五月の空

宮本百合子




 一九二二年五月
 或午後、机に向って居ると、私の心に、突然、或諧調のある言葉が、感情につれて湧き上った。
 丁度、或なおしものの小説を始めようかとして居、巧く運ばないので苦しかったので、うれしく其を書きしるした。
 後、折々、そう云う現象が起る。
 純粋に云って、詩と云うもののカテゴリーに入るか、如何うか、兎に角私にとっては、斯様な形式で書く唯一のものだ――私の詩と云える。
 段々、かたくなく文字が流れ出す快感を覚える。何処まで、形式、内容が発達して行くか、
 私にとっては、頭のためにも、感情のためにも、よい余技を見出した。

  五月一日

あらゆるものが、さっと芽ぐみ、
何と云う 春だ!
自分の心は、此二十四歳の女の心は
知らない憧憬に満ち、
息つき、きれぎれとなり
しきりに何処へか、飛ぼうとする。
一つ処に落付かず
ああ 木の芽。 陽の光。
苦しい迄に 胸はふくれて来る。

     *

心が響に満ち 音律に顫えて来ると
詩の作法は知らぬ自分も、うたをうたいたく思う。
何と表したらよいか 此の心持
どう云うのだろう 斯う云う 優しい 寂しい、あこがれの心は。
小説を書く自分は、辛くなり、
原稿紙をかなぐりのけて 眼を動かす。
見出そうとするように
此心を、さながらに写す 言葉か、ものかを
見出そうとするように。

     *

それは、あの人の詩はよい。
優雅だ。 実に驚くべき言葉のケンラン。
けれども。――
そうです。あの方のも、素敵ですね。
放胆なイマジネーション。ファンタジア アラ……
然し。――私の心は、どうしても満足しない。
とん とん、と、胸に轟くこの響が、
あれ等の裡に聴えましょうか。
迫り、泣かせ、圧倒するリズムが
あれから浸透して来ますか?
ああ、私の望むもの、私の愛すもの
其は、我裡からのみ湧き立って来るものだ。
静に燃え、忽ちぱっと※(「(啗−口)+炎」、第3水準1-87-64)をあげ、
やがて ほのかに 四辺を照す。

     *

新芽をふいた世界は
鋭角になり 緑になり
平面に延る人間の心を 擾乱する。
夜中の雨に じっとりと濡れ
膨らんだ細葉を 擡げ 巻き立ち
陽を吸う苔を見よ。音が聴えそうだ。
又は勁く、叢れ、さっと若葉を拡げた八つ手、
旺盛な精力の感、無意識に震える情慾の感じ。
電車の音、自動車の疾走
戸外は音響に充ち
少年は、頻りに口笛を吹く。
静謐な家の中 机に向い
自分は、我と我がひろき額、髪を撫でこする。

     *

心に興が満ちた時
お前は、何でもするがよい。
絵を描け、強いタッチで、グレコのように、絵を描け。
歌も唱え、
美しきマイ、アイディールをきいて、泣くお前。
静かな月光が地に揺れ、
優しい魂が心を誘い 愛撫する時
愛やよろこびが、手足を動かさずには置かないだろう、
あこがれを追う手、
過ぎて行く影を追う足。
バクストは、それに、衣裳をかくのだ。

     *

今日は 何と云う日だ
自分が詩を書き、
一つ二つ 詩を書き
まだあきたらず 三つ四つ
詩を書く。――

妻と云う位置、仕事という繋制
皆自分から とけ去って
此処に 只、一人 裸形の女がある。

歌おうか、踊ろうか
 ギリシアの少女のように
 何故! 手脚はしなやかに舞わないのか

狭い日本、小さい社会
心は あまりに拡がる。
素朴に 感激を表わそうとする女
裸形の 人間 はなにか。

  五月三日

芸術の 真の 畏ろしさ
心に 真実 愛が満ち
信に安らいだ時
私は始めて 物も書ける。
働くことも愉快になる
女中なにか。何!
物が真個に書ける時
私は、うれしく働ける。
生きることの ありがたさ。
何故いつも、斯様にはあらぬか
        わが、こころ。

     *

あわれな、わが、こころ、
歓びに躍り
悲しみに打しおれ
いつも揺れる、波の小舟。

高く耀き 照る日のように崇高に
どうしていつもなれないだろう。
あまりの大望なのでしょうか?
神様。

     *

自分は 始め 天才かと思った。
   あわれ あわれ は……。
然し、その夢も 醒めた。 有難い。
今は、一片の草のように
つつましく、愉しく、熱心に芸術に向って居れば。安らえる。

  発育

始めに 本能の憤りが 来
次に 道徳 正義の感が起る。
やがて そろそろ 耀きの実体が見え
憧憬と帰依とが 全心を占める。
真の芸術への直覚。
 然し、此時多くの 友達と、所謂読者はお前を離れるだろう
彼等には あまり ひためんだから
あんまり 掴む あぶはち、とんぼ が
        見えないから。

     *

勢こんで ものを書き
非常に おなかが 空いた。
何か食べたいな。――然し良人はまだ帰らない。――
 自分は、座って サイドボールドの中を覗き
 美しい柳の描いてある 水なし飴を一つつまみ
 ひとりで、部屋を見廻し 味わう。
考えて見ると――貴女はそう思いませんか?
人間そのものが芸術であると、思う。
音楽や、絵や、建築、文学が、皆
我々の、皮膚の下、髪の裡、眼の底にある。
それ故、時に 魂が熱し鳴りひびき
どうにも 仕方のない時が
     あるのではありますまいか。
歌のうたえるものはよし
線で 宇宙を抱けるもの、文字を愛せるものはよい。
何にも、心を注ぐすべない人が
めくら滅法に 恋をする。
   夢中になって する――
その心根は、いじらしい。

     *

或時には
余り朗らかとも云えぬ情慾を混えた夫婦の
        愛を経験して見ると
親子の愛
まして 自分と父との仲にあるような 父親の
いつくしみの微妙さを 思う。

いささかの陰翳かげもなく
調和し 活力を増し
箇性を のどかに 発育させる。

犇々ひしひしと思い出が迫り
父のなつかしさ!
四つ五つの 我にかえる――。

     *

心に 満ち充ちる愛も
金がないので 表し得ない時のあるのを
又その時の如何に多いかを
此頃知り
憂いを覚ゆ。

父の上を思い、いろいろの なぐさめや悦びを与えたい。――
それは、勿論 ものばかりが
我心のまことを告げは しない。
けれども、ものも 入用るときがある。

春先 一緒に 二日三日の旅もしたい。
子供の時から愛され 又我も愛し
然し 我ままで、勝手に振舞った過去を思い
ゆっくり、よい伴れになって
一生には せめて 一二度 旅がしたい。

此思いは、何で晴らせる?
どうぞ 自分に僅かの金がたまり
のどかに 父と旅行出来るように、
どうぞ それまで 父上
たっしゃで 元気で
今の もうちゃまで いらしって下さい。

  五月二十六日

わが心は 深き 井戸
くめど くめど 水はつきず――
つきぬ思い 湧き出ずる。

そをくみあげる
小さな一つの 釣瓶
昼はひねもす 夜はよもすがら
ささやかに 軋り まわれど
水は つきず
わが おもい 絶ゆることなし。

或時は、疲れたる手をとど
瞳遠き彼方を見る。
美しい五月の自然
白雲の湧く空のすがた
ほのかに 芳香をまき
少女のように咲きみつる薔薇花。
されど ときには 指もたゆく
心もなえて 足もとを見る
あわれ わが井戸の 小車
いつも いつも くるめくと。

くるめく 井戸の小車
天をうつす 底ひの 水
滾々こんこんと湧き満ち ささやかになり
   われを待つ。

  愛らしいわが原稿紙(25th May)

愛らしいわが 原稿紙
おまえが、白紙に青の罫を持ち
その罫を
一面の文字で埋めて居るのを見ると
私の心はおどる。
朝、さっぱりと拭き浄められたマホガニー色の机の上で、
又は、輝やいた日の午後
北向の障子の棧が
単純な 日本の四角を浮上らせる傍に。

八畳の 部屋に入り
縁に出ようと 机のわきを過る時
ちらりと見る お前の姿は
何と云う楽しさだろう。
私は、十九の恋人のように
そっと眼の隅から、お前を見
思い切れずに 再 見なおし
終には 牽かれて その前に腰を下して仕舞う。
あかず眺め、眺め
心は故郷ふるさとに戻ったような安息を覚えるのだ。

ああ、わが愛らしい原稿紙
いつも、お前の 懐しい乳白色の面の上に
穏やかに遮られた北の日光を漂わせよ
夜は、麗わしい台ランプの
穏密な緑色のかげを落して
われとともに
うたい、なげき、悦びにおどれ。

愛らしい 愛らしい わたしの
 原稿紙。

  同じ題

何と云う すなおな心を持つお前か
私が泣けば、お前の面も曇らずには居ない。
私が歓びに打ち震え 見つめれば
おなじ悦びに 眼を瞠り 微笑む。
夜のとも
昼のとも そして わが一生の友、原稿紙。

一ひら 一ひら、お前を、
市井の文具店の蔵から迎えよせ
私の周囲には、次第に多くのまといが出来た。
それ等の声に耳を傾け
私も亦 人に洩れぬ 私語ささやきで 物語り
見えぬ友情
絶ち難い 愛が 二人の胸を繋ぐ。

私は、此一生を
お前の 愛に捧げよう、
我生をその愛に献じ
魂をこめて生命を伝えたら
生存が お前の奥に埋もれ切った時
お前らは 私の囲りで 素晴らしいモニュメントともなるだろう。

ひとは 只一ひらの紙を見る。
然し 何たる命があるか
よき友わたしばかりは
神秘な おまえの息ぶきを感じるのだ。

     *

心が沈み 希望が色あせた時
よき友、お前はその点々の線から
サファイヤのような耀きを燦めかせて
私の心を 鼓舞して呉れ。
お前の裡には
慕しい我北国の田園も
日に戦ぐユーカリの葉もある。
野に還し、不思議な清澄への我ノスタルジアを癒して呉れるのは
お前の
見えない心の扉ばかりだ。

無限の世界の上に
ただ ひとひら
軽く ふわりと とどまって居るお前
耳を澄せば 万物の声が聴える
まなこをきよめれば 宇宙があらわれる
畏ろしい 而も 謙譲なお前
紙と呼ばれて
ねんごろに 日を照り返すのだ。

  五月二十九日

わが心 素朴な 原始に還り
一目で、ものの しんを掴みたく思う。
現代の 複雑さ、未来派や耽美派やソシアリストや
皆、生命の ワン グリムプスを奉じて居ると思う。
生命の本源、生存の真髄は
決して、ナレッジで啓かれ、触れられると思わない。
大なる直覚、赤児のような透視
無二無私に 瞳を放つ処に
真の根源があると思う。

我等は、教育の概念にあやまたれ
社会人の 才に煩わされ
ホメロスの如き 太古の本心を失った。

何処までも 繊細に 何処までも 鋭く
而も大らかに 生命の光輝を保つことこそ
人間は、芸術は
甲斐ある 精神の果実だ。
其処に 日が照り 香気がちり
朽ちても 大地に種を落す
命の ひきつぎて となり得るのだ。

私は、謙譲な 一人の侍女
それ等の果物を一つ一つ
みのるがまま、色づくがまま
捧げて 神に供える。
朝 園を見まわり
身体を浄め
心 裸身で
大理石の 祭壇に ぬかずく。

或時は 常春藤のにもり
或時は 石蝋の壺に納め
心 はるばると、祈りを捧げる
 神よ、四時の ささやかな人間の寄進を
 納め給え、と。

冬見た私を、今日同じ私だと思うだろうか?
又、雄々しい活力が、今私の心を揺る、
サムソンのように、
殿堂の柱に、今手をかけたサムソンのように
神の命あれば
山をも移す 信仰が
野に来、自然に戻った私の胸に満つるのだ。

草の戦ぎ! ひたと我下にある大地
ああ、よい 初夏よ
私は 母の懐 野天に帰り
心安らかに
生命の滋液を吸う
胡坐を組み
只管ひたすら
イスラエルの民のように
父なる天に溶け入るのだ。

  文明人

可笑しな 文明人
何故 あの人々は
アラビヤ人のように胡坐を組んで坐らないのでしょう?

胡坐はよい。
わが 小さい体の下にも
強い大地があるを感じ
空は 猶高く、仰がれる。

草を見るのに
窮屈にかがますと
首を延し、自分の仲間で茎を見られる。
地を這う小虫も
麗しい五月の 地苔こけ
皆、すぐ 体の囲りで
ささやかな 生を営むのだ。

高く 高く 安定のない魂は寂しい。
救われる道がなく寥しい。

空は円く高く 地は低く凹凸を持ち
人は、頭を程よい空間に保って
はじめて
二つの心が、謙虚な霊を貫くのだ。

  心

自由に 自由に
何処までも 行こうとする心。
十三の少年のように
好奇に満ち、精力に満ち
野蛮な わが心。

しとやかな女と云う
仮の区別は私を困らせる。
妻と云う
奇妙なさだめは、私に溜息をさせ、笑わせる。

光りのように閃めき、跳び 貫こうとする我心
本体は我にさえ解らず
間抜けた侍女のように
いつもあとから「」が
実質の 影を追うのだ。

  鶏

裏の小屋の鶏
真昼 けたたましい声をあげる。

昨日も、おとといも 又さきおとといも
私は部屋から声をきいた。

然し、何と云う いやな音。
雀は勿論 彼等は電車より厭な声を出す。
濁り、限られ、さも苦しそうに
あとから あとから
ケッケッケッケッ、コキーケッケッ
と叫ぶのだ。

風が吹くのに
空は碧いのに
あの声ばかりは 繩で縛られ身を※(「足+宛」、第3水準1-92-36)くようだ。

新らしい卵を産んだと云うのに
朗らかな歌も歌えない鳥類――
若しや――人間に飼われ 飛ぶ空もなく
卵はあとから盗まれるので
彼那 不快な心になったのか?
若しそうならば――……
ああ、あわれ あわれ
彼等は 野禽の昔さえ
 憶い出さないか?

     *

大空は からりと 透きとおり
風がそよぎ
薔薇は咲き匂う
今はよい 五月だ。

されど、又来る冬を思うと
私の心は、悲しくなる
子供に、夕方が来るように。

あの 寒さ
憐れな木の家の中で 凍る頭や指先
丸くちぢまり 呼もせず
すくんで暮す 朝夕を思うと

出来るなら 黄金の 壺に
此 初夏の輝きを 貯えたく思う。
胸に抱けば 暖かろう
蓋をすかし そっと覗けば 眼も耀こう

愉しい 我心の歓びが還り
愛が とけ
恐ろしい横眼が
真直な 正視に 微笑もう。

何処かに
此 かがやきと色とを
掬いとる 小籠はないか
賢い ハンス・アンデルセン
ノーウェーで、
五月の空気は 薫しくありませんですか?





底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年5月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
初出:同上
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について