兇徒嘯聚の疑獄起る
二月十三日、利根の河畔に於ける足尾鉱毒被害民と憲兵警官との衝突を報道せんことは、余が此の旅行の主たる目的には非ざりしなり。
直接に中央政府に向て請願せんと企てたる彼等二千五百の鉱毒被害民は、憲兵警官の為めに解散せられたり。而して之と同時に彼等人民は「兇徒
十五日、栃木県足利郡久野村の村長稲村與一、室田忠七、設楽常八、群馬県

十六日、前橋地方裁判所の嘱託を受けたる各地管轄の区裁判所判事は
警官の挙動
此の疑獄に向て余は
利根河畔に於て警官が抜剣したりや否やは、是れ被害民の動作と相関聯する問題にして、警官は其の機を得て抜剣すべき権力ある者、余は之を以て今回の活劇に於ける大問題とは思はざるなり。否な思はざるに非ず。去れど被害民の発程事情、利根河畔の衝突の事情に就て暫く沈黙を守らんと欲する余は勢ひ之を詳記せざるべきなり。余は勿論其活劇の場所に立会へる者に非ず。而して館林警察署長は断じて抜剣の動作なしと明言せり。去れど余は被害人民の多くより警官の中抜剣したる者を見たりと訴ふるを聴けり。只だ余は警官等が抜剣の事なからん為めに、
解散後警官の挙動
然れ共被害民一行解散後に於ける警官の動作は、注意せざるべからず。是れ警察の威厳と信用とに関する重要問題なればなり。
利根河畔なる衝突現場に於ける警官の殴打は治安保護上の必要なりと弁解することを得ん。去れど解散後に於ける殴打は何の辞を以て、之を弁護せんと欲する乎。
逃ぐる敵を逐ふは戦場に於ける勇者の恥辱なり、
一、帰途の乱打 余は当日の請願一行に加はりたる多くの被害民に会見せり。彼等の言語は互に異れ共其の意は則ち一なり。曰く利根河畔より解散せられて、帰途に就くや、多くの警官は追尾し来れり。而して彼等警官は些の事情もあらざるに、或は被害民を罵詈し、或は之を突きやり、甚しきは帯剣もて之を乱打せりと。今ま余が親しく聞き得たる所の一二を記るさんに、栃木県足利郡筑波村なる或る老人をば巡査五人して或は手を取り、或は足を取り之を路傍の水中に投じたり。かの老人は同村なる磯定吉なる者の衣類を借りて僅かに逃れたり。又た吾妻村字下羽田なる遠藤次郎なる者は巡査の為めに其両眼へ泥土を塗られたり。此他或は路傍に休みて撃たれたるあり、口内へ土砂を押し入れたるあり。而して此の一行に加はらざりし父老等は之を伝聞して、一人の起ちて此の暴戻なる警官に反抗防衛する者あらざりし事の、意気地なきを憤慨せり。余は余りに彼等が言ふ所の一致するを看て、之を群馬、栃木、埼玉等此の件に関かれる県下警察の為めに、痛惜せずんばあらず。
一、飲食の妨害 被害民等が解散後、館林附近の酒店或は飲食店等に立ち寄りて、其口腹を満たさんとするや、警官は則ち立ち入りて之を引き出だし、店主に対しては其の代金は警察署へ請求すべしと言へり。而して彼等店主は其夜、館林警察署へ出頭して時ならぬ混雑を
一、警官の「万歳」 此の奇怪なる報道を
一、雲龍寺の暴行 館林警察署長は巡査を引率して、再び雲龍寺に来れり。雲龍寺とは、鉱毒被害民の事務所となせる所にして、渡良瀬村字早川田に在り、栃木県の被害民等は帰途また此の事務所に立ち寄れるもありき。之を見るや彼等警官は腕力を以て人民を引き出だし、之に加ふるに乱打を以てせり。彼等人民は
此の数者は警察官たるべき者が正当に
而して事は、解散前に掛れりと雖も、問題の警察に関するが為めに、
人民等は曰く、然らず、警官は署前に擁して、野口を拘致せり、故に我等は其不法を責めて之を回復したりなりと。事実の確否は疑獄に関聯するが故に暫く之を
被害民の今後
鉱毒被害民が今後の動静如何、是れ差当りての問題なり。彼等の側面より観る時は、彼等は鎮圧されたるなり。鎮圧は平穏の徴候に非ずして、却て激昂の
看よ、栃木県足利郡筑波村に於ては、既に断然村役場を閉鎖せり。未だ閉鎖に及ばずと雖も此の最後の手段に出でんと欲する者、尚ほ多し。彼等被害民は国家の恩沢と、国法の保護とは、己等の上に輝かざる者と憤懣し居るなり。彼等は両々、三々頭を
余は彼等野人の口より此の真率沈痛の語を聴きて
政府に警告す
足尾鉱毒事件が始めて衆議院の議場に披露せられたるは明治二十四年に在り。爾来十星霜、而して彼等被害民の意思と行為とは転一転毎に其度を高かめて、今は鉱業停止の一天張りとはなれり。世人の被害民に同情を寄する者決して尠なしとせず。而して彼等の同情も「鉱業停止」の叫声に接して躊躇逡巡するが如し。余は今ま鉱業停止問題の是非を論ずるに非ず。然れ共彼等も最初より鉱業停止を号叫したるに非ず。而して彼等をして、此の最後の声を発せざるべからざらしめたるに就ては、政府また其責任の半分を負担せざるべからず。看よ、政府は最初鉱毒有無の証迹明了ならずとの故を以て、之を避けたり。専門家の試験を経て、鉱毒の事明かなるに及びて、政府は其の害毒の程度に疑点を置きて、之を避けたり。而して此の間政府は陰然、鉱業家と被害民との中に立ちて私的示談に一任し、自ら其責任を避けんと欲したりき。若し被害地人民の一揆的運動と、田中正造氏の熱心となかりしならんには、三十年憲政党内閣の除害工事命令と被害地免租の処分とは決して現出せざりしことを信ずるなり。往時を追懐すれば、被害民が時に常識以外の言動に出づるに及べる者は政府の不信切は正に其の主要なる原因と言はざるべからず。
余は「鉱毒問題」の根本的解釈を得ることの一日も早く来らんことを望まざるべからず。未だ根本的解釈を得るに及ばずして、

余は鉱毒地人民に就て多く其の談話を聞きたり。また婦人等の感情をも之を聞きたり。而して彼等は皆な最後に余に向て訴へて曰く「政府は己等を如何になさんとの御思召にや」と。アヽ余は不幸にして政府の意志を知らざるなり。故に余は彼等の哀訴に向て一言半語の満足をだに与ふる能はざるを悲まずんばあらず。然れ共余は今ま幸に彼等人民の情態と意志と希望とを
地方官吏の誤解
中央政府は地方官吏の口と手とを通じて、僅かに鉱毒被害民の事情を知るに過ぎざるなり。而して之を中央に伝達する地方官吏にして、彼等人民を誤解し居るに至ては、中央当局者
余は鉱毒被害地の惨状を聞くに熟せり。去れど足一とたび其の地を踏むに及びて其の惨状の寧ろ伝聞に勝れる者あるを感じたり。余は既往に於て被害民の数


故に地方官吏の直に彼等人民に接する者は、深く之に同情を表せざるべからず。然れ共試みに来りて彼等吏員と会談せよ、余は其の必ず彼等の冷淡なる口気に驚くべきを信ずるなり。
彼等吏員の多くは被害民の哀訴歎願を以て、一個虚偽の行為と解釈するが如し。只だ二三
連合上京と言へることが兇徒聚集に値するや、将た今回彼等人民の行為が触法なりや否やは余が元より言ふべき所に非ず。余は既に前掲の事実に依りて、彼等人民の解散後に処したる警官の非行を知れり。而して余は

被害地民の意思
中央政府諸君の観察は余の知らざる所なりと雖も諸君幸に安心せよ。彼等被害地人民は共和政体を新設せんと欲するに非ず。諸君の椅子を奪はんと欲するに非ず。彼等は只だ自己一身の利害の為めに、諸君に向て救済の道を哀求するに過ぎざるなり。
三十年前に於ける鉱毒の劇甚なりし事は、最早や誰人も疑はざる所なり。三十年に於ける除害工事の命令に依つて之を
余は彼等人民に接し、専制政治に慣れたる国民の如何に深く政府を尊重するかを知れり。若し夫れ鉱業より生ずる害毒に向て、是れが条理を明かにし、誠心以て之に臨まば、意外に円滑なる終局を告げて、却て民心を満足するに至らんも知るべからず。只だ政府此の道に出でず、彼等に対する

(明治三十三年二月十九日)