夏蚕時

金田千鶴




          一
 午過ぎてから梅雨雲が切れて薄い陽が照りはじめた。雨上りの泥濘道を学校帰りの子供達が群れて来た。森田部落の子供達だ。
 山の角を一つ廻ると、ゴトゴト鳴いてゐた蛙の声がばったり熄んだ。一人の子がいきなり裾をからげて田の中へ入った。そしてヂャブヂャブさせ乍ら蛙を追ひ廻した。
アだな! 秀さはまた着物汚しておとうまに怒られるで……。」
 後から来た女の子達のひとりが叫んだ。
らんことくな!」
 秀は捉へて来た蛙を掴んで挑んで行ったが、不図思ひ出したやうに、
「久衛、今日はこいつで蜂の巣探さんか」と云った。
「うん、へいご蜂をな!」
「俺らほの兄いまがこないだ一巣発見みつけたぞ!」
 男の子達は口々に叫んだ。秀は蛙の足を握って忽ちクルリッと皮を剥いた。そして棒の先へ串刺に刺した。蛙の肉へ真綿をつけて、その肉をくわへた蜂の行衛を何処迄も追ひ掛けて行く――そして巣を突きとめる、それは楽しい遊びの一つである。
 何思ったのか不意に秀は頓狂な声を出した。
「ヤイ、蜂の子飯ァうめいぞ!」と叫んだ。
「美知ちゃん!」女の子の一人が云った。
「わし、昨日晩方通った時御夕飯おゆふはん食べとっつらな!」
「何んで?」
「何んでもな! お夕飯をあんね明るい時分に食べるんだなあ!」
 美知子は去年赴任して来た村医の娘である。
 水溜りにくると子供達はバシャバシャ泥を飛ばして歩いた。
「美知ちゃん! 長靴は歩きいいら?」
 一人が聞いた。美知子は頷いて見せた。
「真佐子ちゃんも長靴ある?」
「ウム、だけどもっと小さいの……」
 美知子は云った。するともう一人が云った。
「わしァ今度お母まが製糸から帰る時買って来て呉れるったの!」
「お母まいつ来る?」
「今度の公休日!」
「芳江さはいつかもさう云っとったぢゃないかな? 一寸も買って来りゃせん……。」
 堀割を大きく廻ると、左の谷間から運送が一台車輪一杯の狭い道をガタンゴトンと躍り乍ら下って来た。
「やあ、庄作さが来た!」子供達は馳け出した。
「庄作さ、乗しとくんな?」
 庄作は無愛想に頷いた。男の子も女の子も皆乗った。此処から森田部落迄二丁余り道は山の裾を曲がりくねってゐる。
「おォ!」向うから馬を曳いて来た若者はさう声を掛けたが其の儘又引き返して枝道へ避けた。「おかたじけよ!」庄作は通り過ぎようとして挨拶をした。
 橋のところで子供達は降りた。
 役場・郵便局・駐在所・医院・雑貨店・宿屋其他の家が一個所に集まって十四五軒町の形を作ってゐる。森田部落の中心地で最も賑やかな部落である。
 庄作は取りつきの精米所の前で馬をとめ、内部を覗き込んだ。誰も居ないらしくしんとしてゐて、土間隅の精米機が埃にまみれて、ベルトがたるみ切ってゐる。春過ぎてから精米所も殆ど閑散である。
「ぢゃァ帰りだ!」庄作はさう独り言を云って又曳き出した。旅館兼料理屋の吉野屋の前で庄作は車を停めた。
「庄作さ、今度久し振りだったなむ!」
 女房のおとしが出て来て云った。
「うむ、雨が降っとったもんで!」
 庄作は土間へ荷を下した。
「岡野屋から荷は出とらなんだかな?」
「どうだか知らんぜ。俺ら今日は肥料ばっかりだ!」
「庄作さ! 中屋の後家が待っとったぞ!」
 誰か炉端の方でさう怒鳴った。
 庄作はむっつりした顔の儘で馬を飼ってゐた。
「どうだい、景気は?」
 炉端の方へ入って行くと、留吉が上り端に腰掛けて茶を飲んでゐたがいきなり聞いた。
「呆れた話さ! 俺ァ馬に喰はせるに追はれとる……」
 庄作はさう云ひ乍ら土足の儘で炉端へ上り込んだ。それからおとしの酌んで来たコップの酒をチビリチビリ飲み乍ら世間話が続けられた。
「何しろお前、森田の山の材木が出た時分にゃァ日三台は曳っぱって来たんだでなあ! 山は坊主になる。薪一本出て行く荷は有りゃせん……。あれからこっち面白いこたぁさっぱりなくなった。是で又道が開けりゃ自動車だ。俺らの商売はもう上ったりだ……」
 庄作は歎息する様に云った。
「そいでもおめいは金をめ込んどる話だで困らんが俺らは全く困るよ! 俺ァ繭が十両しとっても困っとったんだで、二両のはなが欠けると来ちゃ法はつかんよ! 俺らは早く道路工事が始まりゃいいと思っとる。何んとか稼ぎが無けにゃ口が干上っちまふ……」
 留吉はさう云ひ乍ら立ち上った。
「俺ァ今日は当家ここの畑打ちだ!」
 聞かせるともなく独りごちし乍ら、留吉は裏口の方へ出て行った。
 酒が廻ると庄作は次第に上機嫌になって行った。隣村から三里の往復が酒手に代へられた。
「庄作さはあれで下駄穿きゃがるで油断ならんぞ!」
 庄作の駄賃に懸値のあることは誰も知ってゐたが、十銭二十銭の買物でも気前よく引き受けるので部落の者には重宝がられてゐた。
          二
 昨日から夏きが始まって、部落の娘達は殆ど他村の製糸工場へ出掛けて行った。俄に村の中がガランとしたやうだ。
「春上り」をめがけて毎日様々な借金取りが軒別に廻って歩いた。町の農工銀行の行員は香水をプンプンと匂はせ乍ら片端から退引ならぬ談判をして行った。村税の滞納で役場の人達が手分けで廻りあっちこっちに差押へが始まった。生産過剰で横浜の倉庫に二十萬梱のアメリカ行絹糸が欠伸をしてゐようと、飼へば飼ふ程益々自縄自縛の結果に落入らうとそれは別の問題である。繭の値が安いと云って今ここで蚕を止める訳には行かない。
「安けりゃ猶、沢山取らにゃ遣り切れん!」どこの家でもそれを云った。そして夏蚕の掃立をうんとやすことにした。
 一号を盆迄に上簇の予定である。桑の有る家では二号も始めるつもりだった。さうなると盆には忙しい真最中だ。人間の体の壊れる事などは構ってゐられぬ場合だった。
 夕方から留吉の家へ無尽の集りに人々が寄ったが又今度も立たぬ事に話し合ひがついて散った。もう後二回で満会になる掛金五十円の小口の講なのだがどうしても立たず秋迄延ばす事になった。これでこの部落の無尽は全部秋まで延期となって了った。
 二三人の居残りの者がその儘囲炉裡端に集った。いやに冷え冷えする晩だった。
「まづ毎日肴買はんか何にを買はんかって色々な奴が来やがるよ! 昨日来た菓子屋なんか四里から背負って来るんだでなあ!」
「うん、どこも不景気だでぢっとしてをれんのだな。負けとく負けとくっていふで、負けてお呉れでもいいが、ここぢゃァ何んにも買はんきめがあるでって、荷を下さん先におことわりだ!」
「いよいよなんにも買へん時節が来ちまったな。そいだがたまにゃァ鰯の一本も食ひたくなるしなあ……」
 炉端の四隅を陣取って胡座をかき乍ら話が始まってゐる。酒が出てから話が弾んで行った。勝太はふと気がついたやうに、
小父おい様! 今日はなんだな」と新蔵に聞いた。
「俺ァ今日は松下の屋敷引きだ!」
「なんだ、何か建てるのか?」
「なあに、裏へ石垣取るってんで、あの厩を一寸ずらせるだけだ」
 留吉は飲み乾した盃を下に置いたが、
「だが松下もめきめきと身上こせえたなあ!」
 さう歎息するやうな口調で云った。
「田地は買込む、普請はする、お蚕は当てる、金は貸せる程有るんだで! 云はっとこねえさ……」
「日の出っちふもんさ! あそこらが――」
「仕事がどんどん廻るでなあ……。ああなりゃおんなじ仕事でも楽で面白く廻る!」
 新蔵が云った。
「さうだ。入る者と出る者ぢゃ大した相違さ! ちィっと利子でも負けて貰はっと思やあ、酒でも買って罐詰の一つもつけて持って行かんならんちふ訳だでな!」
 留吉は苦笑し乍らさう云った。
 そこでいつもの事だが工面の良い家の噂が始まった。
「まあ松下、それから吉本屋!」新蔵は順に数へるやうにした。「そこらのもんかな!」
「長沼あたりも借金もでかいらがもとから有る家だで、食ふ米にゃ困らんて!」
 さうつけ加へて云った。
 森田家を別にすれば、もとこの部落で僅か乍らも先祖伝来の田畑を耕して食ひ凌いで来た者はほんの三四軒の家だけだった。
 松下でも森田家が潰れた時、洞上田地を安く手に入れたのが運が好かったと話が出た。
 吉本屋も小金を要領よく利殖してめっきり大きくなってきた。金も一旦溜り出すと苦もなく働けてまた溜る。
「あそこでも今ぢゃ家内うちぢうで米はとても食ひおほせんらよ?」
 勝太は口を挟んだが、
「あそこなんにも無しっちふやァふんと茶碗一つも無しとからはじめた身上だで!」
 さう感慨深さうに云った。此処でなんにもなしの境涯から田地の一枚も手に入れようと発心すればどれ程の働きをせねばならぬか――親に背いて夫婦になって飛び出してから、吉本屋も人の三倍四倍は事実働き抜いて来たのだ。――田の畦にどの子も寝かされて育って来たのだ。
「月給の入る衆は不景気知らずだ!。吉本屋も息子が取るで楽になる一方さ!」新蔵は一寸言葉を切ったが「だが人間もちィっと身上が出来るときつくなるで怖っかねえ……」
 さう含んだもののある調子で云った。
「うん、あそこら今ぢゃ巾利だでな!」
 留古は大きく頷づいて見せた。
「中屋の後家も一時から見ると大分調子がいいやうぢゃねえか?」
 中屋も息子がトタン屋になってから大分廻しがつくやうになった。昨年あたりから村内でも稚蚕飼育に手間のかからぬトタン箱飼育が流行ってゐたからトタン屋商売は大当りだ。
「佐賀屋も楽になったと云ふもんだ!」ふいに新蔵は云った。
「楽どこか、俺ァまりは……」勝太は頭を振った。
「賄を拡げちまってどうにも借金だらけだ!」
今日日けふび借金のねえやうな者は無いが、お前のとこは息子も娘も実直でよう精出すでなあ!」
 新蔵は羨ましがる口ぶりで又云った。
 酒を飲まぬ宇平は先刻から黙り込んでゐたがむっつりと重い口で、
「俺ァまりぢゃ米はいくらも取らん、飼ふ口は大勢だ、小作料は米で納めんならん、それでお蚕はしじふ腐らすと来とる! 法はねえ!」
 投げ出すやうに云った。
 宇平の所は近年災難続きで娘が製糸工場から病んで来て肺病で死ぬ、女房は中風で動けなくなる。何かの祟りだかも知れぬと弘法様に拝んで見て貰ったら屋敷が悪いと云ふので移転をしてその時奉公に行ってゐる[#「行ってゐる」は底本では「云ってゐる」]二番息子が右腕の骨を折るといふ工合で、それに孫が大勢なので、息子夫婦と三人で気違ひのやうになって働いてゐるのだが、暮しは苦しくなる一方だった。
 考へて見ると身上を拵へる、拵へないと云ふ事もはじめは一寸したはづみから出発するやうなものだ。ここで遊んでゐて食へる者はない。それは丁度絶えず廻転してゐなければならない車輪である。年柄年中間断ひっきりなしに仕事を追ひ掛け片付けてそれでやっとどうやら廻って行く事が出来る。今日これきりできりになったといふ事はない。――松下や吉本屋ではうまくはづみがついて休みなく廻りはじめたと云ふものだ。――
 それが一寸躓づけば(そんなはづみはふんだんにある)もう直ぐ抜き差ならぬ泥沼へ落ち込む仕掛に出来てゐる。一人病人が出来一度蚕に失敗すればもう直ぐ借金になる。余分な稼ぎに出て居ればそれ丈廻転が渋滞する。
 さうなると因果関係で、人の三倍四倍働いても泥沼から足を抜く所か一歩一歩と深みに引きずり込まれて行く――他人とのひらきがだんだん大きくなって行く――そしてもう一度上手に廻り直すと云ふ事は昨日を今日に直す事よりも不可能になって来る。かうなると借金は雪達磨の様に転がして大きくして行くばかりである。途方に暮れて惘然ぼんやりして居れば尚増える借金だ。
「そいだがかうなりゃ借りた者の方が強いぜ!」
「何んちゅったって返せんものは返せんと度胸を据ゑ込んで了ふでなあ……ハハハハ……」
 留吉は酔の廻った眼を据ゑる様にして云った。
本当ふんとだなあハハハハ……」
 皆相槌を打って笑ったが勝太は一寸硬ばった顔をした。(俺らとは働き様が違ふぢゃないか!)と云ふ腹があるのだった。
「これでお蚕に追はれとるうちゃァ何んと云ってもいいが……」宇平は心細さうにぼそりと云った。
 その不安は誰の胸にもあった。
 冬の稼ぎは主として炭焼である。炭を焼くと云っても山を持たぬから立木を一山いくらで買って始めねばならぬ、それに近頃は規則が喧しくなって、俵にする萱からして買ひ入れねばならぬ。一日二俵焼と見て、それで上炭五貫匁俵この春の相場で四十銭である。
 女や子供は炭俵の駄賃負ひをする。峠を越えて隣村迄持って行き、帰途には米を買って背負ってくるのが普通である。
 女でも合田のおときなぞは力持ちだから、体の弱い亭主に二俵背負はせ、自分は三俵背負ってさっさと登る。そして峠へ先に登り詰め荷を下しもう一度引き返して来て亭主の荷を頂上迄背負ひ上げるといふ遣り方である。それで駄賃が一俵十五銭と云ふところ。
 繭相場次第で秋にはどこ迄落ちるか見当がつかぬと聞いては最早手段がなくなって了ふ。
「佐賀屋の小父さま居る?」
「居る!」勝太は自分で答へたが戸間口の方を透かし乍ら、
「義公か、なんだ?」と云ったが「お前まあ一寸借りてあがれよ!」と坐ったままである。
「義一っさ、おあがりな!」暗い井戸端で洗濯してゐた、留吉の女房が入りしなに挨拶した。
「義一っさは酒を飲まんでお茶でも入れるに!」
「お前、酒は駄目か? お父まの子ぢゃねえな」
「今とてもいい相談がはじまっとるとこよ……」
 アハハハハ……と笑声が湧いた。
「直樹さ帰って来たっちふなむ、なんに来たんずら?」義一は新蔵の横へ坐り乍ら聞いた。
「うん、もう十日ばか来とる。あいつも何をしとるんだか……名古屋の方だってどうせいいこたあねえらよ。今時ぶらぶらしとるやうぢァ!」
「俺らも此処に居ったってつまらんでどっかへ行かっと思っとる!」
 義一はさう云ひ出した。
「俺ァどうせ学問の方は駄目だで……、老爺と二人で食へさへすりゃいいんだで!」
「お前食ってそこが出て行けさへすりゃ結構よ!」
 勝太は沁んみりした調子で云った。
「ふんとだなあ!」宇平はさう合槌を打った。又生活のことに話が落ちて行く。――
 勝太は義一の年頃の事を思って見た。
「俺ァの時分には、朝飯前に六把の朝草はきっと刈ったんだでなあ――。それで夜業にゃ草鞋なら二足、草履なら三足とちゃんと決っとったもんだ!」
「……うん、そりゃあ昔の事思ふと今の者はお大名暮しだ。昔の事云ふと若者は機嫌が悪いで俺ァ黙っとるが……」
 宇平は呟くやうに云った。
「だが今日日ぢゃ草鞋作って穿く代りに靴足袋買って穿かんならんやうに世の中が出来とるでなあ! なんでもその通りだ!」
 冬の稼ぎの石灰俵編みで、女手で夜業迄編んでやっと十四五枚のもの、それが二十五枚で一梱だが壱円札を握るには六梱編まねばならぬのだ。その血の出る思ひの壱円札をひょっと盗まれて了った時は悲し過ぎてぼんやりしたと、お袋が折々話した事を勝太は思ひ出してゐた。もう一度さういふ乏しい時世が返って来たのだ。――
「俺らもどうかへえ、馬鹿働きが出来んやうになったよ。不精ずくなしになっちまって……骨仕事がどうもァになった!」
 勝太はそれをしんから感じて沁々云った。
「そいでも色気はあるだで?」新蔵が笑った。
「色気やなにやァあらずかよ! 耄碌しちまって、そんなものは爪の垢ほども有りゃせん!」
 ハハハハハ……と、勝太は笑ったが皺の深い手でツルリと撫ぜた。
 新蔵は義一の肩をつついた。
「それよかお前、早くおっさま貰へよ!」
「貰へたって、俺ァまり来て呉れ手がねえよ!」
「さう云ふなよ、隣家に丁度いいのが有るぢゃねえか。君子さを貰へよ?」
「君子さがどうして来て呉れず! 俺とは身分がちがふもん!」
「なんで?」相手が案外真面目に出たので新蔵も真顔になったが、
「藤屋あたりが威張るとこぁ薩張りねえぢゃないか、元が有ったってなんにも無しになりゃ俺らと同等ぢゃねえか!」
 熱心になって云った。
「なあ! 森田様だ大屋様だって威張りくさったって潰れりゃ、小屋になっちまったぢゃねえか!」
「ふんとに森田も小屋になっちまったな!」
 勝太は頷いた。
「岡島もあんなざまになるし大沢もつぶれたし大屋衆はみんな引張り合っとるで、ひとり倒れりゃ総倒れだ!」
「お志津まもふんとに気の毒なことになったなむ!」女房のまつゑがさう初めて口を出した。
「春時分、喜八郎さがえらい大病したってなむ!。肋膜かどっかで死にさうだったって!」
「うむ、弱り目に祟り目さ。だが森田も変りや変ったもんだな!」
 勝太は何か動かされたやうな云ひ方をした。
「死んだお袋がよう云ったもんだ、稲こはし休みに南瓜かぶちゃの飯を煮とったら、森田のお安様が年貢取りに来て、火端へ上ってお出で、南瓜煮えたけ! さう云って一つ突つき乍ら、おめえ米なんちふものはな、有りゃ有って、始終水車小屋へ通はんならん……。搗け過ぎりゃせんか、盗られりゃせんかって苦労の絶えたことはない、みんなおんなしこんだわな……ってさうお云ひて……俺らだまって聞いて居ったが悲しかったでいまにわすれんよってなあ!」
 勝太はさう話してゐる中に現に自分が云はれたやうな口惜しさの湧くのを覚えた。
 森田の元の邸には台所が二つ在って耕地の者は下の台所迄しか行けなかった。勝太のお袋達の時代には、正月と盆には耕地中の者が家族全部引連れて土下座の形でお招ばれに行った。それは単なる小作人と地主の関係ではなく、農奴として厳格な主従の関係を結ばれてゐたので、耕地の者は大屋へ絶えず出入して召使ひの役目を果たしてゐたのであった。それはこの森田部落許りでなく、他の部落も同様で部落部落に一軒づつ大屋が在って、耕地の者は山林田畑と等しく大屋の所有財産で有り、人間の売買さへも行はれてゐたのである。
 自分等の祖先達の事を思ふ度、勝太は激しい屈辱を感じないではゐられなかった。
 その思ひにこそ身を粉にして働き続けて来たのではなかったか……。
 留吉はふとにやにやして
「あれで森田のお志津さも独りで遣って行けるらか?」と云った。その意味がみんなに解った。
「そりゃ遣って行くとも! 亭主やなになくたって……。女はそこへ行くと子供さへありゃ強いものだに!」
 まっゑがハキハキした口調で云った。
「どうだか! 女寡婦に花が咲くって昔から云っとるでハハハハ……」
 新蔵は笑って云った。
「こないだ、おふじさが馬鹿に洒落た風をして帰って来たぞ。馬鹿に若々した顔しとった……」
「おふじさは製糸で取るで工面がいいな!」
「製糸でいくら取れず! 口稼ぎがやっとこだ。又いい金主がついたんずら!」
 留吉は女房の顔を見乍ら云った。
「だが由公は脆く死にゃがったな……。森田の利国さの好い相手だったが……。ありゃ酒がもとだな……。利国さあたりもさうだが!」
「うん、そいだがあの家もこの景気で四人から五人食はせて行かんならんのだで、後家の腕ぢゃえらいことはえらいなあ!」
 同じやうな話がいつまでもくどくどと続けられて夜が更けて行った。
          三
 気がついて見るとこの部落にはやもめ暮しの者が多かった。去年の秋夫に死なれた森田の志津、春死なれた窪のおふじ、志津の南隣りの源吉も子供の秀ともう久しく独り暮しである。源吉の女房はお咲と云って、もと吉野屋に、茶屋女をしてゐる時一緒になったので眉の細い一寸美い女だった。源吉に稼がしてのらくらしてゐる事が多かった。
 それが旅渡りの仕立屋の職人といい仲になって真昼間ふざけ散らしてゐた。源吉が漸っと気付いて一悶着起きた。源吉が目の色へて男の宿の平吉の家へ飛び込んだ時はさすがに二人共震へ上った。
「源公も意久地が無いぢゃないか。二人居るとこへ飛び込んでよ、金毘羅の野郎怖じけりゃがって、五尺下って話せって頼んだら源公は五尺ちゃんと引き下ったちふぞ……思ひ切り打ちのめして遣りゃあよかったものを!」
 平吉から聞いた新蔵はさう云って憤慨した。
 讃岐の生れだと云ふその職人の事をみんなは金毘羅の符号で呼んだ。金毘羅はぢきに村を出て行ったが、間もなくお咲も乳呑児を捨てて置いて逃げ出して了った。金毘羅と一緒になるのだらうと誰も思ったがさうではなくて、又どこかで茶屋女になった噂だった。「あんな山の中の貧乏暮しはもう懲り懲りした」と、迎へに行った源吉の叔父にお咲は平気で云ったさうだ。
 あんな性根の腐った女は思ひ切って、誰か貰へと誰も勧めて見たが、源吉は深い未練があるらしく帰ってくる日を待ってゐるやうだった。
「誰の子だかも知れもせんに、よく源さは世話をする……」いつも小薩張と洗った着物を着せられてゐる秀を見ると女房達はよくさう云った。
「似たとこがあるで子ずらよ!」
「ちょっとも似たとこが無いぢゃないかな! あの子は! お咲さ酷似そっくりの顔しとる!」
 そんな話もたまには出た。父親の穿鑿と云ふものは割合寛大に置かれてゐるものだ。詳細に穿鑿して行くと思はぬ処に当り障りの出来る事が有った。蔭口と云ふものは云ったり云はれたりするものである。
 源吉のその又隣も独り者の甚太爺の家である。隣と云っても山と谷とで五丁も隔ってゐる。甚太爺は枯木一束くくるにも一糸乱れずといふ風にくくらねば気が済まぬ質で、それを整然と炭焼小屋同然の家のまわりに積みあげて置くのが自慢だった。
 もっとも近頃枯枝一本拾ふ山もなくなって、吉野屋や医者の家へ持って行って売るものを作るのに苦労してゐるやうだが甚太爺は若い時から一度も女房は持たなかった。何か話しかけると手を振って笑ってゐる。ひどい聾だから聾甚太で通って来た。
 小作もせず年中日傭ひよう取りだから賃取り甚太といふ名もついてゐる。この前の選挙の時には、甚太も五十銭貰って一票入れに行って来た。
「お爺め、片手出して見せるから、五両貰ったかと思って俺ァびっくりした……」
 選挙でいい稼ぎをした連中はさう云って笑った。
 部落の南端れの増乃後家は此頃景気が好ささうな噂だった。十五年から連添った亭主に愛想を尽して別れてからずっと独りでゐた。とや角噂を立てられる年増だったが三年程前、三河者の徳次を後釜に家へ入れた。男の方が二十の余も年下だったから娘の婿に丁度好い位で、みんな蔭では魂げて了った。徳次は天保銭の方だったが馬鹿力が有って人の三人前は働いたから「うまくくはへ込んだ!」と云ふ事だった。
 去年の秋のお祭の時に酒を出して耕地の衆に「お頼み申します」と挨拶を入れたので、それで正式のものとなった。
 徳次が入ってから、蚕も大取りを始めるしこの冬、物置も建てたりした。
 娘の貞子は体が弱いと云って製糸へも行かずぶらぶらしてゐた。器量がいいので注目の的だった。
「そいでが貞子さも仕事をさせて見ると厭ァになるぞ! 飾り物にして置くにゃァいいかも知らんが!」
 青年達はそんな事を云って笑ふ時が有った。
 貞子はこの頃看護婦になるとか云って町の方へ行ってゐた。帰って来る度に垢抜けて美しくなって来た。
 日吉のお絹姉妹は一番運が悪かった。二人共もう死んで了った。妹のおたつは若い頃に家を出て旅を流れて歩いてゐたが、男の子一人連れて帰って来るなりどっと肺病が重くなって死んで行った。お絹も若い時は評判女の浮名を流したが、一度亭主を持ってぢき別れて了ってから森田の大旦那の妾のやうな暮しをしてゐた。年増になってもどこか仇っぽいところが有って、森田の若主人とも関係のあるやうな噂も有った。山の奥の一軒家におたつの遺児の清司と二人住んでゐた。そのお絹が一昨年の秋ふっと気が変になって了った。一日中部屋の壁に向って佇んでゐる。坐らせてもぢきに立って壁に向ってゐる。物をさっぱり云はなくなった。終ひには両脚がむくみ上って了った。御飯を無理にすすめると「そんねに食はでもいい……」と遠慮ばかりしてゐる。そんな風になる少し前から越後者の伊佐といふ若い男が入り込んでゐたが、正直者でおとなしい性質だったから、お絹の世話は親切に面倒見てゐた。
 お絹は或る晩首を吊って死んだ。伊佐達が一寸うっかりしてゐる間にふらふらと家を脱け家の横の柿の木で縊れた。おそろしく柿の実った年だったが――。古い家とその屋敷地と畑一枚とそして大きな柿の木二本が遺された。それは当然お絹が我が子として育て上げた清司が相続するものとお絹自身もきめてゐたのだが、お絹が死んで見ると、伊佐の所有に帰した。これには清司も当の伊佐も驚いた。清司はおたつの私生児でその手続きがしてなかったからだった。清司は間もなく十九年住み慣れた土地を追はれるやうにして村を出て行った。
 さう挙げて行けばきりがない。
 中屋のおちよ後家の名も久しいものだ。土方の平吾の処も早く女房に死なれてゐる。娘のやす子は製糸工場から孕んで来て女の子を産んで、その儘どこへも嫁入らずに父と子と孫の三人ぐらしだ。手に余る蚕を飼ったり稼ぎに出たりして、堅く切り詰めて暮してゐる。手っ取り早い事を云えばこの部落の中で無事で普通の暮しを立ててゐる者が幾軒在ると云へるだらうか。窪のおふじも今年になってから僅か許りの前畑と田を手放さねばならぬ破目に落ちた。其処へ吉本屋の次男が別家して一寸動かせば谷へ落ち込むやうな狭い地面へ割り込んだ。「わしァどんなにしてでも追ひ出されるまぢゃ此処を出て行く気はない……」おふじは辛い顔をした。そして製糸工場の公休日には飛んで帰って子供の世話をして行った。
 永い間にはこの部落の中にも様々な変遷が有った。持ち切れなくて出て行く者も多かったが増えることも増えたものだ。勝太や新蔵の子供の頃には僅か十四軒だった森田部落も今では四十軒の余になってゐる。
 さうして猫の額程の土地が遣り取りされ分割された。
          四
 真夏の強烈な太陽がヂリヂリと油照りに照りつけ蝉の声が暑苦しかった。志津は今日畑へ草削りに出て見て今更桑の貧弱さに喫驚した。もう幾年も肥料を入れず、それで摘む方丈は本葉も残りなく責めて了ふので、株が弱り切ってまるで火箸のやうな細い枝が申訳許りに伸びてゐる。栄養不良の葉はすっかり縮んで汚点しみができ、下枝の方の葉はもう黄色に枯れかかってさはると散りさうだった。
 見渡したところ芽も大分止ってゐるやうだった。売るつもりの春蚕が桑がちっとも売れず、通し桑になったのでどうしても今度は蚕を飼はねばならなかった。それで手に余るとは思ったが枠製三枚飼ふことにして、吉本屋へ催青を頼んであった。
 志津はこれで掃立が出来るだらうかと思ふと心細くて堪らなくなった。
 畝間に作った馬鈴薯が情なくヒョロヒョロ伸び立ってゐる。痩せた土には禄な雑草も生えないで、意地の悪い地縛り草が万遍なくはびこって、黄色い花が日中に凋んでゐる。
 鍬が古くて錆び切ってゐるので、余計削りにくかった。
 先祖がこの土地の草分だったから背後に山を負った南向の丘の上でどこからでも目立つ屋敷地だから痩せた畑は一層身窄らしいものだった。大体屋敷の跡をその儘畑に直したのでザクザクとした砂地で何を作っても育ちが悪かった。ここには元の屋敷を偲ばせる何物も残ってゐなかった。只一つ今草を削ってゐる直ぐ傍らに下水溜がその儘に残ってゐた。土で大方埋まって底に用水が錆色をして溜ってゐる。周囲の木が朽ちて其処だけ莠と蓼が茂ってゐる。
 志津はそのどぶ溜を見るときっと昔の事が思ひ出された。そして自分の佇んでゐる所が元の邸のどの辺に当るかといふ事を判然はっきり知る事が出来るのだった。そこが流し元だった。一段上ると上台所だった。東方に細いれんじ窓がある丈でどこからも光線の入らぬ暗い台所だった。明るい台所は金が溜らぬと云はれてゐて隅の方は手探りにする程だった。
 その囲炉裡端の上座にいつもどっしりと坐ってゐた祖母、一生を下女の様に流し元に働き通してゐた母、広い屋敷の内を綺麗に片付けて置くことに気を配ってゐた父、それぞれの顔が浮んで来るやうだった。
 破風造りの大きな家の、十坪の余もある土間の隅には石臼が置いて在って何彼と云へば餅が搗かれた。「色の白いは七難隠すってねえ」さう云って祖母のお安は志津達姉妹の色白で美しいのを自慢した。
 人に逢ふのが嫌ひな質で、いつも籠ってゐた。暗い中の間から奥の座敷へ通ふ廊下の長かった事も思ひ出すことが出来た。
 巌めしい門の外の塀の所を物見のやうにしてゐて、祖母は始終のやうに其処迄出張って来て部落の家々を眺め渡してゐた。
 朝日夕日が土蔵の白壁を眩ゆく照り返した。
 池には山水が溢れ大きな緋鯉が跳ねてゐた。
 何も彼も有余る豊さで、恵まれて敬はれて人形のやうに大事に育てられてゐた。――
 それはもう遠い遠い昔の夢の様な記憶の断片だった。何も彼も煙のやうに消えてなくなって了って、今目の前には荒れ果てた桑の畑が在るばかりだと云ふ確な事実をどうすることも出来ないのだった。
 けれども志津は今その事を考へてはゐなかった。志津には何も考へられなかった。
 どうしたらこの苦しい現在をくぐり抜けて行かれるかといふこと以外には――
 その思ひでいつも頭が占領されてゐた。
 志津は四五日前、この冬死んだ妹の嫁ぎ先へ漸くの思ひで米を借りに行って来た時の事を思ふと思はず冷汗が流れる様な気がした。それは二里程離れた笠見部落の矢張り同族の大屋だった。
 妹の姑にあたる人が、玄米を一斗袋に入れ「お貸し申すのも何んだで、今度はまあ是だけお持ちておいでて……」
 さうあはれむやうな調子で云って渡して呉れたのだった。妹が生きて居たとしても行きにくい家だった。向うにも妹の子供が二人遺されてゐたので、志津の子供を皆連れて後妻に来て欲しいと云ふ話しが一度起り掛けたが、それはとても不可能な事として断わって了ひその儘になってゐたのだった。
 志津は草削の手を休めて眼に沁む汗を拭いた。

 三代養子が続けば長者になると云ふ諺があるが森田家では四代も養子続きだった。
 祖母のお安は勝気者だったが子供が無かったので隣村の大屋から姪を連れて来た。それが志津の母親である。おたけ様と呼ばれてゐたが、「たけぢゃない、たァけだ」と蔭では云ふ者があった。血縁が絶えると云ふ訳なので、お安も目をつぶってゐた。父の紋治は岡島部落の岡島家から来た。岡島家は古い伝統を持ってゐる由緒有る大屋で、紋治は酒を飲むときっとそれが出た。
「俺の生れた家は勿体なくも御観音様が建てて下された家だぞよ」と云ふのである。
 絶えず妻を罵って二言目には「おん馬鹿さん!」と怒鳴った。
「そいでもおんの字とさんの字がつくだけいい!」
 蔭ではさう云って笑った。耕地の者が「お早うございます」と挨拶すると、「ウム!」と鼻の先であしらふのが紋治の癖だった。正月には耕地の者は折畳んだ一固めののし餅を持って御年始に行く習慣だった。返礼には固い串柿半重がきまりだった。
 志津の処へ天龍川向うの旧家から利国が養子に来た。華かな婚礼で耕地中の者が手伝ひに動員された。お庚申峠で歓声が上がって行列が部落の中へ入って来た。勝太も宇平も荷担ぎに加はってゐた。見物人の集った所へ来ると箪笥を担ぐ者らははやし立てて、故意に重さうに「重い重い」と云って蹌踉めいて見せた。
「何んだ! 石でも入ってゐるんか!」
 義一の親爺はいきなりさう悪態ついた。その癖、今日の振舞酒を誰よりも当にしてゐたのだ。
「馬鹿云ふな! まあ一杯飲め……」酒樽と盃がつき出された。女や子供は先を争って御仲人の手からお菓子をねだった。花嫁の後からデップリした花聟が通った。
「今日はお志津まの雀斑そばかすも見えなんだなあ!」
 見物人の中から誰かがさう云って笑はせた。
 翌年の春、志津は男の子を産んだ。利国によって喜八郎と云ふ名前が命名された。
 金以外に幸福を感じなかった利国は、今をときめく一代の大金持大倉喜八郎の名を蔭乍ら頂戴に及んだのである。利国はその事を得意顔に人に吹聴した。何代目かで初めて男の子が生れ森田の家の繁栄に祖母のお安は満足な顔をした。
 浮気っぽい利国は直きに、大人しい許りで外から帰っても嬉しいやうな顔もして見せぬ志津に厭きはじめた。役場や吉野屋で過す時が多くなって行った。隣村から時々出張して来て吉野屋で店を開く呉服屋の佐々木は折々云った。
「森田の若旦那位果報な人はめったない。女にゃ好かれるし金はいくらでも持っとるし……」
 そして煽てて茶屋女の物なぞを頻りに買はせることがうまかった。続いて次の男の子が生れた。今度は善次郎と付けた。安田善次郎の善次郎である。
 繭の値が十円以上もしてゐて世間が好景気の真最中だった。森田部落でも田圃が惜気もなく潰されて桑畑に代った。吉野屋には茶屋女が二人も三人もぞろりとした風をしてゐた。
 善次郎は生れつきがひよわくて、一年許り育った丈で死んで了った。利国は間もなく義妹の春に手をつけて妊娠させた。
 その時はさすがのお安も顛倒した。ぢきに始末をつけることはつけたが、春はいつ迄も蒼い顔をしてゐた。
「春まはどこがおわるいの?」
 志津と幼友達の峰のかのゑはわざわざ探りを入れて志津の顔色を読んで見た。志津は性来の寂しい目をしてゐた。
「お志津まも黙っとる人だが馬鹿ぢゃねえぞ!」そんな風に云ふ者もあった。
 利国は町の方へ行ったきり帰らぬ日が多くなって行った。森田の身上にもひびが入ったと云ふ噂が聞えるやうになった。
 やがて財界の変動が、波のやうに養蚕地を襲ひはじめ、繭値は次第に下落して行った。
 さうなると地道に働けぬ性分の利国は、焦って投機に手を出して大損をした。損の埋合せをするつもりで、俄にすばらしい蚕室を建て、七八人も人を入れて春蚕の種を三十枚も掃き立てた。然しそれも見事に失敗に終った。腐ったのと不景気がひどくなったので、結局秋には立てた許りの蚕室が他へ運ばれ、次手に穀倉と納屋とが崩されて運び去られた。
 その冬祖母のお安がぽっくりと死んで行った。お安の影のやうに生きてゐた母のおたけがまもなく後を追って死んで行った。
 志津は第三番日の男の子を産んだ。今度は久衛と付けられた。利け者だった祖父の名を取って付けたのである。望みがだんだん小さくなって来た。幾度も競売をしてガラン洞になった家の中で、父の紋治は養子を罵り乍ら呆気なく死んで了った。
 倒れだしたと思ったらバタバタと一気に倒れて了った。山林も田地も疾うに他人の名儀になった。町の日歩貸の福本清作の手代が後始未に奔走した。手入した庭樹が一本づつ歯を抜くやうに抜き去られて行った。
 その年第四番目の子が生れて清作と名付けた。喜八郎も善次郎も直接じかには響いて来ぬ名だったが清作の名には身に痛い覚えの有る者が多かった。
「清作だって?フン、福本清作ちふ偉い人があるでな! さんざ膏を絞られといてまんだ拝んどりゃ世話はねえ……」
 さう云って憤慨したり笑ったりしたものだ。
 遂に大きな本宅も取払はれた。二反歩近い屋敷跡には裏手の隅っこにたった一つ文庫蔵が残された。利国達はその土蔵の軒に廂をかけて起伏する事になった。土蔵は福本の所有であり、敷地は利国の生家の中村家の名儀になってゐた。
 揚句の果に利国はふいと中風になって寝就いて了った。
「森田もささらほうさらだ!」部落の者は集るとその話になった。
 何んと云っても目の前に見事に没落して行く家を見るのは痛快だった。
 やがて利国も死んで行った。四十をやっと越えた年で……。みさ子が生れて半年経たぬ頃だった。志津は僅かの歳月の間に五つの葬式を見送った。周囲の事情がすっかり変化して了った。利国の葬式の時、手伝ひに来てゐた合田のおときが、
「以前で云やァ第一の子分だもの、無い者ぢゃないんだで、紋の付いた羽織ぐらい着て来てもよからずに……」
 さう云って志津の隣家に当る松下の理之助の事を皮肉ってゐた。
 ひとりの妹もこの冬産後の病気で死んだ。
 志津は足手まとひの四人の子供と共に取り残された。

 夕方になって久衛が学校から帰って来た。
 泣かされて来たのか顔が涙でグジャグジャに汚れてゐる。「なにしとったの! 今頃まで……」志津は畑にゐて一寸嶮しい顔をして見せた。
 久衛は肩から鞄を外しかけたがぐづぐづした。
「御飯食べてもいい?」志津が黙って頷くのを見ると久衛は元気好く勝手へ入って行った。
「さっさと食べて来て草を削るんだに……」
 志津は外から怒鳴った。
          五
からだは大分よくなりました。まだ時々背中が痛みますが大したことはありません。
今は夏肥がはじまって毎日畠へ出てゐます。
野襦袢が破れてしまったから、かはりのを送って下さい。股引も破れてしまひました。
米は盆まへに一斗だけもらって持って行きます。もうそれ以上ここから出してもらふことはむづかしいやうです。
伯母さまたちの腹を思ふと私も辛くあります。家では蚕はどうしますか。
  おだいじにして下さい。
喜八郎
   母上さま
 志津は手紙を繰返して読んだ。
 春蚕だけでも二百貫以上取る、利国の生家の激しい労働が思ひ遣られた。喜八郎はそこで下男として働いてゐるのである。
 利国の死後、中村家の方から「小作料は当分取らぬ事にする、その代り岡島の講の返金をするやうに」と云ひ渡された。
 それは情有る言葉のやうで実はさうではなかった。岡島家の無尽と云へば、一口千七百円の大口のもので、それが最初に取ったきり捨ててあったから利息が積った上、短期間の返済を迫られてゐるものだった。窪のおふじの家の無尽もその儘になってゐる矢先にさう云ひ渡されたことは、志津一家に取って致命的な負債を負はされたのであり、それは喜八郎がそのままそっくり背負はせられて、否応なしに泥沼の中を永久的にもがきつづけて行かぬばならぬのだ。
「喜八郎まも今っから苦労をおせるで、忠実みやましい人におなりるら! どうしたって人間は他人様の飯を食べて見にゃみやましいものにはなれんでなむ!」
 おときは時折志津にさう云った。
 喜八郎ももう今年は十七歳になってゐた。
 晩になってから、志津は隣りの松下へ行った。丁度晩飯時で、家内中の者が賑やかな茶碗の音を立ててゐた。「お掛けて……」嫁のみつ代が愛想好く云った。背中のみさ子が「まんま、まんま」さう云ひ乍ら手を出した。
 志津は遠慮勝に切りだした。
「あの、いつかお預けしといた蒲団をおもらひ申したいんで……喜八郎が襦袢がないちふってよこしましたが、なんにも布がないんで……あれでも倒して縫ったらとおもって……」
 弁解いひわけのやうにつけ加へて云った。
「さうかな! あれをお持ちるかな!」姑のおまきは立ち上って来たが、隠居の方へ廻るように云った。外へ出るとみさ子が、急に泣きだした。志津は納屋の横を通って行く時、その納屋が元の邸のどこに在ったかといふことをチラと思ひ出した。
 利国が生きてゐて丈夫だった時分、窮迫してなんでも手当り次第に持ちだしては金に換へるので、志津は内密に夜具一枚と机一脚を隣家へ運んで来て、置いて貰ったのだった。
 おまきは隠居所の縁から上って障子をあけた。するとその障子のすぐ際にちゃんと机が置かれてあった。七分厚みの一枚板で、四尺はたっぷりあるがっしりした机だった。両側に三つづつ抽斗のついたひどく古風なものだったが父が養子に来る時、岡島家から持って来たと聞かされてゐたものだった。
 志津は机の上に雑誌だのインキ壺だの置かれて座蒲団の敷いてあるのを見て取った。
「誰か使ってゐるのだ!」瞬間にさう覚るといきなり頭の中が混乱して来て、志津は凝っと佇立した。おまきは押入から夜具を出して来た。
「ほんにこれなら丈夫だで、作場へ着れるもの……。昔は、大きいとこのお衆はみんなかういふ物を持ってお嫁入おせたんだなむ!」
 おまきはひろげて見乍らさう云った。手紡ぎの糸を手織りにした頑丈な地質で、背中の処におそろしく大きな三柏の定紋が染め抜かれてゐた。
 紺の匂ひがブンとした。
「今時こんな重い物を着る人はありませんなむ!」志津は持ち上げて見て云った。
「そいでもこれは綿がとても上等のやうだで倒すのは勿体ないやうだ!」おまきは云った。
 志津は「机は次手に頂いて行きます」と口先迄言葉が出かかり乍ら躊躇ためらった。気軽く云って仕舞へば何んでもなささうに思ひ乍ら圧されるやうで云ひ出せなかった。
 現に使ってゐる処を見込んで云ひ出す事が苦しかった。「机もお持ちるかな?」さう云ひ出さぬおまきの心の中のものがこちらに反射してくるのだ。
 はっきりした事を云はずに預けきりにして置いたので、抵当にほしいと云はれても仕方ない事だった。志津はさう思ふと堪らなくなって、今云はねば云ふ時がないやうな気がしだした。
「みさちゃんにお駄賃がなかったなむ!」おまきはさう云って次の間から煎餅を二三枚出して来てみさ子に持たせた。みさ子は引っ奪くる様にして口へ持って行った。志津はたうとう云ひ出せずに了った。(又今度の次に!)さう心の中で思ひ返した。
「どうもお世話様で……」志津はさう挨拶して、真っ暗な道へ出た。
「何んしろわしら方でもお宅の弁金をうんと背負込んでしまって……」
 さう幾度となく聞かされて来た言葉が今更重苦しく頭にこびりついてゐた。どうにも切迫詰って、おまさから内証で融通して貰った五円の金も今はとても払ふ見込はつかなかった。
 志津は底もなく滅入めいり込んで行く心持ちを感じ乍ら、重たい夜具を抱へて歩んだ。
          六
「今日はお暑かったなむ!」上の道から声を掛けられて畑にゐる志津は振り仰いだ。尾籠びくをつけたおときが立ってゐる。「もうどの位な?」
「やっと二眠起きたところ!」志津は答へた。
「おときさんとこは進んどるらなむ! 飼ひがおいいで……」
「昨日桑付けしたとこな。夜跨ぎになって手間が取れちまって……。なんしょ芽桑がちょっともないんで骨が折れてわしァふんと悲しくなったもの!」
 おときは溜息をつくやうにして云った。
「うちのもみんなとまってしまって……」
「ほんにこちらのもとまってしまった!陽気の加減だなむ!どうしたって芽は、四方咲でも作ってうんと肥やさにゃ駄目な!」おときはさう呟くやうに云ったがふと、
「ちょっとまあ、松下の畑を見て御覧な! なんたらいい芽が揃っとるら! 綺麗で目が醒めるやうぢゃな!」
 いかにも羨望に堪へぬ口調で云った。
 そこらは見下す位置になってゐる隣家の畑は今丁度夕陽があたって、一斉に伸び立った桑の若芽がみづみづと黄緑色のむしろをのべたやうに遠く見渡された。桑畑の茂りで隣家は大方隠れてゐる。
 おときは猶しばらく喋りつづけた。
「ほんに喜八郎まは如何だな! あのまんまいい向でおいでるらなむ!」
「ありがたうございます」
 志津は一寸頭を下げたが、大分いい様子だと云ふ事を話した。
「その節は色々心配しておくれて……」志津はもう一度頭を下げた。
 この春蚕前、喜八郎があちらで大病をして、志津は胸の潰れる程心配したがその時、おときが或る黒焼薬を持ってきて呉れたのだった。
「うちのお父っさまが大患ひした時飲んだ残りだけれど……」さう云って渡して呉れたのだがその薬と云ふのは、おときの妹が縁づいてゐる大沢部落の方で手に入れたので、この四倍許りで十五円も出したといふ話しだった。志津はおときの親切を涙を流して感謝した。そして誰よりもおときを頼りに思った。
「そりゃまあ喜八郎まもいい按配だ。なんちゅっても若い者はよくなりたちぁ一気だで……」
 おときは急に忙しさうに「まあお上りなさいましょ」さう挨拶して坂を下りて行った。
 おときのやうに働く女もなかった。毎年の様に子を産んだが三日目にはもう起きて働いた。年取ってゐて体の弱い亭主を実に大切にして、(おときの亭主孝行は有名だった)一日置位に薬草の風呂を立てる事を欠かさなかった。志津は子供を連れて折々風呂を招ばれに行った。
「おときさもああやってひとりで賄切り廻して行くんだで、なんちゅっても偉いお嬶っさまさ、ちィったあ噂も云はんならんらよ!」
 蔭での評判はさうだった。
 志津は屋敷畑を下りて石垣下の畑へ入った。そこは彼岸伐りにしてあるほんの狭い畑だった。向うの方はずっと地続きに隣家の畑だった。地境には細い区切がしてあった。以前には深い溝がついてゐたのがいつの間にか埋められて了った。隣家の方で一鍬づつ掘り進んで来るので、攻められて志津の方では一歩づつ身を引く立場に立たせられた。一鍬づつでも永い間には大きなひらきがついて来るものだ。
 おときもいつかその事を、
「ほんに身上拵へるやうな人はどっか違ったとこがある!」
 さう感心の態で云ったものだ。
 志津はなる丈蔭の方の軟かい葉を探し乍ら摘んだが日に焼けてゐて、それでなくさへ痩せ切ってゐるのでいくらも摘めなかった。
 地境には、隣家で植ゑた改良の大葉が牛蒡の葉ほどもある大きな葉を茂らせてゐる。
 志津はその膏切ったつやつやしい芽桑を見ると、わけもなくむっとした。まるで自分自身の食慾のやうにこんな滋養のある軟かい葉を思ふ存分寝起きの蚕に食べさせてやりたいと云ふ気持が切なく湧いた。
 志津は一葉プツリと摘んで見た。ギスギスするほど厚ぼったい葉だった。切り口から白い乳がヂッと滲みだした。志津は努めて平気でをらうとした。そして大急ぎで三葉四葉摘み取ったのを、尾籠の中へ押し込んだ。
 夕闇が静かに追って来て涼しい風がザワザワと桑畑をゆすぶった。
 山には漆の花が咲いて散った。
 森田部落は高い山の上の盆地で他部落へ行くにはどっちへ行くにも坂を降りるか登るかしなければならない。大体岡田村全体が谷間谷間に一部落づつ形成してゐる地勢で他部落との交渉が割に薄かった。大抵のことは部落内でまとめる事が多かった。
 森田家の没落と共に、森田部落の周囲を幾重にも取り捲いてゐた森林が丸坊主に伐り払はれた。
 それは如何にも瞬く間だった。杣が大勢入り込んで杉や檜や松の大木を片端から倒して行った。皮を剥かれた丸太の材木は毎日山を下り、運送に積まれて町の方へ運び去られた。
 跡には赭茶あかちゃけた山の地肌が醜く曝け出され、岩石と切木株がゴツゴツと露はれてとげとげしい感じを与へた。落葉がいくらとなしに積って腐蝕した山の地面は歩むとへんにボコボコとした軟らかい足さはりがした。そして役にも立たぬ馬酔木あしび躑躅つつじがしょんぼり残された山一杯に木屑こっぱが穢なく散乱した。その木屑を大抵の者が密っと自分の家へ運んだ。家の裏手へ積み上げた者もあった。
「源公の野郎、木っぱとかかあばくみっこすりゃがって!」(交換の意)
 源吉の女房が情夫を作って村を出て行く時分にはそんな悪口も云はれたものだ。
 防風林を失った部落はいきなりガランと投げ出された。高い処へ登らなければ見えなかった遠い飯田の町がどこからでも見えるやうになった。
 冬になると駒ヶ嶺颪がぢかに吹きつけた。痩せた部落は一層荒涼と雪に埋められ、家々は一層貧相で見窄らしくなった。
 部落の北の水沢地籍には古くから一つの泉が湧いてゐた。清洌な清水が滾々と絶えず湧いて水車が廻る程豊富な水量だった。
「中井の水は村一番だ。甘露の味がする。俺が死ぬ時は中井の水を死水に取っておくれ」森田の祖母のお安は口癖のやうにそれを云ってゐたものだった。
 志津達姉妹は祖母の命令で折々手桶に汲みに行った。その泉の水が近年めっきり味が落ちて普通の水になって了った。泉も底が浅くなり死んだやうに静かで、みみずが白い腹を見せたりするやうになった。
「水までかはった」さう云って何か不思議さうに思ふ者もあった。だがそれは不思議でもなんでもなかった。深い林が伐りつくされた為に他ならなかった。
「森田のおばあさまも死ぬ時分には中井の水どこぢゃなかっつらよ!」
 佐賀屋の勝太は谷の田圃へ通って行く時、水を飲みに泉に寄り乍ら感慨深く思ふのだった。
          七
 森田家が潰れても大部分の部落の者は依然として貧乏だった。否反対に山がなくなった丈でも目に見えて困る事が有った。
 例へば以前は「おもらひ申します」と云って頭を下げれば近くの山に入って枯枝を拾ふ事も出来た。無断で伐っても雑木は大目に見られてゐたものだった。それが今ではくぎん棒一本手に入れるのも容易ではなくなった。
 四五年前、福本の山の盗伐の事で告訴問題が起き上った。昔通りの習慣が崇ったのだ。示談で事済みになったけれど、それは大きな脅威だった。今では焚物一本拾ふも面倒で、大抵の家で燃料に不自由して暮すやうになった。手廻しのいい家では植林の下刈を引受けてやっと冬の焚きものを準備できた。
 松茸山がなくなって、義一の親爺や新蔵は内証の小遣銭が稼げなくなった。
 られた山にはもう一度いつとなしに又草が茂り木が生ひ立ってきた。松茸山には小松が一斉に伸び立ちはじめ、雑木山には夥しい漆の若木が茂って来た。
 そして其処には既に二三尺の或は五六尺の檜苗が生々しく育ってゐるのだった。これは伐り跡に直ちに町の福本が植ゑさせたのである。
「これが育つと大したものになるぞ!」
 部落の者は山を見て通る時、檜の見事な育ちぶりにおどろいた。
 福本は隣の同じ岡島部落の方の山林も岡島家の倒れた時手に入れて所有してゐたから、山続きに何百町歩の檜山杉山が、棄て置いても一年一年その価値を高めて行く訳だった。
「あれで岡島区へ中電の発電所が出来て、鉄道が通ったりするとなると、福本の山はどえらい値が出ることになるな!」
「馬鹿だな貴公は! はじめっからそのつもりだったんぢゃないか。ここらの小狡い奴らが束になってかかったって、福本にかなふもんか。沢渡山だって地続きに欲しかったから手に入れたんぢゃないか……。森田の利国さだって最初っから蛇に見込まれた蛙さ……なんだかだ云って搾りとられてしまったんだ!」
「やイやイおだてられてちィっと芸者揚げてさわいで見た位のもんだな!」
「そいでも福本もこの頃は大分神妙になって、方々へ寄附したりして、前ほど悪く云はれんやうになったちふぞ!」
「県会に野心があるのさ!」
 佐賀屋の息子の昇三を中心とする青年達の集りではさうした話題がのぼる事もあった。
 一度持ち山の検分に家族連れでやって来て、二三日吉野屋に滞在して行った福本の小兵ないかにも精悍な顔付をみんなは思ひ浮べた。
 東京の学校へ行ってゐるといふ福本の娘の華奢な恰好も目についてゐた。
「千円借して四百円天ねて……判こ押してさへ居りゃ懐手で身上がふえて行くばかりだなんて、人を馬鹿にしとるなあ」
 昇三は考え込むやうにして、
「ん、それよか第一福本は町の人間じゃないか? それが六里も離れたこんな山の中の、なんの由縁ゆかりもない土地を、お嬶っさまや息子を連れて来て、これが俺らほの山だ、これが俺ら方の土地だって、あたりめえの顔で見て廻って……法律上の事を云ふんぢゃない……。此処の者は先祖の代から此処に住んどったって薪一本からして銭出しとるんぢゃないか。山持っとる者はどんどん植林してその上、県からどっさり補助金が出るっちふことだ……。そこの矛盾を考へるべしと思ふな!」
 一語一語熱をこめて云った。
「ん、山持たん者ぢゃ話にならんな。農会あたりぢゃ副業に椎茸作れ白木耳作れって宣伝やっとるが……。なんだって儲け仕事のやれる者はやらでも済んで行ける人達だでな!」
「さうだ。今度の低利資金だって、払へる見込の有る者でなけにゃ貸せんちふものな。……払へる見込がつかんでみんな困っとるんぢゃないか!」
「ん、岡田村だけで一万八千円の低資申込だっていふが、そんなものは焼石に水なんだで…」
 唯男は長歎するやうに云った。
「村会が揉めるったって、無理はない。貧乏な村だでなあ。……みんなどん栗の背っくらべだ。それで要る方はおんなじに要るんだで、小さい者に大きな負担をうんと背負ひ込ますんだ!」
「これで岡田村もよその村へ出ると地所だけでも大きいちふでな!」
「ん、だけどそんなものは問題にならんさ!。よその村だってどうせ貧乏人は貧乏なんだで……。俺らはもっと徹底したことをいふぞ!」昇三はきっぱりした口調で云った。「とにかくここらの者にもどうにも出来ないどんづまりが来つつあるんだ。ここからどう浮び上って行くかといふことが根本の問題だと思ふな!」
 話題はきまって社会思想の方にふれて行くのが常だった。
「この村ぐらゐ思想的に遅れとるとこは有りゃせん!」昇三は口癖のやうにさう云った。
 よその村には既に、何かあたらしい機運が動いてゐるやうだった。大抵の村に自由大学や公民講座がどしどし開かれてゐた。貧乏で辺鄙へんぴなこの村へは、ろくに名士ひとりやって来なかった。小学校の先生も今ではどこでも全く無気力のやうで頼りにならなかった。もっともっと多くの事を知らねばならぬ願望が絶えず昇三達の頭から難れなかった。
 この冬一度帰って来た日吉の清司の口から、都会地の方の生活や労働組合の内部の話などが興味深く語られた。清司は村に居る中から指導的立場にゐた青年だったが、旅へ出て行ってからは最左翼的色彩を一層濃厚にしてゐた。
「どうしたって、基礎的な組織を持たなくては駄目だ!」
 清司はその事を幾度も云って行った。
 昇三は製糸工場から帰ってくる妹達の口から、意外にしっかりした言葉を聞いて驚くことがあった。
 昇三の妹の千穂は隣村の製糸工場朝日館で、模範の優等工女だった。
「なんで修養会なんかに執心しとったんだか自分の気が知れんと思ふの……」
 千穂はある時さう云った。そして誰からか借りてくる、発禁になつた戦旗や綴込みにした無産新聞を、公休日に帰ると熱心に読みふけってゐた。若い娘達の近頃の進歩と変化にはおどろくものがあった。
 昇三は何彼につけて、自分らが立ち遅れた者である事を感じさせられた。「なんとかしなければならない」焦燥にいつも駆られた。そして直接ぶっつかって行くべき何物をも掴む事の出来ぬ立場が歯がゆく物足りなかった。
「昇三、うちでも早く嫁をもらはにゃならん…。千穂らもいつ迄もああやっちゃ置けんし、手が足りんでなんとかせにゃあ……」
 母親のおすみはそんな風に切りだした。
「こんな貧乏の中へもらっても仕様ない……。俺ァ三十になるまぢぁもらはんぜ!」
 昇三は素っ気なく答へた。
「三十になるまでもらはんわけにも行かんが?」
 勝太はポッツリと口を挟んだ。
 昇三達の間では娘の噂もしてゐられぬといふ風だった。
          八
 八月になってから急に蒸々と気温が昇って、雨気づいた日が続いた。何処の家の蚕にも白彊病かつごが出始めた。拾っても拾っても後から後から白くなって死んで行った。ひどいところでは一晩のうちにぞっくりと白く硬化した。役場で配った薬を蚕の上に振りかけて消毒して見ても、なんの効果もなかった。土間に白く山盛に放り出した死蚕を眺めて人々は張合のない顔を合せてゐた。
 天竜川には毎日河上の方で捨てる蚕が流れてくる噂だった。そして日日の新聞は日増に繭の値の下落を報じた。
「へえまあお蚕飼ひはつくづく厭ァになつた!」
 女房達はさう云って顔色をわるくしてゐた。
 志津の家でも食延くひのびとなってからは一人では手が廻りかねた。志津は桑畑と家との間を小走りに駆け廻らねばならなかった。やっと一回給桑を終へたかと思ふともう直ぐ次の桑に追はれ通した。蚕も狭い土蔵の中許りには置ききれなくなったので、廂に蓆を敷いて移した。そして棚を作って二段飼ひにした。朝日の射し込む方へは、久衛に土蔵横の樫の木の枝を伐らせて吊り、日蔭を作った。
 今はどこでも簡単な屋外育が流行ってゐて、露天のテント張りの中で飼ふ家もあったので、志津も廂へ出して見たので、さうでもなければ、一度一度蚕沙を代へる手間はとてもなかった。志津は寝不足が続いてゐた。朝目を醒ますと、体がミシミシと病めてよろよろする程だった。
 昨日から小止みなく雨が降りつづいてゐるので、ビショビショに濡れて摘んで来た桑を土間から炉端から家中にひろげて乾かさねばならなかった。そこらあたり濡れて足の踏場もないやうだった。飯櫃の中にまで蚕糞が落ち込んでふやけてゐた。志津は子供の口を飼ふ隙もない思ひをした。二人の子供は外へ出られないので、狭い家の内でてんでにつきまとった。殊にふさ子は発育が遅れて今漸くよちよち立ち始め危なくて目が離せなかった。
 それに頭にいっぱい腫き物がしてゐて膿がヂグヂクでるので余計機嫌が悪かった。
「これは遺伝性の毒から来てゐるのだから早速癒りませんよ」さういつか医者に云はれた事があった。
 志津は自分の体の上にも大きな故障のある事をうから気付いてゐた。時々激しい眩暈を感じた。
 やっと露の乾きはじめた桑を集めて、大急ぎで飼ひ出した。蚕は透き切ってゐる。さっきから清作は何か愚図愚図云ってゐる。志津は忙しいので、相手にもしないでゐると清作は次第に声を高めて行った。
「一銭、一銭お呉んなったら?」
「飼っちまったらやるで……」
「厭ァなあ、今でなけにゃ……」清作は泣声を上げたが、素知らぬ顔で飼ってゐる母親を見ると、喚いて急に勝手の障子をガタガタ揺すぶりはじめた。それが志津の苛々してゐる神経をかき廻した。今度はいきなり障子へ足を突込んでベリベリと破った。そして傍に這っているみさ子の体を蹴飛ばした。「わあっ――」とみさ子は泣きだした。志津は飛んで来た。そしていきなりピシャリと清作の頭を殴った。志津の眼には口惜しい涙がにじみ出た。
「飼っちまったら遣るって云っても? 解らん児だ!」
 志津は戸棚から一銭出して「さァ――」と云って渡した。清作は機嫌が直って、涙を拭いたが、銭を握って外へ出た。「清ッ!」志津は家の中から呼んだ。
「早く行って買って来て、お母あゃんはせはしいんだでみいちゃんの守をしとくんなよ!」
「ウーん」と長く引張って答へて、清作は坂の下の方へ駆けて行った。
 志津はふとした時に、死んだ利国の事が憶ひ出された。末だどこからかひょっと帰って来る様な気がする時があった。或る晩利国は泥酔して帰って来て門先の溝川へ転げ落ちた。そして起き上る力がなくなって「う、う」と唸るばかりだった。
「お父っさま、お父っさま!」
 志津は涙をボロボロこぼし乍ら取り縋った。
 利国は月が経って漸く半身丈動かせる様になったが、口が充分利けず、涎が流れる様になって見る影もなくなって了った。
 利国はやっと杖にすがり乍ら、川向うの生家へ始終のやうに米や金の無心に出掛けて行った。
「利に来られると身がちぢむやうだ!」
 向うの母親はさう云って歎いた。
 それでも親の情で、帰って来て袋をあけると、五十銭銀貨の二つや三つ包んだ紙包みが、米にまじって出て来たことも一度や二度ではなかった。
「お父っさまお米持って来た?」
 久衛と清作は心配さうに、内証でお互ひにそのことをささやき合った。
 人には話すこともできぬやうな悲惨な思ひの日が二年も三年も続けられて来た。
 志津は時折利国に相手になってもらって、あぶなっかしい足どりで畑へ肥桶を担いで行ったことを思ひだした。それは散々道楽しつづけて、いつもお互ひに冷たい眼をしあってゐたもとの夫とは別人のやうだった。
 さういふ夫に対してはじめて、落付いた夫婦らしい情愛を持つ事が出来たやうだった。
 志津は何も彼も勝手に押しつけておいて先に死んで行った利国が怨めしくて仕方なかった。
 絶えず絶えず押し寄せてくる生活の不安をとてもひとりで払ひ切れぬ気がした。

 上簇おやとひの日には、志津はおときを頼んだ。
 おときの所では一昨日おととひ上簇が済んで、今っとうろつき拾ひが片付いたところだと云って直ぐに来て呉れた。
 巣掻すがいた蚕がさわぎ立ってゐるので、志津はおときと二人で目が廻る程せはしなく動きつづけた。廂の軒で条桑育にした蚕には、栗の木の枝を刈って来て、それにとまらせてはたいた。それを片端から今牧に移して棚へさした。
「余っぽどまめな虫だこと! これなら六貫平均出るかも知れん……、お宅ぢゃ白彊病がすくなかったで!」
 おときは虫を拾ひ乍らそんな事を云った。
「そんなに出ますものかな! 全部でそんな事かも知れん! いきなり飼ひをして、それに桑がへぼいでとても駄目な!」
「本当に桑がへぼくちゃ駄目だなむ、貫数より何より糸分いとぶがないで……わしら方あたりぢゃ生産へだしてもいつでも糸量で引かれちまって!」おときは云った。
「かのゑさんとこはいつでも上手で沢山お取りるなむ!」志津がさう云ふとおときはフンと笑って云った。
「どうだか判るもんかな! あそこぢゃいつでも種を胡麻化すで……春蚕だって八十五貫だがとって十枚だ十枚だってかのゑさは云っとったけれど、ほんとは十一枚掃いたんだっちふことだで……」
 蚕種枠製一枚について何貫取るかといふ事は、凡そどこでも競争になってゐた。米と異って蚕の方は成る丈お互ひに自慢し合った。春蚕だと種類にもよるが大抵八貫前後取れるのだが、夏蚕になるとさうはゆかなかった。
 志津は是程に骨を折ってそれで何貫取れるかと思ふと心細かった。「蚕さへあがったら?」さうあてにしきってゐるのだが、考へて見ればいくらの収入になるのでもなかった。
 さしづめ何に振当てていいか見当もつかぬ程手許が逼迫してゐる。
 食ひ盛りの久衛も清作もハラハラする程よく食べた。志津は屡々さもしい心に苦しめられた。
「ひと休みせまいかな!」
 お巣掻きが一片附いた。おときはさう云って腰をのばした。光線の入らぬ土蔵の中は真夏でも案外涼しかった。志津はお茶を入れる為炉端で火を焚きつけた。穢く汚れた炉端の蓆におときは坐った。
 壁に一枚紙片が貼られてある。
   森田区婦人会申合
一、現今不況に際しお互ひに出来る丈質素倹約を守りませう
一、お茶菓子廃止、その他冗費は一切はぶき自給自足でゆきませう
一、麦・蕎麦・栗・豆・大根の副食物を多く食べ、なるべく米を浮かす工夫をしませう
 それは主婦の責任であります
一、したがって、畠仕事に精だし間作を怠らぬやうにしませう
一、毎月米五合、雑巾一枚づつ集めて貯金組合を作りませう
  どちらか一方へは必ず加入すること
  雑巾は縦一尺、横八寸、糸は二重糸にて刺すこと
 おときは無感動な顔でそれを読んでゐた。
 是は春の婦人会の時提案があったもので、松下のおまきや吉本屋の嫁が主唱者だった。
 米は精米所へ、雑巾は朝日館へ売却の契約が出来て実行しはじめたものだった。
「おときさん、今月の分はもうおだしつらなむ?」
「お米の方だけなむ!雑巾縫はずもこちとらにゃァ手間も布もありませんで……。ためになることは解っとるけど仲々そこがやかましくて……」
 志津はだまってうなづいた。此の村には製糸工場がないので村内の者は、大抵他村の生産組合へ加盟して供繭してゐるのだった。おときの家でも朝日館の組合員だった。
 志津は今度の繭を此処で村廻りの繭買人に壱円八十銭位の馬鹿値で叩き買ひにされるより生産へ持って行きたかった。生産では春蚕を二円の仮渡しをしたといふ事だから、庄作の運送に頼んでやってもいくらか浮く勘定だった。それにはおときに頼んで、おときの家の名義を借りて出すのが得策だった。
 志津はそのことを話して見た。
「それが?」おときは顔を歪めるやうにして云った。
「なんしょわしら方ぢゃ生産に借金が有って、春蚕だって無理に借りて来とるやうなわけで今度の夏蚕も飼って見る丈でくる分は更にない……もらふどこぢゃない。こちらからよっぽどおしが行かにあ勘定にならん……受判頼んで先へ先へ借りてくるもんで、順に困るばっかりな!」
 おときは深い溜息をついた。おときの家では、蚕も大取りだしそれに娘が二人も生産の工女になってよく稼ぐので楽にならねば嘘なのだが――。
「ふんと働き足りんのだかなんだか困る困るっていふより他の事は云ったことがない……お盆が来るに着物がねえって、清子ら悲しがるで、わしもやる瀬がねえがどう思っても仕ようないもの!」
 おときはさう云って寂しくわらった。
          九
 降りつづいてゐた雨が夕方から激しく風を呼んで暴風雨となったが夜明となってやうやくをさまった。野分が過ぎて山の上の部落はにはかに冷々と秋らしくなった。
 昨夜の大雨で森田家の墓地には、裏手の山からおびただしく土砂が押し出して来て、そこら中目もあてられぬ程の荒れ様だった。水溜りがいっぱい出来て、おまけに利国の墓には盛土の横腹にドカンとした大穴があいた。そこから水が流れ込んだと見え、屋根は引っくり返り墓標がガサリと落ち込んで了った。
 その朝早く、朝草刈に近道を抜けて来た、おときが見付けて「おお、怖っかねえ!」と魂消た声をだした。そして小さい男の児をき立てて、「さァ、さっさと歩かんと利国さのお化が出てくるぞ!」とおどかした。
 おときは坂の上から志津を呼んでそのことを話して行った。
 翌日になって志津は隣の源吉を頼んで墓地の掃除をはじめた。先祖代々の物々しい墓石が列を作って幾列もならんでゐる。広い地所丈に荒れ切って落莫としたものだった。
 一番前列に、善次郎、お安、おたけ、紋治、そして利国のがならんでゐる。石碑が立たぬのでどれも形許りの土饅頭で、墓標の文字が辛うじて読めた。
「おばあさまのが一番しっかり出来とる」
 源吉はさう云った。まだ何んと云っても、お安の死んだ頃には、森田家にも残りの光があったのだ。それが最後の利国の場合には、まるで形許りのものだった。
 隣部落から頼んだ禰宜様が、汚れた白足袋を穿いたままで、通り一遍の祝詞のりとをあげたきり、なにしろ北風の寒い日で吹きさらしの墓場にはゐられないので、お義理に集った部落の者達もそこそこに引き揚げて了ったのだった。
 源吉は志津を相手にして、土を連びだしたり盛土を盛り直して屋根をつくろったりした。学校から帰って来た久衛と秀とが墓場に上って来てから急に賑かになった。源吉は自分の藪から伐って来た青竹で作った竹筒を一本づつ墓の横へ立てた。
「なんでたかつっぽ立てるの?」秀は父親に聞いた。
「花を立てて進ぜるんだ。仏さまにな」
「お父っさまに灯をつけて進ぜるんだに」
 志津は久衛に云った。
「灯を進ぜるってどうやるんな?」
「いつか新ちゃんとこでしたやうにかな? 蝋燭をうんとつけて……」二人の子供は同時に聞いた。
「うん、八百燈をな」
「どこへ灯をつけるんな?」
「ここのまはりから街道の方へつけて行くやうにするだな」
 源吉は志津に計るやうに云った。
 うるさく問ひ質した秀と久衛はその時思はず顔を見合せた。
「やア!」といかにも悦ばしさうな声を上げた。
「やア、灯をつけるんだってよォ……」
 二人の子供は叫び乍ら縺れるやうにして、街道の方へ駆けて行った。
 昔はこの部落でも残らず仏式だったが、禰宜様の方が手軽で金が掛からぬので、今は大抵の家で神葬祭になった。
 それでも古くからの習慣で、盆になると墓地に秋草の花を供へ、新盆の家では夜になるのを待って墓地の周囲に灯を点けて祭った。子供は盆がくるのを待ちきった。「盆がすんだら何待ちる……」さう果敢なく楽しんで製糸工場から帰ってくる少女達は唄った。
 源吉はひと休みして、傍らの朽ちた木株に腰を下した。煙管を出して一服吸ひつけたがふと気が付いたやうに、
「今年は新盆が三つあるかなあ?」と云った。
「こちらと新屋の娘と中屋の老爺と……、窪の由松さは春だったで去年済んだな!」
「開土の子も今年ぢゃなかったかしら?」
「ほんにあそこの坊もさうだったかしらん……そいぢゃ今年は四つもある。こんな年も滅多ねえな。みんな泣き葬ひばっかりで――。まあ中屋のおぢいは年が年だで順当だが……。そいぢゃ今年は方々の灯が見えるなあ!」源吉は煙管を腰にはさみ乍ら立ち上って、道具をかた付けはじめたが、「此処は場所が高いでどこの灯より派手て見えることずら……」
 さう独り言のやうに呟いた。
 志津は水を汲むために坂を下りて行った。
 お盆は明後日に迫ってゐた。
一九三〇・一二
(「つばさ」第二巻 第四号)





底本:「定本金田千鶴全集」短歌新聞社
   1991(平成3)年8月20日発行
初出:「つばさ 第二巻第四号」つばさ発行所
   1931(昭和6)年4月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2009年3月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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