貴問に
曰、近来
娼婦型の
女人増加せるを
如何思ふ
乎と。然れども僕は娼婦型の女人の増加せる事実を信ずる
能はず。
尤も女人も家庭の
外に呼吸する自由を
捉へたれば、当代の女人の男子を見ること、猛獣の如くならざるは事実なるべし。こは
勿論娼婦型の女人の増加せる結果と言ふこと能はず。又産児を
免るべき科学的方法並びに道徳的論も
略完全に
具りたれば当代の女人の
必しも
交合を恐れざるは事実なるべし。若し
今日の社会制度に
若干の変化を生じたる
後、あらゆる童子の養育は社会の責任になり
了らん
乎、この傾向の
今日よりも一層増加するは言ふを待たず。然れども
畢に交合は必然に産児を伴ふ以上、男子には冒険でも
何でもなけれど、女人には常に生死を
賭する冒険たるを
免れざるべし。
若し常に生死を
賭する冒険たるを免れずとせば、絶対に交合を恐れざるは常人の
善くする所にあらざるなり。よし又天下の女人にして
悉交合を恐れざること、入浴を恐れざるが如きに至るも、そは少しも娼婦型の女人の増加せる結果と云ふこと能はず。
何となれば娼婦型の女人は
啻に交合を恐れざるのみならず、又実に
恬然として個人的威厳を顧みざる天才を
具へざる
可らざればなり。
教坊十万の
妓は多しと
雖も、真に娼婦型の女人を求むれば、恐らくは甚だ多からざる
可し。天下も
亦教坊と等しきのみ。
旦に
呉客の夫人となり、
暮に
越商の
小星となるも、
豈悉病的なる娼婦型の女人と限る
可けんや。この故に僕は娼婦型の婦人の増加せる事実を信ずる能はず。
況や貴問に答ふるをや。
聊か
所思を
記して拙答に代ふ。
高免を
蒙らば
幸甚なり。
(大正十三年十一月)