二人の弟たちへのたより

宮本百合子




 火野葦平さんが先頃帰還されて、帰還兵の感想という文章を新聞にかいていました。そのなかで、最も私の心をうったことは、戦線にいる兵隊さんたちは、だれでもみんな故郷からのたよりを待っている。何でもない毎日のことを書いた、その何でもない手紙というものこそ待っているのだ、ということでした。これは全くそうだろうと思います。丁度その文章をよんだとき、従弟の一人でもう二年以上内蒙に出動しているのから手紙が来て、そっくりそのとおりのことを云ってよこしていました。あたり前の何でもない日々のことを書いたものが読みたいと沁々思う、と。
 これは達ちゃんの実感にもきっとあることでしょうね。隆ちゃんにしてもそういう感じでしょうと思います。私は先ずこのたよりのなかで、出来るだけこまかく、その何でもない心が休めるような毎日のいろんなことをすこし話したいと思います。
 先ず、二人とも丈夫のことを心からうれしく思って居ります。もうそちらは寒いでしょうね、零下何度ぐらいになりますか? 東京は一時急に秋が深まったようで寒くなりましたが、この二三日はどういうわけか暖くて、きょうは珍しく朝から午後まで雨が降りました。垣根越しにお隣の柿の木の色づいた葉が見えますし、市中の並木の銀杏も大分黄色くなりました。プラタナスの枯葉がきょうのすこし強い風にふきおとされて雨にぬれた歩道に散っていました。日比谷公園では例年のとおり菊花大会をやっています。用事で公園をいそぎ足にぬけていたら、いかにも菊作りしそうな小商人風の小父さんが、ピンと折れ目のついた羽織に爪皮のかかった下駄ばきで、菊花大会会場と立札の立っている方の小道へ歩いて行きました。
 先達って靖国神社のお祭りの時は、二万人ほどの人々が上京したそうでした。電車の中にも省線のなかにも胸にしるしをつけた老若男女の姿があって、古風な紋付羽織を着たお父さんにつれられて、赤ちゃんを抱いた黒紋付の若い女のひとの姿などは、特に人々の眼をひきました。夜は、星空をサーチライトの光が青白く、幅ひろく動いていました。今年の春のお祭りには、お母さんも丁度終りの日から御上京でしたから、お詣りもなさり、いろいろ珍しいものも御覧になりました。あのときは日光見物にいらした汽車のなかにも胸にしるしをつけた人たちが、どっさりのり合わせました。中禅寺湖のまわりの群集も大部分がそういう人たちでした。
 お母さんはお元気ですから御安心下さい。九州のあの有名な中風よけのお灸、あれをこの間お据えになったそうです。体にはよく気をつけていらっしゃいますから、御心配いりません。この間の村の秋祭りには、あなた方のことをお祈りになって御馳走をおこしらえになり、若い連中をおよろこばせになったそうです。多賀ちゃん、静にしておいで、と障子をしめてちゃんと坐っていらっしゃるから何がはじまるのかと思ったら、三味線で春雨やなんか爪弾きなさいましたって。何十年ぶりのことでしょう!
 男の子ばかりもって、家は今一人でやっていられるお母さんは、どっさりあるでしょう。そして、そういうお母さんがたが、やっぱり勇気をもって、稼業を励みながらたまには、そんな気のくつろいだ時ももたれるかと思えば、何とも云えない気がしますね。あなたがたは、家にいる間実によく働いてお母さんにもよくしてお上げになったから、それもどんなに今のお母さんのお気持の支えとなっているかしれますまい。戦線の方の詠まれた和歌で忘られないのがあります。
  湯治せよと金を送つてやりたれど
  思へば稼業にせはしき母か。
 お母さんの御境遇もこれですね。私も出来るだけのことはいたしますから御安心下さい。
 店のトラックもずっと無事に動いています。東京の円タクはガソリン・スタンド廃業というようなことがある位で一日二ガロン半とかも手に入りにくい時があるらしいが、あちらはどうやらやりくっているから助ります。
 今年の冬から、日本じゅうお米が七分搗になります。ビルディングの暖房もずっと減ったり無くなったりするそうですから「寒帯ビル」も出現するそうです。そうしたら七十二歳の老人が主唱で更に「外套無し」を宣伝しはじめているというニュースが新聞に出ていました。
 この間東北の或る地方へ旅行したひとの話に、そこの町ではバスの運転手が若い女になっていたそうです。バスの車掌さんはどこでも若い娘さんでしたが、若い女の運転手さんの手で動かされるバスはありませんでした。それらの若い娘さんたちはどんなにか一生懸命な心持で、大きいバスの運転をしていることでしょう。重工業の工場で女がよく働くようになっていることは、もう御存知ですね。
 隆ちゃん、あなたの馬は丈夫でしょうか。この間もニュースで、泥濘のなかを馬の口をとって一心不乱に前進している兵隊さんの顔を見て私は隆ちゃんのことを思いました。さぞ、こういう時もあるのだろうと思って。あなたの丈夫なのは分っているが、馬もどうぞ丈夫なように、と心から思います。お兄さんに時々手紙かきますか? いつか達ちゃんの手紙に、あなたが、うちにいたときはまとまった口もきかないようであったのに、そちらへ来てからよこす手紙には面白いことが書いてあって、と嬉しそうでした。
 どこかわからないが、今あなたのいるところは、日露戦争の時、亡くなった御父上の行かれたところだそうですね。さぞ深い感慨をもって山々を眺めていることでしょう。(もしその辺に山があるならば、というわけです)
 野原の様子も随分変りました。あの辺一帯は全く新興地帯で、トラックの往復もはげしくなったので、島田川の堤の上の道幅がカーブのところではすこしずつひろくなりました。島田市の先からもうチラホラ朝鮮の人のバラックが建っていて、夕方など通りがかると夕餉の煙と明笛の音がきこえたりします。
 前の河村さんで兎を相当どっさり飼っていることは知っているでしょうか。線路沿いの三角の空地のところに、段々の巣箱をつくってそのなかにアンゴラや何かがいます。去年は雨が多すぎて兎の体にわるかったそうですが、今年は又土瓶水という有様で、兎はどうだったでしょう。
 うちの鶏は、夏の間も毎日二つずつぐらい玉子を生んだそうです。東京は今玉子が百匁で三十七銭です。公定価格です。真黒いひよっこがかえったそうです。真黒な小さい黒ん坊のようなヒヨコは可笑しくて可愛いそうです。
 寒気のきびしい間、どうか益々体に気をつけて下さい。
〔一九四〇年一月〕





底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「輝ク部隊」第一輯
   1940(昭和15)年1月1日発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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