青山菊栄様へ

伊藤野枝




 青山菊栄きくえ
 あなたの公開状は本当に、私には有りがたいものでした。私は幾度も/\読み返しました。勿論、不服な事もありますがそれはおい/\申上げる事にして、づ公娼廃止についてのあなたの考へ方は正当です。私はそう云ふ方面に全く無智なのです。私はまださういふ詳しい事を調べるまでに手が届かなかつたのです。その点では私はあゝ云ふ事を云ふ資格は全くなかつたのかも知れません。あれは私は或田舎の新聞に頼まれて書いたものなのです。別に深い自信のあるものでもなんでもありませんでした。けれども全く、私はあなたのお書きになつたものを拝見して始めてさう云ふことを気づいたのです。勿論、私はさういふ娼妓の生活状態に就いて無智な者ではないのです。私は可なりあの人たちの生活についてはもつと子供の時分から知つてゐましたのです。さうしてさういふ処に気のつかなかつたのは私の自重のない態度がさうさしたのです。私はあなたにその事を気をつけて下すつた事を感謝いたします、そして、あなたのやうな考へ方から見れば公娼廃止と云ふことももっともな事です。もうその事については何にも云はない方が立派な態度かもしれません。こんな事を云ふのは卑怯な負惜しみと見えるかも知れませんが、私があれを書いた時に主として土台にしたのは矯風会の人たちの云ひ分でした。私はそれ以外に深く考へることをしなかつたのは私の落ち度ですがの人たちからはさう云ふ深い事は聞きませんでした。しもあの人たちが本当にさう云ふ、あなたのやうな意見を以て向ふのなら、私だとてあんな事を書きはしません、私は矯風会の人たちからはまだそんな立派な事は聞きませんでした。それで、根本の公娼廃止と云ふ問題はあなたのつしやるやうな正当な理由から肯定の出来る事ですが、私は矯風会の人達の云ひ分に対しては矢張り軽蔑します。あの人達の云ふ事はあなたのゝ程徹底しては居ないと私は思ひます。
 さて此度は、私とあなたの思想の差異になつて参りますが、私はすべての議論が何時でもの人達のでもお仕舞ひにはつまらない言葉のあげあしとりになつて、水掛論になるので議論と云ふ事は本当に嫌やなのです。さういふいやな事をしまいと思へば一々その言葉の内容からしてさがして行かなければならないと云ふ面倒な事になつて来ます。さうしますと、だん/\に本来の問題よりも枝葉の事に渡つて来ると云ふ順序になります。私は今私の考へを述べる前に、どうかこの事がさうしたなりゆきにならないやうに出来るけお互ひに丁寧に、あつかひたいと思ひます。

 先づ、何よりも先きにあなたに申あげなければならない事は、私が公娼廃止に反対だと云ふ風にあなたが誤解してお出になるらしい事に就いて、私は左様そうではありませんと云ふ事です。私は勿論肉の売買など決して、いゝ事だとは思ひません。悲惨な事実だと思つてゐます。さういふ事をしないでも済むのならそれに越した事はありません。細かしい事はおい/\云つてゆきますが先づ大ざつぱに、私の見たあなたの、私の云つた事についての御批評は、あまりに表面的で独合点でゐらつしやいます。それは、あなたが私の書いたものにこれ迄あまり注意して頂く事が出来なかつた故かも知れませんが。
 あなたは私が売淫と云ふ事が社会に認められてゐるのは男子の要求と長い歴史がその根を固いものにしてゐるので、それは必ず存在する丈けの理由をもつてゐるから彼女たちが六年をちかつたつて十年をちかつたつてどうして全廃する事が出来やうと云つたのを、私が絶対に全廃することが出来ないとでも云つてゐるかのやうにむきになつてゐらつしやるやうですが、成程私の言葉の足りなかつた処もありますけれども私は、それを絶対の意味で云つたのではなかつたのでした。私はいろ/\な深い根本の事を考へてゐますと、すべての「存在」と云ふ事について深い不審をもつてゐますが、さう云ふ「存在」と云ふ事実がある以上、局部的にはその理由を一つ/\認めることが出来ます。あなたの態度から云ひますと立派なものでなくては存在の理由がないやうな風になりますが、どんなつまらない事でも「存在」する以上相当の理由と価値とは必ずあります。たゞ価値と理由が、その存在を長くしたり短かくしたりする丈けだと思ひます。根、と云ふものはそんなに絶対のものではありませんよ、浅かつたりゆるかつたりすれば忽ち引つこぬかれます。どんなに深く這入はいつたものでも固いものでも生命がなくなれば駄目ですし、相当の労力と時間を費せば掘り出すことも出来ます。長い歴史が根を固くしてゐると云ふことは正しい存在の理由を構成しないとあなたは仰云おっしゃつてます。さうですとも正しい存在でないものには正しい理由のある筈がありません。勿論惰性と同義だと云ふ事はあまりに分りすぎてゐます。それがおわかりになつて何故私が公娼廃止が絶対に行はれないやうに考へてゐるなどゝ誤解なさるのでせう。此処ではあなたの方が却つてその存在にもつと正しい理由がある事のやうに是認してお出になるやうに見えますよ。で、私が全然その事を不可能だなどゝ云ふ馬鹿な考へを持つてゐない事をおわかり下さいましたか?
 さて、此度は要求と云ふ事の側になりますが、あなたはそれを男子の身勝手と云ふ簡単な言葉で片づけてお出になりますが、私は男子の本然の要求が多く伴つてゐると云ふ主張は退ける事が出来ません。もと/\売淫制度が不自然である以上、不自然な制度に応じて出来たものであることは云ふ迄もありません。其処で、あなたのお調べになつた事がます/\その売淫制度と云ふものが男子の本然の要求を満たすために存在するものだと云ふことを完全に証拠だてます「女子の拘束の度に比例して売淫が盛んになる」と云ふ事実が。
 私にあなたはその事実を承認するかと詰問なさる。「私はこれは惨ましい事実だと思ひます。」と云ふ以上に立ち入つた言葉でお答へしたくはありません。さう云ふ事を簡単に承認するとかしないとかそんな事で片づけやうとなさるあなたは人間の本当の生活と云ふものがそんなに論理的に正しく行はれるものだと思つてゐらつしやいますかと私は反問したい。あなたはあんまり理想主義者でゐらつしやいます。「如何に男子の本然の要求であらうとも女子にとつて不都合な制度なら私は絶対に反対いたします」と云ふあなたの言葉はあまりに片意地に聞こえすぎます。あんまり物事を極端に云ひすぎます。もう少し冷静に考へて頂きたいと思ひます。
 あなたは前に、女子の拘束が売淫制度を盛んにすると仰云ひましたでせう? その不自然な拘束が男子の自然な要求を不自然に押へなければならない様にするに相違はないのですけれどもさうした要求が長く忍んでゐなければならない事でせうか、また出来る事でせうか、そんな不自然な抑制は体をいためたり素直な性質をまげたりする他何にもいゝ事はありません、そんなにまでして忍ばなければならないと云ふ理由が何処にありませう。私は私自身としては可なりコンヴエンシヨナルな考へとして非難は受けましたが誇りとか何とか云ふことよりも何よりも私自身の一種の潔癖からヴアージニテイを大切にすると云ふ事を主張しました通りに矢張り同様に男子にもそれを要求したいのです。そしてそれを苦痛を忍んでも抑制すると云ふ気持に美しい一種の感激をもちます。けれどもそれは私一個の考へであり望みなのです。普通の場合としては前に云つた通りそれは先づ不可抗性を帯びた要求ですからそれを是非押へなければならないと云ふことはあんまり同情のない考へ方だと思ひます。まして男女の人口が不均衡になり、ます/\結婚が困難になつて来るやうな不自然な社会にあつてはどうしても売淫を避ける事は出来ないと思ひます、その不自然な社会制度を改造する迄は。「男子の本然の要求だからと云つて同性のこうむる侮辱を冷然看過した」とあなたはお責めになるけれども、看過みすごせない、と云つてどうします。私は本当にその女たちを気の毒にも可愛さうにも思ひます。けれども強制的にさうした処に堕ち込んだ憐れむべき女でさへも食べる為、生きる為と云ふ動かすことの出来ない重大な自分のため恬然てんぜんとしてゐます。彼女等をその侮辱から救はうとするには他に彼女等を喰べさせるやうな途を見付けてからでなくては無智な、何にも知らぬ女たちにとつてはその御親切は却つて迷惑なものではないでせうか? 公娼廃止と云ふ事は成程あなたの仰有おっしゃるやうな理由で出来るかもしれませんが売淫と云ふ侮辱から多くの婦人を救ふことは先づこの変則な社会制度が破壊される迄は不可能な事ではないかと思ひます。それ丈けは私たちがいくらもがいても時が来なくては駄目だとおもひます。あなたは看過することの出来ないと仰有る程又それを看過するとはあるまじき事だと私をお責めになる位熱心にその事にたづさはつてゐらつしやるらしいやうですからそんな手ぬるい考へではあきたらないとお思ひになるでせうがそれは各自の考へ方の相異、歩き方の相異です。あなたは何をおいてもその為めにお働きになる事に一番意義があるとお思ひになるのも尤もですし、私はまだ何をおいてもさう云ふ運動をして大いに婦人の為めに尽さうと思ふ程その仕事に生き甲斐を見出し得ませんから先づ自分のまはりから先きに片づけて行きたいと思ふのです。あなたにとつては私のこの態度はあんまり自分の事ばかり考へすぎてゐる手前勝手者のやうにお思ひになるでせうがそれが私とあなたとの違つてゐる処ですから仕方はありません。ついでに、公娼が廃止になれば私娼も少くなると云ふ事実は少し私には首肯が出来かねます。吉原が衰微に傾いた今日市内の私娼の増加は驚くに足ると云ふ事実を何で証明して下さいますか? 公娼が公然挑発、誘惑の設備を許されてゐるから青年の情欲を刺戟して堕落させるが私娼は公然挑発しないと仰有るのは少し変だと思ひます。私は浅草の十二階下辺の私娼がさま/″\に変粧して迄男子を誘惑すると云ふ話を可なり沢山聞きましたし、彼処あそこの客と云ふ者が学生が多数を占めてゐると云ふたしかな事実も聞きました。要するに公娼も私娼も大した違ひはないと思ひます。売淫と云ふ点はどちらも同じなのだと思ひます。今の日本の私娼と云ふものも同じく他人に抱へられて借金をして稼いでゐる点では公娼と大したちがひはないやうに思はれます。外面的にはずつと私娼が勝れてゐるやうに見えても案外情実のからみついた彼れ等の社会は矢張りさうたやすくぬけられるものでもないやうに思はれます。
 あなたが廃止運動が大切だと躍起におなりになるのにも、私が知りながら呑気のんきらしい顔をしてゐるやうに見えるのにも相当の理由があるのです。あなたはあなた、私は私なのですから、お互ひに他人の態度を気にするよりも、まあ自分の事をした方が結局お互同士の為めです。あなたは万事にあんまりむきに、大げさに考へすぎて、私には何だか滑稽になつて来ます。外国人への見栄を、私は決して悪い事だとは云ひません、たゞそれ丈けの理由ではあまりに浅薄だと云つた迄です。あなたのそれについての比喩はあんまり真面目すぎて、「他人を馬鹿にしてゐる」と怒りたくなるやうな馬鹿々々しい理屈です。頭がどうかしてるんぢやありませんか?
 それから私がすべての事象は表面に現はれる迄には必ず確たる根をもち、立派なプロセスをもつてゐるものであり、自然力の力強い支配のもとにある不可抗力で、それは僅かな人間の意力や手段では誤魔化せないと云つたのに対して疑ひをおかけになりました。さうしてすべての歴史を通じての革新や制度が人間の手に作られたり随時にこはされたりするものであるからこそ女に不都合な世の中を改革しやうとしてゐらつしやるぢやありませんかとの仰せ、もつともですと申上げたいのですが、どうもあなたの頭は余程をかしいと思はずにはゐられません。人間が造つたりこはしたりすると云つた処で、偶然に作らうと思つて造つたりこはさうと思つてこはしたり単純に出放題なことは決してやれるものではありません。子供が粘土細工をするやうな訳にはゆきません。必ず其処迄ゆくには行く丈けの理由とプロセスがあつて人間の意力を其処まで導いてゆく他の力があるに相異ないと私は信じます。破壊にも建設にも必ず相応な理由があります。それを運んでゆくプロセスがあります。それをさう導く力は何でせう。時はすべての問題を支配します。その時を駆使する力は何でせう。偉大なる自然力の前に人間の意力はどんなに小さいものかお考へになつた事はありませんか。人間の意力で百般の事を左右し得なければ私たちの戦は徒労だと仰有る。御心配下さいますな。私たちは何時でもその自然力の味方である真理に後を向けませんから大丈夫です。私はその不可抗力を知つてゐます。ですから決して無謀な反抗に生甲斐を見出し得ませんから、静かに先づ自分丈けの事からやつてゆきます。自分の意力の届く範囲だけで出来る丈け立派な道を歩いてゆきます。私の小さな意力は他人に迄も強制的に及ぼす事の出来ない事を私は知つてゐます。あなたの私に対する反問は皆上走つてゐて少しも核に触れてはゐません。「人間の造つた社会は人間が支配する。」と云ふお言葉は尤もに聞えますがその人間を支配するものがありますね、その人間を支配する者が矢張り社会も支配しはしないでせうか。社会は人間が造つたのでせうけれど人間は誰が造つたのでせう? 果して人間は何から何まで自分で自分の仕末の出来る賢い動物でせうか? まあ一寸ちょっと考へて見ても人間は時と云ふものに駆使されてゐます。気の毒な程、処が利口な人間は時を利用することは知つてゐますが自由に駆使することは出来ないでせう? それ丈けでもまだ人間はそんなに威張る資格はありませんよ、権力者の造つた制度が不可抗力だなどゝ云つた覚えは更に私にはありません。権力者たちの造つた制度のなか/\こはれないのはせい/″\時の問題位なものです。時が許しさへすれば何時でもこわせます。そら、其処でも矢張りいくら人間がもがいたつて時が許さなければ駄目でせう。それ丈けの制度の根を固める為めには権力者たちも相当な犠牲を払ひ骨折をしてゐるのですからいくら不自然だつて何の償もなしにその株に手をかける事は許されない道理でせう?
 私は公娼問題の事はもうおしまひになつたのかと思へば又ですか? 本当に頭がどうかしてゐはしませんか? 其処でお答へする丈けは充分しておかないと又二度繰り返すやうではいやですから。
 さて公娼廃止は私も先づ可能と信じます。それで今度は「誰でもが云ふやうに」売淫制度の存在を是認したと云ふことのお責めにあづかる訳ですね、先づさうですね、誰でもの云つてゐる事が真実だと思へば私はいくら「誰でもが」云つてゐても真実だとしますよ、私は衆人が口をそろへて云つてゐるからあれはうそだなど云ふ理屈はないと思ひます。「誰でも」は決してまがつた事ばかり云つて正しい事を云はないとかぎつてゐないことは百も承知でせう? いくらあなただつて! あなたは本当につまらないあげあしをとつてゐますね、うるさいぢやありませんか、傲慢だとか傲慢でないとかそれが私の態度なら面倒臭いからどちらでもあなたの下さる方を頂戴しておきますよ、どつちだつて私にかわりはありやしないから。もうあとの事に一々お返事するのは面倒だから止めます。仰有る通りに折りがあつてお目に懸つたらまたお話しませう、私はあなたのお書きになつたものは翻訳を除いては初めてですからどうかしたら感ちがひをした処があるかもしれませんからそんな処がありましたら御注意下さいまし。但し大抵これで私の考へ方はお分り下さる筈と思ひますからもうこれ以上この問題について云々うんぬんすることは御免蒙りたいと思ひます。失礼な事ばかり申上げました。おゆるし下さいまし。
[『青鞜』第六巻第一号、一九一六年一月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「青鞜 第六巻第一号」
   1916(大正5)年1月号
初出:「青鞜 第六巻第一号」
   1916(大正5)年1月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:雪森
2016年6月10日作成
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