働く婦人

宮本百合子




 この頃は、女のひと、という響につれて、すぐに人の心に何かの意味で、働いている女のひとという感じが浮ぶようになって来ていると思う。その点では、家庭の女というものの感じかたも自他ともに変化して来ていて、家庭の女の生活が、時代の風波から離れた片隅の幸福に保証されているものだと思っているひともなくなった。新聞のほんとうの社会欄は婦人欄へ移った、と云ったことがあるが、この表現には今日の社会生活の現実の姿がなかなかうまく云いあてられている。これまでは家庭の主婦たちのためにあった家庭欄の記事を、今日という時代は男にも深い関心をもって読ませる。炭の合理的な使いようは日々のこととして男にとっても必須になって来ているし、この頃は男は月給袋だけ家へもってかえればいいのでなくて、卵とか干うどんとかバタとか、そんな男の買いものもふえてきているのである。
 家のことは女まかせ、という旧い生活感情は一般から急速に崩れて来ているのだが、それならばそのような今日の状態が、男も女とともに家庭経営についてやってゆくように成長したという、社会感情の明るい進歩の証明であるかというとそれは決して簡単に云い切れないと思う。男の日常的な関心がそこまで高まったというよりは、生活資料の問題からそこまで低くひろがらざるを得なくなって来た、という風なのではなかろうか。男の社会生活の面のひろいということが、いわば卵についても干うどんについても家庭にだけこもっていた主婦たちよりより積極な解決の方法を見出しやすくしていて、餌を運ぶ男としての役割が逆行的にふえて来ている。そんな工合に、男のひと自身には今日が感じられている面もあるのではないだろうか。所謂いわゆる非常時の暮しとしてそれが受けいれられているが、家庭とか妻とかいうものについての根本の考えかたには変化ないように思われる。根本に変化はないままに、家庭の女といえどもより働くのが当然という感じかたが加わって来ていると思う。
 働く女という甲斐甲斐しい表現を、今日の日本の現実にふれて女の働きと置き直して観察すると、実に複雑な問題がうずたかくある。婦人雑誌の表紙や口絵が、働く女を様々に描いてのせる風潮だが、その内容は軍事美談や隣組物語のほかは大体やっぱり毛糸編物、つくろいもの、家庭療治の紹介などで、たとえば十一月の婦女界が、表紙に工場の遠景と婦人労働者の肖像をつけていて内容はというと編物特輯をやっている。それは、雑誌を眺めるものに何となし両方がしっくりしないままつぎ合わされている感銘をつよく与える。何だかそこに不調和なものがあることを印象づけられる。今日の女の働き、社会生活は、この印象に似た一種の矛盾、極めていりくんで解きにくい時代的な絡み合いにおかれている実際であると思う。
 今日、社会的活動の可能なあらゆる年齢の女は、社会的な働きと家庭との間で、激しくひっぱられ又揉まれている。この四年間に、女は何と夥しく家庭から社会的勤労へとよび出されただろう。事変直前と去年の十一月とを比べると、婦人労働者の数は三十六万人の増加で、二百二十三万人になっている。時局産業では、男よりも女の増員率がずっと高くて、昭和十三年でさえ二年前の約倍の十万六千八百人が機械工場で働くようになって来ている。それでもまだ女の働き手は要求されていて、例えば来年女学校を卒業する娘さんは六千五百名という見込みに対して求人は一万三千という有様である。小学校を出たばかりの少年たちの力も全国的に動員された上でのことである。職業紹介所は更に最近労務資源枯渇の現状に鑑み、銃後女子勤労要員制度というのを編み出した。十四歳から四十五歳迄の女子に三ヵ月ずつ期間を区切って午前十時から午後三時迄日給六拾銭で工場の労働をさせる。もともと家庭婦人の動員を眼目にしているから托児所の施設をも条件とし、女の労働力の社会的吸収と同時に、労務管理の改善をも計るのが趣意とされている。働き先は、この場合にも軍需産業が第一位を占めている。調査に対して答えたこれらの家庭婦人たちの就職の動機は、銃後奉公、遊んでいてはもったいないという云いあらわし方が多数を占めているけれど、大部分の主婦たちが今後長くつづけて働きたいという希望をもっており、収入のつかい道は子供のための貯金、家賃米代が主であってみれば、昨今の物価高につれそこに彼女たちの労働の現実の微妙な生きた必要がうかがえると思える。
 そんなに急に、多数の女が時局産業に働きはじめているのに、金属工、機械工の最高の稼ぎ高でさえも女は男より三分の一から半分の給料しかとっていないことも、目をひく事実である。女の体で出来ない仕事の種類もあって、そのための規定もつくられているのだが、女子の適正賃銀がきめられた結果、これ迄より一層収入が減って動揺している部分があるということも、ひとくちに、金が目あての心掛けではと云いすてることも出来まい。
 女の賃銀にしろ、男と全く同じ働きでさえ女だからと五銭なり十銭なりやすくしなければ気のすまない従来の習慣に対して、労務委員会あたりでは談笑のうちに、女がどっさりとるようになると永く働いていて男の邪魔になるし、婚期がおくれて人口問題にもさし障る、と至極楽天的に片づけられていることが、委員の一人である奥むめお氏が新聞に語られていた。ところが面白いことには、女は常に、勤めても永つづきしない、だから給料もあげてやれない、と叱られつづけて来ているのだ。あちらを見、そしてこちらを見たとき、日本の忍耐づよい女の顔は、どんな微笑を浮べればいいのだろう。
 こういう根本のところで、現在の働く女性のことごとくが家庭と社会的活動との間で小づきまわされている。女の電車賃、女の湯銭は日本のどこにもきめられてないのに、とるものだけにはそんなにくっきり女の賃銀とやすくきめられて在るというのは何と不思議だろう。
 外で十分働いても女は家庭へかえれば男のしらない雑用があって、疲労が激しいということは周知のこととなっているが、十二時間働いて、家へかえれば眠ることしか残されていない若い娘たちが、その間でもやはり将来主婦となったとき世間一通りのたしなみが身についていなければと心を悩ましている可憐な思いを、日本の女のいじらしさとばかり鑑賞していてはむごいと思う。働く娘たちは、体と心と精一杯その青春を社会のために役立てながら、その現実に決して自信をもちきってはいない。男に働く娘を妻としたがらない気持のつよくあることを彼女たちはまざまざと知っている。どんなに給料をやすくしてくれても女の結婚難はそのことからでは解決の見とおしはないのである。
 この頃は早婚が奨励されていて、竹内茂代氏の説では女の適当な年齢は十九から二十歳と示されている。そして、よい母となるために女の生理の完全を要求せよ、と云われており、毎月おなかが痛むような娘はよろしくないとされている。こんな点からも、働く若い娘たちはおそらく心ひそかな恐怖を感じているだろうと思う。本年の初め、厚生省の監督課谷野せつ子氏の調査が某新聞に発表されたとき、その第一の項には、工場の働きが若い女の体を蝕むことの訴えがのせられていた。三年間ぐらいは、それまでの生活から貯えられていた健康でどうやらもつが、四年目から非常に健康をそこねやすくなることが語られていた。おなかも痛むようになって来るのだろう。高等小学を出てすぐ働いた娘さんたちにしろ丁度その頃から竹内氏の云われる結婚適齢に入る勘定となって来る。そして、事変から今年は四年目にも当る。ここにも女にとって切ない板ばさみがあらわれている。
 各会社の利潤統制から、社員の足どめ策もあって内部の福利施設が行われるようになって来ているそうだが、谷野せつ子氏が熱心に求めている健康保護、災害防止の設備はどの位改善されつつあるのだろうか。関係会社十六社、社員二十五万人の日産では、「むすび会」というのをこしらえ、社員の結婚相談にのり出した。発案者の宇原重役の最初の考えでは、国策に沿うと同時に社員に安心して精励して貰うための、「会社の利益から打算しても、相当の予算を組んでやって決して損とならない一石二鳥の仕事である」と思われたのであった。然し、現実は複雑で、事に当って見ると、先ず結婚の世話に迄のり出せば勢い会社がそれらの人々の生活保障に責任をもたねばならないこととなり、手当を一人分だけですませなくなるということなどから、関係会社は一向気のりして来ないのだそうだ。「むすび会」は事実上高級社員、確かな人物という範囲でだけ動いていて、社内一般の労務者の生活のよろこびの源とはなっていないわけである。ここに、営利会社というものの本質からの撞着の姿があるし、働く男女のおかれている社会の条件のむきつけな露出もあると思う。
 国家が賃銀制その他をきわめてゆくからには、働く女のための施設について、制度としてそれを各工場や経営に行わせてゆくのは決して不可能なことではない。今日の常識は、明日の日本のためにそれを極めて当然な緊急時としているのである。
 社会的な働きと家庭との間で女を板ばさみにしている荒い現実は、変な心理にも歪んで表現されているのではなかろうか。たとえば、この頃ちょいちょい耳にする二人連れへの咎めだても、人気の時代的な荒っぽさにつれて女というものへの何か動物的な偏見の心理が感じられる。働く女がこんな勢で殖えているのだから、働く男女らしい傍目にも心持よい二人連れが殖えてゆくのは自然だろうのに、咎めだてされなければならない一組がふえているだけだとしたら、それは余り惨めだと思う。堅気の働く若い娘なんか、二人連で外を歩いたりしないし、又そんな時間があるものかとそれを正常と思われているとすれば、そこには又それとして納得しがたい若い人生の声々があるだろうと思う。
〔一九四〇年十二月〕





底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「改造」
   1940(昭和15)年12月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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