宇宙爆撃

蘭郁二郎




       一

 所長の発表が終ると、文字通り急霰のような拍手がまき起った。
 その中でただ一人木曾礼二郎だけが、呆然とした顔つきで、拍手をするでもなく、頬をほころばすでもなく、気抜けのように突立っていた。
「おい、木曾君――」
 ぽんと肩を叩かれて、はっと気がつくと、すでに研究所の中庭にあつめられていた所員たちの姿は、ほとんど去りかけていた。勿論、いつの間にか壇上の老所長の姿も消えてしまっている。
「どうしたんだ、ばかにぼんやりしてるじゃないか」
「……いやあ」
「はっは、腐ってるんだな、わかるよ、腐るな腐るな」
「いやあ、何も……」
「ふっふっふ、いいじゃないか、希望を持て希望を――、何も今度ぽっきりのことじゃないんだからな、きっと俺たちも行くようになるぜ」
 肩を叩いた長田が、慰めるような眼で、木曾の顔を覗込んだ。木曾は、その眼から顔をらすと、
「そんなことじゃない」
「そんなことじゃないって――、じゃあ何んだね、何んにもないじゃないか、そんなにスネるもんじゃないぜ、そんなに行きたけりゃ、所長の方へ申出て置けよ、俺は早速申出るつもりだ」
「ふむ……」
「君の分も、申込んで置こうか」
「いや、いいよ」
 木曾は、はげしくかぶりを振ると、思い出したように歩き出した。
「――いいよ、自分のことは自分でする」
 研究所の中庭の、杜鵑花さつきの咲いているコンクリートの池を廻って、すたすたと自分の室に帰って行った。親切にいってくれた長田には済まないようだけれど、木曾は、とても話をするのでさえおっくうだった。早く独りになって、眼をつぶって見たかった。
 実験室はガランとして部屋の者は誰もまだ帰っていなかった。いまの所長の発表に、所員たちはきっと其処此処に一かたまりずつになって、噂の花を咲かせているのであろう。おそらく今日一日は、誰も仕事が手につくまい――。木曾は、その誰もいない実験室を横眼で見ると、頬を歪めたまま通り抜けた。そして隣りの自分の部屋のドアーを、突飛ばすようにしてくぐり、デスクの前の廻転椅子にドサリと腰をおろした。デスクに肘をのせ、頭をかかえるようにして眼をつぶると、外庭の植込みの方で何やら話しあっている所員たちの弾んだ話声が途切れ途切れに聞えていた。
「あの、どうかなさったんですか、木曾さん……」
「エ?」
 誰もいないと思っていた木曾は、その突然の声に、ぎょっとして振り向いた。
「ご気分でも……」
 そういって、心持ちくびをかしげ、細い眉をしかめて立っていたのは、思いがけなかった助手の石井みち子だった。
「なんだ、石井さんがここにいたのか……、今の、所長の話を聞いたかね」
「えっ」
「あ、そうそう、石井さんも行くほうだったね」
「はあ――、でも私なんかに勤まりますかしら」
「大丈夫だよ、あんたならきっとしっかりやってくれる……、あんたに行かれるのは残念だけれど、しかしまあそんなことはいってられないからね」
「……でも、木曾さんはいらっしゃいませんのね、どうしたんでしょう」
「いやあ僕なんか……、留守軍だよ、僕の分もしっかりやって来て下さい、いや、やって来て下さいじゃない、やって下さい、だ。一寸出張のようなつもりでは困る、業績のためには骨を埋めるつもりで行って貰いたいっていってたからね、所長が―、はっは」
 木曾ははじめて、しかしうつろな声で笑って見せた。

       二

「でも、ボルネオとはまさか私――。どうしてボルネオなんかにこの研究所のほとんど半分も移してしまうんでしょうかしら」
 石井みち子は、実験室用の白衣を着ると、すんなりと伸びたあしを揃えたまま、椅子に腰をおろしていた。女学校をて、まだ二年ほどしかっていないみち子は、磁気学研究所木曾実験室助手などという肩書が、どうも似合わしからぬほど、襟筋のあたりに幼ない色が残っていた。それもその筈で、みち子の兄の僚一が本当の助手だったのだけれど、二年前に軍務についてから、始終行き来していた木曾のすすめで丁度学校をたばかりのみち子が、この実験室のこまごまとした用事の手助けに来ている中に、いつしかすっかり一通りの実験の仕方も覚えてしまって、今では結構助手さんで通っているのだった。
「ふーん、ボルネオ行きのことかい、そりゃさっき所長も一寸いっていたように、つまりこの研究所のような、磁気学研究所といったものは、地球磁力の影響の尠いところがのぞましい、といって地球上では地球磁力の作用しないというところはないんだから、結局南北極から一番離れた、その両極の中間にある赤道地帯がよかろう、ということになるんだね、あんたも知っているだろう、一つの棒磁石があるとその両方の端が一番磁力が強い、真ン中はその両端に比べれば、ほとんど磁力がないといってもいい、両方が釣り合ってしまっているんだ、地球も形は丸いが、一つの丸い磁石だといっていいから赤道のあたりが一番両方の力の釣合っているところだね、勿論地球の北極と南極は、地図の上の極の位置とは違って、年中ふらふら動き廻っているんだから、――丁度、廻っている独楽こまの心棒の先きが、きちんと止っていずにふらふらするように――だから赤道が必ず真ン中だとはいえないけれど、しかしこの辺に比べたらずっとずっと平衡しているわけだ」
「東京と、そんなに違うでしょうかしら」
「違うね、第一そうだろう、東京あたりで磁石針の止ったところを横から見ると、きっと北を指している方が、下っている、決して平らではないんだ、これは東京が南極から離れて北極に近よっているために、北極の力を余計に受けているからだね、しかもこれはもっと北に行くほどひどくなって来て、北極に行ってしまえば磁石針の針は北を下にして突立ってしまうに違いない――、まあこれは激しい例だけれど、とにかく磁石針にすら地球磁力の差がはっきりと現われる場所では、それだけ僕たちの実験にも地球磁力の影響というものが加わっているということを考えなけりゃいけない、そんな意味でこの磁気学研究所の分身が、赤道直下にあるボルネオのポンチャナクから少しさかのぼった上流に作られるというのは実に、寧ろ当然であるといってもいいじゃないかね」
「そうですわね、でも、何も知らない人から見ると、こんなジミな研究所まで南方熱に浮かされたように思われませんかしら……」
「はっはっは、まあそう思う者には思わせといてもいいさ、要するに南に行っただけの業績をあげればいいんだからね」
「ええ、でも木曾さんにまでそう仰言おっしゃられると、なんだかこう、身動きも出来ないものを背負わされたような気がしますわ」
 石井みち子の真剣な顔を見ると、木曾は、微笑を返さずにはいられなかった。
 このボルネオ研究支所のことについては、かねてから所長から内々の相談があったことだし、支所行きの人選まで木曾が案を作った経緯いきさつがあったのに、いざ、発表されて見ると、木曾の案がそのまま用いられておりながら、肝腎の木曾自身が、どうしたことかその選に洩れているのである。木曾が呆然としてしまったのは、そのためだった。なんだか自分だけが、け者にされたような激しい失意に、一瞬、打ちのめされてしまったのだった。
 木曾は、新設のボルネオ支所で思い切り仕事がして見たいと、内心はりきっていたのである。そのために、人選については実験室からでも精鋭をすぐって置いたつもりである――、が、それが今は全く裏切られてしまったのだ。木曾は中庭を横切って自分の室まで帰って来るのに、まるで夢のような気持だった。自分の、この研究所に於いての仕事というものに、ここで終止符を打たれたような、何んともいえぬ落莫たる気持であった。
 しかし流石に、石井みち子を前に置いて、ひどく取乱したところを見せぬだけは、やっと落着きを持ちこたえていた。いや実は相当顔にも出ていたのであろうが、突然「ボルネオに行く」と申し渡されて昂奮に取りつかれていたみち子に、ただ気づかれぬだけだったのかも知れない――。そして木曾は、あの親友僚一によく似たかお立ちのみち子が、いつになく上気した顔を真正面に向けているのを見ると、却って、やっと自然に微笑が浮ぶほど、落着きを取り戻して来た。
「木曾さん、所長が呼んでますよ――」
 あわただしくはいって来た助手の村尾健治が、ドアーを開けながら、いつになく弾んだ声でいった。
「ああ、そう――。村尾君もボルネオ行きだったね」
「はあ、お蔭様で……」
 村尾もまた、どうこらえても込上こみあがって来てしまうらしい微笑を、口のへりにふるわせていた。
「まあ、しっかりやってくれたまえよ、石井さんも行くんだ、よろしく頼むよ」
「はあ、あの……」
「はっは」
 木曾は、笑った自分の頬が、ひくりと痙攣したのであわてて立上った。そして顔を外向けるようにしてドアーをくぐって行った。

       三

 ――今度のボルネオ支所開設のために色々手配してくれたことは感謝するよ、しかし君がここにとどまることになったからといって、そういう風に取られては困るんだがね、例えば長田君なんかも自分が加わっていないことだいぶ不満に思っていたようだったけれど、しかしここの研究所をからにしてしまって皆んな支所へ行ってしまうというのはどうだろう――
 老所長は、窓から射込んで来る陽射しに、銀髪をきらきらと輝かせながら、そういう風に話していた。
 ――支所はあくまでも支所だ、一応精鋭をすぐって行くことは当然だけれど、しかしだからといって全部行ってしまっては困る、昭南島がいかに便利だとはいっても東京をそこに移すわけにはいかんようにね、東京は地理的には少し遠くはあっても、矢張りここで大東亜に号令すべきところだからね、同じことさ、ボルネオ支所にしたって実験的にはここよりも便利かも知れない、いや便利だからこそあそこを選んだんだが、しかし総括的な業績は、矢張り磁気学研究所としてここで号令し纏めなければならんと思うね、そのためには君とか長田君といったような人まで行ってしまうことはどうだろう、勿論出張は差支ない、事情の許すかぎりどんどん行って貰うつもりだ。大東亜の中心は矢張り東京だ、誰でも知っているそれだけのことさ――
 老所長の話は、大体そんなことだった。木曾は、ていよく祭り上げられた恰好で、なんとなく頷いてしまったのである。
 しかし時間が経つにつれて、木曾は自分がここに残ることになったについて、何故あんなにも呆然自失したのか、ということを考えて見る余裕も出来て来た。果してそれは本当に実験への情熱を裏切られただけだったろうか、それとも、ただ未だ見ぬ土地というものへの漠然とした憧れであったのか――、それが自分でもはっきりわからなくなって来た。実験ならここでも今までに相当なことはして来たつもりだ、しかも西欧科学と遮断されている今日、好条件の場所で、気鋭の者たちのあげるボルネオ支所の業績は、そのまま絶好の競争者を得た励みとして感じられぬこともないではないか。面白い――。
 磁気学研究所実験室主任木曾礼二郎は、時と日が経つにつれて、やっと元気を取り戻して来た。
「所長もいっていたがね、同じ赤道直下の場所でも、なぜボルネオを選んだかというとね、東漸して来た西欧文明は先ずジャバ島に上陸した、そしてジャバ島を殆んど西欧化して東印度で一番の開発された島としたんだ、そしてなおも東漸しようとしたがボルネオはまだ本当に手がつけられていなかった、だからボルネオは東印度の、いや世界の暗黒島といわれていた、しかし今度は東亜文化を西漸せしめなければならん、それには既に敵の手をつけた施設を流用するのもいいが、取りのこされていたボルネオに先ず東亜文化の一燈をつけるのも面白いじゃないか――とこんな風な、味なこともいっていたよ、それからその中には所長も出かけるといっていた、しっかりやってくれんと困るぜ、僕もここで、君たちに負けんつもりでやる」
「やります、僕はきんの創造を、西洋の錬金術師が数百年かかって出来なかった金の創造というやつを、元素転換で工業的にやってのけたいと思っていますからね、現在のサイクロトロンといったものではまだまだとても駄目です」
 村尾は、その神経質らしい迫った眉に、真剣な色を浮べていた。
「うん、そうだね、現在のサイクロトロンじゃあまだ一匙の水銀を転換させるのにだって何日かかることだか……一グラム何千円という金を造っていては、金を造って破産することだ、はっはっは、――石井さんは?」
「さあ、私は、研究室の皆さんが病気をされないように、それだけを心がけたいと思いますわ、それ以上のことは出来そうもありませんし、病気をされることが一番つまらない無駄なことですものね……それが結局皆さんの研究に、直接ではなくてもお手伝い出来たことになりますもの」
「なるほど……」
 木曾は、この石井みち子を、今度のボルネオ行きの人選に加えて置いたことを、矢張り正しかったことと確信した。
 ともすれば、熱狂的になり易い若い所員たち(仕事の重大であるということを自覚すればするほど)の中に、この優しくしかも折にふれて男まさりの意志を示すみち子を加えて置いたということは、何んとなく、自分の打った釘が一本きいたことを知った時のように、満足であった。昂奮すると、紅潮せずにむしろ顔が蒼白となる村尾が、あの発表の日以来、殊に蒼白い顔をしているのを見ると、余計にそれが思われるのであった。

       四

 なんだか落着かない忙しさの中に、ボルネオ行きの所員たちが立って行った。発表されてから一ト月ほどの予猶など、瞬く間に過ぎてしまって、ただわけもなくあわただしさの中に、若い所員たちがゴソッと立って行ってしまった感じだった。
 所員たちが行ってしまってから、二三日中はそうでもなかったけれど、一週間も立って来ると、木曾は、又しみじみと取りのこされた感じに襲われて来た。頭数あたまかずからいえば、三分の一ほどの減り方なのに、それでいて研究所全体が、ガランとしてしまったような淋しさだった。実験室で、ぼつぼつ実験に取りかかっている助手たちの姿にも、気のせいか一向に意気が上らないようにも思われた。
 これではいけない、と思う一方、木曾自身にも残った所員たちの気持がわかるような気もし、いて注意を与える気にもなれなかった。これは支所行きの人選を、極く内々ではあったけれど、自分がしたのだというけ目のようなものもあったし、それと同時にはまた、そのためには自分が残ってよかったという安堵に似たものもあった。木曾は、ガランとした実験室で、黙々として報告書の方眼紙に、実験特性曲線をマークしている残留所員たちの後姿を、黙って見つめていた。そしてたまに所員が自分の意見を求めて来た時などには、自分でも愕くほど大きな声を出したり、わざと笑って見せたりするのだった。
 ボルネオ支所から、出発後二ヶ月目も終ろうとする頃になって、はじめての私信が届けられた。
 石井みち子から木曾礼二郎あての私信。
 ――ご無沙汰いたしました。出発の際にはわざわざお見送り下さいまして恐れ入りました。もっと早く、お手紙いたしたかったのですが、馴れぬ土地にはじめての旅、しかも始終仕事のことを考えていなければなりませんでしたため、遅れてしまって申訳ございません、お許し下さいませ。
 けれども、出先きの方々の御尽力で、思いのほか順調にまいり、当研究所ボルネオ支所の仕事ももうぽつぽつ始められるようになりましたからどうぞ御安心下さいませ。マングローブの繁るボルネオをはじめて見ました時は、なんとも口では申し上げられません気持でした、当支所はポンチャナクからカプアス河を、薪をたく川蒸気に乗って四日目につくシンタンの近くにございます、四月と十月の季節風交替期のほかは雨も少く健康地だといわれましたけれど、ほんとうに、こんなに住みよい所とは思いませんでした、地を蔽う熱帯樹林は、類人猿の住家すみかだそうでございますが、まだ、この眼で見る機会はございません、ダイヤ族の首狩も、ダイヤ族は島の奥におりますそうですし、私たちには関係もなさそうでございます、(あまり関係があっては困りますけど)。とにかく一同とても元気だということをお伝えいたします、研究所も、思いのほか立派な建物をそのまま頂戴いたしまして(以前にはココ椰子の会社だったそうでございます)いま私がこのお手紙を書いております部屋を、丁度赤道が通っているのだそうでございます。
 私の仕事――赤道上に於ける南北極の磁力の影響――ということは、まだまだどういう結果になるかわかりませんけれど、いずれ準備が出来ましたらオッシログラフで精しい曲線を取ってお知らせ申し上げますが、一寸考えただけでは、両極から同じ距離にある赤道の上では、両極の磁力の力が平衡しているように思われますのに、実際は始終どちらかに浮動している様子でございます、これはだいたいいつぞや申されましたように地球の極がふらふらしておりますためか、地球が、鋼鉄で出来た永久磁石のようにはっきりとした磁石でないせいか、それとも、空気中の電磁的影響のせいか、なかなかむずかしい事のようでございます、それからもう一つ面白いことは、赤道の上ではどうやら北極――北半球から来る磁力線の方が、南から来るものよりも多いようでございます、これは普通の磁石ならば、その両極から出る磁力線の数が同じである筈でありますのに、こういう違いがあると申しますのは、どうも考えられない妙なことでございます、これもまた、地球というものが、私たちの知っている磁石とは別のものでありますのか、或いは又、南からの磁力線が宇宙の中に吸収されてしまいますのか、それとも、北半球には南半球に比べてずっと陸地が多いということが、何かの原因になっておりますのか――。
 ずいぶん堅いお手紙になってしまいました、こんなことを書くつもりではございませんでしたのに、つい今、気にかかっておりますので筆が正直なことを書いてしまいました。それから、村尾さんたちのサイクロトロンは、まだ準備に時間がかかるようですので、それまで私の方を考えて頂こうと思っております。
 昨日の川蒸気で、ポンチャナクから日本のお味噌を持って来てくれました、それで今朝は、とてもおいしい味噌汁おみおつけが出たことをお知らせいたします。五月十二日附―。

       五

 村尾健治から木曾礼二郎あての私信。
 ――東京は、この手紙が着く頃はそろそろ梅雨つゆにはいることと思います。東京のあのじめじめと降りつづく雨から、僕たちは開放されたわけです。青空、そして豪快な雨――。僕は内地が世界第一の風光明媚といわれていたことに少々疑問を持って来ました、いや、風光は明媚かも知れませんが、しかし第一の健康地であるかどうか、これは疑問ではありませんか、緯度からいったら樺太の北に当るベルリンやロンドンでは樺太で想像する生活ではありません、とにかく地球の自転の方向からいって、亜欧大陸、米洲大陸など大陸の西側が健康地である筈です、内地やニューヨークなど大陸の東側に在るものは、それよりも劣るとも優ってはいないでしょう、といって何も絶対的ではありませんけど……、とにかく僕は内地を出ればことごとくが瘴癘しょうれいの地であるという考えをもっていたら間違いだ、といいたいのです、第一僕たちがボルネオに出発するといった時に、体に気をつけなければいかんといって、おそろしい不健康地に行くように思っていた友人もいますが、それは結局英国なんかの宣伝に乗っているんです、彼等は、まだ自分たちの手が十分についていない土地は、住むにたえぬところとして宣伝して、世界の眼から隔離して置きたかったからに相違ありません、ボルネオは健康地です、つくづくそうわかりました、猛獣毒蛇もいません、わには少しいます、しかし東京にだって蛇はいるのですから、愕くにあたりません。僕は健康です、そして準備の整い次第早く仕事にとりかかりたいと張切っていることをお伝えして置きます。石井さんも元気です、そして皆んなのために朗らかな雰囲気をいつも持たしてくれることに感謝しています。
 長い船旅のつれづれに考えたのですが、われわれ人間には話という「声」や、手紙という「文字」によらなくて、もっと直接的な通信(通信といって変ならば、意志の交換とでもいいましょうか)が科学的に掴まれなければならぬと思います、たとえば一群の蟻は、音もせぬ真暗闇の中でどうしてその全部の間に瞬間的な通信が出来るのか、飛んでいる※(「蠢」の「春」に代えて「亡」、第3水準1-91-58)あぶはどうしてお互いに見つけ出すことが出来るのか、それは生物間の通信というものに、「声」と「文字」以上のものがあることを思わせます、或いはまた恋とは声とか文字とか以外のものを持って調和し、科学ではわからない何らかの方法でお互いに感じたり、心と心、魂と魂とが交流したりすることが出来ることのようです、声は会話ばかりでなくラジオによって広められ、文字は手紙ばかりではなく印刷によって広められています、しかしながらこの最後の通信方法は、まだ現在のところ存在を認められながら正体を掴まれていないのです、しかしいずれは掴まれると思います、例えば陰陽術師のように、あらゆるものを陰陽にたとえるならば、磁石の正負を男と女の群に見ることも出来るでしょう、そしてそれならばあの有名な電磁場の法則に従って、一人の男から空間を乗越えて彼女に感応する「恋の量」を計算し、小数点以下まで現わすことが出来る筈です、しかしながら実際にはこのビオ・サヴァールの法則が生物の意志の感応の上にそのまま適用出来ぬことはわかりきったことです、そしてはそれは取りも直さず、この法則につき纏っている「或る常数」の値を決定出来ぬからではないでしょうか、この「或る常数」の中に、僕たちのまだ知らない要素がひそんでいるに相違ありません。
 もしこれを僕が掴むことが出来たら!
 石井さんはこの頃、何か非常に朗らかな様子です、真白いワンピースを着て、蝶々のように飛廻っています、しかし僕にはまだ「仙術を習得し得ない仙人」なのですから、その理由を感応することが出来ません……、尤もこれは、感応出来ない方がいいかも知れません、ほんとうにどんどん感得出来て、「スイッチの切れないラジオ」のように四六時中頭の中に他人の意志が響いて来ていたんでは、僕は気が狂ってしまうかも知れませんから。呵々かか。五月二十八日附――。

       六

 木曾礼二郎から石井みち子あて私信。
 ――過日はお手紙ありがとう、早速に返事を書くつもりだったのに、急に所員が減ってしまったことや何かで、多忙にまぎれてしまっていました。しかしこの前のお手紙で元気らしいので安心していたのもその一の原因です。きょう村尾君からも手紙をもらいました、村尾君もなかなかに元気の様子、ボルネオに比べれば内地の方が気候が悪いといったような気焔を上げていましたよ、皆んな揃って元気なのは何よりです、ことに石井さんは昨今非常に朗らかだということですね、そんなにいいことがあったら知らせて下さい。僕も出張ということでそっちへ行って見たいと思っていましたが、矢張り手不足などでどうやら急には行けそうもなくなりました、鬼が笑うかも知れませんが今年の末か、来年には皆さんの元気な、ボルネオ焼けの顔が見られると思います。内地の冬に、避寒がてら行ければ嬉しいと思います。諸君によろしくお伝え下さい。五月二十八日附――。

 石井みちこから木曾礼二郎あて私信。
 ――お手紙ありがとうございました、さぞお忙しいこととお察し申し上げます。こちらでは実験室の準備も一通りすっかり揃いました、附設の発電所も十分な電力を起してくれます、しかもその発電所は水力でもなく汽力でもなく、ディーゼル機関を使っておりますの、矢張り石油の豊富な土地だということがしみじみと思われます。さて、私の朗らかさが、もうそちらにまで知れてしまったのにはおどろきました、これでは悪いことは出来ません……といって、私が悪いことをしているというのではございません、私がそんなに、人の眼につくほど朗らかになったと申しますのは、兄の僚一が、この近くに駐屯しております部隊にいることを、つい先ごろ知ったからでございます。兄もまさかこのボルネオで兄妹が逢おうとは……と申してびっくりしておりました、一寸離れてはおりますが、いずれそのうちには暇を見てこの研究所にもまいることと存じます、その上で、木曾さまの方へも早速お知らせいたしたいと思っておりましたのに、なんだか逆になってしまって申訳ございませんでした。
 そのほかに、他に変ったことはございません。村尾さんがただ、体にさわらなければよいが、と思うほど仕事に夢中になっておられます、私などがこんなことを申しますのは、少し口はばったいことかも知れませんけど、村尾さんはまるで芸術家のようにロマンチストで、そして情熱家であるようでございます、これは前からもそういう御気象のようでしたが、こちらに来てなお一層そんな風に感じられます。科学者はロマンチストでなければいけない、夢のないところに発展はない、とは木曾さんのいつも仰言言って[#「仰言言って」はママ]いられたことですけど……。その村尾さんの気焔と申せば東京の夏のように湿度の高いところで、ちゃんと洋服を着てネクタイをしているなんて馬鹿気た話だ、ここは東京ほど暑いと感じないのに開襟シャツに半ズボンで何処でもとおるんだからね、などといっていられます。
 それから(これは又別なことでございますが)磁力線の曲線をオッシログラフに取っている時に感じたのでございますが、丁度これが地震計のような感じがいたしますので、これによって地震の予知が出来ましたら、例えば地震が起る前には地球磁力線に何んかの変化があらわれるとでもいたしましたら、これはどんなに面白いことでございましょう、ひょいとそういうことに気がつきましたら、急に地震計がほしくなりました、木曾さまのお考えで、やらせて見ようというお考えでしたら御一報下さいませ、でもこちらは地震の尠いところですし、本所の方でももうお考えになっているかも知れませんけれど。六月十三日附――。

       七

 村尾健治から木曾礼二郎あての私信。
 ――御健栄のことと存じます。僕の方もいよいよ準備が整い、ぽつぽつ実験に取りかかっております、原子爆撃による元素の変換……すでに成功している水銀の一原子から一個のプロトンを叩き出して金の原子にする……ということから取りかかろうと思っています、これは実に近代科学の一つの最高峰を示すものでありましょう、いや、そんなことを木曾さんに申すのは釈迦に説法ですからやめますが、しかしとにかくこの原子という眼に見えない微小なものを考える時に、僕はふと奇妙な気持に襲われるのです、水を幾つにも幾つにも分けて行って、遂に水として最後のものの分子となり、それを更に分ければ最早水ではなくて酸素と水素とになってしまう、その酸素と水素とは、要するに一つの中心の核のまわりを幾つかの高速度の電子がぐるぐる廻っているものである、そしてそれは殆んど空間でみたされているといっていい、つまり物質の容積とか体積とかいうものは、結局はカラである、家やテーブルや犬を形作っているものは殆んどすべてが空所である(では何故に物が崩れて眼に見えないような点になってしまわぬかという理由は、御承知のように原子の内部の電子と核とが互に引き合い斥け合っているからなのですが)、しかしこれにも増して愕くべきことは、この絶対に崩壊しないと思われていた原子すらも、人間の力によって、例えばサイクロトロンの強力磁場を利用する爆撃によって、電子を核からもぎ離し、実際に於いてその物質を破壊することが出来るようになった、という僕現在の仕事のことなのです。
 僕はこの(眼に見えないから想像の上の)原子というものを考える時、実に不思議なものを感ずるのです、僕は今、ある非常な不安に襲われているのです(これは他の人だったら、或いは相手にしないことかも知れませんから、木曾さんにだけいうのですが)、その非常な不安――というものをいう前に、先ず大きさというものが一体どんなものか、甚だあやしいものである、ということを申させて下さい、つまりここに三センチの線があれば、僕たちは一般に短い線だというでしょう、しかしそれは一センチの線に比べれば、あきらかに三倍も長い線です、僕たちは一般にその大きさというものを考える時、同様のものの一群を考えて、それの平均と比較している習慣がついています、僕の高さは五尺二寸、だから一寸の五十二倍もあります、しかし背位せいは低い方です、なぜなら僕は学校の同級生と隊列を作った時に、真ン中よりも後の方になるからです、結局大きさは絶対ではありません、いつも相対的な仮りのものです、この机の厚みが一インチある、差渡しが四十センチある、或いは又高さが二尺六寸ある、つまりそれは仮りに定めた「物指ものさし」というものとの相対的な心覚えにしか過ぎません、僕たちは、宇宙というものを宏大無辺ということと同義語のように使って怪しみませんが、しかしその宇宙を一っけのビスケットと見るような、より大きな世界が、無いとは断言出来ないことではありませんか。もしその巨人が、このビスケットのかけらを細分して行ったならば、遂にはそれはビスケットではなく多くの原子になるでしょう、そしてその原子の一つは、太陽という一つの核を持ち、水星、金星、地球、火星、木星、土星、それから天王星、海王星と呼ばれている八つの電子のぐるぐる廻っている太陽系と名づけられた原子のあるのを知るかもしれません、そしてそれらの核と電子どもが、遠心力によって飛離れようとするのを、引力というものによって引寄せられ、何もない空間に固立しているような様子を興味深く観察し、ビスケットもまたそのもとをなしているものは空間である、と叫んでいるかも知れないのです、同様に、僕たちは一片のビスケットを原子にまで分解し、そしてその原子のあるものには、核が一つと、八つの電子を持ったものがあることも知っています。そしてこの原子について、もっと詳しく調べることが出来るのだったら、その電子の三番目の奴には、地球という名前がつけられていて、人間という超微生物が充満していることを知るかもしれません、そしてこの人間という超微生物は、いや、超微生物というのはやめましょう、大きいか小さいか、ましてそれが、超微小であるかなどということは僕たちの仮りの「感じ」だけの話なんですから……、とにかく原子の三番目の電子にいる「人間」は、いま高速プロトンの爆撃によって原子の(原子の中の電子に住む人間のいる原子の)変換に成功したといって、科学の勝利を謳歌しているかも知れません、しかし、なんぞ計らん、彼等の住む地球である電子が、この、磁気学研究所ボルネオ支所の村尾健治によって爆撃をくらい、彼らが永劫に安泰と信じていた球体は、原子系の中から叩き出されようとしているのです……。彼等は、そんなこととは夢にも知らず、研究し、生活し、恋愛し、闘争し、飽食し、そして又科学は吾等の手にあると誇示しているかも知れないのです、しかしながら、僕たちにとってはそのようなことはどうでもいいことです、意に介さぬことであります、水銀の八十個の惑星から一個を叩き出してしまえば、七十九個の惑星を持ったきんというものが得られるのです、叩き出した一個の惑星が何処に行こうとも、又その惑星の上に生活している生物がいようとも、そんなことは知ったことでないし、又現在は知るすべもありません。
 けれどもこれは僕たちの実験室の中にある実験材料の中の原子の話、しかしこれと同様なことが、この、現に僕たちが生活している太陽系の地球についても、いえぬことでしょうか。この太陽系を含む大宇宙というちっぽけな実験材料が、超大巨人たちの物質変換実験室のテーブルの上に、今、置かれておらぬという証拠はないのです。僕たちの住むこの地球が、超大巨人の一寸した実験によって、安住の太陽系から叩き出され、崩壊してしまわぬとはいえません……。いやそればかりか、こう考えて来た僕の不安は、次のようなことによって、なお一層裏書きされるではありませんか。
 その一つは、時折、わが太陽系を襲う原因不明の強力な磁気嵐は、超大巨人がこの僕たちの宇宙に原子爆撃を試みようとしているのではないか、という事実。
 その二は、宇宙の天外より突如として得体の知れぬ大彗星の襲いかかって来る事実。これは近代になって有名なものとして数えられるだけでも、ハレー、ドナチ、モアハウス、スイフト、ダニエル……そしてその度に、この地球が、しっかりと廻転している太陽系から粉砕され放逐されようとした恐怖を御存じでありましょう。これは瞭らかに超大巨人が、我れらの太陽系を含んだ宇宙を、彼等の持つ彗星というプロトンによって爆撃し、変換せしめようと実験を繰返しているのではありますまいか。
 彼等は幸いにして今日まで太陽系という原子から、地球という電子を叩き出すことに成功はしておりません、しかし一点(ほんの一点)先きに、僕はこのサイクロトロンの中の実験材料から電子を叩き出すことに成功しております、僕の爆撃によって叩き出された電子の上にあったであろうあらゆる生命、思想、文明は、粉砕し去られたはずです、この成功は、間もなく超大巨人の実験室に於いても成功するでしょう、そして原子爆撃、僕たちにとっては宇宙爆撃が工業的にまで行われるようになるかも知れません。――しかもこの恐るべき宇宙爆撃は絶対に阻止するすべが無いのです、それは、現在この僕の実験室にある実験材料の物質の、その中の原子の中の電子というものから、いかに阻止の歎願が叫ばれたとしても、それを知り得るすべがないからと同じです。地球人は、この刻々に迫っている宇宙爆撃の破滅も知らずに、笑い、怒り、歌っているのです、僕は、何か総毛立つような恐怖を感ぜずにはいられません。
 しかし超大巨人の宇宙爆撃によって、この地球がむざむざと宇宙の外に叩き出され、むなしく崩壊することは、とても坐視するに忍び難い思いです、地球文明が飛散する前に、なんとかして超大巨人に、彼等にとってはただの電子でしかない地球の上に、このような科学文化があったことを知らしめたいのです、それには、唯一つの方法しかありません。つまり地球人自ら地球を爆砕するのです、八個の電子を持った原子が、そのうちの一個の自己爆砕によって七個の電子を持つ原子と変り、ここに元素の自然変換が行われる筈です、超大巨人の実験室のテーブルに置かれたベリリウムは、忽然としてヘリウムに変換するでしょう、この奇蹟に超大巨人が興味を持ったならば、やがて電子一個の自爆による減少に気づき、そしてその自爆の原因を追求していったならば、やっと自爆した地球と名づけられた電子の上の科学文化に気づくかも知れません――これ以外に、超大巨人に僕等の存在を知らせる方法がないのです。僕はこの宇宙爆撃に先行する地球自爆の方法を考えて見ます、おそらく原子破壊のエネルギーによって不可能ではないと信じます。七月二十六日附――。

       八

 しばらく音信が絶えていたところに突然やって来たこの村尾健治の長い手紙は、その内容でひどく木曾を愕かせた。あまり夢中になって原子爆撃による元素変換に熱中した揚句、少しどうかしてしまったのではないか、と心配になって来た。しかしその手紙の行間には少しも冗談らしいところもないし、なお悪いことには、最近やっと研究のすすめられている原子破壊によって生ずるエネルギーというものは、実に想像を絶する莫大な魔力を持っていて、この力によれば、事実この地球そのものの爆砕も決して不可能ではないということだった。
 しかしなぜ又、村尾はこんな風に、極小世界と我々の世界と、それから極大世界とを混同してしまったのであろうか――。木曾は眉をしかめて、二度も三度もその村尾の手紙を読返して見た。そうして見ると、最初にさーっと読んだ時に感じたばかばかしさというものが次第に薄れて、なんだか、その底から鬼気迫るようなものをさえ感じて来た。村尾の不安が、事実容易ならん予言のようにも思われて来たのである。それで、すぐ様石井みち子あてに手紙を書いた。
 木曾礼二郎から石井みち子あての私信。
 ――東京は大変な暑さです、そちらはきっと東京より涼しいことと思います、お元気ですか。さて、突然ですが(そういえばこの前の石井さんの手紙に村尾君がひどく熱を上げていると書いてあったようでしたが)その村尾君も相変らず元気でしょうか。今日もらった手紙によるとだいぶ神経衰弱ではないかと思われるふしがあるのですが……つまり元素変換の実験について疑問を起し、果てはこの地球を爆砕してしまうといったような過激なところがあります、様子をよく見た上、御一報下さい。八月十五日附――。

 すると、石井みち子へはまだ木曾の手紙が着かないと思う頃に、行き違いに再び村尾からの手紙が届けられて来た。
 村尾健治から木曾礼二郎あての私信。
 ――前便でだいぶいろいろなことを申し上げましたが、ほんとうに僕の抱いている不安というものがおわかりになったでしょうか、この恐怖は未だかつて地球人が誰一人として想像もしなかったであろう恐怖です、超大巨人によって我が宇宙が爆撃されるというのっぴきならぬ不安は……。しかもそれがいよいよ嘘でも冗談でも想像でもなくなりました。
 というのは僕の実験室で大異変が起ったのです。僕はこうしてお知らせの手紙を書きながらも胸がしめつけられるような気持がするのですが……、その大異変というのは実験材料として置いた一粒の水銀が、いつの間にか忽然として自然変質をしてしまったのです。愕くべきことです、純粋な水銀が、得体の知れぬものになってしまったのです。もっと詳しく申しましょう、この異変を最初に見つけたのは石井さんでした、硝子盆の中の一粒の水銀(マッチの頭ぐらいと思って下さい)の色が、なんだ変だといい出したのです、そして、ひょいとつまんで見せました、(水銀は表面張力が強いですから抓んだことには愕きませんでしたが)しかしその上、あら、こんなに堅くなってしまったわ、といってギュッと押潰すように抓んで見せたのですが、この水銀はびくともしないのです、しかもです、テーブルの上に落すと、その水銀はカチ、カチ、カチと堅い音をたてて弾むのです、僕がぎょっとしている間に、石井さんは手許にあった金槌かなづちで叩き潰してしまいました、そしてこの水銀は茶色の粉となってしまいました。なんという愕くべきことでしょう。僕はいそいで他の水銀を調べました、しかしその他の水銀には一向変化が認められません、この粉砕された一粒だけが変質しているのです。
 この怪異は何を物語っているのか。……僕はこの前にお手紙した宇宙爆撃の恐怖が裏書きされたように思われます。つまりこの水銀の中の電子には、我々の地球以上の高度な科学があったのだ、そしてやがて自分たちの宇宙がこの僕によって爆撃されることを予知して、その前に、自らの力によって自分の宇宙体系を爆砕し変換せしめてしまったのではないか、そして彼等にとっては超大巨人であるこの僕の眼に、自ら変質する科学を持っていることを誇示しようとしたのではありますまいか、これは僕の考えていたことと非常によく符合しているようです(ですから僕にはそう推察がついたのです)、しかも極小の電子に住む彼等の科学力は、現在の地球人よりももっとすぐれた愕くべき破壊力を持っているようです(なぜなら、現在の地球人の科学者、しかもある特種な研究に従っている科学者でさえ、やっと地球自体を爆砕するに足るだけのエネルギーを見つけ出したばかりなのに、彼等は、僕たちでたとえれば宇宙全般に亘って強大な破壊力を発揮するような、つまり地球にいて火星や海王星を狙撃して爆砕せしめ得るような、愕くべき科学力を持っていたに相違ありません、さもなくば、僕たちにとってさえ一粒として見える位の大きさのものをさえ、そっくり変質せしめてしまうことは出来ぬ筈なのですから――)
 いよいよ僕たちの番がやって来ました、僕たちはこの水銀の中の一電子にいた「人間」の方法によって(残念ながら我々にはまだその通り真似る力はありませんが)、尠くとも超大巨人の宇宙爆撃の前に、地球自らの爆砕によって太陽系という一原子を変換せしめ、超大巨人に我々の科学の存在したことを示さねばなりません、僕は極力その準備にとりかかります、きっと最後まで石井さんは、この上もなきよく助手でいてくれるでしょう、それが僕の唯一の喜びであります。(声と文字以外の感応の方法によって、生物間の意志が疎通出来る方法が見つけられてあったならば、或いは僕の爆撃しようとしている電子上の極小人間、又、我々の地球を爆撃しようとしている超大巨人と、互いに了解し合うことが出来たかも知れませんが、それは最早、今の間に合わぬことになってしまいました、同時に又、今までの方法ではどうしても打あけることの出来ない気の小さい僕は、石井さんとも了解し合うことが出来ずに終るでしょう……)
 いずれにせよ、準備の方をいそぎたいと思います、又お手紙いたします。八月十六日附――。

       九

 この、容易ならん村尾の手紙を貰ってから半月ほどもすぎた。前に問合せて置いた石井みち子からの手紙は、毎日待ち暮しているのになかなか来ないのだ。と突然電報がやって来た。
 村尾健治から木曾礼二郎あての私信電報。
 ――ケッコウシマス、テツヅキヨロシクタノム。九月一日附――。

 木曾礼二郎は文字通り愕然とした。村尾はこの地球を爆砕しようというのか! 注意をしたのに返事もせぬ石井みち子は何をしているのだ。
 地球を粉砕するというのに手続きも糞もあるものか!
 木曾は、給仕を呼ぶいとまもなく、泡をくって研究所を飛出すと、急いで郵便局に駈けつけた。
 木曾礼二郎から村尾健治あて私信電報。
 ――マテ。アトフミ。九月一日附――。

 木曾礼二郎から、石井みち子あて私信電報。
 ――ムラオヲ、ジッケンシツニイレルナ。アトフミ。九月一日附――。

 息を弾ませた木曾が、研究所の自分の部屋に帰って来ると、郵便局に行っている間に、航空便が届けられていた。

 石井みち子から木曾礼二郎あての私信。
 ――先日はお手紙ありがとう存じました、早速に御返事を、と思いながら色々の都合ですっかり遅れてしまい、申訳ございません、それで、遅れを少しでも取り戻そうと、このお手紙を、いよいよ開通することになりました大東亜航空便に托してお届け申し上げます。御心配をかけましたが、村尾さんから木曾さまに妙な手紙を差上げましたというのは、これはすべて私の責任なのでございます、村尾さんが余りお仕事に夢中になっていらっしゃいましたので、つい浮き浮きしておりました私が、ほんの悪戯いたずら心から、こんな御心配をかけようとも知らずに、実験室の水銀の一粒を、そっと仁丹の(あの銀色をした小粒の)一粒と置きかえて置きまして、あら、実験にもかかられない前に、もうこんなに変ってしまいましたわ、きっと村尾さんがあんまり熱心だからですわね……と申しましたところが、村尾さんは私の冗談を笑われるどころか、急に、それ以来とても考えこんでしまわれたのでございます、とても悪いことをいたしました、あまりお仕事に夢中になっていられますので、お体にさわっては、と思ってした悪戯が、却って何故かひどく村尾さんを愕かせてしまったのでございます、そしてもう、私が何を申しても、それは冗談だったと繰返し申しても、少しも聞こうとはなされません……、泣くにも泣けない私は、でも丁度幸い、外出の出ました兵隊の兄にわざわざ寄って貰いまして、よく説明して貰いお詫びして貰いました、そしてやっとわかって頂くことが出来ました、ほっといたしました、しかも村尾さんは少しもお怒りになりませんでした、そういうみち子の好意がわからなかったのだといって却って兄に詫びられたそうでございます、そして村尾さんは、僕はこういう仁丹があるとは知らなかった、といって苦笑されておりました、村尾さんのように仕事に熱中される方には、ありそうなことでございます。
 それから、兄は私に村尾さんとの結婚をすすめるのでございますが、木曾さまのお考えは如何でございましょうか、兄は、なあに木曾さんだってきっと賛成だよ、きっとそんなつもりでみち子をボルネオに寄来したんだろう、ついでに東京の方の手続も木曾さんに頼むがいい、などと笑っておりましたが、いずれ兄と村尾さんからも何か申し上げることと存じますが……、ともかくみち子も、ここに骨を埋める覚悟というものが、わかりかけてまいりました。八月二十七日附――。

 木曾は愕然としたあとの呆然とした気持だった。この日附で見ると、村尾の電報より先に出されたものらしい。しかしそうすると、村尾のいうケッコウとは何をいうのであろうか。木曾はテーブルの電話を引寄せて、郵便局に電文の照会を頼んだ、間もなく知らされた訂正電文は次のようなものだった。
 ――ケッコシマス、テツヅキヨロシクタノム――。

 木曾礼二郎は、長い廊下を伝って、庶務室の方にゆっくりと歩いて行った。木曾はこの研究所の結婚手続というものを知らなかったのだ。それを聞かなければならない。
 しかしゆっくりと歩きながら、それとは別に、科学の力について考えつづけていた。
 原子破壊によって生ずる莫大なエネルギーなどというものが、一般人に誰でも利用出来るほど科学が進み、そして通俗化したならば、我々の文化は、飛躍的な大進歩を見るであろうと楽しく思っていた。しかしそれがもし一狂人の手にもてあそばれるようになったならば、この地球は、いつ、幾億の人類とともに、木ッ葉微塵に粉砕されるか知れないのだ。
 木曾は、歩きながら、フト背筋一面に押付けられるような冷めたさを覚えていたのであった。
(未発表原稿)





底本:「火星の魔術師」国書刊行会
   1993(平成5)年7月20日初版第1刷発行
入力:門田裕志
校正:川山隆
2006年12月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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