矢田津世子




     一

 居間の書棚へ置き忘れてきたという父の眼鏡拭きを取りに紀久子が廊下を小走り出すと電話のベルがけたたましく鳴り、受話機を手にすると麻布の姉の声で、昼前にこちらへ来るというのであった。お父様が今お出かけのところだから、と早々に電話を切り、眼鏡拭きを持って玄関へ行くと沓脱ぎの上へ向うむきにステッキを突いて立っていた父は履物か何かのことで女中の福に小言を云うていたが、紀久子の来た気配に手だけをうしろへのべて、
「何をぐずぐずしとる。早くせんか」
 と呶鳴った。
 いつものように自動車の来ている門のところまで福と二人で見送ると、扉を開けて待っていた運転手へ父は会釈のつもりか、ちょっと頷くようにして乗った。そして紀久子が、
「行ってらっしゃいまし」と声をかけると、父はそれへ頷きもせずステッキの握りへ片肘をのせて心もち前屈みに向う側の窓へ顔をむけたなりで行ってしまった。
 父の気難しいのは今はじまったことではない。尤も、母のいた頃は気難しいといっても口に出して女中をなど叱りつけるようなことはなく、いつも何かの不満を眉間の縦皺へたたみこんでいるという風であった。それが、母の亡くなったこの節では気難しい上に癇がたかぶって来て妙にいらいらした素振りさえみえる。お父様もお年を召したせいか気が短かくおなりなすってねえ、などと家のものたちは蔭でひそひそ話しあうのだったが、その実、父のこの頃は年のせいばかりとはいえず、他に何かわけがありそうに誰れも思っている様子だった。
 父の脱ぎすてた常着を紀久子が畳んでいるところへ内玄関に姉の声がして、やがて気さくに女中たちへ話しかけながら茶の間へ入ってきた。今日は子供を置いてきたから長居が出来ない、と前おきをして茶棚をのぞきこみ羊羹のはいった鉢を自分で出しながら、
「飯尾さんは?」ときいた。
 亡くなった母の幼友達で家に永らくいる老婦人のことである。
「母様のお墓詣りに朝早くから出かけなすったの」
「そう。それあよかったこと」
 姉は何故かうすら笑いをした。姉にとっては口数の多い飯尾さんは苦手らしかった。飯尾さんが留守だときいて姉の様子がはずんできた。
「お父様はこの頃どんな?」
 紀久子が黙って苦が笑いをみせると、
「ほんとうに、早く御機嫌をなおして頂きたいものねえ」
 と、姉はちょっと真顔になった。
「御機嫌がなおらないとはたのものが迷惑してよ。福なんか、この頃叱られ通しなので気にやんで夜もおちおちやすめないらしいの」
「そういえば、あの娘顔色がわるかったわ。気が弱いから叱られると思いつめるのね。お父様も……」
 そこへ当の福がお昼のお仕度は何にいたしましょう、とききにきたので姉は言葉を切った。そして鉢の羊羹をひと切れ取って敷居へ手をついている福へ、
「おあがりな」と云ってさし出した。
 福は艶のないむくんだ顔を心もちあげて、
「ありがとう存じます」と云った。重ねた手のひらへ羊羹を受けて直ぐ俯向いてしまったが、寝不足からきた疲れた心にこの唐突の恩恵がこたえたものか、ふいに袂を顔へおしあてて泣き出した。
「さあもういいよ。いいよ。疲れすぎたせいなんだから少し横になってごらんな」
 姉は子供をあやすように福の肩を叩いた。
「失礼いたしました」と福は羊羹をのせたままの手を敷居へついてお辞儀をした。福が下がると、姉は、
「きょうはちょっと相談事で来ました」
 と、膝さきの茶碗を脇へおしやって火鉢へ寄り添うた。それに促されて紀久子も膝を進めた。
「お父様のお世話をしてあげるかたをお呼びしたらと思って。紀久ちゃんは?」と、姉はちょっと窺うように紀久子をみたが、その返事をあてにしている風もなく直ぐに続けた。「この間も誠之助が来た時話してみたのです。それがお父様には一番お仕合せなのですからね」
 姉の口調には紀久子へ相談をもちかけているようなところがありながら、一方、自分の考えをあくまでも押しつけようとかかっているような執拗さが感じられた。気立てが優しいばかりで並の女とかわったところのない姉に、今日は少しばかりちがったところをみたような気がして紀久子はちょっとまごついた。
「お兄さんも賛成なすったの?」
 紀久子は兄の誠之助が一途にこのことに賛成したとは思われなかった。だが、それを疑う前にこの間題にぶつかった時の兄のこわばった複雑な表情を思い描き、ふとそれと同じ表情でいる自分に思いあたってお揃いの面でもかぶっているみたいな自分たちが何かしら可笑しく、頬のへんがこそばゆくなった。
「賛成するもしないも、お父様の御機嫌をなおして頂くにはそれよりみちがないでしょう」
 姉は云いきかせるような口振りになった。それへ妙に反撥するようなものが紀久子の裡に頭をもたげた。
「でも、それはお姉さんの独り決めではなくって」
「いいえ、そうしたものよ。あなただっていまに分ります」
 姉の悟り切った強腰なもの云いに紀久子は少時気圧された。そのまま黙りこんだ自分が少々忌々しくもあるが年齢でものを云われては勝負にならぬ、とこっそり舌を出し、それで腹いせをした気になった。
 姉は新潟のおきえさんの話をした。おきえさんならお父様のお気にいりだし、とつい口をすべらせて少し赤くなった。そして窓の方へ眼をやりながら続けた。お父様は気難しいからわたしたちで探そうと思っても仲々適当なひとがみあたらない。おきえさんなら家との旧い馴染みだし、お父様の気心をよく呑みこんでいなさるしするから家のものにとってもこれ程結構な話はないと思う。――姉はこんな意味のことを静かに話した。姉の話は控え目で、あくまでも子として年老いた父を想う心情から発動している熱心さが感じられた。紀久子は動かされた。だが、少し経ってから、動かされたと思ったのは自分の顔だけだと気付いた。
 姉の話はよく分る。父の気もちも分らぬではない。けれど、それを素直にうけいれる事が何故か自分には出来ない気がするのだ。父ははなからおきえさんを家へいれたがっている。その父の意をくんだ姉が、やがて自分たちを口説き落しに来るだろう。――そんな予想が、母が亡くなってからというもの紀久子の裡には凝り固まっていた。
 想像の中の父はいつも不機嫌な煮え切らない態度でむっつりとしている。
「おれはこんな気性だから、若いものたちとはどうもうまが合わないで困る」という。「年寄りの気心は若いものには分らんものとみえてな」ともいう。
 父の口裏を呑みこんだ姉はおきえさんをお迎えしたら、と勧める。
「そんなことは出来んだろう」と父は不機嫌な顔を誇張して何かぐずぐずと外方をみている。父の様子にはるで、「そんなにおれのことが気になるならお前の口で話をまとめてみるがいいじゃないか。どうだ」と姉を窺っているようなところがみえる。――
 今までこの想像に慣らされ続けてきた紀久子にとっては、これはもう想像ではなくなっている。姉の来訪は不機嫌な父の態度に強いられたものだとの感じが強い。そして、姉の声をかりた父に自分が説き伏せられているような気がして、どうにも素直には頷けなかった。
「お父様もお年を召していらっしゃるし、静かなお話相手が欲しいのね」
 姉は気を詰めて話していたせいか、疲れた様子になった。それをみているとさっきの強腰なもの云いがいよいよ作りものの感じがして、姉が少しばかり気の毒になった。それで、
「お話相手なら飯尾さんがいてよ。少々賑やかですけど」
 と笑いかけると、
「飯尾さんじゃ、お父様がお可哀そうよ」
 と姉はつられて笑った。
 福が鮨の鉢をはこんで来た。
「お父様へはそのうちわたしからお話しますからね」
 姉は鮨を食べ終わると時計を気にしながらこう云い置いてかえって行った。

     二

 間もなく、そこの表通りで麻布の奥様にお会いしました、と云って飯尾さんが戻って来た。手にした切り花を仏壇に供え、その前に坐って永いこと手を合せてから、これでお役目がすんだ、というような小ざっぱりとした顔つきで火鉢のはたへ坐りこんだ。
「麻布の奥様は何か御用でお越しでしたか。お皈りが大変お早かったこと」
 飯尾さんはこんなことを云いながら紀久子の淹れた茶をちょっとおし頂くようにして飲んだ。またこのひとの探索癖が出たな、と紀久子は黙っていた。すると、飯尾さんは詰った煙管に気をとられたような風つきで火箸で雁首を掃除しはじめたが、今日は都合よく花屋にいい桔梗がありましてね、お母様は桔梗がお好きでしたから早速お上げしてまいりました、と何気なく話をそらした。
「それあ、母様およろこびでしょう」
 云いながら紀久子はふと、さっきの姉の話を飯尾さんにきかせてやってもいいような気になった。母にもつ感情の近さを飯尾さんに感じたからである。いま、母の話が出たので紀久子は思いがけずそれに気付いた。何かしら、姉からきいた話を飯尾さんに告げ口してやりたいような甘えかかった気もちが心の中に動いている。早く早く、とそれが急き立てる。どうせ知れる話なんだから――こう思ったので、
「そうそう飯尾さんにお話しようと思っていたけど」
 と切り出すと、火鉢へ屈んで煙草に火をつけていた飯尾さんは心もち緊張した面もちで眼をそばめるようにして紀久子を見あげた。その眼つきは母の癖であった。どういうものか、母が亡くなってから飯尾さんには母に似たものが出てきた。その立居、物腰ばかりではなく、以前はひっつめて後ろに小さく束ねていた髪もこの節では母のように前髪をとりたぼを出してお品よく結っているのだった。それに、母の形見だという小粒の黒ダイヤのはまった指輪の手をたしなみ好く膝の上に重ねて少し俯向きかげんに人の話をきいている様子は母にそっくりであった。
「飯尾さん、ばかにめかしているじゃないか、親爺に気があるのとちがうか」
 いつか、湯上りの飯尾さんがクリームをつけたにしては少し白すぎる顔で遅い夕飯の父へ給仕をしているところをみかけた兄が、お吸物をはこんできた紀久子を裏廊下のところでつかまえて面白そうにこう笑ったことがあった。それまでは別に気にもとめず過してきた紀久子は兄に云われた瞬間、飯尾さんに対して無性に胸わるさを感じた。「まさか」と兄へは打消しておいたが、どうも後味がよくない。それからは妙に飯尾さんへこだわるようになってしまった。そして、今も、母の癖の出た飯尾さんの眼つきをみて紀久子は厭な気がした。話すのが億劫になってくる。それに話し出せばまたおきえさんの非難をきかされるのがおちである。母が亡くなってからは余計に、おきえさんの話が出ると飯尾さんはむきになるのだった。
 そんな時の飯尾さんの表情はヒステリックにひきしまってきて、妙にひっからんだ声音でくどくどときかせるところはこのひとの執念の程を思わせた。それは、亡くなった母への義理だてから父の情人をこきおろす、というような単純な心から出たものではなく、何かそこに個人的な根深いものがひそんでいるように感じられた。ふと、薄化粧した飯尾さんがしなをつくって食事の父へ給仕をしている姿を頭に描いて、紀久子は自分事のように身内を熱くした。ただ、眼を覆いたいうとましさだけがくる。そのくせ眼前の飯尾さんをみるとつくづくこの年寄りが、と何かしら可笑しくなってきて、この顔がなまめいたらどんなかと、ああもこうも想像してはしらずしらずに好奇心をそそられていく。そんなことで気もちがそれて紀久子は話すのが一そう億劫になった。そして用事を思いたった気忙しい様子で不意に座を立った。
「あの、お姉さんね、この間の染物のこと飯尾さんにお頼みしてくれるようにって云ってらしてよ」
「ああそのことならさっき通りでお伺いしました」
 飯尾さんは少々気ぬけのした顔になった。煙管で頬のあたりを掻きながら茶の間を出て行く紀久子へ、
「旦那様の御旅行のお支度でしたらお手伝いいたしましょうか」と尋ねた。それで、明朝の父の新潟行きを紀久子は思い出したので離れへ行きかけた足をちょっと停めた。そして、
「いつもの通りですから独りで結構よ」
 と廊下から声をかけて父の居間へ入り袋戸棚からスーツケースを下した。新潟にある鉄工場を見廻りに父はひと月に二三度はこうして出かけるのだった。旅といっても仕度をする程のこともなく、汽車の中で使うタオルにハンカチを余分に二三枚用意しておくだけでよかった。それが母のいた頃からの慣しであった。
「長旅をなさるのに着換えを持っていらっしゃらないと御不自由ではないかしら」
 いつものように父の旅支度をしていた母へ紀久子は尋ねてみたことがあった。
「御不自由などころか新潟のお宿ではお父様の肌着から足袋まですっかり用意が出来ているのですからね」
 こう云って母はスーツケースから眼をあげて何気ない風に庭をみやったが、気のせいか、そのそばめた眼つきには皮肉めいたものがみえた。
「まるでお家のようね。それじゃお父様御ゆっくりなされるはずですわ」
 母の言葉を素直に受けて紀久子が云うと、それまでやわらんでいた母の顔にキリリッと癇の走るのが分り、膝へ重ねた手が妙にそわそわしてきた。そして、何かの用事で廊下を通って行った福を母は高く顔をあげて呼び停めると、「その足袋のはきかたは何んです」と、こはぜが外れて踵の赤い皮膚が少しばかりのぞいているのを指さして甲高く叱りつけた。
 福は慌てて廊下へ膝をつき、こはぜをはめると「申訳ございません」と手をついて下った。
 いつも静かな母をみているだけに紀久子はこの時の唐突な母の振舞いには愕かされたが、少し経つと妙にもの好きな心が動いてきて偸むように母の顔を何度も見なおした。
 それからずっとのちになって姉からおきえさんのことをきかされた時に初めてあの時の母の神経が痛く胸にこたえ、母のつらさがそのままこの身に植えつけられた思いで、おきえが憎いよりはただ訳もなく迂闊なもの云いをした自分が忌々しく肚立たしかった。
 紀久子がはじめておきえさんをみかけたのは、あれは女学校四年頃の何んでも春休みのことで、その朝新潟へ立つ父を見送ってから近所の花屋へ活け花をたのみに行って戻ってくると門のところで紫の袱紗包みを抱えた外出着の母と行きあった。待たせてあった自動車くるまへ忙しげに片足をかけ、母はちょっと思いなおした様子で紀久子を呼んだ。
「大事なものをお父様がお忘れになって。紀久子の方が早いようだからお願いします」
 母は袱紗包みを紀久子へ押しつけると、汽車は九時の急行ですから急いでたのみます、と運転手へ念を押した。
 常着のままなのを気にしながらともかく自動車へ乗ってうしろの窓から振りかえると、門を入って行く母のうしろ姿がみえた。余程慌てて帯を結んだものとみえ、小さなお太鼓が曲っていた。
 駅へ着いてホームへ駈けつけると後尾の二等車に父の姿が直ぐにみつかり、「お父様お忘れもの」と声をかけてからはっとして思わず紀久子は息をひそめた。父の横に見慣れぬ庇髪の女のひとをみかけたからである。それがひと眼で紀久子には姉にきかされていたおきえさんだと分った。
 父は振りむくと、
「わざわざ持って来んでも送ってくれてよかった」と云った。父の眼は紀久子の顔を見ず、どこか肩のへんを見ているようであった。汽車が動き出すのにはまだ一二分の余裕があった。紀久子は直ぐにこの場を去ったものかどうかと思いまどった。一刻も早く去ることの方が父の気もちを救うことになりはしまいか。漠然とそんな気がして足を動かしかけると、胸いっぱいに新聞をひろげて読んでいた父が顔だけをこちらへむけて、
「皈ってもよろしい」と云った。このひと言に思いがけず紀久子の心が反撥した。皈ってやるものか。そして、汽車の窓へ近ぢかと立っておきえさんを眺めはじめた。おきえさんはこちらへうしろをみせていた。紫紺色の半襟で縁どられたぬき衣紋のなめらかな襟足がすぐ眼の前にあった。茶縞のお召に羽織は黒の小紋錦紗に藍のぼかし糸をつかった縫紋の背が品よくみえたが、ふと、その紋が家の麻の葉ぐるまだと気付いて紀久子はこみあげてくる屈辱感からさっと顔色を変えた。手をのばしてその紋をひったくってやりたい衝動を感じる。そんな激しい気もちの中で紀久子は新聞に見入っている父の平静な横顔を何かふてぶてしいものに思い、麻の葉ぐるまのおきえと並んだ姿に妙に妬心を煽られていった。
 汽車が動き出すとおきえさんは姿勢をなおすとみせてちらりと紀久子の方をみた。眼が合うと困ったようにハンカチで片頬を抑えて俯向きになったが、その仕草がどうもお辞儀をしているように思われたので紀久子もちょっと頭を下げた。
 皈りの自動車の中で紀久子はとりとめもなくおきえさんのことを考えていた。麻の葉ぐるまが眼さきにちらついて困った。ふと、あれを母がみたらどんなか、と想像してみただけで胸騒ぎがした。母でなくてよかった、こう思って安堵すると急に力の抜けたような気がしてぐったりとなった。

     三

 姉の話によるとおきえさんは生粋の新潟美人で、何んでも古街で左褄をとっていた頃父に落籍ひかされたとのことであった。海岸に近い静かな二葉町に家を構えてからは遊んでいても何んだからとこどもたちへ長唄を教えていたが、どうせ退屈しのぎの仕事だったから本気で弟子をとるということをせず、父のいる間は気儘に稽古を休むという風らしかった。
 父が胃潰瘍で新潟の妾宅に永らく臥っていた頃、表むきはリウマチで動けないという母の代りに姉が出向いて十日余りも滞在したことがあった。姉とおきえさんの仲がほぐれていったのはそれかららしい。おきえさんは父について上京すれば何かと手土産を持って姉の家を訪ねるのが慣しになり、姉の方でも母に隠しておきえさんへはあれこれと心づかいをしている模様だった。もっとも姉の心づかいにはおきえさんへというよりは父への義理立てに迫られたものがあった。母との間が疎かった父にしてみれば「お父様っ子」として育った気立の優しい姉が誰れよりも心頼みだったし、それを姉はよく知っていた。そして、父の信頼を地におとすまい、とする心が働いておきえさんへの「おつとめ」になっているらしかった。
 いつぞや、紀久子が学校の皈り姉の家へ寄ると、外出の支度をしていた姉は何やら工合の悪そうな様子をして、これから歌舞伎へ行くのだが、席はどうにか都合つけるから紀久子にも行かないか、と誘いかけたが、そのはずまないものいいがへんに紀久子を拒んでいるように思われたので着換えに皈るのが面倒だからと断ると、
「じゃ、またこんどのことにしましょうね。それにきょうはおきえさんのお供なんですからね」と姉は云い訳をするように気がねらしく云った。そして紀久子が皈りかけると「母様へはこのこと内緒ね」と追いすがるようにして念をおした。姉はおきえさんのことについてはこだわりなく何んでも紀久子へ話してきかせるのだったが、そのあとでおきまりのように「母様へは内緒ね」と念をおすのだった。それは姉の単純な優しい心ばえから出た母へのいたわりともとれ、また父に対する例の節操から話が母へ洩れるのを警戒しての言葉ともとれた。紀久子はそれを云われる度に曖昧な姉の心もちを疑ってきた。そしていつの間にか自分も曖昧などっちつかずの心で絶えず父と母を窺うようなことをしているのに気付いた。ふと、それが物心のついた頃からの永い間の慣しではなかったかしら、と思いめぐらしてみる。父と母の不和を湛えた暗く冷い空気の中で育てられた自分ら兄妹には共通したこの両親への窺いがあって、それがもはや気質にまでなっているのではないか。こう考えてくると、自分ら親子のつながりがどうにものっぴきのならぬ宿命的なものに思われてきて、暗澹とした気もちに襲われるのだった。
 父と母の不和は従兄妹どうしだという血の近さからくるものが主であるらしかった。その不和が「家のために」というひとつの旧い習慣の下でぶすぶすと燻りつづけてきた。母のいるところでは父は黙りこんでいる。父の前で母は多くを語らない。父の身のまわりのことは紀久子がその代りをつとめるのが仕来りになっている。
 父が家にいる間は母はリウマチを口実にして早くからやすむのがいつもの事であったが、母がやすんでしまうと茶の間には妙にくつろいだ気分が流れてひとしきり話がはずむのだった。居間で書きものをしていた父が時たま茶の欲しそうな顔をして、
「ばかに賑やかだね」と入って来ることがあった。珍らしく落雁をつまんだりしながら兄の馬鹿っ話につい笑いを洩すこともあったが、そんな時の屈託のなげな父の様子をみているとふだんの気難しい孤独な父の姿が哀しく迫ってきて、そのかげにちらつく眼をそばめた母の顔が意地の悪い冷いものに思われるのだった。
 こうして茶の間の話がはずんでいたいつかの夜、果物か何かを取りに厨へ行きかかった紀久子は離れの廊下のところに立っている母に気付いて声をかけようとすると、うろたえて手でおし止めるような恰好をして母は厨へ入っていった。母の立ち姿はうす暗い廊下の明りではっきりとはみえなかったが、前屈みになってこちらを窺っているような気振りが感じられた。
 その夜、遅くなって紀久子は離れの寝間へ入っていった。めっきり弱くなった母の躯が気になって紀久子はずっと母の横にやすみ、夜中に何度か眼をさましては母の様子をみるようにしていた。
 寝倦きたらしい母は蒲団の上へ坐って足をさすっていた。
「こう寒むくてはお小用が近くなってね」
 母は独り言のように云った。
 蒲団の裾へまわって湯たんぽの加減をみていた紀久子は「え?」と聞きかえした。
「いいえね、母様もこの分だと永いことはあるまいよ」
 母は気力のない声でこう云うと大儀そうに紀久子の手をかりて横になった。
 よく母は何かでひがんだような時にこんなに云うのだった。それがいかにも母そのものをおしつけられているように聞えて、紀久子は妙に意地の悪い心もちになって聞き流しにするのが癖になっていた。今も紀久子が黙っていると母はどういうつもりか皺めた顔を何度も手で撫でおろすようなことをしながら、
「母様がいなくなったら家の人たちは大っぴらに騒げますからね。ほんとうに、永い間気づまりな思いをさせてすまなかったこと」
 と誰れにともなく云った。声がへんに潤んできたようなのでそっと顔をみやると筋ばった手が眼のあたりを覆うている。何んと云うたものか、と紀久子はちょっと惑った。そして「それは母様の思いすごしよ」と、つい慰めるように云ってから、これではいけない、と気付いた。母が待っているのは別の返事である。それが分ると口をきくのが億劫になってきた。いつものように母の枕元に坐り徐かに髪を梳いてやると、やがて顔から手を落して静かな寝息をたてはじめた。眼頭の窪みに溜った白く光る涙の玉をみていると何んとも云えない程哀しくなってくる。泣きたいようである。けれど、その感動には何やら乾いたかさかさしたものが交っていて、それが紀久子の泣きたい心を阻止している。そして、白く光る母の涙をじっと視詰めながら、その涙を羨やましい、と思った。
 父と姉の結びつきを知っている母が、姉とおきえさんの交渉に感付かないはずはなかった。姉が隠しごとをしている。その不満がしぜん飯尾さんへ洩らされる。姉が皈ったあとなど、母と飯尾さんは火鉢ごしに額をつきあわせるようにしてひそひそ話しあっていることが度々であった。常は無口な母もおきえさんのこととなると余程癇にさわるとみえて、その声音が気色ばんでくるのが分る。聞き手になっている飯尾さんの尤もらしい表情には母を憫れむような恩恵を施すような微笑が優しく動いている。
「たかがそれ者上りの女ではありませんか。相手になさるな」と片手を振って母の話を払いのけるような恰好をする。母の興奮が少しずつ静まっていく。いわば、母と飯尾さんは一種の奇妙な夫婦のようなものであって、悲歎の多い母を飯尾さんが優しく介添いしているという風であった。こうした二人の関係が二十年近くもつづけられている。飯尾さんは母と同郷の福島のひとで良人に死別してからはずっと独りを守っていたが両親に亡くなられると身寄りのないのを不憫に思うて父が進んでひき取ったとのことであった。今では蔵の中のことも厨のことも一切飯尾さんまかせで、留守にされた時などもの探しをするのにちょっと困ることがある。
 父が新潟へ行っている夜には母はいつものやすむ時刻になっても忘れたような顔で茶の間に坐りこんでいた。その傍では飯尾さんが母の幼い頃の思い出話をはじめ、あの頃はおのぶさんも前髪を垂してこんな輪っこに結うていた、と両の親指と人差指でこさえた眼鏡のようなのを頭の上へのせてみせると、
「まあ飯尾さんは」と母は面映い仕草で飯尾さんを小突くようにした。それからひとしきり飯尾さんの手振り身振りで幼友達の噂話などが出ると母はその頃へ還ったように浮き浮きとしてくるのだった。そんな二人の様子をみていると、いかにも母の寂寥を慰めてやるために父が飯尾さんをあてがったように思われてきて、それが母に対する父らしい劬りかもしれない、という気もちさえ起ってきた。そして、母が亡くなってからは何かしら手持ち無沙汰げに火鉢のところに坐っている飯尾さんをみかけたりすると、一そうそんな気がしてくるのである。

     四

 母の一周忌がすんで少し経つと姉がおきえさんを迎いに新潟へ旅立った。前まえから姉は内祝については何度も紀久子と打ち合せをしておいたのに立つ前日にはまた電話口へ呼び出して、表向きはどこまでもお父様のお世話をする人としてお迎えするのだから、そのつもりでほんの内輪の支度にしておくように、と念をおすのだった。正式に籍をいれるというのではなく、おきえさんはやはり今まで通りの父の妾としての資格で家へ迎えられるらしかった。それが何か淫らがましい雰囲気をはこんでくるようで厭だったので、いっそ母としてお迎えしたら、と姉に相談をもちかけると、
「そんなこと可笑しいわ。おきえさんはお妾が似合いなのだから、あれでいいのよ」
 と笑って、相手にしようともしない。母としてお迎えするなら他に立派な人がいる、と姉の笑いは暗にこう含んでいるようであった。世間体があるとはいえ、父が籍をいれてやらない心もちもうすら分った気がして紀久子はおきえさんの立場が憫れなものに思われてきたが、ふとこの心を眺めおろしているとりすました自分に気が付いてちょっと厭な気分になった。
 おきえさんの着いた夜は出入りの仕出し屋から料理をとり寄せて内輪な会食ですませた。披露をかねる意味あいからその席へごく近い親戚の人たちをも呼んだら、との話も出たけれど大げさなことは真っ平だ、と父はいつになく声を荒らげるのだった。そのあとで何やら工合わるそうにして座を立つのだが、やがて、陽当りのいい居間の縁ばなにしゃがんで籠のカナリヤを人差指で嚇かすようなことをしている父の屈託のない姿がみうけられたりすると、茶の間の姉と紀久子はつい頬笑みかわすのだった。
 おきえさんを迎えてからの父の気難しさはその性質を変えたようにみえる。癇がたかぶっていらいらしていたのがどこかへ吸いこまれたように消え去って、ただ仕くせになっている眉間の縦皺がのこっているだけである。時に、この縦皺もひとりでにひらいて、めっきり光沢をました頬のあたりに明るい微笑のゆれていることがある。こうした父をみかけた時に、紀久子の裡にいつも浮んでくるひとつの想いがある。――この仕合せそうな父をずっとみているとそこから亡くなった母の寂しそうな姿が迫ってきて父への憎悪が今この胸へこみあげてくるにちがいないと思う。今々と待っていてもやっと思い浮んだ母の姿には悲痛の感動がともなわず、一向父への憎しみが湧いてこないばかりか却ってそのやわらんだ明るい父の顔から不思議にほっとした長閑な気分になるのだった。気が付いてみると母が亡くなってからずっと、このほっとした気分がつづいている。何か神経のゆるんだような感じであった。
 母がこれまで使っていた離れの二間がおきえさんの居間にあてられた。
「須藤はこれまで芸一方でやってきたのだから家庭のことは不得手だろう」
 朝風呂をすませて縁へ出てきた父が、離れの手すりにもたれて池の鯉へ麩を投げているおきえさんをみやりながらこう独り言のように云うているのを傍で紀久子は聞いていたことがあった。父はおきえさんをいつも須藤と呼んでいた。その、紀久子へきかせるための独り言は何か非家庭的なおきえさんを弁護しているとも思われるし、また、そうしたおきえさんの立場を当然認めてやっている、いや、お前たちも認めてやりなさい、と暗におしつけようとかかっているところがくみとられた。
 おきえさんは朝父を送り出してしまうと永いことかかって身だしなみをして、それから、父が夕刻戻ってくるまでの暇な時間を離れの長火鉢のところに坐って呆んやりと庭を眺めていることが多かった。時折り、姉がおきえさんを買物に誘い出すことがある。そんな時はきまって渋ごのみの縞ものに縫紋のある黒の羽織を重ねている。衣紋も深くは落さず、前にみた時よりは庇髪をぐっとひっつめたように結うているので三十八の年よりはずっと老けてみえる。
「どこからみてもあれでは良家の奥様ですからね」
 門を出て行くおきえさんのうしろ姿をみ送りながら飯尾さんはこんな厭味を云うのだった。そして紀久子が相手にしないでいると、
「いくら奥様らしくみせようとしたって、もとがもとですからねえ」
 と、ひそみ声になってしつっこく紀久子へ話しかけてきた。まるで、心の中に巣食った何ものかに始終じくじくと責め立てられているのだが手足がこれにともなわない、とでもいうようないら立たしさがその様子に感じられる。みかねて紀久子が、
「そんなことお父様にきこえたら大変よ」
 と窘めると、すぐに僻んだように黙りこくって、しばらくしてから、
「お母様さえいらっしゃれば……」
 などと涙声になるのだった。それをみるのが厭だったので、紀久子は飯尾さんがおきえさんの蔭口を云い出すと、いつも聞いていて聞かない風を装うことに決めていた。
 外へ出さえすれば、おきえさんは紀久子へ手土産を持って皈るのが慣しになった。リボンで飾りをつけた奇麗な箱入りのチョコレートだの、朱塗りの手鏡だの、蒔絵の小さな指輪入れなどであった。
「こんな子供だましのようなものを下さるなんて」
 と蔭で紀久子はよく小馬鹿にしたそしり笑いをしてみせるのだったが、それももの欲しそうにしている飯尾さんの手前があるからで、その実は、おきえさんの心づかいが何かしらいじらしいものに思われてきて、ふと鏡台の前の手鏡をとりあげてみてはしらずしらずに頬笑みのわいている自分の顔を写してみたりした。
 或日いつものように買物から戻ってきたおきえさんが気がねらしく紀久子の部屋をのぞきこんで、
「あの、おひまでしょうか」と声をかけた。「の」の字をゆっくりと引っ張るそのものいいがちょっと甘えかかっているようにきこえる。
 窓ぎわで編物をしていた紀久子は「さあどうぞ」と立ちかけて急いできまりのふた目を編んでいる。斜めになった膝から転げた白い毛糸の玉が、入ってきたおきえさんの素足を停めた。足化粧をしているかと思われる艶々とした肌に親指の薄手なそりが何んともいえず美くしい。家の内では冬でも足袋をはかないでいるところをみると、おきえさんはこの足の美くしさを充分に知っていて、これが人眼にふれるのを誇りにしているともみえる。紀久子はおきえさんの素足へちらと眼をやって、そんなことを考えていた。
 おきえさんは膝をついて毛糸の玉を拾いあげると「御精が出ますことね」と頬笑みかけながら下座になっている縁のはたへ坐った。姉や兄の前でもおきえさんはいつも下座を選ぶのである。
「ちょっと、御覧になって頂きたいものがありまして」
 こう云って下へ置いた包みをほどきにかかった。行きつけの百貨店から届けさせた反物らしい。
「あの、こんな柄お気に召しませんでしょうか」
 濃い紫の地に紅葉をちらした錦紗をするするとほどいて自分の膝へかけた。
「前から心がけていたのですけれど、なかなかよい柄がなくて。あの、いつも御親切にして頂いているほんのお礼心なのですから、どうぞ」
 それだけを云うのにもぽっと頬を染めて、気おくれからか、張りのあるふたかわ眼を何やら瞬くようにして紀久子をみあげていたが、「それから……」と云い淀んで包みの中から反物を二反とり出した。
「これはわたしの普段着にしたいのですけれど、どちらがよろしいかお決め頂こうと思いまして」
 柿渋色の地に小さな緋のあるのと、もうひとつは黒とねずみの細かい横縞であった。どちらも見栄えのしない地味すぎる柄あいなので、もっと派手むきのを選んだら、と勧めると、
「あの、これでも派手なぐらいに思っていますの、これからは出来るだけ地味ななりをいたしませんと」
 おきえさんは俯向いて、すんなりとした手で徐かに膝を撫でている。いかにも今の言葉を自分へ云いきかせている様である。たどたどしいながら何かしら自分たちへ追いすがろうとするその一生懸命さが不憫になってきた。このひとにしては精いっぱいの事をやっている。それをどうして自分は素直に受けられぬのだろう。おきえさんは俯いてまだ膝を撫でている。それを眺めていると思いもかけず興奮が胸へ湧き上ってきた。これはおきえさんへの愛情だろうか。愛情を堰止める何かだろうか。しきりと母の顔が脳裡にちらつくのはどうしたものだろうか。――紀久子の思いはこんな風にとつおいつしていた。

     五

 以前には億劫がって夜分はめったに外へ出たことのない父が、この頃はおきえさんをつれてよく寄席へ出かけるようになった。時たま、飯尾さんも誘われる。そんな時はうれしさで日頃の節度をなくした飯尾さんが妙に浮き浮きした調子で紀久子や女中たちへ冗談を云いかけた。そして父のあとからおきえさんと並んで歩きながらも着物の柄あいが地味すぎるからもっと派手好みにした方がいい、とか、色がお白いから半襟は紫系統がお似合いだ、とか独りで喋り立てては独りで感心したりした。それが付きまとわれるようなうるささではあったが、おきえさんは寄席といえばへんに飯尾さんへこだわるようになって「お誘いしてもよろしいでしょう」と眼顔で父に頼みこむのだった。そんなことがきっかけでほぐれていって、買物だというてはおきえさんと飯尾さんは揃って出かけることが多くなった。
「おきえさんもやはり苦労をなすったかただけあってよく細かいところへお気がつきなさいますねえ。お小遣いに不自由しているだろうって、こんなに下さいました」
 月末に近い或夜、父から家計をまかされている紀久子が出納簿を調べているところへ飯尾さんがそわそわして入ってきた。そして帯の間へ挟んであった紙幣さつを出してみせて、ちょっと拝むような手つきをしてから大切そうに四つに折りたたんで蟇口へ納いこんだ。
 母がいた頃は母がその小遣いの中からいくらかを月々飯尾さんに与えていた風だったが、もともと飯尾さんが家をたたんだ時にはかなりの纏った金を持っていたという事だったし、不自由なく食べさせておくだけで沢山だからと母は云うのだった。それで、紀久子が家のことをするようになってからは小遣いらしいものを飯尾さんへやったことがない。それには、ただ母の言葉を守っているというだけではなく、買物を頼めばその中から小銭をかすめ取る癖のある飯尾さんを紀久子は知っているので普段の小遣いに事欠く程のこともなかろう、と意地悪く見過しにしている気もちがある上に、貯金へは手を触れずに、いつも物欲しそうに人の財布をのぞきこんでいるような飯尾さんの卑しさが嫌いだったからである。
 紀久子の家ではこの五六年来、正月元旦には姉夫婦に兄、紀久子が父の居間へ呼ばれて財産分配の遺言めいたことを父からきかされるのがきまりになっていた。これは、父が自分の老齢を気付かっての万一の時の用意と思われる。ここ一、二年は戦時景気で父の鉄工所は好調を示しているので子供たちへの分配高もだんだんにのぼってきている。父はずっと前から自分の世話をしてくれるものに三万円を残してやりたいと姉には洩していた風であったが、今年は子供たちと一緒におきえさんも呼ばれて更めて父からこの話をきかされた。それがどこから飯尾さんの耳へはいったのか、「おきえさんは果報なかたですねえ」と探るように姉や紀久子へ話しかけてくるのだった。それでなくともこの元旦のひと時は飯尾さんにとっては一年中での緊張の極点であったらしい。何かしら落付きがなくなり、用ありげに茶の間と厨の間を往き来しながら居間の気配に聞き耳を立てている様子であった。そして、父の居間から出てきた姉や紀久子をもの問いたげな眼つきでちらちらとみやるのだった。飯尾さんにしてみれば、もうこの家の人も同然な自分にも何分の御沙汰があってしかるべきものを、と心待ちにしているのも無理からぬことであろう。年取るにつれて身寄りのない孤独感が迫れば迫る程金に執着していく飯尾さんの気もちが紀久子には分らぬではなかったが、それへ同情する心の動いてこないのをどうしようもなく思うのである。それで、今もおきえさんから小遣いを貰ったといって自分へみせにきた飯尾さんを前にしても、紀久子は単純な心でそれを悦んではやれず、そのみせびらかすような素振りさえ一種の自分への示威のように思われてくるのである。
「紀久ちゃんにはおきえさんの気心が分らないはずがないのに、あんまり劬りがなさすぎますよ」
 いつぞや、姉はこうたしなめるように紀久子へ云ったことがあった。何んでも、おきえさんが紀久子へ手土産にした品を、「子供だましだ」とか、「田舎くさい柄あいだ」とか云って事々に紀久子がけなしていたというのをおきえさんが耳にして、そんなにお気を悪くしていらしたとも知らず、ただ紀久子さんに悦んで頂きたい一心で自分はそれをしていた、と涙ぐんで姉に話したというのであった。それが飯尾さんから洩れていったものだとは分っていたが、姉へわざわざ自分の気もちを説明する程のこともあるまい、と紀久子は黙っていた。そして、この頃、外へ出ても前のように手土産を持ち皈らなくなったおきえさんの、心もちを寂しく思いやった。
 こうして、飯尾さんがおきえさんに接近していくにつれておきえさんは紀久子からだんだん遠のいていくように思われる。この感じから、自分の眼のとどかないところでひそひそ話をしている二人を想像しては妙に神経をいら立たせて監視するような眼つきで二人をみている自分に気付くことがあった。
 いつか、紀久子が外から戻ると、いつも茶の間に坐りこんでいる飯尾さんの姿はなく、福にきくと蔵の中だというので行ってみると、おきえさんと二人で長持ちの中の片付けものをしているのだった。わざわざ自分の留守を狙ってそんなことをしなくとも、と思ったので少々苦い顔をしてみせると、おきえさんは申訳なさそうに、
「わたしの荷物を少し入れさせて頂こうと思いまして」と頼むようにちょっと会釈した。蔵の鍵は飯尾さんにまかせてあるとはいえ、何かの用で蔵へ入る時はいつも家のものが一緒であった。それが母のいた頃からの慣しだったのである。それを飯尾さんが勝手に鍵を使っている。いい気になって増長しているようで、かなわない気がする。飯尾さんとすれば、おきえさんは家の人なのだからその人のお供で蔵へ入るのは何んとも思ってはいないのだろう、いつもの顔で甲斐がいしく荷物の世話をやいている。
 その夜、紀久子は父の居間へ呼ばれた。
「紀久子も嫁入り前だし、これからはいろいろ支度の方のこともあって忙しくなるだろうから、家の事は須藤にまかせてみたらどうかね。いや、須藤もいつまでああじゃ困るし家庭のことを追々と覚えてもらわんといかんからな」
 予期しない言葉であった。紀久子がまごついて返事をせずにいると、「この間から思いついていたんだが……」と、父は思い出したようにつけ足した。それが何か今の言葉を弁解しているようにきこえる。
「お父様の仰言る通りでよろしいですわ」
 しばらくして紀久子は云ったが、眼の前の父の姿がよそよそしい遠いものに感じられるのはどういう訳かしら、と呆んやり考えていた。
 父やおきえさんや飯尾さんの姿がひとかたまりになってずっと離れたところに感じられるようになると、紀久子の心はしきりに兄を求めていった。兄だけがこの世で身近い唯一人だと思う。そう思いこもうと努め、兄へ追いすがろうとしている自分の姿に気付いた時は哀しい。もしかしたら父よりももっともっと自分には遠い兄であるかもしれぬのだ。時として、この哀しみが胸を痛めつけてくる。
 或る陽暮れ時、紀久子が二階の部屋へ行くと、兄は電灯のついていない薄暗い窓べりの籐椅子にのけぞっていた。「兄さん!」と声をかけると、「うん」と懶げに返事をしたなり振りむきもしない。窓に近づいて顔をのぞきこむとその眼がじっと遠くの何かを視詰めているようである。視線を辿っていくと、庭を越えた向うの離れの窓へ落ちていく。その窓からは湯上りらしいおきえさんが肌をぬいで鏡台に向っている様がのぞかれる。兄の眼はどうやらそれへ執着しているらしい。明るい電灯の下におきえさんの豊かな白い肌が冴えざえと浮き立ってみえる。化粧がすんだのか、高く手をあげて髪へ櫛をいれている。手が動くにつれて盛りあがった乳房が生まなまとした感覚をそそりたてるようである。
「須藤さん奇麗だなあ」
 兄が呟くように云った。思わずも言葉が口を洩れたという風である。
「まあ、兄さんは、いつもここからみとれていたの」とつい厭味をきかせて云うと、
「ばかな奴だなあ」
 と兄はひょいと躯を起して電灯をつけた。てれてか眉間へ気難しげに縦皺をきざんだ兄の顔はふと紀久子にいつかの父を思い出させた。
 夜分厠へ起きた紀久子が用を足して部屋へ戻りかけると、これも厠へ起きてきたおきえさんと離れの廊下のところで出あった。緋鹿の子の地に大きく牡丹を染め出した友禅の長襦袢に伊達巻き一本のおきえさんの姿は阿娜めいて昼間のおきえさんとは別人の観があった。寝乱れてほつれた髪が白い頸すじへまつわり、どうしたのか顔は少しはれぼったくみえた。裾を慌ててかき合せるようにして紀久子へちょっとお辞儀をするような恰好で厠へ入っていった。不思議に眼だけが吸われるようにおきえさんの色彩についていって厠の戸口で止まると、そこから離れの部屋を窺うように、いっ時息をひそめた。微かに父の寝息が洩れてくるように思われた。だが、もしかしたらそれは自分の呼吸の激しさかもしれない。冷めたくなった足裏に促されて紀久子は自分の部屋へ入った。ふと自分がこの間まで寝間にしていたその部屋に父とおきえがやすんでいる。――妙にそれへこだわって、どうしてもねむれない。想像が、鉛のように鈍った頭の底からつぎつぎと現われてくる。そして、この想像の跳梁に身をまかせている自分を忌々しいと思いながらも、どうしようもなくそこから抜け出せないのだった。
 その翌朝はへんに父を避けたい気がした。それでいて、まともからずけずけと眺めてやりたい気もした。いつものように父の外出の支度をしているところへ朝風呂をすませた父がきて、「新聞は?」ときいた。舌がこわばって咄嗟には口がきけず、黙って父をみたままでいると、
「何んだ?」と父は眉間の縦皺を深めたいつもの気難しい顔になった。きょうはその縦皺にいつもの父の厳しさは感じられず、好色めいたものの動きをみたように思った。不興げに父はそこを立去ったが、紀久子はふと父を眺めている自分のそばめた眼つきに気が付いて厭な気分になった。自分の中に母をみたと思ったからである。そして、この母は疾うの昔から自分の中に生きていたように考えられてくる。すると、自分の中の母に気付いたのは自分よりも父の方が早かったのではあるまいか、という気がしてきた。
 父の誕生日とおきえさんの披露をかねた小宴があるというので姉はまた忙しく家へ出入りするようになった。こんどは余り粗末なことも出来まい、と気づかうのである。仕出し屋をよんでは料理の相談をする。買物をまかされて飯尾さんは出かけて行く。おきえさんが家のことをするようになってからは飯尾さんは何かにつけてその相談役という資格である。張り切った何か愉しそうなものが終始飯尾さんの顔には漲っている。
 座敷の方の片づけかたを頼まれた紀久子が金屏風を取り出しに福をつれて蔵へ入って行くと、薄暗い光線なので足元が解らなかったのか福が火鉢につまずいて転んだ。狭い階段を中途まで登っていた紀久子が「大丈夫かい」といって駈け降りると、膝をすりむいたらしい福は向うむきになって唾をつけていたが、紀久子の声に急に顔へ袂をあてて泣きはじめた。
「まあ、福は泣いたりして」と紀久子もしゃがんで起しにかかると、
「何んですか、亡くなった奥様のことが思い出されまして……」と福は肩をすぼめて一そう激しく泣いた。その潤んだ声がふいに胸にこたえた。母の落ち窪んだ眼頭に溜った涙の玉が初めて哀しく思い出されてきた。どうして、今まで自分は泣けなかったろう。それを不思議に思いながら、今は理窟なしに、ただ母を思うて泣けるのだった。
 父の誕生日の当日になった。十数人の親戚の人たちが招ばれた。紋付の羽織袴の父と、これも裾模様をあでやかに着飾ったおきえさんが正座に並んで坐った。兄が新らしい母として簡単におきえさんを紹介した。紀久子は、これはへんだ、と思った。隣りに坐っている姉を突ついてそっと訊くと、
「どうもねえ、お父様はおきえさんの籍をいれたいらしいのよ」
 と、姉も浮かない顔である。
 酒がまわってだんだん座が乱れてきた。銚子を持ったおきえさんが慣れた手つきでひとりひとりを注いでまわった。酔いがまわったのか耳根をぽっと染めているおきえさんは初いういしくみえた。紀久子の前へきた時、
「さあ、おひとつ」とおきえさんは杯を取りあげて勧めたが、ちょっとためらって銚子を下へ置くと膳越しに上半身を紀久子の方へかたむけて、
「あの、わたし悪いところはどんどん仰言って頂きたいのですけど。わたし、紀久子さんの仰言ることでしたらどんなことでもききますわ」
 と伏眼になって云った。声が少し慄えていた。やがて徐かに眼をあげて紀久子をみたが、その眼の中に涙をみたような気がして、紀久子は意外な感じに打たれた。
「奥さん、お酌だお酌だ」
 向うの席から親戚の老人が大声で呼んだので、おきえさんは紀久子へ会釈をして立って行った。その会釈には憫れみを乞うような、愛情を求めるようなものがあった。
「余興は出ないのかね」
 ざわめきの向うで酔った誰れかが叫んだ。
「どうです、お父さん、ひとつ須藤さんの喉を聞こうじゃありませんか」
 兄が隣りの父へもたれかかるようにして話しかけていった。父は兄を肘で押し返して、
「ばかな!」と低く叱りつけた。





底本:「神楽坂・茶粥の記 矢田津世子作品集」講談社文芸文庫、講談社
   2002(平成14)年4月10日第1刷発行
底本の親本:「矢田津世子全集」小沢書店
   1989(平成元)年5月
初出:「日暦」
   1935(昭和10)年11月号
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2008年8月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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