男性に対する主張と要求

伊藤野枝




 未来の予想と云ふやうな事は余程確実な根底をもつてゐなければ出来ないことで、また外れ易いものだと思ひます。
 今までの経過を考へて、また現在の状態を観て、さて此度は必ずくあるべき筈だ。と思へば、本当にさうなるより他には行く道がないやうに考へられる事なのに、割合に、その予想はあてにならないもので、もつと意外な方に道を開いて来る事が多いやうに思はれます。今後の婦人問題、と云ふやうな事も矢張りさうした予想の一つで御座います。
 私は、それでなるべく予想と云ふやうなものはし度くないのです。それは勘定に入れた予想の内容よりも更に大きな予想外と云ふものにおしつぶされて桁が狂ふてその為めに、余計な心配をしなければなりませんから、私は一切無勘定でも其場々々をチヤン/\と踏んで行きさへすれば必ず行く処に行けると云ふ確信を持つて居ります。
 一体、問題と云ひますと、大変大げさに聞こえますが、これはそんなに鹿爪らしい内容のものではないやうに思はれます。んな些細な事でも問題にする事が出来ます。日常のお掃除のこと、唐紙の開けたてから、御飯の出来加減まで、一々、問題にしやうと思へば自由自在に問題にする事が出来ます。づそのやうに、婦人問題と云ふこともそれ程、鹿爪らしく大げさに問題にしまいと思へばそれでも済む事なのです。決して特殊な事柄でも何でもないと、私等は考へます。六ヶ敷むずかしく考へればきりはありませんが、手軽に考へられない事は決してないと、私は思ひます。
 何故婦人問題と、女の事を問題にするやうになつたか? もつと一般に社会の慣習と云ふものが失くなり、すべてが自由になつて来れば、そんな事を自然と問題にするにはあたらないと思ひます。たゞ何故に問題になつたかと云へば、それは男子によつて抑えられ蹴落されて奴隷としての生活しか持つことの出来ない女が、もと/\のやうに男子と同等の地位を得男子と同等の自由を得やうとする欲望を起して、その欲望に向つて自分を動かし初めたのが問題の原因であります。これは少しも無理のない事ですが長い間の習慣と云ふものが多くの人達の血球の中にまでしみ込んで非常な力をもつて反対のものを圧迫する力と、その婦人達の考へをはきちがへたのとで、大きな問題になつて仕舞つたのです。
 男子と同等の地位、と聞くと浅墓あさはかな考へを持つ男達は直ぐ今日から自分達の職業や社会的地位をとられたり、面倒な家庭の仕事を分担させられたり、自分達が勝手に遊び歩いたり、酒を飲んだりするやうに、女が同一な事をするやうに考へたりするし、また女達は女達で、お転婆な馬鹿な女達はいゝ気に生半可な理屈を云つて男子をまるで自分の敵でも見つけたやうに、身の程わきまへず罵倒したり、殊更に大胆な真似をする、煙草を飲む、酒を飲む、恋愛の自由などゝ、飛んでもない処に厳粛な理屈を鵜呑みに流用して不見識な関係をもつたり、一切、女のする仕事をするのは恥辱か何かの気になつて、他人に評判されるのをいゝ事にして、誤つた新聞の報道を真に受けて青鞜せいとう社員の名をかたつて、ますます誤解を重ねさせて迷惑をかけたりする婦人が多くなり、同時に、そんな女達の乱暴を見る男達はます/\間違つた自分達の概念もまちがつてゐないと確める材料を得る事になり、男子の保護を大事と機嫌気褄をとつてゐる女たちからは仇敵のやうに云はれ、乱脈におちてしまつたのであります。もしもこんな浅墓な間違をしない人達ばかりで冷静に物を観る事の出来る人が多数をしめてゐたら左程問題にならなくてもすむのだと思ひます。
 私達の要求するものは、そんなに大騒ぎをする程直ぐに、外面に表はれて来る程の何物もありません。これが参政権運動とか何とか云ふことなら知らぬ事ですが、これはたゞ一口に云つてしまへば今迄他人の指図でばかり動いた魂のない人形のやうでなく自分の意志で動けるやうにならなければならないと云ふ事に過ぎないのです。
 人間は、性来、自分の都合けしか考へないものであると思ひます。どんな愛他主義の人でも徹頭徹尾他人の為めに他人を愛するのではなくて他人を愛し他人の為めに計つてその人が喜ぶと云ふ事が自分の快感をそゝるもので、その為めに進んで他人の為めを計るのだと私は思ひます。丁度相愛の人同士がさうです。何でも向ふの人の喜ぶやうに/\と仕向けるのは、ます/\それに依つて其人の厚意を得る事が出来るからであります。本当に人は何か報酬がなくては他人の為めになど指一本だつて動かすものではありません。お釈迦様だつてエス様だつて御自分の為めに苦しんだのです。多くの人の罪の為めに十字架に上つたなどゝ有がたさうな事を云つてゐても本当は、さうして他人の身代りになると云ふ事にその苦しみより以上の快感をエス様は持つてゐたのであるやうに私には考へられます。まして俗衆と云つては失敬ですが、さう云ふ聖人達にくらぶれば、その人達が、他人の為など思はないのに不思議はありません。何でも他人まかせにしてゐれば他人が甘く自分勝手に最も都合のいゝやうに、自分がそのお先に使はれたつて文句の云ひやうはありません。今迄女が男にばかりたよつてその云ひなり次第になつてゐたから、今のやうな不自由な位置におかれても仕方がないのです。自分の意志でこしらへたものなら自分の意志でつき破つても、何の事もありませんが、他人の意志にまかしたのを自分の意志でつきくづすのは容易ではありません。
 婦人のこれ迄の生活は全く他人次第でありました。従つて、これを今から自分達の手にとり返さうとするには是非ともこの容易でない仕事をしなければならないのです。個々に分けて云へば、それ/″\違つた人達に違つた事情の下に造られた生活に違ひはありませんけれども、一般に広い意味ではすべての人を支配してゐる風俗とか習慣とか云ふものが婦人の生活の上に絶対の権威をもつてのぞんでゐたのであります。でどんな違つた事情の下にあつても所謂いわゆる、保護者と云ふやうな名義で自分を常に支配して居た人の手からその支配権を自分の手に取り返すに当つて第一に不服を称えるのはその保護者であり、その周囲であります。そしてその人たちの云ひ分は屹度きっと習俗に反すると云ふ、その人達にとつては唯一の利器であり根拠である理屈を云ひます。そしてそれはまた世間一般の代表的の意見であります。これにそむく事は世間から睨まれる事でこれは不完全な社会でも馬鹿々々しい世間でも、とにかく或交渉を持たなければならない者にとつてはこれは大きな苦痛でなくてはなりません。自分の境遇に不満を持つ多くの人々が一番につき当るのは此処なのだと思ひます。悧巧な人は少し考へて先づ世間の人ににくまれたり、悪口を云はれるよりは、少々不満でも先づ現在の生活の方が安穏だと断念して終ひます。先づ日本の婦人にはこの種の人が多数を占めてゐると思はれます。次ぎに不満の度が強くなつて反抗心が昂じて来ると、社会や周囲など何でもない。正しい条理が自分の方にあるのだから直ぐに自分の力で生活を築くと云ふやうなつもりで家を出たりして単身になる。直ぐに待ちかまへた種々な苦痛が一度に押よせて来る。此処で、本当に、家出なり何なりして以前の不満な境遇に出来る丈け辛抱して真実ほんとうにどうする事も出来なくなつてそれより他に行く道がないとなつて充分に覚悟の上に出た人ならば、その苦痛に堪えてゆく事が出来るが、この不満な境遇を出さへすれば直ぐにすべての自由が得られるやうないゝ加減な自分勝手な考へ方をして自分の力と云ふものを盲信して出たものはつゞけ様に種々なより大きな処から来る辛辣な苦痛に堪えると云ふことは十中の八九までは出来ない 独りの力に失望し独りの苦痛がます/\ひどくなつて来ると其処でずん/\違つた方向に引きづられて、いゝ笑ひ草にされ、それ見た事かと嘲罵を浴びせられるやうなはめになります。このやうな失敗者が続々現はれては相手に有利な例証を与へる事になつて真面目にその事をし遂げやうとする者に取つてはだん/\困難が後から/\と追かけるやうな者です。これは現在の一部の若い人たちの状態であります。そしてこれは私自身でも歩いて来た道であります。漸く種々な苦痛の中から、ひとりだちの歩みを続けるやうになりますと此度は更に一歩一歩と困難は大きくなり深くなり、自分自身を見つめてばかりゐる訳には行かないで自然に、諸種の社会問題にも眼を転じなければならないことになつて来ます。結婚に到る迄、結婚後の生活やがて出産、育児、――だん/\、女の生活範囲は複雑に深刻に困難になつて行くのであります。そして婦人本来の生活は、必ず其処にゆかなければならないのです。
 解放を叫んだ私達が子供を生み平凡な生活に返つたと、凡ての人達が冷笑を含んだ眼で私たちを見てゐます。けれども私たちは行くべき道に、一歩一歩近よつて来たのです。私たちは結婚忌避したり、子供を生むことを嫌悪したりすることを、唯外面的な自由を解放と云つたのではない。従来婦人をいましめてその縄をもつて自分勝手に動かした人達の手からその縄を取り返す事を云つたのです。みだりに昔からの道だから歩かないと主張するやうな人は無智な皮相な人であると云はなければならない。殊に結婚をして子供を産むと云ふことは一番真実な女の使命であると思ひます。本統から云へばすべての女がさうならなければならないのです。しかし其処に落ちつくまでのプロセスに、また、結婚生活、育児、家政と云ふことの隅々まで自分の意志をもつて働くのと他人の都合次第に動かされるのと異常な相違でなくてはならないと思ひます。後者が一つ/\自分の意力をもつて自分の生活を一歩々々築き上げて充分の自覚をもつて家政を整理し育児をするのを、教へられるままに、命ぜられるまゝに、世間の習慣により、家風に依り、他人の意見によつて家事を執り児を育てるのとは本当にれ程の相異があるだらう?と考へないでゐられるでせうか、昔からのしきたりに依つて何事もするのならば何も殊更に個性と云ふものを神様は人間に与へないにちがひない。習俗に盲従してゐる人達は神様の有りがたい思召おぼしめしを無にして結局は唯必要な、子を生む機械として存在するとしか思はれないのです。人間と、機械と同一視されると云ふことはあまりに情ない話ではありませんか?
 子供を産まない婦人には婦人の全生活は解らないのだと云ふ事は、子供を産んだ人が始めて解る事です。けれどもそれは少しも無理のない事だと私は思ひます。
 其処で私はまた、先刻、云つた事を持つて来ます。自分の現在の生活に就いて考へる時に決して、まだ分らない先きの事を勘定のうちに入れる物ではないと、全くです。未来のことをあてにしてゐますと、兎角とかく、何事に会つても直ぐその事ばかり気になつて自分の当面の事よりも、はやく其処にゆきつかうとあせる。従つて自分の歩み方が不確かになつて思はぬ故障で其処に行けぬ事になつて、あてが外れて仕舞ひます。そして通つて来た道もあやふやなものになります。私はそれよりも現在に、現在の自分の生活の隅々まで見のがさずに一つ/\に考へてそれから一番真実だと思つた道に向つて足を踏み出します。そしてだん/\に進んで行く事が一番たしかな真実な歩き振りだと思ひます。
 それから世間の多くの人はあるあてをもつて、それにばかりねらひをつけて物を云つてゐます。それで何時でも同じ事ばかり繰り返して云つてゐます。それに固執してゐる為めに、目的の為めに束縛されて、だん/\に、それにもとらぬやうな行為、口のきゝ方をしやうと不自由な腐心をしてそれを誇つてゐる人があります。主義とか主張などゝ云つてゐる人がさうです。けれども、し私が前に云つたやうなゆき方の人にとつてはそれは不自由なものであります。長い時を区切つてまだ未知の事まで勘定の中に入れて物を云ふことは割合に剣呑けんのんな事だと思ひます。「一寸先は闇」と云ひます。闇の中から何が出るかと云ふ事は考へる丈けでも馬鹿気てゐるやうに思はれます。さうくうにいろ/\な理屈を持ちよつて考へれば解る程単純なものでもロジカルなものでもないと思ひます。で前述のやうに現在は現在丈けで隅々にまで片づけてゆきますと、一つのものを何処までも持ちまはる訳にはゆきませんから、自然にだん/\新しいものを発見しながら行きますし、前にかう感じた事もこんな場合にはあゝ云ふ風に感ずるとか自由に、自分に対する批判を下す事になりますから固定した理論を持つて誇つてゐる人には不埓に見えるかも知れませんが、真実な歩み方を、生き方をしやうと云ふものには当然の事であります。
 大変に、余計な理屈が入つて、妙なものになりましたが、現在の私共が問題にしてゐる婦人問題と云ふものは前に述べましたやうな極く平凡きはまる事なのです。問題とする程の事ではありませんが、これは一般的に云ひましたからで、これを一人々々の問題にしますと、種々な複雑な情実がからみついたりまつはつたりして枝葉が縦横に出て、優に一人の人を支配するだけの力があるのです。
 さて今後どうなるかと云ふ問題ですが、これは内面的な問題だけに、人目を引くやうな変化は、しばらくはないかと思はれます。若い人達の間には相変らず前述のやうな状態が続くことゝ考へられます、かうした、一般の婦人自身の考へ方によつて、さう迄対社会の大きな問題としないでも済むやうな、むしろ当然の事とも云へるやうな内面的な事柄よりも社会問題としてはより外面的な参政権運動とかその他前に述べた内面的な婦人の位置が取りかへされた時に次いで起るべき具体化された諸問題は、まだ此処しばらくはさう大した発展を見る事はないであらうと思はれます。強いて、もつと細目に渡つて考へたならば、或はもつと確からしい事まで云へるかも知れませんが前に云ひましたやうに私は未来に就いて深く考へる事はしませんからこの位の処にしておきます。何時でも未来に憬れる頭を現在にぢつとおちつける事は何の場合にも必要だと云ふことを繰り返して筆をきます。まだ云ひたい事の云へぬまだるさがありますが、また稿を改めて云ふ事があるかと思ひますから。 (五、一、一二)
[『婦人公論』第一年第二号、一九一六年二月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「婦人公論 第一年第二号」
   1916(大正5)年2月号
初出:「婦人公論 第一年第二号」
   1916(大正5)年2月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:持田和踏
2023年12月27日作成
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