悲しめる心

宮本百合子




          我が妹の 亡き御霊の 御前に

 只一人の妹に先立たれた姉の心はその両親にも勝るほど悲しいものである。
 手を引いてやるものもない路を幼い身ではてしなく長い旅路についた妹の身を思えば涙は自ずと頬を下るのである。
 今私の手元に残るものとては白木の御霊代に書かれた其名と夕べ夕べに被われた夜のものと小さい着物と少しばかり――それもこわれかかった玩具おもちゃばかりである。
 柩を送ってから十三日静かな夜の最中に此の短かいながら私には堪えられないほどの悲しみの生んだ文を書き上げた。
 これを私は私のどこかの身にそって居る我が妹の魂に捧げる。
 仕立て上げて手も通さずにある赤い着物を見るにつけ桃色の小夜着を見るにつけて歎く姉の心をせめて万が一なりと知って呉れたら切ない思い出にふける時のまぼろしになり夢になり只一言でも私のこの沈み勝な心を軽く優しくあの(ママ)さな手で撫でても呉れる事だろう。
 あの細い腕を私の首に巻いて自分の胸にあの時の様に抱きしめても呉れるだろう。
 はかないその日のうれしさを今か今かと涙ながらに待ちながら――
  大正三年九月二十六日
こよなく尊き 宝失える 哀れなる姉
  小霧降り虫声わびて
    我が心悲しめる
      夜の最中

        (一)

 私は丁度その頃かなりの大病をした後だったので福島の祖母の家へ行って居た。
 貧しいそいで居て働く事のきらいな眠った様なその村の単調な生活に少しあきて来かかった十日目の夜思いがけず東京から妹が悪いと云う電報を得た。
 ふだん丈夫な児の事ではあるし前々日に出した手紙に一言も病気については云ってないので祖母はどうしても信じなかった。その二日ほど前から女中が病気で実家に行って居たので私がなりかわって水仕事やふき掃除をして最初の日に二箇所の傷を作った。
 働くのが辛いからそう云っちやって電報を打つ様にさせたんだろうなどと祖母が云ったりした。
 もう三日ほどしたらと思って居たのを急に早めて翌日の一番で立つ事にした。
「お前が行ったって死ぬものははあ死ぬべーっちぇ。
 いろいろに引きとめるのをきかないで私は手廻りのものを片づけたり、ぬいだまんま衣桁になんかかけて置いた浴衣をソソクサとたたんだりした。
 たえず心をおそって来る静かな不安と恐れとがどんな事でも落ついてする事の出来ない気持にさせた。
 眼の裏が熱い様で居て涙もこぼれず動悸ばっかりがいつも何かに動かされた時と同じに速くハッキリと打って声はすっかりかすれた様になって仕舞った。
 指の先まで鼓動が伝わって来る様で旅費のお札をくる時意くじなくブルブルとした。
 今頃私が立つ様になろうとは思って居なかった祖母は私に下さるお金をくずしにすぐそばの郵便局まで行って下すった。
 四角い電燈の様なもののささやかな灯影が淋しい露のじめじめした里道をゆれて行くのを見ると今更やるせない気持になって口の大きい気の強い小さい妹の姿を思いうかべながら大きな炉の火をのろのろとなおしたりして居た。
 九時頃だったけれ共もう寝ていくら呼んでも駄目だったと祖母は行き損をして又元の形で帰っていらしった。
 家の病人の悪いと云う事で旅先から帰ると云うのは私にとっては今度が初めてで口に云い表わせないワクワクした気持がそう云う事に経験のない私の心を目茶目茶にかき廻した。どうぞして気を鎮めたいものだと思って欲しくもない枝豆をポチポチ食べながら今度の病気の原因を話し合ったりした。不断から食の強い児で年や体のわりに大食した上に時々は見っともない様な内所事をして食べるので私が来る前頃胃拡張になって居た。胃から来た脳膜炎だろうと云うのが皆の一致した想像だった。
 若し実際脳膜炎だとすればどうぞ死んで呉れる様にと私は願って居た。
 自分の妹を死ぬ様になどと云うのはいかにも惨酷な様に聞えるけれ共たった一人の妹を愛する心は白痴の恥かしい姿を生きた屍にさらして悲しい目を見せるよりはとその死を願うのであった。
 心はせかせかして足取りや姿は重く止めどなくあっちこっち歩き廻った、祖母もあんまりぞっとしない様な顔をしてだまって明るくない電気のまどろんだ様な光線をあびて眼をしばたたいて居た。
「兄弟達にも可愛がられないで不運な子って云うのよ。
 腹立たしい様な調子でぶつぶつ祖母は小さい妹の待遇法について不平を云った。
「兄弟が多いからでしょう、仕方がありませんよねえ。今度病気がよくなったらこっちでお育てなさるといい。楽しみにもなるしするから。
「何! なおるもんで。
 お前が行きつく頃にはもう死んでるだろう。
 重いと云って来た妹の病気について善い予期ばかりを持って居たい私の心に祖母の言葉はズシーンズシーンと響いた。
「何にも死ぬときまったっちゃあなし、
 今っからそんな事――
 やたらにムシャクシャして私はスタスタと床に入って仕舞った。自分の頭をブッつける様に横になってもなかなか眠られ様とはしないで暗の中に落つかない瞳を泳がせて居た。一時の音をきいてから間もなく私は深い眠りに入ったけれ共短っかい間に沢山の夢を見た。
 その一つは私が大変赤い着物を着て松茸がりに山に行った、香り高い茸がゾクゾクと出て居るので段々彼方あっちへ彼方へと行くと小川に松の木の橋がかかって居た、私が渡り終えてフット振向とそれは大蛇でノタノタと草をないで私とはあべこべの方へ這って行く、――私はびっくりして向う岸と行き来の道を絶たれた悲しさと自分のわたった橋が大蛇だった驚きにしばらくはボーッとして居て、やがて気がついて自分の身のまわりを見ると赤かった着物がいつの間にかすっかり青い色になって居た。妙な事があると思うと目がさめて仕舞った。どうしてこんな短っかいそれで居て何だか薄気味の悪い夢を見たんだかどうしても考えがつかなかった。
 私は目が覚めていつまでもいつまでもその夢を覚えて居られた。

        (二)

 一番の七時二十五分の列車で私は不安な帰途についた。見知らずの人がすぐ隣りに居ると思うとその人達を研究的な注意深い気持で観察し始めるので病んで居る妹の事を思うのは半分位になった。
 電報を受取った日のまだ明るい頃友達の所から本の小包をうけとった。
 まだ頁を切ってない本が三四冊あったので私は八時間の長い間そんなに退屈もしないですんだ。
 飛ぶ様に変って行く景色、駅々で乗込んで来る皆それぞれの地方色を持った人達に心がひかれて私は自分が今妹の病気のために帰京するんだなどとは云えないほど澄んだ面白い様な気持になって居た。
 氏家駅に来るまで私は本を見景色をながめして自分ではらう事の出来ないほどの不安には迫られないですんだ。
 氏家から乗って来た五つ六つの娘が痛々しくやせて青い営養不良の顔をして居たのを見たら年頃も同じ位なんですっかり気になり出して仕舞った。
 あんな青いだろうか、あれほどやせただろうか、どうか悪い病気でなくてあればいい、生きて居て欲しい。不安や恐ろしさや悲しさが私の心の中に渦巻き立つと胸がこわばって息をするにさえ苦しい様になった。
 一つところを見つめて私はせわしい息を吐きながら布団の中に埋る様にして居る幼い妹の事を思った。
 涙は絶えずまぶたに満ちてそれでも人前を知らん顔を仕終せ様とするにはなかなかの骨折で顔が熱くなって帯を結んだあたりに汗がにじむ様だった。
 死ぬとか生きるとかと云う事はまるで頭になく只私と仲の良い小さい娘に会いたいと云う心ばっかりに(ママ)配されてスタスタと走って行ったら汽車で行くよりかも近路をしたら早くはあるまいかとさえ早く行きたいと云う心が思わせた。
 平凡な田舎から出て見ると都のステーションとは気がポーッとなるほどせわしない活気のある世界であった。
 家までやとったまだ若い車夫はずるくて鈍間でゆるい足袋を雨上りのぬかるみにつけてベジャベジャベジャベジャ勢のない音を出してゆるゆると走った。
 後から来た車がいかにも得意らしくスイスイと通り越して行くと私はかんしゃくを起して蹴込をトントン蹴った、それでもズドンズドンしたらよけいおそくなるからと思っていいかげん塩梅してストンストンやってかすかな満足を得ようとする自分の心が私には可笑しくもあった。
 家の門を入ると車が二台置いてあった。
「よくないな
と思うと頭へ体中の血がのぼる様になった。車屋へお金をはらおうと思うと銅貨が一つ足りなかった。
 柱のベルをはげしくならすと、
「お帰りなさった。
と云う声が聞えると女達は私のわきに泣きころげた。
「どうなの? え、どうなのよ。
 震えて口が利けない様だった。女二人は私の靴を片方ずつぬがせて呉れた。手伝に来た男は車屋に払い私の荷物を運んで行った。
 目がくらくらする様な気になりながら私は一番奥に居る事だと思ったので西洋間へはやい足どりで入った。と、私は棒立ちに立ちすくんでしまった。それと同時に止めても止らない涙がスルスルスルスルと頬をながれ下った。まあ何と云う事だろう。
 一番先に私の眼にふれたのは沢山ならんだ薬瓶でその次には二人の医者、両親と女達にかこまれて居る私の妹は一番最後に目に入ったほど大切に取りまかれ、大切にとりまかれるほど悪く悲しまれて居た。
 パアッと瞳の開いた輝のない眼、青白い頬、力ない唇、苦しさに細い育ちきれない素なおな胸が荒く波立って、或る偉大なものに身も心もなげ出した様に絶望的な妹の顔を一目見た時――おおあの時の恐ろしさ、悲しさ、いかほど年月を経るとも、私に生のあるかぎりは必ずあの顔を忘れる事はあるまい。
 どうして忘られ様、可哀そうな。
 母は私の顔を静かに見あげて妹にその視線を向けた。取り乱さない様子――強いて気を落つけて居る母の顔にはいかにも苦しそうな表情があった。
 私はまっすぐに一人では立って居られない様になった。
 顔の筋肉の痙攣につれて無意識にしたたり落ちる涙にあたりはかすんで耳は早鐘の様になり、四辺が真暗になる様な気がして誰に一言も云わずに部屋の隅の布団のつみかさなりに身をなげかけた。
 女達は私の左右に立って「どうぞ、一言呼んで差しあげて下さいませ。どうぞ、どんなにまあお待ち遊ばして」
 今はもう只うとうとと眠って居る様な妹に一言云いたいために――一度その名を呼びたいと私は唇をしっかりかんで唇のふるえるのを鎮め、私の顔を苦しく引きつらして行く痙攣を押え様とした。
 二三分の後わずかに静かになった心をそうっと抱えて私は可哀そうな幼い妹のそばに座った。
「華子さん、華子さん。
 二言三言私はようやっと呼ぶ事が出来た。けれ共何の返事も、まつ毛一つも動かさない眼を見た時又悲しさは私の心の中を荒れ廻っていかほどつとめても唇が徒に震える許りで声は出なかった。
 母親は今朝はいろいろのまぼろしを見て、私が帰って来て嬉しいと云ったとか、視神経が痛められて何も見えず暗いから燈火をつけろと云いながら声ばかり聞えて姿の見えない母を求めて宙に手さぐったとか涙のにじんだ辛い辛い声で話してきかせた。
 耳鳴りのため、話は半分位ほか、私の頭に入らなかった。胸には数多の注射のあとがあった、どんなに苦しかったんだろう。
 まああの小さな体で居て、情ない。
 私は袴をぬいで帯を結び足元に女中は泣き伏して自分がうっかりして居たばっかりにとんでもない事になって仕舞って何とも申しわけがございません、と云ったけれ共、私はそれをとがめる気も怒る気もしなかった。それほど私の心は悲しみに満ちて居た。
 私が家に帰ったのは三時半であった。
 何をしていいのか私には分らない様になって仕舞ったので只妹の枕元に座って小さな手を握って喉の奥に痰がからまってぜえぜえ云う音をきいたり苦しいためか身もだえする手を押えたり気が遠くなるほど苦しい刻一刻を過した。
 注射も今は只束の間の命を延ばして行くはかない仕事になって息は益々苦しく小さい眼はすべての望を失った色に輝いて来た。
 涙も出ない、声も出ない。
 私の魂はこのかすかな生を漸う保って居る哀れな妹の上にのみ宿って供に呼吸し共に喘いで居る。
 私の手の中に刻々に冷えまさる小さい五本の指よ、神様!
 私はたまらなくなった。
 酔った様に部屋を出た。行く処もない。私は恐ろしさに震きながらも私は又元の悲しみの世界に引きもどされた。眼にはいかなる力を以ても争う事の出来ない絶大の権利をあくまで冷静に利用する神の影がさして、唇は開き、生の焔は今消ゆるかとばかりかすかにゆらめいて居る。
 私はあまりの事にその手を取る事はどうしても出来なかった。破けそうな胸を両手で押えて氷って行く様な気持で消えて行く生を見守った。立ったまま。
 まぶたは優しい母親の指で静かになで下げられ口は長年仕えた女の手でささえられて居る。多くの女達は冷たい幼児の手を取って自分の頬にすりつけながら声をあげて泣いて居る。啜り泣きの声と吐息の満ちた中に私は只化石した様に立って居る。
「何か奇蹟が表われる事だろう。
 残されて歎く両親のため同胞のために。
 奇蹟も表われなかった。
 遠い潮鳴りの様に聞いた啜りなきの声もそれをきき分けて自分の立って居るのを何処だと知った時――
 涙は新に頬を走り下り、歎かいは新に蘇った力をもって、私の心をかきむしる。
 幼ない五つのたった一人の私の妹よ、
 何処へ逝ったの。
 美くしく優しくとこしなえにもだして横わる小さい姿の――
 おお私のたった一人の――たった一人の私の妹よ――

        (三)

 糸蝋はみやびやかに打ち笑む。
 古金襴の袋刀は黒髪の枕上に小さく美くしい魂を守ってまたたく。
 元禄踊りの絵屏風をさかしまに悲しく立て廻した中にしなよく友禅縮緬がふんわりと妹の身を被うて居る。
「常日頃から着たい着たいってねえ云って居た友禅なのよ華ちゃん、今着て居るのが――分って?
 いらえもなく初秋の夜の最中に糸蝋のかげに臥す幼児の姿ほど美くしいものはない。悲しいものはない。
 私はその傍に静かに思いにふけりながら座して居る。
 驚と悲しみに乱された私の心は漸く今少し落ついて来た。
 たった五年で――世に出てから五度ほかお正月に会わないで逝った幼児の事がしみじみと心に浮ぶ。
 世の中の辛い義理も、賤ましい人の心の裏面もまた生活と云う事についてのつらさを一つも味わわずに逝ったのは幸福とも云える事であろう。
 尚それよりも幸福なのは偉大な力をもって人に迫る「死」そのものを知らないことである。
 病む人が己に死の影が刻々と迫りつつあると知った時はどんな気持だろう。実に「生」を求める激しい欲望に満ち満ちて居る。
 過去の追憶は矢の様に心をかすめて次々にと現われる嬉しい悲しい思い出はいかほどこの世を去りがたくさせる事だろう。
 或る苦痛を感じて死の来るべき事を知った心も我々が思う事は出来ない複雑な物哀れなものである。
 厳かな死の手に、かすかに残った生のはげしく争う辛いはかない努力もしず、すなおにスンなりとその手に抱かれた――抱かれる事の出来たのは動かせない幸福な事である。
 悲しい死によって美化された幼児の顔はこの上なく尊げなものである。
 白蝋の様な頬の色、思い深い紅に閉された小さい唇の上に表れた死の姿は実に不可思議なものに見える。今まじまじと目の前に表れ出た頬のない美くしさ、冷やかさを持って居る死は私の心にまた謎の種をおろして行く。今まで仕様事なしに私の貧しい知識の知れる限りで死の事を考えて居た心に又一つ新らしい考える気持を落して行く。
 死に対する新たなるしかも大変強い恐れとその美化する力の大なるために起る不思議な危い魅力とがかたまって一つの私には解けない謎の様なものになって来る。生みの力と絶えず争いつづける死の偉大な意味、その心などは人間にはきっぱり分りきって仕舞うものではあるまい。少くとも今の私には死の意味をさとる――その気持を思う事は出来ないにきまって居る。
 出来ないと知りつつも私の今の気持ではそれを思わずには居られない。
 只一人の妹の冷やかな身を守って静かに死を思う時冷静に感情を保つ事は私には出来ない。
 悲しさが湧く、涙がこぼれる、終には、自らの身の上にまでその事を考え及ぼして、自分が亡き後の人々の歎き、墓の形までを想像して泣く。
 皆、私の年のさせる事である。
 今日から三十年、四十年と、時がすぎて、私の髪が白くなったその時は一滴の涙もなくその事を想う事が出来るかもしれない。けれ共そうある事を希って居るのではない、私は今の此の力に満ちた蛋白石の様な心の輝きが失せて「死」の力も「生の力」の偉大さをも感じないほど疲れた鈍い、哀れな感情になる事を思うのは、いかほど辛い事だろう。
 どれほど、白髪が、私の頭を渦巻こうとも額にしわが数多く寄ろうとも、只、希うのは、健に、敏い感情のみを保ちたいと云う事である。
 今私が、妹の死を悲しんで、糸蝋の淡い灯影につつましく物を思いながら幼い魂を守って居る。
 けれ共幾年かの後は私が守られる人となるのである。その事あるを今日から思いまたもう遠い遠い過ぎた日からその事あるを思って、私の体はよし消滅しても私の思想ばかりは不朽に生をうけ得る様に日々務めて、尊い不朽の生を得る事の出来るだけの思想を築こうとして居るのである。
 私の年頃、十代で若しくは二十代で死ぬのはまことにつらい事だし五十位の人も又激しい生の愛着を持って居るのだ。実現されない希望を多く胸に抱いていくばくかの努力と勤勉の後、生れて居る現実を楽しんで居る。私共は胸に多くの希望があるがために死ぬのはまことにつらい。どれほど美くしく、どれほど見事に自分の希望が達せられるかと思う心が一時でも生にある事を望ませる。
 五十六十ともなれば今までの仕事の仕あげをする一種の喜びに満ちて居る。
 長年の苦労によって築きあげられた自分の事業に丁寧に親切なみがきをかけていよいよ尊くなりまさって行く時に死の手にその身をゆだねる事を誰が喜ぼうぞ。いずれの時に於ても、死を知らぬ幼児のほか思いなく自分に迫り来る死を迎える事は出来ないのである。
 神仏の力によって、生死の境を超越した人でないかぎりは必ずそうあるべき事なのである。何処に居て誰の手に寄ろうと死は一つ死で有ろうけれ共、私は、我が幼児が親同胞にとりかこまれて、何物にもたとえ様のない愛の手ざわりと、啜り泣きの裡に逝ったと云う事はさぞその魂も安らけくあっただろうと想う。
 誰一人額に手をふれる人もやさしい涙にその今はの床をうるおすものもなくて逝く魂ほど淋しい不安なものはあるまい。
 我がために涙をながして呉れる人が此の世に只一人でもあるうちは私は必ず幸福であろう、それを今私はめぐみの深い二親も同胞も数多い友達も血縁の者もある。
 私の囲りには常にめぐみと友愛と骨肉のいかなる力も引き割く事の出来ない愛情の連鎖がめぐって居るではないか。
 実に感謝すべき事である。
 夢の如く生れて音もなく消え去った私の妹の短かい、何の足跡も残さない一生涯を見るにつけ、知らず知らずの間に踏みつけて行く生の足蹟がやがて亡き後にいかばかり大いなる力になって現われるかと云う事を思う。
 育ちきれずに逝った児の力をもあわせて、二人前の力強い消えない足蹟を人の世の中に――汚されぬ高い処にしっかりと遺さなければならない事を思わされる。

        (四)

 思うさえ胸のつぶれる様な納棺の日である。
 私はその席に連る事を恐れた。
 悲しさのために私は恐れたのである。
 二つ三つ隔った処に私はだまって壁を見て座って居た。
 私を呼びに来る人を心待ちに待ちながらも行きかねた気持であった。
 物凄い形に引きしまった痛ましい感情が私の胸に湧き返って座っても居られない様なさりとて足軽くあちらこちらとさ迷えもしない身をたよりなくポツントはかなく咲くはちすのうす紫に目をひかれて居た。
 激しく疲れたと云えば云えるし気の抜けた様なと云えばそうも云える。
 極度の亢奮の後に来る不思議に沈んだ気持が私の体のどこかにやがて命も取って仕舞いそうな大穴をあけた様に感じてさえ居た。
 今来るか――今来るか、悲しい黒装束の使者を涙ながらに待ちうけるその刻々の私の心の悲しさ――情なさ、肉親の妹の死は私にどれほどの悲しみを教えて呉れた事だろう。
 よしそれが私の身に取って必ず受けなければならない尊い教えであったとしても、一時も一息吐く間もおそかれと希って居たのに、――けれ共後かれ早かれ一度は来なければならない事が只時を早めて来たと云うばかりであろう。
 死を司る神に取っては、我が妹の死が十年早くとも又よしおそくとも何の差も感じないに違いない。
 それに涙が有ろうが有るまいが死の司は只冷然とそのとぎすました鎌で生の力と争いつつ片はじからなぎ立てるのみが彼の仕事で又楽しい事なのであろう。
 到々私は呼ばれた。
 引きたてられる罪人の様に苦しく苦しく見たくもなくて見ずには居られないものに向って進んだ。
 私がその部屋の入口に立った時、美くしい友禅の影はなくて檜の白木香り高い裡に静かに親属の手によって納められ、身の囲りにはみどりの茶が入れられて居た。
 姉らしい憂いに満ちた優しい気持で、私は先に欲しがって居てやらなかった西京人形と小さな玩具を胸とも思われる所に置いた。
 欲しがって居たのにやらなかった、私のその時の行いをどれほど今となって悔いて居るだろう。
 けれ共、甲斐のない事になって仕舞ったのである。
 小さい飯事ままごと道具を一そろいそれも人形のわきに納められた。娘にならずに逝った幼児は大きく育って世に出た時用うべき七輪を「かまど」を「まな板」をその手に取るにふさわしいほどささやかな形にしてはてしもなく長い旅路に持って行く。
 五つの髪の厚い乙女が青白い体に友禅の五彩まばゆい晴衣をまとうて眠る胸に同じ様な人形と可愛い飯事道具の置かれた様を思うさえ涙ははてしなくも流れるのである。
 飯事を忘れかぬる優しい心根よ。
 一人行く旅路の友と人形を抱くしおらしさよ。我妹、雪白の祭壇の上に潔く安置された柩の裡にあどけないすべての微笑も、涙も、喜びも、悲しみも皆納められたのであろうか。永久に? 返る事なく?
 只一度の微笑みなり一滴の涙なりを只一度とのこされた姉は希うのである。
 思い深く沈んだ夜は私の吐く息、引く息毎に育って糸蝋のかげの我心の奥深くゆらめくのも今日で二夜とはなった。
 明けの夜は名のみを止めた御霊代を守って同じ夜の色に包まれるのであろう。

        (五)

 白みそめる頃からの小雨がまだ止もうともしずに朝明の静けさの中に降って居る。
 眠りの不足なのと心に深く喰い込で居る悲しさのために私の顔は青く眼が赤くはれ上って居た。
 雨のしとしとと降る裡を今に私共はこの妹を静かに安らえるために永久の臥床なる青山に連れて居かなければならない。黒い紋附に袴をはく。
 棺前祭の始まる少し前あの妹を可愛いがって居て呉れたお敬ちゃんが来て呉れた。
 涙をためて雨の中を送りたいと云う人のあるのも知らないのだろう。遺される人の心も――若し知って居るとしたらどうして斯うして冷かに安らけく横わって居る事が出来るだろう。
 棺前の祭は初められた。
 白衣の祭官二人は二親の家を、同胞の家を出て行こうとする霊に優い真心のあふれる祭詞を奉り海山の新らしい供物に□□(二字不明)台を飾って只安らけく神々の群に交り給えと祈りをつづける。
 御玉串を供えて、白絹に被われる小さい可愛らしい棺の前にぬかずいた時今までの涙はもう止められない勢を持って流れ落ちた。
 様々の思い――悲しみと悔い、心を痛めて起る様々の思いに頭が乱されてクラクラとなった、今にも何か口走りそうであった。下を向いてどこかになげつけたい様な気持で元の席に戻った。
 なんど来ても結てやらなかった髪は今私がいかほど心を入れてといてやったところで一つの微笑さえ報いて呉れないではないか。
 欲しいと云ってもやらなかった人形をやらなかった事を思ってせめられる私の今の心よ、只一言、私の名を呼んで呉れたらすべての苦しみは忘られ様ものを。
 幾多の人に供えられる玉串はうず高くつまれて式は終った。一つ一つ涙を誘う祭詞の響は今も尚私の胸に残って居る。
 二親と同胞に囲まれて柩は門を出た。
 私はせめてもの心やりにそれに手を持ちそえて美くしい塗の私のたった一人の妹を送るにふさわしい柩車に乗せた。
 私達もすぐ後の馬車に乗った。
 静々と車はきしり出す。声もなく、うなだれて見送人達の心よ。
 見えがくれするきん金具の車の裡に妹が居ると思えば不思議な淋しさと安らかな気持が渦巻き返る。
 雨の裡を行く私の妹の柩。
 たった一人立ちどまって頭を下げて呉れた人のあったのがどれほど私の胸に有難く感ぜられた事だろう。
 ぬかるみの道を妹の柩について、私は世界のはてまで行くのでは有るまいかと思った。
 長くもあり又短かくもある道を青山についた時時間はまだかなり早かった。
 涙をこぼしてはならないと自らいましめる様な言葉が胸に浮んで地の中にめり込みそうな気持になりながら一滴の涙さえ頬には流さなかった。
 祭官の祭詞を読む間も御玉串を供える時にも喪主になった私はいろいろの事を誰よりも一番先にした。恥かしい気もうじうじする気も私の心の隅にはちょんびりも生れて来なかった。
 御供をし又それを静かに引いて柩は再び皆の手に抱かれて馬車にのせられ淋しい砂利路を妹の弟と身内の誰彼の眠って居る家の墓地につれられた。
 赤子のままでこの世を去った弟と頭を合わせて妹の安まるべき塚穴は掘ってあった。
 私はその塚穴の前に立った。
 柩の両端に太い麻繩は結いつけられて二人の屈強な男の手によって、頭より先に静かに――静かに下って行く。
 降りそそぐ小雨の銀の雨足は白木の柩の肌に消えて行く。
 スルスル……、スルスル、麻繩は男の手をすべる。
 トトト……、トトトト、土の小さなかたまりはころげ落ちる。悲しみの静寂の裡に思い深く二つの音は響く、繰り下げるだけ男は繩を持つ指をゆるめて柩は深い土の底に横わった。
 私は土を握って柩の上に入れた。
 コトン、ただ一度のその音は私の心をあらいざらいおびやかして行って仕舞った。
 もう一つ、母の代りに、
 もう一つ、亡くなった妹の兄達の代りに、私は沢山の土を入れた。
 一つを手ばなす毎にこの踏みしめる足がついすべってその柩の上に重って落ちるのではあるまいか。
 傘をつぼめて居る私の黒衣の肩に雨が歎く。やがてザックザックと土をすくって柩の上を被うて行く音を聞いた時、急に私の心に蘇った恐ろしいほどの悲しさが私の指の先を震わし喉をつまらせ眼をあやしく輝かせた。
 幾時かの後、私が又ここに送られて妹のわきに横わるまでまたと再びこの柩の影さえも見られないのだと思うと腹立たしい様な気持になって思いなげに土をかけて居る二人の男をにらんだ。
 私が男をにらんで居る間も土は上へ上へとかさなって今立って居る処と同じほどの高さにまで被われて仕舞った。
 父親の手に書かれた墓標はその上に立てられ親属の者におくられた榊の一対はその両側に植えられた。
 四角く土をならし水を打ち莚を敷いて最後の式はスラスラとすんで仕舞った。
 何と云うあっけない事だろう。
 私の只った一人の妹は斯うして喪むられて仕舞った。失せられていやます肉親の愛情の不思議な力は私には堪えられないほどなつかしい尊い思い出となり、涙となって今現れる。柩の上にさしかかって居た杉の若木の根ざしよ、あの上にやさしくはびこって美くしいあみとなってさわがしい世のどよみを清く浄めて私の妹の耳に伝えてお呉れ。
 お前方の迎えるままに私達はおしむ事を知らない骨肉の涙にその晴着を濡しながらも小さいお飯事道具とお人形を持たせて送ってやったのだよ。
 私のたった一人の妹をだよ。
 土! よくお聞き、何物にもかえがたい私の妹をだよ、たった一人の、――
 どうぞお前方には尊すぎる花嫁を迎える新床をやんわりと柔らかくフンワリとやさしくしてお呉れ。どうぞね、土よ。
 残されて歎く一人の姉の願いを聞いてお呉れ。

  雨が降る――風が吹く
  つちのお宮は淋しかろ 寒かろう
  送ってあげたや紅の地に
  金糸の花を縫い取って
    真綿を厚く夜のきぬ
  それにそえては虹のよな
  糸でかがった小手毬を――

  日はひねもす夜は夜もすがら
    銀の小針をはこばせて
  縫いは縫うたが悲しやな
  送りたいにもつてはなし

  土のお宮にただ一人
  いもを送りし姉娘
    縫いあげしきぬ手に持ちて
  わびしく一人たたずめる、――
    土のお宮の城門しろもんに――
  「あけてたべのう門守の
  おじいさまよ」と願えども
  青い着物に銀の鎌
  いかめしゅう立つとしよりは
  くぼんだまなこで緋の衣を
  じいっと見たまま立って居る
    いつまでも――いつまでも

  「それならわたしが行こうとは
  申さぬほどにこの衣を
  妹にやって下され」と
    云うも叶わぬ願い事……

  ホロホロと涙は雪のその様に
    白い真綿にしみて行く
  かけ入ろうにも門はなし
  たのみたいにもつてはなし
  縫いあげし衣手にもちて
    残されし姉さ迷よえる
     その名を呼びて 涙して――

  雨が降る――風が吹く
  土のお宮は淋しかろ 寒かろう
    送ってあげたや この衣を
      この毬を
    残されし姉 さ迷える――
(終)
          ――○――
 たった一人の掛けがえのない妹を失った私は大なる骨肉の愛情の力と或る動機によって一変する人間の感じと云うものの不思議さを知った。どうして今度斯う云う事を私が思ったかと云う事は亡き妹の性格と容貌をはっきりわからせなければそのわけが分らないのである。
 世の数多あまた数多い子供の中には何とはなし可愛げのない児と云うのがある。
 不幸な事には彼の妹もその一人であったと思われる。
 只一眼その姿を見てそそられる様な清い愛情の湧く姿も声も神からさずからなかった。
 誰れにも似て居ない赤坊を見た時二親なり同胞のものが変な感じにおそわれるのは自然な事である。
 生れた児には何のつみもない。只不幸な偶然な出来事に会ったと云うよりほか仕方がない。その不幸なる思いがけない出来事によって直接その児が同胞達からいい気持をされなかったと云う事は実にくらべるものない惨めな事である。
 よく人は容貌によって愛す愛さないと云う事はないと云うけれ共、一目見て不愉快な感じをあたえる顔をしたものをこの上なく愛すと云う事は人にまれな美徳なり技術なりがその醜さを被うて居る時ででもなければ大抵は出来ないものである。
 まして何の色彩もない自己を装う事をしらない子供はありのままの自分をいつでも誰にでもさらけ出す。
 子供特有の無邪気さはあってもそれをよけい美くしくする麗わしい容貌がいるものである。たしかに私はそれを信じて居る。
 子供と云うものが従来最も神に近いものとしてあっただけ子供と云えば美くしく想像する。極く育とう、育とうとする子供の時代は万事の事がいかにも人間、人間して居る。
 食べるものを遠慮なく欲しがる、その時に白い髪の黒い子が口を小さくしながら膝にすがって堪えられない魅力のある美くしいお菓子に折々流眼を呉れながらねだったならたとえいけないと叱るにもたまらない愛情がその心の奥にうごめいて居る。けれ共若しそれがきたならしい子だったら只もう不愉快な感ばかりになって仕舞う。
 子供につきものの愛嬌と云うものにとぼしい私の妹は笑うと云う事が比較的少なかった。子供にしては智的な意志の強い性質が顔に少しも子供らしい柔かみをあたえて居なかった。口元はそう云うたちの人に有り勝な大きくムンと結んで幾分かこわい様な二つの眼はよく張った額の下で輝いて居た。
 人に云われても一度自分の心で決した事はいやでも応でも仕とげる、そのために態度は随分粗野であった。
 声なんかも荒く出来て居た。
 けれ共色は白く髪は厚かった。粗野な一面には非常にデリケートな感情があって父親や兄達のこまこました事はやさしくしてやった。只一人の妹と云う事から両親の次に私はこの妹を大切にした、髪などをたまに結ってやったり歌を教えたりした。
 私の膝に抱かれたまま、私の髪の毛をいじる事が大変すきで胸の中に両手を突き入れる事などは亡くなる少し前からちょくちょくして居た。
 小さい丸い手で髪をさすったり顔をいじったりした揚句首にその手をからめて、自分の小さい躰に抱きしめて呉れた思い出はどんなに私を悲しい心にさせる事だろう。
 私は大変なつかしがって居て呉れた事は兄達に怒られる毎に泣きながら私の名を呼んだのでもわかる。
 私の心を今でもかきむしるのは私のもう一つの名をつけて呉れたのはこの妹である事である。
 自分は中條華子と云う、私は(中條で)自分の姉だからねえちゃんと呼びならして居たから「中條ね」であると云って「中條ね」「中條ね」と笑いながら云って居た。わけをきかなければなかなかわけの分らない名でありながら私はこの名を低く口に繰返して不思議にむせび泣く様な気持になる。
 只、その名をつけて呉れた妹を失ったと云うばかりで私の心はなげくのである。
 今斯うしてせわしい時をいとう事もなく悲しかった時の事をその事によって得た心持を書き記す事をするのも何と云う心が私に斯うさせるのであろう。
 皆骨肉のあやしい愛情が私の手にペンをとらせ文字を綴らせるのではないか。
 只一人の妹を失った姉の心はその両親にもまさって歎くものである。
 あの時に髪を結ってやればよかった、あの時にあの着物をきせてやればよかった。
 あの時にもう少しながく抱いて居てやればよかった。
 今はもう取りかえしのつかない事を悔いる心は日々眼にふれるささいな事によってでも起る。
 あの幼ない妹にそそぐべき愛はあれよりももっともっと沢山あったのではあるまいか。
 召使のものたち、又見知り越しのものたちはその時こそ涙をこぼしもし思い出を語り合いもするけれ共、十日祭も早とうにすんで仕舞った今日、堪えられない思い出にふけって涙をこぼすものがどこに有ろうぞ。
 刻々と立って行く時はどうにでも人の心をかえて行く事が出来る。幾久しい時が立つとも変らないものは只一人骨肉の愛情ばかりで有ろう。
 この世の限り最も根づよい頼もしいものは骨肉の愛があるばかりではあるまいか。
 私は今となって、骨肉の愛と云うものがいかほど力強いものであるかと云う事を知った。
 今となって彼の妹が居た時分の悪戯をだれが云い立てるだろう。
 誰がそのきかない子だった事を云っていやな顔をするものがあるだろう。
「死」ただ此の一言のために妹に対する人々の気持はまるで一変して仕舞った。
 今は何事も、可愛らしくなつかしく思い出す。
 生かして置きたかったと云う心は誰の心にでも湧き立って居るのである。
 涙によって一変した人々の心のいつまでも変らずに有る様に――
 けれ共それは親同胞でなければ出来得る事ではないだろう。
 或る一つの事によって変じた人の心ほど不思議なものはない。又変じ得る人の感情ほど不思議な恐ろしいものもない。
          ――○――
 短かい生涯であった妹は何一つとしてかたみともなるべきものを残して行かなかった。私には只「思い出」ばかりを置いて行って呉れた。
 うれしくもかなしい事である。
 亡くなる少し前に鳩ぽっぽの歌を覚え初めた。
 鳩ぽっぽ鳩ぽっぽ ぽおっぽぽおっぽと飛んで来い
 お寺の屋根から下りて来い
 そこまで一人で歌ったけれ共、あとを教えて居るうちに逝ってしまった。
 そこまで歌って、フッと行きづまって、
「華子忘れちゃった」と云って私に抱きついて居た小さい掌が私の胸を段々と〆めつけて行った心持を今は只思い出すばっかりである。

 父が京都の方から首人形を買って来て呉れたのをたった一つ「おちご」に結ったのをやった。紫の甲斐絹の着物をきせて大切にして居たけれ共時の立つままに忘れてどこへかなげやられて仕舞った。
 どんなによごれてもそれでも見つかったらせめてかたみとも思おうもの、どこの隅にも忘られた首人形は見つからない。その持主と一緒に此世から消えたので有ろうか。
 顔が真黒に鼻が欠けた可愛そうな首人形はどこに居るんだろう。
 出て来て呉れる気はないかい。
 彼の若死にをした妹のおかたみになってくれる気はないかい。
 何か戸棚を見つけものをしたり、古い箱を開けたりする毎に小さい情ないおかたみの見つかる事を希って居る。

 口が自由に動かないで「ほおずき」が鳴らせないで居た彼の妹は赤いゴムの「ほおずき」を只しゃぶって居た。今私は豆や「なす」やのほおずきを気ままに鳴らして居るにつけせめてほおずき位ならせたらと思って居る。悲しみがどこか心のそこに巣喰うて居ると何か事があるたびにそれが動き出して来る。
 私のを縫いなおしたんで赤い縮緬の綿入が今日フト箪笥の中に見えた。
 今年のお正月には間に会わなかったから来年はきっときせてやると云って居たのも無駄になった。
 この次又あれを着せてもらう妹は出来ないだろう。誰にやったらよかろう。
 着られるのを大変たのしんで居たのに。

 妹のなくなる時の熱は四十二度だった。
 四十度少しの熱で人事不省になった私の事を思えば命をとられるのも無理はない熱である。お腹が悪いばっかりにそんな熱が出ようとも思われないほどだ。身内を流れて居る血が湧き返って居る様だろうと思う。段々迫って来る「死」に抗って争う「生」が燃える様な熱を身内に起して、それが力つきて下り坂になった時、「死」はますますその暴威をたくましゅうする。
 皮と肉との目に見えない中に起るこの世の中で一番大きな争闘があんなに静かに何の音も叫びもなく行われ様とは思いも寄らない事である。
 人間同志の闘も心と心の争いも沈黙と静寂の裡に行われるものほど偉大に力強く恐ろしいものなのであろう。沈黙の人間と争闘と死は恐ろしいものである。

 死顔に差す光線は糸蝋のまたたくのと暁の水の様な色が最もまるで反対に良い。
 黄金色の繁くまたたく光線にくっきりと紫色の輪廓をとって横わって居る姿は神秘的なはでやかさをもって居る。
 うす灰色から次第次第に覚めて来て水の様な色がその髪を照らした時、
 世のすべての純潔なものは皆その光線の下に集められたかの様に見える。
 顔は銀色に光り髪は深林の様に小さい額の上にむらがりかかる。
「死」によって浄化された幼児の稚い美くしさはまぼしいほどに輝き渡る。
 只見るさえ黄金色の輝きの許に有るものは美くしいものをまして照されてあるものはすべてのものからはなれて人間界からはなれた或る国に行って居るものだと信じられて居る死人である。
 子供が魂しいに去られた後の姿ほど尊いものはない。まして水色と黄金色の許にあるそれは。

 私の妹が生れたのは今から五年前の三月一日、雨が降って居た。
 亡くなった九月十一日も雨が降り、小雨にけむる町中を私共は十三日に青山に行った。
 雨に縁の深かった妹は雨の日に世に出て同じ様な日に世を去った。
 何でもない事で居て私はやたらに思い出される。
 私が斯うやって書いて居るのは何のためであろう。
 書いているのが嬉しいのではない。
 却って苦しみである。
 思い出の涙は一行書く毎に頬を流れ、よしそうでないにしろ私の心は悲しさに満ちる。
 けれ共私は書かないでは居られない。
 不思議な事である。
 斯うやって書くのは長い年月が立った後もなおその時の気持も失いたくないためでは無かろうか。
 斯う云う書いたもの、――文字に現わされたものが無くても自分の生のある限りはその時の心を失い度ないと希う。
 けれ共、時と云う偉大なもの――人間より数等力強いものに(ママ)配されなければならない私共は、忘れまいとしても時がその信じ切った力で忘れさせて仕舞うだろう。
 情なくも時の力で忘れた時も尚その文字を見たならその時の気持に返れるだろうと私はこれを書くのだろう。
 何かしら只に置かれない気持が私にこれを書かせる。
 私が年老いて心持も頭も疲れた時、尚十幾つか若くて私の世話もして呉れ、慰めても呉れ力強い相談相手になって呉れる妹が幼くてなくなった事を思えばどんな気持になるだろう。
 私はただ母の手に抱かれその死を悲しむ親属の啜り泣きの裡にこの世を去る事の出来たと云う事ばかりを幸福だったと云うのである。





底本:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25日初版
   1986(昭和61)年3月20日第5刷
初出:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年12月25日初版
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年9月25日作成
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