うづみ火

長谷川時雨




 兩國といへばにぎわしきところと聞ゆれどこゝ二洲橋畔けうはんのやゝ上手かみて御藏みくら橋近く、一代のとみひろき庭廣き家々もみちこほるゝ富人ふうじんの構えと、昔のおもかげ殘る武家の邸つゞきとの片側町かたかはまち、時折車の音の聞ゆるばかり、春は囘向院えかうゐん角力すまふの太鼓夢の中にきいて、夏は富士筑波つくばの水彩畫をてんねむの後景として、見あかぬ住居すまゐさりとて向島根岸の如き不自由はなく、娘がのぞみかなひ、かの殿の内君とならば向河岸に隱宅いんたくてゝとのぞむは、あながち河向ひの唄女うたひめらが母親達のみの夢想にもあらぬぞかし。
 洗出あらひだしの木目のたつた高からぬ塀にかゝりて、さかりはさぞと思はるゝ櫻の大木、枝ふりといゝ物好な一構ひとかまへ、門の折戸片々いつも内より開かれて、づうと玄關迄御影の敷石、椽無ゑんなしの二枚障子いつも白う、苔井こけゐのきわの柿の木に唯一ツ、ひかる程じゆくした實の重さうに見へる、右の方は萩垣はぎかきにしきりて茶庭ら敷折々琴の昔のもるゝもゆかし。
 安井別宅との門札もんさつ、扨は本町のかど通掛りの人もうなづく物持ものもち、家督は子息にゆづりて此處には半日の頃もふけし末娘、名さへ愛とよぶのと二人先代よりの持傳もちつたへ家藏はおろか、近頃手に入し無比の珍品、名畫も此娘これの爲には者數ものかずならぬ秘藏、生附うまれつきとはいへおとなしすぎるとは學校に通ひし頃も、今ことの稽古にても、近所の娘が小言の引合は何時も此家こちらの御孃樣との噂聞に附、尚々父親の不憫ふびんますなるべし。
 いつもはお庭に松葉まつばもはいる時分秋頃から御隱居樣のはさみの音も聞えず、どうかなされた事かと拾八九の赤ら顏紫めりんすと黒の片側帶氣にしつゝめづらしくくるまたのみに來たお三をつかまえて口も八町手も八町走るさすが車屋の女房の立咄たちばなし、どうして/\御庭いぢり所か御本宅にては御取込で御目出度けれど、此方樣こちらさまでは秋からかけて孃樣の御病氣、御隱居樣の御心配それは/\實に御氣おきの毒でならぬ、今年は菊もよく出來たけれど御客も遊ばさぬ位、御茶おちやの會御道具の會、隨分忙敷時せはしいときなれどまるで、火が消たやう、私らも樂すぎて勿體無早く全快おなをりあそばすやうにと祈つてはをるけれ共、段々御やつれなされてと常にも似ずしほるゝに、それは/\知ぬ事とて御見舞もせなむだがさぞまあ旦那樣だんなさまは御心配、御可哀想に早く御全快おさせもふしたい、そして又御本宅の御取込とは御噂の有た奧樣の御妹子が御方附になるの、彼宅あちらは御目出度事さぞ此宅の旦那樣もどんなにか御うらやましいだろふねとの同情、ほむに御隱居樣も御出掛遊ばすのであつた、いそいで御頼申升よ御藥取に※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)らねばとかけ行に、女房も無言で塵除ちりよけはづして金紋の車念入に拂、あづかりの前掛てうちん取揃とりそろえれば亭主の仕度も出來ぬ、今迄は無沙汰したのが面目無めんもくない何と御見舞言たものやらと、獨言引出したとたんがら/\と淺草の市歸いちかへりか勢よく五六臺、前後して通ぬけぬ。
 風はさむいが好天氣淺草の觀音の市も大當おほあたり、川蒸汽の汽笛もたえずひゞく、年の暮近し世間は何となくざわめきて今日はいぬの日、明日はねの日とりの日、扨も嫁入ざたの多事おゝいこと今宵本宅の嫁の妹折枝をりえとて廿を一越た此間迄寄宿舍そだち、早くから姉夫婦に引取れて居たので、本家の娘として此處の孫としての嫁入、進まぬながら是も義理と、ひる前に隱居も古銅こどうの花瓶と、二幅對の箱と合乘でゆかれたあと入替いりかはりに、昨日花屋から來た松の枝小僧が取にくる、御上おうへぶんしたの分とわけた御膳籠ごぜんかごもは入附添の手代より目録もそれ/\行渡り役目すめば御祝酒の※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りて女子供おなこどもにざれかゝり大聲立て、ばあやにゝらまれこそ/\と出行跡いでゆきしあと、ばあやも跡の事心附て自慢のかね黒/\と大奧樣が形見かたみの鼠小紋三紋附着ておよろこびやら、皆々の御禮も兼て。
 さ今の内お風呂ふろにでもおはいりなさつて少し御庭でも御覽なさいまし、おやすみ遊ばしての内私が御附申て升柄ますからと、看護婦にかはりしはかねとよびて年も同十七の氣に入、差よつてほつれ毛をかきあぐればほろ/\となみだ白枕しろきまくらに毛布に、お孃樣御察申升かねは口惜て/\彼方の奧樣に喰附てやりとう御座升ございます、ばあやさんもばあやさんだ貴女の敵におよろこびにゆくなむて、義理だつても私口惜貴女/\はなぜ、御教おをしへもうしたやうに御父樣や御兄樣におつしやらなかつたので御座升よお孃樣、唯心で涙をこぼしていらつしやる柄猶御病氣も重り升わと、主人ながら友達ともだち共思ふ仲よしのかうはいつた物の、言過て病にさわりはせぬかと今更冷汗色をかえての心配顏、嬉敷うれしいに附我身のかひなさ堪兼たえかねて夜着に顏差入て忍なき、兼が進る藥に息をついて兼やもう御言おいゝで無よ、此樣な病になつた爲父樣と姉樣の御仲も丸く美敷うつくしくすんだのは、家の爲によろこんでいるは私、靜夫樣は肺病だからとて死ときまつているではなしと、言はつて下すつた物の先樣でもお一人子御兩親の御不服ごふふくなのは、あたり前だわね、ちいつともうらむ事は無ねえ兼、よし折枝をりえさんがゆかぬにした所がどうでよそからおもらひ遊ばすのだ物、御姉樣の御望おのぞみをかなへた方がねそうであらふだが今朝も父樣が悲想かなしそふなお顏を遊ばして、私しや自分の慾はあきらめているがせつ角父樣もゆるして下すつて、だが父樣はどうして靜夫樣と御知りなすつたのだろふ、かねしつて居て、知ている所か私柄と、いやまて思は思をうんで心經の高ぶつて居今、まづ何事も胸にと、ほんに承はれば兼がわるう御座升だが孃樣御結婚はなさらず共御心に替りなくば、お嬉しう御座ませう靜夫樣も決て貴女をおわすれは、これおぼえがお有でせうと取出す手箱の内にほわせし白ばら一輪、中に雪つもる夜の明星かとばかり紫匂ふダイヤモンド、此指輪ゆびわは彼人の手に日頃光しそれよ白ばらは二人が紀念きねんの、さゝやきし其時の息やこもるなつかしやとばかりつく息も苦氣くるしげなり。
 かねが涙ながら來し頃は早暮て、七間間口に並びしてふちんもん並の附合つきあひも廣く、此處一町はやみの夜ならず金屏きんびやうの松盛ふる色を示前に支配人のたちつ居つ、何の奧樣一の忠義振かと腹は立どさすがえりかき合せ店に奧に二度三度心ならずもよろこび述て扨孃樣よりと、つゝみほどけば、父親のこのみ戀人の意匠、おもとの七づゝ四分と五分の無疵むきずの珊瑚、ゑりにゑりし花笄はなかうがい、今宵の縁女となる可、兄より祝物、それをおくるこゝろはと父親も主もばあやも顏見合すればかねは堪かねて涙はら/\こぼしつゝ外にも一品花嫁はなよめには幸に見られねど盃受く靜夫はわな/\と、打ふるひぬ、つき上る苦敷くるしきおもひも涙も共に唯一息眼つぶりてのみ込ば、又盃は嫁に※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りぬきらりと取手とりてに光物靜夫が目に入し時、花笄の片々する/\とぬけて、かた袖仲人が取つくろふひまも無、盃臺のわきにみぢんとなりておもとの實は、ころ/\と靜夫しづをが袴の前にころがりぬ。
 祝儀しうぎすむやそこ/\定紋の車幾臺大川端の家にとむかへり、あわれ病人やむひとやあつしくなりにしがあたゝかき息こもるうばらのそのうやさまよう、細き息の通ふばかりとや、にぎしき家の外にも淋敷さびしきこゝの庭木にも夜一夜よひとよ木枯の吹あれて、あくるあしたよりあわれ父翁の面痩おもやせにたちぬ。

「うづみ火」のこと
 陸中國釜石鑛山内水橋康子として懸賞に應募し、明治四十三年十一月號の『女學世界第一卷第十五號定期増刊「磯ちどり」才媛詞藻冬の卷・小説』の初頭に掲載され特賞(賞金十圓)を得、又主幹松原二十三階堂(岩五郎)氏に激勵鞭撻の書簡を送らる。當時病後靜養に釜石鑛山所長横山氏家に遊行中の事なり。二十三歳の秋、處女作。未だ「しぐれ女」のペンネームを使用せず。





底本:「時代の娘」興亞日本社
   1941(昭和16)年10月22日発行
   1941(昭和16)年11月26日再版
初出:「女學世界第一卷第十五號定期増刊「磯ちどり」才媛詞藻冬の卷・小説」
   1910(明治43)年11月号
※底本では表題の下に、「(處女作)」と入っています。
入力:門田裕志
校正:野口英司
2010年2月18日作成
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