「婦人解放の悲劇」自序

伊藤野枝




 とうに『恋愛と道徳』が単行になつて出る筈であつたが、あれだけでは一冊とするにはあまりに貧弱(量の上に於て)だと云ふ書店の意見から、その後雑誌(青鞜)で発表したエンマ・ゴルドマンの『婦人解放の悲劇』と『少数と多数』になほ新に『結婚と恋愛』とゴルドマンの小伝を加へてやうやく出すことにした。なほ書店の要求を満足させる為めに自分は序の中に婦人問題変遷の歴史と云つたやうなものを書く筈になつてゐたのだけれど、そんなことは今の私にはだ/\荷が勝ち過ぎるし、それに書くと云つても、自分一個の(たとへ独断にせよ)見識でも確立しての上で、その動かない立場から批評的に書けるとでも云ふのならばかく、どうせえらい先生方の御本を参考にしてアチコチとぬき書きでもする位が落ちになりさうなので、それは止めることにした。それに未だ自分は実の処『問題の歴史』だとかなんとか云ふことに興味を持つてはゐない。自分に興味のないことはなるたけやりたくない。ただ私は現在直接にブツカツタ問題として『恋愛』は女子の唯一の道徳であり、所謂いわゆる『結婚』は恋愛とはまつたくその性質を異にしたものだと云ふことをこれ等の論文に於て一層ハツキリ覚り得たのである。そして私のぶつかつた問題はまた現今わが国の社会に生存する幾多の若き姉妹たちの問題である。最も痛切な根本問題である。これは是非とも覚醒した自分達から実行し始めなければならない。然し自分達のすべてがほんとうに真実な深い相愛生活を送らうと思ふと、これは実に容易な問題ではなくなる。一歩―二歩―三歩―と次第に深く進むにつれて根底に横はる性の問題を始めとして経済問題、倫理問題その他さま/″\の社会問題に自然と自分の眼を転じなければならなくなる。そして『最近の将来が解決しなければならない今日当面の問題は如何どうすれば人は自分自身であると同時に他の人々と一つになり、全人類と深く感ずると共に各自の個性を維持してゆけるかといふことである。』と云つたゴルドマンの言葉を今更繰返して考へなければならない。自分達(Tと私)は日常生活のモトウとして『出来るだけ自己に忠実に』と云ふことを心懸け、そしてその為めに努力してゐる。自分達は自分達の生活中からあらゆる虚偽を追ひ出し、自由にして自然な生き/\した生活を営まふと努めてゐる。自分達は今なるべく社会との交渉をさけてゐる。自分達は時々心弱くなつて無人島の生活を夢想する。自分達のやうにわがまゝでぢきムキになつて腹を立てたり、癪にさわつたり苦しがつたり、落胆したり、するものにはとても今の社会に妥協してあきらめて easy-going な太平楽を云つて生きてはゆけない。全然没交渉な生活をするか、進んで血を流すまで戦つて行くかどつちかだ。然し自分達は軽はづみに飛び出して犬死はしたくない。で、イヤ/\ながら我慢してづ今の処なるべく没交渉の方に近い生き方をしてゐる。然し自分達は自分達のやうに考へてゐるものが勿論自分達ばかりでないと考へる時、そこに非常な希望と慰藉とが与へられる。日本に於ける最初の真実の革命の曙光がもはや遠からず地平の上に現はれると信じてゐる――否既に現はれてゐる。微かではあるが確かに現はれてゐる。自分達は決して落胆や絶望をしてはならない。来るべき真実の生活の新生命は確かに自分達若き同胞の中に芽まれてゐる。やがて自分達はほんとうに立上つて戦ふべき日が来ることゝ思ふ。自分達は先づ知らず/\自分達にこびりついてゐる無智や因習と戦はなければならない。世間の気の毒な人等はたま/\自分達を『新しい』と呼んでくれたけれど、自分などはその言葉を心から受取るには未だ/\中々旧い。もつと/\新しくならなければならない。自分は近頃『サアニン』を読み、高村氏の訳された『未来派婦人の婦人論』等を読んでただ面白いと云つてすましてはゐられなかつた。自分達の Vital force の如何に貧弱に見えたことよ! そして自分達の周囲にゐるかの青白い顔付をして、猫背になつて『白魚のやうな』指先きでオチヨボ口をしながら、碌そつぽ大きな声も出し得ずに琴を掻き鳴らす姉妹等の如何にミゼラブルに見えたことよ! そしてさういふ姉妹等と生活すべき運命を有する若き男性の如何に御気の毒に考へられたことよ。自分の連想はまたかの短髪の露西亜ロシア少女等を考へさせた。
 自分は今この一小冊子を若き兄弟姉妹の中に送るにあたつて、幾分なりとその人々の覚醒の糧にならんことを希望してやまない。『解放』と云ふのは髪の結ひ方をちがへるのではない、マントを着て歩くことでもない、まして『五色の酒』とかを飲むことではなほない。然し新しき服装を笑ひ、女が酒を飲むことを恐ろしき罪悪であるかの如く罵つて高尚がつたり、上品ぶつたりしてゐる人等には愈々いよいよ解放など云ふことはわかりさうもない。服装は個性ある者には趣味の表現であり、俗衆には流行である。酒は各人の単なる嗜好に過ぎない。いづれも真の解放とはなんのかかはりもない。『解放は女子をして最も真なる意味に於て人たらしめなければならない。肯定と活動とを切に欲求する女性中のあらゆるものがその完全な発想を得なければならない。全ての人工的障碍が打破せられなければならない。おおいなる自由に向ふ大道に数世紀の間横たはつてゐる服従と奴隷の足跡が払拭せられなければならない。』

 エレン・ケイに就いては自分は彼女の思想の中に、自分達と同じ系統をもつた意見を発見し彼女の議論に共鳴する或者を見出すことが出来る。彼女の思想に興味を持つことは出来るけれども自分にはそれ以上に彼女に親しみを持つことは出来ない。思想の上には自分は彼女の為めに可なり得たものがあると思ふ。しかし、より以上の興味をもつて彼女に注意をむけることの出来ないのは何故だらう。ゴルドマンに於けるが如き親しみを感じないのは何故だらう。自分は彼女に就いて云ふ何物をも持たない。唯だ自分は前にも云つたとほり彼女の主張が自分達のそれに共通であるといふ点に興味を持つて、それを紹介したに過ぎない。そしてこれ以上の言葉をエレン・ケイについて費やすことを好まない。彼女に就いては、下手な自分の言葉で云ふよりもより多く彼女を知つた人が沢山にあるから。近くこの書の出づるに先立つて本間久雄氏の手によつて彼女の多くの論文が訳されてゐる。エレン・ケイについて、なを多くを知りたい方々は、その『婦人と道徳』を御覧になるがよろしい。
 ゴルドマンに就いて自分は沢山の言ひたいことを持つてゐる。自分は彼女の小伝を読むにあたつて自分のもつた大いなる興味と親しみと熱烈な或る同情と憧憬を集注させて、いろいろな深いところから来る感激にむせびつゝ読んだ。『何と云ふすばらしい、そして生甲斐のある彼女の生涯だらう!』自分はある感慨に打たれながら心の中でかう叫んだ。まことに彼女の受けたなみ/\ならぬ圧迫と苦闘を思ひその透徹せる主張と不屈なる自信とまた絶倫の勇気と精力に思ひ到るとき云ひしれぬ悲壮な痛烈な感に打たれる。そして自分達のそれに思ひくらべるとき其処に大いなる懸隔を見出す。そしてまだ/\自分達の苦悶はなまぬるくそして圧迫は軽い。自分達はまだ苦痛のどん底までは行き得ないでゐる。まだ本当につきつめた自分をば見出し得ないでゐる。あらゆる精神上のまた肉体上の苦痛を噛みしめて戦ふ所まで行き得ないでゐる。まだ殻の中でまご/\してゐるのだ。殻を噛み破つて飛び出さないではゐられないまでの凄い程真実な要求をもつまでに成長してはゐないのだと云ふやうな事柄がハツキリと解つて来る。自分のやうな意気地のないともすれば妥協を欲するやうな者はもつと酷い圧迫を受け制裁を加へられてあらゆる苦悶をめさせられる機会でも与へられなければとてもあのやうな立派な生活は出来ないだらう。自分は自分達のやつてゐるある小さな仕事を発展させる為めにも各自の内部生活を確立させなければならない。その前に先づ尊い自己の内部生命を生み出す苦痛を忍ばねばならない。まだ自分達はやつとこの頃意識が動き出したばかりだ。この時にあたつて自分はゴルドマンの如き婦人を先覚者として見出し得たことを限なく嬉しくなつかしく思ふ。そして自分はこの尊敬すべき婦人の熱誠をこめたこの書をすべての若き姉妹達の机上に捧げたいと思ふ。

この書に収めたエレン・ケイの小伝は『恋愛と結婚』の序文でらいてう氏の手に訳されたものをそのまゝ拝借したのです。私のこの小さないとなみに心からの同情をもつていろいろ助力下すつたことを感謝いたします。またエレン・ケイの写真は宮田脩氏がお貸し下すつたものです。同氏にも深く感謝いたします。
私のこの仕事はまたTによつて完成されたものであることを私は忘れません。もし私の傍にTがゐなかつたら、とても私のまづしい語学の力では完成されなかつたでせう。この事は特にハツキリとお断りいたして置きます。

   一千九百十四年三月
染井にて 野枝





底本:「定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳」學藝書林
   2000(平成12)年12月15日初版発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:Juki
2006年12月22日作成
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