我が夜雨の詩を讀みたるは、七八年前某雜誌に載せられたる『神も佛も』といふ一長篇を以て初めとなす、當時彼の年齒猶少、その詩想、亦今より見れば穉簡を免れざる如しと雖も、我は未だ曾てかくばかり文字によりて哀苦を愬へられたることあらず、我が彼と交を訂したるは、爾後兩三年の間にあり、彼生れて羸弱、脊髓に不治の病を獲て、人生の所謂幸福、快樂なるもの、幾んど彼が身邊より遠ざかる、彼に慈母ありて愛撫※[#「にんべん+充」の「儿」に代えて「冉」、147-下-8]さに至り、家庭の清寧平温は、世稀に見るところにして、尠くとも彼自身はかれの如く悲觀す、彼もし哲人ならば、形骸を土芥視して、冷やかに人間と世間と、一切を嗤笑して止みしならむ、彼もし庸人ならば、無氣淪落その存在を疑はれて止みしならむ、然れども彼は情の人なり、眞の人なり、脆弱なる地皮より熱漿を吐く如く、彼が孱躯は肉を蠢にし、詩を靈にしたり、彼が詩は、實に悒然樂しまざるあまりに吐かれたる咳唾なり、尋常人に無意味なる落葉一片も、彼は清唳なくして之を看過する能はず、人生は彼に在りて憂が描ける單圈のみ、愁苦を以て

彼は筑波山麓、槿籬周ぐれる祖先の故宅に起臥して、世と相關せず、彼の健康は農民に伍して、耒耨に從ふを許されず、庭園に灌ぎ草花を藝ゑて、僅に悶を遣る、海内の青年文人、彼の詩名を聞くもの、悦んで遠近より種子を彼に頒ち、彼の花園自然の生色を絶たず、白は誰の心、紅は誰の情、花守詩人の名は、最もふかく彼の詩を吟誦する青年間に高し、彼の詩集に『花守』を以て題したるは我等諸友人にして、主人自らは干與せざるなり、放曠概ね此類なり、その詩、字櫛句爬、分折毫毛、純乎として純なる眞人の詩也、病詩人の詩也、薄倖文人の詩也、かの西國詩人の冷飯殘羹を拾うて活くる、才子の作と同じからず、詩豈活きざらむや。
然れども彼が如く、世間と杜絶せる境遇に在るを以て、その謠ふところ、眼前咫尺、平凡常套の事にして、往々單情粗心、或は稚兒に似たる感情を洩らすことなしと言ふを得ず、げに『花守』一卷は哀詩也、この哀詩に先づ充たすべき缺陷あらば、そは

吁嗟かくばかり覊軛ある世に、

彼の詩はかくの如くして作られ、輯められ、刊行せらる、彼を江湖に紹介するものは彼自身の詩也、彼の詩を世に問ふに至りたるは我等諸友人也、即ち茲にその始末を記して、序となす。
辱知 小島烏水識
[#瀧澤秋暁(1875-1957)の序文あり]
[#河井醉茗(1874-1965)の序文あり]
わたくしが夜雨君と始めて會つたのは卅二年の一月で、出京後間もなく常州に訪問した時です、小山から水戸線に乘りかへて、鬼怒川を渡る比は、黒ずんだ冬の空も晴れ渡り、巽の方眉を壓して白雪を戴いた秀麗な山が聳えてをりました。これが有名な筑波山で、さながら夜雨其人に面會した心持が致しました。ソレは此らが君の詩に因て、深くわれ/\の頭に染み込んでをつたからです。下館で下りて二里半の道を行くと、筑波は終始帽子の廂を離れません。平原的丘陵の幾つを越え、霜柱が崩れて黝土の泥濘を捏ね返した田舍道を大寶迄行くと、東に向て眞正面に、一叢茂つた木立の間に、白壁と藁葺が見えます。それが君の居村です。溝川の縁を幾曲り、村に入ると南に向うた門搆への家があります。最うトツプリと昏れてはをりましたが、君がいそ/\出迎へらるゝ姿は、豫て承知はしてをつたものゝ、まことにイタイケで何ともいへぬ感じが致しました。此夜はまことに面白く隔意なく語つて眠に就きましたが、翌朝母君の御たのみで君の身體を診察した時は、未だに得忘れぬ、萬感一時に胸を衝いて、耻し乍ら不覺の涙がこぼれました。母君の御咄には、五六歳の頃から病氣が起て、東京迄も連れて出て、名高いといふ醫者には誰一人診せぬものなく、隨分苦勞を致しましたが、とう/\全治はせず、小學校に通ふ頃は、徃返が難儀で、心外にも他の子供等の嘲りを受くる折もありました。自分でもソレが厭に成り、終には中途で退學して、内にばかり閉ぢ籠つて、倉の中から本を引き出しては讀んで居りました。二三年前には丸で歩行の利かぬヒドイからだに成りましたが、今ではよい方です。とても長生は出來ますまいと思ひますが、せめて身體の苦痛だけでも除いて遣りたいものです。といはれました。君の病症を並べ立てるのは、醫師の徳義上から憚りますから、略して申しませぬ。つまり身體いづれの箇所も一として故障のない所はない。さりとて世人の嫌惡する如き惡性の疾患ではありませぬ。わたくしは病氣は皆固て仕舞て今後増惡の虞なきこと、壽命は艱生次第常人の年齡に達し得べきこと抔、慰諭しましたが、之が醫者であつてこそ異まなかつたものゝふだんの人ならどの位驚いたでしよう。夜雨君自らでさへも、どうして自分が活きてをるかを不思議に思てをられた位です。しかし私の驚いたのは君の

これからは交際も一層の親密を加へ、書面の往復も以前よりは頻繁と成り、今では全くの心友と成て了ひました。君の家に伺たことも五六度はありましよう。東京の下宿にも兩三度は來られたやうに思ひます。君の性情は醇粹の極で、生れ落ちたまゝ何の汚れにも染つてをりません。君と對てをる間が一日ならば一日の清風が吹く、君と眠てをるひまが一夜ならば一夜の明月が照らす。私も
宅では親類から來てゐる書生共に四人の勉強家が揃うてゐるから、大分にぎやかである。順君は來年士官學校に入る積だ相でよくもやる、孝先生(順孝兩君共に令弟)は書に倦むと笛を吹く。
夜になると四人は次の間に引こんだ切りねる迄出てこぬ。廣間の主人公は母で、爺と太郎とおはつとお才と燈火を圍んで糸をつむぐ、車をまはす、なか/\こゝもにぎあふ。僕も宵のうちはこの中の間でお才に手傳つて紬の糸をひくこともある。おばアさんは下總へ行つてもう一月になる。
小貝川は村端れから一二丁のところです。新川と古川との間に島がある。一面豐腴の畠地でこれから筑波山は手のひらで撫でゝ見たい位、日に七度かはるといふ紫も鮮かに數へられます。夕景に成て空が澄み渡ると、金星のかゞやく下に夜になると四人は次の間に引こんだ切りねる迄出てこぬ。廣間の主人公は母で、爺と太郎とおはつとお才と燈火を圍んで糸をつむぐ、車をまはす、なか/\こゝもにぎあふ。僕も宵のうちはこの中の間でお才に手傳つて紬の糸をひくこともある。おばアさんは下總へ行つてもう一月になる。
こないだ僕弟につれられて辨才の堰へ釣に行つたが、カン/\とてりつける日の下にゐてもあついとは思はなかつた。フナは面白いやうにかゝるし、稻の葉はさら/\と鳴つて、一望たゞ青き野中に立つたのです。雲の多い風のすこし強い、山はハッキリと水に寫つてるのです。浮藻の蔭を孫太郎虫が泳いで、トンボが飛んで……其時ふくべの半分迄釣つたのだ、あンな大漁は始めてです。
とはこの川に落つる廣い堀です。小貝川は宛字で蠶飼川といふのがほんとうだそうですが、川の名をきくとすぐ此あたりの農家の生活が目にちらつきます。現にいま言ふた河中の島でも桑摘みが盛んで、蠶時は赤襷の姉さん冠りが優しい僻歌につれて左右に動くのが、遠くから綺麗に見えるといふことです。
秋蠶はあと三日で上る。今が繁忙のモ中だ。あんのは入つたモナカなら甘いが、この方はさすが甘黨烏水の君もくふまい。僕も常なら桑の係を言ひつかるのだが、今度は順君孝君といふ働きてがゐるから、まづ高見の見物なりと言ふて、奧へばかり引こんでねることも出來ず、勝手の隅で母の役目の見張りだけはせねばならぬ。桑の匂ひは未だしもだが、こくその香りの鼻をつくのは實に降參する。
これは蠶室の有樣です。養蠶の外に
稻は俵にはいつて、今田舍は大根ぬきで忙しい、棉もとれた、そちこち棉ぶちのビン/″\の音も聞える。風はつよい、栗の若木にはまだ朽葉がくつついておちぬ。桐の葉のかさ/\鼠のやうに馳けるのがをかしい。
といふのもよく文字で現はした田園の趣味です。これを讀むと多くの人は君の幸福を羨んで、一日でも代て見たいやうに思はるゝかも知れませんが、君には不斷の苦痛があり、又不斷の煩悶がある。君は生れ乍らの厭世詩人である。
僕はこの頃ます/\心がめいり込んで、硯に向はぬ事も久しく成るのだ。足の重い事千鈞の石をくゝりつけたやう、氣の塞ぐ事はこれまたさみだれ頃の空と似てゐる。肌にしみこむ夕の風をさけやうともせず、南にあらはるゝ一つの星に眺め入ることが多い。それは桃色の天の光がだん/″\薄うなつて、金光燦らかなる夕の星が庫のむねよりちとはなれて見られるのだ。むかしの人もこんな時こんな星を窓から見たのであらう、おれには天の一方に相思ふ戀人もなく、おもひ出の涙なるべき夕暮もない。おれは地に生れおちて天にかへるまでひとりでゐねばならぬ。遣る方なき寂しさも語りたいに人はない。年若うて死ぬ者はあるけれど、彼はかならずひとりたるべく恐らく覺悟した事はなかつたらう。蕾のうちに萎れ行く花の少女はあるが、彼はやがて來るべきおそろしき死を思うた事は夢にもあるまい。生るゝと同時にすべての幸福は剥ぎとられて、心にも身にも絶えず苦痛を覺えねばならぬやう何で生れたのであらう。星は君にも見える筈だ。(中畧)僕は夢にでも立派な體格になつて見たいと思はぬ晩はないのだ。わが手人よりも強く、わが足人よりも疾く、高きも花は折らう、深くも水は渉らうとやうに……
つまりかツたいの瘡うらみだが、君僕は正直に言ふ、僕若し一兵卒たるを得ば、攻めあぐめる旅順口の要塞にいつその腐れ、奮鬪して死んで見せるよ。
斷膓の文はこれに盡きない。つまりかツたいの瘡うらみだが、君僕は正直に言ふ、僕若し一兵卒たるを得ば、攻めあぐめる旅順口の要塞にいつその腐れ、奮鬪して死んで見せるよ。
中秋の夜ひとり沼に行きて浪の上に消え行く夕陽の光を見た、勞れて一歩も移し難き足を木の根に寄せて、月はまだうつらぬ浪の面を見つめてをると、西と北から霧がだん/″\と重なつて來て、水は鏡のやう天も遠く地も遠く、僕そこに美しきわが住居を認めたのである。亡き友のうへ病める人の身など、それよりそれと考へ出して、父母百年の後にくらき或者の影のわが行く路に横はれるを悲しんで、寂たる湖心に家(家舟)を浮べ、ひとりそれに籠らば世に味氣なき事を思ふまじと思つた、一棟の家を建つるべき入りめと一人耕すべき田とはすでに持てり。住まん哉。人來らぬ湖上に」
こゝに人を見る。渠等に夫あり妻あり。かれ等われより暗 にしてわれよりしれものなるに、來りてわれを侮りわれを辱しむ。われもとより其心術の陋しきをあはれむばかりの誇りはあれど、長く其眼をのがれてひとり在らんことを希ふ。
今せん無き夢を空にゑがいて徒らに野に朽つべきか。われに猶用うべき力あり。初より許されたる命のかぎり生きんのみ。
やがては君、わが造くるべき水槨の壁に題す詩をあたへた。
眞個至情の文、讀んで泣かざるは人に非ずと思ひます。こゝに人を見る。渠等に夫あり妻あり。かれ等われより
今せん無き夢を空にゑがいて徒らに野に朽つべきか。われに猶用うべき力あり。初より許されたる命のかぎり生きんのみ。
やがては君、わが造くるべき水槨の壁に題す詩をあたへた。
足は痛い、庫に入つて、本をさがす事も出來なくなつた。弟は一日うちに居るぢやなし、またさう使へるもので無い、まして夜痛い足をなぐツてくれとはたのまれぬ。痛んでねられぬ時、僕はひとり暗い座敷に座つて鷄の啼く時分迄ゐる事がある。布團へねてゐては却て痛むのだ。
かやうな意味の文句は書面毎に絶えたことはないが流石に人間最高の趣味を解してをる人だけに、悲んで傷らずといふ覺悟があツて、肚の中でぢツと堪らへてをらるゝのが一層氣の毒でならぬ。しかし又思ひ直して解釋すると事々物々奇ならざるはない。君の煩悶は外部にあらはれた生命に缺陷の多く、到底内部の光焔を盛るに堪へぬ所から、噴火山が爆發すると同じ理屈で、欝屈の餘り怨嗟の聲と成り不平の涙と成るので、君の生涯の純粹は即ち茲に宿て居る。君の生命の價値から見て貴重を極めてをるものは此煩悶で、君は此黄金を自重していよ/\高貴なる金剛石に鍛へ上げなくてはならぬ義務がある。煩悶は凡人の能くする事でない、古への偉人傑士誰か煩悶の子ならざるかである。又病魔とても其通りで、嶮崖急河が深山の威嚴を守るごとく、君を包衷して天眞の妙相を保持し得たものは全く病魔の力である。烈風豪雨が峻嶺の嵯峨を作るごとく、君を鍛錬して詩品の深刻を成さしめたものは終に亦病魔の賜物といはねばならぬ。此の如き矛盾の大調和、此の如き闇黒の大光明をかくも正しく現世目前に見るを得たのは、宇宙萬人の生涯中希有絶少の偉觀として夜雨君のため、又讀者諸賢のため欣喜にたへぬことである。何時の頃からともなく、前栽に花を植ゑ水を灑ぎ草を採り、自ら「花守」と名乘て出られた。
しかし花は綺麗ですよ。今六つばかり咲いてゐますが、色として無い色はありませぬ。葉
頭にもいくつ色があるか數へきれぬ。(ニユーヨルクのヘンデルソン商會の種子なり)おしろいは黄と紅と、夜顏は藤紫と雪白と、ハルシヤ菊は白色と淡紅色とを八重と一重に、アメリカ白蘚は淡紫色、うらしま菊は八いろの色、千紫萬紅ホンとに君に見せて色の講義をきゝたい位です。
又近頃は村の子供を集めて寺小屋を開いてをらるゝといふのです。「花守」と「お師匠」さま、何といふ詩的の生活であらう。夜雨君の如きは頭のギリ/\から足のツマ先まで、全部詩の化身といふてよいでしよう。
八月十八日
伊豆伊東にて
友人 伊良子清白
夜雨は薄幸の詩人なり、幼ふして身、已に病を懷き、室に筑波の翠微を仰ぎて、而も脚多く戸

已にしてまた之を想ふ、人生れて疾を天に享く、素より極めて悲むべし、然れども人生れて才藻の嬖寵を詩神に享くるに至りては、世孰れか之を庶幾し、之を望んで得るものぞ、天地たゞ僅に一の詩人あり、よく足を※[#「足へん+堯」、U+8E7A、152-下-8]て


辱知 江東生
[#ここに花園の挿絵あり]
[#改ページ]
堤にもえし
草の
緑は空の名と爲りて
雲こそ西に日を
さゝべり淡き富士が根は
麓に靡く秋篠の
中に暮れ行く葦穗山
雨雲覆ふ
懸れる虹の橋ならで
上を
雪と輝く
痛める胸はおほひしか
影こそ見たれ野べにして
雲
角も割くべき太刀佩きて
征矢鳴らしゝは夢なるか
われかの
魂、骸を離るまで
寂しきものを尾上には
夜は
水に映らふ月の影
鏡にひらく花の
あこがれてのみ幻の
中に老いたるわが身なり
月無き宵を
花の上をも
光の末の白きかな
玉の冠か
せめては墓に輝かば
東の海に出づる日は
西なる山に
霞流るゝ
丘の高きに石を敷いて
築きし墓は荒れにたれ
森に
櫻が下の曙に
春の旅こそ終りけめ
秋は如何なる風吹きて
露より霜と結ぶらむ
行けども行けども歸らざる
人を送りて野は青く
野は青くして亂れ飛ぶ
花の行方は幻の
〜〜〜〜〜〜〜
母が乳房の珠ならで
許されざりし唇は
巖が根纏ふ山百合の
月
栗毛の駒に鞍おきて
森の
卵探すと
われは雄々しき兒なりしか
霞の丘に鳴らせども
美し人は青麥の
青きを分けてあらはれず
水
秋は肥たる
小笹に
匂へる眉は戸に見えで
蓮の浮葉かきわけて
棹さしめぐる湖や
落る日天の雲染めて
夕の浪は靜なり
筑波も暮れぬ野も暮れぬ
唄も暮れぬる藻刈船
しなへる棹を操りて
行くべき方も暮れにけり
柳垂れたる江のほとり
橋かけ通る裸馬
うち
黒きも水に洗はれて
手綱控ふる若者の
鉢卷白し秋の風
橋と舟との上にして
戀もあれかし耻かしの
〜〜〜〜〜〜〜
夏野の露の朝ぼらけ
深山の雲に鳴くと見て
宵の
土橋の爪に消えのこり
蜘手に開く小田の路
野は露ならぬ草も無し
堰に落ち込む
秋は小川に迫り來て
曇りて北に見ゆれども
花は
霧の深きを踏む
命は神のゆるしけむに
何しに人の今日死して
雲の薄きに泣かすらむ
われは常陸の
風に吹かるゝ身なるもの
石の柩の底深う
夕の影に伴ひて
人はくらきにかくれけり
雲ならでかよふものなき
石狩のみ岳の奧に
錦なすかつら閉して
谷々は紅葉しにけり
霧の海に森の島浮き
島の森を霧またこめて
大瀧や
石多き川の面白し
野に迷ふ熊はかへらず
空高みひとりし立てば
霧晴れて船の跡なき
夜の水に瞳輝く
川獺の猛きはすめど
妹がかざす珠も沈きて
雨に
岩蔭に『
俤は浪にくづれつ
花片は霜にいためり
此山の
八重垣の森に聳ゆる
落葉たく萱屋が軒に
新妻のはしきは籠めじ
思ひ出の花無き里は
紅の袂ぬれなん
閨の戸に櫻ゑがいて
窓懸の絹の薄きに
路は遠し百七十里
歸らぬ水に枕重ねて
秋となりぬる旅路哉
石狩岳の麓より
流れて落る大川の
下つ瀬遙かにたなびく雲は
明くればみ岳の腰をめぐりて
浪
炎ひらめく
見ゆるは
光さやけき
月を浮ぶる
北の島根に
迷ふと憂しやたゞ一人
我に
白羽の
殘んの星の影白む
岩見の澤に
雨はね

淺瀬の水にをどれども
川狹うして
驚き立つか嘴長く
羽翠なる水鳥の
浪湧き囘る瀧壺に
夕ばえさして虹立てば
瀧の
紫菫匂ふ野の
胡蝶は花に醉ひしのみ
醉へば手馴し横笛を
空知の月にしらべつゝ
さめては暗き夕張の
猿飛ぶ岳に咽ぶか
天鹽の雲も凍るらむ
五つの指の
棹執るにすら力無き
雎鳩の聲は聞かねども
小衾冴ゆる曉を
今は昔の夢戀し
歸らんか
歸れば峰に雪は無く
歸れば川に花流る
歸らんか
黒き狐の
肩の
下には
縫ひける
雪まだ降らぬ石狩の
山にも野にも風吹きて
〜〜〜〜〜〜〜
光は沖にあらはれて
闇は海より
星まだ殘る北の海の
浪は
南の丘に蝶飛んで
薔薇の花の匂ふ時
湧きもめぐらふ新潮に
島は輝き見ゆるかな
尾上の櫻野の霞
花の
火の
朝の空に立つ見れば
虹の七重は踏まねども
仰げば
光の添はる心地して
水の上飛ぶかげろふの
羽を

尾上の花や散りくると
ひれ振り尾振り跳るらむ
雲のはたてに月
沼に光の消えにけり
濕れる棹を手にすれど
さすは

月波に燃ゆる紅の
八雲は山の陰毎に
殘れる夜の雲染めて
二つの峰は清らなり
堤は低し木は荒し
黒髮山に誰妻の
うす絹
不二は夏より見ゆるてふ
沼の半に漂ひて
霞にきらふ船路かな
菱の實落つる沼なれば
白羽の鳥も翔るなり
羨ましきは羽すりて
雌雄共に棲む白鳥よ
船の動くにつと迯げて
葦間の杙に鳴き交す
鳥には輕き羽あれば
さしまねけども寄らずして
憎しとも思ふ浪の上の
鳥の如くにいたはりし
人はわが家を去りて後
寂しき秋となりにけり
朝髮梳る床の上
眉根
袂にくゝる八房の
若紫の色も濃く
雨降る夕、わが前に
廣くとりたる前髮を
机にあてゝ壞せしも
頬に突くかゞち、知らぬ間に
鳴らさむとして覺られて
笹紅匂ふ唇に
ふたゝび珠を返せしも
人故妻を逐はれて
知るは二人の涙のみ
(羨ましきは羽すりて
雌雄共に棲む白鳥よ)
美しき物、はなたじと
握りし鳥は奪はれぬ
人故妻を逐はれて
さめぬ
雲流れ行く東路に
何しに來ぬる我ならむ
松稀にして榛多き
常陸は山も高からず
(菱の
白羽の鳥も翔るなり)
ぬなはの若芽掻きよせて
摘めども船の慰まで
思へば鳥の逐はるゝも
逐はれて草に隱るゝも
大路を過ぐる花車
少女は花の小車か
さす手にひらく春の花
ひく手に
灯影ゆらめく細殿に
伊賀より落つる木津川の
石皆圓き川の上
雪と漲る浪の戸に
赤裳かゝげて立ちたると――
森の
光に泣きし尼君も――
燈籠舊りし
鹿に恐れて驅け上り
紅潮しゝ頬の色の
花の如くに
人は往けり還りけり
とゞろと渡る花車
蜘手の道の遠くして
のこるは暗き花の影
野守の鏡
面銹びて
雲も無し
還らぬ人の
一人にのみ
神は戀ふるを
許せども
夕靜けき
たなびきかくす旗雲の
紅きを見てはしかすがに
もろき涙も落しけむ
テグスの川に入らんには
餘りに遠き旅なれば
有明の月の消えかゝる
かぎろひ燃ゆる
峰照る星を仰ぎ見ば
空より來にし
翼に乘りて
歸りし母の俤は
花環の中にあらはれむ
腰に三重卷く綾織の
帶は結ぶに輕くとも
繪にのみ見てし矢がすりの
振の袂は馴れたりや

籠を片手に
浪にや袖のなづさはむ
かざすに馴れし白ばらは
さてもあらんを花の君
肩に
髮誰がために梳る
(月さす閨に丸寢して
わが見し夢は花なりき
露の命となりぬれば
心痛むる秋風に
たゞ戀しきは母なるを
都の雲を西に見て
川を常陸に越す舟の
おぼつか無しや夕闇に
棹かすむるは
〜〜〜〜〜〜〜
八重立つ雲の流れては
紅匂ふ
夜すがら海に輝きし
南に渡る
聲は岬に落つれども
島根ゆるがす朝潮の
瀬に飜る秋の海
牡蠣殼曝れし荒磯の
巖の高きに佇みて
沖に沈みし溺れ船
悲しきあとを眺むれば
七十五里の
浪は白く騷げども
玉藻の
船は浮ばずなりぬかな
終りたり
倒れたり
奔るははやき
雲の影
響くは
浪の音
かくれし岩に
乘り上げて
裂けし
あらはなる
終りけり
嵐の聲を
名殘にて
霧のまがひに
ひらめきし
白帆も旗も
やぶれては
夕やみ迫る
海の上に
『のろし』の色の
見よ空を
荒浪に
船は
渦卷く中に
漂ふは
花もて飾る
水づく屍は紅の
浪に生れし
秋風渡る伊豆の海に
はしき骸をさらしたりけむ
煙に似たる花咲いて
匂へる花を
山の西よりおく霜に
やがては瓜の染まる時
紅きを割りて彌生子の
櫻色なる
都に
春に生れし彌生子の
花なる袖に
〜〜〜〜〜〜〜
花は根になる春の暮
かへらぬ
櫻が下の
呼びし涙は乾かじな
ちぬの浦曲の
沈める星の
思ひよ空にさわぐらむ
靜かにそゝぐ水にすら
葬りにけむ春くれて
山時鳥鳴かんとす
白露しげき秋の夜は
おもかげにして歸らんに
なれし添寢の手枕に
暗きに吾子はかくれたり
〜〜〜〜〜〜〜
曉の夢を
白雲の衾
一夜さは關路に睡れ
旅ながら君も少女の
玉匣箱根の谷に

早川の水上遠く
木賀にこそ秋はたけたれ
白玉の
かゝぐれど褄はぬれつゝ
春風に散るや前髮
わきばさむ
相摸の海月は通ふも
高殿に琴なしらべそ
夢にして
君により
水色の袖の長きを
胸高に帶を結べば
歩むにも花のこぼれむ
行く水に散浮く花の
悲きは花の行方か
そよわれと都大路に
銀の鞭も振りしを
行く水に散浮花の
いつまでか
うすものに伽羅を

唇に紅はさせども
行く水に散浮花の
花なれや匂むなしき
溺れんか淵に水あり
碎けんか河原の石に
辛かりし夢よりさめて
幻の雲にかくれん
葦の海に影さす月も
秋よりや光澄むらむ
春日野の白き葉は
さながらに君の色なれ
湖の小舟棹さし
曉を星に泣くとも
山桃の花咲く頃は
新月の眉を剃るらむ
足柄の山をめぐりて
行く水にわれは散る花
行く水にわれは花とぞ散りぬべき
足柄山の春の夕ぐれ
肩に亂れし髮剃りて
鏡の下の
今はた色は
枕に殘る曉の
雲の俤寒きかな
春雨

檜扇あげてさしまねき
散りかふ花にまがひたる
胡蝶の魂をかへすとも
額にかゝる前髮の
秋の風吹く中空に
迷へる夢はかへらじ
星の
根浪轟く淡路島
跡無き浪も追はなくに
われから爲りし
白雪降れる
南の海に沈み入りて
憂き名を磯に流したり
月の
潮と落ちし竺志舟
面影
形見も浪も葬りて
思へばわれは
石に碎けし
涙を花の振袖に
胸にうつらふ幻を
いかなる色につくろはむ
なごやが下に
夢にや死なんうつゝなの
亂るゝ
泣くとも知らん涙かは
霞に迷ふ
雁が音の
鳴門の
聞ゆるは
藻汐の煙
なつかしき
渡るらん
光めぐれる
島なれば
巖が根まどふ
浪の音は
島の奧にも
聞えつゝ
樒の露に
しほたれて
影衰へし
野守の鏡
いくそたび
淺き山べに
泣かすとか
紅もるゝ
うすぎぬに
おほひし乳も
傷つきぬ
忘れがたきも
忘れては
涙のなかに
死にもせで
蕾ふくるゝ曉は
玉なす露の色添へば
花を踏みゆくよきひとの
長き裳裾もみだれけり
野に入相の露罩めて
はつかに暮れし花の上に
月の光のほのめけど
北咲きめぐる高殿の
窓もうばらに閉されて
野はたゞ花となりぬかな
くれなゐの下は
胡蝶の羽の
花の扉となりぬれば
迷ひの宮か花の
入りて歸りし人ぞ無き
栗毛の駒を乘りすてゝ
門をくゞりし武士も
かへらずなりて銀の
鞭は野末に錆びたりき
りぼんにとめし
籃を
入りにし跡は花に問へ
花のやかたと名に立ちて
匂へるばらのおのづから
まもりと
花や
池の八つ橋渡り來る
人をも薔薇の埋みつゝ
ふすま
夢驚かす風の音は
閨のほとりに騷がねば
紅匂ふ唇に
やさしき息のかよへりや
花ぐしおちしまへ髮に
光を投げん
錦の
まろねの袖をかたしきて
月はさせども身じろがず
花は散れどもさめずして
籠の鸚鵡も
苑に
湯殿に懸けし姿見の
鏡に花の
夢よ醉ふらん薔薇の香に
南の空に秋立ちて
常世の雁はかへれども
まぼろしなれやうたゝねの
夢にも魂のかへらざる
南の空に
あきたちて
常世のかりは
歸れども
〜〜〜〜〜〜〜
浮べる雲の
碧きが中にたゆたひて
天の島とも見ゆるかな
潮の底より月出でゝ
影、中空に盈ち來れば
浪靜かなる大和田の
月は舟とも見ゆるかな
舟か
せめては長き秋の夜を
毒ある鏃足に受けて
野べに
唯舟こそは戀しけれ
負ひたる傷の深ければ
物に觸るゝを厭へども
寢ぬに
花の
緑、紫、紅の
花は、電、空の虹
環りて、消えて、美しの
人の顏さへ浮き來るを
千草に渡る金風の
露吹きこぼす朝ぼらけ
花の
長しとも思ふ命かな
今日も落ちたる花片の
しめれる
* *
* *
行かんか旅に病みぬとも
今は悲む夢も無し
〜〜〜〜〜〜〜
山秀でたる吾妻路の
南に落つる利根川の
浪は
行くともわかぬ白雲の
かゝりて長き眞砂地や
蘆邊に立ちて眺むれば
浪逆の浦は雨晴れて
遙に渡る尾長鳥
ま白き
鳴く音は空の秋の風
鏡に
思へば旅の果にして
新たに戀ふる人は無きを
蝦捕り舟の漕ぎなづむ
霧に浮べる月波根の
眉なす根ろは北に在り
〜〜〜〜〜〜〜
野べに生れて
朝露を
頬の上に置き
夕されば
抱かれて
眠る野の花
唇に
誰かふれけむ
微かにとめて
夕榮の
うつらふ丘に
紅を
含みて立てり
羊の群は
薄霧の
口笛の
鳴りしやいづら
花の野は
やゝに暮れけり
靜かに
われ露原に立ちし時
汀に散らふ浪の花
白帆上げたる
旅の情を忘れねば
星かすかなる中空に
あこがれたりしわが魂も
やさしき花を
新たに灑ぐ涙あり
北の光の野をかけて
輝きかへる雪の上に
凍りし花を春解かば
痩せたる巖も馨るらん
甍くづれしバビロンの
花の色こそさだかならね
珊瑚洋の島人も
花の環をつくりては
あからさまなる乳のしたに
錦の帶をまとひたり
ビヱンの湖の朝凪に
匂へる花は胸の上に
咲きて散り、散りて咲く
野末の花のなつかしく
露にぬれたる秋の花を
渡殿朽ちし西の壺に
人の贈りし春の花を
蝦夷菊枯れたる池の畔に
褄紅の撫子は
名よ脆かりし
やがて
眉秀でたる妹あらば
りぼんに

紫菫、白薔薇
新たに
車に花は投ぐるとも
小
切りてさゝんはあたらなり
明星が岳に立ち迷ふ
雲に思ひの馳する時
曉くらく園に降りて
幽かに花の香を

深山の奧にひとりのみ
立つに似たる悲みは
忘るゝからにわりなくも
落る涙のとゞまらで
玉藻
狐と化ける篠原や
奈須野の南石裂けて
常陸に落つる
物皆沈む
霞の底を流れては
ほの/″\明くる東雲の
柳の蔭に渦きて
翠の山を
帶と

川にも春の光あれ
朽木の
蝴蝶の夢は長うして
羽拔けかへし
翔るも舞ふも雲の上
菜種の花に圍まれて
村と村とは長橋の
橋を隔てゝ望めども
南の村にわれ生れ
北の村より君出でゝ
額に垂れし
髮の端にも觸れずして
われまだ君の眉を見ず
見しは堤の花すゝき
君亦われの顏相らず
知るは堤の
あゝ幾年青き草濡れて
堤を花の飾るらむ
雨はしづかにそゝげども
人は歸らぬ故郷に
われ
君はとがみを飛ばしけむ
ぬすめる芋を野に燒いて

七日の月の影踏んで
小篠の笛も鳴らしゝか
おもかげに見る
あげまきの
友と呼ばんは
うらみなり
世にはぐれたる
一人子の
君は悲しき
弟よ
さもあれ空の
雲すらも
やがては洞に
歸るもの
歸れ
ふところに
君ゆゑ泣かむ
人もあり
はとがみ、草の名、形通草の實に似たり、みのりて莢裂くれば中におびたゞしき有毛痩果あり、試みに之を吹けば、風に乘り森を越え林を過りて、漂々として終にゆくところを知らず
〜〜〜〜〜〜〜鳥鳴き過ぐる
巖の上に
黄金の弓を
携へて
征矢の行方を
見送れば
光はそれか
入相の
西に聚まる
紫の
霞の底に
潛みては
白羽の影を
中天に
漂ふ雲の
浪靜かなる
大和田の
八重の潮路に
煌めけば
沖行船も
紅の
流れし中に
隱れけり
鏃は天に
とゞまりて
新たに星と
おぼめかしくも
北の方に
落る光の
弱きかな
野火により來る
小牡鹿の
外山に啼くは
聞ゆれど
鴎下り居し
白濱の
潮に朝の
聲絶えて
顏は
さし出づる月の
色に見えて
露置きそめし
秋の野に
夕の聲の
かすかなり
春を
腰に
秋
霜こそ置かね天津の
橋に見馴れぬ旗立ちて
紫深き九重の
雲もかへるか峽西に
玉の宮居も燒けつらん
蓮葉枯れし夕暮の
池に舟
金房垂れし
みだせし髮はをさめじな
西に流るゝ天の川
落ちたる花は誰が妻か
脛も血潮に染めなして
劒ぞ胸に刺されたる
〜〜〜〜〜〜〜
淀の川瀬の水車
淀の川舟のりもせず
峰の白雲ふみわけて
終に吉野の花も見ず
見しは青葉の嵐山
保津の流に筏して
岸つたひ行く舞姫に
しぶきかけたる川をとこ
春酣にして大輪の
牡丹咲いたる欄干や
徃き來の人も紅の
花には
石と
越えがてにして振袖の
長きは肩に
軒の褄なる
蝉の羽くらき若葉蔭
まだ角も出ぬ
驚かされし
苔緑なる石の上に
右手なる菓子を投げたまへ
戀はせじものふたゝびは
君が袂もひかざらむ
眉をひらいて歸れとや
君、己が上を知らずして
夕ぐれ一人荒磯の
暗きに立つを危むか
心やすかれ、引汐に
沈むとすれど立ちかへる
浪は仇なる白濱の
芒を亂す原の風
小霧に濕る丘の草
騷しかりし青山の
秋は今はや暮れぬかな
光にうとき夕顏の
花と見えしに
空しき骸を歛めたる
柩は穴に落されぬ
風の通へる八千俣に
涙の顏を吹かれけむ
斯の子前髮黒くして
瞳の色の澄めりしが
夢ほの/″\の有明に
母やも見えし小枕の
乾かで終に美はしき
眉は動かずなりしてふ
霜より先きに人散りて
かけたる土は凍りけり
草に
聲なき
〜〜〜〜〜〜〜
水ほの白き
八重立つ雲の
影に
花やかなりし
夢の
浪間の月を形見にて
しるしなき戀をもするか夕されば
ひとの手卷きてねなん子ゆゑに
〜〜〜〜〜〜〜
白雲低き足柄の
山は遙に
いかゞ越えけむ西風に
雁鳴く野とはなりにけり
見ゆる林のおぼろ/\
秋
行けども
光をつゝむ青雲の
殘れる月の
「今は別れとなりにけり
母よ」と呼べど
父と並べる
涙は終に見ざりしか
路遠くして
旅は心のさびしきを
尾花亂るゝ古里に
さもあれ馴れし
山は霧より現はれぬ
山は霧より現はれて
風は胡蝶の
霜は
秋
うつろふ空の高けれど
なづさふ
〜〜〜〜〜〜〜
腰にからめる
衿にほのめく
谷につゝめる雪と見ん
鳥は霞の
蝶は
美しき舞姫よ
せめてはかくせ扇もて
月の影ある眉の
美しき舞姫よ
星の夜、姉に
櫻はちんぬ、しかれども
おさなかりけるうき人の
うらぶれわたるわれさへも
西の京の去りかねて
花なる人の
こひしとて
月に泣いたは
夢なるもの
たて
ころも手に
涙の痕の
しるくとも
うき世にあさき
我なれば
君もさのみは
とがめじ
――花なる人の
戀しとて
月に泣いたは
ゆめなるもの――
つらけれど、紅葉
綾なす葦穗ろの
麓に今は
歸らうよ
破れ太鼓は
叩けどならぬ
落る涙を
知るや君
〜〜〜〜〜〜〜
浪を離るゝ横雲の

沖より白む朝ぼらけ
片帆下せし港江に
つらなる水の青うして
影消え殘る一つ星
北の海こそ遙かなれ
煙は迷ふ島原の
小舟やるとて腰みのを
絞るになれし我ならん
石迸る火の山の
小島の沖に漂ふも
竹もて編みし小枕に
ゆらるゝ夢の安きかな
母の熊手にかゝりけん
凧をへさきに飛ばしては
糸は潮にぬらせしを

珊瑚の床のなめらかに
西へ西へと行く月を
見れば流石に泣かるれど
陸には居らむ家も無く
南に遠き八重山の
島根を洗ふ黒潮に
流れも寄るか
花は
月に
峰の花こそこぼれ來ね
浮べる舟の
綾の霞の
翼を空に羨むも
八重の汐路のいづれにか
浪を
行かんか舟は輕かるに
錨の綱を捲きあげて
碎かば石に
輝く島も無からずや
角いかめしき
天をかざれる紅の
北の光を仰ぐべく
月落ちかゝる
巖の上に虎吼えて
君
わが手に
行方跡無き
筑紫の海に生れては
氷の山に
牙を磨くに膽消えん
砂にまみれし
拾ひて
あはれならまし花の妻
翼しをれし
雨を怨みて帆柱に
鳴くは濱べの雌をや呼ぶ
かすめる山は笹島か
手箱に秘めし花ぐしを
忘るともなく君さゝで
あたらほつれし前髮よ
白き額はかくさゞれ
思へばつらき浮寢にも
花なる人にともなひて
行きて別るゝ
涙無く
空も水なる
わが
誰か
羨まし
誰をみ空の流れ星
暮るれば出て
光知るらん
暮るれば出る星ならで
篷をおほへる浮舟の
千鳥鳴く夜を妹許と
知らじな親は船にして
尾花が袖に露しげき
のれる
たやすく浪にかへらんや
光は霧にまよひつゝ
あじさし
沈める珠を探るとて
若き乳房も仇浪の
なぶるになれし
みだれそめしが戀ならば
京の
さゝねど人を戀しけむ
秋雨そゝぐ

三重卷く帶の
けぶれる髮の美しう
* *
* *
めぐるに早き春の夜の
月は東に歸りけり
八重の潮路のたゞ白く
秋は光の寒きかな
ひそかに
春かへり來る中空に
夢のおもかげ殘るらん
終に別るゝ
あこがれ渡る
涙は

あまのはしぶね音づれて
鐘こそかすかに響きたれ
水より淡き
影は
殘りたり
紫の
和田の原
浪の穗に
輝く光
くづれては
空を
閃めきて
湧きもめぐらふ
高ければ
聲は
かすみつゝ
浪に聲ある湖や
堤に松の聲もして
曉ひらく
汀の浪に
露は
夢にや月を
星より
雪と
蜂飛惑ふ花園に
眉をひそむる妻無きも
雁が音遠き信濃路の
霧に埋れし山百合を
瓶にせし夜はまろびねの
枕も夢も香りしを
眉を

いかゞ書くらん
露に臥すてふ女郎花
見るに心の慰まで
千草の花を培へば
色にはなれし袖ながら
月は曇れる浪の上に
み空を
花の
立つとはすれど
月に
せめて
ゑがくを人も許すべく
〜〜〜〜〜〜〜
大野の極み草枯れて
火は燃え易くなりにけり
水せゝらがず鳥啼かず
動くは低き煙のみ
落日力弱くして
森の木の間にかゝれども
靜にうつる空の色
翠はやゝに淡くして
八雲うするゝ南に
漂ふ塵のをさまりて
雪の冠を戴ける
富士の高根はあらはれぬ
返らぬ浪に影見えて
櫻は川に匂ふらむ
霞みそめたる天地に
遍きものは光かな
涙こほりし胸の上に
閉じたる花も咲かんとして
亡びんとせしわが
今こそ
人は旅より歸るとき
花なる妻を門に見む
わが見るものは風荒ぶ
土橋の爪の枯柳
人は旅路に出るとき
美し人を

わが行く路に在るものは
やみを
筑波の山に居る雲の
葉山繁山おほへるも
春は蝶飛ぶ花園に
立つべき足の痿へたるを
やゝともすれば雲の奧に
かくれんとするいとし兒を
悲む母のふところに
千代もとわれは祈れども
母は子故に死なんといふ
世に一人なる母をおきて
わが
有らじと思ふに