その願いを現実に

――※[#「火へん+華」、第3水準1-87-62]子さんへの返事として――

宮本百合子




 昨年のことであったか、それとも一昨年になるか、わたしはある婦人雑誌で思いがけない柳原※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんの文章をよんだ。そして深く心にきざみつけられた。その文章で、わたしははじめて※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)さんが愛息香織さんに戦死されたことを知り、母としての※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんは香織さんの霊が不滅であることを信じずにはいられない思いであることを知ったのだった。
 ※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんが宮崎龍介氏との結婚を法律的に認めさせ、香織というかぐわしい名を与えたその赤子を自分たち夫婦の子として確保するために、二十数年前の日本で、因習と封建的な体面をすてて、どんなに雄々しくたたかったかということを知っているひとは、きょうの若い女性のなかにはすくないかもしれない。香織さんは、※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんにとって偶然の子ではなかった。一人の女が愛の力にはげまされて伝統の垣をうちやぶり、力のかぎりたたかってその人の妻となり、やがてその子の母となったという意味で、香織さんは全く母性そのものによって意欲されて生まれた愛の子であった。※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんがその香織さんに戦死された。戦争で子を失ったすべての母たちの嘆きが、※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんの苦悩に表徴されているようにわたしには感じられた。そして、妻たちの悲しみが。愛が破壊されたということで、※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんは最もはげしく戦争の惨禍をうけた婦人の一人である。
 香織さんの霊が不滅であると信じずにいられない思い。命日には同じ思いの人々が集って涙をしぼる物語に心を休めているにしろ、その嘆きの底に「あれは一体、誰ゆえに」という疑いが絶えることなく閃いているというのは、理性の方法をもって愛のためにたたかった※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんの精神が、悲しみで朽ちさせられていないからこその真情だと思う。そして、戦争にふるい立てられていた当時の「あのすさまじい皆の心、それと同じものが世界平和のために湧き上らぬものかしら」という言葉は、※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんににじりよって、その手をとらせたい心にさせる。そうなのよ、※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さん。わたしは、どんなに、※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さんから、真実なそのひとことをおききしたいと願っていただろう。そのひとことが、全日本の女性の胸の底にこだまとなってひびくことを願うだろう。
 日本には百八十八万人の未亡人がいる。その一人一人が母ではないかもしれないけれども、妻としての人生に傷をうけなかったひとは一人もいまい。世界の善意はこんなに平和のために動いていて、日本のなかにも痛切に平和を求める人々の動きがおこっている。日本の女性こそ、戦争を拒絶し、平和をまもるために働かずにはいられない立場の人々だと思う。それだのに、その声は、みんなの心にひそんでいる思いをそのままの高さとつよさにまでは表現されていない。
 ※(「火へん+華」、第3水準1-87-62)子さん。わたしたち女性は、生物的にしかわが子を生めないものだとお思いになる? あなたの愛がそんなに大きく、そんなに母として深い傷にいまなお疼いているのに、もう一遍、その傷のいたみからかぐわしの香織を生んで見よう、と思うことはおできにならないかしら。こんどは戦争の兇猛と非人間性に向って抗議し、平和のために行動する、きょうという歴史の時代における香織を。そのために、人間としての母の愛が老いすぎたということがあり得るだろうか。そのために現実の方法がないということがあるだろうか。人類は平和を女性の姿で表徴する。このよりどころは非常に深い。平和が破壊されたとき最もむごたらしい犠牲となるものはあらゆる時代において女性であることを人類は知っている。
〔一九四九年四月〕





底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年5月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「婦人民主新聞」
   1949(昭和24)年4月23日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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