金田千鶴




『年寄には珍らしい』と、老婆の大食が笑ひ話に、母屋の方の人達の間で口にのぼるやうになった頃は最早老婆もこの家の人達にきられはじめてゐた。つまりそれ丈役立たぬ体となったのである。その事は老婆自身も無意識のうちに感じてゐて何彼につけて肩身狭さうにした。時折米を持ちに行く穀倉の戸を気兼さうにあけた。『容れ物そこへ置いてお出でな、後で持って行ってあげるで……』孫嫁に当る繁子がさう云って倉の中の仕事をしてゐる所へ行ったりすると、『そりゃまあおかたじけな!』と云って老婆は邪魔にならぬやうに、米櫃代用のブリキ罐を其処へ置いて出て来るのだった。それがひどく手持無沙汰の恰好に見えた。薪や粗朶もやを納屋から運び込むにも何かしら人目を憚かるやうにこそこそ運んだ。
 老婆は火を焚くことが好きだった。
 体が今程不自由でなかった頃は、裏の山へ出掛けて枯木を拾ったり、松葉を掻いたりして来るのを仕事にしてゐた。抱へ切れぬのはズルズルひきずって持って来た。
 今ではもうその元気はなかった。薪にしても粗朶にしても納屋から運んで来るのは気兼だった。然し老婆は焚きものが切れると何よりも心細くて堪らなかった。隠居所の土間に焚きものを絶やさぬやうにして置きたかった。
 それで隙さへあれば少しづつでも運び込んだ。そして炉端に坐ってどんどん大きな火を焚いた。小さな鉄瓶一つ掛けた丈で大きな火を焚き放題にするので、隠居所の中はどこもかも真黒に煤び切って、天井からは白い焚埃りが降るほど舞ひ落ちて来る中にいつ迄も坐り込んでゐるのが常だった。それで時々焚き放しにしておいて外へ出て行く癖だった。
『なんたら大きい火を焚いて!』
 通りがかりの主婦のかめよは驚いて隠居所を覗いた。『どうしてこんなに火を焚きたいらか?』かめよは独り言を云って、二三本のまきを灰にこすりつけて火をとめた。
 老婆の火を焚く癖も近頃は殆んど病的に募って行くやうだった。
『おばあさま、お茶がよう煮えとる!』
 かめよは老婆が抱へるやうにして入って来た大きな榾に素早く目をとめた。
『そいつはおばあさま、新にさう云って割って貰はにゃそのまんまぢゃ大き過ぎるで……』
『なに、大きいやつを一つくべとくと火持ちがいいで……』
 老婆は頑固さうな口調で云った。
『火持ちはいいが、なんしろ危ないで……よっぽど気を付けんと火のやうなかないものはない……』
 老婆は素直に頷づいた。
 前に幾度か火の粗相があったので、火といふとかめよもくどかった。
 炉端へ置いたものへ火が移ってブスブスと燃えはじめ危ふい所をかめよがふと見付けたのも遂最近の事だった。老婆は只ウロウロとしてゐた。ひとりで始末をつけようとしてゐるのだった。それが危ぶないので大事になるもとだと、かめよもその時は気が立ってゐたのでづけづけとしたことを云った。
『そんなに云はんたってもうぢき死ぬわい!』
 老婆は悲しい絶望的な気持から思はずそんな言葉を云って了った。
『おばあさまったらそんなをかしなことを云って……なんにも俺は無理を云ふつもりぢゃない。おばあさまの為には出来る丈のことをするつもりでをるんぢゃあないかな!」
 かめよの荒い言葉にはしかし真情が籠ってゐた。老婆はそれを聞くと叱られた子供のやうに泣き上げたくなった。そしてポツリと一すぢ涙が頬の皺を醜く流れた。
 何と云ってもこの家で老婆の頼りにする人は嫁のかめよだった。この家丈ではない、老婆にはどこにも誰一人も他に頼りにする人はなかった。
 もう五、六年仕事らしい仕事も出来ず気儘にブラブラしてゐて、その上この冬の流行性感冒を誰よりも重く病んだ老婆は、今度こそむづかしいと云はれて風邪はお互ひだからと云ふ事にしてある近処の者も代る代る義理に集る程だったが、看病が行届いたのか、生き強いと云ふのか、腰も立たぬ程の大病みも暖かくなるに連れて又持ち直し、もう一度起き上る身になった。しかし流石に八十幾つといふ年が年なのでめっきり弱り込んで了った。
 老婆がこの家へ来たのは六十を越えてからだった。六十の坂を越えてから他人の家へ後妻として入る迄には、老婆も色々な世間を渡って云ひ尽せない苦労の中も通って来た身だった。初めこの家へ老婆を世話したのは町の筆屋の勝野老人だった。
『根は愚かだけれど極くの正直者で……』
 勝野老人は不仕合せな老婆の身の上を語った。みよりのないと云ふのが却ってこちらには乗気だった。
『山の中の御大家だ!』老婆は勝野老人からその事を聞かされた。
『おめえもかうやって居ってどうするつもりだ。誰に死水取って貰ふ人もいないのぢゃ仕様あるまい……』
 それは人に云はれる迄もなく老婆自身行末の事を考へれば心細い限りだった。行末どころではない。今日今の生活が凌ぎかねてゐるのだった。老婆はその頃何人目かの亭主と別れて、裏町の勝野老人の長屋に独りで暮してゐた。人の家へ雇はれたり元結の下よりを内職にしたりしてやっとその日を過してゐた。
 幾人亭主を持ったと云ふのも、もともと初めの亭主と死に別れたのが運が悪かったので、その最初の亭主とは一番永く暮して、おとしといふ娘があった。おとしが廿歳を越えてからふとした病気で呆気なく死んで了った。それから老婆には転々とした生活が始まった。生れた家も疾うになくなって、身内の者もちりぢりとなり無いも同然になって了った。それでも若いうちは元気だった。製糸工場へ入って大枠の工女としての長い生活もして見た。恐ろしい山師の女房となって旅を流れ歩いたりした事もあった。どん底の生活に近いと云ってもいいやうな生活もあった。
 そして働き盛りの時代がいつか過ぎてゐた――。
 老婆は老後になって思はぬ手引で山の中の見知らぬ家庭の中に入って来た。
 隠居と云ふ人は偏屈人で気むづかしい顔をしている老人だった。一日中でも黙ってゐるやうな性だった。それでゐて女には弱かった。若い時といふのでなく、先の女房がまだ長く病んでゐる頃に女の不始末を起した事が有った。後妻の話のでたのもそんなところから若い者の計らひだった。
 然し老婆が来た頃には隠居も持前の偏屈が一層募ってゐた。新しいつれあひに対してもひどくぎこちなく冷淡のやうだった。
 一度老夫婦は山の湯場へ一晩泊りで湯治に出掛けて行った、その帰りはひどい風になって、老婆は地理は知らぬし山道は慣れぬし、まごまごしてゐると隠居はずんずん先へ行って了ふので泣き度くなり乍ら後についた。
『おぢいさまはわしを山の中へ置き去りにして……』老婆はその折の隠居の姿にふいと縁もゆかりもない他人を見いだした。
 慣れない生活の中にゐて老婆は今更取りつきがたい思ひをした。
『隠居のお茶飲み相手さへして居ればいい』
 と勝野老人は仲人口をきいたが、来て見ればさういう訳にもゆかなかった。然し老婆は性来働く事が好きだった。幼い時から貧乏暮しには慣れてゐた。見るからに節太い大きな手は過去の働きつづけた生活を語って見せた。
 老婆はじっとしてゐる事が苦痛なたちだった。お針を習ふ折がなくて過ぎたが糸取りには自信があった。作場仕事も好きだった。若い者に交ってどんどん働いた。大家族でいつも忙しい家だった。老婆は憎まれ口もよく利いたが快活で話し好きだった。
『町育ちのひとのやうでもない、下品な話ばかりして!』と眉をひそめられることもあった。
『おばあさまのお菜洗ひは砂が一寸も落ちんでほんとにいやだ……』
 若い孫嫁の繁子は何彼につれて老婆を煙たがった。老婆は老婆で若い者達のにぶい仕事振りが気に入らなかった。
『奉公人使っとる家のお上さんなんちふものは起きて出るにも咳払ひしながら起きる位の気転が利かなくては……』と一寸云ふにもそんな調子だった。それ程萬事に気喧しい性分だった。老婆は腹が立ってムシャクシャすると尚更ぐいぐい働いて見せた。
『吉田でも全くいい年寄を貰ひ当てた!』
 近処の者はよくさう噂した。
 隠居は間もなく卒中でバッタリと死んで行った。今更何の問題もなく老婆はその儘隠居所に居付いた。かめよも先の姑に仕へた時と違って老婆には気楽に物の云へる立場に立ってゐた。
 勝野老人は冬になると毎年きまって村を廻って来た。脚絆に草鞋穿きといふ古風ないでたちで、筆や墨の入ったつづらを天びん棒で担いでやって来た。商売が上品な商売丈あってどこそこ品位の有る老人だった。行きどまりの吉田家へ来るとゆっくり休んで行くのが定例だった。
『おいそさん』勝野老人は老婆の名をさう呼んで隠居所へもやって来た。
『おめえはいい家へ世話になった!』老人はそんな風にポツリと云ふ癖だった。
『此処のおっ母は利口者だかも仲々話が解る……』そんな事もいった。[#「。」は底本では「、」]
『俺れがあんまり馬鹿過ぎるで……』老婆は呟くやうに云った。
 老婆は勝野老人に逢って、町の方の話を聞くのが何よりの楽しみだった。勝野老人は来る度に町の方の様々な話題をもたらせた。
『俺れの処もまあ養子がようやって呉れる!』
 勝野老人は子供がないので養子を貰ってゐた。遣り手だといふ養子の話を始めるときりがないやうに見えた。
 老婆は氷く住み慣れた裏町の方の人達の色々な変遷を聞いた。倒産してちりぢりになった老舗の話やら、中風で寝込んだ話友達の身の上やら驚くやうな話が多かった。
 誰の上を聞いて見てもかんばしい話はないやうだった。
『おめえは未運がいいといふもんだ!』
 勝野老人は感慨深さうに云った。
 さう云はれて見れば、老婆は(これが仕合せなのかも知れない)と自身の上を思って見るのだった。

 ある年の秋の祭の事だった。ふとすすめられて老婆は孫娘のみつ子を連れ祭場へ出掛けて行った。祭と云っても小さな氏神の拝殿に近所の者が集って酒を飲むだけのものだった。『吉田の御隠居様お一つ?』さう云って盃をさす者もあった。老婆はすすめられて盃を幾つか重ねた。そこではてんでに重箱をひろげてさかなを交換し合って食べた。こんな事は幾年にもないことだった。
 老婆はすっかりいい機嫌になった。やがて唄をはじめる者もあった。老婆もすすめられるままに目をつぶって唄って見た。細いいい声が出た。一座はにはかに陽気づいて来た。
 それこそ調子がよければ踊りの一つも踊って見たいやうな燥しゃいだ気持ち……老婆は久々で昔の自由な時代のことを思ひだしてゐた。それは殆んど忘れてゐた世界だった。みつ子が心配な顔をして若々しく酔の廻った老婆の顔をみつめてゐた。
『みっちゃん、家へかへってだまっとってお呉んなよ!』
 老婆は帰途にふとみつ子に向ってさう云った。

 老婆には過ぎ去った昔が訳もなく懐しかった。何も彼もごっちゃになって思ひ出された。そして『おとし、おとし』と娘の名が口癖に出て来た。おとしと父親と二人で暮した時代の事が何彼につれて頭を去らなかった。楽しかった事はみなその時代のこととして思ひだされた。蔭ではよくそのことについて笑ひ合った。『娘もいつまでも娘で居りゃせんに!』と云った。
 だが老婆にはどう思っても事実年齢から云へば五十にも六十にもなってゐる筈の娘を考へることは出来なかった。若くて頼もしい娘の面影がいつも目の底から消えなかった。
 老婆は信心を持たなかった。さういふ境遇には育って来なかった。だから死後の事を考へはしなった。ただ死ぬ時を案じた。ころりと死に度いといふ事丈を願った。誰か近処の年寄が楽往生したことを聞くと老婆はしんから羨しがった。
『おばあさまいつまでもおたっしゃで……』
 近処の者は近頃ひどく老い込んだ様子で曽孫の子守をしてゐる老婆を見るとさう挨拶した。
「達者どころではない! 俺ももうお暇の出る時分ずらよ!」
『おひまなんかお出しるものかな、ありがたいおばあさまだに!』
『なに、なに俺もまあおっ母さんがいい人だでお世話になって居れたんだが……』
 老婆はそんな風に云って見ずにゐられなかった。さう口に出して云って見ると、今更に頼りない境遇がはっきりして来るやうだった。そして相手になって呉れる人に何かしら愚痴を聞いて貰ひたい心にならずにゐられなかった。誰もがいつも当り障りのない言葉をかけて呉れるのが物足りなかった。どんな他愛ない事でも口へ出して云って見ると胸がすっとするものだった。肚にある事を残らず云ったり云はれたりして見なければどうにも胸が納まらぬのだった。老婆は只愚痴を云って胸を納めて見るより他仕方なかった。
『俺ももういつ死んでもいいんだが……それでも下手な死に様をしてごらんな、それこそ家の名にかかわることだで……』
 老婆は、近処の者には家の人達には云へないやうな事を云って見たりした。
 その癖世話を焼きたい性分で、母屋へ行って見ても、畠へ出て見ても捨てて置けない事許りのやうな気がした。
『みんな勝手にするがいい……どうならうと俺はもう構はん……』老婆は思ふやうにならない癇癪を隠居所へ戻って来てはせめて独り言に洩らすのだった。
 孫娘のみつ子もうに町の方へ嫁に行ってゐた。みつ子の嫁入の時は、『おばあさまのお蔭でこんなに着物が沢山出来た!』と手取りの絹を胴裏にまでつけた着物を見せられて悦ばれたものだったが、老婆も次第に手が硬くなって好きな糸取りも出来なくなった。
 老婆は引き続いて生れる曽孫の子守を次々に引受けた。子供が重くなって手に余る頃には又次の赤ん坊が生れてゐた。
 老婆の心では出来る丈働くつもりでももう思ふ様に体が動かなかったし、ためになるつもりでやる事が却って反対の結果を生んだ。
 蚕の手伝ひは最も好きな仕事で、『おばあさま繭掻きとなるとまるで夢中で御飯食べる事も忘れて了ふ……』とよくかめよが笑ったりしたものだが、今ではもう『巣掻かん蚕迄拾ふ』とか『上繭も中繭も区別が出来ん』とか、蔭では苦情許り云はれて有難迷惑にされるやうになった。
 老婆はある時末の男の子を背負ったまま、近くの溝川へ落ち込んで、子供も自分も頭を血だらけにして帰って来た。
 左半分が兎角不自由勝ちだった。
 その時以来子守仕事も老婆の役目ではなくなった。その上老婆の頭の傷ははかばかしく癒らなかった。単純な化膿ではないといふ事だった。身にひそんでゐた病気が有るのだった。老婆は目に見えて衰へが来てゐた。

『勝野さん、俺れもこんな者になって了って全く悲しいよ!』
 老婆は利かなくなった左の手を出して見せた。
『ふんとに手は利かんし足は利かんし俺れも生き過ぎてしまったよ!』
 勝野老人はあたり前だといふ顔をした。
『おまいはなんにも云ふことはないよ……楽隠居でなんに不足がある。有難く思ってさへ居ればそれでいいんだな!』
 さういふ勝野老人はひどく屈託を持ってゐる顔付きだった。
『もうあかん、荷が苦になるやうになったらもうあかん……』
 勝野老人は吉田迄来ると思はず溜息をついて云った。老人もめっきり年取ってどこか影のうすいやうなとぼとぼした歩きつきだった。
『勝野さんもなんだかながいことはないやうだ……』
 かめよは夫にさう云って、次の間に寝てゐる老人の不規則な寝息を聴いた。
『うん、老爺も養子にゃ逃げられるし、それに第一商売がもう行きどまりだでえらからうよ!』
 かめよ夫婦は暫くそんな話をしてゐた。
 勝野老人の身辺にも目に見えて変遷が有った。老人があれ程信頼してゐた養子にも裏切られた。養子は嫁を貰ってから間なく老人の手許を飛び出して独立で洋食屋を経営しはじめてゐて、老人夫婦とは縁を切った形だった。
 老人の商売も時世に取り残された。村から村を廻って歩いてもいくらの収入にもならなかった。今ではもう村々の得意先で永年の誼みに泊めて貰って口稼するに過ぎない状態だった。
 勝野老人は今度吉田へ来るにつけても、どうしても云ひ出しにくい事を云はねばならない切破詰った事情を持ってゐるのだった。
 それをどう切りだしていいか、縁故と云へば何もなかった。単に老婆を世話したといふ位のものだった。それ位の理由で、(気難かしい当家ここの大将)が早速頼みを容れて判を押して呉れるかどうか……。
 勝野老人はどう切り出したものかといふ事を考へあぐんでゐた。そして心が慰まなかった。
『俺ももう一度おとしの墓参りに行って来たいと思ったんだが……』
 老婆はそれも口に出して云って見るに過ぎない調子で云った。
 老いた二人は別に話す事もみつからぬといふ風で途切れ勝ちに話し合ってゐた。
 老婆は次第に独りゐる時を好むやうになった。母屋の方へもたまにしか出て行かなかった。たまに行って見ても子供達も何となくよそよそしい眼をするやうだった。『年寄りはきたない』さういふ冷たい眼があるやうだった。老婆は母屋へお茶に招ばれて行って、賑やかな茶飯時の一座の中でふいと水臭いものを感じた。子供が大勢でみんなてんでに笑ったり泣いたり罵ったりするにつけても、そこに親子兄妹の肉親につながるもの同士が持つ親しい解け合った雰囲気があるやうに見えた。その中にゐて只自分丈がその雰囲気から仲間外れになってゐるやうなよわい感じ……老婆はそれを屡々感じなければならなかった。
 それは只気持の上のことなのだが――。
 稀にみつ子が町から帰ると『隠居のおばあさまに』さう云って老婆の所へも何かしら手土産を持って来た。老婆はそれが何より嬉しかった。そしてかめよから貰って持ってゐる小遣ひを無理にみつ子に手渡してきかなかった。『おばあさまは私をまだ子供扱ひで……』みつ子は母親のかめよと顔を見合はせて笑った。
 さういふ母親はたまに出逢って、話しても話しても尽きないと云ふやうに睦び合って、如何にも楽しさうに見えた、かめよは何彼につけてみつ子の噂をたのしんだ。
 老婆はどっちを向いても独りぼっちだった。肉身としての深い愛情をそそぐものも、そそいで呉れるものもない寂寥を只身一つに背負ってゐるやうに隠居所の炉端にひとりぼんやり坐ってゐる時が多かった。
 そして思ふやうに動けぬ自分の体を自分で持て余すやうな焦燥もいつか年と共に消えて了ってゐた。
 若い時から人一倍壮健で、たくましい胃を持ってゐる老婆は食慾だけは年取ってもさかんだった。只食べて眠る丈の慰安がそこにあった。そしてひとりで煮炊をしてゐるとその方がずっと気楽でたまに『本家で食べておいでな』と云はれても母屋では落付いて食べる気にならないので、いつも断って帰って来た。
 ある晩だった。今夜は御馳走が出来るから食べずに待つやうにと云はれたので、老婆は夕方から待ち切った。炉端につくねんと坐って火を焚き乍ら足音の聞える度に耳を澄ました。
 随分待ったが何の沙汰もない。待ちあぐんで炬燵に戻って待って見た。それでも持って来る気配がない。老婆は次第に空腹が増すに連れてヂリヂリして来た。
 忘れてゐるのだらうか? さう思ふとなんとも云へぬ忌々しい気持になった。
 行って見ようか? さう思ふ一方で、構ふことはない、棄てておいてやれといふいっそ自棄的な気持ちが湧いてみじめな自分をそのままにして置く気にもなった。なにも彼も悲しく呪はしくなった。そして今迄にもこんな思ひに度々出逢ったやうな気がして来た。
 大家内の母屋では子供に紛れてつい忘れてゐた。
 かめよも老婆の為にはいつも特別気を配ってゐるのだが今夜に限って何か紛れてゐて遂それなりになった。もう後片付も済まして皆奥へ引込んだ時だった。かめよがふと『おばあさまには上げつらなァ?』と云ったので気がついて(しまった事をした)といふので繁子は大急ぎでお萩の鉢を運んで来た。
『えらい遅くなって申訳なかったなむ』繁子は戸間口からさう声を掛けて入ったが老婆は炬燵の中に体を埋めるやうにしてゐた。『ナァに』と口軽く云ふつもりで声が震へさうで何も云へなかった。
 繁子は困った顔をし乍ら出て行った。
 すぐ後からわざわざかめよがやって来た。
 鉢はまだ上り端に置かれてあった。
『おばあさま、えらいわるいことをしたなむ、サア早く食べておくんな!』
『ナァに』老婆はよわよわしく微笑をしようとした。
『本家の方もゴタゴタしてをるでつい忘れてしまって……そいだがおばあさまも催促に来てお呉れりゃいいぢゃないかな? なんにもわる気のあることぢゃないに……一寸声を掛けと呉れりゃそれで済むことぢゃないかな!』
 かめよにさう云はれると、嵐の荒れ狂ったやうな胸のうちがすこしをさまって来るやうな気になった。
 老婆はもの憂く立ち上って炉端へ膳を運んだ。

 もう秋も末だった。
 きびしい霜が白々と降りた朝だった。
 一晩のうちに外の面のものが黒く素枯れて行く恐ろしい寒気は家の内へも侵入して来て、ひしひしと老婆の五体に滲み通った。
 その朝から老婆は腰が立てなくなり、部屋のうちを這い廻ってゐた。何気なく水を運んで来た繁子は老婆の変り果てた姿にびっくりさせられた。老婆はもうすっかり痴呆状態になってゐて人の声さへ耳に入らなかった。
 かめよはその頃、盲腸炎を病んで町の病院で手術後の危険な時期を呻吟してゐた。
『どうもおばあには弱ったよ、臀の始末が自分で出来ん癖に、自分で始末する気でウロウロ這ひだしたりそこら汚したりして……』
 夫の話を聞いて、かめよはなんたらことだかと思った。(おばあさまは俺が引受けたつもりだったに)さう思ふと自分の体が歯掻ゆかった。
 さう思ふかめよも既に六十を越えた老体で病後の経過がはかばかしくは行かなかった。
 かめよは年の暮になって漸くの思ひで退院して来た。老婆はかめよを見るとそれでも『おっ母さん』と呼んで見たがもう直ぐ記憶が錯雑してとりとめのない事を云ひ続けた。
 手伝ひのために隣家の娘を頼み込んであったが老婆の世話は赤ん坊よりも始末が悪かった。正月も過ぎる頃には誰の眼にも遣り切れない当惑の色が浮んでゐた。
 老婆はある朝ふっと正気に返った。
 そして汚れものの始末も他人に任せている自分自身のみじめな姿をはっきり見た。
『だから俺は娘が欲しいって思ったんだ……』
 老婆はそれをはっきりと口へだして云って見た。突然にさう云ったので傍にゐた隣家の娘はけげん相な顔をした。そして薄気味わるさうにした。
 老婆はまじまじと一つところをみつめた。
 もう身をもがく丈の力もなかった。
 やがて老婆は再び昏迷に落ちて行った。
 絶え間のないうは言がつづけられた。ひっきりなしに人の名を呼びつづけた。それが誰の名を呼ぶとも聞えず丁度赤児の泣声のやうにきこえた。
そしてだんだんに声が細り消えるかのやうに息を引取った――。
 二月半ばの大雪の晴れた日に、老婆の亡骸は柩に納められて、吉田家の墓地の片隅に埋められた。
『各務いそ之墓』白木の墓標にはさうしるされてあった。行年八十九歳と横には書かれてあった。
 葬式に集った近処の人達は、初めて知った老婆の姓を珍らし顔に眺めた。
 老婆がはじめに年齢を三つ程隠して来たといふ事も今度の御大典の時町の役場からの照会で解ったといふ話もはじめて出た。
 年には不足がないと云ふ訳で、鹿爪らしいお悔みを云ふ者もなかった。みんなてんでに思ひ思ひの事を口に出して話し合った。
 他人許りののんきさがそこにあった。
『皆様のお蔭で賑やかなお葬式が出来まして!』
 かめよはさう挨拶をくり返した。
『仕合せなおばあさまだった!』
 女房達はさう云った。それは決してお世辞にいふのではなかった。
 貧乏に追はれて暮す者から見れば、食べるものにも着るものにも不自由なく長命できればそれを仕合せと思ふより他思ひやうがなかった。そして『長生した人のは縁起がいい!』と云って、老婆の着古したやうなものをよろこんで貰って行った。

 かめよは隠居所の跡片付をあらかた終へた。がっかりしたやうな安心の気持ちだった。
 勝手道具を整理したり、古い行李や箪笥の中を片つけた。麻の単衣とか黒繻子の帯とか乏しい衣類をひろげて見た。
 其処には老婆の若い時の記念のやうな物は何一つ残ってゐなかった。
 かたみを遣らねばならない人もなかった。
 もうどこにも老婆の影は見当らなかった。
 ほんに瞬間に消えて了った影とも思はれた。
(おばあさまも自身の娘があったら?)
 かめよは何故ともなしにそのことを思って見た。そして何かしらむなしい思ひが込みあげて来た。義理といふことを忘れて思ふことの出来ないむなしさだった。
 老婆の死にぎはの頃の、気の毒な呼び声は未だまざまざとかめよの耳に残ってゐた。
 あそこ迄行かなくては死ねないものかと思ふと他人の事とも自分の事とも判らないやうな心細い思ひが胸に沁みて来るやうだった。
『それでも身内があれば気強いといふものだらうか!」
 かめよはさう呟くやうに吐息をついた。
――六・八・一二―― 
(「つばさ」第二巻第八号)





底本:「定本金田千鶴全集」短歌新聞社
   1991(平成3)年8月20日発行
初出:「つばさ 第二巻第八号」つばさ発行所
   1931(昭和6)年9月1日
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2009年3月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について