書簡 大杉栄宛

(一九一六年五月三一日)

伊藤野枝




宛先 東京市麹町区三番町六四 第一福四萬館
発信地 千葉県夷隅郡御宿 上野屋旅館


 今朝も、あなたからのおたよりを待つてゐましたのに来ないで、長い/\お八重さんからの手紙が来ました。そして、私の今度の事に就いて可なりはつきりと意見を述べてくれました。しかし私は、もう到底理解を望む事は出来ないと断念しかかつてゐます。ひよつとしたら、私の説明が丁寧に詳しかつたら、或は解るかも知れません。けれども、の人には、恋愛と云ふ事が何んであるか解つてゐないのです。あの人の恋愛観は、皆な書物の上のそれです。外のいろ/\の理屈は分るとしても、その心持が本当に解らない人には説明のしようはないと思ひます。しかし、私は出来るだけ説明してみるつもりではありますけれど。
 私の一番親しい友達が、私をどのやうに見てゐたかを、少しお知らせしませうか。
『あなたの心霊がこの二三年、無意識にも有意識にもあこがれを感じ、渇きを覚えてゐる強い力――殊に異性の雄々しい圧力――これをげてあなたに迫るものがあつたとしたら、それは必ず大杉氏であつた事を要しない。誰れでもよかつたのではありませんか。これは、あなたの無定見な恋――盲目的な憧憬を意味するのぢやありません。むしろ、それほど必然的な危機があなたの周囲に生じてゐたと云ふ事を示すのです。それほど重大なワナがあなたに投げかけられてゐたのです。ですから、その強い魅力のある圧力の具体化として大杉氏が現はれたとき、どこまでも慎重にならなければならなかつたのです。これは逆説のやうですけれど、決してさうぢやありませんよ。それが本統に自分の要する力か、自分に適した力か、純粋のものかをぢつと/\凝視する時間を、多く長く持つ程がいいのだつたと思ひます。』
 本当に、私はあなたでなくてもよかつたでせうか。私はさうは思ひません。私が、どんなに長くあなたを拒まうとして苦しんだかを、お八重さんは知らないのです。私は慎重でなかつたのでせうか。慎重ではなかつたかも知れませんね。けれども、私達は始めからそのやうな処を超えてゐたのではないでせうか。慎重と云ふやうな言葉の必要を感ずるよりも、もつとずつと近い所にゐたのだと云ふ気がします。ですから、お八重さんが『かう苦しまねばならない』と想像してゐるのと、私が苦しんだ事との間には、可なりの距離があるやうに思ひます。
 そして又お八重さんは、私が第二の恋愛にはいつたのは、第一の牢から第二の牢にはいるのと同じだと云ひます。私が今日までのはゆる第一の牢で何にを苦しんだのでせう。同じ苦しみをした同じ処にはいつて行くほどの、私は馬鹿ではないと信じます。第二の牢と第一の牢とが同じものならば、第二とか第一とか呼ぶ必要はない。同じ処に帰つてゆくのだと云へばよろしい。私は同じ処に二度はいつて、違つた処にはいつてゐると云ふ程の盲ではないつもり。
 同じ処に何時までもちぢこまつて、出たりはいつたりするものを嘲笑あざわらつてゐる不精者や利口者よりは、もう少し実際にはいろんなものを持つ事が出来るのではないでせうか。私は、出来るだけ躊躇なく出たり入つたりしたい。いろ/\な処でいろ/\な事を知りたい。どうせ現在の私達の生活は牢獄の生活ではないでせうか。何処に本当の自由な天地があるのでせう。
 お八重さんは、自分を本当に自由な処にゐるのだと思つてゐるのでせうか。又、私が辻と別居してあなたとの恋愛に走つた事はミネルヴアの殿堂に行くつもりで又もとのヴイナスの像の前にひざまづくものだと云ひます。かうなると、私はもう何にを云ふのも厭やになります。ミエネルヴアとヴイナスと一緒に信仰する事は出来ないと云ふ事があるのでせうか。私達の恋愛がどのやうなものであるかと云ふ事が、少しも分らないのでせうね。勿論わかる筈もないのですけれど。矢張り、私はだまつて私達の道を歩いて行きさへすればいいのですね。他人が分らうと分るまいとそんな事にはもうこだはつてゐる気になりません。女の世界のを読んでお八重さんがサゼストされた事は、前途が決して明るくないと云ふ事ださうです。不安な不快な曇りが想覚されたのださうです。そして最後にお八重さんは云ひます。
『あなたはまだお若いから困りますね。もつと聡明に恋をして下さい。でないと、あなたのしようとしてゐる事が、何にも出来ないで駄目になりますよ。今までの苦心も水の泡になりますよ。しつかりなさい。モルモン宗に改宗したり、恋の勝利者なんて浮れてる時ぢやありませんよ。』
 お分りになりました? ねえ、私のお友達は本当に聡明ですね。私の本当の事を知つてゐて下さるのは、あなただけね。どうせ、私はもうあのサアクル(青鞜社)におさまつてはゐられないのですもの。私は血のめぐりの悪い、殿堂におさまつた冷いミネルヴアはいやです。
 私が、これからどのやうな道を歩かうとしてゐるか、それもあの人には分つてゐないのです。私は本当に勉強します。今どんなに説明しても分りはしないでせう。五年先きか十年先きになれば、屹度きっと半分位は分るかも知れませんね。私が恋に眩惑されてゐるのかさうでないかが。眩惑されてゐるとしても、その恋がどんなものであるかが。
 何んだか、私はまるであなたに怒りつけてゐるやうね。御免なさい。でも、なんだかあなたに話をして見たかつたんですもの。
[『大杉栄全集』第四巻、大杉栄全集刊行会、一九二六年九月]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「大杉栄全集 第四巻」大杉栄全集刊行会
   1926(大正15)年9月8日
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:雪森
2016年1月4日作成
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