涸沢の岩小屋のある夜のこと

大島亮吉




 自分たちの仲間では、この涸沢からさわ岩小屋いわこやが大好きだった。こんなに高くて気持のいい場所は、あんまりほかにはないようだ。大きな上の平らな岩の下を少しばかり掘って、前に岩っかけを積み重ねてかこんだだけの岩穴で、それには少しもわざわざやったという細工のあとがないのがなにより自然で、岩小屋の名前とあっていて気持がいい。そのぐるりは、まあ日本ではいちばんすごく、そしていい岩山だし、高さも二千五百米突メートル以上はある。これほど高くて、自由で、感じのいい泊り場所はめったにない。人臭くないのがなによりだ。穴のなかに敷いてある偃松はいまつの枯葉の上に横になって岩のひさしの間から前穂高まえほたかの頂や屏風岩びょうぶいわのグラートとカールの大きな雪面とを眺めることが出来る。そのかわりいつもしゃがんでいるか、横になっていなければならないほどに内部は低い。景色と言っては、なにしろカールの底だけに、ぐるりの岩山の頂上と、カールの岩壁と、それに前に涸沢の谷の落ちてゆくのが見えるだけで、梓川の谷も見えない。そしてそれにここにはあんまりくるものもいない。実にしずかだ。そこがいいんだ。そこが好きなんだ。米味噌そのほか甘いものとか、飲物のすこしも背負い込んで、ここへやって来て四、五日お釜を据えると、まったくのびのびして、はじめて山のにおいのするとこへ、きたような気がする。
 天気のいいときは、朝飯を食ったらすぐとザイルでも肩にひっかけて、まわりの好き勝手な岩壁にかじりつきに行ったり、またはちょっとした名もないような Nebengipfel や、岩壁のあたまに登ったりして、じみに Gipfelrast をあじわってきたり、あるいはシュタインマンを積みに小さなグラートツァッケに登るのも面白い。そうしてくたびれたら、岩小屋へ下りて来て、その小屋の屋根になっている大きな岩のうえでとかげをやる。とかげっていうのは仲間のひとりが二、三年前にここに来て言いだしてから自分たちの間で通用する専用の術語だ。それは天気のいいとき、このうえの岩のうえで蜥蜴とかげみたいにぺったりとおなかを日にあっためられた岩にくっつけて、眼をつぶり、無念無想でねころんだり、居睡いねむりしたりするたのしみのことをいうんだ。その代り天気の悪いときは山鼠だ。穴へはいりこんで天気のよくなるまでは出ない。出られないのだ。しゃがんでいてもうっかりすると頭をぶっつけるくらいに低いところだから、動くのも不自由だ。だから奥の方へ頭を突込んで横になったきりにしている。標高があるだけに天気の悪いときはずいぶん寒い。雨も岩のひさしから降りこんだり、岩をつたわって流れ込んだりする。風も岩の隙間すきまから吹き込む。だがこれほど気分のいいとこはちょっとないようだ。天気でもよし、降ってもいい。自分たちはそこで言いたいことを話したり、思うままに食って、自由に登ってくる。ヒュッテらしい名のつくようなヒュッテも欲しいと兼ね兼ね思っているが、それは冬のときや春のときのことだ。夏にはこんないい自然のヒュッテがどこにでもあるなら、まあ夏だけのものならばそんなに欲しいとは思わない。ここは夏でもすこし早く来るとまだ岩穴が雪に埋っていることもある。
 とにかく自分たちの仲間ではここへ来ていろいろと話したり、登ったりして好き勝手に日をすごしてくることが、夏の上高地へ来てのひとつのたのしみなのだ。ところで、ここにはそのひとつとして、その岩小屋のある年の夏のある夜のある仲間のことを書いてみる。これが自分たちの仲間のある時期のひとつの思い出にでもなればいいと思って。

 そのとき自分たちは四人だった。自分たちは丁度北穂高のいただきから涸沢のカールの方へ下りてきたのだった。……そしてそれは夕暮だった。歩きにくいカールの底の岩のテブリイのうえを自分たちの歩みは無意識にすすんで行った。
 それは実によく晴れわたった、おだやかな夏の夕だった。眼のまえの屏風岩のギザギザした鋸歯きょしのようなグラートのうえにはまだ、夕雲はかがやかにいろどられていた。そしてひと音きかぬ静けさが、その下に落ちていた。おおらかな夕べのこの安息のうちに山々は自分たちをとりまいて立っていた。自分たちはこれからこの涸沢のカールの底にある、自分たちにはもう幾晩かのなつかしいいこいと眠りのための場所であった、あの岩小屋へと下りてゆくところだった。自分たちの右手の高きには前穂高のいただきがなおさっきの夕焼の余燼でかがやいて、その濃い暗紫色の陰影は千人岩のあたまのうえまでものびていた。そしてはるかの谷にはすでに陰暗な夜の物影がしずかにはいずっていた。自分たちはそのころようやく岩小屋にかえりついたのだった。そして偃松の生枝なまえだをもやしては、ささやかな夕餉ゆうげを終えた時分には、すでに夜は蒼然と自分のまわりをとりかこんできていた。それはまたすばらしくいい夜だった。すてきに星の多い晩だった。高いこの山上をおし包むようにおおきな沈黙がすべてを抱きこんでいた。
 火のそばをすてて、自分たちは岩小屋のなかから外にでた。そしてその前にあった岩にみんなおのずと腰をおろした。冷やかな山上の夜は自分たちのうえに大きくかかっていた。晴れきった漆黒の夜空のなかで、星が鱗屑うろくずのようにいろいろの色や光をしてきらめいていた。四人とも黙って岩に腰をかけたまま、じっと何かについて思い込んでいたりパイプばかりくわえて黙っていた。けれどもそれはこのような夜の周囲にはほんとにしっくりと合った気分だった。山は雨や風の夜のように底鳴りしたりしないのですごみはなく、圧迫的でもないけれど、あんまりおだやかで静なので、そこにひとつの重味のある沈黙というものを示していた。「山は時としてはその傍観者に自らのムードをしつけることがあると同時に、また傍観者はしばしば山がれ自らの気分と調和してくれるのを経験することがある」とマンメリイだかが言っていたが、そのときの自分たちの気持はたしかに後者のようなものがあった。自分たちのうしろにも横の方にも、闇のなかに真黒に岩壁や頂がぬっと大きな姿で突っ立っているけれど、自分たちにはこの時はちっとも恐ろしくも見えなければ、もの凄くも思われなく、むしろこのぐるりを半分以上もとり巻いている山を、親切な大きな風よけぐらいにしか、親しくおもえてならなかった。そうしてその真ん中の小さな岩小屋は自分たちのような山の赤ん坊の寝る揺籃ゆりかごみたいにおもえてしようがなかった。言い方が可笑おかしいかも知れないが、それほどいやに山が親しみぶかく見えたんだ。だけれど、ただひとつこのあまりの静かさが自分たちに歌を歌わせたり、笑い話させたりさせないのだ。たしかにこの時の山のムードと自分たちの気持とはハーモニイしていた。
 自分たちの四人はみな黙っていた。けれどみなこういう気持でいることはよくお互いに知りきっている間柄あいだがらだけにおのずとわかっていた。そしておのおののいま黙って考えていることが、ある一部の山を登るものにとっての必ず出っ喰わす大切なことであることも知っていた。自分たちは先刻さっき夕餉を終えた後での雑談のあいだに、偶とその年の冬、自分たちの仲間とおなじようによく知り合っていたひとりの山友達を山で失っていて、その友達がその前の年の夏に自分たちと一緒にこの岩小屋へやってきてたのしい幾日かをすごして行ったときのことが、ちょっと出たのだった。そして自分たちはそれっきりで言い合したように、その話は避けてよしてしまったのだった。それから黙っているのだった。自分たちは外にでて岩に腰をかけたのだった。そしてそのときまでも黙っていたのだった。
 そのときまで自分たちお互いは心のなかで、光の焦点のように各々おのおのの心の中に現われている、あるひとつの想いについて寂しい路を歩いていたのだった。ふと涸沢岳のあのもろい岩壁から岩がひとつちる音がした。カチーン……カチーン……と岩壁に二、三度打ちあたる音が、夜の沈黙のなかにひびいた。そしてそれがすんでしまうとまたもとのような言いあらわしようもないほどの静かさだった。
 そのときだった、ひとりが考えにつかれたかのように、自分たちの前にひとつの問いを投げだした。――
「おい、一体山で死ぬっていうことを君たちはどうおもっている。」
 自分たちはみんな同じような気持で同じことを考えていて、誰れかが話しの緒口いとぐちをきるのを待遠しく思っていたかのように見えた。そこへ、この言葉が落ちてきたんだ。勿論それは反響こだました。全く先刻さっきから自分たちお互いの心はお互いにこの高い山の上の、しかも暗いなかで、自分たちのなかからその大切な仲間をいつ、誰かもわからずに、失わしめようとしているこの山での不幸なゲファーレンというものについて、結局は自分たち自らさえも山で死ぬかも知れぬということについて、新しい信仰をうち建てるようにと言いなやんでいたのだった。
 ひとりがそれに対してすぐに答えて言った。――
「それは山へなんか登ろうって奴の当然出っくわす運命さ。」
「うん、そうか、それじぁ山へ登ろうって奴はみんなその運命にいつかは出っくわすんだね。」
「そうじぁないよ。みんなとはかぎりゃしないさ。運のいい奴はそれにであわなくってすんじまうよ。それから山へ登る奴だって、そんな運命なんかに全然逢着あわないように登ってる奴もあるもの。」
「じぁその逢着あうような奴っていうのはどんな奴さ。」
「まあ、言ってみりゃあ、結局ワンデーみたいな奴さ。俺はワンデーの兄貴が、あいつがやられたときに富山へゆくとき、途中を一緒に行ったが、そのとき言ってたよ。うちの弟は私によく言ってましたよ俺はきっといつか山でやられるって、俺はそいつを聞いて感激したね。もっともその時はいくらか昂奮もしていたがね。そしてその時すぐにマンメリイのあの言葉をおもいだしたよ、ほら、なんていったっけなあ、よく覚えてはいないけれど、It is true the great ridges sometimes demand their sacrifice, but the mountaineer would hardly forgo his worship though he knew himself to be the destined victim. とか言ったやつさ。そうして一晩中寝ないでHと話しつづけちゃったら、そのあしたへたばったよ。…………だからさ、ワンデーやマンメリイみたいなやつは、まあたとえてみればさ、そういうような運命に出っくわすのさ。実際ふたりとも出っくわしちゃったがね。けれど山で死ぬやつはみんなこんなやつばかりじぁないだろう。無鉄砲をやって死ぬのや、出鱈目でたらめに行ってやられるやつもいるさ。だけれど、そういうのは問題にはならないよ。注意し、研究もしてみて、自信があってやってさえ、やられたというのでなくちぁね。マンメリイは先刻さっきの言葉を、Penalty and danger of mountaineering. っていう章のところで、山登りの危険を詳しく論じてから言っているんだぜ、山登りにはかくかくの危険がある。そしてそれはかくかくして避け得られるし、勝ち得られる。けれどなお登山者の不幸は絶対には避け得られない、と言ってその後へ先刻の言葉をもって来ているのさ。ワンデーだってそうだろう。『山とスキー』に、「人力の及ぶかぎりのたしかさをもって地味に、小心に一歩一歩と固めてゆく時にはじめていままで夢にも知らなかった山の他の一面がじりじりと自分らの胸にこたえてくる」って書いていたじぁないか。おそらくそうやって行って、それでもやられちゃったんだ。そこまでゆけば、あとは運命さ、なんて言ったって俺は運命だと思うよ。だから、そういうようなやつらにとっちゃあ、山登りは趣味だの、またスポートだのって思ってはいないかも知れないぜ。」
 答えたひとりは、熱心に、疲れることなく言った。
「スポート、趣味、勿論そうじぁないだろう。俺だっていま現在、俺の山登りはスポートだとも思ってやしないし、趣味なんかでもないや、なんだかわからないが、そんなものよりもっと自分にピッタリしたもんだ。」
 新しいひとりが暗いなかで、すぐその前の言葉を受けて、強く言い放った。沈黙が暫くつづいた。すると、
「とにかく、人間が死ぬっていうことを考えのうちに入れてやっていることには、すくなくともじょうだんごとはあんまりはいっていないからね。…………」と多くを言わずに、あとの言葉をのみこんでしまったように言ったのは、その死んだ友とそのとき行をともにした自分たちの仲間のひとりだった。れこそは自分たちの仲間で最も異常な経験をそのときにしたのだ。だから、山での災禍ということについては最も深い信念をば、彼れは特に自分たちに比してもっているわけだ。けれど彼れはそれを自分たちに語りはしなかった。彼れのおもい秘めたような心を自分たちへ敢て開こうとはしなかった。けれど彼れはただこういうことだけは言った。「俺はそのとき以来一層山は自分からはなしがたいものとなってしまった。立山は以前から好きな山だったが、あの時からはなお一層好きになってしまった。」そしてそれ以上はなんにも言わなかった。話しはまたとぎれてしまった。各々の想いはまた各々の心のなかをひとりで歩まねばならなかった。
 自分自身の心胸にもそのときはいろいろのことがおもい浮んだ。暗い、後ろめたい思想が自分を悩まし、ある大きな圧力が自分の心を一杯にした。そしてついに山は自分にとってひとつの謎ぶかい吸引力であり、山での死はおそらくその来るときは自分の満足して受けいれらるべき運命のみちびきであるとおもった。そしてそのとき自分のたましいのウンタートーンとして青春のかがやかなほほえみと元気のあるレーベンスグラウベとが心にひろがってきた。死ということをふかく考えても、それを強く感じても、なお青春のかがやかしさはその暗さを蔽うてしまう。わけて自分たちにとっては、山での死は決して願うべく、望ましき結果ではなけれ、その来るときは満足して受けいれらるべき悔いのないプレデスティナツィオーンであるからだ。そしてそのとき夜はますます自分たちの頭上に澄みわたっていた。かずかずの星辰は自分たちにある大きな永遠というものを示唆するかのように、強く、あきらかに光っていた。ひとつの人間のイデーとひとりの人間の存在というようなものがおのずと対照して思われた。すると、そのときだった。ふと夜空に流星がひとつすっと尾をひきながら強く瞬間的にきらめいて、なにかひとつの啓示を与えたかのように流れ消えた。万有の生起壊滅の理。突然そのときひとりの友の声が沈黙の重みをうちこわして、おおらかに放たれた。彼れはそのほのみえる顔に、あふるるような悦びの色をたたえて言ったのだった。
「おい、俺たちはいつかは死んじまうんだろう、だけれど山だってまたいつかはなくなっちまうんじゃあないか。」

 このひとつの叙事文はこの通りのままの事実がそのままにあったのをそのままに書き表わしたのではないという事はお断りしなければならない。だけれどこの中に叙せられた山の上での経験についても、またこの中に織り込まれた会話体の部分についても、それらのものは皆実際にあったことである。ただそれらはそれぞれの時と場所を異にしていたという事にすぎない。それでここでは記述のうえの都合からそれを同じ時と場所に於て起った事象の如くに取扱かったのである。
 私らの仲間はいつも集る度ごとに「山」について語った。それはいろいろのことを含んでいた。それは山登りのうえのプラクティシュなことを話したと同時に、また或る時には山登りのうえのメタフィジィークについても大いに語り合ったことがある。私らは若い、だからそんな時には、夢中になって、さもえらそうに、いろいろのことをしゃべった。それ故そこにはあるいは青年の純情とも言いつべきものがあるかもしれない。確かにその時どきのある一個の事象に対しては幼稚なまでに直路ひいぶるなライデンシャフトを持ってたかも知れない。あるいはこの後、ずっと時が経ってから顧みる時は、そこに恐ろしく生真面目な、空元気のある、深刻さがあった。そしてやや滑稽な空気が漂っていたのを認めざるを得ないかも知れない。しかしそれはどうでも自分にはいいことだ。人間は常に歩んでいるものだと私はおもう。昨日も今日とは同じきものではないかも知れない。だからその時と現在との間にどんな深いけじめがあろうと、どんな遥かな隔りがあろうと、それはなんでもないことだ。私らは私らのある時期の「想い出」ともなろうかと思って、こんなことをそこから「ありのままに」何の飾りもなく何のよそおいもなくひき抜いてきたのである。だからそこにはあるいは愚かしい私らの考えの一端があるかも知れない。けれどこの私の文はその内容を以って目的とはしていないのだ。それは愚かな、また誤った考えでもあったであろう。しかし私は敢て言っておこう。私をしてこの文を成さしめた力は、すべて青春を駆って山を登るうえの真の一路に向わしめるその力によって、わがに把握し得たものの一断片をここに投げ出すのだということに於て存したのである。つまらないよけいなことだが敢て附記した次第である。





底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
   2003(平成15)年11月14日第1刷発行
   2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「登高行 第五年」
   1924(大正13)年12月
初出:「登高行 第五年」
   1924(大正13)年12月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
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