理想の女

豊島与志雄




 私は遂に秀子を殴りつけた。自然の勢で仕方がなかったのだ。
 私は晩食の時に少し酒を飲んだ。私達は安らかな気持ちで話をした。食後に私はいい気持ちになって――然し酔ってはいなかった――室の中に寝転んだ。電灯の光りを見ていると、身体が非常にだるく感じられた。秀子は室の隅の小さな布団に、みさ子を寝かしつけていた。その方へ向いて私は、「おい枕を取ってくれ、」と云った。
「しッ! 赤ん坊が寝ないじゃありませんか。」と秀子は答えた。
 彼女の声の方が私のよりずっと高かった。眠りかかった子供が眼を覚したとすれば、それは寧ろ彼女の声のせいに違いなかった。然し幸にも子供は眼を覚さなかった。私は我慢して待っていた。所が秀子はいつまでも起き上ろうとしなかった。私は雑誌を五六頁読んだ。それから秀子の方を見ると、彼女は子供に乳を含ましたまま、いつしか居眠ってるらしかった。
 私は立ち上って、押入から枕を取り出した。そして押入の襖をしめる時、注意した筈だったが、つい力が余って大きな音がした。秀子はむっくり半身を起した。そして、「静かにして下さいよ、」と云った。
 その言葉の調子が如何にも冷かに憎々しかった。私は癪に障った。それで、また例の通りだとは思いながらも、其処にどたりと枕をほうり出して、わざと大きな音がするように寝転んでやった。
「赤ん坊が眼を覚すじゃありませんか。」と秀子は云った。「眼が覚めたら寝かして下さいますか。」
「ではなぜ枕を取ってくれないんだい。」と私は答えた。
「それ位御自分でなさるが当り前よ、私ばかりを使わなくったって……。」
「じゃあお前は、いつも使われてる気で僕の用をしてるのか。心からこうしてあげようという気はないのか。」
「では御自分はどうなの。子供で手がふさがってるからという思いやりは、少しもないんですか。」
 そういう水掛論が喧嘩の初まりだった。然しそれは具体的な事実を離れて、お互の態度に及ぶ抽象的な問題になったために、どちらも云いつのるだけではてしがなかった。そして、口論の最中に俄に沈黙が落ちて来た。苛ら立った憤りが、じりじりと胸の奥に喰い込んでいった。……とは云え、いつもはそれきりで済むのであったが、不幸にも、丁度その時速達郵便が玄関に投げ込まれた。「速達!」という配達夫の声に、「はい。」と秀子は答えたが、立っては行かなかった。その様子と、「はい。」という返事の落付いた調子とに、私は赫となった。
「取っといで!」と私は怒鳴った。
 秀子は黙っていた。
「取っといでったら!」と私はまた怒鳴った。
 秀子は眉根をぴくりと震わしたまま、じっとしていた。私はじっとして居れなかった。枕を取るが早いか、それを秀子めがけて投げつけた。枕は的を外れて、縁側の障子に当り、障子の中にはまっている硝子を一枚壊した。その物音にみさ子が泣き出した。秀子はそれを抱き取った。私は眼をつぶって仰向けに寝転んだ。
 硝子の壊れた音を聞きつけて、台所からはるがやって来た。秀子ははるに硝子の破片を掃除さした。そして、はるが向うに立ってゆき、子供が眠ってしまった後、秀子は私の方へ坐り直して云った。
「あんな野蛮なことをなすって、もしみさ子が怪我でもしたらどうします!」
 私は飛び起きて、歯をくいしばった。掃除がすみ子供が眠ってしまってから、冷かに真剣に談判を初めたのだ。彼女はまた云った。
「卑劣な! 自分に恥じなさるがいい。」
 その言葉を聞いて私は我を忘れた。「自分に恥じるがいい。」とは、私が彼女を責むる時によく用いた言葉である。その言葉が如何に苛ら立った心を刺戟するかを、私は初めて知った。私は身体を震わしながら、右の拳を振り上げた、そして叫んだ。
「何だ、も一度云ってみろ!」
「ええ幾度でも云います。」と彼女は甲走った声で答えた。「卑劣です。野蛮です。私を打つつもりなら、打ってごらんなさい!」
 私は振り上げた右の拳を打ち下し加減に、彼女の肩を押して突き倒そうとした。彼女はその手にしがみついて来た。もう仕方がなかった。取られた手で彼女を其処に引きずり倒し、左手で彼女の頬に一つ強打を喰わし、立ち上りさま、彼女の腰のあたりを蹴飛した。彼女はがくりと畳の上に倒れ伏したが、その執拗な手先はなお私の着物の裾に取りついてきた。私は彼女が理性を失いかけてるのを見た。それに反して、私の方には非常に明晰な意識が働いてるのを見た。私は堪らなくなった。そして彼女の狂暴な手を払いのけるや否や、ぷいと外に飛び出した。子供の泣き出す声が後ろから聞えていた。
 実に嫌な――というより寧ろ醜い心地だった。彼女を殴りつけてる瞬間の自分の姿が、如何に呪わしい様子であったかを私は感じた。「随分大きな口ね、」と彼女からよく云われていたその口が、殊に大きく裂け上り、鼻が頑丈に居据り、両眼が真中に寄っていたに違いない。握りしめた拳は震え、呼吸は気味悪いほど深く抑え止められていた。そして、そういう私が飛びかかっていって殴り倒したのは、「彼女」をでなくて「彼女の肉体」をであった。柔かな円っこい弾力性のある、海綿を水母くらげに包んだような而も生温い香りのする、「彼女の肉体」をであった。その肉体の背後には、執拗な「彼女」がつっ立って、あくまでも私に反抗しようとしていた。私の手先にしがみつき、私の着物の裾に取りついて、瞋恚の爪を私の胸に立てようとしていたのだ。私は逃げるより外に仕方がなかった。逃げる――と云えば、私は初めから逃げ出していたのだ。切瑞つまった場合になると、暴力が最後の避難所となることもある。私は拳を振り上げた時、「も一度云ってみろ!」と叫んだ時、彼女が折れて出ることをどんなにか待っていたろう! 恐れ入ったという色を一寸見せてさえくれたら……もう止して下さいという様子を一寸見せてさえくれたら……振り上げた拳の下から一寸身を引いてさえくれたら……私の気はそれで済むのであった。然し彼女はそうしなかった。あべこべに私の気勢を上から押っ被さって折り拉ごうとした。それでも私は、拳をすぐに打ち下さないで、少し手を引いて、ただ彼女を押し倒そうとしたのである。然し彼女はそんなことに頓着しなかった。真正面から私に向って突進してきた。凡ての期待は空しくなった。私は逃げ途を失った。もはや一方の血路を開くより外に仕方がなかった。私は殴りつけた。蹴飛した。而も、私が其処に打倒したものは「彼女の肉体」であって、「彼女」はあくまでもいきり立って私に飛びついて来たではないか!
 そういう彼女を、一歩も譲ることを知らない彼女の心を、是非とも挫いておく必要があると私は考えた。そうでなければ、まだこれから幾度も同じことが起りそうだし、その度毎に私は困難な立場に陥りそうだったのである。些細なことから私達は口論をすることがよくあった。二三日後まで反抗的な沈黙を守るほど激しい口論も、何度かくり返されていた。所が此度そういうことが起ったら、もう掴み合いに終るの外はないように思われた。幾度も抑えに抑えられた暴力が、既に飛び出した後だからである。而もそういう暴力の結果はどうであるか? 責任が私一人にかかってくるのみである。彼女は「女である」という便利な楯を持っている。一歩も譲らないで私につっかかって来たこと、不条理に苛ら立ってきたこと、そういう微細な――実は最も重大な――問題は、「殴られた」という事実の背後に影を潜めてしまう。そして「殴った」という責任が全部私の上にのしかかってくる。喧嘩の瞬間には、男も女も対等に――否多くは女の方がより攻勢的に――相対抗するものであるということを是認しても、殴る殴られるという結果の差は、溯って男を非難しがちである。動機の如何に拘らず、強い方が不当だと常に結論されがちである。私はそういう不条理な損害を受けたくない、そういう危い境地へ踏み込みたくない。それには、彼女に折れ屈むことを教えて置かなければいけない。彼女の心を挫いて置かなければいけない。
 憤激の余り私は右のように考えた。然しこの決心は如何に根の浅いものであったか! 私は頭で到達した帰結に満足して、それを胸の奥に移し植えるだけの労を取らなかったのである。
 二日間、私達は互に口を利かなかった。その間私は、一方では秀子に対する憤りを無理に自ら煽り立てながら、一方では秀子が我を折ってくるのを待ちあぐんでいた。
 二日目の夕方――その日は冷たい雨が午後から降り出していた――私は、まだ電灯もつかないのに、秀子が縁側の雨戸を閉めているのを見た。室の中が真暗になりそうだった。
「もう少し開けとおき!」と私は尖り声で云った。
みさ子が風邪をひくじゃありませんか。暗くても温い方がよござんす。」と彼女は答えた。
 私が枕を投って壊した障子の硝子は、まだそのままになっていた。私への見せしめか知らないが、彼女は新たに硝子屋へ頼むこともせず、または紙をはって一時の間に合わせることもしなかった。ぽかりと口を開いてる四角な穴からは、冷かな空気が流れ込んでくるようだった。
「硝子をはめさしたらいいじゃないか。」と私は云ってやった。
 秀子は何とも答えないで、雨戸を閉め切ってしまった。室の真暗な中に、私は一人置きざりにせられたような気がした。その時電気が来た、俄に明るくなった。私達は互の視線を避けた。すると――ああ、女のでたらめな口先よ!――秀子は急にこう云った。
「硝子をはめさしても宜しいんですか。」
「はめないでどうするんだ!」と私は答えた。
「じゃあなぜ早く仰言らないの。」
「お前の方が黙ってるじゃないか。」
 何だか馬鹿々々しかった。馬鹿々々しい気持ちが動いてきた。そして、それが喧嘩の終りだった。私達はまた口を利き出した。万事が平素の状態に返った。その上、この余りに妥協的な不自然な和解は、感覚の陶酔によっても助けられたのである。
 斯くて私の決心は、いつのまにか泡沫のように消え去ってしまった。消え去るのが当然だった。私の内心は寧ろそれを望んでいたのだから。私にとっては、彼女の性質を矯正したいという欲求よりも、彼女を所有したいという欲求の方が、より直接でありより強いのであった。そして彼女を殴ったことによって、私は終局彼女に武器を一つ多く与えたのみだった。
 秀子は私に右の頬を殴られてから、その奥歯が痛んで止まなかった。――彼女は美事な歯並を持っていた。上下揃った細い真白な歯並で、而も下歯が上歯の奥にはいり込んで合さるということがなかった。上歯の先端と下歯の先端とがいつもかち合っていた。そのために、物を食べる時奥歯を噛み合せるのに、口元へ可愛らしい皺が寄った。またそのために、平素唇が薄く細そりして見え、その唇の仇気ない子供らしい微笑の隙間から、上下揃った美事な歯並が覗き出した。なおその上、右上の糸切歯に金が被さっていた。普通は、糸切歯が虫に腐蝕されることは極めて稀であるが、彼女は真先に糸切歯がやられたのである。彼女にとってはそれが偶然の天恵だった。美わしい歯並の奥からぴかりと黄金色に光る糸切歯は、彼女の微笑みに云い知れぬ魅力を与えていたのである。それは兎に角として、この糸切歯から一枚飛んだ奥の下歯が、以前から虫に蝕されていた。時々痛み出すこともあった。然しいつもすぐによくなった。所が此度は、三四日たっても痛みが止まなかった。「あの晩からよ、」と彼女は云った。私は冷りとした。そして無理に歯医者へ通わした。
 歯医者の言葉に依れば、その虫歯は可なりひどくなってるので、セメンをつめ金を被せるのには、二週間余りかかるとのことだった。その間彼女は、初めの一週間は毎日、後の一週間余は一日置きに、文字通り神経をすりへらす手術を受けなければならなかった。神経質な彼女はそれを非常に苦にした。出かける時には、つまらない用事に愚図々々こだわって、なるべく時間を後らそうとした。帰ってくると、眉をしかめながら碌々口も利かないで、数時間じっとしてることさえあった。それから非常に上機嫌になったり不機嫌になったりした。それがまた一々私に反映した。
 九時頃に起き上る。もう朝食の用意は出来ている。私は急いで朝の身仕舞をする。然しそれはごく簡単だ。歯を磨き、顔を洗い、髭を剃り、クリームを顔と頸と手先との皮膚にぬり、髪に櫛を入れる。それだけだ。然し秀子の身仕舞は中々済まない。第一に髪を結わなければならない。(感心に彼女は自分で髪を束ねて、決して人手を借りなかった。)次には長い長い御化粧が初まる。歯医者へ通うので殊に念が入るのだ。細いしなやかな指先を、顔や頸筋へ蛇のようにのたくらせながら、何時までも鏡台の前から立とうとしない。そのうちにみさ子が泣き出す。はるは座敷の掃除やなんかでまだ手がふさがっている。私は危っかしい手付でみさ子を抱いて、家の中をよいよい歩かなければならない。漸く秀子の身仕舞がすむ。彼女は鏡台の前に肌ぬぎになったまま、啜り泣いてる子供に乳房を含ませる。その間私はぼんやりして、縁側から狭い庭でも眺めるか、または寝床の中でざっと眼を通した新聞を、も一度読み直すかするより外はない。それから漸く食事になる。食事が済むと十一時に間もない。秀子は急いで歯医者へ出かける。午後は患者が込むので午前に出かけるのだ。然し随分帰りが後れることもある。みさ子が乳をほしがって泣き出す。私の危っかしい「よいよい」がまた初まる。子供は笑ってるかと思うと泣き、泣いてるかと思うと笑っている。その可愛いい口に唇づけすると、私の唇をちゅっちゅっと吸う。たまらなく可愛くなる。それでも、秀子が帰ってくると、私はすぐに子供を奪われてしまう。「おうよしよし。」と云って彼女は子供に頬ずりをする。私は黙ってそれを傍観するのだ。乳母を雇わないで自分の乳で子供を育てる彼女の気持ちが、私にも分るような気がする。それが私を苦々にがにがしい気分になす。そのうちにまた昼食だ。朝が遅いので、私達は昼に麺麭と牛乳とを取っている。所が秀子は、歯が痛いと云って牛乳だけを飲み、而も乳のためと云って二合近くも飲み、そのまま右の頬を掌で押えて、黙り込んでしまう。私は一人で淋しく麺麭をかじる。彼女は子供をはるに預けて、長く坐り込んで動こうともしない。それから俄に、上機嫌か不機嫌かがやってくるのだ。上機嫌な時には種々なことを饒舌る。歯医者の家で逢ったどこそこの奥さんが、こんなことを云ったとか、芸者がどんな着物を着て歯の療治に来ていたとか、今度みさ子を連れて伯父さんの家へ行こうとか、子供があっては芝居にも行けない――それも別に不平の調子でではなく至って殊勝な調子で――などと、いろんなことを云い出す。いい加減調子を合してるうちに、うつかり信用出来ないぞという気が私のうちに起ってくる。なぜか私は知らない。今に背負投げを喰うぞという気持が、暗々裡に私を警戒させるのだ。そして実際、その背負投げを喰うことも屡々ある。私が彼女の上機嫌に引込まれて、頑是ない子供にからかったり、彼女の乳房を弄んでる子供をいじめたりすると、「子供は玩具ではありません、」としまいに彼女は云い出す。彼女にとっては、私よりも子供の方が大事なのだ。子供は神聖な宝で、猥りに犯してはいけないものなのだ。……然しなおいけないのは、彼女が不機嫌になる時である。私が何か尋ねても碌々返事もしない。そして歯の手術の不愉快なことを、切れ切れな言葉で訴える。訴えた終りには、「みなあなたのせいですよ、よく覚えていらっしゃい、」と止めをさす。私が彼女を殴へりつけたという事実だけが、何時までも残っているのだ。二人が獣のように掴み合ったあの不快な光景は、彼女の頭から消え去ってるかのようである。然し私の頭からは消え去らない。僅かな機縁であの光景が私の頭に蘇ってくる。そして彼女に対する反感――というより寧ろ訳の分らない漠然とした憤懣の情が、むらむらと湧き上ってくる。然し彼女は平然と澄しきっている。最後の止めの一句を云ってしまうと、それで安心しきったように、然しまた凡てから暫く休らいだかのように、「少しお父さんに抱っこしていらっしゃい、」と云いながら子供を私の方へ差出す。「はるに抱かしたらいいじゃないか、」と私は答え返す。一寸諍いが起る。「あなたは子供に愛がないんだわ、」と彼女は云う。……ああ、何という無知な言であるか! 然し、私は彼女ほどは子供を愛していなかったのかも知れない。
 斯かる反目の或る時――みさ子が泣きしきるのを私が知らない顔で放って置いた時、一寸台所に立って行ってた秀子は、急いでやって来るなりすぐにこう云った。
「あなた位勝手な人はない、私に怒ると子供にまで怒りなさるんだから。」
 私は黙って答えなかった。明かにその通りだったのである。私は秀子に対して腹が立つと、子供に対してまで腹が立つのだった。彼女に対する憤懣の余には、子供に当りちらすことさえあった。私はそれが人の父たる態度ではないことを知っていた。然しどうも仕方がなかったのだ。……そして私に対する彼女の不満や反感は、其処から芽すことが多かった。
 私の気分がどうであろうと、また彼女自身の気分がどうであろうと、彼女に取っては、みさ子は絶対的なものであった。
「私はどんなに怒っていても、子供にまで当り散らすようなことはしない!」それを彼女は矜りとしていた。その矜持の地点から、私を見下して軽蔑した。「あなたは私をヒステリー的だと仰言るけれど、子供にまで当り散らす所は、あなたの方がよっぽどヒステリーだわ。」
 然し私には、彼女のような感情の使い分けは出来なかった。職業に対する見解の相違や(その当時私は気楽な職があったら勤めてもいいと思って二三の知人に頼んでいた)、隣近所との交際に対する意見の衝突や、広く道徳上の議論などに於て、互のうちに不融和なものを見出す時、私はいつも陰鬱な気分に沈んでしまった。彼女も口を噤んで反抗的な態度を見せた。そういう時でも彼女は、子供に対してにこやかに笑いかけ、少しもわだかまりのない愛撫を示した。私は冷然とそれを見やった。彼女は私の心を見て取って、わざわざ子供を私の方へ差し出したりした。それは私の気分を和らげんがためではなく、子供を武器として私を頭から圧倒せんがためであった。私がなお冷然と構えていると、彼女は一寸皮肉な微笑とも苦笑ともつかない影を、口元に漂わせた。如何に私が反抗しても、最後の勝利は自分にあると確信しているのだ。それが私は癪に障った。子供が母親の膝の上で、そして私のすぐ眼の前で、訳の分らぬ音声を二三言発しても、声を出して笑っても、急にわっと泣き出しても、私は平然として見向きもしなかった。彼女も遂に我慢をしかねた。私を圧倒せんがための武器は、直ちに神聖なる宝と変った。その宝を軽蔑したという見地から彼女は私を攻撃してきた。
「あなたはこの児を誰の児だと思っていらっしゃるの。まるで他人の児のような態度をなさるのね。」と彼女は云い立てた。
「僕とお前との児だ! 然し……。」
 私は先を云い続け得なかった。私が彼女を憎く思う時には、子供をも同時に憎く思う時であった。彼女に対する憤懣の念を、私は子供にまで押し拡げないではいられなかった。秀子は一寸の隙を見て、親戚や友人の家を訪れることがあった。私はよくその留守居の役を勤めてやった。所がともすると、彼女の帰りは予定よりも延びた。子供は乳を欲しがって泣き出した。初めはるがお守りをした。夕方近くなると、はるは食事の仕度にかかって、私が子守りをした。綺麗なセルロイドの風車を見せたり、護謨の乳首を含ましたり、庭に出たり、座敷の中を飛び廻ったりしたが、しまいには万策つきて、子供を泣くままに任せるより仕方がなかった。秀子は中々帰らなかった。私は憤ろしい心地になっていった。乳の時間も忘れて何処で遊びほうけているのか。子供を愛してると云いながら、子供に空腹の叫びを立てさして平気でいられるのか。……私は怒りで胸が一杯になってきた。そして、彼女に対する怒りで燃え立っている私は、泣き叫ぶ子供に対しても、訳の分らない腹立たしさを覚えてきた。子供を其処に投げつけたくなった。それをじっと我慢しながらも、やけに子供を揺り動かした。子供は更にひどく泣き出した。……秀子は玄関から荒々しく戻ってくる。そして私の手から子供を抱き取る――奪い取る、その眼付には、遅くなって済まないという色は少しもない。子供を泣かしたことを私に責める色ばかりである。私は黙然として、その母と子とに激しい敵意を覚える。そして、醜い反目が初まるのだった。
 然し、私は秀子に対する腹立ちをなぜ秀子だけに限ることが出来なかったのか? なぜみさ子にもその腹立ちを押し拡げたのか? みさ子は自分と秀子との児だと、私ははっきり信じていた。否それは信ずる信じないの問題ではなく、確乎たる事実だったのである。それなのに、なぜ私はみさ子を……そうだ、秀子と自分とを対立さして見る場合に、みさ子を秀子の一部分だとして感じたのか? どうして感ずるようになったか?
 育児は最も大なる務だと云われている。そしてそのことに、私は実生活に於てぶつかったのである。みさ子の出産後七十日ばかりたってから、私は秀子へ向って彼女のだらしない様子を軽く難じたことがあった。その時彼女はこう答えた。
「御免なさい。……でも、子供を育てる骨折りに、男ってものは案外思いやりがないものね。」
 それが初めだったのだ。
 秀子の妊娠中は、妊娠ということに免じて、私は凡てを彼女に許してやっていた。そして分娩ということに対して、敬虔な恐れと尊敬とを懐いていた。彼女も一種の神秘な気持ちで、精神を緊張さしていた。そして分娩という不可思議な危急な輝かしい一点を見つめている私達二人の心持ちには、何等の疎隔も存しなかった。そのままで時が経過していった。愈々の時機がやって来た。私は彼女の枕頭に坐って、彼女の両手を握っていた。二人の心は凡て、握り合った手の中に籠められた。そして偉大なる産みの力……而も案外安々と胎児は生れ出た。私の眼からも、彼女の眼からも、熱い涙が迸り出た。何という崇高な感激だったろう!
 所が、分娩の感激を通り越してから、私達の心は異った方向へ外れ初めたのである。赤児に対する私の恐れは、赤児の発育と共に愛に変ってき、産褥に在る彼女の身体も無事に肥立ってゆき、そして産後六十日ばかりして、私達はまた健全なる夫婦として顔を合せた。然し予期したような生活は、私の前には展開せられなかった。
 否、私は初めから、新たな生活を予期してはいなかったのだ。私が頭に描いていたのは、昔の生活そのままだった。私は生活を更新することを考えないで、秀子の妊娠によって、中断せられた古い生活の復活のみを、考えていたのである。分娩の後に育児ということが横わっているのを、私は勘定に入れていなかった。
 私は私の全部を以て彼女に対しだした。そして彼女も彼女の全部を以て私に対してくれることと、予期していた。その予期が凡て裏切られてしまったのだ。「子供が居るから。」ということは、彼女の最後の而も至当な口実だったのである。
 二人で郊外へ散歩にゆき、または音楽などを聴きに行く――二人の生活を純化し向上するもの――それが殆んど出来なくなったことは、私も別に憾みとはしなかった。私が夜更かしをしてるのに彼女が早くから寝てしまうこと、子供の守りや何かで私の時間が非常につぶされること、それらを不満だとは私も別に思わなかった。然し私が堪え難く思ったのは、生活の凡てが子供によって規定されること、子供を中心にして割り出されることであった。
 夜寝床の中にはいって雑誌を読みながら、余り煙草を吸ってはいけなかった。煙が室の中に籠ると子供に毒だった。雑誌の頁をめくるにも、なるべく静にしなければならなかった。――夜道くまで大声で話してはいけなかった。家の中で友人と談じ且つ飲みながら夜更しをするなどは、殊にいけなかった。八時過ぎになると、私は自分の書斎に退いて、寄宿人みたような態度を取らなければならなかった。――子供が眠っている時には、爪先でそっと歩かなければならなかった。戸棚の抽出を開けるにも、襖を閉めるにも、皆遠慮がちに力を抜いてやらなければいけなかった。夜遅く帰って来ると、宛も盗人のように足音を偸んではいって来、こそこそと表の締りをしなければならなかった。――やたらにくしゃみをしてはいけなかった。もし風邪ででもあると子供に伝染するからであった。――湯には晩にきりはいれなかった。子供を湯に入れるには、私と秀子とが二人がかりでなければならなかったし、昼間子供を湯に入れると風邪をひく恐れがあったし、私共と女中と三人の家内では、朝から晩まで湯を沸しとくのは贅沢すぎるからであった。――私は少し収入の道を講じなければならなかった。一人子供が出来てみると、これから何人出来るか分らなかった。それを考えると、私が父から受け継いだ財産だけでは少し不安だった。私は安楽な就職の口を二三の友人に頼んだ。幸にも思うような所がなかった。それで、文学をやってる友人の紹介で、或る飜訳を少しずつやりだすこととなった。――友人以外の人々と応待する時には、少しく行儀作法に注意しなければならなかった。私はもう書生っぽではなく、一個の父親だったからである。――其他種々。
 子供に代ってそれらのことを規定し割り出すのは、皆秀子自身だった。私は子供のためという名に於て、出来る限りその命に服従した。而もその子供たるや、誰の児であったか!……否、子供は勿論私と秀子との児であったが、結局は誰の所有であり、誰の領有内の者であったか!
 二月ふたつき三月みつきとたつうちに、まるまる肥ってくるうちに、子供に対する私の愛は俄に深くなっていった。餅のように滑かな肌、深くくびれた手足、絶えず小さな舌をちらちら覗かしてる真赤な唇、笑う度に見える片頬の靨、真黒な濡んだ眸、澄み切った青い目玉、いろんな渋め顔や笑い顔、何とも云えない乳の匂い、日の光に透し見ると、あるかなきかの金色の産毛、しなやかな髪の毛、……それを見ていると、私は自分の胸にじっと抱きしめたくなるのであった。そしては、如何なる場合をも構わずに子供を抱き取り、また如何なる時をも構わずに子供の頬へ唇を持っていった。然しそういう気持ちは、長く持続するものではなかった。三十分も子供を抱いていると、私はすぐに母親へ返したくなった。嫌がるのを無理に子供の頬へ唇を押しあてていると、やがてふいとその側から離れたくなった。
 私はこういう愛し方を、単に気まぐれの愛し方だとは思わなかった。母親の愛を慢性の愛だとすれば、父親の愛は急性の愛だと思っていた。然し秀子から見ると――慢性の愛に浸り込み、半日でも子供を抱き続けて飽きもせず、傍から大事そうに眺めて楽しんでいる、秀子から見ると、私の愛はでたらめな危険なものだと思われたかも知れない。却って子供を苦しめるものだと思われたかも知れない。そして、それに彼女のずるい性質が更につけ加わったのである。ずるい性質だというのが悪いならば、子供を自分一人で所有したいという母性の本能的な策略なのだ。
 私が子供の頬へ自分の頬を持ってゆく。すると、剃り立ての髯を押しつけるのは痛いからお止しなさい、と彼女は云う。――私が子供の口へ自分の唇を持ってゆく。すると、そんなことをすると乳を飲みたがって困る、その上子供が嫌がってるではありませんか、と彼女は云う。実際子供は私の唇をなめて、嫌な渋い顔をしている。――私は子供を抱き取る。抱いてるだけでは満足しない。子供の眼をいじり、小鼻をいじり、頭を撫で廻す。しまいには子供はむずかり出す。そして結局、母親から子供の機嫌を直して貰うか、または子供の機嫌が直ってももう抱いてるのが嫌になるかする。子供を玩具にするのは止して下さい、と彼女は云う。……彼女の云う所は凡て道理である。私は黙って引込むより外に仕方がない。然し、引込んでる私を此度は彼女の方から追求してくる。一寸便所に行ってくる間、一寸手紙を書く間、抱いていて下さいと云って子供を私に預ける。然し便所から出て来ても、手紙を書き終えても、子供を抱き取ろうとはしない。私は嫌になって無理に彼女へ渡す。すると、あんなにいつも抱きたがっていらしたくせに、と彼女は云う。そこで私は二重に封じられてしまうのだ。……封じられた私は、おずおずと子供の方を窺う。子供は母親の膝の上で乳を飲んでいる。私は其処に近寄って、乳房を含んでる可愛いい口元に見とれる。そういう私の様子を見て、彼女は慢らかな皮肉な笑みを眼付に浮べる。それでも私は幸福なのだ。そっと手を差出して、子供の頬辺や乳房を指先でつついては、少しからかってやりたくなる。しまいには、子供の顔と乳房との間に、いきなり自分の顔をつき込もうとする。柔かな肌と温い乳の匂い! すると私の頭は強く押しのけられる。「少し待っていらっしゃい、今飲み初めたばかりだから、」と彼女は云う。私は傍からおとなしく二人の様子を見守る。否それは二人でなくて一人である。子供は彼女の一部分なのである。私は犬が主人の手先を待つようにして、彼女の一部分たる子供が私の愛撫に許し与えられるのを、其処に屈み込んで待つのである。
 斯くて私はいつのまにか、子供に対する権利を凡て、彼女に奪われてしまったのである。而も彼女はそれのみに満足しないで、家庭内のあらゆる権利を奪おうとした。
 子供が出来ない間は、女中は少くとも、彼女の女中でありまた私の女中であった。然しそれも何時の間にか、彼女の女中となってしまったのである。
 私は夕食の時に、時々酒を飲んだ。可なりいける方だったので、その時の気分によっては三合位飲むこともあった。自宅で三合飲むと可なり酔った。酔うと、子供に戯れたい欲求が――彼女の所謂不条理な子供いじめの欲求が、更につのるのであった。彼女はそれを嫌った。そしてなるべく晩酌の量を少くしようとした。私はそれに対抗して云い張った。彼女もしまいには我を折って、では少しと云いながらはるに燗をさした。所が持って来られた銚子の中の酒は、余りに量が僅かだった。私は更に燗を命じた。すると、「まだあったかい、」と秀子が尋ねることもあった。「もうおしまいでございます、」とはるが先に云うこともあった。そして二人はちらりと目配せをした。私はそれを見落さなかった。酒がまだあることをも知っていた。然し彼女等二人の間には前から相談が出来ていたのだ。私はどうすることも出来なかった。――私は煙草が非常に好きで、夜更しをしているうちに困ることがよくあった。それでいつも紙巻は一箱ずつ買わして置いた。所が一箱の煙草が非常に早く無くなってしまった。私は驚いて少し節制しようと考えた。秀子も常から煙草の毒を説いていた。然し俄に量を減ずることも出来ないので、私ははるにまた一箱買うように命じた。所がその一箱は中々買われなかった。そして古い箱の中に、もう空である筈の箱の中に、二袋か三袋かの煙草がいつもちゃんと並んでいた。それも策略だったのだ。秀子とはると二人でした策略だったのだ。私はいつのまにか、意志の上での無能力者として取扱われていたのだ。……そういうことが相次いで起ると、私は自分の云い付けがはるに少しも徹底しないような不安を感じだした。私の命令は、途中ではると秀子との商議に上せられ、そしていい加減に勝手に取計らわれるらしかった。この不安が次第に私の頭へ深くはいり込んできた。そして遂には、はるに用を頼むのも遠慮しがちになった。何たる馬鹿げたことであったか!
 斯くて私は子供を奪われ、女中を奪われて、孤立の自分を見出したのである。そして私の孤立を更に決定的なものたらしめたのは、私に対する秀子の態度であった。彼女は子供を中心にして家庭内のあらゆる機関を立て直し、あらゆる権利を手中に収め、そして子供の名に於て私に服従を求めたのである。私は服従せざるを得なかった。服従した上にも、種々の気兼ねをしなければならなかった。彼女の方には育児という正当な武器があった。私の方には無職という弱点があった。友人の紹介で得た飜訳の仕事も、気乗りがしなくて放り出していた。然し徒食しているのではなかった。その頃私は未来の文明批評家を以て自ら任じ、種々の研究を試みていた。然しそういう当もない机上の勤勉は、彼女の眼には大した価値も持たなかったし、また文明批評家という言葉の意味が空漠たると同じく、私の頭も空漠たる境地を彷徨して、何等確乎たる地盤をも有しなかった。彼女は私の未来を頼りなく思ったに違いない。私自身も実は余り頼り多く思ってはいなかった位だから。そういう不安から彼女は自分の方に責任を感じだし、自分の全権で家庭を立て直そうとしたのかも知れない。そして私を支持してゆくことを考えないで、子供を守り育てることをのみ考えたのかも知れない。然しそういう誤った考えは、まだ第二義的なものに過ぎなかった。根本の問題は、彼女の精神の据え所にあった。彼女はもはや進むということを知らなかった。そして現在の偸安をのみ事としていた。
 女の退歩は、家庭の主となる所から、主婦として安住する所から、初まる。結婚し、子を産み、家庭内の権利を掌握する、其処から初まる。私はそれを知らなかったのだ。それを適当に導くことを知らなかったのだ。そしてただ、彼女のどっしりと落付いたお臀に対して、苛ら立つばかりだったのだ。
 秀子の心は殆んど子供にばかり向いていた。私が何か用を頼んでも、それが満足に果されることは少なかった。私は夜遅く珈琲を飲む習慣があった。秀子が珈琲をいれてくれないと、私の方から催促するのであった。彼女は子供に添寝をしていたが、「はい只今。」と答えたきり、中々立ち上ろうとしなかった。暫く待って見に行くと、彼女はいつしか子供と共に居眠っていた。私は腹が立った。彼女を揺り起して責めてやった。彼女は「済みません。」と云って、そして顔では笑って居た。私は更にその鉄面皮を責めたてた。彼女は子供のことで疲れているのを口実にした。そしてこう答えた。
はるにさしたらいいじゃありませんか。私ばかりを使わなくたって……。」
 私は声を荒らげないではいられなかった。彼女の方には私の反感が感染していった。一度争論を初めると、問題は拡がるばかりだった。醜い反目が生ずるばかりだった。
 初めからはるに頼むつもりなら、私はわざわざ秀子に頼みはしない。夜の珈琲一杯が私の気分に如何なる意味を持ってるかは、彼女も知ってる筈だった。私は彼女の全部で私に仕えて貰いたかった。私の方でも、私の全部で彼女に臨んでいた。然し彼女は私の方へ背中を向けて、子供の方へ向いていたのである。私はそれが不満だった。私に対する彼女の愛情が疑われだした。
 彼女は私に対して、殆んど愛情の直接な表現を見せなかった。愛情を見せる場合には、多くは子供を通じてであった。「あなた」というやさしい二人称は、「お父さん」という距てある三人称に変えられていた。私に送るにこやかな眼付は、子供の笑顔に促された余波であった。私の意を迎える時には、子供が私の前に差出され、彼女の眼は先ずその子供の方を顧みていた。私達の生活は自由恋愛を貫き通した結果だっただけに、かかる変化が私には殊に鋭く感ぜられた。
 然し私は、恋愛生活をいつまでも続けたいのではなかった。恋愛は常住の性慾であると思っていた私は、子供を設けた後までも恋愛に耽るつもりではなかった。けれども、私達の生活は何処までも愛の生活でなければならないと、私は信じていた。そして、愛は常住の心の抱擁であると思っていた。もし彼女の心が私の心より外の物に向けられる時があるとすれば、私達の愛はそれだけ不完全になるわけだった。所が彼女の心は、私の心から殆んど常に外らされて、子供の方をばかり向いていたではないか! 而もそれは私達の子供である。私の可愛いい子供、また私にとっては、彼女の一部分たる子供!
 私はこの気持ちを、子供に対する嫉妬だと名付けていいかどうかを知らない。然しそれより外に云いようはないような気がする。秀子に対する憤りを、子供にまで蔽い被せねば止まない私の心は、如何に醜いもので毒されていたことであるか! そして子供の唇を吸い、子供の頬をなめる私を、じっと見ている秀子の皮肉な眼付の前に、私は幾度慄然としたことであろう! それでも私はなお、子供の可愛いい唇や頬に慕い寄っていった。すると秀子は荒々しく、私から子供を奪い取ってしまった。私は頭を垂れて、秀子と子供との一体の前に、意気地なく憐れみを乞うた。然しやがてその憤懣が昂じると、私は一種の敵意を以て秀子にぶつかっていった。子供にも当り散らした。秀子は私を頭から圧迫しようとかかった。醜い諍いが初った。そして結果は、私が秀子を殴り倒そうと、また子供を其処に放り出そうと、常に私の敗北にきまっていた。なぜなら、私は家庭内に於て自分の地位を失っていたから。
 私は恐らく、子供が出来た新たな生活に進むに当って、外の態度を用意して置かなければならなかったのかも知れない。子供の出生は小事であって、其後が大事であるということを、考えて置かなければならなかったのかも知れない。
 二階の書斎にじっとしていると、家の中はひっそりとしている。みさ子は取っているのであろう。秀子は寝そべっているのであろう。時々台所の方でことこと音がするのは、はるが食事の用意をしているものとみえる。ぼんやりしていると、凡てが、生活が、自分自身が、佗びしく頼りなく思われてくる。そして、そっと足音を偸んで、憚るように二階から下りてゆくと、秀子が針仕事をしている。私は一寸喫驚する。向うにみさ子が眠っている。私は其処に寄ってゆく。一寸指先で頬をつつくと、眠りながら微笑む。「お止しなさい、」と秀子が云う。私はなお執拗になる。口を押しつけて頬や唇を吸う。子供は眼を覚す。しまいに泣き出す。私はもう嫌になる。「おい、お抱きよ、」と秀子へ云う。「知るものですか、勝手に起しといて、」と彼女は答える。私の方も意地になる。彼女の方も意地になる。子供はなお泣き立てる。はるが台所から出て来て、子供を抱く。私は不機嫌になる。いつまでも黙っている。やがて秀子ははるに云う、「そっと寝かして、用をしておしまい。むずかったらお父様が守りをして下さるだろうから。」私はそのあてつけに腹を立てる。子供は暫くおとなしく寝ている。やがてむずかり出す。遂には泣き出す。「子供を守りするのは女の役目だ、」と私は秀子へ怒鳴りつける。「子供をいじめるのは男の役目ですか、」と彼女は反問する。口論が初まる。私ははるを呼んで、子供を抱けと云いつける。「いいから用を済しておいで、」と秀子は云う。はるは秀子の方に従う。子供は泣いたまま放って置かれる。私は逃げ出すより外に仕方がない。「羽織を出しとくれ、出かけるから、」と秀子へ云う。「勝手にお出しなさるがいいわ、」と彼女は答える。私は箪笥の抽出から、むちゃくちゃに着物を引きずり出す。そして羽織だけを取代える。秀子は漸く立って来て子供を抱く。そして着物を引き散らしてる私を冷然と見下す。私は赫となる。自分自身が醜く、彼女が憎くなる。彼女がもし子供を抱いていなければ、また殴りつけるかも知れないと自分自身を恐れる。私は出かけようとする。「着物をどうするんです?」と彼女は私を追求する。「勝手に出せというから出したんだ、」と私は怒鳴り返す。冷やかな沈黙が落ちてくる。今にも破裂しそうな反感が募ってくる。危い! 私は外へ飛び出す。
 斯くて私の彷徨は初まったのである。私は不在なことが多くなった。そして少くとも初めのうちは、万事がうまくいった。
 私はこんな風に考えた。私達が何かにつけて衝突し合うのは、いつも鼻と鼻とをつき合してるからではないかしら。余りにも近くくっつき過ぎてるからではないかしら。会社員みたいな生活が、神経の鋭敏な現代人には最も適してるのではないかしら。良人は朝から会社へ出かけて、必要な糧を稼いでき、妻は家を守って子供を育ててゆく。夕方良人が家に帰ると、一日見なかった妻の笑顔と子供の声と、晩酌の食膳とが、綺麗に整って待ち受けている。食事が済むと、良人は昼間の疲れと食慾の満足とに、もはや眠ることだけしか求めない。妻は子供を寝かしつけ、やがて自分も寝てしまう。そして一日が終るのだ。二人の間には何等衝突すべき材料がない。良人は後顧の患いなくして、自由に痩腕を世に揮うことが出来、妻は生計の煩いなくして、自由に驢馬の足を家庭内に伸すことが出来るのだ。……そして、良人は食を与え妻は肉体を供し、子供――彼等の惨めな後継者――が、年と共に殖えてゆく。
 私は胸糞が悪くならざるを得なかった。それほど私のうちには遊惰な心が蟠っていたのだ。民衆の中堅たる最も健全勤勉な人々を、右のように漫画視して考えるほど、私のうちに頽廃的な気分が濃くなっているのであった。そしてこれは皆、家庭というものから根こぎにされた結果であった。
 夜遅く家に帰る時、私は牢屋へ戻る罪人のような心地がした。家の中には、秀子の息吹きが、その重々しい蛸の木が、頑として根を張ってるように思われた。私はおずおずと、寄せられてる玄関の戸を開き、それに自分で締りをした。家の者はみな寝ていた。私は子供の眼を覚すまいと抜足して、寝室へ忍び込み、冷たい蒲団の中にもぐり込んだ。秀子は大抵眠っていた。そしてごく稀には、薄日を開いて、而も底光りのする黒い眼で、私の方をじっと見た。彼女の口元には硬ばった微笑が湛えられていた。そしてその真白な歯並の奥から覗く糸切歯の金の光りは、私の心を魅してしまった。私は官能の奴隷となって、感覚の陶酔を彼女と自分とに与えた。而もそれは、平素の私と彼女との精神状態に対して、如何に不自然なものであったか! 翌朝になって私達は、互に白けきった気持ちで、眼を外らすことが多かった。斯くて私達はいつのまにか、真の夫婦関係から、愛し合う男女関係からは尚更、遠ざかっていった。
 それも結局私には気楽だった。然し、自分の性慾を金の力によって滿すような機会を、而も自分の前に差出された機会をも、私は決して掴まなかった。少くとも妻がある間は! と私は自ら誓っていた。所が、それが却って悪かったのだ。何という不条理なことであろう!
 私が外に出かけようとすると、何処へ行くのかと秀子は尋ねだした。私が夜遅く帰ってくると、翌朝になって、昨日は何処へ行ったのかと彼女は尋ねだした。私は気にもかけなかった。気持ちの和らいでる時には、和らいでいない時にも大抵は、何処から何処へ行ったと明かに答えてやった。少しく曖昧な点があると彼女はなお追求してきた。私は更に詳しく答えてやった。余りうるさくなると、こう答えた。
「でたらめに歩き廻ったことを、そう詳しく覚えてるものか。」
 彼女は口を噤んだ。
 不機嫌な時には、私はこう答えた。
「煩い。何処へ行こうと僕の勝手だ。」
「では私も勝手な真似をしますよ、その時になって愚図々々仰言らないようになさい。」
 と彼女は答え返した。
 心が陰鬱に沈み込んで、気分だけが妙に緊張してる時に、私は暫く黙ってた後、こう答えた。
「放っといてくれ! 僕は少し一人で考えたいんだ。」
 すると彼女は、俄に顔を引緊め、眼を横目勝ちに見据えて、室の片隅を睥んだ。いつまでもじっとしていた。私は少し変な気がした。
「何を考えてるんだ。」と私は云った。
「何でもよござんす。私にも考えがあります。」
 彼女はやはり身動きもしなかったが、やがてふいと立って行った。そして向うの室で、女中の手からみさ子を抱き取ると、やけにゆすぶりながら室の中を歩き廻ってるのが、如何にも私への当てつけらしかった。
 私はそういう彼女の様子が、どう考えても腑に落ちなかった。何か新たな心理が彼女のうちに動いてることは分ったが、それが何であるかは分らなかった。そして結局、彼女の心に芽したものが何であろうと、私の方が一歩優勢になったことだけは確かだった。私はこの意外な結果に満足した。そして更に決定的な勝利を得んがために、殊更沈思を装い、出先を曖昧にしながら、一層頻繁に市内を彷徨し初めた。そういう方法によって、彼女の気勢を挫き、家庭内に自分の権力をうち立て得たら、凡てがよくなるだろう、彼女と私との間もよくなるだろう、と私は考えていた。私は球突場へ通った。碁や将棋を初めた。活動も見て歩いた。時には夜遅くまで酒を飲んだ。妓を呼ぶこともあった。飽きると友人の家に寝転んで、無駄話に耽った。ちいさなハナをひいたり、トランプの空遊びをした。そして、遊惰というものは妙なものである。初めはいつも陰鬱に曇っていた私の心が、非常に華かになったり、非常に陰惨になったりした。浮々した気持が何処までも私を運んでゆくかと思うと、急に真暗な穴の底へ陥ったような心地になった。そういうどん底の気分の時には、私はよく長谷川を訪問した。長谷川は近頃文壇に名を出した新進作家で、妹の道子も将来女流作家となる筈――本人の心では――であった。家の中の空気が何処となく爽かでまた落付いていた。彼等二人の話を聞いていると、私の心へも清澄な光りが射してきた。自分も勉強したような気が起ってきた。そしてすぐに家へ帰った。然し、家の閾を跨ぐと、私の心はまた陰鬱になるのであった。
 或る日――その午后に私はまた秀子と喧嘩をした。初めは何でもないことだったが、いつもとはだいぶ調子が異っていた。みさ子が少し風邪の気味だった。熱を測ると七度一分あった。「大丈夫でしょうか、お医者に診せないで、」と秀子は云った。「七度二分までは発熱と云えないそうじゃないか、」と私は答えた。暫くすると、「大丈夫でしょうか、」と秀子はまた云った。「大丈夫だ、」と私は事もなげに答えた。そういう問答の後に、私は縁側の障子を開け放って、南を一杯受けた日向に寝転んだ。彼女は私の不注意を責めた。私はうっかり一二言答え返した。彼女はすぐにつっ込んできた、「子供の風邪がひどくなったら、あなたが責任を負って下さるのね!」私は一寸あわてた。「でたらめなことを云うな、」と投げやりの調子で答えた。彼女は私の顔をじっと見た。「あなたは、この頃ちっとも子供を可愛がりなさらないのね、」と彼女は云った。云われてみると多少は当っていた。子供の側にくっついてることが、私には次第に少くなっていたのだ。私は話の方向を変えるために、別のことを云った。「お前は、ただ子供をだけ愛してる。それが本当の愛かも知れないよ。然し僕は……子供を愛する時は、お前をも愛してる時なんだ。」云い方が悪かったのだ。彼女はすぐに結論して私に迫った。「では、あなたはこの頃私を愛して下さらないのね。」彼女の云う所は、いつになく論理正しく鋭利だった。私はたじたじとなった。癪だった。「お前はどうだ、」と反問してやった。「私のことを云ってるのではありません、」と彼女は私を撃退した。「お前は子供だけ育てれば、それでいいと思ってるんだろう、」と私は云った。「あなたは私に子供だけを与えておけば、それでいいと思っていらっしゃるんでしょう、」と彼女は云った。議論は慢罵に変っていった。私も彼女も、後に退こうとしなかった。彼女は云った、「あなたは子供を目の敵にしてるのね。」私は云った、「お前は子供を武器にして僕に対抗してるんだ。」彼女は云った、「あなたは私達と一緒に暮したくないんでしょう!」私は云った、「お前は僕を家から追い出したいんだろう!」しまいには口を噤むより外に仕方がなかった。然し、いつもの喧嘩なら、互に殴り合わんばかりに激昂し熱してくるのだったが、この時ばかりは、反感や憤りが内へ内へと沈み込んで、二人の間の空気は、氷のように冷たくなった。表面だけが冷然と落付き払って、心の底が暗い影に脅かされた。私達は長い間、石のように固くなってじっと向い合っていた。その或る日、私は外に出ないで、終日書斎にとじ籠っていた。訳の分らない懸念が、私を家の中に引止めたのであった。私はしきりに階下の物音が気になった。然し家の中は静かだった。何事も起らなかった。夕食は沈黙の間に終った。私はまた二階に上った。しいて書物を読んだ。気を落付けるために、長谷川へ手紙――取り留めもない感想――を書いた。そのうちに気が散らなくなった。私は凡てを忘れて、近着の外字小説を読み初めた。
 何時なんじ頃だったか私は覚えていない。あたりはしいんと静まり返っていた。夜遅く書物を読んだり考え事をしたりしていて、ふと我に返ると、何等の物音も聞えず、何の気配もせず、時もその歩みを止めてるような静けさがあたりを支配し、宛も深い水底にでも陥ったような心地がし、凡ての物象が妙に冴え返ってくる瞬間が、よくあるものである。私はその晩、そういう瞬間にあった。そして、骸然と夢から醒めたかのように、或は一挙に悪夢の中へ投げ込まれたかのように、強い衝動を受けて椅子から立上った。……向うの襖がすーっと音もなく開いて、秀子が、石のように身を固くした秀子が、真直に私の方へ歩み寄って来たのである。彼女は総毛立った顔をしていた。真蒼な頬に深い皺を刻んで――私が嘗て見たことのない生々しい陰惨な皺を刻んで、底光りのする眼が、影のない硝子のような眼が、露わに飛び出していた。朝顔の花が淡く絞り出された単衣の寝間着を着、細帯を腰に巻いたままのその姿は、下半身に受ける電灯の光りが弱々しいせいか、宛も幽霊のように思われた。私は息をつめて、一瞬間無言のうちに彼女と向き合ってつっ立った。それから、最初の驚きをほっと一息吐き出すと、初めて現実に返った。やはり秀子自身だった。寝ていたのを起き上って、そっと私の室へ上って来たのであった。私はまた椅子に腰を下した。
「どうしたのだ、そんな姿をして。」と私は云った。
 秀子は私の卓子の横の方へ、他の椅子を引寄せて腰掛けた。暫く黙っていた。落付き払っていた。そしてこう尋ねてきた。
「何を考えていらしたの。」
 私はどう答えていいか分らなかった。彼女はまた云った。
「私がはいって来ると喫驚なすったわね。何を考えていらしたの。」
 いやに真剣なものを、私は彼女のうちに見て取った。そして、つとめて平静を保とうとした。
「だって突然音も立てないではいって来たんじゃないか。僕は初め幽霊かと思った。喫驚するのは当り前さ。」
 彼女は一寸鼻の先で、軽蔑的な笑い方をした。それからまた暫く黙っていた。
「何か用があるのかい。」と私は尋ねた。
「いいえ、何をしていらっしゃるのか一寸見に来たのです。」
 然しすぐその後で、彼女は急に顔を引緊めて、真正面から私に向って来た。
「私は今晩こそ、本当のあなたの心をききたいんです。そしてはっきりときまりをつけたいんです。」
「何のきまりをつけるんだ?」と私は平気を装った調子で答えた。彼女は私の言葉には頓着なく、先へ云い進んだ。
「あなたは、私に隠していらっしゃることがあるんでしょう?」
 私ももう真剣にならざるを得なかった。卓子の上に両腕を組んで、椅子に坐り直した。
「何を隠してると云うんだ。何にもありはしない。」
「心の中で苦しんでいらっしゃることがあるんでしょう。私にうち明けられないことが……。」
 私には彼女が何を云ってるのか見当がつかなかった。それで、自分の苦しんでいることと云えば、彼女もよく知ってる通り、どうして彼女と喧嘩ばかりしているか、どうしてこう反目し合うようになったのか、そればかりだと云った。これから先はうまくゆかないものか、どうしたら昔のような状態になれるか、そればかり考えてるんだと云った。自分の態度も悪い、然し彼女の態度にも悪い所がある、それをお互に矯正し合ってゆきたいものだと。
 彼女は私の言葉を耳にも入れないかのように、書棚の方へ眼を外らしていたが、然し心では私の底意を窺っていたが、途中で俄に私の言葉を遮った。
「いいえ、そんなことではありません。」
「では何だい? お前が真剣に尋ねる以上、僕も真剣に真面目に、何でも本当のことを答える。うち明けて云ってごらん。」
「私が云い出さなければ、どこまでも隠し通してみようというつもりなんでしょう。でも私にはよく分っています。いくらごまかそうったって、ごまかせるものですか。」
「だから何のことだか云ってごらんと云ってるじゃないか。自分から押しかけてきといて……。」
「図々しいと仰言るんですか。あなたの方がよっぽど図々しいじゃありませんか。」
 そして、私達の会話はぐるぐる同じ所を廻るだけで、いつまでも中心に触れてゆかなかった。このままでは例の喧嘩に終るの外はないと思った。そして一挙にきり込んでいった。
「お前は、僕がお前を愛さなくなったとでも云うのか。」
「さあ、どうですか。」と彼女は空嘯いた調子で答えながら、口元に皮肉な皺を寄せた。先刻からの焦燥の念が俄に反感に燃え立ってくるのを私は覚えた。
「愛さなければどうするというんだ!」と私は怒鳴りつけてやった。
「私がどうしようとあなたに関係はありません。」と彼女は答えた。「勝手にその女と一緒におなりなさるがいいわ。」
 私は呆気にとられた。茫然と彼女を見つめると、彼女は私の視線の下にじっと唇をかみしめていたが、倭に肩を震わして私の方へ向き直った。
「私はいつまでも厄介者にされていたくありません。出て行けと仰言るならいつでも出て行きます。云われなくったって私の方から出て行きます。」
 私は黙っていた。
「その女と結婚なさるがいいわ。けれど私にだって意地があります。どんなことになろうと、その時になって文句を仰言らないように、断っておきますよ。」
 私は自分の心が静に落付いてるのを感じた。笑いもしなければ、別に驚かれもしなかった。そして冷かに云った。
「お前は、僕が誰かに恋してるとでも思ってるのか。」
 彼女は答えなかった。
「僕ははっきり云っておく、僕には他に恋人なんかありはしない。……然し、お前は一体誰のことを云ってるんだ?」
「あなたは、まだごまかそうとなさるんですか。御自分の心に尋ねてみなさるがいいわ。」と彼女は答えた。
 穿鑿的な一種の興味が私のうちに湧いてきた。自分に覚えがないだけに、いやに頭が落付いていた。そして私は、知ってる女性の名前を一々挙げて尋ねた。彼女はそのどれにも、肯否の答えをしなかった。然し私が、「では夢の女なんだろう。」と嘲り気味の言葉を発すると、彼女は俄にいきり立った。そして「私に恋人があること」を、遠廻しに立証していった。私が始終出歩いてばかりいること、家に居ても様子に落付きがないこと、然し遊蕩を初めたのではないこと、なぜなら、酒気を帯びて帰ることも稀であるし、一晩も外泊して来たことがないから、そしてまた、女は子供を育てるのみが務めではないとよく云ってること、いやに何かを考え込んでばかり居ること、出かける時の慌しい様子のこと、みさ子に対して冷淡な素振りが多くなったこと、だから、「誰かに恋し初めてるに違いない。」という結論に達するのであった。
 私は云った。
「ではお前は、僕とお前との愛について僕がどんなに苦しんでるか、それを少しも知らないのか。」
 彼女は答えた。
「苦しんでは長谷川さんなんかの所へばかりいらっしゃるんでしょう。」
 私はつと身を起した。長谷川の妹のことを、道子のことを、彼女は考えていたのだ。
「お前は道子さんのことを考えてるんだね!」と私は叫んだ。
「いいえ、道子さんとは限りません。」
「馬鹿なことを云うな!」私はそれを押っ被せて云った。そして、長谷川の家へ屡々行くのは、いつもいい意味の気分を与えられるからであること、道子さんに対しては嘗て愛を感じたこともないし、これからも愛を感ずる恐れは決してないこと、第一文学なんかをやろうという女と恋することは、自分のような寧ろ家庭的な男には適しないこと、自分が長く苦しんでいるのも、自分のうちに家庭的な気分が濃いからだということ、そんなことを考えると道子さんにどんな迷惑を及ぼすか分らないこと、などを私は急き込んで説き立てた。
「どうだか、今に分ることですわ。」と彼女は答えた。
 私達は口を噤んだ。問題の中心にぶつかると、其処から先へは進めないで、未解決のまま止るの外はなかった。そうだ、「今に分ること」だったのだ。私はじっとしていた。彼女も私の卓子の横につかまりながら、身動きもしなかった。寝間着のまま素足で、眉根に皺を寄せ口をきっと結んで、眼を見据えていた。このままでいつまでもじっとしていたら、どんなことになるか分らない、と私は思った。夜が深く静まり返って、氷のような沈黙が落ちて来た。
「もうお寝み!」と私は云った。
 彼女は答えなかった。
 私は椅子から立ち上って、室の中を歩きだした。「お寝みよ!」と私はまた云った。彼女は黙っていた。私は歩き続けた。彼女の耳の後に垂れたほつれ毛が、堅くなって震えるのが見えた。「お寝みったら!」と私は三度云った。「あなたお寝みなすったらいいでしょう、」と彼女は答え返した。私はなお室の中を歩き続けた。それからまた椅子に坐った。自分の心がまた彼女の心が、最も悪い状態にあるのを私は感じた。私はじっと彼女の姿を見つめてやった。反感が、殆んど完全と云ってもいいほどの敵意が、私の身内を震わした。その時私が飛び掛って彼女を殴りつけなかったのは、彼女が寝間着一枚の素足のままで石のように固くなってるからであった。
「勝手にするがいい!」
 そう私は云いすてて、階下へ下りて行った。みさ子はすやすや眠っていた。私は堪らなくなって、着物のまま蒲団の中へもぐり込んで、夜着を頭から被った。頭が熱くなっていて、足先がぞくぞく冷たかった。傍の蒲団の中に寝ている秀子の姿を見出したのは、翌日眼を覚してからだった。
 そして、私達は朝から口を利き出した。然しそれは、如何に冷かな用件のみの言葉だったろう! 二人の間に深い溝が掘られたことを、私は感じた。激しい喧嘩の末、私達は二三日言葉を交えないことがあったが、それでもそういう反目は、お互に一つの根で繋ってるという意識から来る苛ら立ちで、繋りながら争ってるという苛ら立ちで、助長せられたものであった。所が今や、二人を結びつける根が断たれたような冷かさが、互に別個なものになったというような無関心さが、二人の間に挾まってきたのである。濡いのない言葉――感情の籠らない言葉を、互に時々交しながら、或る破滅を期待する恐れで、心を固く鎖していた。
 それが私には堪え難かった。家庭に於ける彼女の圧迫から来る息苦しさは、前方に破滅を予期する息苦しさに変っていった。而も彼女の弁解――あの場面シーンの中心問題――に再び触れることは、益々お互の心を遠ざけるもののように感ぜられた。「どうにでもなるようになれ!」そう私は半ば悲壮に半ば捨鉢に考えては、やはり外へ飛び出すのであった。私の心の底に、彼女と別れてそう惜しくはないという気持ちが流れているのを、私はまだ気付いていなかった。家に帰って来ると或る不安な恐れが私を囚えた。然し彼女は家の中に澄し込んでいた。道子のことをも再び云い出さなかった。
 私の足は長谷川の家から次第に遠のいていった。人から疑われることによって却って心が唆られる例は、よくあるものだけれど、私にはそういう暗示は更に働かなかった。余りに馬鹿々々しい気がした。問題は道子一人に在るのではないような気がした。そうだ。道子もその中の一人ではあったが、問題は道子一人に在るのではなかった。それでは誰に?……自ら尋ねてみて私は駭然としたのである。
 市内を彷徨してるうちに、私の眼は行き逢うあらゆる女に向けられていた。而もそういう私の眼は単なる路傍の人を見る眼とは違っていた。あらゆる異性の方へしたい寄る青春期の眼、慌しい而も執拗な、恥かしげな而も厚かましい、内気らしい而も露骨な、自分と相手とをすぐに真赤ならしむるような熱っぽい眼、それと同じものだった。私は自ら知らないで、眼の前を通り過ぎるあらゆる女の、髪の匂い、眼の輝き、唇の色、頸筋の皮膚、胸の脹らみ、腰の曲線、足の指先、などを臆面もなく而もひそかに窺っていた。その上、異性をよく知ってる私の眼は、青春期の童貞の夢幻的な眼よりも、相手の各局所を評価するのに鋭利だった。それだけにまた、私の眼には享楽的な実感が濃く裏付けられていた。
 問題は誰に在るかを自ら尋ねてみた時、私は初めて右の事実に気付いたのだった。秀子の嫉妬は、或る意味に於て至当だったのである。私はあらゆる女性に、心を――恋愛的な心を寄せていたのだ。あらゆる女性を対象として、現実的気分で塗られた恋愛を空想していたのだ。私の愛情は一人の女を離れて、少くとも心持の上だけでは、あちゆる女の上に分散させられていた。危険と云えば、凡ての女が危険だった。長谷川道子も、友人の妻君も、電車に乗り合した令嬢ミスも、劇場の廊下で行き合う夫人マダムも、カフェーの女給仕ウェートレスも、年若くて或る種の容姿を具えている以上は、皆危険だった。
 省みてこのことを気付いた時、私の驚きは如何ばかりだったろう! それは殆んど狼狽にも近かった。私は自分を取り失ったような気がした。妻に集中すべき愛情が一般女性の上に散り失せるということは、良人として最も悪い状態に違いない。而も、妻を殴りつけ市内を彷徨していながらも、遊里に夜を明かさないことをひそかに矜りとしていた私だったのだ。
 私は恥しかった。自分の心を制しようとした。然しそういう努力の結果はなおいけなかった。私の遊蕩的な眼は、なお頻繁にあらゆる女性の上に向けられ、また一方秀子の上にも向けられた。私は秀子を家庭内に於ける敵だと看做したのみでなく、また自分の若々しい生命を束縛する軛だと看做し初めた。私のうちに在る遊蕩的な悪魔は、あらゆる女性を享楽するの機会を得ないことに、不満を感じはしなかったが、あらゆる女性を享楽出来ない身分に置かれてるのを、憾みとした。
 私は冷かな評価的な眼で、秀子を――妻という名前で自分を束縛してる秀子を、眺め初めたのである。初めて逢った女ででもあるかのように眺めだしたのである。そして見出したのは、彼女の醜い点ばかりであった。馴れきった眼には、彼女の長所は映らないで、短所ばかりが映ってきた。
 彼女の眼の縁には、薄暗い隈が出来ていた。わりに細いけれども時々非常に魅力ある輝きを見せる彼女の眼は、その下眼瞼の隈のために、殆んど睫毛の柔かな影を失って、極めて露骨な陰険な光りを帯びるようになった。――眉の間までつきぬけていい恰好の鼻は、その先端に意外にも、小さな瘤を一つ拵えて、其処の皮膚にはざらざらした毛穴が開いていた。そして鼻筋の上、眉の間に、時々ヒステリックな皺が寄った。――真白な綺麗な歯並を覗かせる口は、角が引緊ってるために一寸は目立たないけれど、よく見ると不相応に大きかった。その上、上歯と下歯とがかち合って先端で平らに合さってるために、下唇が少しつき出て残忍な相を作り、それに圧迫されて上唇が萎縮していた。――それを包むふっくらとした頬は、肉が落ちたために深い皺を皮下に刻んで、笑う時や緊張した時に、その皺が表面に現われて来て顔全体を卑しくした。――頸から肩から上膊へなだれ落ちてる線は、しなやかで繊細だったが、その先を辿ってみると、腰と腿との間に急な曲線を拵えて、そのまま足先へかけてすぼんでしまい、全体の立像に不安定な危さがあった。手甲の面積に比較すると手指がわりに長いのに、指先がつぶれたように太くて、爪は縦の長さよりも横幅の方が大であった。そのために、元来は美しかるべき手全体が屋守やもりのような感じを与えた。そういう彼女は、殆んど一時間置き位には必ず、時には極めて頻繁に、鼻の両側に大きな皺を寄せて顔を渋めながら、簪か櫛かを髪の間に差込んで頭を掻いた。――甘えた調子の時には、上半身をうねうねと揺らしながら、宛もお手玉でもするような調子で左手で袂を弄んだ。屹となった時には、身体を固く保ちながら、両手を一緒に持ち寄って無意識的に指輪をいじくった。――食事の前には必ず両手で襟をきっと合した。食事がすむと、一寸小首を傾げて、それからお茶を飲んだ。お茶を飲む間に、大抵は香の物を一切れ食った。――寝る時には、寝間着に着代えた後一寸坐る癖があった。朝は、眼が覚めても長く床の中にはいっていた。愈々起き上ると、少しの休みもなく而も気長に身仕舞をした。
 私はそれらのことを、一種の皮肉な眼で発見していった。すると彼女は、何の気もつかないらしく、例の糸切歯の金の光りで私の眼をくらまそうとした。然し私には、その魅力が別の意味で感じられて来た。その糸切歯こそ、彼女の我儘な利己的な一轍な残忍さを迎合的な小悧口さで蔽った性質、そのままの象徴だった。
 私はこういうことを覚えている。近所に金棒引きの奥さんが居て、種々の噂を方々へ流布して廻っていた。その奥さんが、秀子のことを、生意気で我儘で仇っぽくて而も田舎者らしく、何でも地方のお茶屋か宿屋かそういう家の娘に違いないと、噂をしてるということが、何処からともなく秀子の耳に伝わった。秀子は真赤になって怒り立て、いつかとっちめてやると云い張った。私は彼女の怒り方が余り激しいので、揶揄からかい気味に、「そういう風な所もお前のうちに在るよ、」と云ってみた。それがなおいけなかった。彼女は益々憤った。それで私は、あの奥さんの単なる噂に心から苛ら立つのは、自分を向うと同等の地位に引下げることで、教養ある者の取る態度ではないということを、諄々と説いてやった。然し彼女には、私の云う意味がよく分らないらしかった。いつまでも腹を立てていた。その奥さんと途中で逢っても、挨拶もしないらしかった。所が一ヶ月ばかり過ぎた後に、その奥さんと愉快げに談笑してる彼女を、私は見出した。一寸喫驚した。「どうして仲直りをしたんだい、」と尋ねてやった。すると彼女は答えた。「仲直りなんかするもんですか。でも可哀想だから調子を合してやってるんですわ。」そして彼女は影で、その奥さんのことを軽蔑的に悪口し続けた。私には彼女の心理がよく分らなかった。なぜなら、私が説いてきかした教養のある者の取る態度と、彼女の態度は結果に於て多少類似はしていたけれど、心の動き方は全く反対らしかったのである。――前年の年末に、秀子は、遠縁に当る家へと世話になった家へと二つの進物を整えた。一つは、二羽の鳩が古い汚い果物籠の中に押し込んであり、一つは二羽の鴨が進物用の綺麗な籠の中に並べられていた。後者に就ては私も文句はなかったが、前者に就ては少からず驚かされた。そして彼女にそのことを責めた。「これで沢山ですわ、」と彼女は答えた。私は説き立てた、普通の場合なら兎に角、年末の進物として他家へ贈るのにそんな不体裁なことは止したがいい、一層鳩だけにするか、または他方のと同種の立派な進物籠に入れるか、何れかでなければ先方の感情を害すると。然し彼女は平気だった、あの家へならどんな体裁ででも構わないと答えた。「それではお前の気持ちが済むまい、」と私は尋ねた。「何とも思いませんわ、」と彼女は答えた。それで私は、相手の如何によって自分の態度を二三にするのは最も下等なことだと、詳しく説き立てた。すると彼女は、態度は相手によってきめるべきであって、一つの態度で世の中を渡れるものではないと、反対に主張しだした。そして彼女は私の言には頑として応ぜずに、汚い籠のまま鳩を贈ってしまった。――相手の如何によって態度をきめるというのが、彼女の信条であるならば、私は何も云うべきことがない。私が彼女を愛しないならば、恐らく彼女も私を愛しないだろう。愛は心の態度である。実際彼女は、私の心の如何によって自分の心の態度をきめようとしているではないか。心の自然の推移によって、彼女が私を愛しもしくは愛しないのならば、それを私は聊かも憾みとはしない。然し愛を取引視せられることは堪らない。私が理想とする女性は――私に理想の女性があるとすれば、それは……。
 ああその時になって、秀子と結婚して二年後になって、私のうちに「理想の女」が眼覚めてきたのである。そして私は初めて、この理想の女に秀子を比較してみた。何という違いであったろう。精神的にも肉体的にも、殆んど比較にならないほどの差があった。然し理想の女の本体は、まだ捉え難い空漠たるもので、少しも具体的のまとまりを有しなかった。ただ、それを秀子と比較してみると、秀子の有する肉体的精神的の醜い点が、一々はっきり浮き出してきたのである。そしてそういう醜い点を一つも具えていないというだけの空漠たる姿で、理想の女が私の前につっ立ったのである。
 私はかかる架空的な理想の女を標準として、秀子に厳密なる批判の眼を向けた。そして私の考えは過去にまで溯って、どうして秀子を自分は選んだのであるかという問いに到達した。私はそれに答えることが出来なかった。秀子との会逅、其後の熱烈な恋愛、父母や親戚の人々の非難と反対、それを断乎として郤けつつ払った犠牲、遂に自由恋愛を貫き通した結婚、それまでの経路を回想してみると、私は其処に何等必然的なものを認めなかった。凡てが偶然のうちに運ばれたもののように考えられた。それならば、周囲の障碍をあれほど力強く突破してきた私の意志は、一体何であったか、何処から出て来たのであったか? それは単に青春の空想と悲壮な感激性のみだった。それは凡て私のうちに在ったもので、秀子と私との間の必然ではなかったのだ。秀子でなくともよかったのだ。他の如何なる女性ででもよかったのだ。そしてたとえこういう考えは時の距りと現在の心の状態とに欺かれてるものであるとしても、今眼前に居る秀子は、果して私が一生の伴侶として満足し得らるる女性であるか? 否。それでは、私は一生を不満のうちに終るか、または妻というものに対するあらゆる要求を捨て去るか、二途の外はないのである。……秀子と別れる! 私はその考えを押し進めることが出来なかった。恐ろしかった。余りに恐ろしかった。そして私の前には、ただ選択を誤ったという事実のみが残された。
 選択を誤ったのならば、何処かに本当の選択が残されてる筈だった。私は秀子と別れるという考えをはっきり意識せずに、結果を予期せずに、残された選択を探し廻った。街路を彷徨する私の眼は更に執拗になっていった。ああ、理想の女を探し求める、それほど馬鹿げたことがあるだろうか! 理想は常に理想として止るのだ。それは単に吾々の方向を指示するだけで、到達せらるる距離に在るものではない。然し私はそんなことをはっきり考えなかった。運命づけられた「自分の半分」の存在を、現実に信じていたのである。失望は当然だった。私は如何なる女にも理想の女を見出さなかった。そして更に悪いことには、秀子よりもよりよく理想の女に近い者を、多くの女に見出したのである。
 昏迷しきった気持ちで夜遅く帰って来ると、秀子は子供に添寝しながら、鎖骨のとび出た胸をはだけたまま眠っていた。もしくは眠ったふりをしていた。朝眼を覚すと、彼女は自分の蒲団に戻っていたが、額には四五筋の髪の毛が、ねっとりとこびりついてることがあった。夜中に夢にでもうなされたのだろう。その髪も産後の抜毛に薄くなって、生え際が妙に透いて見えた。起き上って髪を束ねるのに、長く時間を費した。表皮だけが白くて底艶のない顔をしながら、鋭い光りの眼で冷かに私に対した。そして殆んど熱狂的に、終日子供の世話ばかりやいていた。晩になるとよく居眠りをした。冷たい沈黙が家の中を支配した。そして同じような日々が、今に何か起りそうな危い瀬戸際をするすると滑るように、而も事もなく明けてはまた暮れた。私は殆んど書物も読まず仕事もしなかった。二階の書斎に寝転んだり、外へ出かけたりした。
 そういううちに、私はふと千代子の夢をみるようになった。――千代子というのは私の叔父の一人娘で、私は幼い時からよく知っていた。始終往き来をしていた。そのうちに、私が大学に進み彼女が女学校の上級になると、隙が少いのと何だか憚られるのとで、いくらか疎遠がちになったけれども、互の心は両方から歩み寄っていた。彼女は四年級の時から卒業まで引続いて、然し慰み半分に、旧派とも新派ともつかぬ和歌を学んでいた。時々私へ自作の添削を頼んできた。私の方が彼女よりずっとまずかった。私が筆を入れた歌は余り先生から誉められなかった。それでも、私も彼女も満足していた。友情とも愛情ともつかない心が、次第にごく静かに深まっていった。その時、私と秀子との暴風のような恋愛がはじまった。それは凡てを吹き払ってしまった。所が間もなく、千代子は十八の秋に、肋膜と横隔膜とを同時に病んで、短い臥床の後に死んでしまった。私は彼女の位牌の前で、しめやかな涙を流した。それには秀子との恋愛の感激から来る涙も交っていた。私は秀子に彼女のことを話した。「あなたはその方を愛していらしたのでしょう、」と秀子は尋ねた。「愛してはいたような気がする。然し恋してはいなかった、」と私は答えた。其後私達は二人で、千代子の墓参りをしたことがあった。――その千代子のことを、私はふと夢みるようになった。何故だか私は知らない。恐らくは、理想の女を求めあぐんでいた私の心は、記憶の隅々までを漁って、気まぐれに彼女の色褪せた姿を捉えてきたのであろう。なぜなら、やがて理想の女と彼女の幻とは、私の頭の中で一つになってしまったから。
 私は屡々その夢をみた。何れも、何等の場面も事件もない、断片的なものばかりだった。彼女と遊んでる所(何の遊びだか分らなかった)、話をしてる所(何の話だか分らなかった)、黙って向い合ってる所(何処でだか分らなかった)、彼女が一人で佇んでる所、そういう極めて瞬間的なものばかりだった。然し夢からさめた後で、何だか妙な気がした。他の凡てのことがぼやけて、彼女のみが馬鹿にはっきり残っていた。勿論その顔立や姿などはぼんやりして分らなかったが、「彼女だ、」ということだけが明瞭に頭へ刻み込まれた。その上、夢の後で変に不安な胸騒ぎがした。どうも不思議だったのでつい秀子へ口を滑らすこともあった。「そうお、」と秀子は簡単に答えた。私も大して気にはしなかった。
 所が、度重なるに従って、私は気になりだした。千代子の夢をみた後で、彼女に対して、しみじみとした、やるせないような、胸が苦しくなるような、変梃な気持ちを覚えた。しまいには、夢をみないのにみたと、眼を覚す瞬間に感ずるようになった。そして、私は一種の愛着を彼女に対して懐くようになった。その愛着の情が次第に募ってくると、いつのまにか「理想の女」と「彼女」とが一体をなして、私の心を惹きつけてしまった。私は夜早く寝るようになった。外へ出かけて早く帰って来るようになった。夜中に何度も眼を覚した。それは何とも云えない蠱惑的な楽しみだった。私はその怪しい瞬間的な愉悦に、自らつとめて耽ろうとまでした。そしてなお私が心を惑わしたことは、秀子までが彼女の夢をみたのだった。
 或る朝、秀子は私に云った。
「今朝がた、千代子さんの夢を見ましたわ。」
 私は驚いて彼女の顔を見つめた。そして口早に尋ねた。
「え、どんな夢? 何をしてた所だ? そして、初めてなのか、また何度もこの頃みるのか?」
 私はへまだったんだ。秀子は私の様子を見て、何かに慴えたように肩を縮め、暫くじっと私の眼の中を覗き込んだ後に、漸く答えた。
「覚えていません。」
「覚えていないことがあるものか。どんな夢だったんだ?」と私はたたみかけて尋ねた。
 彼女の様子は俄に変った。彼女は冷笑的に答えた。
「あなたは、まるで恋敵きみたいな調子ね。」
 私は何か大きなものにはね飛ばされたような気がした。云い知れぬ憤りで頭が熱くなった。手の届く周囲を見廻した。敷島の一袋が眼にはいった。それを取るといきなり彼女へ投げつけた。煙草は彼女の所まで届かないで途中で落ちて散らばった。
「馬鹿ッ! 恥を知るがいい!」
 そう云いすてて私は二階へ上った。
 然し、書斎の中でほっと我に返ると、私は顔が真赤になった。私こそ恥を知るがいいのだ。私はじっとして居れないで、室の中を歩き出した。縁側に出てみた。卓子の前の椅子に腰を下した。窓から外を覗いてみた。そして漸く気分が和らいだ。然し、取り返しのつかないことをしたという惨めさが、深く私の心に残った。
 嫌な――嫌忌すべき日が続いた。絶えず冷笑的な眼で秀子から窺われてることを私は感じた。その眼は私の夢の中までも覗こうとしていた。私は数日前に千代子の夢を見たと思って眼覚めた時、自分が遺精してることを知った。その時はさほど気にしなかったが、今になって思い出すと、穴にでもはいりたい気がした。それでも私は、秀子の執拗な眼付から隠れて、やはり千代子の夢をみ続けた。夢をみて夜中にふと眼を覚すと、先ず秀子の方を顧みた。そういう懸念のために私の清らかな千代子の幻は、どんなに毒されたことであろう。私は秀子を本当に憎む気になった。然し千代子はもう故人なのだ! 私はどうすることも出来ない淵へ陥ってゆく自分を見た。恋人に別れる悲痛さはまだ堪えられる。亡き人に恋し初めたという悶えは、どうすることも出来なかった。
 或る夜、私はまた千代子の夢から覚めた。隣りの床に寝てる秀子の方を窺うと、彼女は眠っていた。私は仰向に真直に寝返って、天井を仰いだ。絹覆をした電灯の光りが、室の中に薄ぼんやりと湛えていた。夢のような静けさだった。私は天井に眼をやりながら、消え去った幻の跡を追っていた。長い時間がたった。と、何かに私はぞっとした。あたりにそっと気を配ると、秀子がぱっちり眼を開いて、私を見つめていた。私は息をつめた。じっとしていた。暫くすると低い落付いた声が聞えた。
「あなたは、千代子さんの夢をごらんなすったんでしょう。」
 私は黙っていた。
 また囁くような声が聞えた。
「私もみました。」
 暫く沈黙が続いた。
 私は秀子の方へ顔を向けた。彼女は大きく眼を見開いて、なお私の方を見つめていた。
 口をきっと結んで、頭をがっくりと枕にのせ、瞳を据えていた。その顔全体が仄白い蒼さで浮き出していた。まるで死人の顔だ。私は冷たい戦慄が背中に流れるのを覚えた。すると、彼女もそれを感じてか、急に布団をはねのけて、上半身を起した。そして私の方へ向き直ると、慴えたような調子で叫び出した。
「私はもう嫌です。あなたと一緒の室に寝るのは。二階に寝て下さい。気味が悪くって嫌です。」
 私は惘然として、急には言葉が出なかった。暫くして尋ねだした。
「何が気味が悪いんだ?」
 彼女は黙っていた。
「千代子さんの夢をみるのが気味悪いのか。」
 彼女は身動きもしなかった。
「僕が千代子さんの夢をみるのが気味悪いのか。」
 彼女はやはり身動きもしなかった。
「何が一体気味悪いんだ?」
 彼女はじっとしていた。
 私は急に気が苛ら立って来た。どんなことを自分が仕出かすか分らないと思った。じりじりと時間が迫ってゆくような心地だった。私は叫び出した。
「云わないのか。何が気味悪いんだ? 黙ってると僕はどんなことをするか分らない。どんなことになるか分らないんだ。云ってごらん!」
 彼女は冷たい没感情的な声で云った。
「あなたの様子が気味悪いんです。」
「僕の様子が?……」
 私は続けて何か云ってやろうと思ったが、言葉が見付からなかった。じりじりしてきた。然し、私はその時、自分がやはり仰向に寝たままなのを気付いた。仰向にじっと寝たままで叫んでる自分の姿が、私の心にはっきり映じた。そのことが苛ら立った感情を引き緊め澄み切らして、其処に喰い止めてしまった。私は意識が中断されたような透徹した心地になった。彼女は半身を起したままじっとしていた。
 私達は黙っていた。長い間だった。私は落付いた調子で云った。
「僕の様子が気味悪いんだって? お前は嘘を云ってるね。……然しそれならそれにして置こう。もう尋ねない。だがお前は自分の様子がどんなに気味悪いか、自分で知らないだろう。」
 彼女は何とも答えなかった。それでもやがて、静にまた横になって布団を被った。私もそれきり口を噤んだ。だいぶ暫くたってから、彼女がすすり泣いてるのを私は気付いた。然し黙っていた。今更どうにも仕方がないと思った。
 翌朝私は、悪夢にうなされた後のような気分で床を離れた。自暴自棄の感情が動いていた。一方には軽くはしゃいでる感情もあった。滑稽なおどけた感情もあった。そしてそれらを、白日夢の惑わしい気分が包んでいた。私は自分自身がよく分らなかった。秀子は私に一言も口を利かなかった。私は無関心だった。書斎にぼんやりしていると、壁に掛ってる父の肖像が眼についた。生きてるようにありありと父の姿が浮んできた。……私ははっと卓子を一つ叩いた。そうだ、千代子の写真に逢って来よう! それから先はどうにでも、なるようになるがいい!
 出かける時に、私は秀子へ何か一言云ってやりたかったが、言葉が見つからないうちに、私の身体はもう玄関を出ていた。私は真直に叔父の家へ向った。
 それは、恋人に逢いに行くような気持ちでもなければ、恋人の写真を見に行くような気持ちでもなく、何だか神秘なものを覗きに行くような感じで、而も捨鉢な気持ちだった。私は途中から電車を捨てて、辻俥に乗り、幌をすっかり下した。
 叔父と叔母とは、僅かな財産を一生のうちにゆっくり食いつぶす覚悟で、ただ隙つぶしに漢学の僅かな弟子を取るだけで、小さな借家に閑散な日を送っていた。私が訪れると、丁度二人共在宅だった。
 私は随分長く姿を見せなかったことを詑びた。然し二人はそんな疎遠不疎遠などを頓着するような人ではなかった。私が顔を上げると、いきなり叔父はこう云った。
「やあ随分痩せたようじゃないか。どうしたんだい。顔の色も悪い。」
 私は種々なことを尋ねられそうなのを恐れて、すぐこう切り出してみた。
「実は急な用で上ったんです。千代ちゃんの写真を一寸見せて下さいませんか。」
 私は自分でも少し声の震えるのを感じたが、叔父は気付かないらしかった。
「千代子の写真、妙な物に用があるんだね。死んだ者は仕方がないじゃないか。……おい出しておやりな。」
 私は叔母の方へ云った。
「よく似た人が居るものですから……。なるべく新らしいのが見たいんです。一枚だけで沢山です。」
 叔母は手文庫の中から、最近の――死ぬ学年前の写真を取り出してくれた。私はそれを手に取って、眼をつぶったまま膝の上で披き、そしで眼を開いてみた。
 ああその時私は、どんなに驚き、次には冷たくなり、次にぼんやりしてしまったことだろう。千代子の顔は、「彼女」――否「理想の女」とは、殆んど似もつかぬものであった。半身を少し斜にした姿が、肱掛椅子にかけ、手には扇を持っていた。その顔をよく見ていると、なるほど見覚えのある親しい点が一つ一つ出て来た。それは千代子に違いなかった。斜め左から両方へ分けられた髪が、冷悧な広い額を半ば隠していた。眉尻が心持ち下り、眼尻が心持ち上っていた。はっきりうち開いた眼の中に、艶やかな瞳が上目がちに置かれていた。下唇が殆んど目につかない位に歪んで、軽く上歯に噛まれてるような心持ちを与えていた。額から細り加減に落ちている双頬の線が、奥歯のあたりで一寸膨らんで仇気なさを作り、細い三角形の頤に終っていた。そういう顔の真中に、小鼻のよく目立つ細い鼻が通っていた。……私はそれらに皆見覚えがあった。そして其処に、親しい千代子の姿がありありと浮んできた。然しそれは、私の幻とは全く異っていた。どう異っているかを私は指摘することが出来なかった。全体の気持ちが全く異っていたのである。そして私の彼女は、理想の女は、再び空漠たる所へ消え失せてしまった。私の手にはありし日の千代子の実際の姿だけが残った。
「どうしたんだい、大変ぼんやりしてるじゃないか。」
 そういう叔父の言葉に、私は初めて我に返った。そして何を云ってるのか自分でもよく分らない言葉を、叔父と叔母とに交したまま、私は急いで辞し去ってしまった。
 凡ては惑わしだったのだ。然し私は、この幻滅に対してどう身を処していいか分らなかった。千代子は消え失せたけれども、「理想の女」は残存していた。そして、それは一つの焦点を失ったがために、一のイメージでなくなって影となったがために、私の前後左右至る処につっ立ってるような気がした。街路の曲り角、並木の下、電柱の横、奥まった扉口、凡そ人が身を寄せ得る処ならどんな処にでもじっと佇んでるような気がした。而も私が実際眼をやると、其処には誰も居なかった。理想の女に似もつかぬ幾多の女性が、あちらこちらに往き来していた。……然し、私にとっては、彼女等は凡て仮象に過ぎなかったのだ。私にとって真に現実なのは、眼に見えない「理想の女」のみだった。眼には見えないが、何処かに、すぐ近くに、立っているような気がした。
 なるべく影の多い奥まった所を、誰かが――彼女が立っていそうな所を、私は覗き込みながら歩き続けた。
「うううう、」と何かが唸るような声がした。私は喫驚して立ち止った。私は或る神社の境内にはいって、ぼんやり歩いてるのであった。声に驚いて眼を挙げると、紺絣を着た十六七の男が赤坊をおぶって、私の前に立っていた。彼はまた「うううう、」と唸りながら、私の手を指し示した。見ると私の手には、火のついた紙巻煙草があった。これだなと私は思った。そして袂から煙草を一本取り出して、若者に与えた。彼はそれを黙って受取ったが、また「うううう、」と唸った。私はその顔を見つめた。彼はきょとんとした眼付で、私の手の煙草を見つめながら、変に先の曲った指で、煙草の火を指し示した。私は煙草の火を差出そうとしたが、思い直して、マッチをすってやった。若者は煙草に火を吸いつけると、その煙草をすーっと吸い込みながら、「うー、」と長く引いた音を喉から出した。私が黙っていると、彼はまた「うー、」と云った。私は嫌な気がしてふいと立ち去った。後ろから、「うー、」という唸り声が追っかけてきた。私は足を早めた。
 暫く行ってふり返ると、もう其処には誰も居なかった。
 然し、その盲目的な唸り声が、いつのまにか私の心にはいり込んでいた。私は「うー、」と唸ってみて、自分でも喫驚した。そしてその後で、妙にぽかんとしてしまった。何かに憑かれてるような自分を見出した。街路をやたらに歩き廻りながら、「うー、うー、」と心で唸ってみた。何だか可笑しかった。と同時にまた、自分が顔が今にも泣き出しそうに歪められてるのを、私は意識していた。どうにもならなかった。どん底まではいり込まなければ承知出来ないような気がした。
 私は或る料理店へよって、酒を飲んだ。無理に酔っ払おうとした。女中の口先に乗ってうつかり菊代を名指してしまった。菊代というのは、私が市内を彷徨してるうちにいつしか顔馴染になったおんなで、一二度機会があったにも拘らず、私は深入りするのを避けていたのだ――秀子のために。
 菊代が来ると、私は妙に苛立ってきた。やたらに彼女へ杯をさしつけた。重苦しいへまな冗談口を盛んに利いた。しまいにはその三味線を奪い取って、変な手附で「一つとや」を弾き出した。自分自身が滑稽だった。滑稽を通り越して泣きたかった。「松飾まつかざりーい、松飾り、」の所へ来て手を忘れた。つかえてしまった。私はぴんと三本のいとを引き切ってしまった。
「まあ、何をなさるのよ。」と彼女はつめ寄ってきた。
 眼瞼の薄い小賢しい眼が、妙にくろずんだ光りを帯びて、緊りのない脹れっぽい顔付に、一寸敵意らしい険が漂っていた。私はその顔を見つめた。
「僕は今晩は帰らないよ。」と私は吐き出すようにして云った。
 彼女は一寸瞬きをした。次の瞬間には妙に荒々しい素振りになっていた。
「卑怯な方ね!」と彼女は云った。「帰ろうたって、もう帰すものですか。」
 彼女は酔っていた。私も酔っていた。それから私達は、別の奥まった家の狭い室で、時間過ぎの酒を飲み初めた。自分自身の魂を踏み躪りたいような、また妙に冷たい敵意のある意識が、ちらりと起きかけるのを、私はむりやりに酔いつぶしてしまった。酔いつぶれると、ただ空虚な渦巻きの世界のみだった。
 翌朝遅く、爛れた舌を鍋の鳥で刺戟しながら朝食を済すと、私は菊代に碌々挨拶の言葉もかけないで、慌しく其処を飛び出した。空が晴れていた。明るい日の光りの下で、自分自身が堪らなく惨めに思えた。凡てが穢らわしく呪わしかった。そのくせ意識がぼんやり曇っていた。何か忘れたものがあるようだったが、それがどうしても思い出せなかった。
 私は他人の家へでもはいるような気持ちで、ぼんやり自家の門をくぐった。
 所が、其処に出て来た秀子の顔を見ると、私のうちにむらむらと反抗の気分が湧いた。彼女はお帰りなさいとも云わないうちに、冷然と、それでも眼を伏せ唇をかみしめながら、真先にこう云った。
「男の意地って下らないものね。」
 私が叔父の家へ泊ったことと彼女は思ってるのだ、そう私は推察した。そして云ってやった。
「何が下らないんだ?……叔父の家へなんか泊るものか。」
「そうでしょうとも。」と彼女は答えた。「どうせ、穢ならしい狭苦しい家なんでしょうよ。」
 彼女は顔の筋肉一つ動かさなかった。私は彼女から極端な蔑視を受けてることを感じた。然し咄嗟に言葉が出なかった。そして一寸間が途切れると、もう何も云うべきことが無かった。私達は黙り込んでしまった。
 私は頭と身体とが困憊しきっていた。二階に上って、椅子にかけたままうとうとしながら、凡てを忘れてしまおうとした。頭が茫として力が無かった。訳の分らないすがたが入り乱れて、白日夢を見てるような気がした。……と、私ははっと我に返った。縁側に、障子の向うに、誰かがしょんぼり伴んでいた。それがはっきり見えてきた。「彼女だ!」と私は心に叫んだ。すると、その姿は煙のように消えてしまった。私は心乱れながら、縁側に出てみた。明るい日の光りが、大気のうちに一面に漲っていた。私はその真昼の明るみの中に、取り失った姿を探し求めた。菊代のことが頭に映じてきた。そして昨夜のことが……それは、噫、「彼女」を心に描きながら行った自涜行為に過ぎなかった。私は庭の方へ、かっと唾をした。その後で、堪らなく淋しく悲しくなった。
 私は不快と寂寥との余り、昼食も取らなかった。湯に行ってみると、蒼い血管の浮いて見える自分の肉体が惨めで汚く思われてきて、すぐに飛び出してしまった。外を歩く気にもなれなかった。家にじっとしてる気にもなれなかった。「彼女」が何処かに、至る所に、立っているように思えて、しきりに気にかかった。
 そして夕方、座敷の隅に眠ってるみさ子を見出した時、私は泣きたいような心地になった。私はその側に惹きつけられた。みさ子は、片手を肩にかついだ恰好に布団から出して、すやすや眠っていた。私の気配けはいを感じてか、夢をみてか、それとも無心にか、乳を吸う形に唇を動かした。その小さな濡った唇に、私は自分の唇を持っていった。それから俄に身を引いて後ろを顧みた。誰も居なかった。ああ私は誰に気兼ねをしたのであったか! 私はまた自分の口を、子供の柔かな頬へ持っていった。それから額へ唇をあてた。香りのある温い子供の肉体と心とが、私の唇に感ぜられた。我知らず涙が出て来た。布団から出てる手をそっと入れてやろうとすると、みさ子は眼を覚した。私はそれを胸に抱き上げてやった。なおむずかるので、立ち上って歩いてやろうとした。一足歩き出すと、室の入口に秀子が立って、じっと私の方を眺めていた。私は眼を外らした。秀子は歩み寄ってきた。私達は無言のうちに子供を受け渡しした。その後で私は、自分が如何に卑屈であるかを感じた。私は両の拳を握りしめて、秀子の方を睥みつけてやった。彼女は其処に坐って、子供に乳を含ました。ごくりごくりと乳を吸ってる子供の上に、彼女は庇うように頬を押し当てていた。私は握りしめた拳をそのままに、自分の書斎へ逃げていった。
 二階にじっとしていると、階下したで子供の泣く声が聞えてきた。それを賺してる秀子の声もかすかに聞えてきた。乳の出が悪くなったのを、一人は泣き一人は困ってるのだ。私は堪らない気がした。
 その晩から、私は一人二階に寝た。私は凡てを失ってしまったのだ。秀子をもみさ子をも家庭をも愛をも。私の手に残ったものは何もなかった。然し私に残ってるものは唯一つあった。それは「彼女」――「理想の女」であった。永久に具体的な形を取ることのない女性だった。私はそれに囚えられてしまった。そして、あらゆる持続的な男女関係が恐ろしくなった。一人の女を守る時、私は必ずやその女を「理想の女」に照して眺めるに相違ない。然るに凡ての女は、たとえ恋した女でも、私にとっては「理想の女」の仮象に過ぎない。仮象はやがて本物のために消滅せられる運命に在るのだ。而もその仮象によって得た子供だけが、仮象の女の手の中に、私自身の血を享けて現実に残るのだ。私は恐ろしくなった。
 私は間違っていたのだろうか? どの点が間違っていたのだろうか?……私の心は何処にも安住出来ずに、永久に彷徨し続けるの外はなかった――徒らに「理想の女」を追い求めながら。





底本:「豊島与志雄著作集 第一巻(小説1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」未来社
   1967(昭和42)年6月20日第1刷発行
初出:「新小説」
   1920(大正9)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2008年9月18日作成
2008年10月13日修正
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