書簡 木村荘太宛

(一九一三年六月二四日)

伊藤野枝




宛先  東京市麹町区平河町
発信地 東京市外上駒込染井三二九 辻方


 御手紙拝見いたしました。そして私はあの御手紙の全面に溢れたあなたの力強い真実に強く接しました。同時に私は何とも形容の出来ない苦しい気持ちになりました。実は昨日お会ひしました時 私はもつとお話しなければならないいろいろなものを持つて居りました。それはあなたがあの手紙をお書きになる前に知つておいて頂かねばならない事なのでした。昨日あすこでお別れしまして後に 私はかへつたらすぐにそれ等の事を書いてあなたに御送りしやうと思つたので御座いました。然し昨夜は可なりつかれてゐましたので 何にも書けませんでした。そして今朝御手紙を拝見して私は本当にどうしていゝか分らなくなりました。私はあなたに何とお詫びしたらよろしいので御座いませう。本当に私が気がよはかつた為めに申後れてしまひました。でも私は、自分を偽はるといふ事の出来ない者で御座います。そしてまた人を欺く事も嫌いで御座います。私は、おなじみの浅いあなたに対して申あげる事ではないので御座いますが あなたをまじめな方だと信じて御話いたし度いと存じます そして、それは、あなたに一層私といふものがはつきりと御わかりになるといふ事と信じます。
 くわしく御話すれば随分長いのですけれども くだらない事はぬきにして御話いたします。昨日御会ひしたあなたの眼にはどううつりましたか存じませんが 小さいうちからいろ/\な冷たい人の手から手にうつされて違つた土地の違つた風習と各々の人の違つた方針で教育された私は いろ/\な事から自我の強い子でした。そして無意識ながらも習俗に対する反抗の念は十二三才位からめぐんでゐたので御座います。私は生れた家にも、両親にも兄妹にも親しむ事の出来ない妙に偏つた感情を持つてゐるのです。十四五位から私は叔父に監督されて勉強するやうになりました。私の十七の夏、帰省しました時、意外にも、私は結婚の話を持ち出されました。本当に意外なのです。勿論私は断つてしまひました。然しその時には既にもうすべての約束はすんでゐたらしいのです。すべては叔父の専断でした。私は少しの猶予をも与へられずに結婚を強制されたのです のがるる事の出来ないと解つたときに私は周囲のすべての人を呪ひながら或る決心と共に式につらなりました。私は私の夫となるべき人が如何なる性格を持つた人か如何なる履歴を持つた人かも知りませんでした 姓名さへも私は知らなかつたのです。無論その人は私がすべてを捧げ得る人ではありませんでした。如何なる方面から云つても私とは反対の人らしく思はれました。私は意地をはりぬいて、ろくに口もきかずに直ぐに上京を口実にかへりました。そしてとう/\帰校いたしました。けれどもその時、私は五年でしたから卒業はすぐ目前にせまつてまゐりました。卒業して後は無論知らない嫌やな家庭に入らねばなりません。私はたゞ一日々々とその日の近くなるのを恨みながら苦しい心持ちを抱いて、学科の勉強さへも怠り勝ちでした。いよ/\三月になつたとき私は、国に帰るまいと決心したのですけれども 私の従姉が私と一緒に卒業して一緒に帰る事になつてゐるのです。勿論、公然と止まる事は出来ませんので どうしても一度は東京を従姉と一しよに出なければなりません。そして途中で従姉からはなれて、しばらくかくれやうと思つたのです。そして緊張しきつて日を送りました。卒業試験もうやむやで終つて 二十六日が卒業式といふ事になりました。私はなるべくゆつくりして、いろ/\な準備をして置かうと思つてゐますと突然従姉の祖父がなくなつたりして廿七日に帰らねばならないやうになりました。私は、もう何にする間もありませんでした。廿六日の夜は、私の体が裂けてもしまひさうな、苦しい大擾乱の中に、泣く事も出来ない悲痛な気持ちでおそくまで学校に残りました。翌日は立たなければなりませんでした 丁度その時、上野の竹の台では洋画家の日本画の展覧会と青木繁氏の遺作展覧会がやつてゐました。私はそのたつ日二十七日に すべての事をすてゝそれを見に行きました。私の為めに一緒に行かうと云つて一緒に行つてくれたのは、学校の英語の先生でした。私は昨日一昨日あたりからの激動にわく/\してゐましたので 落ち附いて見てゐられませんでした。そしてそのかへりにはじめて、何の前置もなしに激しい男の抱擁に合つて、私は自身が何をかも忘れてしまひました。惑乱に惑乱をかさねた私は おちつく事も出来ずそのまゝ新橋にかけつけました。新橋には多勢のお友達や下級の人たちが来てゐました。従姉はさきに行つてゐましたが 私のおそかつた為めに汽車の時間に後れたのです。私は再び小石川までかへつてまゐりました。すべての事は私には夢中でした。何を考へる事も出来なかつたのです。再びその夜十一時にたつ事にして新橋に行きました。私共に厚意を絶えず持つて下すつた三人の先生がおそいのもかまはず送つて下さいました。汽車の中でだん/\おちついて来ますといろ/\な事、考へなければならない事が頭に一つ/\浮んで来ました。一番に浮んだ事は昼間自分に対した男の態度です 私はそれが何だか多分の遊戯衝動を含んでゐるやうにも思はれますのですがまた、何かのがれる事の出来ないものにとらへられたやうな力強さも感ぜられるのです。私はどうしていゝか迷つてゐるうちに汽車はずん/\進んで行つて、もうのがれる事が出来ないやうなはめになりました。そして仕方なしに帰りましたが、かへつてもぢつとしてゐられないのです、私はすべて私の全体が東京に残つてゐる何物かに絶えず引つぱられてゐるやうに思はれて、苦しみました。そして、直に、父の家をはれて知らないいやな家に行かねばならないといふ苦痛も伴つて、とう/\私は丁度帰つて九日目の日家を出てしまつたのです。暫くの間、十里ばかりはなれた友達の家にゐました私は、私の在校中に可なり私の為めに心をつかつて下すつた先生のお力によつて上京しました。それまで、私はその先生方にすらそれ等の事情をお話しなかつたのです。そして、私はさしあたり行く処がないので、英語の先生のお宅に御厄介になつて、そしていろ/\相談しました。
 国の方のさはぎは予期以上に大きかつたのです。そしてさはぎは学校にまで及んで その為めに私を助けて下すつた二人の先生は可なりに御迷惑だつたのです。そして、私はその時はもうはつきりした意識の下に真実に、男を愛してゐました。男も私を愛してくれました。私共は、かう云ふ関係になつて、それを、だまつてゐるわけには行かないやうになりました。私共は出来るけまじめに卒直に、教頭まで打ち明けました。私は卒業するまでしばらくの間教頭の先生の御宅にゐて、起き伏ししてゐましたので かなりに話が分つてる人だとも信じましたので――処が私共のそのまじめな行為は、認められないで却つて一層誤解されて事は更らに面倒になりました。男は断然学校を止めてしまひました。もう一人の先生もおなじ行動をとるといふ事を云つてらしたのですが その先生は、とにかくいろ/\な事情でお止めにならなかつたのです その先生は私の在学中の担任の先生でした。男は家に対して責任の多い身体でした。母と妹を養はねばならない人でした。勿論財産といふものもないのです。直ぐに生活にさしつかへるのです、その苦しい中にゐて、私はたゞその事件の解決する日を待つてゐたのです、けれども六月になつても七月になつても駄目なのです。七月の末になつて、私は、仕方がありませんから自身かへつて、解決して来やうと思つてまたかへつたのです。
帰ると、私はその日から、いろ/\なものでひし/\と縛ばられ責められてのがれる道もないのです。私はただ「真」といふ事一つを味方にしていろ/\なこゝろみを目をつぶつてうけました。けれども後から/\といろんなものに逐はれて私は、極度に疲れて体さへ健康を害してしまつたので御座います。しかも周囲の者は、なを惨酷に、肉親の恩愛や義理、人情などいふものでひし/\と責めるのです。私は幾度か絶望に絶望を重ねて死を決心しました。けれどもその度びにたつた一つの私の愛はなをその度びに深く/\心の奥に喰ひ入つて力強い執着となつて、私のすべてを支配するやうな事になつて来て、苦しみ悶えながら死ねないのです。私は、とうてい、たゞでは打ちかてないと思ひましたので、とうとう周囲を欺いて安神あんしんさせて 油だんを見て再び上京しました。去年の十一月なのです。そして今度はしばらく国の方へはたよりをせずにゐました。然し事件は私が再度の家出後直ぐに解決したそうです。此の間父から知らせてよこしました。
 それでやう/\国ともたよりをし合ふやうになつたので御座います、中央新聞に書いた事実は相違の点がまつたく御座いますが私がいまその男と同棲してゐる事は事実なので御座います。私共はずいぶん去年と今年ひどい目にあひました。いまでもまだ遇ひつゞけてゐます 然しそうした苦しい周囲の事情が一層、私共の結合をかたくして、私共は、いま離れる事の出来ないものなので御座います。(私はまじめにお話してゐるのですが もしあなたに御不快を与へるやうな失礼な書き方ではないかと気がつきました。もしさうでしたら御許し下さいまし、)それで実は私はあなたの最初の御手紙を拝見しました時に大変に困つたのです。それであなたに対してはどうかと存じましたがとにかく男に、あなたの御手紙を示して相談いたしました。そしますと、男は私より以上に、よくあなたを、存じて居りました。勿論あなたのお書きになるものを透してですけれども――そしてあなたが大変にまじめな方であるらしいと云ふ事やそれからいろ/\その他自分で知つてゐる丈けの事を並べて私に説明してくれて、すぐに御返事を出すやうにとすゝめてくれました。それでとにかく、お目にかゝつた上で、すべてお話しやうと存じましたのです。そして、私はあなたが私の思つたやうにまじめな方であつたら 私の話をさう気持ち悪くしてお聞きになる事はあるまいと思ふので御座いました。
 私は今日のあなたの御手紙を拝見して何故お目にかゝつたらうといふ事をしみ/″\と思ひました。でも、もしあなたが御許し下さるならば私は、このまゝ意味もなくお別れするよりも親しいお友達として御交はりして導いて頂き度いと思ひます。そうしてなをその上にも御許し下されば 私の半身である男にもお会ひになつて下さればどんなに幸でせう。
 私は、今日のあなたのお手紙の一字一句をも深い理解と同情をもつてことごとくうけ入れる事が出来ますと大きな声で申あげる事の出来る力強さを持つて居ります、自信が御座います。それだけにまた苦しう御座います。私は 何だか犯すべからざる他人のこゝろをみだりに犯したといふその罪が 私には背負ひきれぬ程の罪に思えてなりません。私はあなたがどんなにお怒りになつてもどうおわびしてよいか分りません。
それからエレン、ケイの翻訳のこと、勿論、私のまづしい語学で完成する筈はありません、たしかに男の力によるのです、私も出来得る丈け勉強して他人の力などによらずに自分で出来るやうにしたいと心懸けて勉強してゐます。私は、決して、それを、かくしたり偽つたりはしません。私の力の足りない間はそれも仕方が御座いません、私は、どなたかいけないとでも仰云おっしゃれば自分一人で出来るまでは決していたしません。あゝいふ翻訳の、私に出来ないといふ事は たぶんどなたも御承知だらうと存じます。
生田いくた先生はよくそんなやうな事には注意してゐらつしやる方で御座いますね、新年号の中央公論に出た平塚さんの新らしい女といふのも実は私が平塚さんに話してあげた事があるのだといふやうな事を仰云つたといふ事も 一寸ちょっと他で聞きました。
矢張り、私が力以上に出すぎるのがいけないので御座いましよう。私も本当に、何事も分らない、何も知らないくせに青鞜に書いたりするのは僭越だとは知つてゐますが あゝして内部にゐて編輯の手伝ひなんかしてゐますと原稿がたりなかつたりなんかしますと、余儀なく幼稚な事も生意気な事でも書いて、笑はれなければならないのです。私も実はこの頃何事も書き度くないのです。自分でもそれをさほど苦しいとは存じません もう少し語学でも勉強して素養を深くして何か実のあるものをつかみ得るまでは これから頑固にだまつてゐやうと存じます。
つまらない事を永々かきました。何卒お許し下さい。私はすべて申あげる事だけは申あげてしまひました、私がこれだけの事を申あげ後れたといふ事をおわびいたしますと同時にすべては、あなたのまじめな判断をお待ちいたします。
六月二十四日
木村荘太様
伊藤野枝





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:雪森
2016年6月10日作成
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