りの切き[#「き」はママ]抜け策として、資本家地主の支配階級がファッショ化し、反動組織を総動員して帝国主義侵略戦争、ソヴェト同盟への侵撃準備を鼓舞し、国内における革命力の暴圧に全力をつくしている今ほど、ブルジョア婦人雑誌のおわされている反動的役割についての容赦ない検討と曝露の必要とされる時期はない。資本主義経済の死物狂いの攻勢は企業内にあっては最も組織力の弱い、不熟練工としての婦人労働者群に集注される。同じように、ブルジョア反動文化の最も奸悪な魔術は、文化的抵抗の弱い、多くの封建的伝統と自覚ない小市民性の鎖につながれている婦人大衆を目標として猛烈にそそぎかけられる。支配階級は知っているのだ。現在ブルジョア文化の呪文でしばられている数百万の婦人は、支配階級に向って闘いを開始しているプロレタリアート・農民にとって血でつながれた姉妹、妻、母、愛人、友人たちまたは女親類たちであることを。階級の半数をなす者であることを。それ故あらゆる分野で婦人を封建的、奴隷的文化に封じこめて置くことに成功しさえすれば、それはとりもなおさず解放に向って闘うプロレタリアート・農民を半身不随に陥らせたと全く同じことだという事実を、彼らは狡猾に知りぬいているのである。われわれは敵のこの奸計と全力的に闘わなければならぬ。闘って勝たねばならぬ。勝つために、敵の文化宣伝武器としてのブルジョア婦人雑誌の全散兵線を、周密に検査しなければならない時に来ているのである。

        ブルジョア婦人雑誌について

 ところで現在日本で刊行され、市場に出ているブルジョア婦人雑誌の数は、各反動団体の機関紙をのぞいても、実におびただしいものである。そのなかで代表的なものだけを取りあげて見ると、読者とする婦人大衆の層を基本として、大体四種に類別し得ると思う。
 第一グループ
婦女界、婦人倶楽部、主婦之友、婦人世界等。〔読者層〕小市民の家庭婦人、農村の富中農婦人ならびに一部の工場労働婦人を含む。
 第二グループ
女人芸術、婦人之友、婦人公論、婦人サロン、婦人画報等。〔読者層〕大小ブルジョア有閑婦人、女学生、インテリゲンツィア家庭婦人、職業婦人等。
 第三グループ
若草、令女界等。〔読者層〕小学校卒業または女学校程度の年少職業婦人、下級婦人勤人、女学生等。
 第四グループ
少女の友、少女世界、少女倶楽部等。〔読者層〕小学上級生、女学生、少女勤労者等。
 これら四グループのブルジョア婦人雑誌を貫いて認められる共通ないくつかの特徴を列挙して見よう。第一、表紙の絵、大量なグラビヤ、插画などからはじまって全巻にあふれる極端な小市民性への追随。第二、ブルジョア的、編輯暦の年々歳々飽くことない反覆。第三、一般的経済恐慌につれて、ブルジョア婦人雑誌業者間の競争が激化され、最近各営業者が直接購読者を組織し配布網の確立に対する熱中を示し始めたことなどである。
 一九三二年の正月は日本において三百万人の失業者と、金再禁止による物価騰貴、農村の恐慌、深まる帝国主義侵略戦争の危機とのうちに迎えられた。それにもかかわらず、ブルジョア婦人雑誌の数十頁にさえわたる尨大な新年特輯グラビヤは、どこにも悪化する資本主義下の現実的生活の面、勤労大衆の闘争をとりあげてはいない。『主婦之友』を例にとってみると、巻頭以下女優をマネキンとした春着くらべ。婦人のウィンター・スポーツ用流行服紹介。宮川美子の歌劇「お蝶夫人」の写真物語、流行ハンドバッグ陳列。初春の髪かたち。子福者歴訪、俳優画報、出征将軍の家庭。男女俳優にポーズさせた「新家庭の迎年のお支度」等々が化粧品、銀行、薬品、印刷会社などの広告の間に無慮七十頁を占めている。『婦人公論』五十頁のグラビヤは、「新年を迎える髪」から始って、映画物語、執筆作家の写真自叙伝、キッコーマン醤油の広告に終っている。ここにも、『主婦之友』同様、男女俳優、舞踊家をマネキンとした「お年始のお客はこうして迎えましょう」という写真物語が盛られている。『婦人公論』は、やや進歩的な職業婦人、インテリゲンツィア婦人を読者の目標とする結果、グラビヤにも他の婦人雑誌にはない「女主人」という一種目を加えているのは注意に価する。しかも、撮影されている「女主人」は「おでんや」、フランス女の洋服店主、支那料理店主、東京一高価な靴店セキドの女主人、洋服布地店主など、つまり有閑婦人の消費的生活、浪費趣味をとりあげ反映しているにすぎない。失業労働者の妻、焼芋屋の女主人、青森地方飢饉地で出征兵士の残された妻が、わらびの餅をこねている女主人としての必死の営みの姿などは、ブルジョア的欺瞞をもって婦人大衆の眼前から完全に覆いかくされているのである。
 経済恐慌による中間層の急速なプロレタリア化は、日本における小市民層の婦人大衆の日常生活をその根底からおびやかしている。どの娘、細君にとっても正月になれば裾模様の晴着をつくり、「新家庭の迎年のお支度」をするなどということは、絶対に実現不可能である。実際においては資本主義社会の逼迫に圧せられて消えてしまった小市民的な婦人の伝統の夢を、そのままグラビヤの絵そらごとの上に生きながらえさせているだけでも、その小市民性への追随という点でブルジョア婦人雑誌の保守的傾向の一端を曝露している。世帯の切なさ勤めの切なさから、現代の社会機構に自然と疑を抱く婦人大衆の目を、そういう数々のグラビヤに吸いよせ、現実に対する階級的直視をしばらくでもはぐらかして行く効果に至っては、ブルジョア婦人雑誌の文化発展の上に演じている反動的役割を見過すことはできぬ。
 さらに、ブルジョア婦人雑誌の編輯者のポケットにある、編輯暦なるものを調べると、われわれはそもそもブルジョア婦人雑誌の包括する文化がいかに封建性の上に立っているかに驚かずにはいられないであろう。ブルジョア婦人雑誌は、編輯暦の最も重大な部分を「正月」「七五三」「新学期」「盆」「結婚月」などに占められている。これらの月、全日本のブルジョア婦人雑誌は同一の題目を編輯主題として、たがいに猛烈な競争をやり、附録をいくつもつけてダンピング的販売政策をとるのである。失業、賃下げ、次第次第の労働強化と工場・農村で闘っている恐慌下の勤労大衆の妻、娘の生活にとって、これらのブルジョア婦人雑誌の浮立った内容は何のかかわりがあろう!
 ブルジョア婦人雑誌の編輯暦は、普通去年も今年も一昨年もその順序においては変ることがない。三月にさえなれば「雛」「花見衣装」「新入学の子を持つ母親へ」という題目が、ブルジョア文化そのものの無気力を反映して反覆されるのである。けれども、その眠たげな反覆の間にも、反覆される主題の扱いかたに、最近は明らかな螺旋的推移が認められる。グラビヤの流行結髪の型がいつか推移しているばかりでない。調理案内に、名流婦人訪問記に、英雄伝、特別読物などに、ブルジョア文化のファッシズムへの前進が照りかえしている。昨今は営業政策の一つとして、婦人公論にしろ婦女界にしろ、恒常的な読者会を組織し、直接配布網の確立に努力している。この組織は、ブルジョア婦人雑誌の経営上あるまとまった経済基礎となるばかりか、婦人大衆に向って絶え間なく反動ブルジョア文化を宣伝煽動して行く上にもまた実に有効に利用されるブルジョア文化組織網となっているのである。それぞれのブルジョア婦人雑誌の地方における読者会というものは、自主的に活動し、自分たちのよむブルジョア婦人雑誌を通じて煽動されるままに、女子青年団、愛国婦人会などと、結果においては全く等しい反動的小集団となる可能が十分認められる。すでにブルジョア婦人雑誌の恒常的読者の何割かは、特に地方においては、女子青年団、処女会その他のブルジョア反動団体内の組織成員なのである。ブルジョア反動文化の婦人大衆を目標とするアジ・プロは、配布網の点から見るだけでも、決してあなどり難い組織をもっていることは明である。
 数多いブルジョア婦人雑誌の内容を一々検討する規準として、(一)ブルジョア婦人雑誌は生産、労働をどう取扱っているか、(二)時事問題=特に恐慌失業、帝国主義侵略戦争をどう取扱っているか。(三)国際性はどう取扱われているか。(四)科学知識をブルジョア婦人雑誌はどう扱っているか。(五)両性、家族問題をブルジョア婦人雑誌はどう扱っているか。以上の五項目を規準として、順次検査を進めて行くのが便利であろうと思う。
〔一九三二年三月〕
[#未完]





底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「プロレタリア文化」
   1932(昭和7)年3月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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