手紙

芥川龍之介




 僕は今この温泉宿に滞在しています。避暑する気もちもないではありません。しかしまだそのほかにゆっくり読んだり書いたりしたい気もちもあることは確かです。ここは旅行案内の広告によれば、神経衰弱にいとか云うことです。そのせいか狂人も二人ふたりばかりいます。一人ひとりは二十七八の女です。この女は何も口をかずに手風琴てふうきんばかりいています。が、身なりはちゃんとしていますから、どこか相当な家の奥さんでしょう。のみならず二三度見かけたところではどこかちょっと混血児あいのこじみた、輪廓りんかくの正しい顔をしています。もう一人の狂人は赤あかとひたい禿げ上った四十前後の男です。この男は確か左の腕に松葉の入れ墨をしているところを見ると、まだ狂人にならない前には何か意気な商売でもしていたものかも知れません。僕は勿論この男とは度たび風呂ふろの中でも一しょになります。K君は(これはここに滞在しているある大学の学生です。)この男の入れ墨を指さし、いきなり「君の細君の名はおまつさんだね」と言ったものです。するとこの男は湯にひたったまま、子供のように赤い顔をしました。……
 K君は僕よりもとおも若い人です。おまけに同じ宿のM子さん親子とかなり懇意にしている人です。M子さんは昔風に言えば、若衆顔わかしゅがおをしているとでも言うのでしょう。僕はM子さんの女学校時代にお下げに白いうし鉢巻はちまきをした上、薙刀なぎなたを習ったと云うことを聞き、定めしそれは牛若丸うしわかまるか何かに似ていたことだろうと思いました。もっともこのM子さん親子にはS君もやはり交際しています。S君はK君の友だちです。ただK君と違うのは、――僕はいつも小説などを読むと、二人ふたりの男性を差別するために一人ひとりふとった男にすれば、一人をせた男にするのをちょっと滑稽に思っています。それからまた一人を豪放ごうほうな男にすれば、一人を繊弱せんじゃくな男にするのにもやはり微笑ほほえまずにはいられません。現にK君やS君は二人とも肥ってはいないのです。のみならず二人ともきずつき易い神経を持って生まれているのです。が、K君はS君のように容易に弱みを見せません。実際また弱みを見せない修業しゅうぎょうを積もうともしているらしいのです。
 K君、S君、M子さん親子、――僕のつき合っているのはこれだけです。もっともつき合いと言ったにしろ、ただ一しょに散歩したり話したりするほかはありません。何しろここには温泉宿のほかに(それもたった二軒だけです。)カッフェ一つないのです。僕はこう云う寂しさを少しも不足には思っていません。しかしK君やS君は時々「我等の都会に対する郷愁」と云うものを感じています。M子さん親子も、――M子さん親子の場合は複雑です。M子さん親子は貴族主義者です。従ってこう云う山の中に満足しているわけはありません。しかしその不満の中に満足を感じているのです。少くともかれこれ一月ひとつきだけの満足を感じているのです。
 僕の部屋は二階の隅にあります。僕はこの部屋の隅の机に向かい、午前だけはちゃんと勉強します。午後はトタン屋根に日が当るものですから、その烈しい火照ほてりだけでもとうてい本などは読めません。では何をするかと言えば、K君やS君に来てもらってトランプや将棊しょうぎひまをつぶしたり、組み立て細工ざいく木枕きまくらをして(これはここの名産です。)昼寝をしたりするだけです。五六日前の午後のことです。僕はやはり木枕をしたまま、厚い渋紙の表紙をかけた「大久保武蔵鐙おおくぼむさしあぶみ」を読んでいました。するとそこへふすまをあけていきなり顔を出したのは下の部屋にいるM子さんです。僕はちょっと狼狽ろうばいし、莫迦莫迦ばかばかしいほどちゃんと坐り直しました。
「あら、皆さんはいらっしゃいませんの?」
「ええ。きょうは誰も、……まあ、どうかおはいりなさい。」
 M子さんはふすまをあけたまま、僕の部屋の縁先えんさきたたずみました。
「この部屋はお暑うございますわね。」
 逆光線になったM子さんの姿は耳だけ真紅しんくいて見えます。僕は何か義務に近いものを感じ、M子さんの隣に立つことにしました。
「あなたのお部屋は涼しいでしょう。」
「ええ、……でも手風琴てふうきんの音ばかりして。」
「ああ、あの気違いの部屋の向うでしたね。」
 僕等はこんな話をしながら、しばらく縁先に佇んでいました。西日にしびを受けたトタン屋根は波がたにぎらぎらかがやいています。そこへ庭の葉桜はざくらの枝から毛虫が一匹転げ落ちました。毛虫は薄いトタン屋根の上にかすかな音を立てたと思うと、二三度体をうねらせたぎり、すぐにぐったり死んでしまいました。それは実にっ気ない死です。同時にまた実に世話の無い死です。――
「フライ鍋の中へでも落ちたようですね。」
「あたしは毛虫は大嫌だいきらい。」
「僕は手でもつまめますがね。」
「Sさんもそんなことを言っていらっしゃいました。」
 M子さんは真面目まじめに僕の顔を見ました。
「S君もね。」
 僕の返事はM子さんには気乗りのしないように聞えたのでしょう。(僕は実はM子さんに、――と云うよりもM子さんと云う少女の心理に興味を持っていたのですが。)M子さんは幾分かねたようにこう言って手すりを離れました。
「じゃまたのちほど。」
 M子さんの帰って行ったのち、僕はまた木枕きまくらをしながら、「大久保武蔵鐙おおくぼむさしあぶみ」を読みつづけました。が、活字を追うあいだに時々あの毛虫のことを思い出しました。……
 僕の散歩に出かけるのはいつも大抵たいてい夕飯前ゆうめしまえです。こう云う時にはM子さん親子をはじめ、K君やS君も一しょに出るのです。そのまた散歩する場所もこの村の前後二三町の松林よりほかにはありません。これは毛虫の落ちるのを見た時よりもあるいは前の出来事でしょう。僕等はやはりはしゃぎながら、松林の中を歩いていました。僕等は?――もっともM子さんのお母さんだけは例外です。この奥さんは年よりは少くともとおぐらいはふけて見えるのでしょう。僕はM子さんの一家のことは何も知らないものの一人です。しかしいつか読んだ新聞記事によれば、この奥さんはM子さんやM子さんのにいさんをんだ人ではないはずです。M子さんの兄さんはどこかの入学試験に落第したためにお父さんのピストルで自殺しました。僕の記憶を信ずるとすれば、新聞は皆兄さんの自殺したのもこの後妻ごさいに来た奥さんに責任のあるように書いていました。この奥さんの年をとっているのもあるいはそんなためではないでしょうか? 僕はまだ五十を越していないのに髪の白い奥さんを見る度にどうもそんなことを考えやすいのです。しかし僕等四人だけはとにかくしゃべりつづけにしゃべっていました。するとM子さんは何を見たのか、「あら、いや」と言ってK君の腕を抑えました。
「何です? 僕はへびでも出たのかと思った。」
 それは実際何でもない。ただ乾いた山砂の上にこまかいありが何匹も半死半生はんしはんしょう赤蜂あかはちを引きずって行こうとしていたのです。赤蜂はあおむけになったなり、時々けかかったはねを鳴らし、蟻の群をい払っています。が、蟻の群は蹴散けちらされたと思うと、すぐにまた赤蜂の翅や脚にすがりついてしまうのです。僕等はそこに立ちどまり、しばらくこの赤蜂のあがいているのを眺めていました。現にM子さんも始めに似合にあわず、妙に真剣な顔をしたまま、やはりK君の側に立っていたのです。
「時々けんを出しますわね。」
「蜂の剣はかぎのように曲っているものですね。」
 僕は誰も黙っているものですから、M子さんとこんな話をしていました。
「さあ、きましょう。あたしはこんなものを見るのは大嫌い。」
 M子さんのお母さんは誰よりも先きに歩き出しました。僕等も歩き出したのは勿論もちろんです。松林は路をあましたまま、ひっそりと高い草を伸ばしていました。僕等の話し声はこの松林の中に存外ぞんがい高い反響を起しました。殊にK君の笑い声は――K君はS君やM子さんにK君の妹さんのことを話していました。この田舎いなかにいる妹さんは女学校を卒業したばかりらしいのです。が、何でも夫になる人は煙草ものまなければ酒ものまない、品行方正の紳士でなければならないと言っていると云うことです。
「僕等は皆落第ですね?」
 S君は僕にこう言いました。が、僕の目にはいじらしいくらい、妙にてれ切った顔をしていました。
「煙草ものまなければ酒ものまないなんて、……つまり兄貴あにきへ当てつけているんだね。」
 K君も咄嗟とっさにつけ加えました。僕は加減かげんな返事をしながら、だんだんこの散歩を苦にし出しました。従って突然M子さんの「もう帰りましょう」と言った時にはほっとひと息ついたものです。M子さんは晴れ晴れした顔をしたまま、僕等のなんとも言わないうちにくるりと足を返しました。が、温泉宿へ帰る途中はM子さんのお母さんとばかり話していました。僕等は勿論前と同じ松林の中を歩いて行ったのです。けれどもあの赤蜂はもうどこかへ行っていました。
 それから半月はんつきばかりたったのちです。僕はどんより曇っているせいか、何をする気もなかったものですから、池のある庭へおりてきました。するとM子さんのお母さんが一人ひとり船底椅子ふなそこいすに腰をおろし、東京の新聞を読んでいました。M子さんはきょうはK君やS君と温泉宿の後ろにあるY山へ登りに行ったはずです。この奥さんは僕を見ると、老眼鏡ろうがんきょうをはずして挨拶あいさつしました。
「こちらの椅子いすをさし上げましょうか?」
「いえ、これで結構です。」
 僕はちょうどそこにあった、古い籐椅子とういすにかけることにしました。
「昨晩はお休みになれなかったでしょう?」
「いいえ、……何かあったのですか?」
「あの気の違った男の方がいきなり廊下ろうかけ出したりなすったものですから。」
「そんなことがあったんですか?」
「ええ、どこかの銀行の取りつけ騒ぎを新聞でお読みなすったのが始まりなんですって。」
 僕はあの松葉の入れずみをした気違いの一生を想像しました。それから、――笑われても仕かたはありません、僕の弟の持っている株券かぶけんのことなどを思い出しました。
「Sさんなどはこぼしていらっしゃいましたよ。……」
 M子さんのお母さんはいつか僕に婉曲えんきょくにS君のことを尋ね出しました。が、僕はどう云う返事にも「でしょう」だの「と思います」だのとつけ加えました。(僕はいつも一人ひとりの人をその人としてだけしか考えられません。家族とか財産とか社会的地位とか云うことには自然と冷淡になっているのです。おまけに一番悪いことはその人としてだけ考える時でもいつか僕自身に似ている点だけその人の中から引き出した上、勝手に好悪こうおさだめているのです。)のみならずこの奥さんの気もちに、――S君の身もとを調べる気もちにある可笑おかしさを感じました。
「Sさんは神経質でいらっしゃるでしょう?」
「ええ、まあ神経質と云うのでしょう。」
「人ずれはちっともしていらっしゃいませんね。」
「それは何しろ坊ちゃんですから、……しかしもう一通ひととおりのことは心得ていると思いますが。」
 僕はこう云う話の中にふと池の水際みずぎわ沢蟹さわがにっているのを見つけました。しかもその沢蟹はもう一匹の沢蟹を、――甲羅こうらの半ば砕けかかったもう一匹の沢蟹をじりじり引きずって行くところなのです。僕はいつかクロポトキンの相互扶助論そうごふじょろんの中にあった蟹の話を思い出しました。クロポトキンの教えるところによれば、いつも蟹は怪我けがをした仲間をたすけて行ってやると云うことです。しかしまたある動物学者の実例を観察したところによれば、それはいつも怪我けがをした仲間を食うためにやっていると云うことです。僕はだんだん石菖せきしょうのかげに二匹の沢蟹の隠れるのを見ながら、M子さんのお母さんと話していました。が、いつか僕等の話に全然興味を失っていました。
「みんなの帰って来るのは夕がたでしょう?」
 僕はこう言って立ち上りました。同時にまたM子さんのお母さんの顔にある表情を感じました。それはちょっとした驚きと一しょに何か本能的な憎しみをひらめかせている表情です。けれどもこの奥さんはすぐにもの静かに返事をしました。
「ええ、M子もそんなことを申しておりました。」
 僕は僕の部屋へ帰って来ると、また縁先えんさきの手すりにつかまり、松林の上に盛り上ったY山のいただきを眺めました。山の頂は岩むらの上に薄い日の光をなすっています。僕はこう云う景色を見ながら、ふと僕等人間を憐みたい気もちを感じました。……
 M子さん親子はS君と一しょに二三日まえに東京へ帰りました。K君は何でもこの温泉宿へ妹さんの来るのを待ち合せた上、(それは多分僕の帰るのよりも一週間ばかり遅れるでしょう。)帰り仕度したくをするとか云うことです。僕はK君と二人だけになった時に幾分かくつろぎを感じました。もっともK君をいたわりたい気もちのかえってK君にこたえることをおそれているのに違いありません。が、とにかくK君と一しょに比較的気楽きらくに暮らしています。現にゆうべも風呂ふろにはいりながら、一時間もセザアル・フランクを論じていました。
 僕は今僕の部屋にこの手紙を書いています。ここはもう初秋しょしゅうにはいっています。僕はけさ目をました時、僕の部屋の障子しょうじの上に小さいY山や松林のさかさまに映っているのを見つけました。それは勿論戸の節穴ふしあなからさして来る光のためだったのです。しかし僕は腹ばいになり、一本の巻煙草をふかしながら、この妙に澄み渡った、小さい初秋の風景にいつにない静かさを感じました。………
 ではさようなら。東京ももう朝晩は大分だいぶしのぎよくなっているでしょう。どうかお子さんたちにもよろしく言って下さい。
(昭和二年六月七日)





底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年3月24日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年2月3日公開
2004年3月10日修正
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