京都の街も古都というのはもう名ばかりで私の幼な頃と今とではまるで他処の国のように変ってしまってます。これは無理のないことで、電車が通り自動車が走りまわってあちこちに白っぽいビルデングが突立っている今になって、昔はと言っても仕様のないのは当りまえのことでしょう。加茂川にかかっている橋でも、あらかたは近代風なものに改められてしもうて、ただ三条の大橋だけが昔のままの形で残っているだけのことです。あの擬宝珠の橋とコンクリートのいかつい四条大橋とを較べて見たら時の流れというものの恐ろしい力が誰にも肯けましょう。私には三条の橋のような昔の風景がなつかしいには違いがありませんが、昔は昔今は今だと思うとります。私が五つ六つの頃結うたうしろとんぼなどという髪を結っている女の子は今は何処に行ったとて見ることは出来ないでしょう。ちか頃の女の子はみなおかっぱにして膝っきりの洋服を着ていますが、なかなか愛らしくて活溌で綺麗です。そうした女の子達を見ていると昔のつつをきゅうとしばったうしろとんぼの時代は、あれは何時のことだったのかと我れといぶかしく思うくらいなのですから。
でも、なつかしさはなつかしさですし、昔のよさはよさ、今でもはっきりとまるで一幅の絵のように何十年か前の京都の街々のすがたを思い浮べて一人楽しんでいる時がないでもありません。
私が十七、八の頃、夕涼みに四条大橋に行って見ると、橋の下の河の浅瀬には一面に
また、これも同じようなお話ではございますが、夕景に川の浅瀬の床几に腰下ろした美人が足を水につけて涼んで居るのも本当に美しいものでした。目鼻立ちの整ったすんなりした若い婦人でなくても、そうした時刻、そうした処で見受ける女姿というものはやはり清々しゅう美しく人の眼にうつるのでございました。
夏の嬉しいものの一つに夕立がありますが、思いきって強い雨が街々の熱気をさっと洗いながして過ぎさった後なぞに御所の池の水が溢れたりすることもございまして、私の家の筋が川みたいになり、そこらの角で御所の池の大きな大きな鯉がおどっていたりして町内の子供衆達がキャッキャッと声をあげてはしゃぎ騒いだりする、これも夏のほほえましい思い出の一つでございます。
なんと言っても旧暦のお盆の頃は街全体が活気づいて賑々しく、まるでお祭りのようでございます。私の幼い頃はお盆になると日の暮れに行水を浴びると、女の子達は紅提灯をてんでに買うて貰って、自分の家の紋をつけ、東、西の町内の子達がみな寄りあつまって、それぞれの提灯の絵を比べあったりいたします。何処の子もみな寄って来て揃うと年
さーのやのいとざくら
ぼんにはどこにもいそがしや
ひがしのお茶屋の門口に
ちとよらんせ、はいらんせ
そんな可愛らしい歌をうとうて、ずっと二列に二人ずつ並ばして、小さな子供を先に、そこらの町内を練って歩く。小さな女の子にはそれがぼんにはどこにもいそがしや
ひがしのお茶屋の門口に
ちとよらんせ、はいらんせ
前にも申したうしろとんぼや、おたばこぼん、それからふくわげ、ふくわげと申しますのは阿波の十郎兵衛に出て来るお弓の結っている髪なのですが、そんな風な髪に銀で作ったすすきのかんざしやら、びいどろの中に水が入ってる涼しいのなどをしたりしてぐるぐるぐるぐる町内を練り歩いたものでした。何せその頃は明治もはじめの頃ですよって自動車だのバスだののややこしいものも通らしまへんよって、町の真中をずっと[#「ずっと」は底本では「ずつと」]長く連なって歌って歩けたのでございました。
男の子は男の子で、
よいさっさにゆきましょか
と、女の子よりはちょっと大きめの提灯の、これは白いのに同じように定紋つけたのを手に手に持ちながら、
よいさっさ、よいさっさ
江戸から京まではえらいね
そんな風にうたって男の子同志で町内を練り歩いたものでした。江戸から京まではえらいね
その頃にはまた、おしろんぼなどという遊びもありまして、これも町内で子供達が自由勝手にはねまわって遊んでました。その遊びにつくうたは、
ざとのぼーえ
とさんさ、さかずきさしましょう
というのです。昔は道筋はすべて子供の運動場でしたが、今の子供達はもう、うっかり外では遊べなくなりました。大通りから入った横丁でも自転車やら自動車やら何やと往来がとさんさ、さかずきさしましょう
ひといきは夏が好きでした。陽気で明るうてよろしのどすが、今ではあまり暑いと少々身にこたえて弱ります。
なんといっても気がしまっていいのは十月頃、恰度、きんもくせいが匂うような頃は一番頭がすっきりして身も軽うなる心地がすることです。(談)