双葉山を手玉にとった“じこう様”について

宮本百合子




 邪教の話はいままで沢山あったけれど、この璽光教の話は非常に面白いと思いました。碁の名人、力よりも技術の相撲とりといわれた呉清源、双葉山が、そろってあやつられていたということは、この二人が日本のふるい世界では、もてはやされていたが、時代のはげしい転換期にあって、無能を暴露したわけです。これは単に頭がいいということが、どんなにあてにならないかを示したものだと思います。また邪教の教祖がほとんど女であるということは、私ども女性にとって恥かしいことです。日本の女性が常に苦しい生活をしていて精神的なゆとりがなかったということが、このような事態を生みだしたのだと思います。こんどの事件ではっきりしたことは、人間はただ頭がいいということではなしに、科学的な裏付けをもった正しい判断が大切だということと、社会がすべての人にとって不合理のないように改善されなければ、いつまでたっても邪教はでてくるということです。
〔一九四七年一月〕





底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「婦人民主新聞」
   1947(昭和22)年1月31日号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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