双語

上村松園




     一

 又兵衛の展観が大阪にあったように聞きましたが、私は見ずにしまいました。

 寛永前後の風俗画の中で、又兵衛は特に傑出もしているようですし、数はそう沢山あるのではないにしても、いものもなかなか多いように思います。しかし同じ又兵衛でも、以前に出来たものとか、晩年のものとかの相違で、その出来や何かに相当の違いがあるのと、またある一説のように又兵衛もあるいは初代二代とあって、必ずしも同一人ではないという説もあり、絵の調子がひどく違っているのがありますし、その頃のまったく他人で、又兵衛に似た描写をした人もあるのかも知れません。それらが後世になって、みな又兵衛になってしまっているような気もされます。

 私はこれまで又兵衛も諸処方々しょしょほうぼうでいろいろなものをかなり見ておりますが、先年祇園祭りの時に、甲某家で又兵衛の二枚折屏風を見ました。これはとても結構なものだと思いましたが、その後ふと今度は乙某家にもそれと同一図様の又兵衛を見ました。これは甲某家のものと図柄がまるで同じことで、やはり又兵衛という言伝えだそうです。しかし私の見るところでは、乙の又兵衛は甲の又兵衛ほどの出来に比べて、一段下のもののように思いました。これは同じ又兵衛でも出来不出来でこんな具合になるのかとも思いましたが、しかしあるいは別の人が写したものかも知れず、その辺のことはとんと判断がつきませんが、とにかく、寛永前後にはあんな風な風俗画は、たいてい似たり寄ったりのもので、それがみなでん又兵衛になっていることは争われません。

     二

 作品に、その人特殊の持味がよく現われていることは勿論よいことでもあるし、そうなくてはならないと思います。この間ある人がきて個人展に関する話をしましたが、ことにこの個人展などの作品は、その人が端的にそこに現われているのがいいと思います。

 それは必ずしも大努力を払ったものばかりとも限らず、絹本けんぽんもあったり紙本もあったり、形なども一様でなく、随意に自由にある方がよいと思います。何か描いた次手ついでに、この次手にこんな物を描いておこうと考えて、そして描いたものを一品々々めておいたのなどが、個人展に並んだら、却って面白かろうと思います。

 そういう作品にこそ、よくその作家の好みや個性があらわれる筈ですから、そんな作品が十点二十点と並んだら、面白いと思いますが、個人展というと、非常に努力したものが多くて、作家の端的な気もちが、すかっと出ているようなものを、あまり見かけないのはものたりません。





底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「大毎美術 第十三巻第六号」
   1934(昭和9)年6月
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年7月30日作成
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