編輯室より(一九一五年六月号)

伊藤野枝




□毎号々々意に満たないものばかり皆様にお目に懸けなければならないのを本当に残念に思ひます。先月号はあんなに後れてしまひますし、今月はまた、私のからだが重くて少しも思ふやうに動きませんので毎日々々怠けてゐましたので思ふ程の原稿も書けずにこんなうすいものが出来ました。けれども頁の少いことが直ちに価値の如何にかゝはることにはならないと自分ながら苦しい云ひ訳をしてゐます。来月は少し実のある長いものを書く気でゐます。平塚さんにも野上さん、哥津ちやんにも書いて頂かうと思つてゐます。
□何時からも何時からも気がついてゐまして一人で私はもがいてゐます苦しくてたまらないのです。このやうな単調な雑誌が出来上るを見る度びに――。私は今年の八月号をやすんで九月の紀念号からすこし変つたものにしたい、もつとひきしまつた、むだのないものにしたいと思つてゐます。種々の計画もひとりひそかにたてゝゐます。そしてそれには私一人の努力でなく皆様の努力にまたなければならないのは云ふまでも御座いません。
□一つの些細な事、どんなつまらない原稿でも興味をもつて考へられないことはないと思ひます。どんな単調な生活をしてゐる人でも毎日の生活のきまつた事柄の外に何かしら違つたことを聞き、違つたものを見るにちがひはありません。思索と云ふことは何も重大なことばかりを考へるのではないのです。自分の事ばかりを考へるのでもありません。どんな些細なことでもどんな汚いものゝ上にも少しの相違もありません。私は本誌の読者諸姉がどのやうな日常生活を送りどんな思索を続けてゐられるかを知りたいために、――また私ばかりでなくすべて世間の人々の前に若き現代の婦人たちがその日常生活の真面目な自己批判をひらいて見せることの必ず無意味でないことを思つてこれから毎号諸姉の日記、或ひは、小品だとか感想の断片と云つたやうなものに誌上をさきたいと思ひます。どんなに短かくてもかまひません、ハガキ一枚でもかまひませんから、お気の向いたときに御寄稿下さい。
□これは小説やその他のものとはちがつてありのまゝの心持を書きさへすればよろしいのですから少しも面倒な事などはないと思ひます。技巧だとか何とかは決して気になさるには及びません。たゞ書かれたそのことが真実でさへあるならば立派なものです。これにはおさしつかへの方は匿名でもかまひません。
□此の頃婦人矯風会の決議で見ますと、六年間を期して公娼を全廃すると云ふやうな項目が見えました。私はこの決議をした人たちの心持がどう考へても考へてもわからずにゐます。一体その人たちは本気で六年間かゝれば全廃することが出来るとの確信があるのでせうか、さうだとすれば実にこんな不明な人達はないと思ひます。私達が一寸ちょっと考へて見たけでもさういふことが出来るといふことはとても出来ないと思ひますのに私のお母さんやお祖母さんと同年輩位のしかも相当に社会の表面に出て事情を知りつくしてゐて、ずつと思慮も経験も深かるべき人たちが若い私達でさへ冷笑を禁じ得ないやうな不明な間抜けな決議をするにいたつてはとても、あの人たちが今後六年どころか一生を棒にふつたつておつつきはしまいと思ひます。
□一体日本の――外国の人は知りません――婦人は何か始めやうとして自分の方にばかり夢中になつてゐて一向対象の研究をしないやうです。対象を軽く見る癖があるやうです。何をやるに対象によつてそのことのねうちがきまるのに、たゞ公娼を止めさすと云ふこと以外に、何にも考へてはゐないやうです。一寸考へた丈けでも何百年と云ふ歴史をもつた、一つの職業として認められて来たものを、そして必要に応じて存在してゐるものを、さう一朝一夕に根こそぎにとどめをさすと云ふ事が出来得るであらうかと云ふことを考へて見ますと実にそうした決議が滑稽に思へます。しかし私が考へる処では、あの人たちがとても六年間で、全廃さすと云ふ確信があるわけではなくたゞさうした熱心さとか意気込みとかを見せる魂胆かと思はれます。もしさうだとすれば実におどろくの他はありません。さうした不誠実には私は顔を向けるのもいやです。意気込みを見せるつもりならば何故、自分達の一生を賭してとでも云はないのでせう、併し私から見るときはその事業そのものが既でに馬鹿気て見えます。あの人たちが一生かゝつて或は一代も二代もかゝつて公娼を廃止したとて更に盛んな勢ではびこる私娼をどうするつもりなのだらうと私は思ひます。私娼の流す害毒は公娼のそれにまさるとも決しておとると云ふことはない筈です。それは明かな事実です。あの人たちは、もつと根底によこたはつてゐるものをとりのぞくことをしないでゐるのです。あの人達はたしかに浅薄な自分の名誉心を満足させやうとあせつてゐる、あの人たちはあの人たちの仕事そのものよりもその仕事のもたらす結果によつて自己の名誉をかち得やうとあせつてゐるのです。あの人たちは少しの結果でも自分のしたことの結果を見なくては承知しない人たちだ。だからあの人たちは六年たつてからきつとかう云ふでせう。「私達は六年間に全廃するつもりで本当に寝食をわすれて運動しました。しかし残念ながら決議のとほりに出来ませんでした。併も、それにはかういふ妨害もありました、こんな困難もありました、かうした苦痛もありました。実に一と通りの骨折りではありませんでした。けれども決してそれが何の結果をももたらさなかつたのではありません。かう云ふ結果がありました。かういふことも。かういふことも」と小さな事も数へ上げるでせう。そうして皆が感激の涙にむせぶのです。そして更に今後五年を期してとか、十年を期してとか云ふことになつてまた同じことを続けてゆきます。忘れつぽい人々は六年前にそんな決議があつたかなかつたかも覚えてゐる人はないでせう。それですべてが事なくはこぶのです。何と云ふ立派な決議でせう。成程沢山の経験をつんだ思慮ある人たちの世をも人をも理解した作戦計画には感嘆の外はありません。
□この頃の社のさびしさつたらありません。どなたもお見えになりませんのでポツネンとしてゐます。在京の方でおひまの方は少しくお話にお出下さいまし。
□まだ何か書くつもりで居りましたけれどもあんまり他人様の悪口なんか長々と云つてゐましたので忘れてしまひました。思ひ出しましたら次号で書きます。
[『青鞜』第五巻第六号、一九一五年六月号]





底本:「定本 伊藤野枝全集 第二巻 評論・随筆・書簡1――『青鞜』の時代」學藝書林
   2000(平成12)年5月31日初版発行
底本の親本:「青鞜 第五巻第六号」
   1915(大正4)年6月号
初出:「青鞜 第五巻第六号」
   1915(大正4)年6月号
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
入力:酒井裕二
校正:雪森
2017年1月12日作成
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