一本のわら

楠山正雄




     一

 むかし、大和国やまとのくに貧乏びんぼう若者わかものがありました。一人ひとりぼっちで、ふたおやつま子供こどももない上に、使つかってくれる主人しゅじんもまだありませんでした。若者わかものはだんだん心細こころぼそくなったものですから、これは観音かんのんさまにおねがいをするほかはないとおもって、長谷寺はせでらという大きなおてらのおどうにおこもりをしました。
「こうしておりましては、このままあなたのおまえでかつえににんでしまうかもれません。あなたのおちからでどうにかなるものでしたら、どうぞゆめででもおおしくださいまし。そのゆめないうちは、ぬまでここにこうしておこもりをしておりますから。」
 こういって、その男は観音かんのんさまのまえにつっしました。それなり幾日いくにちたってもうごこうとはしませんでした。
 するとおてらぼうさんがそれをて、
「あの若者わかもの毎日まいにちつっしたきり、ものべずにいる様子ようすだが、あのままいてかつえにになれでもしたら、おてらけがれになる。」
 とぶつぶつ口小言くちこごとをいいながら、そばへってて、
「おまえはだれに使つかわれているものだ。いったいどこでものべるのか。」
 ときました。若者わかものはとろんとしたすこしあけて、
「どうしまして、わたしのようなうんわるもの使つかってくれる人もありません。ごらんのとおり、もう幾日いくにちなにべません。せめて観音かんのんさまにおすがりもうして、きるともぬとも、このからだをどうにでもしていただこうとおもうのです。」
 といいました。ぼうさんたちはそこで相談そうだんして、
こまったものだな。うっちゃっておくわけにもいかない。かりにも観音かんのんさまにおねがもうしているというのだから、せめてものだけはやることにしよう。」
 といって、みんなでわるわる、ものって行ってやりました。若者わかものはそれをもらってべながら、とうとう三七二十一にちあいだおなところにつっしたまま、一生懸命いっしょうけんめいいのりをしていました。
 いよいよ二十一にちのおこもりをすませたがたに、若者わかものはうとうとしながら、ゆめました。それは観音かんのんさまのまつられているおとばりの中から、一人ひとりのおじいさんがてきて、
「おまえがこのうんわるいのは、みんなまえわるいことをしたむくいなのだ。それをおもわないで、観音かんのんさまにぐちをいうのは間違まちがっている。けれども観音かんのんさまはかわいそうにおぼしめして、すこしのことならしてやろうとおっしゃるのだ。それでとにかくはやくここをていくがいい。ここをたら、いちばんさきにさわったものをひろって、それはどんなにつまらないものでもだいじにっているのだ。そうするといまうんひらけてくる。さあそれでははやていくがいい。」
 とてるようにいわれたとおもうと、ふとましました。
 若者わかものはのそのそがって、いつものとおりぼうさんのところって、ものをもらってべると、すぐにおてらていきました。
 するとおてら大門おおもんをまたぐひょうしに、若者わかものはひょいとけつまずいて、まえへのめりました。そしてころんだはずみに、ると、みちの上にちていた一ぽんのわらを、おもわず手につかんでいました。
 若者わかものは、
なんだわらか。」
 といって、ついてようとしましたが、さっきのゆめに、「手にさわったものはなんでもだいじにっておれ。」といわれたことをおもして、これも観音かんのんさまのおさずけものかもれないとおもって、手の中でおもちゃにしながらっていきました。

     二

 しばらく行くと、どこからかあぶが一ぴきんできて、ぶんぶんうるさくかおのまわりをまわりました。若者わかものはそばにある木のえだって、はらいのけはらいのけしてあるいていましたが、あぶはやはりどこまでもぶんぶん、ぶんぶん、うるさくつきまとってきました。若者わかものはがまんができなくなって、とうとうあぶをつかまえて、さっきのわらでおなかをしばって、木のえださきへくくりつけてっていきました。あぶはもうげることができなくなって、はねばかりあいかわらずぶんぶんやっていました。
 するとこうから、身分みぶんのあるらしい様子ようすをした女の人が、牛車うしぐるまって長谷寺はせでらへおまいりにやってました。
 そのくるまにはちいさな男の子がっていました。男の子はくるまのみすをかたにかついで、たいくつそうにきょろきょろそとのけしきをながめていました。すると若者わかものが木のえださきにぶんぶんいうものをつけてってるのをて、ほしくなりました。そこで男の子は、
「あれをおくれよ。あれをおくれよ。」
 と、うまっておともについているさむらいにいいました。
 さむらい若者わかものかって、
わかさまがそのぶんぶんいうものをほしいとおっしゃるから、どくだがさしげてくれないか。」
 とたのみました。若者わかものは、
「これはせっかくほとけさまからいただいたものですが、そんなにほしいとおっしゃるなら、おもうしましょう。」
 といって、すなおにあぶのついたえだわたしました。くるまの中の女の人はそれをて、
「まあ、それはおどくですね。ではそのわりに、これをげましょう。のどがかわいたでしょう、おがりといって、げておくれ。」
 といって、大きな、いいにおいのするみかんを三つ、りっぱなかみにのせて、おともさむらいわたしました。
 若者わかものはそれをもらって、
「おやおや、一ぽんのわらが大きなみかん三つになった。」
 とよろこびながら、それを木のえだにむすびつけて、かたにかついでいきました。

     三

 するとまたこうから一つ、女車おんなぐるまました。こんどはまえのよりもいっそう身分みぶんたかい人が、おしのびでおまいりにたものとみえて、おおぜいのさむらいや、召使めしつかいの女などがおともについていました。するとそのおともの女の一人ひとりが、すっかりあるきくたびれて、
「もう一足ひとあしあるけません。ああ、のどがかわく。みずみたい。」
 といいながら、さおかおをして往来おうらいたおれかかりました。さむらいたちはびっくりして、どこかにみずはないかとあわててさがまわりましたが、そこらには井戸いどもなし、ながれもありませんでした。そこへ若者わかものがのそのそとおりかかりますと、みんなは、
「もし、もし、おまえさん、この近所きんじょみずところりませんか。」
 とたずねました。若者わかものは、
「そうですね。まあこのへん、五ちょうのうちには清水しみずのわいているところはないでしょうが、いったいどうなさったのです。」
 ときました。
「ほら、あのとおりあるきくたびれて、あつさにたって、みずをほしがってにそうになっている人があるのです。」
「おやおや、それはおどくですね。ではさしあたりこれでもがってはいかがでしょう。」
 若者わかものはそういって、みかんを三つともしてやりました。みんなはたいそうよろこんで、さっそくみかんをむいて、病人びょうにんの女にそのしるわせました。すると女はやっと元気げんきがついて、
「まあ、わたしはどうしたというのでしょう。」
 といいながら、そこらを見回みまわしました。みんなはみずがなくってこまっていたところへ、往来おうらいの男がみかんをくれたのでたすかったことをはなしますと、女はよろこんで、
「もしこの人がいなかったら、わたしはこの野原のはらの上でんでしまうところでしたね。」
 といって、しろ上等じょうとうぬの三反さんたんして、
「どんなおれいでもしてげたいところだけれど、途中とちゅうでどうすることもできないから、ほんのおしるしにさしげます。」
 といって、わたしました。
 若者わかものはそれをもらって、
「おやおや、みかん三つがぬのたんになった。」
 と、ほくほくしながらぬのわきにかかえて、またあるいて行きました。

     四

 そのくる若者わかものはまた昨日きのうのようにあてもなくあるいて行きました。するとおひるちかくなって、こうからたいそうりっぱないいうまった人が、二、三にんのおともれて、とくいらしくぽかぽかやってました。若者わかものはそのうまると、
「やあ、いいうまだなあ、ああいうのが千両馬せんりょううまというのだろう。」
 と、おもわずひとごとをいいながら、うまをながめていました。するとうま若者わかものまえまでて、ふいにばったりたおれて、そのままそこでんでしまいました。っている主人しゅじんもおとも家来けらいたちも、さおになりました。うまのくらをはずして、みずましたり、なでさすったり、いろいろにいたわっていましたが、うまはどうしてもかえりませんでした。はがっかりして、しそうなかおをしながら、近所きんじょ百姓馬ひゃくしょううまりて、それにってしおしおとかえっていきました。そのあとから、家来けらいたちが、うまのくらやくつわをはずして、ついていきました。けれどいくらいいうまでも、んだうまをかついでいくことはできないので、それには下男げなん一人ひとりあとのこして、んだうま始末しまつをさせることになりました。さっきからこの様子ようすていた若者わかものは、「昨日きのうは一ぽんのわらがみかん三つになり、三つのみかんがぬのたんになった。こんどは三たんぬのうまぴきになるかもれない。」とおもいながら、下男げなんのそばにちかづいて、
「もし、もし、そのうまはどうしたのです。たいそうりっぱな、いいうまではありませんか。」
 といいました。下男げなんは、
「ええ、これは大金たいきんして、はるばる陸奥国むつのくにからせたうまで、これまでもいろんな人がほしがって、いくらでもかねすから、ゆずってくれないかと、ずいぶんうるさくもうんできたものですが、殿とのさまがしがって、手放てばなそうともなさらなかったのです。それがひょんなことでんでしまって、もともありません。まあ、かわでもはいで、わたしがもらって、ろうかと思うのですが、たび途中とちゅうではそれもできないし、そうかといってこのまま往来おうらいてておくこともできないので、どうしたものか、こまっているところです。」
 といいました。若者わかものは、
「それはおどくですね。ではうまはわたしがけて、なんとか始末しまつしてげますから、わたしにゆずってくださいませんか。そのわりにこれをげましょう。」
 といって、しろぬのを一たんしました。下男げなんんだうまぬのたんになれば、とんだもうけものだとおもって、さっそくうまりかえっこをしました。その上、「もしか若者わかものがかわって、うま死骸しがいなんぞとりかえてはそんだとかんがえて、ぬのかえしにでもるとたいへんだ。」とおもって、あとをも見返みかえらずに、さっさとけて行ってしまいました。

     五

 若者わかものは、下男げなん姿すがたとおくにえなくなるまで見送みおくりました。それからそこの清水しみずあらいきよめて、長谷寺はせでら観音かんのんさまのほういて手をわせながら、
「どうぞこのうまをもとのとおりにかしてくださいまし。」
 と、をつぶって一生懸命いっしょうけんめいにおいのりをしました。
 そうするとんでいたうまがふと目をあいて、やがてむくむくがろうとしました。若者わかものたいそうよろこんで、さっそくうまからだをかけてこしてやりました。それからみずませたり、ものをやったりするうちに、すっかり元気げんきがついて、しゃんしゃんあるしました。
 若者わかものは、近所きんじょぬのたんわりに、手綱たづなとくつわをってうまにつけますと、さっそくそれにって、またずんずんあるいて行きました。
 そのばん宇治うじちかくで日がれました。若者わかものはゆうべのようにまたぬのたんして、一けんいえめてもらいました。
 そのくるあさはやくから、若者わかものはまたうまって、ぽかぽかかけました。もうもなく京都きょうとまちちか鳥羽とばというところまでかかりますと、一けんいえで、どこかうちじゅうよそへたびにでも様子ようすで、がやがやさわいでおりました。若者わかものはふとかんがえました。
「このうまをうかうか京都きょうとまでってって、もしっているものにでもって、ぬすんでたなぞとうたがわれでもしたら、とんだ迷惑めいわくにあわなければならない。ちょうどこのうちの人たちはよそへ行くところらしいから、きっとうまようだろう。ここらでってほう安心あんしんだ。」
 こうおもって、若者わかものは、
「もしもし、やすくしておきますから、このうまってくださいませんか。」
 といいました。するとそこのうちの人たちは、なるほどそれはがたいが、やするといってもさしあたりおかねがない。そのわりとおこめけてげるから、それとりかえっこなら、うまをもらってもいいといいました。若者わかものは、
「わたしはたびものですから、やおこめをもらってもこまりますが、せっかくおっしゃることですから、りかえっこをしましょう。」
 とふしょうぶしょうにいいました。
「そうですか。ではうまをはいけんしよう。どれどれ。」
 とこうの男はいいながら、うまってみて、
「どうもこれはすばらしいうまだ。りかえっこをしてもけっしてしくはない。」
 といって、ちかくにある稲田いなだを三ちょうと、おこめすこしくれました。そして、
「ついでにこのいえもおまえさんにあずけるから、遠慮えんりょなくまってください。わたしたちは当分とうぶん遠方えんぽうへ行ってらさなければなりません。まあ、寿命じゅみょうがあって、またかえってることがあったら、そのときかえしてもらえばいい。またこうでくなってしまったら、そのまま、このいえをおまえさんのものにしてください。べつに子供こどももないことだから、あとでぐずぐずいうものはだれもないのです。」
 といって、いえまであずけてって行きました。
 若者わかものはとんだひろものをしたとおもって、いわれるままにそのいえみました。たった一人ひとりらしですから、当分とうぶんはもらったおこめで、不自由ふじゆうなくらしていきました。
 そのうちにひと使つかってつくらせて、三ちょう半分はんぶん自分じぶん食料しょくりょうに、あとの半分はんぶんを人にして、だんだんこの土地とちくようになりました。
 あきになってれをするころになると、人にしたほうはあたりまえ出来できでしたが、自分じぶんぶんつくったほうたいそうよくみのりました。それからというものは、かぜでちりをきためるように、どんどんおかねがたまって、とうとう大金持おおがねもちになりました。いえをあずけてったひとも、そのまま幾年いくねんたってもかえってませんでしたから、いえもとうとう自分じぶんのものになりました。
 そのうちに、若者わかものはいいおよめさんをもらって、子供こどもまごがたくさん出来できました。そしてにぎやかなおもしろい一生いっしょうをおくるようになりました。
 一ぽんのわらが、とうとう、これだけの福運ふくうんをかきせてくれたのです。





底本:「日本の古典童話」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年6月10日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:林 幸雄
2006年7月28日作成
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