足守川にかゝつて居る葵橋を渡る頃は秋晴の太陽が豐年の田圃に暗く照つて居た。八幡樣の山では松の木立の下に雜木がほのかに黄ばんで櫨の木の紅葉の深紅なのが一本美しく日に透いて居るのが長閑に見えた。河原には、未だ枯れぬ秋の草が野菊交り、色の褪せた死人花交りに未だ青く殘つて居て、親馬についた子馬が其の草を食つて居た。澄んだ細い流れは、日を受けてその間に光つて居た。
隱亡の住んで居る部落を過ぎて山路にかゝる頃から日が曇つた。振りかへると、茂つた宮路山の後の、處々禿げた大きな山の上一帶が何時の間にか暗い灰色になつて、自分たちを威嚇して居る。宮路山から足守の町にかけてはうすい霧とも云へぬ程の水蒸氣がぼうつと下つて居る。
「天氣は大丈夫かしら」と自分は後に續いて來る今日の案内の爺さんにきいた。
「御心配なさいますな。大丈夫でござんす」と答があつた。其處で自分たちはすゝんだ。
自分たちは十六人で今日妙見山へ茸狩に行くのだ。十六人の中には、妻も妹も姉も弟も、妹の友達も瓢箪を赤い紐で肩にかけた老人も辨當や果物の籠や土瓶を天秤で擔いた下男も居る。
山の傾斜をポプラーの苗が植ゑてある處迄來ると濕氣を帶びた風が一行の頭の上を追ひ越して行く手の木立に鳴り騷いだ。山の木は皆その白い葉裏を飜へして風を迎へた。先刻向うの山に見えた蒸氣は谷を渡つて今此の山を上るらしい。それでも里からはもう可なり上つて來たのだし、經驗に富んでる筈の山に詳しいお爺さんが大丈夫と云ふて居るから、今に晴れるだらうと思つて猶上つた。
かなり大きな池の縁を通つた。冷かな風は池の面を渡つて岸の雜木に吹いて居る。それに山に入つては秋が早く其處らには春紫の花をつける躑躅が逸早く紅葉して小松と共に雜木の間に交つて居る。一寸山の湖を思はせる風物である。
此處から一しきり槇の木の山にかゝると、雨は遂に顏にあたつた。時雨の雲は山を襲つて自分たちをこめたのである。併し出迎へた山番が松茸のある所がもう近いと云ふので雨宿りにと大木の下にも休まなかつた。槇の林から松の林、山は次第に急になつた。
女連の白い足袋や赤い八つ口が松の木の間にチラ/\して、白い灰色の土の山の、道のない處を上つて行くのが、下から行く自分になつかしく見上げられる。雨は襟に冷りと當り、着物に點を打つたけれど此時已に自分たちは松蕈を見出したから、氣にはならなかつた。何にしろ自分は松蕈が地面に生えて居るのを見たのは始めてだから珍らしい。
蕈は松の根の、こぼれ松葉の下の灰色の土を擡げて、茶色の頭を揃へてしら/″\しくも默つて居る。隱れん坊をして此處なら大丈夫と隱れて居る子供が、搜し出されたやうな顏をして居る。
「ア此處にもあります」「此處にあつた」銘々思ひ/\に腰をかゞめて取り始めた。未だ小さくて繭のやうなのもあつたが、片つ端から取つて、土から僅に出て居る笠の下を指で押して搖ると氣持よく拔ける。跡へ穴が開く。あの地味ないゝ蕈の匂ひが顏の前に漂ふ。さうして少しためては、山番が持つて居る竹の籠に入れる。
無い處にはちつともない。ある所には列をなしてある。自分たちは松の間の土をあさりながら山を上つて行つた。女連も雨のかゝるのは忘れて居る。松が疎らに自分達が雜木の枝の露に裾を濡らしてうすら寒く感じた頃は山番の小屋に出て居た。方々に分れて上つて居た一行はこゝで一緒になつた。其處は山の頂きになつて居た。小屋は藁を斜に葺いたゞけで、下に火をたき土瓶をかけ、茣蓙の上に夜具が置いてある。山番は蕈の盜人を見張る爲に夜も此處へ泊るのだと云ふ。
手は冷くなつて指は土だらけになつて居る。羽織が欲しい。皆山番の火にあたる。雨は一寸やんだが水蒸氣は森の間をさ迷つて居る。深い竹の籠は二つ一杯になつて居る。
「此奴は大きい」「いゝ匂ひ」自分たちは籠の中の蕈を取上げて匂つたり、各

「こねえなのは未だ大きうなりますんぢや。これが皆大きうなつたら今籠に一杯あるのが一杯半にもなりませうぜえ」と云つて、餘り小さいのを殘して置いた方がよいと云ふ。
此の山番の小屋は蕈のある處の中心らしい。小屋のすぐ傍にも澤山蕈の群がかたまつて居る。それでその近所を少し搜したが併し今度はもう少し黒人になつて、大きいの許りと心がけて、小さいのは殘してやつて大きくなる日を待つ事にした。籠は三つになつた。
龍王山の頂で辨當を開く事として、茂みを分けて峰を傳つた。此の頃から雲が山を過ぎたと見えて、日が洩れかけた。
龍王山の頂に着く時分は秋天再び晴れて櫨紅葉や躑躅の紅葉や草紅葉が、午後の日を幸福らしく受け取つて居た。
龍王山は足守の町から見える近所の山では一番高い山である。町の東端から黄色い田圃が段々高くなつて、雜木林になつて、繁茂した松林になつた一番上に、五六本の松がかたまつて



足守の町へ入るのは何だかその懷に入るやうな氣持がする。此の頂の松は此の平和な谷の番人であるやうな氣持がする。自分が生れてから五歳で此の故郷の町を後にした時迄、此の龍王山の松は始終自分を見下して居て呉れた。さうしてその後十八歳の時迄故郷に歸らなかつた長い間にも、うすれて行く故郷の思ひ出の中に、此の松は殘つて居た。それから四度の歸國にも
其の松の根に腰を掛けて、妻と弟と妹と他の人たちと下男の肩から下した辨當を開いた。胡麻鹽の握飯、椎茸、高野豆腐、海老、竹輪、菎蒻の煮しめが皆の前へ配られた。何れもうまい。土瓶の茶は枯枝を焚いて暖められた。瓢箪の酒が盃につがれた。遊山と云ふ氣分を殆んど始めて充分に味ふ事が出來たのを悦んだ。
目を放つと見渡す限りの平野は田圃で、田圃は悉く黄色な稻である。田圃を限るのは山である。岡山の方の山、鬼の釜のある
之から急な龍王山の松林の中を下る。足場を極めては歩を進め松の幹につかまり、低い木を捕へて下る。それでも勾配が急で折々は辷る。況して女連は杖を片手に一生懸命に下りて來るのが、可愛らしく見える。
此の山には蕈は割に少い。それでも山番が指す所で、五六斤は取れた。而して四方皆赤い松の幹許りの間をひたすら下つたら松の林が盡きた。
此の邊雜木や草の紅葉に交つて、赤い小さい實のなつて居る木が生えて居る。妻や妹はその枝を折つた。下男は松の小枝を截つて、その青い葉で香を放つ蕈を上から蔽つた。さうして此處で皆草の山に埋つて休んだ。午後の日は斜めに森の中にさし込んで、自分たちの上にそゝいだ。頭から顏から背から、暖いものが
暫くたつて、此の處を出かけると程なく森の中に墓のある處へ來た。もう里へ下りたと思つたら、急に森を出て、あかるいコスモスの咲いてる百姓家の背戸へ出た。コスモスは此の邊の田舍迄行き渡つて居る。
もう此處から足守の町は近い。再び田圃の中を通つて葵橋を渡つて自家へ歸つて湯に入つて、東京の親類や知人へ送る爲に松蕈の包を作つた。