蝦蟇

豊島与志雄




 五月頃から私の家の縁先に、大きい一匹の蝦蟇が出た。いつも夕方であった。風雨の日や、妙に仄白く暮れ悩んだ日や、月のある夕方などには、出なかった。夕闇が濃く澱んでいる時や、細かい雨がしとしと降る時などに、出た。垣根に沿ってのそりのそりと匐っていった。それが如何にも悠然としていた。静かであった。そして大きい力に満ちていた。
 夕食が少し後れたような時、散歩にも出たくないような時、私は紙巻煙草を口にくわえて縁側に寝転びながら、その蝦蟇をじっと見た。私の心は静かであった。蝦蟇も静かであった。それがよく一時間の余も続いた。
「またですか。」
「ああ、面白いからお前も少し見てごらん。」
 私と妻との間によくそんな会話が交わされた。然しそれは別に面白いというのでもなかった。面白いのを通り越して居た。
 蝦蟇は力をこめてぬっと前足を立てた。それから後足を立てると、殆んど同時に片方の前足は一歩進んでいた。そして四本の足の上に大きな厚ぼったい感じのする重い胴体を支えながら、四五歩前方に歩んだ。すると直ぐにどしりと尻を地面に落して止まった。然しそれは静止以上のものだった。静かなうちに動いていた。生きて居た。大きい口をぱくっとやると、その辺のものはすーっと吸い取られた。そして飛び出た両の眼は一つ所に定められて動かなかった。背中の斑点が呼吸のためにかすかに動いていた。
 私の両の眼もじっと蝦蟇を見つめて動かなかった。そして私も呼吸をしていた。私達は二つの別なものでもあれば、また一つのものでもあった。そのままで三十分余りもたつことがあった。勿論私はその時、時間などのことは全く忘れてはいたが。
 何故に? 何のために? ということが私の問題ではなかった。如何にする? 如何になる? ということが私の問題でもなかった。否、凡そ「何」という字のつくことは全く問題ではなかった。それならば?……それは私にも分らない。私はただじっと蝦蟇を見ていた。それが如何にも落付いていた。
 そのうちにあのことが起ったのだ。その時私は何かしら憤っていた。と云って別に腹が立っていたわけではない。憤っていたというのが悪ければ、私全体が苛ら苛らして浮々していたのだ。それは気圧の影響だと思う。気圧は妙に人の心の雰囲気に影響するものである。
 私は或晩、蝦蟇をうつ向けた盥の中に。入れて、上に大きい石をのせて置いた。翌朝蝦蟇は盥の中に居なかった。
 ここに一寸余事を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)む――
 私の国の田舎にわくどう爺として通っている一人者の貧しい老人が居た。蝦蟇のことを私の国では俗にわくどうと云うのである。その老人は川魚を取ったり、些細な施与を村人から受けたりして、暮していたが、彼の重な収入はわくどうに在った。蝦蟇を方々から捕えて来ては、それを町の古い薬種屋に売っていた。彼の藁家の庭には、細かい金網を張った檻が幾つもあった。蝦蟇が沢山入っていた。いつもぐぐぐぐと妙な声がしていた。生臭い空気がじめじめしていた。女や子供は到底見に行けなかった。彼は蝿や時には蚯蚓などを取って蝦蟇に与えていた。方々から捕えて来られた蝦蟇は、町の薬種屋の手に渡る前に、必ず四五日はその檻の中で過させられた。その間に彼等の価値の上下が定まるのである。
 或時、村の若者が大勢そのわくどう爺の家に押し寄せた。稀代の大蝦蟇が取れたというのであった。人間の頭位の大きさで眼が金色に光ってるということであった。然し若者等の好奇心は満されなかった。もうそれはわくどう爺のうちに居なかった。
「へへへ、彼奴は神倉山の精でがすよ。俺等の手にはおえねえだ。返して来たから、行ってみなっせえ。まだ出てるかも知んねえ。」
 わくどう爺はそう云った。皺寄った赤黒い顔の中から、小さな眼が睨むように覗いていた。
 所が不思議なことには、誰もその大蝦蟇を見た者が居ないことだった。どんなだと聞いても、わくどう爺は、ただ大きいと云っただけで何とも答えなかった。人間の頭位の大きさで金色の眼をしてるという噂が何処から伝わったか、更に分らなかった。誰も見なかったのである。そしてわくどう爺はそれについて一切口を噤んでいた。
「今に村の不思議となっている。」と当時国からの母の手紙に書いて来た。そしてわくどう爺は相変らず蝦蟇を捕えているそうである。
 ……右の話がどうして私の心に浮んだか、それは私も知らない。ただその話が妙にしっくり調和していたのである、私の気持ちと。
 兎に角私はその時妙に憤ってたのである。
 私は盥をうつむけてその下に蝦蟇を入れ、上に大きい石をのせて置いた。然し私はその晩、大変落付いていたのである。よく眠った。そして翌朝、盥の中にはその蝦蟇の姿が見えなかった。土を掘った形勢も更に無かった。凡ては前晩の通りになっていた。――万事が話の通りだった。
 それっきり蝦蟇は私の家の縁先に姿を見せなくなった。
 今でも私はよく縁側にじっと屈んで、垣根の所を長い間見守っていることがある。勿論其処には蝦蟇は居ない。然しそれでいいのである。そして私はふと死というようなことを考える。「人は憤った時に死ぬものだ!」と私は考える。蝦蟇が居なくなった。それが、凡てがよく調和している。落付いている。静かである。凡てを通り越して静かで落ち付いている。





底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月7日作成
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