わが児に

加藤一夫




坊や、私は今お前を見る
お母さまの側にそい寝して居るお前を見る
何と云うこましゃくれたすがた
何と云う不思議な生物だ
それが十ヵ月前に生れたあのみにくかった肉塊か
母の胎内から外にとび出して
さながら世の中を馬鹿にしたように一しゃくりくしゃみして
さて初めてオギャアと泣き出したあの肉塊か
ああお前は実に、私の驚異だ

まだお前のお誕生が来ないのに
お前はもう立派な人間だ
人並みにお前は悲しみを知って居る、
人並みにお前は寂しさを知って居る
そしてまた喜びを、怒りを、嘆きを、厳粛を、滑稽を、遊戯を、飢えを、満腹を、
お前はもう大人の言葉をききわける
お父さまがしかるとお前は泣く
お母さまが愛想の言葉をかけるとお前は喜ぶ
お前はまたお前自身の言葉をもって居る、
機嫌のいい時にはアップアップと云い
要求するときには泣き
悲しい時にも泣き、
怒るときにも泣く、
泣くことがお前の言葉だ
だがお父さまにはその泣き方でお前の心がわかる、

お前は恐ろしい観察者だ
たった一つのマッチ函でもお前はそれをあだには持たぬ
幾度も幾度もお前はそれを持ちかえて見る、
先ずその赤い絵のついて居るところを、
それからその反対の側を、
それからその横側を、
それからそのたて側を
そして何時の間にかお前はその内容なかみをひき出してたのしむで居る。
どんな科学者もお前程には精密な研究をしないだろう

お前はもうあの紙鳶たこを覚えて居る
お祖父さまから贈って下さった
あのお前の好きな紙鳶を
「坊や、紙鳶は」
お母さまがたずねると
お前はきょろきょろとあたりをみまわして
そしてついにそれを見つける、
お前はまた電燈を覚えた、
時間をも、小母おばさまをも、せつやをも、お父さまをも、お母さまをも
そしてトウトウの鳴きごえをも
兵隊さんのカッパカッパをも

おお、坊や
智恵づくにつれてお前も益々かわゆくなる
お父さまの胸には愛情が春の陽のようにふくらむで来る、
親の愛だ、
お父さま自身にもわからぬ愛だ、
お前は此の愛をむさぼる、
飽くことも知らず此の愛を吸う
そしてお父さまも愛の報酬を――歓喜――をうける
だが坊や、ゆるしてお呉れ
お父さまは時々さびしくなるのだ
お前を見て居るとさびしくなるのだ
お前は成長する
お父さまは衰える
自分の仕事の半分もしないうちに
お父さまはもうお前のために働かねばならぬ
まるで、お前を育てることが唯一の使命ででもあるように
ああお父さまは、いや人間は
生命の子を産むためにのみつくられたのだ
生活のアルファよりオメガまで
一切はまた生命のためだ
自分のために生きる寸毫の特権もない
生命いのちの与えて呉れた自分と云うものは
ああはかない精神の蜃気楼に過ぎない
自分と云う意識があるのに
自分に許される何物もない
そしてみんな子孫を残しては死ぬのだ
お前もまた同じように。
愛慾のさびしさよ
理智のかなしさよ

だが坊や、それでもなお私はお前に感謝する
ややともすれば浮かれ勝ちな私の心は
お前を見ることによって引きしめられる
そして影のような自分から解き放ってくれる
そして常住の都に住まわせてくれる

さびしさとよろこびと
失望と希望と
無力と発憤と
それ等はお前の私への贈物だ
それによって私は
生のあじわいを知る

お前についての私の心づかいは大きい
けれど今は云うまい
ただ私はお前をほめる
そしてお前に感謝する

おお、お前は少し眼がさめた様だ
夢を見たのか
足が冷めたいのか
お腹がすいたのか
クスックスッとお前は云う
おや、お母さまが夢中でお前をあやして居る
……坊やはいい児だ、ねんねしな
  坊のお守は……何処へい……
もうお母さまのお歌の声もわからぬ
思えば不思議な事だ
まだ人生のほんの子供であるお母さまが
そんなにしてまでお前をいたわって居る
不思議な力だ
お母さまやお父さまとはかかわりのない、
何かほかのものだと思われる力だ
お前はその力にまもられて居る
お前はその愛にそだてられて居る
お前はいま何も知らない
けれどやがてすべてがわかるだろう

お前は驚異だ
お前は歓喜だ
お前は寂寥だ
そしてお前は真理だ
私はお前をほむ、お前をたたえる。
(『民衆』一九一八年二月号に発表)





底本:「日本プロレタリア文学集・38 プロレタリア詩集(一)」新日本出版社
   1987(昭和62)年5月25日初版
初出:「民衆」
   1918(大正7)年2月号
入力:坂本真一
校正:雪森
2015年12月30日作成
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