この間、ほんの四五日であったが奈良に行った。そして、短い時間に慾張って処々の寺にあるよい仏像などを見た。奈良には、十九ばかりの頃、中学三年生の弟と春休みに数日暮したことがあった。その時は大阪にいた親戚により、大阪から今はもう廃業してしまった対山楼に行った。梅林があり、白梅が真盛りで部屋へ薫香が漲っていたのをよく覚えている。何にしろ年少な姉弟ぎりの旅だったので、収穫はから貧弱であった。博物館で僅の仏像を観た位のものであった。然し、足にまかせ、あの暢やかなスロープと、楠の大樹と、多分
今度の旅行では、永年心に印象され憧れの胚種となっていたそれ等自然の感銘の上に幾分豊富な芸術的知識を加え得た。精神の活々する実に楽しい旅であった。けれども、寺々を歩いているうちに、時々私の心持を陰気にさせる一つのものがあった。それは、仏像拝観に訪ねた私たちを案内したりもてなしたりしてくれる僧侶が、大概ごく若いのにまるで大人ぶり、それも一人前の坊さんぶるのではない軽薄な美術批評家ぶって、小癪な口を利き立てる淋しさである。やっと十九か二十ぐらいの、修業ざかりと思われる若僧が、衣の袖を翻して心得顔に、
「結構なものですな。まるでギリシア彫刻を見るようです、大理石の味がある」
などと云う時、ははんと寥しいのは、私の性根がひねくれているのだろうか? 奈良の僧侶の多くの者は、祖先の遺産が沢山すぎ立派すぎて或る点スポイルされていると私は思った。種々な人間が、天平、弘仁の造形美術の傑作を研究し、観賞しに奈良を訪ねる。本当の芸術愛好家なら、仏教の信仰をそのものとして奉持しなくても、美から来る霊的欽仰を仏像とその作者とに対して抱かずにはおられない。彼等は感歎し、讚美する。端厳微妙な顔面の表情や、腕、脚の霊活な線について。よき芸術にふれた歓喜を、彼等は各々多くの場合専門語で表現するに違いない。そう本ものの美術観賞家とも生れついていまい若者は、傍でそれ等テクニカル・タームの数々を耳に浚い込む。文学青年という熟語があれば、奈良の若僧中には、美術青年がある。無礼を顧ずいえば、彼等は僧として、高邁な信仰を得ようとする熱意も失っていると同時に、芸術的美に沈潜することによって、更に純一な信心に甦るだけの強大な直観も持っていないようだ。自分達の本堂に在す仏を拝んでは、次の瞬間に冷静な美術批評家ぶって見、それを些か誇とする――私の穿ちすぎた感じ方かも知れないが、そこに何とも云えず佗びしいものがある。本気で修業する僧と、外来の者を案内したり何かする事務員とは別々な方が自然だ。京都では、この点、もっと俗悪に病的になり下っている。悲しいが憎めない奈良の若者の稚気ある口真似と比較にならない、憎々しさ、粗暴さが、見物人対手の寺僧にある。彼等は、毎日毎日いつ尽きるとも知れない見物人と、飽々する説明の暗誦と、同じ変化ない宝物どもの行列とに食傷しきっているらしい。不感症にかかっているようだ。
〔一九二五年七月〕