詩と散文との間を行く發想法

折口信夫




かう言ふ憎々しい物言ひをして、大變な勞作を積んで入らつしやる作家諸氏に失禮に當つたら、御免下さい。どうも、私どもは批評家でない。尠くとも、優れた新進作家の發見を、片手わざとする月評擔當者風な、忠實な氣分にはなれない。ほんの漫然たる文學青年の育つたものに過ぎない事を、つく/″\思うてゐる。それで、名聲の定まつたといふより、此人の物ならと初めから、安心してかゝれる作家の物ばかりを、讀む癖がついて了うたのが、叶はない。齒に衣を著せずに言ふと、其ほど新進作家の物を見ると、失望させられるのである。此失望と、無駄とを痛感することが、大なり小なり誰にもあつて、寧力瘤を入れて、入れ損をしない、安心な大衆作家を選ぶ樣に傾いて來たのだらう。「講釋」に思想と考證とを入れたゞけの大衆物を感心する以前に、私などは、やはり情熱を以て、さうした作家を凌ぐ名人の講釋を多く聽いてゐる。講釋の速記物――今の新聞の續き物には、講釋師の自作が多いさうだから別だ――は、聽いた時程の感興が、文章に乘つてゐないものである。此は語り手の情熱と、聽きての昂奮とが、よい状態にあるか、ないかを思はせるものだ。
曾我廼家の喜劇の臺本といふものが古くも出、近頃も少しづゝ、全集物の中や、新聞などに出て來るのを見ても、どうも、舞臺に見るだけの搏力がない。五郎といふ人は、評判どほり、相當な作劇家ではあつても、文學者ではない。殊に會話のうけわたしに、生命が缺いてゐる。私どもは、歌舞妓芝居は勿論、新派にも飽き、又さうかと言うて、藝よりも、思想よりも、傾向で押しきらうとする新劇なるものなどに、固よりやすらひは望まぬが、反對に亦昂奮も催さない。かうして、曾我廼家を愛してゐるが、可愛さうに、あれでは、五郎の作物も、會話の爲に――上方方言を使ふといふ意義ではなく――不朽の生命を持つことが出來ないと思ふ。圓朝などでも、書物を見ると、戲作者氣どりが鼻につくし、速記物を讀むと、水際立つた所のないうぢやけた物だ。こんな物は、圓朝を傳へる事が出來ない。圓朝は、傳説と空想との世界にのみ、立派になつて行く人であらう。
私は、民俗藝術は、藝術でない所に意義があるのだと考へて來た。藝術化したら、其は單に平凡な藝術なのだと主張して來た。曾我廼家喜劇や、講釋物の藝術としての價値の乏しいのも、當座きりの昂奮の有無以外に、其處に意味があると考へる。にも拘らず極端には、更に優れた、偶然の天稟を持つた人があつて、近松の樣な作物を殘すのだとも考へてゐる。大衆作家は、藝術と讀み物との二道に趺をかけ過ぎてゐる。最よい手本が、中里介山さんに見られる。大菩薩峠が、都新聞の讀者ばかりに喜ばれてゐた間は、藝術意識から自由でゐたゞけに、其處に自然の藝術味が滲み出てゐた。世間がかれこれ言ひ出す樣になつてから、急に不思議な意識が加つて來て、序に藝術味なども、吹き飛して了うた感がある。
無定見な讀者の一人なる私は、偶に月評家の意見を聽いて、駿馬を相しようと言ふ無駄骨折りを助からうとする。さうして、ぼつ/″\新進作家の作物を讀んで行く。此誌上で言ふのは、甚申しわけないが、「改造」・「中央公論」などの作物選擇の標準が、近來頗信頼すべからざる物になつて來た氣がする。どうもいつも、背負ひ投げを喰はせられた樣な氣分に殘されることが多いのは事實である。編輯者が迷うてゐるから、讀者も惑はざるを得ない。とゞのつまり、まづ安心して讀めるといふ豫期から、里見さんの「大地」見たいな物を讀んで行くことにしてゐる。でも、此講釋師典山の讀み口を思はせる樣な名人作家が、新時代の小説の代表者だといふ事の出來ないのは勿論である。
又佐藤春夫さんなどの散文詩がゝつた物を讀む。詩の世界に這入つた事のないものは、いつでも其から、芳烈な他界の花の香を※(「嗅」の「口」に代えて「鼻」、第4水準2-94-73)ぐ。ところが不幸な事には、私どもは詩に對しても忠實な讀者であり、同時に多くの詩人を、友に持つてゐる。其爲か、あゝ言つた作風をよいとは感じる中にも、割り引きをせずには享け入れられない處がある。さうした人々の散文詩を襲いだと見るべき、新感覺派が出て以後の變化は、まづ明治の言文一致の運動以後、大して現れなかつた發想法上での事件であつた。唯其が少し、鴎外系統の論理的均整を保たうとし過ぎた處に病氣があり、生ひ先の短い事を思はせた。中にはも少し、ぼんやりとした物がないではなかつた。これこそ、其中では、望みをかける事の出來るものと思はれた。此側の作風には、失禮かも知れぬが、どうも、新感覺派に、宇野浩二流の文脈が這入つてゐる樣に思ふ。宇野さんの文章なるものは、明治以來の幾多の作家中でも、殊に日本的の文章である。なるほど他の人々と比べて見ると、一見不熟な、ありふれた直譯文の文脈などをとり入れてゐるが、あれが又、日本の文章の組織に十分に移しこまれてゐるのだ。と言ふよりも、日本の文章には、宿命的に、當然あゝした進み方に行く筈の要素のある事を、思はせるものがあつた。あのねつい發想法は、平安文學の理會があると稱せられた芥川さん、又、評判だけでなく、ほんたうに、王朝文學の訣つてゐられる谷崎さんあたりの所謂美文よりも、根本的に、又本質的に物語文に通ふ處がある。其と同時に、大正・昭和における本道の話し手らしい書き方だと感じさせた。其一つ前にも、岩野泡鳴がゐた。此人は、理論から見ると、十分日本の文章を知つてゐたが、實際になると、失語症の樣な處があつた。そのぶきつちような處に、泡鳴らしい味ひがあつたものである。
宇野流と新感覺とでは、大變違ふ樣だが、かうした事實が、ほんたうに一つになつた處に、詩人出の多くの作家の特殊な表現があると思ふ。新感覺派の文章を其まゝに推し進めて、飛躍させて來たものと見てよいのが、當時流行の所謂ぷろれたりやの文章だと思ふ。どうも、ぷろれたりやにそぐはない程、其文章の感觸に芳烈さがある。原文は讀めないから訣らないが、ろしあ物などに、ありさうもない水際だつた姿と、かつきりした書き方に整ひ過ぎてゐる。暗い題材を扱ひ乍ら、明るすぎる。其は、青年の作らしいよい處だが、我々中年の傍觀者には、物足らない。始終ある解決を待つてゐる大きな陰鬱な雲が、頭の上におつかぶさつてゐる氣分を起させる文章が、人生を指導してくれる大きな文學の、必持つて來る姿だと信じてゐる。貴族的な明るい感覺的なものを、ぷろれたりや作家諸君が、發想法に持ち過ぎてゐるのである。だが、其等の人の間に、最近の傾向として、文章の型に囚はれ過ぎてゐる私どもの心を、元氣づけるに十分なものが現れ出した。
地の文と對話と、内容と外部との描寫の交錯した、自由な發想法が出て來た事である。此は大分、文章の歴史の上の大事件の樣な氣がする。唯中には、かうした形を文章の技巧と意識し過ぎて、一種のじやず・ばんどを作らうと考へてゐるらしい作家もあるのには困る。さう早くから、望みある水の川上を濁してくれては困る。こんな點では、さすがに谷讓次さんのものには、心理に隨伴した交錯や、幻影が適確な表現を獲てゐる事が多いと思ふ。なるほど世間の評判も、時には信じてよいと考へた。だが、此人の文章にも、氣品があり過ぎる。新感覺派に接觸し過ぎてゐるのが、好意は持てゝも、不安である。かう言ふ氣品は、どうかすれば、小い皮肉を出したがるものである。鴎外博士の作物の缺點は、とりすましと、小皮肉とであつた。芥川さんなどは其に終始してゐた樣である。第二の潤一郎になる人は、此人ではないかと思ふだけ、少しのあらが目立つていけない。
谷崎さんの文章は、世間で言ふほど完成したものではない。私どもに言はせれば、芥川さんなどより破綻がある。けれどもそこに、がらの大きさを見せてゐる。又其だけ文章にも、不安は持つてゐられるらしい。昨年出た本誌の論文――「現代口語文の缺點について」――などは、實はもつと國語・國文教育者が、反省してもよい筈だつたと思ふ。私などは、無條件に賛成である。其といふのが、常日頃考へてゐた事の代言をして貰うた氣がしたからだ。其ほど、私をつり込んだ論文も、實は谷崎さん當座用の煩悶帳であつた。今一つ將來の文章についても書いておいて貰ひたかつたものだ。
聲調の上の美や、描寫法の上の傳習的な確實から超越した、さうしてまう少し日本流に連綿した文章が出ようとしてゐる。又其を育てねばならぬと言ふ申し出が、實は聽きたかつたのである。





底本:「折口信夫全集 廿七卷」
   1968(昭和43)年1月25日発行
初出:「改造 第十二卷第二號」
   1930(昭和5)年2月
※底本の題名の下に書かれている「昭和五年二月「改造」第十二卷第二號」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※踊り字(/\、/″\)の誤用の混在は底本の通りとしました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2003年12月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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