戯曲を書く私の心持

豊島与志雄




 四五年前から、戯曲を書いて見たまえって、周囲の友人に度び度びすすめられたことがあったんです。そして僕自身も戯曲を書いて見たい気持はしばしば起ったんですけれど、いざ書こうとなると内容のイメージが、どうしても小説的に、言いかえれば、平面的になって来て仕方がなかった。この小説的とか平面的とか云う意味は、小説に於ける地の文が必要がなくては表わせないと云った風なことです。なお詳しく云えば、頭の中のイメージを表現する場合に、会話と地の文と両方持ちよらなければ出来そうもないような気持なんです。そこで、会話と地の文とが一つになって、会話的な言葉だけで、表現出来る境地まで踏み込んで行きたいと考えて見た。そしてそれがどうにか出来そうに思えて来たから、ぼつぼつ戯曲を書き出したような訳です。

 そこで実際、戯曲を書いて見るとかなり愉快な気がします。でその愉快さはどこから来るかと云えば、一つは小説のように地の文がないと云うこと、勿論ト書があるけれどもあれはほんの人物の動作とか、言葉の調子とか特種な表情とか、そう云った僅かな注意書で、小説の地の文見たいに重要な役目をするものでなく従属的なものでしょう。ところが小説の地の文になると或場合には、会話よりむしろ重要となって来て、非常にたくさんのものがその中に盛られる。殊に僕の在来のような小説の傾向では幾等ひかえようと思っても、地の文に於て、非常に繊かく描写しがちであった。読者からも、君の小説はあんまり繊かくって面倒すぎる、と云われたこともあったんですが、書く方の僕自身は猶一層面倒くさかった。作中人物の心理や気持をこまかくほじくって書いて行くのがだんだん厭になって、出来るだけそう云う方面の筆をさしひかえたいと思い、なるべく簡潔な筆づかいの小説を書き始めたところへ、今度は地の文が全くない戯曲と云うものにぶっつかってかなり愉快だと思った。

 そこで、話はあとへ戻るんだが、小説に於ける地の文と会話とを一緒くたにした、戯曲的会話だけで表わす場合には、その表現が仮りに、小説を絵画的表現だとすれば、これは彫刻的表現のような感じがする。実際書いてる場合に小説だと、地の文と云うある意味では重宝な、或る意味ではわずらわしいものがあるために、作者としての視野がひろくって、そのためにどうも平面的になりがちのような気がする。出来上った上では、勿論小説としても立体的になればなるほど勝ぐれたものである訳なんだけれど、直接原稿用紙に向っている時の作者の眼は、随分ひろい範囲内に拡がっていなければならない。そして要は、ただ文字にすべきものとすべからざるものと、選択の如何にある。ところが脚本では、始めからのイメージが、人物それ自身の具象的な姿で表わされているし、それが舞台と云うものの中に限定されているから、作者としての眼の働きが、比較的狭い範囲内に限られ、従って、その場合その時の作の内容の凸凹変化が拡大鏡的にはっきり眼に写ってくる。そこで実際書いている作者の気持では、比較的彫刻的のような感じがする。
 但し、戯曲を書いて見て非常にはがゆい感じのする点がある。これはこの前に云ったと反対に、地の文のないせいだと云えるだろう。小説では、ある瞬間のことを書く場合にも、地の文があるために、その時以前の種々の事件の圧力が比較的らくに表わされる。ところが戯曲ではそれがかなり困難なような気がする。とは云うものの、仮りに種々の事件から来る色々の智的及び感情的の重荷を数で表わして、五のものを荷っている場合と十のものを荷っている場合とは、同じ一人の人物にしても様子なり言葉なりがかなり違って来る筈である。それで戯曲に於ても、その人物の言葉にそれだけの区別が完全に書き表わされれば、勿論問題はないけれど、そいつが非常に困難であるが、地の文の助けをかりれば、比較的たやすいように思われる。これはまだ僕がいたらないせいかも知れない。

 それから、戯曲では筋を得ると云うことが元来、戯曲の本質にも反するけれど、作者としてもたまらなく厭に感じられる。小説では、地の文のために書き方によって、どんなにでも、退屈でなく面白く書けるけれど、戯曲ではそれがどうもうまく行かない。過去の事件をどう云う風に織り込むことが出来るか、それがとても厄介になって来る。へまをすれば現在のその場の気分を壊してしまう。それかとて、筋だけを得る訳にも行かないし、その間の処置が、これはまた小説の地の文以上に厄介な気がする。

 さて戯曲だけの問題として、僕は前に云ったように、小説に於ける地の文と会話とを一緒にして会話の形にして、そして戯曲を作って、勿論ねらい方だの取扱い方にはひどい違いはあるけれど、畢竟するに戯曲の会話と云うものは、そう云う風なものじゃないかと思う。そこで戯曲に於ける会話は、単なる作中人物の会話だけでなしに、小説に於ける作者の地の文が加ったものであるような気がする。
 従って、戯曲の会話には一つの文体と云うのが悪ければ、一つの語体が存在する。その語体に磨きをかけることが作者としての一つの修養だろうと思われる。

 僕は一体小説では句とう点が非常に気にかかる。印刷になった場合に、文字の誤植に対してはひどく平気なんだけれど、句とう点の誤植には実に不愉快だ。で実際書く場合に、文字の用い方や、送り仮名なんかに就いてはひどく暢気だけれど、句とう点にはかなり神経質である。だから少しくらい意味が変になっても、無理に文句の長短とか調子とかを整えるようなことさえある。それで戯曲を書く場合のは、兎も角も中の文が全部会話であるために、なお一層気にかかる。即ち会話の調子にひどく苦心されて来る。けれども音の方に就ては、解らないせいもあるけれど、わりに気を配らない。役者の方から云わせると、調子と音とは同じように大切なものだろうし、場合によっては、両方一致するものであろうから、作者としても当然両方に気を配らなければならない筈なのだが、僕はそれ程こまかく気を配るのが面倒くさいので、単に調子の方だけを重く見て書いている。言いかえれば、舞台の上でのエロキューションは頭に入れないで、単に、読む上の調子と云うものだけを重んじている。然しこれは作者として用意がたりないことは十分心得てはいるが。

 右に述べたようなことがらの当然の帰結として、僕はいわゆるレーゼ・ドラマ、なるものの存在を肯定する。一体レーゼ・ドラマなるものは、その時代の舞台なり俳優なりの技倆なり観客の観賞眼なりを基礎としてしかなりたたない言葉であるから、以上三者の大革命があればレーゼ・ドラマも、レーゼ・ドラマでなくなってしまうかも知れない。けれどそう云う解り切ったことは別として、僕のように小説の会話と地の文とを一緒にして、これを戯曲として表現する場合には、小説が存在すると同じ理由で、レーゼ・ドラマも存在すべきものである。それならば、始めっから小説にして、色んな約束のある戯曲なんか書かなければいいじゃないかと云われるかも知れないが、作者として僕から云えば、戯曲の色々の約束が厄介である場合には始めっから戯曲なんかにしない。その約束がちっとも邪魔にならなくて小説よりも書き易い場合だってあり得る。だから戯曲をかくとすれば、舞台にのぼるかのぼらないかは問題としないで、小説と同じように読者に提供していい訳ではないだろうか。

 僕は今まで、現代劇ばかりを、と云っても五つ程しか書かないが、史劇に筆をそめたことがなく現代劇ばかりを書いて来た。史劇を書きたくないことはないけれど、前云ったように、戯曲を書くには、一つのコンクリートなはっきりしたイメージが必要であるから、歴史ものに対しては、まだ中々入り得られない。詳しく云えば、作中の事件と人物と心理とは、はっきり頭にうかび得るように思われるけれど、それに第二義的なものをくっつけると、なお云えば、服装、言語、習慣、環境、などをくっつけると、どうもはっきり一つの纒ったイメージにならない。完全に昔のその時代通りのものが解れば問題はないけれど、言語や服装なんかがどうしても頭にはっきり浮んで来ない。けれどもそう云うものをすべて無視して、そうして考えれば、考えられないこともないけれど、まだそこまで、戯曲に馴れないせいかなかなか入って行けない。或はそこまで入り得られたら歴史ものを材料にした、いわゆる拡い意味の史劇を書く気になるかも知れない。

 以上、僕の云ったのは、単に作者としてのお話しをしたのであって、批評家としての立場に立てば、もっと色々異った意見も出て来るかも知れない。





底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月8日作成
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