自責
モーリス・ルヴェル Maurice Level
田中早苗訳
扉が開いたけれど、私は廊下に立ちどまってもじもじしていると、
「此室でございます」
私を迎えに来て其家まで案内してくれた婆さんが、こういって再び促したので、私は思いきって入って行った。
室内はいやにうす暗くて、初めは低い蓋をかぶせたランプの外何も見えなかったが、だんだん眼が慣れて来るにしたがって、一箇の人影がぼんやりと壁にうつっているのを認めた。その影はじっとして動かなかった。何しろ痛ましく痩せおとろえて、殆んど骨と皮ばかりになって、顔なども尖々しく見えた。
石油の臭いとエーテルらしい臭いが私の鼻をついた。しんとした死の国のような静寂の中で、屋根のスレートを叩いている雨と、煙突に風のうなる音が聞えるだけであった。
「先生」
婆さんは寝台へ屈みこむようにして静かに声をかけたが、そのときに寝台がやっと私の眼にも見えて来たのであった。
「先生、貴方が会いたいと仰しゃったお方をお伴れしました」
すると影の主はあわてて半身起きあがって、
「ありがとう、マダム。もういいです、帰って下さい」
かすかな声である。
やがて、婆さんが扉を締めて出て行ったのを聞きすましてから、その声が改めて私に挨拶をした。
「こっちへお寄り下さい、貴方、私は眼が霞んで物の見分けもつかぬ上に、耳鳴りがしてお話もよく聞き取れません。どうぞ、ずっと傍へいらして下さい、そこに椅子がありましょう。お呼び立てして大変失礼でしたが、実は、是非貴方にお話ししなければならぬことがありますので」
彼は私の方へ顔をさしのべて眼をぎろりと見張った。そして震えながら覚束ない声で、
「貴方はジェルヌーさんですね。検事のジェルヌーさんでしょう」
と念をおした。
「そうです」
私が肯ずくと、安心したようにほっと溜息をして、
「これで、私もいよいよ告白が出来ることになりました」
とその年老いた病人は語りだした。
「先刻あげた手紙にはプリエと署名しましたが、あれは私の本名ではありません。御覧のとおり、私はもう死神に取憑かれているので、人相も変ってしまったでしょうが、幾らか昔の面影が残っているなら、おぼろげにも見覚えがおありでしょう。然しそれはまア何うでもいいです。
随分古いことですが、私はもと検事を勤めておりました。その頃は前途有望の法官という評判をとったもので、私も大いに名を成そうという考えから、自分の才能を現わす機会をねらっていると、巡回裁判で、或る事件が私にその機会を与えてくれました。それは或る小さな町に起った殺人事件です。巴里でならさほど注意を惹く事件でもないが、町が小さいだけに大変な騒ぎでした。
私は法廷で判事がその告訴状を読み上げるのを聴いた時から、これはなかなかの難事件だと思いました。犯行については詳細な調査が遂げられたけれど、犯人が自白をしないので、屡々自白から惹出される決定的事実というものが欠けていました。そればかりでなく、犯人と目ざされて法廷へ引出された男は、死物狂いに抗弁をしたものです。それがために法廷では、すべての人々の心持が疑惑から同情の方へ移って行きました。御承知のとおり、暗黙の間に満廷に行きわたる同情というものは、非常に力強いものなのです。
しかしそうした感情は、必ずしも法官を動かすには足りません。私は出来るだけ有力な証拠を挙げて、反証を片っ端から打ち破して行きました。被告の生活状態を洗いざらい暴露して、その弱点と素行とを指摘しました。私は陪審官に向って、恰度猟犬が猟師を獲物の方へ引張ってゆくように、犯行についてまざまざと目に見るごとき説明を与え、結局被告を真犯人であると断定しました。弁護士は極力私の論告を反駁したけれど無効でした。私は無論死刑を要求したので、その通りに判決が下りました。
つまり私は、自分の雄弁という自負心によって、被告に対して持っても然るべき同情というものを押えつけてしまったのです。で、その死刑の宣告は法の勝利であると同時に、私にとっては大いなる個人的凱歌でもあったわけです。
ところが死刑執行当日の朝になって、私は再びその男を見ました。私は牢役人が彼を寝床から呼び起したり、死刑の準備をしたりするのに立会っていたが、何だか底の知れない表情を湛えたその囚人の顔を見ると、私は突然に或る悩みを感じました。その時の細々のことまでも、今なお鮮やかに私の記憶に残っています。彼は少しも悪びれずに、役人のするがままに腕を縛られ脚枷をかけられました。私はその顔を見るに堪えませんでした。何故なら、彼は人間を超越した冷静な眼付でじっと私を見つめていたからです。
彼はいよいよ監房から斬首台の前へ引出されたとき、
『私は潔白だ! 無実の罪だ!』
と二度怒鳴りました。シッシッといって彼を黙らせようとした群衆が、却って黙りこんでしまいました。彼は私の方へ向き直って、
『私の死様をよく見届けて下さい、見ておく価値がありますよ』
傲然とそう云い放ってから、教誨師と弁護士とを抱擁しました。そして人手も借りずに独りでぐんぐん斬首台へ登って行って、斧の下る刹那を泰然と待っていました。私にはそんな風に見えました。私は脱帽してそこに立っていたけれど、もう目がくらんで何が何だか分りませんでした。
死刑が済んでからも、私は暫くの間頭が混乱して、何かわけのわからぬ懊悩でぼんやりしていました。何だか漠然と、その死んだ男が私に取憑いているような気がしてなりませんでした。
『初めは誰でもそういう感じがするものだよ』
と同僚が慰めてくれるので、なるほどそんなものかと思いました。が、時が経つにしたがって、その懊悩の理由がはっきりと解って来ました。それは確かに或る『疑い』から来ているのです。そしてそれに気づいたときから、私は心の平和というものが失われてしまいました。
裁判官が苟にも一人の人間を死刑に処した後の気持は、貴方も十分に御承知でしょう。誰だって『あれが万一無実の罪であったら何うしよう』と惑わぬわけにはゆかぬのです。そこで私は全力をあげてそうした考えと闘いました。無実の罪だなんてそんな馬鹿なことがあるものか、おれの方が正しいんだと、強いて自から信ずるように努めました。
私は自分の理性と、正常な感情とに訴えました。が、理性は常に『あの事件を裁断するについて何の実証があっただろうか』という疑惑のために押えつけられるのでした。しかも犯人の最期の有様を考えると、あの冷静に冴えた眼付が私の目前にちらつき、あの落ちつき払った声が聞えます。誰かが私に向ってこんなことを云いました。
『あの犯人は実によく抗弁したね。あれで無罪にならないのが不思議だ。僕は正直にいうが、君の弁論を聴くまでは、てっきり無罪だと思ったよ』
それを聞くと、私は再び斬首台の幻影に悩まされるようになりました。
陪審官のそれにも優る傍聴席の疑惑――それをば発止と打ち静めてしまったのは、私の功名心と雄弁の魅力であったのです。あの男を殺した者はたった一人の、この私なのです。もしも彼が潔白であったとすれば、その潔白な彼を死刑に処したという奇怪な罪悪の責任は、当然私が一人で負わなければなりません。
さアこうなって来ると、何かしら申開きを立てるとか、良心の苛責を免れる方法を講じない以上は、とても安心が出来ません。で、私はこうした悩ましい懐疑から脱却するために、ごく内密に事件の再調査をはじめました。
一件書類やノートを調べている間は、私の確信は前と変りませんでした。が、それ等は要するに私のノート、私の書類に外ならぬので――即ち私の偏頗な感情と、囚われた野心と、遮二無二彼を罪に陥そうとする私の必要からつくり上げたものなのです。そこで、更に他の方法を考え、法廷に於て被告に対して発せられた訊問や、その答弁や、証人達の証言などを調べました。なお当時曖昧であった点を明白にするために、犯罪の行われた家と、その附近の街とを、見取図や地図について丹念に検べ、犯人が使用したという兇器を手に取っても見たし、裁判のときに気づかなかったり、却下されたりした他の証人にも一々会って談話を聴いたりして、何遍となく繰りかえして調べた結果、ついにその男が無罪であったという結論に達しました。
ところが皮肉なことに、その頃急に昇級の辞令が私に下りました。それは即ち横車を押した代価であって、私にとっては恥の上塗りに外ならぬのです。
私は臆病でした。堂々と理由を述べることが出来ないので突然に曖昧な辞表を出したまま、旅に出てしまいました。しかし何んなに遠くへ行っても『忘却』というものが私を待っていてはくれませんでした。煩悶が何処までもついて廻ります。それで、何等かの方法によって自分の罪過を償いたいということが、私の唯一の願望になりました。しかしかの男は刑場の露と消えてしまったし、それに彼は元来浮浪人だったので、私の賠償をうけてくれる家族も親戚もありませんでした。
こうなると、私としては、自己の過失を社会に向って告白することが唯一の正しい道なのですが、生憎私にはそれだけの勇気がありませんでした。同僚の憤慨と侮蔑を恐れたのです。
そこで最後に、この罪過を償う方法として、世間の困難している人々、殊に罪ある人々を救護するために、自分のあらゆる財産を捧げようと決心しました。私などは人間を刑罰から免かれしむべく、最も粉骨砕身せねばならぬ男なのです。それで私は、あらゆる世俗的栄華をふり捨て、安易と逸楽を却け、身を休める暇もないまで奔走しました。それ以来友人知己から全く遠ざかって、孤独な生活をつづけたせいか、私はめっきり老こみました。そして自分の生計費をば極端に切りつめて、最近四、五ヶ月この屋根裏へ来て暮らしているうちに、計らずも病気に取りつかれました。私はここでこのまま死にたいと思います。で、貴方に折入ってお願いしたいことは……」
老人の声は次第に微かになった。私はその言葉を聴きわけるために、震える唇をじっと見守っていなければならなかった。
「私は、この話を自分と共に葬ってしまいたくはありません。どうぞ貴方から法官諸君に伝えて下さい。そうすると、裁判官というものは法によって公平に審かねばならぬもので、何でもかでも人を処罰する目的で法廷へ出るものではないという教訓にもなりましょう。なお、検事たる者が求刑をする際には、こうした誤審の恐ろしさをも考えて貰いたいのです」
「きっとお望みどおりに伝えます」
と私が請合った。
老人は顔が鉛色に変って、手先がふるえて呼吸が切迫して来た。
「もう一つのお願いは、私の財産――不幸な人達に分けきれなかった金が幾らかその抽斗の中に残っています。私が死んだあとで彼等に施して下さい。私の名前を出さずに、今から三十年前に私の誤審によって死刑になった男の名――ラナイユという名によって施して下さい」
「え、ラナイユですって? それは私が弁護した被告ではありませんか。私はその時分弁護士だったので」
老人はうなずいた。
「そうです。だから特に貴方にお出でを願ったので――この告白を是非貴方に聞いて頂きたかったのです。私は元検事のドルーです」
彼はそういって、天に向って両手をさしのべるような身振りをやって、
「ラナイユ、ラナイユ……」
と口の中でかすかに繰返した。
私はこの瀕死の老人の無残な有様を見ると、堪らなくなって叫んだ。
「検事殿、検事殿、あのラナイユという奴はやはり真犯人でしたよ。彼はそのことを死刑執行の日に告白しました。あの日斬首台の下で私を抱擁したときに残らず打開けたのです」
私は思わず職業上の秘密を洩らしてしまった。しかし老人は枕の上に俯伏せになって、はや縡切れていた。
私はこれを思いだすごとに、かの殉教者が、私のあの言葉を聞取ってから死んで行っただろうと信ずるように努めている。
底本:「夜鳥」創元推理文庫、東京創元社
2003(平成15)年2月14日初版
底本の親本:「夜鳥」春陽堂
1928(昭和3)年6月23日
初出:「新青年」
1924(大正13)年8月増刊号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「或る検事の告白」です。
入力:ノワール
校正:栗田美恵子
2020年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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