古木

――近代説話――

豊島与志雄




 終戦後、柴田巳之助は公職を去り、自宅に籠りがちな日々を送りました。隙に任せ、大政翼賛会を中心とした戦時中の記録を綴りかけましたが、それも物憂くて、筆は渋りがちでありました。一方、時勢を静観してみましたが、大きな転廻が感ぜられるだけで、将来の見通しは一向につきませんでした。そして索莫たる月日を過すうち、病気に罹りました。
 初めは、ちょっとした感冒だと思われましたが、やがて不規則な高熱が続き、それが少し鎮まる頃には、心臓の作用が常態を失していましたし、かねての糖尿病も悪化していました。医者は首を傾げました。
 鉤の手に建てられた家屋の、一番奥の室から、廊下を距てて、床高に作られた書院が、病間でありました。
 気分がよく天気もよい時、柴田巳之助は、障子を開け放させ、縁側の硝子戸ごしに、外を眺めました。ともすると、縁側近くに布団を移させることもありました。
 室の二方を取り廻した縁側の、その一方から、広い庭の片隅にある椎の大木が見えました。
 眼通り四抱えほどもあるその大木は、樹齢幾百年とも知れず、この辺一帯が藪の茂みであった昔から、亭々と聳え立っていたことでありましょう。横枝の拡がりはせいぜい十米ほどでありますが、高さはその三倍ちかくもあって、巨大な幹がすっくと伸びきり、梢近く朽ち折れて、空洞を幾つか拵えています。嘗て、市内の天然記念木指定が流行でありました頃、文部省関係の人が、指定に価すると讃美したことがありました。柴田巳之助はそれに乗らず、公木としてでなく、私木としての所有を誇りとしました。
 時勢の幾変遷に拘らず、この巨木はいつも泰然と中空に聳えていました。戦争末期、空襲による災害のため、各処に焼け跡が見らるるようになっても、この木の附近は無事でありました。梢近くの幹の空洞には、昔ながら椋鳥や雀が巣くって、朝夕は騒々しく飛び交い囀りました。或る時、飛行機から撒かれた電波妨害の錫箔が何かのために充分拡散せず、長く連続したまま団りあって落ちて来、それが、この木に引っかかりました。中空に聳えて、風にちらちらと葉裏を見せてる茂みに、頂から地面近くへと、幾筋もの銀箔が垂れ懸って、太陽の光にきらきら輝き、その間に椋鳥や雀が囀ってる様は、なにか祝典の樹のようでありました。そしてこの上空では、高射砲弾の炸裂の煙も、飛行雲も、B29の姿も、すべてがゆったりとした美観を具えていました。
 そうした祝典も、やがて、局面が一変しました。或る夜深更、椎の木は火焔に包まれたのです。
 椎の木は、ちょっとした崖の縁に立っていました。その崖の下一帯が、焼夷弾の密集に見舞われました。蒼白い閃光に次いで、赤い焔が人家の軒先に流れ、あちこちから、どっと燃え上りました。風が加わると、それが一面の火焔となりました。
 火焔は崖に沿って巻き上りました。巻き上り巻き上り、高い火先は、逆に後ろへ巻き返しました。恰もこの崖のところへ、下からと上からと二つの逆風が合流してるような工合でした。或る寮になってる大きな建物から、最も大きな火焔が巻き上りました。それを、椎の木は真正面に受けとめました。
 椎の木は傲然とつっ立っていました。その茂みに沿って、火焔は高さを競うかのように巻き上りました。青葉の壁と火焔の壁と、すれすれに対抗しました。暫くすると、その二つの壁が密着し、ついで互に喰いこみました。一時は、青葉の壁が火焔の壁を抱き込んで制圧するかと思われました。その時、なにか深い戦慄が起りました。そして……それまで自若として抵抗し続けてきた椎の木が、俄に、葉から枝から幹までぼっと燃え上りました。だが、燃えてしまったというのではなく、焔に包まれたというが本当でありまして、やがてその焔も衰え、崖から巻き上る焔も衰えました。
 大火災の煌々たる明るみの後に、暫し暁闇がたゆたい、それから、煙と灰に空を蔽われてる盲いたような一日となりました。それは一日だけのことでしたが、椎の木にとっては、来る日来る日がすべてそうだったでありましょう。幹や枝は半面焦げ、葉は落ちつくし、ただ下枝の先にふしぎにも若葉が少し残ってるきりでした。椋鳥や雀もどこかへ逃げてしまいました。
 後日、植木屋が来た時、その意見では、この椎の木が生きるか死ぬか、全く不明だとのことでした。或は夏すぎて時ならぬ若芽を出すかも知れないが、それから先が全く分らないとのことでした。
 夏の陽が照り、秋の陽が照りました。下枝の先の若葉も落ちてしまいました。時ならぬ若芽などは一向に出ませんでした。黒ずみ皺だった幹、焦げた枝、それがやはり中空に聳えて、ただ静まり返っていました。
 その姿を、幾度も幾度も、そして長く倦きずに柴田巳之助は眺めました。病床から硝子戸ごしに外を見る時、眼に映るものは殆んどそれに限られるようになりました。時折、坐ってみたり縁側に出てみたりする時、庭の植込み、藤棚や、梅や、椿や、百日紅や、八手やつでなどに、眼をやることもありましたが、それもへんに無関心で、やがてまた椎の木を見上げるのでした。
 彼はもう発熱を殆んど意識しませんでした。ただ、頭部と足先との重さ、手の不随意な震え、突発的な動悸、なにかの呼吸障害、そんなもの全体から来る重圧のなかに、じっと眼をつぶってるような時間が多くなりました。そして眼を開くと、枯死しかかってる椎の木を見ました。
 或る時、彼は側の者に言いました。
「あの椎の木は、もうだめだな。」
 然し、側の者がそれについて何かと言うのを、彼はもう耳に入れませんでした。だめだというのは、椎の木のことか彼自身のことか区別し難い、昏迷した眼差しでありました。
 ――あの木を伐り倒してしまったら……。
 ふとしたその思いが、次第に彼の心に根を張ってゆきました。
 巳之助の幼時、この椎の大木の下蔭は、なにか怪異な世界に思われました。大きな山蟻が、駆けだしたり立ち止ったりしていました。雨のあとには、大きな蝸牛が匐いまわっていました。時には、黒光りのする兜虫がいました。夕方など、蟇が眼を光らしていることもありました。
 秋になると、椎の実が落ちました。まだ歯の丈夫な祖母は、椎の実が好きで、天火で炒って食べました。祖母が亡くなってからは、子供たちはもう椎の実も拾わず、その辺で遊ぶことも少くなりました。家屋に近い藤棚の下や桜の木の下に、楽しい場所がありました。
 巳之助が中学の上級になりました頃、父と懇意な今井さんのうちの久江が、しばしば遊びに来ました。久江は女学投に通っていて、学校の宿題をいつも巳之助に教わりました。花模様の銘仙の着物に、海老茶の袴を胸高にしめて、髪をおさげにしていました。
 むつかしい問題にぶつかって、巳之助が頭をひねっていますと、久江は他人事ひとごとのように言いました。
「男のくせに、そんなのが分らないの。」
 それで[#「 それで」は底本では「それで」]、諍いとなりました。
 問題があまり容易いと、巳之助は不満で、軽蔑したように言いました。
「こんなものは、小学校の問題で、くだらないよ。」
 それで、また諍いとなりました。
 そうした諍いのあと、或る時、久江はほんとに怒った顔をして、ぷいと庭へ出て行きました。そしていつまでも戻って来ないので、巳之助も庭に行ってみました。
 桜の花が枝いっぱい咲いていました。その桜の大きな幹を、久江は、小さな握り拳で叩いていました。いくら叩いても、桜の幹はびくともしませんが、それでも、花弁がひらひらと散っていました。それをもっと散れもっと散れというように、久江は幹を叩いていました。
 巳之助がそばに行っても、久江は振り向きもしませんでした。
「怒ってるの。」と巳之助は言いました。
 久江は黙っていました。その眼に、ぽつりと、光った涙がたまっていました。
 巳之助は囁くように言いました。
「もう喧嘩はやめようよ。僕たち、知ってるの、僕たち……いいなずけだって。」
 久江は顔を挙げました。そして眼の中まで、そこにたまってる涙まで、真赤になりました。それから突然、大きな椎の木の方へ逃げてゆきました。駆けてゆくあとから、桜の花弁がひらひらと散りました。
 巳之助も後を追ってゆきました。
 久江は椎の木の向う側によりかかって、遠くに眼をやっていました。巳之助もそこに並んで、遠くを眺めました。無言のうちに時間がたちました。
 頭の上の椎の茂みに、ばさっと大きな音がして、それから、ばさばさ、さっさっと、風を巻き起すような音がしました。見あげると、一羽の鳶が椎の木から飛びたったのでした。
 鳶の姿が見えなくなり、しいんとなった時、巳之助と久江は肩と肩とで寄りかかり手を握り合っていました。それから、抱きあって、唇を合せました。
 其後、長い間の愛情と親しみのあとで、二人は結婚しました。結婚生活三十幾年、今では二人とも六十歳の上になっています。
 ――あの時のことを、久江は覚えているかしら。
 柴田巳之助はそう考えてみました。それがなにか気恥しい夢のようで、眉をしかめました。
 彼は久江夫人を枕頭に呼びました。
「あの椎の木のことだがね、あれはもう生き返るまいから、伐らせようと思うが、どうだろう。」
 平素、何事によらず夫人には殆んど相談もせずに、独断で決めてしまうことの多い巳之助が、そのようなことを言い出しましたので、久江夫人は眼をしばたたきました。普通の病気と違うらしい容態、言葉少なに重々しくなった医者の態度、病室の空気の沈んだ気配などが、胸にこたえました。それを、しいて彼女は微笑みました。
「そのようなことは、どうでも宜しいではございませんか。病気がおなおりなすってからでも……。」
「今でなくてもよいが、然し、あの姿を、あすこに曝さしておくのも、気の毒だからね。」
 久江は彼の顔を眺め、それから椎の木の方を眺めました。
「ほんとに、惜しいことをしました。あの木は、家の目印しでございましたからね。空襲中、見舞いにいらして下さる方は、遠くから、あの木が青々としているのを御覧になって、まだ無事だと、そうお思いなすったそうでございますよ。」
 巳之助は返事をしないで、苦痛に似た表情をしました。それから、暫く無言のあとで、打ち切るように言いました。
「伐り倒して、薪にでもするか。」
「薪には、ほんとに不自由しておりますから、たいへん助かりますけれど、それにしても、あれを薪に割るのは、容易ではございますまい。」
「なあに、造作もないさ。」
 それきり、巳之助は眼をつぶりました。眼をつぶったまま、じっとしていました。
 久江は側についていましたが、巳之助が眠ったようなので、そっと席を立ちました。
 久江が室を出てゆくと、巳之助はふいに、ぱっちり眼を開きました。然し何を見るともなく、ただ宙に視線を据えました。
 ――久江にとっては、あの椎の木など、もう何でもないのだ。
 そんなことを巳之助は思い、それから呟きました。
「なにしろ、焼けて枯れてるんだ。」
 この椎の木が、今まで生き存えてきたのも、幸運に恵まれたからだとも言えますでしょう。何百年もの間には、落雷を受けることだって有り得たでしょうし、特別の災害を受けることも有り得たでしょう。柴田巳之助が覚えてる限りでは、二十数年前の関東大震災の時だって、情況が変っていたら焼けたかも知れません。
 その時、九月一日の正午二分前、大地の鳴動と震動に、椎の大木は、幹に亀裂がはいりはすまいかと思われるほど揺ぎ且つ撓いました。然しそれも一瞬のことで、引続く余震には毅然と抵抗しました。
 近くに火災が起りました。それがもしも燃え拡がっていたら、椎の木は危いところでしたが、十戸ばかりで止みました。
 火災は遠くの地区を嘗めつくしてゆきました。二日の夜明けには、火先は一粁ほどのところへまで寄せてきました。潮鳴りのような音をたててる火と煙との海でした。それがどこまで寄せてくるか、予想はつきませんでした。椎の木の半面は、昼間よりも明るく、重なり合った葉の一つ一つ、樹皮の皺の一つ一つが、はっきり数えられるほどでした。然し、それだけのことで済みました。
 この椎の木のほとりを、人々は避難所としました。最初の大震動の後、柴田家の人たちは椎の木のそばに集りました。余震は頻繁に起って、屋内は危険でした。夜になると、椎の木の根本に蓆と蓙と布団を敷いて、野宿をしました。両隣りの家の人たちも、そこに野宿に来ました。次の夜も、同じ野宿[#「野宿」は底本では「野原」]が続きました。
 この野宿の時、七歳になる幹夫は、殆んど眠らなかったようでした。二人の姉はよく眠っているのに、幹夫だけは、いつも眼をぱっちり開いていました。久江がいくら寝かしつけようとしても、幹夫はまた眼を見開きました……。
 そのことが、次の夜は、姉の千代子にも感染しました。二人とも、言い合せたように、眼を見開いては、椎の木の上方を眺めていました。久江が注意を与えると、おとなしく眼をつぶりましたが、やがてまた眼を見開きました。そして久江はうとうとしている間に、二人の囁き声を聞きつけました。
「見えるの。」
「見えるよ。」
「どこに。」
「上の方、大きい枝の、先んところ。」
「あたくし見えないわ。」
 暫く言葉がとだえました。
「まだいるの。」
「いるよ。」
「うそ。」
「ほんとだよ。あの大きい枝……。」
 また言葉がとだえました。
 久江は半身を起しました。
「あなたたちは、何を言ってるのですか。何がいるのですか。いつまでも眠らないで、何を見ているのですか。」
 千代子が答えました。
「あすこに、椎の木のなかに、フクロウがいるって、幹夫さんが言いますのよ。ねえ、お母さま、お母さまにも見えますの。」
 久江は思わずつりこまれました。
「どこにいるのですか。」
 幹夫が元気よく答えました。
「高いところ……いちばん上の、大きな枝にいますよ。」
 久江は見上げました。こんもりした茂みで、梟の姿などは見分けがつきませんでした。然し梟といえば、夜なか、その声が聞えることがあって、茶の間から一同、耳を澄したことも何度かありました。
「あたくしには見えないわ。」と千代子が言いました。「鳴き声も聞えないじゃありませんか。」
「さわがしいから、鳴かないんだよ。」
 幹夫の言う通り、遠いどよめきが、へんにむし暑い大気のなかに伝わっていました。
 そのどよめきが、次第に盛り上ってきて、火災は一粁ほど先まで迫り、昼間のように明るくなりました。明るくなると却って、梟の姿はもう幹夫にも見分けられなくなりました。
 屋敷内を見廻って戻って来た巳之助は、その話を聞くと、子供たちに言いました。
「火事の火で明るくなったから、梟はびっくりして、寝床に隠れたんだろう。お前たちも、もう眠りなさい。」
 然し、こんどは、子供たちは火事の方に注意を向けました。
 その後も、時々、梟が椎の木にとまっていると、幹夫は言い張りました。千代子は見えないと頑張りました。けれど、千代子も梟の味方で、蝙蝠を憎みました。蝙蝠が邪魔をするから、梟は椎の木に落着いていないのだと、彼等は考えました。そして蝙蝠を退治しようと苦心しました。夕方、薄暗くなりかける頃、見張っていますと、ほんとに蝙蝠がひらりひらりと、椎の木の蔭に飛んでることがありました。千代子は小さな石を投げ上げました。その石の落ちるのを、蝙蝠は追かけてきました。それを幹夫は狙いました。釣竿のような竹の先に、鳥黐をぬりつけたのを、力一杯うち振って蝙蝠を捕えようとしました。だが蝙蝠は、ひらりと身をかわしました。
 或る時、その竹竿をうち振るはずみに、幹夫は転んで、石に額をぶっつけ、血を流しました。
 千代子と、久江まで、大騒ぎをしました。幹夫をむりに寝かしておいて、医者を迎えました。
 巳之助は、久江に相談されて、梟の剥製を探しました。震災で市街の大部分は焦土となり、莫大な死傷者が生じ、不安恐慌の気が漲り、生活の方途が混乱を来している際、巳之助は、救恤と復興との政治機関に働きながら、一方、梟の剥製を探し廻りました。やがて、幸にもそれが見つかりました。神代杉の細工枝にしっかりと取りつけたもので、羽毛が放射状に生えてる顔盤の中の真丸な眼が、生きてるように輝いていました。製作者自慢の義眼でした。
 それを貰うと、幹夫は家中を駆けまわって喜びました。
 椎の木の梟はいつしか忘れられ、剥製の梟が幹夫の最愛の友となりました。
 そうした幹夫も、今ではもう三十歳になろうとしています。
 ――彼は椎の木のことを、何と思っているかしら。
 柴田巳之助はそう考えて、自分の気力の衰えをちらと胸に浮べました。
 そしてそれを押し切るようにして、幹夫を枕頭に呼びました。
「あの椎の木だがね、あれはもう生き返るまい。」
「ええ、とてもだめでしょう。」と幹夫は平然と答えました。
「それでは、伐ろうじゃないか。」
「そうですね、私もそう思っていました。あれがずいぶん火を防いでくれましたから、家のためには役立ったとも言えましょうが、どうせ枯れてしまうとすれば、伐るより外はないでしょう。」
「伐ってしまったら、あすこが、淋しくなるだろうね。」
「そりゃあ穴があきますよ。その代り、風通しも、日の通りも、ずっとよくなります。あんなに伸び拡がってる大木ですから、取り払ったら、びっくりするほど大きな青空となるでしょう。そのあとに、なにか元気な若木を植えたらどうでしょうか。」
 巳之助は黙って眼をつぶりました。やがてまた眼を開いて、ぽつりと言いました。
「お前は、あの木に不満だったようだね。」
「不満じゃありませんよ、むしろ、大木として自慢でした。けれど、少し陰鬱でもありました。」
「陰鬱だって……。」
「蔭が多すぎたし、地面は湿気がちだったんです。木の方にしたって、あんな所では、窮屈だったでしょう。あれほどの大木は、広い野原か山にあるべきではないでしょうか。そんなことを考えると、ここに家を建てたのが、ほんとはよくなかったんですね、あのまわりを広い空地にしておけば、木のためにも、人間のためにも、よかったと思います。」
「うむ、それは面白い意見だ。」
 それきり、巳之助はなにか瞑想にでもはいりこんでいったようでした。幹夫は黙って控えていましたが、あまり沈黙が続くので、何気なく言いました。
「あの木を、お伐りになりますか。」
 暫く間をおいて、巳之助は独語のように呟きました。
「伐ることにしよう。」

 小春日和の暖い日でありました。天気も穏かで、柴田巳之助の容態も穏かでした。栗野老人が来たことを聞くと、柴田巳之助は自らちょっと逢いました。他人に逢う時にはいつもする通り、布団の上に坐り、脇息にもたれていました。
 栗野老人は、鳶職の頭、というより寧ろ仕事師の頭で、柴田家には先代の時から出入りしていました。巳之助から応対正しく迎えられて、如何にも恐縮した様子で畳表を敷きつめた縁側に身を屈め、病気見舞の言葉を述べ立てました。
 それを上から押っ被せるように、巳之助は言いました。
「実は、一つ厄介な仕事があるんでね、これは、植木屋にも棟梁にも手に負えまいから、かしらに引き受けて貰いたいんだが、どうだろう。」
 仕事のこととなると、栗野老人はきっと顔を挙げました。
「椎の木のことでございましょう。若旦那から承りました。」
 巳之助はじっと相手の顔を見ました。
「やってくれるかね。」
「お任せ下さい。伐り倒すばかりか、薪なら薪、木っ端なら木っ端と、お望み通りにこなして御覧に入れます。椎の木ってやつは、情けないもので、木材としての用には立ちませんな。ですが、あれが焼けちまったのは、残念でした。私共が赤ん坊の時から、今通りの大きさでしたから、どれぐらい年数を経たものでしょうか。この界隈の目標で、お邸の大黒柱でしたからな。あれが焼けちまったのも、まあ、お邸の身替りに立ったものと、そう思っちゃいますが、まったく、惜しいことをしました。あのままで、上枝をおろして、苔をつけさせ、蔦でも絡ませるのも、風流なものだろうと、若旦那にも申しあげましたが、そうした庭の造作には、なんとしてもちっとでかすぎて目立ちすぎますからな。却って目障りになるかも知れません。」
「ほかの樹木をいためないように、倒して貰いたいんだがね。」
「それはもう、充分心得ております。まず見当では、三回に伐りますかな。」
「それから、切株を、二三尺残しておいてほしいね。」
「なるほど、面白いお考えですな、大丈夫、まっ平らにして、磨きをかけましょう。そこに餉台をだして、座布団を敷いて晩酌を一二本……いいですなあ、崖の上なもんで、いつも凉しい風がございますよ。中に空洞さえなければ、申し分ありませんが、せいのいい木でしたから、案ずるほどのことはありますまい。切株を二三尺。なるほど、わたくしもそこまでは考えませんでした。」
「それだけだ。頼むよ。」
「宜しゅうございます。」
 栗野老人は巳之助の顔色を窺いました。なにやら苦悩めいた表情がありました。それを見て取って、栗野老人は辞し去りました。
 巳之助はなお暫く坐っていました。頬の肉に軽く震えが来て、額が汗ばんでいました。栗野老人の饒舌などは上の空に聞き流していましたが、椎の木の伐採を頼む自分の言葉が、胸にひしと反響する心地で、それに沈湎してゆきました。
 付添いの看護婦に促されて、巳之助は我に返り、床に就きました。湯たんぽを入れた足先になお冷たい感じがあり、胸元に熱苦しい感じがありました。それを意識から追い払うようにして、椎の木をじっと眺めました。裸の枝、黒ずんだ巨幹、それが中空に突き立ってる静けさのうちに、枯死の寂寥と寒冷とが籠っていました。
 ――俺はあの椎の木に、甘えてるのであろうか、それとも抵抗してるのであろうか。恐らく両方だ。死を予感する思いは、あれに甘え、その予感を克服しようとする思いは、あれに抵抗する。両者が融合する安らかな境地は、どこに見出さるるであろうか。あれを伐り倒した後の空間に、果してそれが見出さるるであろうか。それはちょっと予想のつかない空間だ。驚異を秘めてるような空間だ。
 ――あの椎の木には空間が足りなかったと、幹夫は言った。或はそうであろう。火災に焼けたというよりも、空間の不足に窒息したのだとも言える。椎の木ばかりではない。俺の生涯にも空間が足りなかった。官界にも政界にも空間が足りなかった。殊に俺が最も働いた大政翼賛会には空間が足りず、今から顧みても息苦しいようだった。現に俺の家だって空間が足りない。千代子一家の者が同居しているし、中村家の者も同居している。一日中、互に鼻を突き合さんばかりの有様だ。日本全体に空間が足りない。然し、この種の空間は、単に空気と言ってもよいほどのものに過ぎない。俺が今想見している空間は、なにか神秘な、深いそして高いもの、生命とじかに関わりのあるものなのだ。それが、あの椎の木を通して、そこに、あすこに在る……。
 柴田巳之助はそこを覗きこんで、昏迷した心地になりました。そしてうとうとと、夢とも現とも分らない状態に沈んでゆきました。
 彼が安らかに眠ってるものと思って、看護婦は席を立って、ちょっと母屋の方へ行きました。
 それと殆んど入れ代りに、千代子の娘の美智子が、そっと縁側からはいって来ました。
 髪をおかっぱにした、眼の大きな、この子供は、お祖父さまに馴れ親しんでいました。お祖父さまが病気になって寝ついてからも、よく病室にやって来ました。病室にはたいてい、なにかおいしい物がありました。
 いま、お祖父さまは、一人きりでした。静かに寝ていました。その禿げた頭だけが、枕の上に、つやつやと光っていました。それを、美智子はふしぎそうにじっと眺めました。
 やがて、美智子は寄ってゆきました。小さな手を差し出して、禿げ頭にそっと触れてみました。つるりと滑る感じでした。びっくりして手を引っこめましたが、頭はじっとしていました。美智子はまた手を差し出して、禿げた頭に、こんどは拡げた掌でさわりました。滑っこい冷たい感じがしました。
 その時、頭がぐらりところがって、夜具の襟から、お祖父さまの顔がぬっと出てきました。とたんに、美智子は、驚いたとも恐れたともつかず、息をつめました。次に、立ち上って逃げてゆきました。
 巳之助は茫然と、美智子の姿を見送りました。その泣き出しそうな顔付と、次で、小さな足袋の汚れた裏とが巳之助の眼にちらと残りました。それを心のように追っているうち、巳之助はふしぎにも、美智子から頭を撫でられたことを思い出しました。そして自分も手をあげて、はげた頭をつるりと撫でてみました。
 それまでのすべてが、巳之助には夢のようにも思われました。それを心で見つめていますと、時間が止ったような工合になりました。
「美智子ちゃん……美智子ちゃーん……。」
 中村家の子供が二人、庭で美智子を呼びました。美智子はその方へ行ったようでした。そして三人は椎の木のところに集ったようでした。
 そこで彼等がしてる遊びの一つを、巳之助は知っていました。――椎の木の樹皮がはがれて、木質が露出してるところに、彼等は白墨でいたずら書きをしました。それから次には、ナイフを持ち出して、そこに、各自の名前を、片仮名で彫りつけはじめました。
 巳之助が栗野老人に、切株を二三尺残すよう頼んだのも、そこを晩酌の席などにするつもりではなく、子供たちの遊び場所にしてやるつもりだったのです。
 今もまた、子供たちはそこで遊んでいました。巳之助は眼をつぶって、子供たちの声を聞き取ろうとしましたが、何にも耳にはいりませんでした。
 巳之助は思い出したように、禿げ頭を掌で撫でてみました。冷たい汗の感じがしました。
 やがて、室に戻って来た看護婦は、巳之助の瞼にたまってる涙を認めました。彼女はそれに気付かぬ風を装って、顔をそむけ、眉根を寄せました。

 椎の木の伐採は、簡単に行われました。枝葉を茂らしてる生木でしたならば、いろいろ壮観なこともありましたでしょうけれど、もう大半枯れてる裸木なので、異常なことはなにもありませんでした。
 初めに、上枝が切りおろされ、次で、下枝まですっかり切りおろされました。一本の巨大な幹だけが残りました。それが、上方から順次に、三段に伐り倒されました。眼通り四抱えほどの大木のこととて、足場を組んで鋸で挽くのが主な仕事でした。切られた幹は轆轤で吊して、たやすく地面に転がされました。
 柴田巳之助は病床に寝たまま、椎の木の方を眺めてばかりいました。椎の木が一本の巨大な棒となり、それが三分の一ほど低くなる頃には、巳之助ももう眺めるのに倦きたようでした。あまりに単純に事が運んでいたからでありましょうか。彼はただ鋸のかすかな音や人声に耳をすますきりで、それにもやがて無関心らしくなりました。眼がある以上はそれをどうにかしなければならないという風に、ぼんやり宙を見やったり、瞼をつぶったりしていました。うとうと浅い眠りに入ることが多くなりました。
 体力の衰えが急に目立ってきました。それと共に、重圧めいた苦悩も静まっていったようでした。額には仄かな和らぎの色が浮んでいました。そしてそれらのすべての彼方に、或る内心の一点への想念の沈潜とでもいうべき気配が見えました。医者は訪客との面会を禁じ、絶対安静を命じていました。
 椎の木の幹が全く伐り倒された日、幹夫は父の側に行って、黙って坐りました。巳之助は弱々しい微笑を浮べました。
「すっかり済んだかね。」
「済みました。」
 巳之助は暫く黙っていたあとで、言いました。
「椎の木などを、へんに問題にして、少しおかしかったよ。」
「別に問題になすったわけでもありますまい。」
 巳之助はそれには答えませんでした。然し、やがて、ちょっと布団の上に坐って外を眺めたいと言いだしました。幹夫と看護婦は眼を見合して、言うがままにさした方がよかろうと了解しあいました。
 看護婦に援け起されて、巳之助は布団に坐りました。幹夫は縁側の硝子戸を開けました。外は静穏な日和でした。
 斜陽が流れていました。庭の外れ、崖の上、一面に斜陽が流れ注いでいました。そこにはもう椎の古木はなく、晴れやかな空間がありました。その方へ、巳之助はまぶしそうに眼をやり、次でじっと瞳を据えました。そして二度大きく頷きました。
「うむ、実によい……まったく……。」そして彼はもう一度頷きました。そしてなおじっと見つめていましたが、突然、眩暈がするとかのように、顔を伏せ震える手をあげて額を押えました。幹夫と看護婦はあわてて、彼を床に寝かしました。
 それから二日後、柴田巳之助は心臓の異変で息絶えました。殆んど苦悶はなく、死に顔は穏かでありました。





底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」未来社
   1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「暁鐘」
   1946(昭和21)年6月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について