懷疑思潮に付て

朝永三十郎




「懷疑思潮に付て」といふ題で御話を致します。前の文學會の席上で厨川文學士の自然主義に付ての御講演がありました。私の講演も矢張り自然主義に關係して居るのである。併し私は文藝には言はゞ門外漢であります。我邦の自然主義の作物などをチヨイ/\見て、文藝の觀賞者として之に對する漠然たる感想とでも云ふべき者はありますけれども、之と密接の關係を有つて居ると稱せられて居る西洋の作物や又は西洋の文藝の歴史といふ樣なものには非常に暗い。で、こんな公會の席上で文藝の上よりして組織的に自然主義を論評するといふ資格を缺いて居るのであります。其故に、只今は此自然主義の重な動機の一となつて居ると思はるゝ而して一部の自然主義者も亦た自らさう公言して居る懷疑思潮に付て一言したいと思ふ。
 自然主義は「新小説」の後藤宙外氏なども言て居る通りに、「三四以上の思想を抱く者が自然主義なる一本の傘に雨宿り」して居るので、所謂自然主義者の作物や論議やを取り一々分析して見たならば、藝術觀上又は人生觀上非常に異つた、或は氷炭相容れざる思想があるに相異ない。であるから、自然主義の評論を試みるに當ては先づ其中の色別をするといふのが第一歩であるとも言へる。併し此相傘主義は單に自然主義のみでは無い、殆んど凡ての主義がさうである。殊に未だ充分に議論の精錬を經て居らない新生の主義には其傾向が多い。現に自然主義と類縁を有すると思惟せられて居る「プラグマティズム」などが其適例である。先頃の「哲學、心理學、科學的方法雜誌」(Journal of Philosophy, Psychology, and Scientific Method)などには種々の「プラグマティスト」の論議を分析して「プラグマティズム」に十三種の別があると説いた論文などが出て居る。自然主義も矢張り新生の主義である。未だ充分に論議の精錬を經て居ない。隨て、等しく自然主義を標榜して居る人々の間に種々の矛盾もあらうし、又た同一の人の論議中にも兩立し難い色々の思想が混在して居るであらう。併し、其處に未だ之から色々に發展して行くべき餘地があるので、其處に生命があると思ふ。併し又た他方より考へて見ると、是れ丈け多樣の思想が同一の旗幟の下に集まるといふにも亦た何等かの因縁があらう。其多數の思想の中には漠然ながらも同一の傾向がありはしないか。よし一々の人の論議を取て綿密に分析したならば此共通傾向に矛盾する樣なことがあるとするも、其れは其人に此傾向と並行して他の傾向も亦たあるといふことを示すのみで、其人が自然主義の中に籍を置くといふ理由は矢張り此共通傾向をば他の傾向に比較して多量に分有して居るといふ點にあると思ふ。此共通傾向を取て批評するといふのも亦た批評の一方であると思ふ。
 一般に、仝一名稱を標榜して居る多數の思想は、顯正の方面に於ては一致が困難であつても、破邪の方面に於ては大體一致して居ることが多い。殊に新生の主義の場合に於てさうである、「プラグマティズム」などが積極即ち顯正の方面の意見に於ては十人十色であるけれども、その目指す敵は何であるかといふ點に於ては大體一致し得る樣に思ふ。如何なる風潮に反抗して起つたかといふ點に於ては大體一致して居る樣に思ふのであります。自然主義も亦たさうである。積極的の藝術觀人生觀に於ては十人十色であるが、消極の方面に於ては其間に共通の傾向が明かに認めらるゝのである。
 尤も其共通の傾向と申しても種々の方面よりして考察して見ることが出來やう。例へばロマンティック派が余り理想に偏して現實を遠かつたに反對して現實に皈れといふ態度を取つたものと見ることも出來やう。又は在來の寫實派が外的觀察に偏して居つたのに反對して内的省察を重んずる者と見ることも出來やう。併し是等は主として自然派の文藝上に於ける特色である。即ち文藝上の他の主義又は傾向に對しての特色であつて、私の今日の演題とは直接には關係ありません。是等の特色の外に、有意無意の間に自然派の作物又は論議を動かして居る一種の人生觀とでも云ふべきものがあると思ふ。其は即ち懷疑主義である。或は懷疑主義と言はずして懷疑的傾向と言つた方が精確である。其れは、自然主義の唱道者の中には此懷疑主義といふことを明確に標榜した者もあれば、是を標榜しない者もある。而して之を標榜しない者の中には懷疑主義を否認して居る者もあるのである。併し、主義の上に於ては之を否認しては居るものゝ、矢張り懷疑的傾向が其作物や論議の重な動機になつて居るといふことは否定出來ない樣である。それから又た、明かに懷疑主義を標榜して居る者に付て見ても其懷疑主義の程度に於ては必ずしも一定して居らぬ。又た、昔から懷疑説といふ者を以て現はれて來て居る種々の説に又た色々の程度の差がある。であるから、此處では懷疑主義と言はずして懷疑的傾向と云つた方が正確であらう。併し又た或は私の眼の屆かない爲めに自然主義者の中には此懷疑的傾向すらも含んで居らない者があるのを知らずに居ることがあるかも知れません。其れならば此講演は、大部分の自然主義者の一般傾向となつて居る懷疑的傾向に就ての講演として置ても差支はありません。
 偖て、是れまで懷疑的傾向といふ言葉を度々用ゐて來ましたが、其懷疑主義とはドウいふ主義であるかといふことは未だ明かにしてない。で、順序上之を一通り説明しなければならぬ。一概に懷疑主義と言ても、之には種々の程度がある。最低い程度の懷疑主義――或は寧ろ懷疑的傾向であつたならば、苟くも人生上の問題などに付て幾分か考察的の態度を取て居る者は皆な有つて居ると云ふことが出來る。或は寧ろ其人に懷疑的傾向があるからこそ人生問題などを考察しやうといふ樣な考が起つて來るのである。即ち、今まで成立つて居る學問なり、道徳なり、宗教なり、慣習なり、其他學理及實踐に關する先人の主義や教説や教訓やに對して充分に滿足することが出來ないから、自分で以てさういふ問題を考察して見やうといふ態度を取るのであります。併し、斯ういふ人の中でも、唯何となく從來の定説や形式やに不滿足の感を懷くといふのと、極々明白に自分は從來の一切の定説や形式やを疑ふ者であるといふことを自覺し且つ公言するのとの別がある。普通懷疑主義といふ名の冠せらるるのは後者である。此意味の懷疑説の最よい標本は近世哲學の開祖デカルトである。デカルトは其哲學の出發點に於ては、希臘及び中世の先聖の説いたことでも、基督教の經典にあることでも、教會の教理でも、皆な疑はなければならぬ、其他世間の傳承や慣習に基いて居る一切の學理上及實踐上の定説も、疑はなければならぬ、更に進んで外界の存在といふことすら疑はなければならぬ、と説いて「根本的の懷疑」といふことを以て其哲學の出發點となして居る。併し、此程度の懷疑説も、極々徹底したる懷疑説より見れば未だ極めて初歩の者である。デカルトは從來の一切の定説や眞理を疑つて居るけれども、眞理や定説其者を否定しては居らぬ。又た感官の所示たる外界の存在を疑つたけれども、理性の原理たる因果律や矛盾やの正確は疑つては居らぬ。で、從來の一切の定説を疑つた末には、是等の理性の原理に訴へて自家の哲學體系を組織し、之をば確實の眞理と認むるに至つた。「アティカ」哲學の開祖とも稱せらるべきソークラテースも亦同樣である。ソークラテースはデカルトの樣に根本的懷疑といふことを標榜しては居らぬ。併其出發點に於て從前の哲學者の提説に對しても、社會の傳承説や慣習に對しても懷疑的批判の態度を取らなければならぬとした點はデカルトと類似して居る。併し、ソークラテースも、亦各個人の理性には眞理の萠芽を胚胎して居る、之を開發すれば萬人に共通の普汎的の實踐上の標凖を發見することが出來ると見て、其出發點に於ける懷疑的態度を棄てゝ積極的の倫理觀を立てんと試みて居る。是等の學者は過去に對しては懷疑論者であるけれども、まだ徹底した懷疑論者では無い。徹底したる懷疑論者は、眞僞、善惡、美醜の普遍的標凖をば絶對的に否定する者である。希臘の「ソフィスト」は即ち其の最よき標本である。彼等は一切の善惡眞僞の客觀的標凖を否定し、一切の理想を排した。而して、若し強て善惡眞僞の標凖を立つるとすれば、刹那々々に變り行く所の個人の好惡快不快の感が其れであると説いた。即ち、刹那々々に變り行く所の個人を以て一切事物の尺度なりと見て、極端なる個人主義、刹那主義を説いたのである。次に「ソフィスト」と等しく、或は或點に於ては更に甚しく、徹底したる懷疑論者は上世の末期に出でたるピュローン及びセクストゥス・エムピリクスである。(ツイ此間の讀賣新聞であつたと思ひますが、吾邦の自然主義者の人生觀をばピュローンの懷疑説に比較してあつたと覺えて居ります。)併しピュローンやセクストゥス・エムピリクスの懷疑説は「ソフィスト」の懷疑説に比ぶれば稍風格を異にした所がある。「ソフィスト」には一般に余程不眞面目な、輕佻な調がある。尤も「ソフィスト」の親玉株とも云はるべき人物には隨分眞面目な人もあるけれども、其多數殊に其末派の輩は非常に不眞面目である。言はゞ鯰瓢的(瓢箪鯰的といふ言葉の略語です)處世主義とでも云ふべき主義を説き、又た之を實行して居る。即ち刹那々々に自分の利益になり、快樂になるといふことを追ひ求めて、甘く世の中の人の氣に入り、或は世の中の人を誤麻化してゞもよいから、何でも構はず刹那々々の自分を滿足させて甘く世を渡つてさへ行けばよいといふ樣な風があるのである。處がピュローンやセクストゥスやにはそんな鯰瓢的な風格は無い。よし、ソークラテースや、プラトーンや、若くば此懷疑派と同時頃に起つた「ストア」派などの樣な眞摯な眞面目な風格は認められぬまでも、「ソフィスト」の樣な不眞面目な不誠實な風は無い。此一派の懷疑論の道行は大體斯ういふ風になつて居る。吾々は外界に起る種々の出來事や事變に始終攪擾されて居る、其れが爲めに内心の不安が起る、これが人生に於ける不幸の淵源である。眞正の幸福を得んと欲するならば、外界に如何なることが起らうとも毫末も之によりて攪擾されぬといふ境界即ち「アタラクシア」の状態に到達しなければならぬ。然るに「アタラクシア」に到達する第一の邪魔者は是非正邪眞僞の差別見である。凡てのことが善でも無ければ惡でも無い、眞でも無ければ僞でも無い、即ち無記のものであると見る時に初めて「アタラクシア」の境界に到達することが出來る。眞僞善惡の見に着するから内心の平和は得られないのである。吾々は絶對的に眞僞善惡の哲學上倫理上の議論を棄てなければならぬ。哲學や倫理の論は吾々をば際限なき論爭と矛盾とに引入れて、吾々に平和を與ふる代りに却て不安と煩累とを與ふる者であると説いて居る。此議論によりて見ますといふと、ピュローン等が當の敵としたのは主として眞僞善惡に關する哲學上倫理上の議論である。「ソフィスト」の樣に世間に行はれて居る倫常を馬鹿にするといふ樣な態度は尠いのである。此點に於てピュローンの懷疑論は「ソフィスト」の其れに比べて餘程穩健である。併し、ピュローン等は他の點に於て「ソフィスト」等が未だ到達する能はざりし所まで懷疑説の論理的皈結をば追究して行つた。其れは即ち、懷疑論は其自身を疑ふに至らざれば徹底したる懷疑論とは云へぬ、己れ自身に對して懷疑的態度を取るに至らざれば眞誠の懷疑論者では無いといふことである。普通の懷疑説は懷疑説は眞理であると固執して居る。確實なる善惡眞僞の標凖は無いといふことに着して居る。併し其れは懷疑説の自家撞着である。苟くも眞誠の懷疑論たる以上は懷疑説が眞理であるとも言へぬ譯である、確實なる善惡眞僞の標凖があるとも言へないが、又た無いとも言へない譯である。眞誠の懷疑論の本義は一切のことに關して絶對的の中性的態度(Epoch※(マクロン付きE小文字))を取ると云ふことであると説いた。是に至て懷疑論は發展の極に達したと云はねばならぬ。でありますから、其後中世に入り、近世に入りて、懷疑論者と稱せられて居る學者や學派が隨分出て居りますけれども、これ程徹底したる懷疑説は出でゝ居らぬ。若し苟くも何等かの主義といふ樣なことを標榜して出でる以上は、例へば懷疑主義であらうとも、其れは純粹の中性的態度では無い、從つてピュローン流の論法で行けば首尾一貫したる懷疑論では無いのである。ピュローン流の論法で行けば、懷疑論者は何事もハツキリした事は言へぬ譯である。で、ヒュームなどは普通懷疑論者と呼ばれ、又た自らも懷疑論者と稱して居るけれども、歴史家の多くは之を懷疑論者と呼ぶのは適當で無いといふことを説いて居るし、又た自分でもピュローン風の懷疑説をば「過激なる懷疑論」と呼んで、自分の懷疑論をば之を混同されては困るといふことを説いて居る。最近世に於てはニィーッチエが懷疑論者と呼ばれて居る。成る程歴史といふことを排し、現代の文明を根本的に破壞せんとしたる點に於ては頗る激烈なる懷疑論者と見ることが出來る。けれども其破壞的態度は唯過去に對してのみであつて、將來の文化クルツール又は文化人クルツールメンシュに付ては極めて明確の理想を立てゝ居る。
 偖て我邦に現はれたる懷疑説は何處まで進んで居るか。無論懷疑論者の中にも種々の色別があり、程度上の相違はある。從つて一概に言ふ譯には行かぬけれども自然主義者の中で最よく其懷疑的傾向を代表して居ると思はるゝ論者を取て見れば、隨分極度まで進んで居る者がある、即ち、第一に過去及現在の殆んど凡ての哲學、道徳、宗教を排して居る。而して更に進んで、單に過去及現在のみならず、凡ての哲學上の概念の體系を排し、凡ての道徳及宗教上の理想や價値を排斥し、隨分徹底したる個人主義、現實主義、刹那主義を主唱して居るのであります。其れから又た其中にはピュローン風な即ち凡てのことに付て中性的の態度を取つて何事も解决しないといふ所に安住するといふ樣な思想もある。又た、「ソフィスト」の樣な、輕佻な青年や俗衆の意に投ぜんとするといふ樣な不眞面目な風格もある樣に思ふ。併し要するに、是等の懷疑論者の中心思想は、凡ての哲學に對して概念の體系を排し、凡ての宗教及道徳に對して理想規範價値を排するといふ點にあると見ることが出來ると思ふ。
 今日の自然主義に對する多數の人の態度を見るに、無論少數有識者の除外例はあるが、大體二樣に別れて居る樣である。一は之に附和雷同する者である。一は之を冷評若くば嘲罵する者である。併し双方共に自然主義といふ者を背徳亂倫の辯護者と見肉情の挑發を以て目的として居る事と見る点に於て一致して居る。双方共に自然主義を斯ういふ風に解して、自分の放縱なる生活をジャスティファイする道具に使はんとするものが多く前者に屬し、常套的コン※(濁点付き片仮名ヱ、1-7-84)ンショナルの道徳をば此破壞的風潮よりして救出さうとする者は後者である。輕佻な、血性的な青年が多く前者に赴き、形式的な教育家や、道徳論者や宗教家は主として後者に赴いて居ると思ふ。併し、是等は自然主義といふものを極皮相的に解して居るのである。自然主義は自らジャスティファイして居る一種の人生觀上の主義の上に立つて居るのである。たとへ其主義なる者は必ずしも意識的に明確になりて居らぬまでも、兎に角有意無意の間に此主義に動かされて居ると言はなければならぬ。其處で、吾々は其の主義がドウいふ點までジャスティファイヤブルであるか、言換ふれば其主義中のドレ丈が眞純ヂェニュインであつてドレ丈けが間違つて居るといふことを見なければならぬと思ふ。
 自然主義の懷疑論が一切の概念的體系を排し、一切の規範、理想、價値を排するといふことの過當であることに付ては既に諸方面で論ぜられて居る。懷疑論者の論議其者が已に幾多の概念や矛盾律や三段論法やを道具に使つて居る。又懷疑論者の論議が已に何等かの理想や價値を認めて居る。現に、此排價値、排理想といふことを最鮮明に標榜して居る「太陽」の長谷川天溪氏などが、一切の價値を排しながら、吾々が極力排斥する者は僞善的生活である、内外表裏に矛盾ある生活であると公言して居る。これは即ち、内外表裏の矛盾なき生活、即ち統一ある生活といふ者に價値を置いて居るといふ證據である。「新小説」の後藤宙外氏も矢張り此矛盾を指摘して居る。斯ういふ點は明白に懷疑論者の論理上の矛盾である。斯ういふ矛盾を指斥するといふことも無論自然主義論評の一方である。之によりて自然主義其者の議論の精錬を促し、其發展を進めるといふには非常に有効である。既に是までの經過に付て見ても、自然主義の論議は其初めに比ぶれば非常に精錬せられて、非常に純化されて來たと思ふ。併し、斯ういふ論議上の矛盾を指斥したのみで自然主義其者が直ちに破れたと見るは間違である。自然主義の論理上の體系――懷疑論者は斯ういふ言葉を嫌ふかも知れぬけれども――は之に由て一時破れるかも知れぬ。併し此論議上の體系の根底に存する動力は容易に消滅しない。
 懷疑論者が無價値論を標榜しながら僞善を惡み内外表裏の矛盾を醜とし統一ある生活に價値を認むるといふのは慥かに論理上の矛盾である。此矛盾は决して辯護することは出來ぬ。併し此矛盾の中に懷疑論者の意義が籠つて居ると思ふ今日の懷疑論に若し意義があり存在の理由がありとすれば此内外の矛盾を惡むといふ點にある。尚ほ語を換へて言へば、哲學の概念も、宗教や道徳の理想や規範も、現實の生きた經驗を離れてあるべきでは無い、其れが動もすると現實の經驗を離れて形式一遍になるといふ弊がある。其處で懷疑論者は現實の經驗に歸れと叫んで居るのである。此點は自然主義の眞純の部分である。併し自然主義者は單にこれ丈けに止まらず、更に極端に進んで現實の經驗に關係あるなしに拘らず一切の概念の體系一切の理想一切の價値を斥けて居るのである自然主義の誤は此點に存する
 ショーペンハウエルは其「意志及表象としての世界」に下の樣なことを言て居る。吾々の知能は之を銀行に喩へることが出來る。吾々の知能中に於ける表象(觀念)は之を二種に大別することが出來る。一は抽象表象(概念)、一は直覺表象(經驗)である。抽象表象は銀行に於ける紙幣と同樣の役目をする者である。紙幣が正金を代表して重苦しい正金の運用を助けるが如く、概念は直覺表象即ち具體的の經驗を代表して其運用を助ける。人間の禽獸と異なるは抽象表象の作用を有するが故である。禽獸は唯直覺表象の外有せざるが故に、唯々眼前のこと、現在のことの外知る能はざるも、人間は抽象表象の力によりて遠く慮かり、遠大なる計畫を立てゝ行くことが出來る。恰かも正金のみありては不便であるのに、紙幣や手形がある爲めに金錢の送達や取引が手輕に運ぶのと同樣である。併し、抽象概念は其自身に價値を有する者では無い、唯具體的の經驗を代表するといふ點よりして價値を有するのみ。恰かも紙幣や手形が正金を代表せざるに至れば紙屑同樣となつてしまふのと同樣である。具體的の經驗を離れて抽象的思考其者に價値を認むる者は正金を離れて紙幣や手形が價値を有すると思ふ者と選ばない。古來多數の哲學者は此弊に陷つて居る。具體的の經驗を閑却して抽象概念のみをいぢくりまはして居る學者の知能は、金庫を空にして紙幣や手形のみを濫發する銀行同樣、早晩破産を脱れぬであらうと。斯うショーペンハウエルは言て居る。
 今日哲學上に於て、此の空紙幣の弊や、流通後れの紙幣を後生大事に貯藏せんとするといふ樣な弊に對して、之を救はんとして出でたる者の一が即ち「プラグマティズム」である。或「プラグマティスト」の濫造と認むる者が眞に悉く濫造であるかは愼重の考査を要する問題であるけれども、哲學なるものが往々生きた哲學的良心を代表せずして形式的に流るゝことがあるといふは事實である。「プラグマティズム」は此弊處を衝いた者として大なる意味を有すると思ふ。而して懷疑論者の排哲學の聲も亦此弊に對する矯激の聲である。懷疑論者は正金を代表せざる紙幣を破棄せんとする者である。併し、單に此處に止まらずして、更に進んで正金を代表して居る紙幣までも破棄せねばならぬと叫んで居る。第一の點に於て懷疑論は意義を有する。併し第二の點に於ては誤つて居る。昔、「エレア」學派の哲學者は經驗の世界を説明せんとして起つた哲學をば全然經驗界に絶縁せしめ、哲學上の原理を立てんが爲めに經驗界の存在をば全然否定して了つて、而して此經驗界を犧牲にして想定したる所謂「實有」といふものをば力を極めて保持しやうと力めた。「エレア」の「實有」はショーペンハウエルの所謂空の紙幣である。「エレア」派より出でて而かも此「實有」は空なりと叫んだゴルギアスは初めて之に氣着いたのである。併し、單に「實有」は空なりと叫んだのみならず、凡てが空なりと叫んで徹底した虚無説を説いたのは、凡ての紙幣の意義を滅却したる極端の説である。今日の懷疑説の態度も又頗る之に類して居る。
 以上は哲學に付て言つたのでありますが、宗教や道徳に付ても同樣のことが言へると思ふ。今日の宗教上の形式や説教や又は宗教家の口舌の上で説かれて居ることがどれ丈け現實の生きたる宗教的經驗を代表して居るか今日の道徳上の形式や説教や又た道徳論者の口舌の上で説かれて居ることがどれ丈け世人の人格の經驗より湧出でたことであるか若し此點を考へたならば懷疑論者の言説の一半が誤つて居ると共に他の一半には汲むべき意義があると思ふ。自然主義の中に、眞摯を缺くと云ふ樣なことや、又は輕佻で不眞面目な青年若くば俗衆の意に投ぜんとするといふ樣な陋劣な傾向が伴うて居ることも否定すべからざる事實であらうと思ふ。乍併斯の如き自然主義や懷疑思潮が起り、たとへ輕佻で不眞面目な青年や俗衆にもせよ、其の青年や俗衆やが、翕然として之に趣くに至るといふ責任の一半は、生命の無い形式を墨守せんとする所の宗教や道徳其の者が分たねばならぬのではあるまいか、宗教家も道徳家も青筋を立てゝ自然主義を攻撃するに先つて先づ肅然として自らを顧み自ら果して眞に眞面目であるか自らが其宗教的良心なり道徳の良心なりに對しては眞に眞摯であるかを眞面目に熟考して見なければならぬと思ふのであります
 如何なる主義でも、如何なる運動でも、若し其れが切實なる自己内心の要求より起つた者であり、又たは時勢に對する眞面目なる憂慮より出でた者であるならば、たとへ其れが矯激であつても、中を失して居つても、其れが切實なる程度に於て、其れが眞面目である程度に於て、必ず人を動かす力を有する者である。即ち其れ丈けの程度に於て必ずヘーゲルの所謂擧揚アウフヘーベンされたる契機モーメントとして將來の人文中に永久に生きて行くべき者であると私は信ずるのであります。併唯其れだけの程度だけである。懷疑主義には前に述べました通り、幾多の輕佻な不眞面目な要素を混じて居るであらう。又た、我國民性の弱點として、外國の自然主義や懷疑思潮に附和雷同したといふ傾向もあらう。又た、輕佻な附和雷同的な青年や俗衆の人氣取りといふ樣な風もあらう。要するに、切實でない、眞摯で無い、眞面目でない樣相があらう。是等の不切實な、不眞面目な樣相は懷疑主義の中に於て永久死滅すべき者である。如何に一時輕佻な附和雷同的な青年や俗衆やを動かし得るとするも之れは所詮死滅すべき要素である。で、若し自然主義にして飽くまでも自然主義的良心に據りて時勢と戰つて行くといふ覺悟であるならば、即ち俗流に媚びるといふ樣な不眞面目な要素を去つて動くならば、其れは今日尚ほ存在の理由を有するのである。それで、吾々は之に對して如何なる態度を取らねばならぬか。哲學者は哲學的良心に據て之と戰へ、宗教家や道徳論者は宗教的良心道徳的良心に據て之と戰へ。若し哲學者なり、道徳論者なり、宗教家なりが、其哲學的なり、道徳的なり、宗教的なりの良心に據らずして、自分の生きた經驗を離れて、生命を失つた形式とか常習とかに據つて自然主義と戰ふならば、其間は自然主義や懷疑主義は尚ほ充分に存在の理由を有するのである。或は今日の樣な形の自然主義や懷疑主義やは無くなるかも知れないが、此懷疑思潮は種々に形を變へて現はれて來るであらうと思ふのであります。併し、若し哲學者なり、道徳論者なり、宗教家なりが、眞に自己の良心に據り、眞に自己の經驗に歸るならば、自然主義や懷疑論は旭日に向ふ魑魅魍魎の如く一時に消失してしまふ筈である。
 これはデンマルクの詩人アンデルセンの書いた昔譚であります。中學校の英語の教科書などにも載つて居つた話であるから、諸君の内には已に御承知の方が多いであらうと思ふ。併し私は大變無邪氣であつて而かも意味の深い話であると思つて居りますから、未だ讀まない方の爲めに一寸紹介致します。
 昔し去る國に一人の皇帝があつた。其れが非常の着物道樂である。或日其都に二人の狡猾な無頼者がやつて來た。そして自分等は機織の名人であると吹聽した。其織つた織物は品や柄が立派である計りでは無い、一つ不思議な性質を具へて居る。其れは、此織物を視る者が器量不相應な位置や職掌に居る者であれば見えなくなるといふのである。此噂は衣裳道樂の皇帝の好奇心をば尠からず刺激した。コウいふ衣物を衣て居るといふと、自分の領内で器量不相應な位置や職掌に居る役人などは直ぐ分る、伴食大臣や老朽職に堪へずといふ樣な者は譯もなく見現はすことが出來ると思つた。で、早速其職人に織物を織る樣にと命じたのである。狡猾な職人は一室に閉籠つて切りに空機を織る眞似をやつて居る。暫く立つと皇帝は其仕事の捗り工合を見たくなつて來た。それで自分の最信任する老宰相を呼んで其摸樣を見て來る樣に命じた。此宰相は自分の最信用して居る人物であるから、これならば其織物の見えぬ氣遣は無いと帝は思つたのであります。老宰相も亦、自分は伴食大臣では無いといふ自信があるので、屹度其模樣を見屆けて來るといふ考で出掛けて行つた。さて機織の部屋に這入つて見ると、梭は切りに動いて居るが、糸も見えなければ織物も見えない。併し職人は皇帝よりの御使と聞いて、切りに此處彼處を指さして其色澤の美、意匠の巧を誇る。老宰相は何にも眼に這入らないが、併しそれが見えないと言ては自分の信用に關する。仕方がないから見えた振りをする。如何にも感に堪へたといふ風をする。そして、宮庭に歸つて、復命した。丁度織屋から聽いた通りのことを申述べて、其色澤の美や意匠の妙を賞贊した。其處で帝は又試驗の爲めに他の役人をば代る/\差遣する。職人は不相變の手で甘く之を瞞着する。役人共は皆な自分の信用を落すまいと思つて、如何にも感心した振りで其説明を聞いて行つて之を帝に復命した。帝は大滿足である。荒増し織物が出來上るといふ時分に今度は帝親ら其の仕事の摸樣を御覽になる。不相變織物も見えなければ糸も見えない。併し見えぬと言ては自分の威嚴に關係する。其處で切りに御賞の言葉が下る。二人の職人には即座に宮庭織物御用掛といふ官職を御授けになつた。愈織物が出來上つて、或祭日を期して其召初めがあるといふことに决定した。仕立上つたといふので宮廷織物御用掛は其召物をば恭しく捧げて伺候する。皇帝は今迄の上衣を悉く脱ぎ棄てゝ、シヤツとヅボン下だけになる。御用掛は勿體らしくチヨツキやヅボンを着せる眞似をする。皇帝は之を着る身振りをする。姿見に自分の姿の映るのを眺めて切りに滿足の状を示される。御附きの連中も亦切りに賞贊の辭を洩す。頓て御召替が濟んで皇帝は階段を降つて馬に乘られる。二人の侍從は恭しく不思議な御召物の裾を捧げる振りをする。愈馬に乘つて意氣揚々として市中を錬りあるきになる。市民は大評判の御召物を見ん者と眼をそばだてる。併し見えない。併し見えないと言ては自分の信用に關する。矢張り口を極めて之を賞贊する。斯くして鹵簿は肅々として市中を進行する。所が其處に一人の小さな子供があつて叫び出した。「コイツは可笑しい、天子樣は帽子と、シヤツと、ヅボン下だけではないか」と叫び出したのである。此天眞流露の叫聲で一同は忽然として夢より醒めた。シヤツとヅボン下とで意氣揚々と市中を錬りあるいて居つた皇帝は忽ちの中に衆民嘲笑の的となつた。
 といふ話がある。懷疑論者は此天眞流露の少年を學ばんとして居るのである併し彼等は此少年以外に逸して居るのであります單に裸かな人を裸かだと直言するのみならず更に進んで凡ての人を裸だと公言して居るのである前の半分は懷疑論に於ける眞理である後の半分は虚僞である前の半分よりして吾々はソークラテースがソフィストよりして刺激を得た樣に自省自戒の刺激を受けなければならぬと思ふ後の半分に對しては吾々は附和雷同の弊に陷らない樣に警戒せねばならぬと思ひます。(五月廿三日述)
(明治四十一年六月「教育學術界」第一七卷三號)





底本:「明治文學全集 80 明治哲學思想集」筑摩書房
   1974(昭和49)年6月15日初版第1刷発行
   1989(平成元)年2月20日初版第5刷発行
初出:「教育學術界 第一七卷三號」
   1908(明治41)年6月
入力:岩澤秀紀
校正:川山隆
2008年5月21日作成
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