三次の鵜飼

中村憲吉




 山陽、山陰両道の河川は殆ど何れもが中国山脈を分水嶺として、瀬戸内海と日本海とに注いでゐるのにひとり両道第一の長流江の川のみは、その源を山陽道に発し且つその流程の半はこれを通過しながら、下は遠く山陰に入り日本海に流れ去つてゐる。備後の北部が安芸国と境を接し、それに雲石二州の国境が相迫らうとするところに広袤方約二里のいはゆる三次盆地がひらけてゐて、江の川五十余里の水源の大部分は、ここに会する吉田、馬洗ばせん、西城、神瀬かんなせの四大川によつて涵養されるのである。しかも江の川が石州に入つて流れる廿五里は、全然大谿谷中の流程であるから、河川としての灌田牧水の用は、この上流地域で尽されてゐるわけである。従つて自余は古くから舟楫の便を日本海へ通じてゐるほかは春北風の潮風をこの奥地に迎へ、秋にこの閑郷の錦葉を日本海の波へ送るに過ぎない。ただ季節が夏に向ふときにはこの河の支流といふ支流にはその細渓に至るまで河口から無数の香魚が遡つてその清躯を岩瀬に躍らし、この河一帯の地に活境が俄にひらかれる。この盆地もと三峡川一処に会するが故に、(一川神瀬かんなせはやや下流において合する)郷土の騒人はひそかに支那四川省巴東三峡に擬して、いはゆる三巴または巴峡と呼んでゐるが、夏日は白雲豊かに立ち騰つて翠巒は四囲を環擁しその中には天正年間以来の古衛があつて、街路に立てば郭外の灘声を聞くことが出来る。この嵐気とこの香魚と、殊に香魚の漁猟は、この地に古くより伝来する鵜飼によつて一層の興を助くるから、山間三次の行楽は正に夏において極まるといつてよい。鵜飼の三次に行はれた起源は詳かにしないが、口碑によれば、天文永禄のころ毛利氏に亡された尼子浪人が、この地の磧洲に伏屋を結び、活計をたてたのに始まるといひ、当時夜そこからは細燈が漏れ、慈老鳥の啼き声しばしば市人の哀愁をひいたと伝へられる。

 私がこの山国の町の夜川に鵜飼を試みるのは幾年振りであらう。永年の都住まひを引上げ、物寂しい峡村に帰つて間もない七月のはじめのことである。私等夫妻は不意に老母を奉じて西遊した百穂画伯を、この山間の町に一夜の客として迎へ、偶然にして久振りの鵜飼の清興を、この遠来の友の家族と共にするを得た。
 鵜飼はいふまでもなく日没を待つて行はれる。私共が客船に乗つた場所は、昔覚えのある町外れの河岸である。町の後から比熊山の古城址が頭上に迫つてもう大分暗い。峡の空には淡い星も見える。夕闇の漂ふ河の向うの磧では焚火をしてゐる人が五六人、鵜舟が四艘つないである。これは我々の傭つた鵜舟ではなく、我々のは舟中の食啖に上すべき香魚を獲て、やがて上流から下つて来るはずである。暮色の深い山際の上瀬から玉を転がすやうな河鹿が啼いてくる。新蛍が水を照して現れだした。河の水気を含んだ風が漸次肌に涼冷になつて来る。元来かかるうちに鵜舟の麻炬の火が上流の山際赤く焦しながら出てくるのであるが、私の予想がさういふ光景に繋つてゐるときに、向岸の四艘の鵜舟は思ひがけないアセチリン燈を点じた。私は何時この地の鵜舟の麻炬がこの新燈に代つたかを、驚きかつ怪しんだ。新燈は或は水中の魚※(「慈」の「心」に代えて「鳥」、第4水準2-94-30)の動作を明照して便宜なかも知れないが、その白布のきぬがさおほはれた光はなまめかしく余りに現代的で、麻炬の火が花を散らしながら煙を含んで赤濁し、闇夜の水上に異鳥を駆使して魚族を捕ふる鵜人の姿を照し出す怪美には若かない。
 四艘はすでに下つて河は再び暗く静かになる。その間に舟人等は磧に下りて提燈のあかりで渚の石を探りながら二三十疋の河鹿を捕へて帰つて来た。川上が明るくなる。私等の雇つた鵜舟が下るのである。夜の驚波に投ずる燈火あかり、腰蓑を濡した鵜師の休みなき動作、敏捷すばしこく潜つては浮く水鳥の影、或は水上に胸を浮べるもの、その高く銜へた嘴には魚がをどり、或は舟に上つて濡羽を震ふもの、それは怪声を発しながら呑捕した魚を吐かされてゐる。鵜師の綱は縦横に動いて、その間には疲れた水禽みづとりを励ますために、棹を取つて強くふなばたを撃つ音が両岸の山に響いて凄気を誘ふ。私達は鵜師のとらした新鮮な香魚に酒盃を含みながら、この鵜舟の火に従うて下つた。昔日の如くに炬火の残烟が暗中幾多の湍瀬に揺曳する詩趣はないが、舟は峡を出ると両岸ひらけ三次町の紅燈を波に映す河に入つた。私等の鵜飼の夜は将に終りに近づくのである。

 私は三次鵜飼に麻炬の廃せられたことを甚だ悲しむ。もと天下の長良川の鵜舟に比して、この地の鵜飼を私が窃かに誇つてゐたのも、この野趣あるがゆゑであつた。然るに両三年前これが廃つてから今日ではその真趣を語るものに、文政の世に作られた頼杏坪先生の漢詩一聯のほか残るものが無くなつた。
 今でも雇つた鵜舟は一夜の香魚の漁獲を挙げてその客に致すほどに素朴であるが、しかし近年の種々な経済変遷は、この生業をも圧迫した。下流に設置された発電所のために魚道阻まれ、この地の漁猟は三分の一に減じたといふ。趣ある麻炬も焚くを得なくなつた。今にして施すところなくば、たとへこの上流数十万の生民の食膳から香魚の影の奪はれることはなくとも、数百年の歴史を有する三次鵜飼は遂に廃れぬとも限らぬ。偶々郷国に帰住し、私はここにも同じく近代物質文明に破壊せられる郷土詩美ある歎を見た。





底本:「ふるさと文学館 第四〇巻 【広島】」ぎょうせい
   1994(平成6)年2月15日初版発行
底本の親本:「中村憲吉全集 2」岩波書店
   1937(昭和12)年
初出:「大阪朝日新聞」
   1926(大正15)年8月3日
入力:岡村和彦
校正:noriko saito
2017年3月11日作成
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