梨の実

小山内薫




 私がまだむっつかななつの時分でした。
 ある日、近所の天神てんじんさまにお祭があるので、私は乳母ばあやをせびって、一緒にそこへ連れて行ってもらいました。
 天神様の境内は大層たいそうな人出でした。飴屋あめやが出ています。つぼ焼屋が出ています。切傷のなお膏薬こうやくを売っている店があります。見世物みせものには猿芝居さるしばい山雀やまがらの曲芸、ろくろ首、山男、地獄極楽のからくりなどという、もうこの頃ではたんと見られないものが軒をならべて出ていました。
 私は乳母に手を引かれて、あっちこっちと見て歩く内に、ふと社の裏手の明き地に大勢人が集まっているのを見つけました。
 そばへ寄って見ると、そこには小屋掛こやがけもしなければ、日除ひよけもしてないで、ただ野天のてん平地ひらちに親子らしいおじいさんと男の子が立っていて、それが大勢の見物に取り巻かれているのです。
 私は前に大人おとなが大勢立っているので、よく見えません。そこで、乳母の背中におぶさりました。すると、そのお爺さんのしゃべっている事がよく聞えて来ました。
「ええ。お立ち合いの皆々様。わたくしは皆様方のお望みになる事なら、どんな事でもして御覧に入れます。大江山おおえやまの鬼が食べたいとおっしゃる方があるなら、大江山の鬼を酢味噌すみそにして差し上げます。足柄山あしがらやまくまがお入用いりようだとあれば、ぐここで足柄山の熊をおわんにして差し上げます……」
 すると見物の一人が、大きな声でこうどなりました。
「そんならじじい、梨の実を取って来い。」
 ところが、その時は冬で、地面の上には二三日前に降った雪が、まだ方々に白く残っているというような時でしたから、爺さんはひどく困ったような顔をしました。この冬の真最中まっさいちゅうに梨の実を取って来いと言われるのは、大江山の鬼の酢味噌が食べたいと言われるより、足柄山の熊のお椀が吸いたいと言われるよりつらいというような顔つきをしました。
 爺さんはしばらく口の中で、何かぶつぶつ言ってるようでしたが、やがて何か考えが浮んだように、にわかにニコニコとして、こう申しました。
「ええ。かしこまりました。だが、この寒空さむぞらにこの土地で梨の実を手に入れる事は出来ません。しかし、わたくしは今梨の実の沢山になっているところを知っています。それは」
と空を指さしまして、
「あの天国のお庭でございます。ああ、これから天国のお庭の梨の実を盗んで参りますから、どうぞお目留められて御一覧を願います。」
 爺さんはそう言いながら、そばに置いてある箱から長い綱の大きな玉になったのを取り出しました。それから、その玉をほどくと、綱の一つのはじを持って、それをいきおいよく空へ投げ上げました。
 すると、投げ上げた網の上の方でかぎか何かに引っかかりでもしたように、もう下へ降りて来ないのです。それどころではありません。爺さんが綱の玉を段々にほごすと、綱はするするするするとだんだん空の方へ、ぐられでもするように、上がって行くのです。とうとう綱の先の方は、雲の中へ隠れて、見えなくなってしまいました。
 もうあといくらも綱が手許てもとに残っていなくなると、爺さんはいきなりそれで子供のからだしばりつけました。
 そして、こう言いました。
「坊主。行って来い。おれが行くといのだが、俺はちと重過ぎる。ちっとのの辛抱だ。行って来い。行って梨の実を盗んで来い。」
 すると、子供が泣きながら、こう言いました。
「お爺さん。御免よ。し綱が切れて高い所から落っこちると、あたい死んじまうよ。よう。後生だから勘弁してお呉れよ。」
 いくら子供がこう言っても、爺さんは聞きませんでした。そうして、ただ早くしろ早くしろと子供をせッつくばかりでした。
 子供は為方しかたなしに、泣く泣く空から下がっている綱を猿のように登り始めました。子供の姿は段々高くなると一緒に段々小さくなりました。とうとう雲の中に隠れてしまいました。
 みんなは口を明いて、あきれたように空の方を見ていました。
 そうすると、やがて不意に、大きな梨の実が落ちて来ました。それはそれは今までに見た事もないような大きな梨の実でした。西瓜すいかぐらい大きな梨の実でした。
 すると、爺さんはニコニコしながら、それを拾って、自分のそばに立っている見物の一人に、おいしいから食べて御覧なさいと言いました。
 途端とたんに、空から長い網がするすると落ちて来ました。それが、見ているに、するするするすると落ちて来て、たちまち爺さんの目の前に山のようになってしまいました。
 すると爺さんが青くなって叫びました。
「さあ、大変だ。孫はどうしたのでございましょう。孫はどうして降りて来るのでございましょう」
 そう言ってる途端に、どしんという音がして何か空からおっこって来ました。
 それは子供の頭でした。
「わあ、大変だ。孫はきっと天国で梨の実を盗んでるところを庭師につかまって、首をられたに違いない。ああ、わしはどうして孫をあんな恐ろしい所へったんだろう。なぜ、皆様方は梨の実が欲しいなどと無理な事をおっしゃったのです。可哀かわいそうに、わたくしのたった一人の孫は、こんなむごたらしい姿になってしまいました。ああ、可哀そうに。可哀そうに。」
 爺さんはこう言って、わあわあ泣きながら、子供の首を抱きしめました。
 そうしてる内に、手が両方ばらばらになって落ちて来ました。右の足と左の足とが別々に落ちて来ました。最後に子供の胴が、どしんとばかり空から落っこって来ました。
 私はもう初め首の落っこって来た時から、こわくて恐くてぶるぶるふるえていました。
 大勢の見物もみんな顔色をうしなって、だれ一人口をく者がないのです。
 爺さんは泣きながら、手や足や胴中を集めて、それを箱の中へしまいました。そして、最後に、子供の頭をその中へ入れました。それから、見物の方を向くと、こう言いました。
「これはわたくしのたった一人の孫でございます。わたくしは何処どこへ参るにも、これを連れて歩きましたが、もうきょうからわたくしは一人になってしまいました。
 もうこの商売もめでございます。これから孫のともらいをして、わたくしは山へでも這入はいってしまいます。お立ち会いの皆々様。孫はあなた方の御注文遊ばした梨の実のために命を終えたのでございます。どうぞともらいの費用を多少なりともお恵み下さいまし。」
 これを聞くと、見物の女達は一度にわっと泣き出しました。
 爺さんは両手を前へ出して、見物の一人一人ひとりびとりからお金をもらって歩きました。
 大抵たいていな人は財布さいふの底をはたいて、それを爺さんの手にのせてりました。私の乳母ばあや巾着きんちゃくにあるだけのお金をみんな遣ってしまいました。
 爺さんは金をすっかり集めてしまうと、さっきの箱のそばへ行って、その上を二つ三つコンコンとたたきました。
「坊主。坊主。早く出て来て、お客様方にお礼を申し上げないか。」
 爺さんがこう言いますと、箱の中でコトンという音がしました。
 すると、箱のふたがひとりでにヒョイと明いて中から子供が飛出しました。首も手も足もちゃんとついていて、怪我けが一つしていない子供が、ニコニコ笑いながら、みんなの前に立ちました。
 やがて、子供と爺さんは箱と綱をかついで、いそいそと人込ひとごみの中へ隠れて行ってしまいました。





底本:「赤い鳥傑作集」新潮文庫、新潮社
   1955(昭和30)年6月25日発行
   1974(昭和49)年9月10日29刷改版
   1989(平成元)年10月15日48刷
底本の親本:「赤い鳥」10月号
   1918(大正7)年10月
入力:林 幸雄
校正:本山智子
2001年5月1日公開
2005年9月25日修正
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