硯友社と文士劇

江見水蔭




 演劇改良の声が漸く高まりかけた明治二十三年の正月、硯友社は、初めて文士劇を実演した。それまでに各所で素人芝居が開演されぬでは無かつたが、たとへそれは遊戯的に終つたとしても、兎に角文士が揃つて新作の脚本を上演したといふ事は、当時に於て一大驚異で有つたのだ。
『今の俳優には、役に就ての心理解剖が出来ない。我々は芸が下手でも、それが出来る。今に教育有る者が続々劇界に投じるだらう、我等は其先駆者だ。』
 そんな抱負を口にはしたが、要するに内実は、芝居が演じて見たかつたので。けれども昔から型の有る物をやつては、到底団十郎、菊五郎には及ばないから、新作物で競争しやうといふ鼻息。それで、先づ初に紅葉が提案したのが『八犬伝』で、常磐津の富山とやまの段を、馬琴の名文を多く取入れて、別に又新らしく書けといふので有つた。
 今のやうに現代語に直すといふ智慧も勇気も出ず、いくら新らしく書いても、馬琴の名文は動かしやうが無いので有つたが、扨て脚本が出来上つて見ると、伏姫の小波は納まつたが(大助は自分)犬の八ツふさに成る思案が納まらない。人を馬鹿にしてゐる。俺を犬にするとは怪しからん。好し、それなら俺の方にも考へがある。犬を飽くまで写実で行つて、伏姫の膝に鼻面を擦りつけたり、チン/\もすれば、お預けもする、といふ大変物騒な事に成つて来た。
 一方には又、石橋の八ツ房も好いが、あんな大きな頭の犬が。[#「犬が。」はママ]何国どこに有るといふ異論も出て、到頭『八犬伝』はおくらと成つた。
 それで別に自分の新作史劇『増補太平記』大塔宮十津川落に片岡八郎討死といふのを、一番目として新作。二番目としては、広津柳浪の立案で『積怨恨切子燈籠つもるうらみきりこどうらう』といふのを、自分が四幕に書き卸した。これは九州の豪族蒲地左衛門を、龍造寺山城守が、能興行に呼んで殺害する。その遺子宗虎丸が親の敵を討つといふ筋。大切おほぎりは『花競はなくらべ才子さいし』五人男に三人多いのが、銘々めい/\自作のツラネで文学上の気焔をかうといふ趣向。
 紅葉が万事の総頭取で、なるべく、金の掛らないやうにしやう、鬘を全部借りると高いから、端役ははせに大森鬘おほもりかつらを買ひ込む事にしやうと、紅葉自身がワザ/\買ひ出しに行つた処が、例の凝り性と来てゐるので、気に入つたのが見当らなかつた。それで大森山谷さんやの製造元まで行つて、十数種の鬘(張りボテに棕梠の皮を染めて、髪と見せたもの)を註文して、帰つて来て、今度は自分に向つて、金は払つてあるから、取りに行つてくれといふので有つた。
 それが二十二年の年末で、自分は杉浦先生の塾にゐて、原稿は書いても売れるアテの無かつた時代で、窮乏も甚だしい間であり、甚だ迷惑はしたけれど、已むを得ず旧地もとぢの新橋駅から、汽車で大森に行き、そこから二人乗の俥を傭つて、山谷さんやまで出掛け、鬘製造元を訪ねた処が『何か、入れ物を持つて来ましたか』といふ。『イヤ、何んにも』と答へたので、『それでは之を貸して上げませう。ナニお返しに成らなくても宜しい』といふので、大きな破れ葛籠つゞらを出して呉れた。
 この大葛籠と相乗りで大森まで帰つて、それから汽車を新橋で下りてから、又大葛籠と相乗りで、飯田町(今の暁星学校の裏手)の石橋の邸内まで持込む事に成つてゐたのだが、九段坂の上まで乗るには車賃が足らなかつた。それで仕方なく坂下で俥を下りて、大葛籠を肩に担いで、坂の中途まで登り出した。
 雨降り挙句あげくなので、自分は高足駄を穿いてゐた為に、歩き難くは有り、荷は重し、困り切つてゐる間に、からげてゐた縄が切れて、葛籠を肩から取落した。
 すると中から、侍かつら、坊主かつら、娘かつら、老人かつら、大福助のかつらまで転げ出したので、通行人はビツクリするやら、笑ふやらで、自分は顔を真赤にしたので有つた。
 本読みがすみ、役割が定まつた。其主なるものは、一番目では、大塔宮(眉山)玉置半九郎(小波)野長瀬六郎(水蔭)同七郎(虚心)片岡八郎(思案)赤松則祐(漁山)村上義光(柳蔭)芋瀬勇七(露紫)
 二番目では、蒲地左衛門(水蔭)龍造寺山城守(漁山)家臣某(九華)同(紅葉)同(眉山)宗虎丸(小波)清三郎(虚心)庄屋(紅葉)下男(思案)村の娘(錦簔)同(露紫)其他踊り子楽屋総出。
 処で、此の稽古は、石橋の親父の別荘が根岸に在つて、そこには石橋の姉さんが北海道から帰京して、仮りに住つてゐる他に、誰も煙たい人はゐないからといふので、そこへ毎日通ふ事にした。
 立廻りの稽古には、お定まりの箒やハタキ、それに踏台を合引代りにつかひなどした。毎日バタ/\やるので、近所の人々は『何んといふ好い月日のもとに、おうまれなさつた方達でせう。この大晦日近くに成つて、お芝居のお稽古とは、お羨ましい事で』とイヤミまで云つたさうだ。
 この立廻りに就て、どうも本職の殺陣師たてしが無いとイケないと成つて、柳浪の友人二宮某の知つてゐる坂東甚五郎(後に市川九字蔵)といふのを頼んで来た。
 これから、立廻りの他に盆踊りの手まで皆教はつたが、甚五郎は急に団十郎一座に加入して、京都へ行くといふので、其代りに明日から義弟の七五三太しめたといふのを寄越よこしますと云つて、暇乞ひをして先きへ出た。
 それは暗い夜で、今のやうに電燈なんか何処どこにも未だ無かつた。懸値無しの真の闇で有つた。
 庭の踏石を伝つて真直ぐに行き、それから左へ曲つて門へ出るのであるが、それを甚五郎先生、真直ぐに何処どこまでも行つたので、忽ち池の中へ飛び込んだ。気の毒千万にも寒中濡れ鼠で、ブル/\ふるへながら戻つて来たので、見送らなかつた我々は恐縮千万。
 石橋の姉さんが赤ン坊を背負ふねんねこを借りて、それを着せて帰へらしたが、その濡れた衣類を帯で縛つて、片手にブラ提げ、ポタ/\雫を垂らしながら、悄然として去つた甚五郎の姿を思ひ出すと、今でも気の毒で耐えられないのだ。(此の時の赤ン坊が確か今の文学博士石橋智信の筈だ)
 これと同じ失策を演じたのは紅葉で、その頃富士見町にゐた武内桂舟の家で、夜遅くまで背景の製造や『八才子』に着る衣裳の製作の(白金巾の単衣に桂舟が肩抜き風に桜の大木と鳥の飛ぶのとを書き、背中に大きく月を出し、金紙で風といふ字を切抜いて、それを胸の辺に張りつけ、つまり花鳥風月といふ意匠。裾には朱で名家の印譜を画き、前の方に自分々々の遊印を出すので有つた)手伝ひをして、夜更けての帰りがけに、今の陸軍々医学校の前まで来た時に、あまりに懸命で、セリフの暗誦をしてゐた為に、少し折曲つてゐる道を忘れて、真直ぐに行つたので、忽ち溝の中へおツこちて、向臑をスリ向いたので有つた。
 いよ/\一月五日の夕方から、小石川の佐藤家で開演した。舞台は新築された。
 それからの失策は百出で、巧まざる滑稽は八笑人以上。
 一番目で、先づ冒頭に思案の片岡八郎が出て、演説口調で述懐のセリフがあり。十津川の関所にと掛ると、番兵二人(小波、露紫)が出て、問答の末に大立廻りに成るので有つたが、これが今の剣劇の元祖で、非常に激烈な切合ひで有つた。(演劇改良の急先鋒たる依田学海翁の如きは、非常に喝采して『読売』で激賞した。)
 しかし之は種を明かして見ると、石橋は近視眼で、それが眼鏡無しで登場するのだから、何処を斬られるか分らない。こちらは決死の覚悟でやらなければ助かるまいといふ、小波と露紫との打合せなので、その結果が、其頃には珍らしい真剣勝敗に見えたので有つた。
 それから大薩摩が有つて、浅黄幕を切つて落すと、十津川山中の背景。此所に山伏姿の宮(眉山)同じ山伏姿の二人の臣下(漁山、柳蔭)が、金剛杖にもたれて、うたゝ寝をしてゐるといふ場面。
 諸事浅黄幕ばかりで、簡単に片づけられると見縊つてゐた見物は(三百余名)未だ其奥にも本式の舞台飾りがして有つたので、一時にワツと来た。
 眉山の宮は実に美しく、故人田之助といふ衆評で有つた。
 そこへ戦死した片岡の亡霊がドロ/\で岩間から出て、三人の眠りの中に、夢枕として前途の活路を教へるといふ筋。
 大ドロ/\で幽霊が出るに就て、お定まりのカケ焔焼えんせうけむりを出すなんか古い、化学作用で奇抜な煙を出す。其朦朧たる煙の中から、甲胄姿の幽霊が現はれる処に新味が有るといふ事で、その煙の役を引受けたのが、安川政次郎といふ薬剤師(翁屋といふ化粧品店を神田に出して、一時硯友社の倶楽部のやうに成つてゐた――この安川の親戚が田中煙亭)
 その薬品は何んで有つたか知らぬが、仕掛は煙草盆に火を入れて置いて、それから新聞紙で小煙突をこしらへて冠せ、キツカケを待つて火の中へ薬品を落すと、パツと煙が立つといふ段取で有つた。
 大薩摩が切れて、大ドロ/\を打込んで、いよ/\片岡の亡霊が出ると成つて、翁屋主人が薬品を投込むと、煙のほかにパツと火を発して、イキナリ新聞紙の小煙突に燃えついた。
 それをキツカケに煙の中に出る筈の思案は、忽ち『キヤツ』と叫んで、飛上り『熱い/\』と云ひ出した。幽霊が足を火傷やけどしたのは前代未聞の珍談で有つた。
 それから幽霊の物語がある。(無言劇)それを宮が夢幻の裡に聴いて、宮のセリフとして前途の暗示を語る。此辺はトン/\と巧く行つて、扨て片岡の亡霊に導かれた事によつて、野長瀬兄弟が、花道から駈付けて来るのであるが、自分の兄が抜刀で先に立ち、後から虚心が(今の法学博士岡田朝太郎)槍を持つて駈けて出て来る。花道好き処で、互ひに顔を見合せ、うなづき合つて、本舞台に掛るの段取だが、が来たので自分は勢ひ込んで、花道へ飛出して、好き処で立留つて、振向いて見ると、後につゞいてゐる筈の虚心がゐない。これには面食つて、如何して好いか茫然としてゐると、ヤツとの事で虚心が出て来た。
 どうして遅れたかと、後で聴いて見ると、虚心も同じく勢ひ込んで飛出さうとして、揚幕へ槍の先を突ツ込んで了つたので、それを抜かうとしてもナカ/\抜けなかつた。それで遅れたといふので有つた。
 扨て段々運んで、最後には渡りゼリフと成り『イデヤ祝して出立なさん』と五人引張りの見得。それを木の頭で幕と成る手筈なのだが、その幕が一向引かれなかつた。
 五人とも眼を白黒さしてゐる間に、ヤツとの事で兎に角幕は引き付けられた。これは俳優の役割は極つてゐたが、幕を引く者の割当てがしてなかつたので、イクラ木を打つても、誰も幕を顧みない。それを小波が心づいて、あわてゝ幕を引いたのは好いが、余りに狼狽したので、舞台から見物席へ転げ落ちた。けれども落ちたまゝ如何やら幕は引き終つたので有つた。
 二番目では、序幕が松破目まつばめの能舞台で、此所に招待された蒲地左衛門(水蔭)が地頭ぢがしらといふかくで坐つてゐる。それに龍造寺(漁山)其他の諸士が、いづれも裃で並んでゐるまへで、九華が家臣某に扮して『屋嶋』の仕舞を見せるので有つた。
 九華は斯道では大分苦労をしてゐるので、本行と来ては普通の俳優以上。地謡の方へは、佐藤黄鶴が廻つて、松破目の陰からやる筈の処、観世清廉が見物に来てゐて『私もスケませう。』といふ事。美声家としては古今絶無といふ評判。その観世の家元が芝居の地に廻はるなんて、昔なら大問題を惹起するので有つたが、然ういふ具合で、気軽に突き合つてくれたので、能の仕舞は大成功。
 最後に九華が突然自分の蒲地に斬付ける。自分は肩先をやられて苦しむ処で幕。此所までは先づ無事で有つた。
 扨て二幕目に成つて、蒲地の臣(柳蔭)を龍造寺の臣二人で(紅葉、眉山)斬殺さうとして、大立廻りと成るのだが、紅葉が斯うした軽い役に廻つたのは――素人芝居では、成るべく軽い役でさらつて行くに限るといふ、先づ通なり口を学んだので有つた。
 これが片づくと本釣鐘を打込んで、藪畳を押破つて、捕手に手を取られながら、手負の蒲地が、血刀提げて出て来るといふ、自分としての儲け場所だ。
 そこへ家臣清三郎(虚心)が駈付けて来るので、それに後事を託し、蒲地は切腹して落入るといふ愁嘆場。笛入しのいりの合方あひかたで、好い気持に芝居をしてゐるうちに、フト自分は切られた肩先に心づいた。
 白無垢に血綿ちわたを縫ひつけて有つたのだが、それが下過ぎてゐるので、いつしかに血が胸の処に下つてゐた。これはイカンと早速その血綿ちわたを、肩の方へ掛けたのを、見物に見つけられて、ドツと悪落わるおちが来て、さん/″\の失敗。
 三幕目は清三郎の住家すみかで、百姓に身をやつしてゐる蒲地の一子の宗虎丸を、妹お徳と変装さして、隠くしてゐる処。お徳が小波で、清三郎が虚心。妹の方がノツポーで、兄の方がチンチクリン。これでは疑はれるのが最もだが、芝居のお蔭で露顕にも及ばず。
 幕明きには下男がゐる。これが思案の役目だが、その下男の鬘が如何しても納まらない。当人は納まつても頭が人並脱れの大形なので、鬘の方が納まらなかつた。
 一番目の時は、片岡八郎で、揉烏帽子で有つたから、鬘は冠らなかつたのだ。二番目の幕が開くと成つてから、初めて今更の如く思案の大頭を驚嘆しても、どうにも追ひつき様が無いので有つた。
『何んでも好いから冠つてしまへ。』
『冠る気でも冠れないんだよ。』
 痛いといふのを無理に冠らせ様とすると、床山とこやまが飛んで来て『鬘の地金ぢがねが曲つては困ります。』といふ騒ぎ。
 それなら幸ひの大森鬘、これならこはれても好からうといふので、寄つてたかつて押冠せたが、その為に幕明きが十分ばかり延びたのは、見物こそ好い災難。
 庄屋の紅葉が『今夜の盆踊には領主の龍造寺殿が、忍び姿で見物に来られて、気に入つた娘が有つたら寵妾おめかけにせられるとやら。』と筋を売つて行く。
 下男の思案は『此事を主人に知らせよう。』と奥に入るべく、中央の暖簾口のれんぐちに掛つたので、此時後見こうけんの役に廻つてゐた自分は、ビツクリした。
 何故といふに、暖簾口のれんぐちも、暖簾も、皆書割りなので、そこから出入りは無い事に成つてゐるのだが、近眼の思案はそれが分らず。平気で進んで、頭で暖簾を掻き分け様としたが、それは絵だから忽ちコツン。大頭に無理に嵌めた大森鬘は、アツといふ間に転げ落ちた。
 鯨波ときの声を揚げて見物は喜んだ。
 小波の娘役は美しかつたが、何分手先を袖口の中に殺す事を知らない為、ニユツと両手を出してゐて、あまり好い格好ではなかつたが、さほどの悪落わるおちも来ず。盆踊の人寄せの太鼓の音を聞いて、キツと成り。
『アリヤあれ踊の、人寄せなるか。』と男子にかへつて立上り。
『処もちやうど与加よかの馬場。父のかたきを。』といふを、清三郎(虚心)が受けて「打つ、太鼓」と極まる。『イデヤ踊へ。』二人一緒に『急ぎ申さむ。』そんな風で幕は、大喝采。
 四幕目は楽屋総出で盆踊。チンチン、テンレン、トツチンシヤン、と大分練習は積んでゐた。自分は狂言方兼後見で忙しかつたが、矢張り踊り子の中に入つて踊つてゐた。
 先頭は庄屋の紅葉、それから下男の思案、眉山、九華、錦簔、露紫、虚心、柳蔭、いづれも夢中で踊り抜いた。
 処が、此踊の中途で、例の薬剤師が、其頃は珍らしかつた電気花火を燃やして、電光を見せる。それをキツカケに夕立の鳴物といふ約束で有つたのだ。
 薬剤師の翁屋は又『僕には、いつ燃して好いか分らないから、好い加減の処で声を掛けてくれ。』と自分に依頼した。
 それで自分は、もう好い頃だと、藪畳の中に隠れてゐる翁屋に向つて、いくら合図をしても少しも聞えない。それも其筈で、翁屋はツンボなので有つた。
 踊り子の方は、好い心持に成つて、いつまでも/\踊つてゐる。紅葉それに気が着いて。『夕立だい夕立だい。』と呼はりながら、先きに立つて下手へ逃げ込んだので、ヤツと盆踊は片づいた。
 此所へ龍造寺山城守(漁山)が深編笠で出来り。『俄かの雨に雨具もなく。』とか何んとか独白がある。そこへ娘姿の宗虎丸(小波)が手拭を冠つて出来り、トヾ娘姿を引抜くと、鎖り帷衣に白装束、親の敵討の立廻りよろしく、一刀に龍造寺を切付けると、血だらけに成つて大苦しみをするといふ処。
 漁山は此所を自己の見せ場だとして、グツと足を割つて、手では、くうをつかみ出したが、其の時あまりに前を拡げ過ぎたので、異な物が見え出したとやらで、見物はドツと笑ひ出した。
 小波は之に気が着いて、急いで漁山を打倒さうとしたが、漁山は夢中で『未だ/\。』と云つてナカナカ死なぬ。それを清三郎の虚心が加勢して、二人でヤツと倒したのだが、後で漁山こぼすまい事か。『医学上から見た死に方を研究して実地に見せてゐる処を、あんなに早く殺されては、自分の立場が無く成る。人といふ者は、然う簡単にイキを引取るものぢやアない。』この人は医科大学の学生なので有つた。
 それから、小波は龍造寺の首を切つて、雨後の月に照らして、述懐のセリフに成るので、後見役たる自分は小道具の首を出さうとして、ハツと思つた。それは坊主の首なのだ。鬘を冠せるのが間に合はなかつたのだ。
 えんでん鬘で今殺されたばかりの者の首が、倒れると忽ち坊主では、どうにも斯うにも成らぬので有つた。
 小波も之には途方に暮れたが、そこは当意即妙で、袖で首を包んで、どうやら見物には分らせなかつた。
 大切の『八才子』で、紅葉が紺足袋で出て、途中で気が着いて、脱いだので、悪落の来た話や。小道具の刀が折れて損害を請求されて、大百鬘を冠つたまゝ、その談判の衝に当つたなどは、既に魯庵の『思ひ出す人々』や、自分も他に書き記してあるので、茲には略す。
 以上が硯友社劇の第一回で、その二回、三回と、似たり寄たりの滑稽を演じたが、それはあまりに長くなるので、此辺で筆を擱く。
(大正十五年十一月特記)





底本:「明治文学遊学案内」筑摩書房
   2000(平成12)年8月25日初版第1刷発行
底本の親本:「硯友社と紅葉」改造社
   1927(昭和2)年
入力:川山隆
校正:noriko saito
2015年3月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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