逸見猶吉詩集

逸見猶吉




報告(ウルトラマリン第一)


ソノ時オレハ歩イテヰタ ソノ時
外套ハ枝ニ吊ラレテアツタカ 白樺ノヂツニ白イ
ソレダケガケワシイ 冬ノマン中デ 野ツ原デ
ソレガ如何シタ ソレデ如何シタトオレハ吠エタ
≪血ヲナガス北方 ココイラ グングン 密度ノ深クナル
北方 ドコカラモ離レテ 荒涼タル ウルトラマリンノ底ノ方ヘ――≫
暗クナリ暗クナツテ 黒イ頭巾カラ[#「頭巾カラ」は底本では「頭吊カラ」]舌ヲダシテ
ヤタラ 羽搏イテヰル不明ノ顔々 ソレハ目ニ見エナイ狂気カラ転落スル 鴉ト時間ト アトハ
サガレンノ青褪メタ肋骨ト ソノ時 オレハヒドク
凶ヤナ笑ヒデアツタラウ ソシテ 泥炭デアルカ
馬デアルカ 地面ニ掘ツクリ返サレルモノハ 君モシル ワヅカニ一点ノ黒イモノダ
風ニハ沿海州ノ錆ビ蝕サル気配ガツヨク浸ミコンデ 
野ツ原ノ涯ハ監獄ダ 歪ンダ屋根ノ 下ハ重ク 鉄柵ノ海ニホトンド何モ見エナイ
絡ンデル薪ノヤウナ手ト サラニソノ下ノ顔ト 大キナ苦痛ノ割レ目デアツタ
苦痛ニヤラレ ヤガテ霙トナル冷タイ風ニ晒サレテ
アラユル地点カラ標的ニサレタオレダ
アノ強暴ナ羽搏キ ソレガ最後ノ幻覚デアツタラウカ
弾創ハスデニ弾創トシテ生キテユクノカ
オレノ肉体ヲ塗抹スル ソレガ悪徳ノ展望デアツタカ
アア 夢ノイツサイノ後退スル中ニ トホク烽火ノアガル 嬰児ノ天ニアガル
タダヨフ無限ノ反抗ノ中ニ
ソノ時オレハ歩イテヰタ
ソノ時オレハ歯ヲ剥キダシテヰタ
愛情ニカカルコトナク ※[#「さんずい+弥」、U+3CFD、231-下-19]漫スル怖ロシイ痴呆ノ底ニ
オレノヤリキレナイ
イツサイノ中ニ オレハ見タ
悪シキ感傷トレイタン無頼ノ生活ヲ
アゴヲシヤクルヒトリノ囚人 ソノオレヲ視ル嗤ヒヲ
スベテ痩セタ肉体ノ影ニ潜ンデルモノ
ツネニサビシイ悪ノ起源ニホカナラヌソレラヲ
≪ドコカラモ離レテ荒涼タル北方ノ顔々 ウルトラマリンノスルドイ目付
ウルトラマリンノ底ノ方ヘ――≫
イカナル真理モ 風物モ ソノ他ナニガ近寄ルモノゾ
今トナツテ オレハ堕チユク海ノ動静ヲ知ルノダ


兇牙利的(ウルトラマリン第二)


レイタンナ風ガ渡リ
ミダレタ髪毛ニ苦シク眠ル人ガアリ
シバラク太陽ヲ見ナイ
何処カノ隅デ[#「隅デ」は底本では「隅で」]饒舌ルノハ気配ダケカ
毀ワレタ椅子ヲタタイテ
オレノ充血シタ眼ニイツタイ何ガ残ル
サビシクハナイカ君 君モオレヲ対手ニシナイ
窓カラ見ル野末ニ喚イテル人ガアリ
ソノ人ハ顔ダケニナツテ生キテユキ ハツハ
オレハ不逞々々シクヨゴレタ外套ヲ着テル
酔フタメニ何ガ在ル
暴力ガ在ル 冬ガ在ル 売淫ガ在ル
ミンナ悪シキ絶望ヲ投ゲルモノニ限リ
悪シク呼ビカケルモノニ限リ
アア レイタンナ風ガ渡リ
オレノ肉体ハイマ非常ニ決闘ヲ映シテヰル


死ト現象(ウルトラマリン第三)


雲母キララノ下ノ天末線スカイライン
曝サレテヰル骨ノ自暴
ソコニ死ノヤウナモノガアル
ヤミガタイ息ヅマル堅勒ノ胸盤ガアル
 ≪硝子ノ翼・硝子ノ血 コノ感情ニナダレコム冬≫
透明ノ底ニ拡ガルモノ 滲ミ入ルモノ
機械ノ一点ニ恒ニレイゼント狙ハレテアルモノ
アア世界ヲ充顛スル非情ノ眼ヨ
君ハ見ルカ 君自身ノ狂遇ヲ蹴落スコトガ出来ルカ
君ノ内部ニ氾濫スルマラリアノ愛 ソレスラモナホ季節ハ残シテユク
ウルトラマリンノ風ガ堕チ
ウルトラマリンノ激シイ熱ノ勃ルトコロ
ヤガテハ燃焼スル
彼処荒茫タル風物ノ奥デ ソノスルドキ怒リニ倒レテアルモノハ何カ
俺ハ感ジル 石炭ノヤウニツライ純潔ヲ ソノ火力ヲ
俺ハ知ル 海豹ノヤウニ歯向フ方角ヲ ソシテ今
冬ハアレラ傷メル河河ニ額ヲヌラシテヰルノダ
北地ノバリバリシタ気圏ノナカ ソノキビシイ肩ヲスベリ
際涯トホク沈ム汽車ノ隅カラ俺ハ遙ルカナ雲ヲ測ロウ

   ★

凄イ暴力ハナイカ
自分ヲ視ルコノ瞬間ハ恐ロシイ
ソレハ苦痛ヨリモ絶体デアル 風ニ靡ヒテ何処ヘ往ク
原因ノアル処ニ生キテ逆転セザル妄想ヲ深メテ生ノ荒々シイ殺倒ノ底ヘ

   ★

タトエナキ抛物線ノ挺転 流レ去ル粗悪ノ地理・停車場
コノ重々シイ空間ニ懸垂スルモノ 充血スル顔ヨ
ナントイフ極度ノ貧困デアラウカ
傾ムク黒イ汽車ノ一隅 ソコニハナンノ夢モナイノダ
俺ハ君ヘ語リカケ 君ハ横ヲ見テ微笑スルバカリデアラウカ
十二月・雲母キララノ下ノ天末線スカイライン鉄ノヤウニソレハ
背ヲ向ケル無表情 天来ノ酷薄


曝ラサレタ歌


殷賑タレ
歯モ露ハニ眠ルモノ
死ノヤウニ跨ガル コノ大街道ノ屋根ニエテ
告ゲルコトナク家ヲ奔リ 告ゲルコトナク奔リユケヨ
精神稀薄ノモノ 憂欝デ扁平ノモノ 情操ナク可憐ノモノ ソノ哀情ノ毒ヲ払ヘヨ
煌メク狂妄ノ全身ニ 足ヲ踏ミ外ストコロ 無辺ノ愚行ヲ拍手サレヨ
イツサイハ其ノ中ニ在ル 経験ト認識ヲ超エテ 彼等ハツネニ饒舌ヲ極メル
大街道ノ屋根ヲ周ツテ 翼ナク飛行スルモノソノ堪ラヌ負荷ヲ投下セヨ
海ハ遮ラレテ一枚ノ紙ノムカフ 激動セヨ オレノ脾腹ニ笑ヒヲモトメヨ
錆ビ荒レタ鉄ノ橋梁カラ 海燕ノ隕チルソノ飜エル非情ノカタチヲ究メヨ
鉤ニナリ肉体ノ反映ハエヲ隈ドル 反抗ノ 虚栄ノ 怖ロシキ寡黙ヲ許セヨ
ツラナル大街道ノ諸道具ヲ駆ツテ君ノ飛行ヨ自在ナレ
星ハ還ルデアラウカ星ハ 地平ヲ画ル視野ヲ刪ツテ
時限ノ燃エサカル一瞬ニ燃エヨ
何処ニモナイ君ノヨロコビノ為ニ元原ノ表出 彼ノ大樹ノ裂カレタ幹ニ 君ノ光栄アル胸ヲ飾レ
イノチ有ルモノニ歌ハシメヨ 歯モ露ハニ眠ルモノ
君ノ眼窩ニ千年ヲ飼ヘヨ
アア 吹キ捲ル風ニ撓ンデ 殷賑タレ


曝ラサレタ歌


毟ラレテ防風林
沿河ニ錯落スル鴉共
タレタ冬ノ街衢カラ獣血ニソマル
ソコノスルドイ傷痕カラ擾然トシテオレト君
杳カ対岸ニ横タフ一沫ノ苛薄ニサヘドキドキスル
鑢ノヤウナ幻覚ノ破片ガ 飛バサレテ来ルデハナイカ
沸キカヘル 岩漿ノニホヒニ噎セテ コノ道ハ忽チ
オレタチノ胸ニマデ切リ墜チテ来ルノダ
サカシマノ防風林 鴉共
擦リキレタ風ヲ孕ンデ 水ニ鎖シテ コノ沍エタ
風物ヲ 一線ノ攪キミダス非望ノ指示ヲ 誰ガ知ラウ
気圏ヲメグル 縦横ノ驕リ ギシギシト凍ル
ウルトラマリン・デイプノ驕リ
兇牙利非情ノマン中ノ誰ダ
喇叭ヲ吹キナラス誰ダ

   ★

奪フバカリノ愛シイ問ヒニ
ナニガ其処カラ君ヲ看ルノカ ツネニ
殺到スルインヘルノ 地上ノ露ハナル無際限
生キルトハ ソレヲ無尽ノ網目ヲ破ツテ 出発スル
出発スルノダ――
曠茫トシテ 立ツトコロ
モノヲ言ハズ 焔硝ノ腮ヲ銜ム冷血ノ末輩
火ノ雑草ノ 飽クナキオレノ額ニココロ触レテ スデニ
夏秋モムザンニ断タレ
天ニ流失スル 夢ナキ季節ノ歌ヲ堰イテハ
ナントイフコノ身ノ激シイ 蹂躙デアラウコトカ

   ★

絶望ニユズルモノ無シ
ヂカノ背後ニ傷ツケル糧ヲ曝シテ
ナホ 生涯ノ迂曲ト離反ニ吹キ荒サブ北北西 マレニハ気流ノ行方ノミ深ク明滅スル コノ全身ノグルリニ潜ンデ
断崖キリギシノイザナヒ 渦巻クモノヲオレハ知ル
オオ ハルカ犇メク樹々ノ淵ニ 火ヲ放ツテ
荒々シク捲キアゲテユク地底ノ落暉 ソノアバラ
憤ルオレノ頸ニハ渇キ燦トシテ牽カレル 非望ノ一線
冬ノ吃水ガイマ獣血ニクラク 暴々ト泡立ツテユクノダ



鞭ヲ振ル
岩床ニ蔦葛ノ灼ケテ
目ヲ据エルトコロ 獣ヲ走ラス
日日ノ 年々ノ 身ヲ引キ縛ル騒擾
落葉松メレーズニ絡ム砂ハ苛立チ オレヲ蹴起ツテ
遠イ気圏ノ底 彼ノ滞流ヨドミノ悪ニマデ墜チユクノカ

   ★

舌ヲ噛ム日々ニ
吹キサラス髪毛ニ
檻ヲ攀ヂル ソノ檻ノ涯ニ凍リツク 昏イヴイスタ
悲シミノ草々ニ獣ヲ喚ンデ オオ 裂ケマヂル
鉄条ノ裡 自ラノ四肢ニ 噎セカヘル獣血ヲ藉イテ
インザンニ轍ハ深ク 自爆ノカギリヲ募ツテユクノダ
何ヲ待チ構ヘテ 背後ニ不快ナ峡江ヲ負ヒ
何ヲ迎ヘテ フタタビ鞭ヲ自ラニ加ヘヤウカ
イキマク肺腑ニ煙ツテ 蒼ク
何トイフ巻積雲シロ・キュムラスノ崩潰
未ダ背骨ニ沈ム非望ノ歌ニ 冬ヲ眠ラズ
冬ヲ眠ラズ スサマジキ笑ヒノ央ニ 横タハルオレ

   ★

北ノ北カラ北ヘ
地平ヲ屠ル
落葉松メレーズ
逆毛ニ瀕シテ アツハ
貴様 虚耗ムゲンノ店晒シ オノレ
眼底ヲ穿ツテ擾レ 太陽コソ恒ニ北ニ在ルノダ


※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)シイ天幕


冬ヲ荒ラス微塵ノ
天河ニ牙ヲタテル岩碓ノ
※(「石+(くさかんむり/溥)」、第3水準1-89-18)ホウハクスル 惧レノ旋渦ビーフリ 盲ヒタル眩耀ノガンヂガラメ
アア コップ一杯ノ空気ニスラ放電スル死ノ生々シク
一筋黒ク硫末ヲヒク 暴レイノ季節ヨ
千年ニ重ナル刹那ノ弛ミナク オレタチノ展望ハ
恒ニコノ ※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)ハゲシイ天幕カラ 露ハナ足ヲ突キ出シテヰル
臨海屈折ヲ犯シテヰルノダ 熾ンナル風陣ヲ劈イテ
刀背ミネノヤウナ眩暈ガメグリ
ソノ煌ク探究ノ底ヲ ジツニ 生キルモノノガントシタ所在
世界ハ恐ルベキモノニ充チテヰル コノ世界ノ
隅々カラ 何ガ腕ヲモツテ オレタチニ呼ビカケルノカ
息マザル悪熱ヨ オオ君コソハ生キル

≪ドス黒イ咽喉ノオクカラ
唐突ナ笑ヒヲ叫ンデヰルギブスナドガ スベテ
剥裂シテ投ゲダサレ 両腕ヲダラリト喇叭ノヤウニ
醜ク欠ケテヰル コレハマタ何トイフ愚カシイ反覆――
錆ビタル車輪ノ空転ヨ
雲ヲ斑スル戦慄ノ[#「戦慄ノ」は底本では「戦ノ」]羊歯ヨ
耐エガタイコノ沸キタツ風物カラ ワヅカ 非常ノ爆鳴ガシレテ
唯一ナル生ノ切リ口ニ ハガネノゴトク手触レルデアラウ≫

ヂリヂリト兇猛ナモノガ血脈ニ逆巻キ
頸ヲソグ飢餓ノ飾リナク 無為ノ脳漿ニ翼折ラレ オレハ自ラノ
腹立タシイ重量ヲ負ツテ コノ※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)シイ天幕カラ 遠望ノ限リヲ翔ケテユカウ
暴々タル視野ヲ踏ミコエ 雷ニ撃タレタ兇牙利ノ 水ノヤウナ跳梁
夢ハソレ以外ノ何デアラウカ
群レユク不明ノ季候鳥 流レル冷タイ騒擾ノ翳リ
イツサイノ狂妄ハ点火サレ 墜落ニヨツテノミ 激シク燃焼スルノダ
トホク歪曲スル方向ノ深サ ソノ息ヲノム陥没カラ
逆ニ吹キ上ゲテクルウルトラマリン
目眦ヲ裂ク 親愛ニ昂ル オレハ荒擾タル現象ノ背骨ヲ
アクマデ無慚ニ押シ分ケテユクマデダ
見ヨシジマナル狼藉ノ所在ニ イチメン澱ミナク氾流スル天ノ砂州
冬ヲ荒ス微塵ノ
偏奇スル透明ノ
自ラノ笑ヒノナカニ オレハ最後ノ放擲ヲ受ケル


ベエリング
      ――親愛の人G・Bニ――


霙フル
ドツト傾ク
屋根ノムカフ 白楡ノ叫ビニ耳ヲタテテヰル昏イ
憂愁ノヒト時ヲ 荊棘ノヤウニ悪ク酔ツテルノダオレハ
灰ノヤウナヒカリガ立チ罩メ 君ハモウ酒杯ヲ
トラウトシナイ 起チアガル オレヲ看ル
オレタチヲ冒シテル蒼褪メタベエリング
憎シミハモウ形ヲトラナイ
ヲアケハナテ≪無意味ナル警笛サイレンヨ≫
撃テ≪霙フルナカノ永遠ノ明日≫
オレノ悲シイ懶怠カラ タダ
純粋ニ血ヲ流ス日ノ ヴイジョンヲ遮ギル氷海フィルノ
総身ヲ削ツテドンランニ ナガレコムノダ
アア コノ夕暮ノケハシイ思ヒ
冷タイ明眸ニブキミナ微笑ヲタタエル君ノ
スルドク額ヲ刳ルモノ 何トイフソノ邪悪デアラウカ
椅子ノモツレタ位置カラ遠ク 鉄ノ滲ミイル屈折カラ
塩ノムゲンナ様子ガシレテ 今コソ
ベエリングハ真向カラノ封鎖ダ
霙フリヤマズ 夜トナル


ナマ


徹夜の大道はゆるやかに異様にうねり、うねるままに暗暈の、氷る伽藍のはてに沈まうとする。道は遠くこの一筋に尽きて、地と海との霾然たる、また人間の灰神楽。飛び交ひなだれ堕ちる星晨や殺気のむらむらや、それら撃発する火のやうな寂しさのなかに、己は十字火に爛れたまをつき放さうとするのだ。おお、集積マワスの眼! 不眠の河となつて己を奪つたすゑは、むざんに溷濁の干潟に曝し、滄々たる季節の下にいまとはなつたが、挑みかからうと己みづからが空をつく。何者へ対つてか、嗤へ、長年漂泊にあらび千切れた胸の底に捉へやうとする、生きがたい、夢の燔祭。埓もない見てくれの意匠も旧い日のことになつた。
神々といふあの手から離れてここに麻のやうな疲れが横たはる。

あたらしひ希ひを言へと、誰がみ近く呼ばふのだ。
氷霧に蝕む北方の屋根に校倉あぜくら風の憂愁を焚きあげて、屠られた身の影ともない安手の虚妄をみてとつたいま、なんと恐ろしいものだけだらうか。原罪のふとい映像にうち貫かれた両の眼に、みじろぎもなく、氷雪いちめんの深いひづみをたたえて秘かに空しくあれば、清浄といふ、己はもうあの心にも還る事はできないのだ。沍寒の夢はつららを砥いで、風は陣々と滲みいるやうにあたりを廻りはじめてゐる。内から吹きあげる血の苦がい、灼けるやうな飛沫が叫ぶ、とうてい身はかわしきれないと。善哉よし
人の闘ひはまだつづく。


牙のある肖像


※(ローマ数字1、1-13-21)


嘗ての日、彼等こそ何事を経て来たであらうか強烈の飲料をその傷口に燃やし、行方なく逆毛さかげの野牛を放つては、薪のやうに苛薄の妄想をたち割つた彼等。こころににがい移住を告げて、内側から凍りつく鰊のたぐひを啖ひ、日毎無頼の街衢ちまたから出はづれては歌もなく、鉄のやうな杳かの湾流がもたらす風の、勒々とした酔ひのひと時を怖れた彼等。到るところしどろな悪草の茎を噛み、あらくれの蔦葛を満身に浴びて耕地から裡の台地へと。また深夜のどぎつ落暉いりひにうたれて、すきのたぐひを棄て去つた彼等。≪雲と羅針とを嘲りわらふ、その朦昧の顔の冷たさ。≫ひとたび扉口は手荒く閉ざされ、傾く展望はために天末線スカイラインを重沛のやうに沈澱したのだ。いつはりの花と糧秣はぶち撒かれ、床板に虚しく歯車の痕が錆びてゐる。いま襤褸をづらし、十指を組み、ヂザニイの干乾らびた穂束に琥珀を添へて、純潔の死と親愛とを祈る彼等だ。野生の卓に水が流れる。
水が流れる。
一途に貪婪なる収穫の果がこれであらうか。

いよいよ下降する石畳から、壊はされた黒いくさびの扉口からだ。ざんざんとなだれこむ躁擾からそれら卑少の歴史から、虜はれの血肉をみづから引き剥して、己は三歳の嬰児だ。絶えまない不吉の稲妻と、襞もない亜麻の敷布が繋がれて、この無様ぶざまな揺籃の底に目覚めてゐるとは誰が知らう。
ああ、最後の人の手から手へ、斑らなる隈どりで残された記憶。あれは秋であつたらうか。≪諸々の狭隘な傲りを押し破つた水。季節を逸れた水の氾濫! それこそ兇なる星辰ほしの頽れだ≫四肢を張り、頑強に口を閉ぢ、むざんに釘うたれたまま、ぎるんぎるんと渦巻く気圏に反りながら、冷酷な秋の封鎖のまつただ中を抛れた、その記憶がまあたらしい。己はどんなざまに声をあげたらうか。凹凸に截られた、石畳の隅で、彼等街衢から出はづれ台地を降る者の、塩をふくんだ頤が獣のやうに緊るのを知つた時。その不可解の一瞥に、蒼ざめた北方路線がまざまざと牽かれるのを、己は視たのだ。隙もれた裏屋根の、冴えたあばらに入り交ふものは、しらじらと西風に光る利鎌、はやくも鉤なりに、彼等の額にまつは[#「纏」の「广」に代えて「厂」、240-上-14]る何ものの翳であらう。ひと時の寂寞。
蘆のよぶ声がする。その向ふを久しく忘られたまま、湾流に沿ふ屍の形。頸のぐるりを霙のしらせ。錘のやうに寂寞が見えてくるのだ。今こそ潤ひなき火に、密度の凄まじい地角の涯に、彼等ひとしく参加する時を待つてゐるのか。見知らぬ移住地に獣皮を焚き、轍を深める。己は餓ゑ、さらに彼等は餓えるだらう。

※(ローマ数字2、1-13-22)


すべては荒蕪の流域につらなる裏屋根の、出窓の格子に仮泊する、夥しい鴉の群だ。海藻を絡んだ羽を搏つて、失はれた耕地の跡に、ばさばさと自らの影を追ひたてる鴉の群だ。その腥い印象から なんとも知れぬ獣血のたぐひに濺がれて、しぜんに斃れてゆくものは、展望をしだいに埋めてゆく。唯ひとり、揺籃の底になやむでゐる己の額に、やがては稲妻も十字を投げるだらうか。いま一筋荒々しく乗りこんでくる歌声をきかう。愛憐もなく火に酔へる、三歳のつぶらな眼底に滲みては、たちまち水浸しの肺腑を侵してくるその歌声。ああ 己の身うちにがんがんする無辺から襲つてくる非情の歌声。
枝を折り
すぎゆくものは羽搏けよ
暴戻の水をかすめて羽搏けよ
石をもつて喚び醒ます
異象の秋にせまるもの
獣を屠つて
ただ一撃の非情を生きよ
……………………………
きみの掌に
すぎゆくものは
沸々たる血を※[#「車+兀」、U+8ECF、241-上-5]きたまへ
ふりかかる兇なる光暉の羽搏きに
野生の花を飾るもの
血肉を挙げ
あくまできみの非情を燃えよ
……………………………

歌声は嗄れた。激しい裂目をみせてもう雲母きららの冬。水退けの昏い耕地をずり落ちて天末線の風も凄く、とほく矮樹林は刺青いれずみのやうに擾れてゐる。ここにあるものは己の三歳とその他。純潔の約定と飢餓とその他。ばらばらに黒いくさびはづされたこの残留の街衢の中で、彼等の笑ふやうに、その笑ひが己の面上にあると思ふのか。強力な抵抗に撓められた鉄格子、また荒廃した扉口に吊られ、牙のある肖像こそおよそ愚劣の意匠をこらして、寒々しい光栄に曝されてゐる。これら牙のある肖像こそ彼等と己をめぐる、妄想の限りない露呈ではないのか。みよ、欣然と卓をたたいて空しい収穫のおもひに縊られるもの。丹赭を塗つた鬱屈の姦淫者。嗤ふべき取引。小学生らは石を投げて屋根の下に陥りてみ、青くざらざらした灰が四辺をたち罩める時、やうやく亜麻の敷布を拡げてゆく戦慄。

大利鎌の刃先に漂ふ薄暮の白い眼差し。蘆のよぶ声のむかふを、湾流に沿ふて屍のまつたく忘られた形。下降する石畳にサイレンが鳴らされ、断続の後それも杜絶えた彼等のにがい表情から、残忍な行為ばかりを読んだうへに、苛立つ矮樹林から、その声高な笑ひの中に、己ばかりは不逞な精神の射殺をきくのだ。誰も彼も居なくなる。やがて霙がくるだらう。この無様な揺籃の底に、天才を死に果てたとは誰が気付かう。横なぐりに出発の時が来たのか。己は再び引き剥す血肉に飢餓を鎧つて、ひとときの眠りを墜ちてゆく身だ。


途上


ひび割れの
一層むごい凌辱と貪婪の
手にとるこの世のあらひざらひだ
やくざな助材を解きはなつておもふざま
幻象に仕上げるのが日常なら
それに火をつけ
奈落を渫ひ
どのみちおほきく笑へればいいといふものさ
これをしも不誠実だと責めるまへに……
だがいまは言ふな
すべる蠅よ
のさばる光栄のしやつつらたちよ
生活だと言つたのが愚の骨頂なら
もう何ひとつ文句はつけぬ
この身は暗い百年に触火して乱雑たるあれ――なほ渡つてゆく
歩みは一片の悔いもないが
意地わるくつらく強力に泣いてゐるのだ
風ともない通り魔のしはぶきのやうなやつに折からの
風物が絞めあげられて
ながい間めいめいのおもひは錯落した
すれ違ひざまに光つてきらりと此方を見た眼
なんとあたり前のかなしげな挨拶
あるけあるけと渡つてきたのだ
行きあたるところの無い限り 愛や動乱や死の胆妄に
灼かれる業も
まして尼からのぞいた孤独といふやつ
一時が永遠に木ツ葉微塵の形なしだといふのさ
及びがたい力につらぬかれ
きらりとし錆びいろとなりふき晒されて
それこそどんな暗黒にも閉ぢることはないだらう
別々でありながら身内に燃え燃えながらも離れてゆくといふ
おかしなさういふたぐひの眼だ
せつかく此処まで来たところがこれでは説明がつきかねる
これをしも不誠実だと責めるまへに
だがいまは言ふな
おまへが何を共力しようとするのかそれも知らぬ
おれは世界が何故このやうにおれを報いたかを考へてみるのだ
宇宙犬の夢をもつためには
しばしばその夢からさへ脱がれようとする
だがいぶかしげにおれをうながす
憫みともつかぬだんまりが反つておまへの常套なのか
どうやらそれも怖ろしい眼の裏側を糾問するためのことらしい
がたんと重いぶれーきで停り
わづかな喧騒の後はまたもとの静けさに帰つた
いやおれはこのまゝでいいのだ
辛いやつを口になめては
歌をやるすべもない
左様なら
いちめんの斑雪はだれに煤がながれこんで
黒い車輛の列からはみだしてる
途方もない
陸のつゞきさ


煉瓦台にて


水沫しぶきを擾して抛物線の、刻薄を伝つて。
空に痙攣れて 船体ハルの悲しみが沈むでゆく。
燃え尽きた煉瓦台に身を打ちなげて己は、薊の花と落日と、荒々しい時の転移を聴いてゐる。地に墜ちる気流の行方にもがいては、刹那刹那の断面を過ぎる候鳥の黒く。己はその憎々しい掌に、自らの頽唐を深めて、雲を自在に馳つてゐるのだ。死はやがて己を、天上の水沫に捲き込むであらうか。とまれ無限への不逞な身構へであらうとも、彼の煉瓦台に、一沫の血漿を残すであらう。
ああ今は盛り反へる船体ハルの悲しみ、その滲み透る深度にこそ、最も惨忍な意志との婚姻を誓ふのだ。
拒絶されたこの双手を投げるのだ。水沫を擾して、その刻薄をはるかに伝へよう。
友よ。己は君に一撃をくれて此処を発つ。


大外套


足もとの草々は冷たく。泥濘の中を、アカシヤに凭れて水を飲んだ。口に苛立たしい音階を繰り返し、遠く暗欝な入江をかき毟る風に、己は愴然と眼をなげてゐた。なんの当があつて。この丘陵地方の荒頽の中に迷ひこんだのか知らぬ。≪彼の灰色のバルドヰン。怖ろしい大外套の襟をたてて、北方ハンガリヤの暴々たる野末だ。胸の傷痍をまざまざと見せつけて、彼が此方へ顔を向ける。河沿ひの人気ない酒肆の一隅で、己は久しく待つてゐるのだ。※(「木+解」、第3水準1-86-22)の梢がざわめいて、限りない憂愁の歪みがあたりに拡がる。頂垂れて、しかも力をこめて彼は近づく。硝子戸に黒い紋章。一匹の蠅と砂と。過ぎゆく時が己の肩に羽搏たいてゐる。喉が渇いて、舌が痙れて……≫さうだ、嗤ふべき彼の生涯が、己の肉体にくまなくその破片を留めてゐる。だが敵意と冷笑とで己に挑みかかる彼の辛辣を思へば、寧ろ平静に酒杯をあげる己ではなかつたか、卑屈な闘ひを見棄てて、いまは己は目覚める。そしてまた歩きだす。泥濘の凹地を。アカシヤの伐られた涯を。不器用な音階を繰り返し繰り返し、入江に向つて降りてゆく。歯と歯のあひだの寒烈。裏がへしの低い太陽。太陽こそ恒に陽気でありたい。孤独に価しないものを孤独として、なんと世界は諧謔のない笑ひばかりだ。狂つた頭脳の短い顛末に就て、己は最早考へるどころではないのだ。自分こそ最も奇怪ではないか。冬の襲ふ前に、秋の去らぬ内に、彼の擾然たる街に還らう。
其処には投げだされた鉄器等、毀れた肢体、錯落する事件等。空気にはイペリットが薄く滲みて、軍鶏の肋骨がごつごつ曝らされてゐるのだ。バネの錆びた秘密や喚いてゐる塗料。誰かがきまつて言ふに違ひない。≪ありふれた眠りであつたか。夙く寝台を離れて顔を洗へよ。青い眼鏡を掛け給へ≫蒙昧の友等は深く反省する。単純な街角をあわただしく馳け廻る。深夜の凄まじい挺転に捲き込まれて、誰が笑ふことを忘れるだろうか。ああ擾然たる街に還らう。己ばかりは寂しく慚愧して、恐らく崩潰する天の一角を狙ふだらう。悪辣なる少年となつて大破産を希ふだらう。何でもいい、今一度、灰色のバルドヰン、大外套の亡霊。めぐり遇つた時こそ、彼の傷痍をむざんに刳つてやるのだ。……足もとの草々には風に切れて、丘陵地方の夜明けを、己はなほも歩きつゞける。入江に向つて降りてゆく。


終駅


聴カセテクレ
木ツ葉ガ飛ンデル眼ノオク底カラ
※(「木+解」、第3水準1-86-22)ノ organ ヲブチ壊ス
凄マジイ君ノ音楽ヲ
流木ノヤウニ刃コボレタイロガ
ソツポ向イタ君ノ無表情カラ離レルト
ソコカラ ドカドカト冬ガ踏ミコンデクルノダ
季節ハズレナ大扉ノ外デ 雹ニウタレタ signal ニ凭レ
不逞ノ 頽廃シタ terminus ノ人ヨ

ブザマニ棉花ヲ曝ス
酷イ旱魃ノ地角カラダ
ナン百ノ貨車ノ下ヲ
wire ノ痕ト瀝青ヲ背負ツテ 遠ク過ギテキタ己タチ
ワヅカ Cobalt ヲ採ル者ラガンデ 去ルト
アア ケフモ意味ノナイ雲ノ形カ
車輪ニ凍リツイテ 山々ガ低ク
背後ノダンダラナ茨ノ中ニ溶ケテユク
傷ツイタ野犬ノ群ハ ムカフニ駆ツテイツタラシイ
アイツラ シラフデ 吠エテルノダ
イマ両人フタリノマン中ヲ流シテ
針金ノヤウナ冷血ガ冱エ
薄レタ網硝子ニ ハジメテ己ヲミル君ノ笑ヒ
足モトカラ沸キタツテクル 時間ノ水イロ
ソノ怖ロシイ水イロデ タイガイ妄想ノ下積ミニナルノダ
ナマ々シイソコラノ 切リ株ヲ跨イデ
己ハ Garshin ヲオモヒ
頬ヲ擦ルト 火ト水イロガ混ザルトイフ
ソノコトダケデ イツパイニナルカナシサデハナイカ

聴カセテクレ terminus ノ人ヨ
スルドク氷層ノ露呈スルヤウナ
音モナク裂ケテユク 稲妻ノヤウナ
マタ シダイニ消エテユク 君ノ音楽
木ツ葉ガ飛ンデル君ノ顔 グルツト西ニ偏奇シテ
冬ハ水イロニ光ツテル
ガタガタスル大扉ノ外カラ ナニカ歌フヤウニ
ダガ君ハ ヤガテ倒レテユクバカリダ
雹ニウタレタ signal ガ残リ
※(「木+解」、第3水準1-86-22)ノ organ ガソノ側ニ屠ラレテ 凄マジイ
……………………………………


火ヲ享ケル


夏ハ光ノ槍ブスマ
屠ラレタ※(「木+無」、第3水準1-86-12)ノ大樹ノ面ダマシイ
噎ルバカリノ狂ヒヲ深メテギラギラト
山岳地方ノ透明嵐気ガ燃エアガル オオ嵐気ニ千切レタ贖罪ノ館
泡立ツ黒ト緑金ト ソノ怖ロシイウネリヲ重ネテ トメド無ク
毒麦ノ穂ガ逆ニ磔木ノ天上ヘ押シナガサレ
      ハルカニ下ノ世界カラ
    暉石・橄欖石ノ断面ヲ
  イチメン火ノ叫喚ハ掠メテユク
………………………………燃エアガル
燃エアガレヨソノ涯ハ
テツペン大藍青ノイキレニコソ捲キアガル
底シレヌ冽シイ嵐気ノ渦ガ群レテ 深ミドロ光ノ網目ヲ撥ジク刹那ダ
小鳥千羽ハ礫トナツテ墜チテクル
コノ爛酔ノ畏怖ノ時ヲナダレコムノダ
餓エテハ人ラ自ラノ屍ニ乗リアゲテ
馬・鶏ノタグヒハマツシグラ
ナニヲ叫ブカ 血ヲ吹キアゲルママ流サレテ
目盲ヒタルママ黒イ耕地ヲ アア遠ク天来ノ柵ヲ破レバ
タチマチウネリ凄ジイ毒麦ノ昏ク
熾ンナル不断ノ歌声ハ大刈鎌ニ乗ツテ奔騰スル
大刈鎌ニ跨ガレバ 天ハサラニ展カレテ己ト酔ヒ
磔木ノ荒クレタ影ノ裡 諸々ノ凶ナル種子ヲフリ撒カフ
ココニアレ友ヨ
黒ト緑金ノ刺シ違ヒ
ムジンナ光ノ槍ブスマ 夏
畳コム透明嵐気ノマツタダ中ダ
コノ酔ヒニコソ己ハ 悪血ニ噎ル生肉ノ日々ヲ潔メルノダ
胸ヲバンバン晒シテサラニ 苛薄ノ※(「木+無」、第3水準1-86-12)ニ搏タレヨウ
火ノ飛沫ヲ享ケヨウトスルノダ


海の非情


うねりは深甚な藍青にくろまり
キレの剄い気流のましたを落ちながれ 漂ひ
油然と息をひそめ また一瞬にたかまつて
砕けちり 錯乱する それもあらたに
しづかな凄みの渦を巻きかへし おもひ返して 奈落へと墜ちなだれ うねり
ああ 繰り返しの歯向つてくる無明の表情 これは涯しない肉体だ
この目にみえて 見えるともない怒りこそ永遠の所有から
踏み出す万の手の露はなるつながり
鹹水に裸をさらしていま無尽な夢と格闘の
槍穂の束のぎらぎらに醒め
醒めきれぬまゝに立ちむかはふとしてゐるが……
うねりはおほまかな足摺りで 灼ける水平から寄せてくる
陸地をむざんに噛んでゐる


神の犬


ぎいんとした岩場の空が死んで視るかぎり
燦々たる微塵群の天幕は醒めてゐる
鞴のやうな息吹きに 翳をひく時間のながれ
挑みあふ千の枝々に血を滴たらせ
雪の切々たる抑制に ただ前へ目をおとす
背におふ花の印象と燃えあがる灰の錯乱と――
吠えることを忘れ
ああ ひとりなる神の犬よ
荒々しい夢のかたまりとなつて
いまは燼のやうに動くすべをしらない
身を退いて 忍べよ
眼は鹹水に漬かるべし
剛直の毛並に油をそゝぎ
牙にはそれ伐られざる荒蕪地を横たふべし
耿々たる大理石の粉をあび ひたすら
炎上せる季節のましたに血を整へよ
ふたたび夢をゆりおこせよ
きびしい岩場の大天井にしづかにむげんの闘ひが映る
また恐ろしい時間のながれか
陶酔の歌 風に千切れて



鋼の※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)を強引に張りめぐらせて、酒精と星星の拉ぎあふ死の穹窿を、諸手に抱きこんでゐる流沙の涯だ。透明な光の群落をかきわけて、そこから馥れうつ火の奔馬達。かつては様々に、※[#「さんずい+哀」、U+2ADA6、248-上-17]りたつ悲哀や魅惑を堵け、つねに非道の輩と、飽くなき爛酔に棲みながら闘ひを決してきた己だが。ああ、またしても幻を起す、この灼かれた皮膚のしたに鎖を曳いて逆流する海洋、北方の。暗緑の飛沫にけぶる刃の弧線よ。それこそ生々たる闘ひであつてくれ。鋼の※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)をむじんに切り破つて、脱がれて生肉の唯一なる胆妄に無数の槍を負つてゐる現在か。だが荒涼として、これが無限の修羅を墜ちてゆく全意識であらうか。――己は笑ひだす。

喉元から身を鉄条に突き刺したまま、足もとに横たわる鴉一羽。その虚ろな眼窩に喰ひさがる青褪めた血の幾筋を、――漆黒の羽毛は残虐な光の逆手にかき窩られて、燃えあがる。打ち据えられた生肉の、熱気に煽られ、戦慄の、だがもう還るすべもない影の狼煙ではないか。燃えろ、燃えあがつて彼の穹窿の大扉を思ふさまに蹴外してくれ。しどろに荊棘を藉きつめて、臨終の、いま大正午の深い畏怖にひき摺られ、殺戮のあらはな声は無辺の屋根に遠退いてゆく。ほしいままなる――それを聴くのだ。

渇いたうへにも渇く檜葉の枝々。
黒三稜みくりの重なる沼沢に漬つた凶時よ、この青春時。
酔ひ痴れた姿態の裡に、蒙昧な刹那々々の反応に、ありとある幻象の隈を彫り、背徳と夢と倨傲の立ちはだかる、この青春時。荒掴みに己の裸身をひき起して、なほ哀切の言葉を薄るものは何であらう。足もとには、おお 燼が吹きつのる熱気に擾れて、このひと時の己の愛だ。苦い獣皮のやうに、酒精と星々の拉ぎあふ死の穹窿を、諸手にかけて、――流沙の涯へ沈んでゆく。



重い油をさすやうに
つめたく秘密にとり縋るもの
この手はひさしく慄えるペン軸を必死と握つてゐるのだが
苦がいインキは海の気配にそそがれて
やうやく乾いた血いろの底にしづんでゆく
日のひかりはこの手にとどかず
この手は叫ばずおのれに堪へ
沸騰するくらいナヂールの
大回転のしたにある
艱める翳に伏したままさうしてばらばらと頁を繰るのだが
水のいろが鹹くぶきみに漂ひながれて
虫をまいたやうに凶はしい
時をりあの強大なむなしさを孕む幕となつてなだれると
斑らの網に非情の鱶はみえかくれ
翳を払はふとするこの手もやがて見失はれる


蠅の家族


しやべり散らすな 愛を
おもひきり胸には水をそそげ
斧は真冬のつらに打ちこまれて其処に※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)を張れば陣々と鳴る
岩乗な鉄拐のうしろに廻つて
つめたい風が煤を吹きまくる季節中
そいつのために諸々の夢の所在が冱えてくるのだ
冬は
はがねの仕組みで
むしろ万人の汚辱のなかに※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)しく立ち
悔いと怒りに充ちた己こそ千切れなければなるまい
離散する蠅の家族ら
道は道のあるかぎり覆され
とほく終駅にえぐられた跨線橋黒だ

己は血ぬれ
移動する雲と樹々と
そそがれる水のあふれ……
冬の※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)が鉄拐の一撃にばりり壊されては
かすかに青みどりの合唱ながれ
胸のなかひとすぢの憂愁は逆毛だつ
たちまち荒々しい光がいり擾れてくるのを
己は身に浴びて目撃する冬だ


悪霊


荒地をうしろにして少年は裸馬の上にゐた
ぎらとした染料を溶いて涯しない酷熱が来ると荒地の喚ばふ
その澱みくる酷熱にさきぶれて
渇きは風とともに舞ひあがる
むげんの引き波に漂ふものみなのしじま
鞭をならして砂塵に没した慓悍な影を見送れば
裸馬からずり落ちた少年に哄ひはいつそうむごく残され
さうしてひとたびは身を起したが
無用の白々しい風に捲かれた


兇行


この夜明け。秋の眩輝ぐれあに犯されて、困憊の、ざざといふ風や光や、その微かな参差の奥に人を喚んでゐる、あはれ黒松属であらう。雷管を蔵した岩尾根が低い天末に削られて、その上に火傷を浴びた雲を飛ばせば、菫青色の深まる天のぐんと向ふ。巨いなる荒掠者の手からふり撒かれ、己の遡る河上にいま、微塵はとうめいのあやしい廃汽となつて沈んでくる。水の面にたゞよふ彼の影像は、水羊歯や蘆のたぐひを啖ひながらも、あばかれた地上に在るものの、匈々たる交感の裡に織りこまれてゆくのか。旧くまた新しく、つねに兇行の果されて来たこの河上に、彼の息吹は人間歴史の跡を曝して、ああ、それを己に伝へる彼の苛烈よ。秋は骨のやうな磧を渉り、水底に渇き疲れた神々の声を聴いてゐるのだ。哄ふべし。神々と言はふ、たゞわけもなく飜へる水の面、――かき消された妄想が薹のやうに、復た此処に聚るであらう。己は必死なる季節の加担者。遡るところ、眩輝の異しい漲落を胸に量り 額をもたげて愛のやうな 荒繩のやうな強力の酔ひをこの躯に糾ふのだ。しだいに昂る爛酔となれば、反つて一望の視野は冷然ときりひらかれ、四肢に※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、251-上-13]ふ風や光の鳴り響く その戦きを貫いて地と天の境のもの黒松の岩尾根の、不逞にして深甚なる彼こそ、燦として正しく煤を払ふ荒掠者の姿だ。彼を捉へ、彼に視入り、彼から離れ去る誠実の言葉は、己たちに降りかゝる贖ひの血しぶき、――いつかは涯の日を笞打たれる身であらうに、おもへば己や君や、まれ[#「穴/宇」、251-上-19]なる理会の何んといふ空しさだ。

堕ちゆく面貌の数々といひ
こころなき蹂躙に委せた心情の隈といふ――
喪に塗りつぶされた自棄くそのインキ画で
生活の 情痴の ひたむきな妄想の蠅といふ――
たちまち群れて唸りをあげ 犇きあがり 修羅の火の
手に覆へる大血槽に溺れるといふ――
おもふざま其処でじたばたするといふのだ。
無頼な群集の裡に棲みながら
おもひ上つた信条を悦しいといふ――
ああ 冷酷の無辺大 磁の凄じい牽引に躯を焼いて
すべて闘ひの途に起て。各々はげしい自愛を衝くのだ。
この夜明けに 幾万の眼をひらく子らは 甍に重なる甍を跨がり 海へなだれる起伏の昏い涯を馳つて 彼等その生長の日々に何を歓び歌ふであらうか。撃たれよ みづからの深傷ふかでに生きたる哄ひをあげて 千年の鉄柵に懊のやうな血を流すべし。
河上に 玻璃末の錯乱。
荒掠者の行方。
己はまだ遡る。永遠 風に荒れて 兇行の日々は殷賑たれ。


無題


冬なれば大藍青の下の道なり
樹々のはだ臘のごと凍りはつれど
樹々はみなつめたき炎に裂かれたり
樹々は怒りにふるへをののき
樹々の闘ひ
残雪に影ながくたれ
なにごとか祈らんとしていのりあへず
道のはていづことも知れざれども
壮んなる時をよばひて樹々は光にちぬれたり


ある日無音をわびて


ぺこぺこな自転車にまたがつて
大渡橋をわたつて
秩父颪に吹きまくられて
落日がきんきんして
危険なウヰスキで舌がべろべろで
寒いたんぼに淫売がよろけて
暗くて暗くて
低い屋根に鴉がわらつて
びんびんと硝子が破れてしまふて
上州の空はちひさく凍つて
心平の顔がみえなくて
ぺこぺこな自転車にまたがつて
コンクリに乞食がねそべつて
煙草が欲しくつて欲しくつて
だんだん暗くて暗くて


青い図面



俺が窓をあけると貴様は階段を馳けおりた
太陽は起重機の下でぼろぼろに錆びてしまつた
電流の作用で群集の額はたちまち蒼褪めていつた
意識の内部に赤い盲腸が氾濫した
くづれた街角に走つて貴様は誰かをしきりに呼んだ
俺はあをい図面を手にして窓をかたく閉ぢた

何処かで銃声が一発した


俺が酒場で考へて居ると貴様は鏡をぶちこはした
壁のむかうから太い首が横暴な主張をどなりだした
往来には無数の寝台が獣のやうに流されていつた
俺と貴様は恐ろしい方角に向つて微笑した
並木のはてで無用の情人と別れた影はすでに消えた
ああ 歪める建築の背後にひそむ現実
とほく運河をすべる秋の惨忍な表情を抹殺せよ


秋の封塞


俺は手をあげてゐる 彼奴は用意する
市街ははや秋の封塞につめたくも斜傾するよ
あの厖大な鉄の下では電波のやうによろめいて
肋骨だけの男らが貧弱に管をまいてゐる
すべてここに実在するものは海面にまで傾倒し
みづからを刺さうとする陰欝なる堆積に充ちあふれ
造船術は街角に灰緑色の皮膚を噛みくだいてゐる
恐ろしい物質の秘密をかんじ その重量を交換し
生物はほとんど幽霊について喚いてゐる
造花はいちめん舗石の上に血を流し
ああ とほく秋色殺到して
赤煉瓦
泥靴

雲は洋紙のやうに巻かれて高く
ひそかに横行するものは高架橋を窺がひ
光線は幾条も運搬され 吠えない犬が稀薄である
錨はすでに溶解され 百万の時計は瀝青に狂つた
 ≪なんにも言ふことなんぞあるもんか≫
俺は手をあげてゐる 彼奴は用意する


眼鏡


どすぐろい男らがいつさんに馳けてゆき
どすぐろい女らがいつさんに馳けてゆき
自然はいちどに憔悴する
工場は一度に燃えあがる
これはなんといふ兇悪な眼鏡の仕掛けであらう
どすぐろい男らがいつさんに倒れ
どすぐろい女らがいつさんに倒れてゆき
あらゆる眼鏡は屠られてしまつた
あ この悲しめる世界の中黙
遠く嵐ははげしく呼ばれ
この鉄橋はさかんにたゝかれてゐる
どすぐろい倒れゆく者等いつさんに重りあひ
やがて曇天は墜落しよう


老将


渺たる陣営のほとりにたてば
にごりたつ瘴気やける霜
肉をつみごと山川のうつろひに
せきばくたる内奥の夢も痺びれはてたり
最末人の眷属として積年ひとりこゝに曝らされ
あますなき悲惨の終焉をみ送るわれぞ
おゝ光なら無地とうめい乱射のなか
骨髄といふかの不覊なる情緒に過ぎ来たるわが哀傷の渇きたり
凄涼たる日のあしたにも莞爾として
鞭をなぐればわづかに虚しい影の鳴りひゞき
また捲きあげる黄塵にうたれ
がんとしたはるか山濤のいきづらに打ちむかふ
仰げば昇汞の天の底つねに巨いなる陥穽を愛せり
われの呪ふべきかな
噴火獣の餌食とならばなるも善いかな
いくたびか諸悪奴輩の憂愁に共感せるも
いまにして淋漓たるものをつらぬかんと欲情せり
風に乗る硝煙は風のいやはてに絶えんとして
火の陣営に黒一色の死を混じへ
なにものをもさらに混じえず
かくてもわれに参加するものはあらじ


哈爾浜


埠頭プリスタン区ペカルナヤ
門牌不詳のあたり秋色深く
石だたみ荒くれてこぼるゝは何の穂尖ぞ
さびたる風雨の柵につらなり
擾々たる世の妄像ら傷つきたれば
なにごとの語るすべなし
巨いなる土地に根生えて罪あらばあれ
万筋なほ欲情のはげしさを切に疾むなり
在るべき故は知らず
我は一切の場所を捉ふるのみ
かくてまた我が砕く酒杯は砕かれんとするや
かかる日を哀憐の額もたげて訴ふる
優しさるきいたましき
少女名は
風芝ふおんずとよべり
死の黄なるむざんの光なみ打ちて
麺麹つくる人の影なけれどもペカルナヤ
ひとしきり西寄りの風たち騒ぐなり


海拉爾


凄まじき風の日なり
この日絶え間なく震撼せるは何ぞ
いんいんたる蝕の日なれば
野生の韮を噛むごとき
ひとりなるハンの怒りをかんぜり
げに我が降りたてる駅のけはしさ
悲しき一筋の知られざる膂力の証か
啖ふに物なきがごと歩廊を蹴るなり
流れてやまぬ血のなかに泛びいづるは
大興安のみぞおちに一瞬目を閉づる時過ぎるもの
歴史なり
火襤褸なり
永遠熄みがたき汗の意志なり
風の日かんば[#「木+草」、255-下-17]飛び 祈りあぐる
おお砂塵たちけぶる果に馬を駆れば
色寒き里木リーム旅館は傾けり


汗山ハンオーラ


茫々たるところ
無造作に引かれし線にはあらず
バルガの天末。
生き抜かんとする
地を灼かんとするは
露はなる岩漿の世にもなき夢なり
あはれ葦酒に酔ふ
旧き靺鞨の血も乾れはてゝ
いまぞ鳴る風の眩暈。
    ――山汗は蒙古語にて興安嶺の意なり――


熱河


冷タク血ニ渇イテ。岩角ヲ 繊維ノヤウナモノ。ソノ杳カナ所 燃エ煌メク深淵フカミニ難破スル オレノモロ手。擾キミダス 荊棘ヲ 暗イ溝渠カナルト人影ト死ト。ヒルガエル狂気ノ轍ト。一沫ノビテユメン。アア 縒リタグル熱風ノ一陣ニ 斃サレテ イチメンノ砂ト無為ト。ソノ上ノ苛責ト。熱気ニ刺サレタ網膜ヲズリ墜チテ 何トイフ莫大ナ旅程デアラウカ。オレハ唯一者タダヒトリ。灼ケ熾カル自ラノ終焉ニ牙ヲタテ 爛燦タル夢ノ苛察ヲ思ヒ知ルノダ。不可能ノ陥穽ヨ オオ 未知ノ太陽ヨ。スベテ渦巻ケル地平ノ向背カラ 自ラヲ標的トスル虚妄デハナイカ。ズタズタニ肺腑ヲ 荒シテ 羚羊シャモア色ノ微塵ガ犯ス。今ハ蒙昧ノ 露ハナル領域ニサヘ驕ルスベモナイ。親愛モナク 糧モナク。掌ニワヅカ最後ノ罌栗ガ潰エ 血漿ガ黝ク 頸ニ錆ビル。晒サレテ 灌木ト死馬ノ間。禿鷹ノ盲イテ 飛ビタツ 熱気ノ底ヲ 諸々ノ息吹キニ耳ヲタテテヰル オレダ。拡リ擾レテソレハ沸キカヘル人口ト季節ノ 喚声ニ乗ツテ。干割レタ台地ニ。鋼ノ堆積ニ。雲ノ涯ニ 裂ケマヂル集団デハナイカ。ソノトドロシイ行方ニコソ 暴溢スル流レ熱河デハナイカ。遂ニ熄ムコトノナイ軋轢ニ タチクラム濛気ノ中ヲ 荊棘ヲ※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、256-下-17]ツテ 起チナホル身ヲ震ハスオレダ。岩角ヲ 血ニ渇イテ夏ガ。鉄車ノ轍ガ。悪草ガ。ナホモ杳カナ穹窿ヲ犇イテヰルノカ。


無題


おほいなる纜あげて
わが怒りの発たんとするに
いまぞ擾乱のあくなき海はあやしとも
ぼーうおーうの叫びしきりなり
見えわかぬ無垢の道
冬ブルキの雲間にいりて
非情の友は最末の日縊れたり
かかるとき蒼茫の日なかにかくれて
何者かわれにせまらんとすなり


無題


醒めがたき虚妄に身をゆだねつゝ
わが飢ゑの深まりゆくを
日はすでに奪はれて
げにあとかたもなき水脈のおそろし
くろがねの冬の砦は手にとらば一片の雲となるべく
手にとらばわが飢ゑも血をなせる灰とならむを
かくてまた
醒めがたき日を享けつがば
なにをもてわが歌のうたはれん


無題


夏は爛燦の肉をやぶれど声なく
われは仮相の作者にすぎざるなり
痺れる水もとうめいに炎をひとたび上げたれど
眼に蒼緑のにがき光をうがちなば
あはれ酔ふこともならじ
迅速のつばさはいや涯の杳き渦流に墜ちんとして
肉のうちをつらぬかば擾然たるを
日ごろむなしきことのみを歌ひ
そが夢のおどろしさに狂奔するものの傷ましきかな


無題


秋はみづいろにはがねをなせど
わが眼にくらく辰砂の方陣はみだれおち
岩巣にたちくらむ豺のごと
ひさしく激情のやまざるかな
日は無辺にせまりてものみなの隈のふるへか
わが肉は酸敗の草にそまりて滄々としづみゆきたり
しらず いづこに敵のかくるや
風の流れてはげしきなかを
黒 ひかり病む鑿地砲台


黒竜江のほとりにて


アムールは凍てり
寂としていまは声なき暗緑の底なり
とほくオノン インゴダの源流はしらず
なにものか※(「厂+萬」、第3水準1-14-84)げしさのきはみ澱み
止むに止まれぬ感情の牢として黙だせるなり
まこと止むに止まれぬ切なさは
一望の山河いつさいに蔵せり
この日凛烈冬のさなか
ひかり微塵となり
風沈み
滲みとほる天の青さのみわが全身に打ちかかる
ああ指呼の間の彼の枯れたる屋根屋根に
なんぞわがいただける雲のゆかざる
歴史の絶えざる転移のままに
愴然と大河のいとなみ過ぎ来たり
アムールはいま足下に凍てつけり
大いなる
さらに大いなる解氷の時は来れ
我が韃靼の海に春近からん


人傑地霊


巻きあげる竜巻を右とみれば
きまつてクエイの仕業と信じ
左に巻き上がる時
これこそシエンの到来といふ
かかる無辜にして原始なる民度の
その涯のはて
西はゴビより陰山の北を駆つて
つねに移動して止まぬ大流沙がある
それは西南の風に乗つて濛々たる飛砂となり
酷烈にしていつさいの生成に斧をぶちこむ
乾燥亜細亜の一角にきて
彼はこの土地を愛さずにゐられない
目には静かな笑ひを泛べ吃々として物を言ふ
熱すれば太い指先は宙に描がかれ
それはもう造林設計が形の真に迫る時だ
彼は若く充実せる気力にあふれ
喜びも苦しみも
ともに樹々のいのちとあるやうに見える
樹々は彼の幅ひろい胸をとりまき
樹々はみな彼の愛をうけついで向上する
まことに愛は水のやうに滲透する
彼はふり濺ぐはげしい光を浴びながら
さうしてゆつたりと耕地防風林の中に入つてゆく
私は彼とともに人傑地霊を信じる者だ





底本:「現代日本名詩集大成 七」創元社
   1960(昭和35)年11月20日初版発行
※底本で使用されている「《》」は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
※誤植、脱字については、「定本逸見猶吉詩集」思潮社、1966年1月10日初版を参照して確認しました。
※旧仮名遣いの書き方が誤っていると思える箇所がありますが、底本通りにしました。
入力:林 幸雄
校正:小林繁雄
ファイル作成:
2003年1月15日公開
2011年11月23日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。




●表記について

「さんずい+弥」、U+3CFD    231-下-19
「纏」の「广」に代えて「厂」    240-上-14、251-上-13、256-下-17
「車+兀」、U+8ECF    241-上-5
「さんずい+哀」、U+2ADA6    248-上-17
「穴/宇」    251-上-19
「木+草」    255-下-17


●図書カード